2015/04/17

Post #1472

Helsinki
人生に、もっと冒険が欲しいものだ。
安定なんて、退屈じゃないかい?
毎日まいにち、同じ電車に乗って、同じデスクに座り、仕事をして何十年なんて、考えただけでもぞっとしちまう俺なのさ。
人生が、パソコンやスマートフォンの画面の上だけで進んでいくなんてのは、御免こうむる。

自分の足で、どこか見知らぬ土地に出かけ、見も知らない人と出会いたい。
毎日、いろんな考えの人と話し合ってみたい。
その人たちに、世界がどう見えているのか、知りたいし、理解したい。
花の香りに誘われていたい。
人々の声に耳をそばだてていたい。
美しい女性に目を奪われていたい。

思い描く世界は発見に満ちている。
まだ見ぬ人々は、俺をワクワクさせてくれる。

けれど、実際には毎日が物足りなくて仕方ない。
あんまり物足りないんで、たまには紛争地帯にでも行ってみたくなるし、鬱病のパイロットの操縦する飛行機に乗ってみたくもなる。もちろん、ブルース・ウィルスやスタローンみたいに、そんなピンチをギリギリで切り抜けたりして、笑い話にしてやるのさ。

さてと、今日で、しばらく仕事からは解放だ。
もちろん、打ち合わせだの、請求書だの帳簿だの、次の仕事の営業活動なんかは、やっぱりやらないとヤバいんだが、とりあえず自由な時間が手に入るのさ。誰も俺には構っちゃくれないから、一人で家に引きこもるのさ。

今年も俺が、年明けからほとんど休みなく突っ走ってきたのは、お馴染みの読者諸君はご承知のこったろう。店舗内装の現場監督って仕事は、決して嫌いなわけでもないけど、これだけやってて年老いて死んでいくのは、退屈でしょうがないのさ。

君は、みんなそうして生きているっていうんだろう?
冗談じゃないぜ。
こう見えて俺は、生まれついての道楽者なのさ。
歌い踊ることが大好きだし、本を読み耽ることも大好きだ。そして、もちろん写真を撮ってプリントするのが大好きだ。ついでに言えば、女の子も大好きだ。向こうはそうでもないみたいだがね。

しかも奇遇にも、明日からはカミさんは仕事で出張だ。しばらくは俺一人の生活だ。
心置きなくプリントでもさせてもらうとしようかな。

読者諸君、失礼する。こうしちゃいられないぜ。さっさと眠るさ。なんせ、今日で仕事が一区切りなんだからな。

2015/04/16

Post #1471


Hong Kong
先日、自分のFBにUPしたブログの更新記事のコメントに、古い知り合いの女性から、痛烈なお言葉を賜った。Post #1458に関するものだ。

彼女曰く『よその女に子供を作らせて、自分の奥さんに育てさせるなんて寝ぼけたこと言ってる奴に反吐が出るね!』だそうだ。
参考までに付け加えると、この寝ぼけた奴とは、他でもない俺のことだ。

まったく、返す言葉もないくらいだ。俺は、気の利いたちょっとダーティーなユーモアのつもりだったんだがね。

俺の下らないユーモアで、ご気分を害されたようだから、この場を借りて謝るよ。
陳謝する。反省するよ。
今後はもう少し控えめにさせてもらうよ。反吐が出ないくらいにね。
きっと、俺の文章の面白さは当社比―50%くらいにはなるだろうけれど。

俺は人間を46年ほどやらせてもらってますが、反吐が出るなんて言われたことは、なかなかに無い。面と向かって言われたわけではないけれど、精神的になかなか堪えるものがあるな。

実生活でも、世間様から図太いとか、心臓に毛が生えているとかさんざん言われる俺だけれど、こうして真正面から反吐が出るなんて言われると、なんともやり切れない気分になるよ。

俺自身、自分の言っていることが、時に世間の常識から逸脱したことを言ってるという、確かな手ごたえを持っているんだが、今回の件は俺としちゃ、ちょっと実際にカミさんとの間で交わされた際どい冗談を、そのまま書き記したつもりなんだ。

結果人間のクズ呼ばわりされたしまったわけだ。
自分にとって、どうだってイイ人間に、どれだけクズ呼ばわりされようが構わないけれど、そうそうお会いすることもないけれど、自分としては確かに大切な人からクズ呼ばわりされるのは、かなりキツイ。

俺としちゃ、悪気なんかさらさらない、ちょっとしたユーモアのつもりだったんですがねぇ・・・。やっぱり、いけませんかねぇ・・・?

