2015/01/22

Post #1387

Kathmandu,Nepal
俺は本当は、世界のことなんかお構いなしで、自分の小さな利益、幸福、快楽にしか興味なんてないという生き方のほうが、人間としてはるかに健全だと思ってるんだ。
だから放蕩者に憧れる。快楽主義万歳だ。

俺のように、自分ではどうにもできないことについて、分不相応に憤ったり、悲しんだり、自分にいったい何ができるのかなんて考え込んでしまったりするのは、あえて背負わなくてもイイ荷物を背負って歩いているようなものじゃないか。違うかい?
眉間にしわを寄せてそんなことを考えていたって、女の子には相手にしてもらえっこないのさ。

そりゃ俺にだって、世間様並みに自分の小さな利益、幸福、快楽を願う気持ちはあるさ。むしろ、人並み以上かもしれないぜ。
けど、自分が幸せを感じようと思ったら、自分の身近な人たちにも幸せになってほしいと思うのが、人情ってもんでしょう?
で、その身近な人たちにも、俺の知らない身近な人たちがいる訳で、俺の知らない身近な人の縁者が幸せでいてくれないと、俺の身近な人は幸せではいてくれないに違いないと思うわけだ。それをどんどん広げていくと、世の中にどうでもイイ人間なんて一人もいないってことに気が付いたのさ。なんと小学生の頃にね。

子供の理屈だって?

そりゃそうさ。子供の考えてたことだ、子供の理屈で当然だろう?

子供の頃の俺は、自分が生きているうちに、世界が滅びると思っていた。
当然、自分は生き残りたいと思ったんだが、自分ひとりじゃどうにもならないって気が付いたのさ。
家族、親戚、友人、そのまた家族、親戚、友人・・・。
自分一人が生き残るためには、いまでいうFaceBookの友達の友達みんなが生き残らないと意味がないって思ったのさ。
それを敷衍していくと、世界中すべての人が、世界の破滅的な終焉から救われないと意味がないという結論に達したわけだ。
子供心に、気が遠くなったよ。
まったく、ひょろひょろした色白の坊やの頃に考えたことが、この年になっても自分を縛っているんだなぁ。三つ子の魂百までとは、よく言ったもんだぜ。

御幼少のみぎりから、そんな分不相応な考えを持っていたために、大学に入ったばかりの若いころ、カルトな、いやむしろSF小説をそのまま現実化したような奇妙な宗教にハマって、家を飛びしてしまった。ついでに大学も辞め、割のいい人生からドロップアウトしてしまった。
その挙句、貴重な青春時代を禁欲的な修行の日々と、霊界闘争という幻想に費やしてしまった。酒もタバコもギャンブルも、女っ気も無し。ついでに言えばプライバシーも金もなしという青春時代だった。
さすがにうんざりして現実社会に復帰してからも、ロクな仕事にありつけず、筋が通らないと戦いを挑み続け、その都度敗北を重ね、すっかりひねくれてしまった。
で、今は政治や社会について憤ったり、社会の理不尽に憤慨したり、世界で起きてるクソみたいな現実に悲しんだりするような、身の程知らずな阿呆なおっさんになってしまったわけだ。

みんなが愉しそうに歩いているのに、自分だけ重たい荷物を担いで、三白眼で前をにらんでいるようだ。まったく、バカバカしいったらありゃしないよ。

そんな事ばかり気の向くままに書き散らしてるおかげさんで、このブログは誰の興味もそそりはしない。ごく少数の知り合いを除いて、誰にも気付かれない。
グルメ、ファッション、利殖、スポーツ、セレブの生活、そしてセックス・・・。
そういったごく普通のことについて書いていたなら、もっと君たちに気に入ってもらえたことだろう。
もっと人気者でいられただろうし、自己満足もしただろう。
しかし、俺にはそれは難しい。残念ながら。俺にはこんなことしかできないんだ。赦してほしい。

読者諸君、失礼する。とはいえ出来る事なら、自分の利益や快楽にしか興味のない、まっとうな社会人でいたかったよ。そんなのつまらないって?大丈夫さ、今でも十分つまらない男なのさ。

