2015/01/19

Post #1384

Bruxelles
サザンの桑田が、紫綬褒章を貰って、それを聴衆の前で披露して、オークションにかけるようなふりをして批判されている。
俺は、サザンに興味がないので、それに関してどうこう言う立場ではない。
けど、桑田自身、たんなる演出ですと言いながら、オーディエンスの前にちょび髭をつけて出てきてみたり、政府の安全保障政策を皮肉っていると取られるような歌詞を紅白で歌ってみたりと、最近面白いことをやっているなぁと思っていたのに、なんだか残念な気もする。
もっとも、俺の愛する今は亡き忌野清志郎なら、そもそも紫綬褒章なんてもらえる訳もないし、貰えることになっても、辞退していただろう。
ロックとは、反体制の音楽であったはずなのに、体制に認められてしまったなら、権力者のポチに成り下がってしまうじゃないの。すくなくとも、自分が批判し続けてきた相手に、名誉な賞を与えられるというのは、俺なら御免だ。権力者の皆さんには、ぜひとも目の上のたんこぶのように鬱陶しく思って欲しい。
ロックは昔は、不良の音楽だった。ロックなんか聞いてる奴はロクでもない奴だった。俺の周りにもそんなロックなロクでなしはたくさんいた。
愛すべき馬鹿野郎たちだった。
きっと、桑田はロックではなくて、ポップミュージック、つまり大衆音楽だったということだと思うことにしておこう。なにしろ名誉ある紫綬褒章だからな。国家権力のお墨付きなんだ。
ロック60年の歴史で、ロックが体制にすんなり取り込まれてしまったことで、そのエネルギーは明らかに減衰している。
悲しいことだ。
実際、俺が好んで聞くのは60年代から70年代にかけての、ロックの黄金時代の曲ばかりだ。
ロックよ、長生きするんだ!

かつて、イギリスの首相だったトニー・ブレアが、ザ・ローリング・ストーンズのミック・ジャガーに、ナイトの称号を与えたことがあった。2003年のことだ。ストーンズの活動40周年を機に送られたという。
授与理由は長年にわたる『ポピュラー音楽への貢献』だ。ポピュラー音楽だ。
もう一度言おう、ポピュラー音楽だ。

これに対して、ストーンズのギタリスト、キース・リチャーズは猛反対した。
キースの言い分はこうだ。
『俺は勲章の授与なんて馬鹿げたことだと思ったよ。そんなことはストーンズらしくないぜ、だろう?俺はクソ忌々しい冠をつけて、きざなアーミン(オコジョのことだよ)の白い毛皮をまとった誰かさんと、ステージに上がるのなんて御免だね。俺はミックに言ってやったよ。「そいつは糞喰らえの無価値な名誉だ」ってね。』

これに対して、ミックは『キースはアイスクリームが欲しくて泣き叫ぶ子供だ。彼も本当は欲しいのさ』と反論していたという。

確かにミックとキースのグリマーツインズは、コインの裏と表のような関係だ。ミックはまさにポップだし、キースはロックを体現したかのような人物だ。
どちらの言い分が正しいかは、それぞれの考えることだろう。
そして、このやり取りは今回の一連の出来事のよしあしを、もう少し深く掘り下げてみる材料になるようにも思うんだけど、どうかな?

名誉ねぇ・・・。俺にとって、名誉だと思えるのは今まで縁のあった人たちが、とりわけ関わりのあった女の子たちが、俺のことをいつまでも忘れず、出来たら大切な思い出にしていてくれることだね。それに尽きるよ。君たちに愛される一匹の風来坊で無頼漢でいたいのさ。

読者諸君、失礼する。
まぁ、俺が何を言おうが、やっかみにしか思われないってのが寂しいところなんだけどね。

2015/01/18

Post #1383

Patan,Nepal
人に、写真を撮ってますというと、まず例外なく『どういう写真を撮っているんですか』と訊かれる。

俺は返答に困ってしまう。

きっとその人は身近な人々やモデルを写したポートレート写真とか、キレイな山だの海だのを写した風景写真とか、そういった答えを期待しているんだと思う。なかには、俺の風貌からなにかしら怪しいものを感じるのかヌードとか撮ってるんですか?と訊いてくる人もいる。それはやっては見たいが、漢として裸の女性を前にしたら、やるべきことはそれじゃない気がするが、どんなもんだろうか。

