2015/05/11

Post #1496

田県神社奥宮
今日は、特別篇だ。
モノクロ写真は一切出てこない。難しい話もなしだ。
その代り、インパクトは絶大絶倫だ。覚悟して読んでくれ。

昨日は母の日だったそうだが、母のいない俺には全く関係ない。ガキの頃から、この日は嫌いだ。
そこで、カミさんを連れて子宝祈願のために、神社に行ってきた。
愛知県の大県神社と田県神社だ。
まずは大県神社。
ここで子宝守り、2個ペア2,000円也を購入し、姫宮にお参りだ。
大県神社

姫の宮の姫石をやさしくタッチする俺。我ながらいかがわしい雰囲気が漂っている。
姫の宮の奥には姫石がある。これがこの神社の目玉だ。手荒く触っちゃいけないぜ。やさしくタッチするんだ。そうして、子供ができるように祈るんだ。OK、わかったかい?
大県神社は愛知県犬山市楽田にある。梅の季節には、梅園が素晴らしい。しかし、いまは栗の花が満開で、なんだか精液みたいな匂いがただよっているのさ。それもなかなか乙なもんだぜ。

そして、ここでの参拝を終えたら、車に乗って5分ほどの田県神社にお参りだ。
ここは、ストレートで強烈だ。
俺の知る限り、ここに匹敵するのは奈良は飛鳥の明日香坐神社くらいしか思いつかない。
祈祷をおっこなっている拝殿には、右にも左にも長さ2メートル、直径60センチ、重さ250キロという巨大なちんが鎮座している。見るがイイ。


実に、頼もしい限りだ。ガンガン子供が出来そうだ。このちんは毎年3月に行われる祭りのたびに新たに作られ、歳男たちによって神輿に担がれて、のどかな田舎町を練り歩くのだ。
すんげー、楽しそうじゃないか?熱狂の祭りだぜ!
玉垣だって、このありさまだ!ちんがにょきにょき生えてる感じだ。
恥ずかしいを通り越して、もう笑うしかないだろう!

絵馬だってこれだ!もちろん願い事は子宝祈願だ!
笑いがこみあげてくるぜ!
なんだか男の自信が湧いてくるってもんだ。マカだとかバイアグラなんて、全く必要ないって感じだろう?
左側のお守りも、小粒ながらきらりと光る逸品だ。
金色のちんとまんが収められているんだぜ。君にも一つプレゼントしてやりたいくらいさ。さっそく俺は財布の中に持ち歩くようにしてるんだ。カミさん以外にも方々に子供が出来ちまうんじゃないかって、心配になってくるぜ。

奥宮に行くと、これまた強烈だ。

賽銭箱のすぐ横に、これだ!長年みんなが触りまくって、黒光りしてやがる。注連縄がいい味出してるぜ。

神前にもこれだ!反り具合がなかなかに頼もしい!

社頭の鈴だって、この凝りようだ。
なかなかにリアル感がある。

勘違いされると困るが、この田県神社の神様は、ちんそのものってわけじゃないんだ。
スサノオノミコトの孫にあたる御歳神という歴とした由緒正しい神様をお祭りしているんだ。

そして、この神様は五穀豊穣の神様なんで、豊穣のシンボルとして、人間の命のもとであるちんを、神前にお供えするようになったという話だ。

ちんが豊穣のシンボルだってのは、世界中に見られるんだ。なにもここだけじゃない。
古代ローマ人だって、インド人だって、ちんを豊穣のシンボルや魔除けにしていたんだぜ。

人類の文化の、すごく古いところに根差している由緒正しい信仰なんだ。
君、馬鹿にしちゃいけないよ。
何しろ、男だったらたいていは一本持ってる普遍的なもんなんだからね。

日本でも、縄文時代あたりには、こういう信仰が確立していたんじゃないかと俺はにらんでるんだ。

俺たち現代に生きる人間が、どうにも息苦しい想いを抱えて生きていかねばならないのは、こういうおおらかな人間性を肯定することを忘れて、教育によくないとか、恥ずかしいとか言ってるからじゃないのか?
そんなこったから、いつまでたっても少子高齢化にストップがかからないんだ。ここでも俺は世を憂いてしまうぜ。

そして田県神社の参拝のお土産には、必ずこれをゲットしないとな。

田県神社名物、授かり飴だ。

税金の関係で、境内では売ってない。欲しい奴は神社のすぐ裏にあるスーパーの売店に行くんだ。俺も危うく見逃すところだった。

マツタケみたいなのはもちろんちんだよ!
セットになってるほうには、ピンク色のおまんこを象った飴も入ってる。これは俺が食わなけりゃな。カミさんは当然、ちんのほうをしゃぶってもらうのさ。