2015/01/21

Post #1386

Patan,Nepal
イスラム国が、日本人の人質を殺されたくなければ、2億ドル支払えと言っている。
猶予は72時間。すでに20時間ほどが経過している。
2億ドルもの金を、日本政府が払うとも思えない。しかし、何らかのコネクションを通じて、交渉を試みているんだろう。その結果がどのようなものになるのかは、一市井の無頼漢たる俺には、とやかく言う資格はない。
出来る事なら、こんな話題は避けてしまいたかったんだが、触れておかないのは、言いやすいことだけ言って、言いにくいことは言わないというようなご都合主義の香りがするので、何も言えないと思いつつも、触れておくことにする。
もちろん、俺はそんな事より、かわいいおねーちゃんのことで考えて悶々としている方が、自分らしいとは思う。


この件に関して俺は、青い空と石ころしか転がっていない土漠に、独り途方に暮れて立ち尽くし、途方に暮れたような、悲しみと無力感の入り混じった奇妙な気分を味わっているのだ。
わかってもらえるかなぁ・・・。


どのような結果になろうとも、それによってイスラム教徒の人々を自分たちの社会から疎外するのは過ちだ。もちろん、恐れたり、おもねったりする必要もないけどね。

つまり、ちょっと文化の違う隣人として、普通に接するべきだということだ。
疎外することは、中長期的に見て何も生み出さない。
むしろ、疎外は憎悪の源になり、憎悪は新たなトラブルの源になる。
つまり、恐れたり憎んだりすれば、それはいつの日にか、何倍にも増幅されて自分たちのもとに、戻ってくるということだ。ブーメランみたいなものさ。

今回の件に関しては、なぜあの民間軍事警備会社の男性は、イスラム国の支配地域に潜入したのだろうか?というそもそも論的な、素朴な疑問が尽きない。チャック・ノリスやランボーだって、独りであそこに潜入しないだろうって思うぜ。
人相体つき、醸し出す雰囲気から察するに、今日まで傭兵として、世界の戦場を人知れず渡り歩いてきたといった風情など微塵もない白面郎に見えるのだが、どうだろうか。

以前読んだ報道では、自らの会社の事業に関する経験を積むため現地に赴いたと報じられていた。
箔をつけるというか、ある種の功名心があったのだろうか。あくまで記憶の範囲だけれどね。
しかし、理由はどうあれ、考えれば考えるほど、あまりに無謀だとしか言いようがない。アメリカも、軍やCIAなどから、かの地にエージェントを送り込んではいるだろうが、何のバックアップもない個人が、単身乗り込むには危険すぎたってことだ。
もちろん、彼個人をバッシングする気もなければ、自業自得だの、自己責任だのと切って捨てる気もないのだが、いささか現地の状況に対して、認識が甘かったんだろうなぁと思う。

そして、民間警備会社の男性を救助するために現地に向かい拘束されたジャーナリストの男性は、現地の事情に詳しく、報道によれば何らかのコネクションも持っていたにもかかわらず、今回のような事態に直面してしまった。
その志は称賛されるべきかもしれないが、支配地域と巨大な資金、そして強大な武力を保持した狂信的な集団に対して、徒手空拳で交渉を図るというのは、いささか彼個人の力量を越えたものであったんだろう。

俺は常々、仕事絡みで『別に命まで取られるわけじゃないんだ、どんとやれ!』と思うことにしているのだが、この場合、一歩間違えたらフツーに命が取られてしまうので、なかなかどんとやる気にはならないだろうよ。
そういう意味では、彼らの無謀さと裏腹な行動力には、正直感心してしまう。
自分なら、あんなふうに出来るのかと問われれば、無理って即答するよ。
いかに志があろうとも、あれで処刑されてしまったら、元も子もないんだよ。無駄死にだ。無念すぎるぜ。

読者諸君、失礼する。どのような結果に落ち着くのか、俺には皆目見当がつかない。しかし、なんとか彼らが無事に帰ってくることが出来ることを祈っているよ。

2015/01/20

Post #1385

Bruxelles
ヨーロッパの各地で、反イスラムのデモが起こっている。
ドイツ東部では、数万人規模のデモが起こっているという。
俺は、悲しいような気分になる。思わず荒野に立ちすくんでいるかのようなさみしさだ。

ヨーロッパの歴史は、古くはウマイヤ朝によるイベリア半島占領から始まって、千年以上にわたってイスラム勢力圏とのせめぎあいの歴史だ。ウィーンはオスマントルコに包囲されたこともあるし、ハンガリーやギリシャはオスマン帝国領だった時期もある。また、中世にはエルサレム奪還を目指して、多くのヨーロッパ諸国が中東に兵を送り、当時はヨーロッパよりも進んだ文化を持っていたイスラム教徒と激しい戦闘を繰り広げた。ちなみに、その頃のイスラム教徒は、古代ギリシャ文明を継承し、その自然科学や哲学を発展させることで、キリスト教会のもとでそれらを破棄してしまったヨーロッパ人よりも、はるかに進んだ文化を持っていたんだ。
ちなみにヨーロッパに、古代ギリシャの文化的態度が復活するのには、ルネッサンスまで待たねばならなかった。

