2015/05/14

Post #1499

ネパール、カトマンズ郊外の町、パタンを夕暮れ時にそぞろ歩きしていると、旧王宮だった博物館の隣の大きく古い建物の入り口に人だかりがしている。
ふと、興味をもって覗き込むと、人の好さそうなおじいさんがネパール語だと思うが、ニコニコと笑いながら何事かを語り掛けつつ、身振りで入れ入れと言っている。
俺は、一体何事があるのやらと思ってなかに入ってっ見ると、そこにはクマリがいた。
Patan,Nepal
クマリとは、生身の神とされる少女だ。
ちなみにサンスクリット語つまりインドの古語でクマラは童子を意味する。日本の仏教で不動明王のわきに立っているコンガラ童子やセイタカ童子の童子というのが、このクマラの訳語だ。
クマリはその女性形になる。
つまり、生身の穢れなき女神ということだ。

特定の部族の特定のカーストから選ばれる幼女で、その言葉や振る舞いから人々は予言を受け取り、また神として人々を祝福するという。
クマリは基本的に初潮を迎えるとクマリを引退することになる。中には、初潮がこずに50歳くらいまでクマリを務めた女性もあったという。
しかし、クマリとして選ばれた間は、薄暗いクマリの館の中から出ることはなく、もちろん学校に通ったり、外で友達と遊ぶことなど一切できない。
今日の社会通念に照らし合わせれば、幼児虐待と訴えられかねない文化だが、ここネパールの大半の人々は、今日の日本人や欧米人には想像もできないほど信心深い人々なので、そういうものだと考え、彼女を尊崇しているのだ。

この日本にも、同じような生神様がおいでになる。
天皇陛下だ。
また、かつては日本各地にそのような祭司王=生神様がいた。古い神社をつかさどっている家柄は、その末裔だ。魏志倭人伝に見える卑弥呼も、クマリと同じ系譜に属すると考えていいだろう。
これは、インドあたりから東アジアまで広がる、アジア人の古層に属する信仰形態なんではと俺は考えている。というか、吉本隆明の受け売りだけどね。
だから長い間、実際にクマリをこの目で見たかったのだ。

カトマンズのダルバール広場には、かつてネパール王室と密接な関係を持っていたナショナル・クマリがいる。クマリの館に行き、団体で結構な額のお布施をすれば、窓から顔を出してくれるくらいはなさるという。もちろん、写真撮影はご法度だ。
戦争前の我が国の天皇陛下と同じで、イキガミ様なんだから。
お付きのおじいさん。
パタンは、カトマンズ、バクタプルと並んで、かつて三王国分立時代に栄えた町なので、ナショナル・クマリとは別にパタン・クマリがいるのだ。俺たちが招き入れられた館こそが、クマリの館だったのだ。
中に入るとそこは中庭になっており、その通りに面した面にクマリは大人たちにかしずかれて座っている。
クマリの前には人々がその祝福を受けるために、列をなしている。
その傍らに、いったいどれくらいの年月、クマリに仕えてきたのかというようなおじいさんたちが、風の谷のナウシカに出てくるミト爺のような風情で、和やかに座り、杖のような松明であたりを照らしている。
この中には、水銀灯みたいな無粋なものはありゃしないし、あったとしても電力事情の悪いネパールでは、使い物になりゃしないだろう。一日の半分くらい停電してるんだからな。
マリファナみたいなぶっといお香がたかれる。
お付きのおじいさんの持つ松明に、もう一人のおじいさんがボブ・マーリーが吸ってたマリファナみたいな太い香をのようなものを近づけ、火をつける。暗がりの中、煙とともに香りが漂う。
人々は、どうやらクマリによって額にティッカと呼ばれる赤い染料をつけられ、祝福を授かっているようだ。
祝福を授けるクマリ
人々はクマリの前にひざまずき、クマリはお付きの女性が差し出す器に入った染料を、その小さな指に無造作につけて、人々の額にティッカを施してゆく。
どうやらそのあと、人々はお布施をクマリの足元に置かれた金属の鉢のなかに入れていく習わしであるようだ。
そして、このお付きの女性から、植物の若芽のような柔らかい茎を一つまみ頂戴し、帽子の縁や耳につけるのだそうだ。
聞けばこの時期は、ネパールの暦では新年にあたるダサインという時期に当たるので、人々は一年の無事を祈って、クマリに祝福を授けてもらうのだという。