俺は内心に少し引っかかりを感じながら『まぁ、スナップ写真です。何っていうわけじゃありませんが、こんな感じです』と言って携帯のSDカードに落とし込んだ写真を見せてみる。

たいていの人は、『へぇー』といっては感心するようでいながら、その実なんだかよくわからない写真だなぁといった顔をする。
俺の写真は解かりにくいんだろうな。なにかテーマがあったりするわけでもなく、皆によく知られた風景や名所、名建築が非凡な技量で写されている訳でもなく、ただ淡々と俺の生の歩みの時系列に沿って、目にしたものを写していくだけなんだから。
それらの画像から何かしら意味を汲み取るのは難しいということだろう。
だって、そもそも意味なんかないんだから。
あるとすれば、そこに写っている人々の生を、掠め取るように捕まえたいという秘かな主題があるだけだ。

スナップ写真という語感は、何か間が抜けた感じがして好きになれない。ちょうどちびまる子ちゃんに出てくる“たまちゃんのお父さん”のような、すこし間抜けな好人物を想像してしまう。

それが、『スナップシューター』つまり、撮影=シュート(射撃)という強い響きのある言葉になると、しっくりしてくる。写真を撮るという行為は、俺にとっては世界との格闘のような気分だし、どこか狩人のような感覚だから。
とりわけ、肖像権だのなんだのといって、こういった写真を撮ることが反社会的な行為とみなされるようになってきた昨今では、なおさらだ。写真を撮ることは、犯罪すれすれで、どこかやましい行為なのだ。
しかしだからこそ、物事の本質に迫りうる道が隠されているのではなかろうか。

永年、そんなことを考えていたら、少し前にウィリアム・クラインの文章にいい言葉を見つけた。『東京1961』によせて記されたクラインの言葉のなかに彼が自らの写真を『アクション・フォトグラフィー』と記していたのだ。
これは何かカッコいい。
しっくりとくる。
つねに歩き回り、揺れ動きながら世界を捕まえていく、動的な視座が含まれているような響きがある。言葉に肉体が感じられるというか、身体性が垣間見えるのだ。
クラインの文章を、少し引用してみよう。

『1950年代、アメリカにおいてアクション・ペインティングが勃興し、絵画は一連の変革期を迎えていた。その頃にキャリアをスタートさせた私は、アクション・フォトグラフィーといった類いのことをしていたように思う。そしてその中に、ざらざらとした黒の質感やギザギザの線といった木炭デッサンの要素を取り入れたりもしていた。私は美術の専門的な訓練を受けた事はないし、伝統的な技法に重きを置いていなかったので、私の写真はとても原始的なものであった。原始的、すなわち偶発的で、反技術的な方法論が私の性に合っていたのである。むしろ、写真の問題点は、精密な技術的な部分にこだわり過ぎるところにあるとさえ思っていた。』
さすが本家本元だ。もう少し、引用してみよう。
『西洋絵画の歴史は、変革の歴史なのだ。絵画の場合、今、この現代に“古典的な”絵画が話題の中心になることはあまりないし、積極的に見たいと望む人も、そう多くはないだろう。だが、同じ視覚芸術である写真の場合、美術館やキュレーターたちは、ほぼ“古典的な”写真しか展示しない。私は強く感じるのだが、専門家たちが技術的な部分にこだわり過ぎるが故に、写真は視覚芸術の中で最も虐げられた芸術になっているのではないだろうか。』

虐げられた芸術というくだりが興味深い。写真とはこういうものだと、専門家によって規定されているがゆえに、多くの人々が思い描く写真というものは、どこか窮屈で型にはまったものになっているように感じる。
アクション・フォトグラフィーか。
いい言葉だな。今度から使ってみよう。とはいえ、そんなこと言っても、誰にも通じないだろうな。

読者諸君、失礼する。写真というのは俺にとって、この世界と渡り合うための武器だし、俺の見た世界を君に伝えるための言葉でもあるんだ。君が俺の写真から、見たことない世界やあったことのない人々の生について、ちらりとでも思いを馳せてくれたなら、俺は満足さ。