俺ははたと考え込んでしまう。

こいつは俺の個人的なブログでの発言だし、たとえそうではなくて私小説かなんかだったとしようよ。
で、俺は社会常識に抵触しない、毒にも薬にもならないことしか言うべきじゃないのかな。
考えてみたり、書いたりしただけで、実際にはそんなことしちゃいないのに、実際にやったかのようにクズ呼ばわりされるものだろうか?
まぁ、親愛なるイエス様は、『OK、その通りだよ。考えたらやったもおんなじだもの』と言うだろうが。

万一、実際にそんなことがあったとしたら、なかなか洒落にならないんで、決してここに書くことはないだろう、・・・たぶん、・・・書くかもしれないが。

俺のことだ、なんとも言いかねるな。
何しろ、俺は自分自身のことが世界で一番信用できないんだ。俺の予想を超えることを、俺はいつだって軽々とやってのけてしまうからな。
いつだって、逸脱してるんだ、おっ、ダジャレだ!

俺はここで決して、道徳の教科書みたいなものをやりたいわけじゃないし、どこか戯作者的に自分の考えや生活を、冗談めかして描いてみたいと思ってるんだ。
政治的、倫理的、社会通念的に正しいことしか言わない奴なんて、俺は友達になりたくないもんな。

正直に言って俺は、自分が実像等身大よりも高級な人間に思われたりするよりも、実際よりも軽く見られて、君たちの失笑を買っているほうが望ましいと思ってるのさ。

俺が素晴らしい奴だとか、イイやつだとか、まかり間違って思われちまった日には、うっかり羽目も外せないだろう。

健康で正しいということほど、人間を無情にすることはない。

金子光晴もそう詩に書いていたっけ。

俺は不健康で、悪いってことに、寛容でありたい。
そして、望むと望まざるにかかわらず、そう生きざるを得ない人間の性に対して、俺は興味と感心を持っているんだ。
世間の常識や法律の話をしているんじゃないんだよ。
いやむしろ、光に憧れながら、闇の中をさ迷い歩くしかできないようなものこそが、人間の姿だとすら思えるよ。
人間の本質ってのは、世間の常識良識、法律なんかとは、ぜんぜん違うものだと思えるんだよ。
それをひっくるめて、人間を理解したいと俺は思ってるし、世間の良識常識なんか屁とも思わないような人間でいたいと思ってるんだ。

俺自身は、自分の趣味に合わないスノッブな奴をこき下ろすのはやぶさかではないけれど、基本的には、どんな人間に対しても、一人の裸の人間として、率直でユーモアをもって接していきたいと思っているんだけどな。

けどまぁ、今更何を言っても弁解がましくなるだけか・・・。

読者諸君、失礼する。何が言いたかったかっていえば、自分の軽口のせいで、大切な友人を一人失ったってことさ。そんなものさ。かまやしないさ、どうせ死ぬときは一人っきりなんだからな。

2015/04/15

Post #1470

Kathmandu,Nepal
俺の写真ってのは、要は盗み撮りみたいなもので、いろいろと皆の衆の権利意識が盛んになってきた現代では、非常に大きな問題をはらんでいるのは、自分でも承知しているんだ。
実際に、かつては写真の中でも一つの大きなジャンルを形成していたストリート・スナップってのは、最近ではめっきり低調だそうだ。
そりゃそうだろう、俺だって写真を撮ってて、職質されたり、警察に突き出されたり、黒人に絡まれたりしたことがたくさんある。いや、撮ってる枚数からしたら少ないくらいだろうが、実際に多々ある。
それどころか、大好きな人からすっかり嫌われて、拒絶されてしまったこともある。
写真の道は、険しいのさ。

もう10日もすれば、俺はバルセロナで、街をぶらぶら歩き回りながら、道行く人々を風のように素早くフィルムに収めていることだろう。
ごく普通の人々の、ごく普通の暮らしを、営みを、姿を、モノクロフィルムに定着させるんだ。
それは、君たちが本屋で手に入れることができるガイドブックには、決して載っていない類のものなんだ。
観光名所なんかは、もっと他の写真の上手な人に任せよう。
俺は、俺にしかできないことをやるんだ。

俺のこの営みは、今どきの常識からしたら、どうにも後ろめたいことなのかもしれないし、それを暗室で焼き付け、スキャンして、こうしてブログにUPしているってのは、決してほめられたことじゃないのかもしれない。
むしろ、犯罪者のような卑しい所業だと、君には感じられるかもしれない。
そもそも写真には、とても暴力的なところがある。暴力的でなければ、世界の本当の姿を切り取ることなんかできないのかもしれない。いやぁ、もっと考えるとすべての芸術ってのは、暴力的な要素をふうんでいるんだと思う。究極は、見る人間の意識に、暴行を加えるように揺さぶるものだから。
そもそも、カメラと銃器はとてもよく似ている。兄弟のようだ。
その証拠に写真を撮ることも、銃で撃つことも、英語では同じシュートだ。