俺も、クマリに祝福されてみた。まだ5、6歳の小さな女の子だ。しかし、とてつもない威厳と高貴さが漂っている。それが神威を纏うということか。
クマリはその細く小さな指で、俺の額に染料を擦り付けるようにして祝福を施してくれた。
そして、俺がもぞもぞとポケットからお布施を出している間、さも退屈そうにあくびをし、真っ赤に染まった指を、お付きの女性の差し出す布で、少し不機嫌そうに拭いていた。
Patan,Nepal
ナショナル・クマリは写真を撮ることが禁じられているが、ローカル・クマリであるパタンのクマリは、どうやらその辺は寛大なようだった。最初はためらっていたのだが、中国人と思しき観光客の一団が、じゃんじゃんフラッシュを焚いて撮影しているので、俺もお付きのおじいさんに写真を撮っても大丈夫かと聞いたうえで、控えめに写真を撮ってみた。それを君たちにお届けしているのさ。

読者諸君、失礼する。世界はまだ、俺たちの知らないことばかりだ。俺はもっといろんなところに行って、この目で世界を見てみたい。そして、自分の体験したことをもとにして、この世界のことを理解していきたいんだ。君も一緒にどうだい?

2015/05/13

Post #1498

Patan,Nepal
今日は朝から昨日仕上げたプリントをスキャンしていた。枚数は知れている。26枚ほどだ。
本当は、もう少しプリントしていたんだが、昨日はなんだか調子が出なくて、印画紙を水洗いして明るいところで見てみると、ダメダメなのが何枚かあったので、すっかり落胆してしまったってわけさ。
モノクロの巨匠と言われる俺も、焼きが回ったな。

やはり、心に引っ掛かることがあると、どうにもうまくいかないもんだ。

そんなんで、台風一過の五月晴れのなか、家に閉じこもっていたんだが、かといってプリントする気にもなれなかった。

何が引っ掛かってるかって?
そりゃ第一に仕事のこと。
ぽつぽつと引き合いの電話が入ってくるようになったんだが、まだまだ弱いな。俺は何かと金のかかる男だから、ガンガン入ってきてくれることを祈ってるのさ。
次はやはり、カミさんが授かってるかどうかってことだ。
生理が遅れているだけなのか、それとも今0.5ミリくらいの受精卵が宿っているのか?何ともはっきりしないのだ。
これは気にかかる。
もう一つは、3月にパソコンがご臨終してしまったので、溜まりにたまったモノクロ写真のスキャンデータのうち、どれがこのブログにUPされてて、どれがされていないのかよくわからなくなっていたのが、ずっと気にかかっていた。
そりゃ、自分でUPしてるんだからわかりそうなもんだけど、さすがに1800枚以上あるとですねぇ、何が何だかよくわからないわけですよ。
で、今日は一日家に引きこもってパソコンと、プリントアウトしたサムネイルを一日中注視して、確定作業をしていたんだ。これが骨が折れる。複雑骨折だ。頭がウニのようなってる。眼精疲労と肩こりだ。やはり、俺はフィールドの人間だと実感するよ。しかし、それでもまだ終わらない。明日もこれをやるのかよ。ウンザリするぜ。
Patan,Nepal
本当はものすごく最近気になってることがあるんだけど、それはここには書かないよ。
途中まで書いたんだけど、消してしまったのさ。
いやいや、べつに君たちに何か隠し立てしてるわけじゃないんぜ。けど、このブログにかかわることで、俺が気になってることをここに書くことで、なんだか君と気まずくなりそうな気がするんだ。
そう、俺と君たちの問題なのさ。それは実は、ずっと何か月ものあいだ、俺の心に引っ掛かってることなんだけどね。
君がいつも俺の屁のような文章を読んで、俺のことを見守ってくれていたりするのはわかってる。君の毎日のささやかな息抜きになればと願ってるんだ。そのためならどんな滑稽な役回りでも演じてみせるよ。
そうさ、君は俺にとって、とても大切な人なんだ。
俺が感じてることをここに書いて、君にそっぽ向かれたり、君を不安な気持ちにするのは、俺の望むところじゃないんだ。OK、だからそれは俺の胸にしまっておこう。そのほうが美しい。気にしないでくれ。
ひょっとすると、君は頭もよくって、感受性も豊かだから、俺が何に引っ掛かってるか、もう気が付いてるかもしれない。けど、お互いに言いっこなしだ。
思わせぶりなことを言って悪かった。けど、喉元まで上がってきてる言葉を、俺はやっと飲み込んだのさ。