そして、現代では多くの北アフリカやトルコ、中東出身者が移民としてヨーロッパに定着しており、その比率が増していけばいくほど、社会に軋轢が生じている。
実際に、ヨーロッパの国々の街角を歩いてみれば、明らかにイスラム教徒といった人々を、容易に目にすることが出来る。フランスやベルギーでは、北アフリカから来たとおぼしき人々の姿をしばしば目にする。
これが、ドイツになると、行ったことはないのだが、トルコ系の人々を多く見ることが出来ることだろう。

俺たち人間というのは、違う価値観を持つ者をなかなか理解しようとはしない。
理解することなく、単に外見や習慣の違いから誤解を深め、溝を深めていく。それに経済的な格差や教育の機会の不均衡が加われば、溝はますます広がっていく。

日本でも、かつて日系ブラジル人のコミュニティーと地元住民の軋轢が報じられたりした。また現在でも、在日韓国及び朝鮮人に対するヘイトスピーチが問題になっているが、ヨーロッパの問題の根は、イスラム教とキリスト教の長年にわたる抗争の歴史があるため、より根深いんじゃないかなと容易に想像できる。
誰だって、自分の属する文化がサイコーだって思っているはずだ。
身近に目を向けてみれば、今の日本には、日本人は素晴らしい、日本はサイコーだといった類の本が溢れている。けれど、俺にはそれは、自信の無さの裏返しに見える。


俺は、自分の抱いている遠大な理想と理念、そして現実の間に横たわるギャップに、呆然とするんだ。
ほとんどアンドロメダ星雲に向けて、自転車かなにかで出発したような気分だ。


俺がインドネシアやモロッコやトルコで出会ったイスラム教徒の人々の多くは、人懐っこく、誠実な人々だった。俺が片言のアラビア語で話しかけると、とても嬉しそうに笑うんだ。
礼拝の時間を告げるアザーンは、力強く、かつ美しい旋律と響きを持っていた。

モロッコのホテルで出会った写真の彼らは言っていた。
ヨーロッパ人は、決してアラビア語を話して接しようとはしない。その態度は自分たちを一段低く見ているように感じると俺には聞こえた。まるで、召使に接するように振る舞うヨーロッパ人だっているんだろう。
君たち日本人が、こうしてアラビア語を使って話しかけてくれることは、とてもうれしいと彼らは言ってくれた。そしてまた、あなたたちは友達だ、と彼らは言ってくれた。
Marrakech,Morocco
ひとりひとりの人間に、一個の人間として向き合えば、そして互いにそれぞれの文化を理解し、尊重する姿勢を持っていれば、きっとお互いに違いを見出すことよりも、共通するところを見出すこと多いはずだ。
だって、考えてみてくれ、どんな文化に属する人間だって、嬉しいときには笑い、悲しいときには涙を流すんだぜ。頭に来た時には、怒った顔になるもんだ。不思議じゃないか?
けど、それが人間なんだ。みんな同じ赤い血が流れてるんだ。
きっと分かり合えるさ。

そして、俺はそういうことが出来る人間の方が、異物を排除する人間よりも、面白い人生が送れるように思うし、より強く、より優しい人間だと思う。
それは何も、違う民族、異なる文化に属する人々の間の問題だけに関する話じゃない。
同じ日本でも、くだらない差別が、今でもたくさんある。
性、職業、階層、資産、出身、血筋、学歴、身体的な諸問題。
表面的になくなったように見えても、それは巧妙に隠されているがゆえに、より深く根腐れている。

俺は無力な一個人だ。
出来る事なんて、ほんと何もないに等しい。
けれど、一つだけ君たちに言えることがある。

まずは、自分の目の前の人間に、誠実に接することから始めよう。
相手を一人のかけがえのない人間として、理解しようと努めよう。
すべてはそれからだ。

とても大事なことだから、もう一回行くぜ!

目の前の人に、誠実に接することから始めようぜ!

読者諸君、失礼する。誤解が解けたら、理解を深めよう。