高校生の時、一つ下の女の子に貰って食ったことがあるんだ。いや、誤解すんなよ、そいつとは何もなかったけどな。

ちんのほうは、話のネタにと、調子に乗って大サイズと特大サイズをもゲットしてしまったぜ。
どうするんだ、これ?正気に返ってみると、処置に困るな。
誰か欲しいひと、いますかねぇ?
欲しい人はコメントじゃ恥ずかしいだろうから、横のメールボックスから、俺に直接メールしてくれても構わないぜ。

ちなみに、売店のおばちゃんの話では、この授かり飴を作ってる職人さんは、息子が飴屋を継いでくれないらしいので、このストロングな飴は、その職人さんが引退してしまったら、もうこの世からなくなってしまうらしい。
惜しい!
しかし、その息子の気持ちも、わからなくはない。人に職業を説明しにくいッたらないもんな。
俺もいっそ現場監督なんて商売やめて、飴屋になろうかとも思ったくらい惜しいぜ。なんせ、こんな飴、そうそうありゃしないからな。オンリーワンだ。

そういえば、何かの小説で若き日の織田信長が、舅の斎藤道三に面会しに行った道すがら、背中に金箔で巨大なちんを描いた羽織を着ていたってのを読んだことがあるが、そんなの俺も欲しくなってくるぜ。道三じゃなくたって、誰しも俺のことを尾張の大うつけ(=大馬鹿野郎)って納得してくれるだろう。人生傾いてなんぼだ。また職質されること間違いないだろうがな。だっはっは!

読者諸君、くだらないと思ってるかもしれないが、神の力を侮っちゃいけないぜ。なんせうちのカミさん、参拝してからなんだかおなかのあたりが、ホカホカ暖かい気がしてきたって言ってるくらいだからな。
困ったときは神頼みだ。
ちなみに、俺が引いたおみくじには、困った時だけ神様神様と頼りにするな!平素から神を信心して、正しい行いを心がけるようにとの神示があった。
ごもっともだな!

読者諸君、失礼する。こんな馬鹿げたことばかりやって、さも楽しく暮らしているようにみええるけど、これでも内心はいろいろあるのさ。

2015/05/10

Post #1495

HongKong
どうしようもないくらい暇だ。
閑古鳥が鳴き喚いてる。いったいどうしたというんだ?思わず憂鬱になってくる。
仕方ない、人生はロックンロールだ。ロックンロールには泥水を飲まねばならない時だってある。今がその時だってことだ。
しかし、ここ何年かこんなに暇だったことはない。今なら、猫のしりふき時給1500円、三食昼寝付なんてバイトでも喜んでやらせてもらうぜ。飼い主が素敵な女性だったらなおヨシだ!
だはっはっは!
うなるほど金があれば、こんなの屁でもないが、口座にはすかしっ屁くらいしか金はないんだぜ。まるで黒ひげ危機一髪だ。まぁいい、ここはどっしり構えよう。人生には仕事以外にもやるべきことはあるはずだ。今がそのときってことだ。金にはならないがね。人はパンのみにて生きるにあらずと親愛なるイエス様も言っておいでだ。最悪、秘蔵のカメラでも売りさばいてこようじゃないか。

そんなことはただの前振りだ。金がないのはいつものことだ。金儲けのためにこの世に生まれたわけじゃない。人生を愉しむために、俺はこの糞溜めみたいな惑星にやってきたんだ。
で、いま俺の人生はちょっと面白いことになってるのさ。

先日、俺は自分の親父に海外旅行の土産を私に行ったんだ。親父は75歳、やもめの独居老人だからな。それぐらいのことはしてやらないと、寂しさのあまり、また新しい彼女とか作りかねないんだ。世話が焼けるぜ。

俺はブレーメンで買った世界遺産ローランドの像の、フィギュアというかミニチュアを土産にしたんだ。かみさんは、そんなもの喜ぶわけないじゃないって言ってたが、おっさんというのはそういうわけのわからんものが大好きだ。。とりわけ、男というのはフィギュアとかミニチュアとかいった類のものが大好きだ。北海道名産、鮭を咥えた熊の彫りもんとかな。
なぁに、俺も親父も男同士だ。気が合わなくったて、その辺の感覚はツーと言えばカーだぜ。
案の定、親父は大喜びだったぜ。せいぜい長生きしてくれよ、俺よりもな。俺はヨイヨイの爺さんになる前にとっととこの世からトンずらするつもりだからな。