読者諸君、失礼する。俺はいつだって、書けることは正直に書いてるんだ。くだらないことが大半だけどね。そうさ、俺は君を信じているのさ。

2015/05/12

Post #1497

HongKong
愚劣な政治が続いている。
まるで茶番劇だ。政治家や外務省は、日々勢力を増してゆく中国を恐れて、アメリカ様におもねることしか考えていない。
アメリカ様が口笛を吹いたら、世界中どこにでも犬のように走って駆け付け、アメリカ様のお手伝いができるように、法律が変えられようとしている。
国民には、なんだかさっぱり訳が分からないまま、意味のよくわからない議論だけが、国会ではなく自民党と公明党の間の話し合いだけで進行している。そこではまやかしの小難しい言葉と、へ理屈が飛び交っている。国民はもちろん、民主党だの共産党だのは、蚊帳の外だ。メンバーズオンリーだ。結論ありきだ。
仕方ない。連中に過半数をはるかに超える議席を与え、その権限を与えたのは、ほかならぬ俺たち国民の皆様なんだから。

俺たちがお茶の間で思っているほど、紛争の現場ってのは甘っちょろいもんじゃない。
かつて内戦のあったような国に旅行すると、車椅子に乗った不具の男性をよく見かける。
戦闘によってそうなってしまったのだろう。
勇ましことを言ってみても、政治家や外務省の官僚は、戦地にはいかない。
戦地に行くのはいつだって若者だ。
いずれ貧困家庭の子供たちは、自衛隊にスカウトされるようになるに違いない。アメリカみたいにね。きっとそれは母子家庭の子供とかだよ。親に負担をかけたくないと、自衛隊に入って、見も知らぬ国に派遣された挙句、カタワになってしまうのさ。弾に当たって死んじまうのさ。

そんな危険なところに自衛隊はいかないっていうのかい?
現代の紛争地帯は、どこからが戦闘地帯で、だれが敵なんて、さっぱりわからないんだぜ。
参考までに君も、クリント・イーストウッド監督の映画、『アメリカン・スナイパー』を見てみるがいい。
日本じゃ塾に通っているような年頃の子供が、装甲車に向けて対戦車手榴弾を投げつけてくるような世界だ。

後方支援とか何とか言ったって、相手からすれば戦闘行為に他ならないだろう?
弾を込めなきゃ、引き金を引いたって相手を殺せないんだからな。
それに、実際の戦争の場合、前線の敵を叩くのも重要だが、前線に兵站物資を補給するロジスティックを攻撃し、敵方の補給路を断つのは、紀元前から続く戦争の常道だぜ。自衛隊がやりますやりますって我が国のお偉いさん方が張り切ってる後方支援ってのは、まさにそのロジスティックだ。
カモがねぎしょって武器弾薬を運んでるようなものだ。
そうして、死者が出たら、また靖国神社に合祀するんだろう。
結構なことだ。
結構すぎて、笑えてくるぜ。

日本の報道機関は政府に睨まれ委縮して世界で起こってることを、ほとんど伝えない。政府のやってることに、異議を唱えるなんてもってのほかだ。
海外に行ってみろよ、CNNやアルジャジーラ、BBCやフランス2なんかの放送局が、危険な紛争地帯にもレポーターを派遣して、何が起こってるかを伝えているぜ。そして小さな途上国だって、その多面的な報道を、衛星放送で見ることができる。
それをその辺のおっちゃんやあんちゃんが食い入るように見つめているんだ。
俺たちが食い入るように見つめているのは、くだらないグルメ番組かバラエティーばかりだ。
政府に都合の悪いことを報道すれば、すぐに圧力がかけられて、プロデューサーの首が飛ぶんだ。いったいこれはどこの独裁国家だよ?中国あたりと大差ないぜ。

政治家は国民の権利を守るための法律を、自分たちが国民を締め付け、奴らのたくらみから国民の目を逸らすために捻じ曲げて解釈運用しているんだ。
冗談じゃないぜ。この国の政治家は、立憲主義の基本も知らないような二世議員、三世議員ばかりだ。やつらはまるで世襲の貴族のようだ。

俺は、俺の大切な君たちが、そんなインチキな奴らに惑わされてほしくないんだ。
一見極端で乱暴な俺の叫びに、耳を傾けて、自分の問題として考えてほしいんだ。
なぜって、君たちが大切だからさ。


こんなことを話題にすると、またきっと俺にムカついて噛みついてくる奴もいるだろう。
だけど、そんな人にこそ聞きたい。君は自分自身が、見たことも聞いたこともないような世界の果ての紛争地帯にいって、誰かを殺したり、誰かに殺されたりしたいのかいってことを。
俺は御免だし、俺の友人がそんな目に合うのも御免だ。ましてや俺たちの子供の世代がそんな目に合うのは、絶対に許せないぜ。

読者諸君、失礼する。この件に関しては、俺は絶対に一歩も譲るつもりはないぜ。戦争はごめんこうむるぜ。人を殺すより、女の子とイチャイチャしてたほうが絶対に幸せだ。さて、今日はプリントでもするかね。