2015/01/17

Post #1382

Boudhanath,Nepal
今日は阪神大震災から20年という節目の日だった。

あの頃俺は、二十歳で家を飛び出して、貴重な青春を浪費していたカルトな宗教から、命からがら夜逃げして足を洗い、鬱屈していた時期だった。しかも、家に追手が来ることを警戒して、親父の会社の2階に住んでいた。なにしろ、押入れを開けると日本刀がゴロゴロしているような危なっかしい集団だったし、俺は一度、やめたいと言ったら、殺して港に沈めるという宣告を受けたこともあったからな。追手を警戒するのは当然だろう。
俺は外を出歩くのすら用心し、毎日、やることもなくふて寝していた。
そして、あの日もそんなひどいことが起こっていたなんて知らずに、眠っていたんだ。
なんとも申し訳ない。
とんでもない災害が起きていると知って、心底驚いた記憶がある。
俺には当時、関西方面には縁者がいなかった。正直言って、どこか他人事だった。自分のことで手いっぱいだったんだ。
改めて、亡くなった人々の冥福を祈り、被災された方々の胸中を想うこととする。

今日という日は、20年という節目の年でもあるので、世間は追悼ムード一色だが、俺の一族、つまり伊賀にルーツを持つ忍者の一族にとっては、俺のばあさんの3回忌、おふくろの33回忌、じいさんの47回忌の法要を行う日ということになっていた。
法事の時は、いつもこんな感じさ

今までは親父がそういうことを取り仕切っていたんだが、そろそろこれを機会に一線を引き、俺に委ねたいという話だった。
厄介ごとは御免だが、俺はこう見えて長男だし、兄弟の中には俺を越える存在感の持主はいない。
これも時代の流れだ。致し方あるまい。
俺は親父と打ち合わせて、親戚一同に連絡をつけ、出欠をとったりしていたんだ。面倒だが、俺の責務なんだろうな。
まぁ、一族の代替わりのイベントだ。質素倹約ながら和やかにいきたいとおもっていたんだがなぁ・・・。

しかし、やはり今回も親父と揉めてしまった。俺のカミサンの予想通りだ。
しかも、法事を行った本堂で、親戚一同の目の前で、親父のテキトーさと身勝手な振る舞いに、反射的に反発してしまったのだ。
夜の男の現場を終えて、一睡もせずに着替えて行ったので、俺の心のマシンガンの引き金は、潤滑スプレーをべとべとに塗ったみたいに軽いったらなかったのだ。

反省してます。後悔はしないけど。

しかし、この親父には毎度まいど、本当に振り回されるぜ。
法要の開始時間は30分間違えて教えてくれるし、法要の後の会食など無しで、各々気の合ったもの同士で適当に食事をしてくれればよいという話だったのに、いざふたを開けてみれば、親父の馴染みの店に席を設けてあるという。
それを聞かされたのは、今日の朝、それもお寺でのことだ。そりゃ、俺も頭に来るさ。
もっとも、俺も睡眠さえとってりゃ、多少は笑って受け流し、皮肉の一つくらいで済ませることができたかもしれないけどな。
頭には来るが、どうにも俺が行かないと締りはつかない。プンスカ怒ってみても、大人なんだから仕方ないさ。弟なんか、仕事があるなんて言って、とっとととんずらしやがった。親父の弟も、新幹線が雪で動かなくなると嫌だってんで、そそくさと帰って行った。要領のいいことだ。見習いたいが、そうもいかないぜ。
仕方ない。俺は親父たちと一緒に昼からステーキなんかかっ喰らい、せめてもの腹いせにトイレに行くふりをして、こっそり支払いを済ませてきたぜ。借金を抱えた70代半ばの見栄っ張りな親父に、あまり金銭的な負担をかけたくなかったのさ。
とはいえ、予定外の出費に血の涙が流れたよ。
男女の縁は切ることはできるけど、親子の縁は切るに切れないんだ。この親父は、ブースカ言いながらも、俺が看取ってやるしかないのさ。

読者諸君、失礼する。しかしまぁ、俺もまだまだ器が小さいぜ。ダッハッハ!