すると、いきなり親父(くどいようだが75歳の独居老人だ)が予想もしないことを言い出した。
『忌野清志郎ってのは、スゲーな。』

はぁ、今なんつった?清志郎って言わなんだか?
すごくて当然だ。あれはロックの神の使徒だ。俺的には、忌野清志郎こそ俺の人生の師だ。
俺が会社を辞めて独立したのも、彼の『ロックで独立する方法』という本を読んで決意したくらいだ。
彼がいなければ、今日の俺はないと言えるほどだ。
まったく清志郎こそ、日本が生んだロックの聖人だ。誰が何と言おうと、俺は断言するよ。

『この間、NHKで忌野清志郎の番組見てな、感心したんだ』
そ、それは結構だな。30年遅いがな。
『30年前は、俺はそんなもん、糞みたいなもんだと思っとった。けど、聴いてみると実に素晴らしいなぁ』このじじい、感性だけは衰えていないな。嬉しそうに得意になって話してやがるぜ。

俺は心底驚いたよ。

『で、近所のブックオフに行って、中古のCDを探してみたんだが、なかなかなくて、一枚だけあったがずいぶん高いんだ。』
当然だ。B’zだのAKBだのとちがって、清志郎のソロのCDなんて、そもそもプレス枚数が少ないんだ。しかも、好きな奴しか買わないから、よほどのことがないと手放さないんだ。俺も絶対手放さないぜ。つまり、ロックな心を持った、選ばれた民のための真のブルースであり、ロックンロールなんだ。品薄でも当然だろう。

『世の中が悪くなっていくとか、ニワトリがどこうこうしたとか歌が入っとる奴だわ』
うむ、俺にはそれがどのアルバムかすぐに分かった。何しろ俺は清志郎のアルバムはほぼコンプリート、そしてほとんどすべての曲を歌えるからな。しかも、極上に上手い。君にもサイコ―のラブソングを歌ってやりたいよ。
どうやら親父は、そのCDを買って、毎日のように車の中で聞いているらしい。

はっはっは!ファンキーな糞じじいだ。
それでこそ俺の親父として合格だ!
まったく、人生ってのは予想がつかないもんだな。おもしれーぜ!ゴキゲンだぜィ!

父よ、俺が高校生の時にそう言ってくれていれば、俺とあんたの確執はもっと小さなものになっていただろうよ。
俺は次の日、忌野清志郎の珠玉のオールタイムベストを親父に貸してやった。
親父はいたくご満悦だったぜ。
何しろ、俺が地球にやってきて46年と4か月にして、初めて共通の話題ができたんだからな。

これは楽しみだ。これで俺に子供が出来たら、親子三代でロックンロールだ。頑張って夜ごと種付けしてる間に、親父にももっとロックンロールを仕込んでやるぜ。
なんだかワクワクしてくるぜ。くそじじい、頑張ってガキを作ってやるから、それまで精々長生きしやがれ!そうしたら3人でロックするんだ。ロックンロールが心のなかに鳴ってる限り、俺たちは負けることはないのさ。

Oh Yeah!読者諸君、愛し合ってるかい?俺は君のことを、ずっと愛してるのさ。おっと、俺はホモじゃないから誤解はするな。失礼する、またあおう。

2015/05/09

Post #1494

HongKong 路傍のおばあさん
唐突だけど、俺は実はニーチェにかなり影響を受けているんだ。
ニーチェって誰だよ?って思う人もいるだろう。
昔のドイツの哲学者だよ。『神は死んだ』って、その作品の中で高らかに宣言した哲学者だよ。
とはいえ、その著作は『ツァラツストラはかく語りき』くらいしか読んじゃいないんだけどね。
けどまぁ、俺にはこれ一冊で十分と言えば十分だ。学者になりたいわけじゃないんだ。よりよく人生を生き抜きたいだけなんだ。

もちろん、俺は哲学者じゃない市井の一無頼漢だから、自分の胸に響くことだけを刻んでいるだけだよ。それを自分の生き方やモノの見方に応用してるだけなんだ。
それを、かっこよく言うと生きる糧にするというのだぜ。
そういうことがわからない人には、本を読んだりするのは時間の無駄だろう。
若いころ、土方をやってた時期があったんだが、そんな時でも休憩時間には本を読んでいた。
2tトラックに4tくらい砕石を積んで走っているときも、傍らに本を置き、信号待ちのたびに読んでいた。これは今でもよくやるな。
その時、土方の掘方のおっさんに、『おめぇ、本なんか読んだって、腹もふくれねぇし、金がもうかるわけでもないだろう、無駄だ、無駄!』と言われたことがあった。
そんなものの見方をするニンゲンがいることが、俺には大きな驚きだった。
世の中ってのは、自分で体験してみないとわからないものだ。
もちろん、本を読んだって空腹が満たされるわけでも、金儲けが上手くなるわけでもない。けれど、本を読むことは、自分の世界を広げることだ。経験の意味や世界そのものを理解する基準を、自分のなかに作ることだ。
俺は、そう思っている。だから、くだらない本は読みたくない。それこそ、時間と金の無駄だ。