残念ながら、さすがの俺も、この日本国内では、不審な犯罪者だと思われるのが嫌で、あまり写真を撮っていないくらいだ。もっとも、店舗工事の現場監督という男の仕事が忙しいので、のんびり写真を撮ってる余裕なんてないってのもある。
また、どうにもこうにも、日本の風景や人物が、日本全国どこに行っても驚くほどに均質化しているので、写真を撮っても、最早さほど面白くも感じられないってこともある。
これはある意味で俺の感性が鈍っているということでもあるな。

しかし、社会の変遷の激しい今の時代、実はこのストリート・スナップというのは、とても重要なことなんじゃないかと思ってるんだ。

かつて、このブログに頻繁にコメントを書き込んでくれていた若者から、あなたの写真は、きっと将来、貴重なものになるはずだっておだてられたことがあったけれど、俺もひそかにそうあってほしいと思っているんだ。

命が必ず失われるように、俺の目の前に現れた全てのものが、街並みも、かぐわしい花々も、そして何より、精一杯生きている名もない人々も、時間の流れという巨大な虚無に、いずれ飲み込まれていって、跡形も残さず消え去ってしまうんだ。もちろん、道行く美しい女性も含めてね。アンチエイジングにいくら金を使っても、すべて消え去ってしまうんだ。なんて悲しいんだ。

それを思うと、ある種の悲しみを感じないではいられない。

だから、俺は、それを惜しむのだ。
この世にある何もかもが、いとおしいのさ。

いちど失われたものは、二度とこの世に顕現することはない。
お前に、それをどうこうする責務もなければ、権限もないはずだと言われたら、もちろんそれまでなんだけど、けど、俺は自分が世界と切り結び、確かにこの人々の生きていることを見届けたという思いで、必死の思いで写真を撮っているんだ。そこには、その日そこに吹いていた風も、においも、音も、そして何より光も、ぐっと凝縮されてこめられているはずだ。

俺は決して、単なる楽しみに淫しているだけではないんだぜ。
至って真剣なんだ。ある意味、身勝手ながら、ミッション=使命とすら思っているのさ。

このためだけに、働いているといっても過言ではないし、そのためにこの自分に向いていない世の中で、恥を忍んで生きていると言ってもいいくらいだ。
できることなら、俺の目玉そのものがカメラになって、目に映った人の全てを、8インチ×10インチの印画紙に焼き付けたいくらいだ。半永久的な命を、印画紙の中に吹き込むのさ。

それよりなにより、俺は人間の顔を細部まで思い出せないという、悲しい欠陥がある。
前にも話したことがあると思うけど、どんなに大切な人も、どんなに親しい友人も、どれだけ愛している相手でも、はっきり顔が思い出せないんだ。
もちろん、その顔を見れば、瞬時に名前もどこで会ったかも思い出せるんだけど、普段はまるっきりダメなんだ。印象に残ったパーツしか思い出せないんだ。目とか、口元とか、ほくろとか、そんなものばかりさ。
だから、俺の記憶の中に出てくる人々の顔は、モザイクがかかってるみたいにはっきりしない。顔出し禁止なんだ。

それが俺には、とても悲しく、辛い。
思い出したいのに思い出せないのは、大切なものが指の隙間から流れ去ってしまったように、切ないことなんだ。わかってくれるかい?

けれど、自分がプリントした写真に写っている顔は、いつでもくっきり思い出せるんだ。
不思議なものだ。
印画紙と一緒に、自分の脳の中のある領域に、しっかりと焼き付けることが出来るみたいなんだ。
都合のいいことを言うなって思うかもしれないけど、本当さ。きっと、人間の顔を記憶する領域と、自分の写真を記憶する領域は、まったく別のものなんだろう。
できることなら、今すぐにでも君の写真を撮って、この手でプリントしたいくらいだ。

俺にとって、写真ってのは、一種の愛情表現だと思えるぜ。

だから、俺をあまり責めないでほしい。俺の一見身勝手な営みを、受け入れてほしい。できたら、君の写真を撮らせてほしい。それはきっと俺の人生の宝物になるだろう。そして、もしもいつか君が年老い、この世界からおさらばするときが来ても、それは君がこの世に確かに存在した、確固たる証となるだろう。俺は、そう信じている。そして、信じているがゆえに、反社会的だとか、非常識だとか思われても、悩みつつも写真に取り組み続けていくに違いない。この命のある限りね。

読者諸君、失礼する。俺は、自分の写真に写っているすべての人が、この世に確かに存在したという証を残したいんだ。そして、俺自身もね。