そんなおっさんたちに、長い間しごかれてきたので、若い衆の辛さはよくわかる。現場仕事の世界には、未だに見て覚えろ、仕事は盗むものという風潮が残っている。しかし、意味の分からないことをやらされるのは、若者でなくても辛いと思う。
俺は、自分がされて嫌だったことは、人にはしたくない。
これも論語の中にある一節から学んだことでもある。『汝の欲せざるところ、人に施すなかれ』というやつだ。単なる知識を、自分の体験に即して、自分の胸に刻み込み、自分の倫理を作っていくんだ。
だから俺は、若い衆に何かを教えるとき、なぜこれをやらねばならないのか、これをやればどうなるのか、そしてなおかつ、具体的な方法をやって見せ、やらせて見せるようにしている。
もちろん、先輩だからって横柄な態度はとりたくない。
ただ、同じ人間としてフラットに接するようにしているんだ。おかげさんで、若い衆にはなつかれる。うれしいことだよ。若い女になつかれるのは厄介だけどな。

仕事に慣れていない若い衆から、他の先輩の態度が我慢できないという話も時折耳にする。若者たちは、例の見て覚えろ的な偏固な職人さんからの扱いにウンザリしてるのさ。
よくわかる。俺もそうだった。

そこで、ニーチェの出番だ。
ニーチェは、人生をラクダの時代と獅子の時代、そして嬰児の時代の三つに分けた。

俺は若い衆に穏やかに語り掛ける。

『いいか、君たちはまだラクダの時代なんだ。君たちにとってこの社会って奴は砂漠も同然なんだ。そこで、重い荷物を背負わされ、飢えと渇きに苦しんで進むしか道はないのさ。そうして今は、社会や仕事について必要なスキルを身に着けるべき時期なんだ。不満があるのはよくわかるけど、そいつはある意味当然さ。俺だって、そんな時代があったんだ。スコップで殴られたことすらあったな。けど、それはいつまでも続くわけじゃない。』

若い衆はじっと聞いている。

『君が30くらいまで我慢して、自信と技術を身に着けたなら、新しい時代が始まるのさ。それは獅子の時代だ。獅子は草原で獲物を狩るように、既成の価値観や体制に、旧世代の人間に戦いを挑むんだ。もちろん、いつも勝てるわけじゃない。
けれど、戦いを通じて、自分を確立していくべき時期なのさ。
俺だって、必死に戦ったよ。社長となぐり合ったり、先輩と競い合ったり、組合や上司や役員全部を敵に回して、たった一人で会社の中で戦った時代もあったさ。
もちろん、負け戦だってあったが、無駄な戦いじゃなかった。
その闘いの日々を通じて、自分ってものがしっかりと築きあげられたのさ。
その日のために、今を耐え忍ぶことが必要だ。未来は君たちのものさ。』

若い衆は目を輝かせて聞き入る。その復讐と勝利の日々を夢見ているに違いない。俺は続ける。

『けれど、戦いの時代はいつまでも続かない。戦いは不毛なんだ。
どこまで倒しても終わりなんかないんだ。
じゃぁ、どうする。そう、戦いの時代は30代でやめておこうよ。
そこから先は、戦う必要なんてない。20代の修行と30代の闘争で、自分のなかに培ったものを糧にして、自由に創造する時代がやってくるんだ。
もちろん仕事だけじゃない。それは人生そのものに関しても言えることだ。
自分の中から、価値あるものを、世界の何もかもが新鮮な赤ん坊のように、思うがままに生み出していけばいいのさ。自分ってものを打ち立てたら、戦いなんて、不毛なんだ。
俺はだから、もう下らない戦いはしないよ。人生を愉しむのさ。』

若い衆には、まだその地平は見えてないけれど、そんな世界があることだけは示せたかな。

そんな話を、現場の休憩時間にしたりする。
なんて楽しいんだ。
いつも俺は思うよ。自分が得たものを、まるでコップからコップに水を移し替えるように、この目の前の若者に伝えることができたならって。そうしたら、この若者は、俺よりも早く、今俺がいるところまでたどり着くことができるだろう。
そうすれば、俺よりももっと高いところまで、はるかに遠いところまで到達することができるだろうって思うのさ。出来ることなら、俺よりも大きな人間に育ってほしいと、若い衆に希望を託さずにはいられない。もちろん、これもニーチェの思想の影響だな。

読者諸君、失礼する。今日はなんだかまじめな話になったな。けど、これはフィクションではないんだぜ。俺はそういう男なのさ。俺についてこい!って感じだぜ。