2015/05/17

Post #1502

Copenhagen,Denmark
うむ、身体が重い。昨日は久々に夜飲みに行ってきた。
俺が仕事もせずに、学校なしの小学生のように鬱屈して暮らしているのを見かねた兄貴分のYさんが誘ってくれたのだ。
ジンとワインの大漁節であった。
おかげさんで、今朝は身体がどんよりと重い。
まぁ、たまにはそんな日もあってもイイだろう。
中世イランの科学者にして詩人、オマル・ハイヤームの詩にもこんなのがあるぞ。

『酒をのめ、これこそが永遠の生命、
 青春の果実なのだ。
 バラと、酒と、友の酔う季節に、
 幸福のこの一瞬を味わえ、これこそが人生』
(平凡社ライブラリー刊 オマル・ハイヤーム『ルーバイヤート』岡田恵美子訳P163より)

ポールダンスのショーをやってる店に行き、兄貴と二人、仕事の事や女の事やらを肴に盛り上がり、楽しいひと時を過ごしてきたんだ。その様子はこんな感じ。百聞は一見に如かずだ。
こっちは兄貴分のYさん撮影だよ。

お楽しみのショータイムだ!
あぁ、またこんなもんばっか撮ってるやん俺、反省!
男ってのは、いくつになってもホントに阿呆だな。
しかし、楽しいんだから仕方ない。若いおねーちゃんの肌はきれいだしな。
けどまぁ、若い女は侘びサビを知らねぇから、俺の魅力には気が付かないもんだ。

しかし、俺、この日に限って珍しく、いつも使ってる愛機CONTAX T3を持たずにのこのこ出かけていたんだな。

不覚!

これはもう、はっきり言って武士が刀を忘れて外出したり、サザエさんが財布を忘れて買い物に行くようなもんだ。
去勢された馬でもレースでは突っ走るかもしれないが、カメラがないと人生が物足りないのだ。つまり、古いモノクロカメラは俺の人生のタマタマだってことだ。そういやレンズのことをタマっていうしな。
大いに反省だ。こんな写真はもういいやって思ってたけど、やっぱりこういうところに行くと、見たものすべてモノクロ写真にしたくなるんだ。

それはおれの性だから仕方ないぜ。しかし、済んだことを悔やんでも、どうしようもない。また、小遣いを握りしめてリベンジするだけのことだ。ポールダンスのおねーさんにあげるチップも忘れずにな。

帰りの地下鉄には、佐賀と新潟から来たミュージシャンの若者たちと遭遇し、本の5分ほどの間、アコースティックギターを抱えた若者たちと音楽について語り合ったりもした。たまに外出すると、面白いぜ。

最後にもう一丁、オマル・ハイヤームの詩をあげておこう。こういうのが好きなんだよ。俺はインテリだからな。インテリアじゃないぜ。間違えんなよ。

『大地を駆ける白黒の馬の背に酔いどれを見た。
 異教もイスラームも、憂き世も信仰も、
 神も真理も、聖法も信念も念頭にないありさま。
 二つの世において、これ以上の勇者がいようか。』
注釈:白黒の馬は昼と夜からなる日常の世界の比喩。二つの世とはあの世とこの世を意味する。
(前掲書、P133より)


読者諸君、失礼する。しかし、どうして電車の中で俺が座ってる隣には、誰も座ろうとしないんだ?俺は酔っぱらったおねーさんに、そっと肩を貸してやったりしたかったのに!こんな破格の男を、どうして世の中のおねーさんたちは放っておくんだ?まったく意味が解らないぜ!
どうなってるんだ、まったく!世の中どっかおかしいぜ!

2015/05/16

Post #1501

Bremen,Germany
いろいろと気落ちするような出来事が続いている。
今回はカミさん、妊娠していなかったようだ。俺が人の親になる日はくるのか。はなはだ疑問だ。誰かに占ってもらいたいぜ。
残された時間は少ないが、精一杯頑張ってみるとするかな。
俺、自分としては一撃でできると思い込んでたんだけどな。現実は甘くないな。

俺の住んでる街で、35歳の女性が、15歳の娘を筆頭に12歳、10歳、9歳の子供を道ずれに自殺したそうだ。昨日、居室で練炭を焚いて心中していたのが見つかったのだという。無残なことだ。正直言って、あの世への道ずれにするくらいなら、いっそ俺に呉れって言いたいくらいだよ。
冗談はさておき、子供を残して死んでしまうと、子供たちが不憫だといって道ずれにしたようだが、それは如何なものだろうか?
母親は病弱で、日常の家事なんかは長女がやっていたそうだ。
今どきいったいどこの話だよと思うが、この日本の話だよ。俺の住んでる街の話だ。そこまで追い詰められていたのだろうか?行政は何をしていたんだろう?
一時期、生活保護受給者に対するバッシングの嵐が世間に吹き荒れていたが、本当に生活に困窮している人たちには、しっかりと援助してサポートしてほしいと思う。ニンゲン、いつ何時自分がそんな立場に陥るか、まったく分からないんだからな。


自殺した母親は、その前日の深夜、以前付き合っていた40代の男性に、自殺をほのめかす電話をしていたのだそうだ。
言っとくけど、俺も同じ町に住んでる40代の男性だが、それは俺じゃないからな。
そして、もし自分がその電話を受けた40代の男性なら、いったいどうしただろうかって考えてしまう。
きっと、その方はこの先の人生、大きな悔恨を背負って生きていくことになるんだろう。
また、この女性がもし俺の知り合いだったら、そんなことになる前に、何か力になってあげることはできただろうかとも思うわけだ。しょせんは仮定の話だから、何とも言えないけどね。仮定の話できれいごとを垂れ流すのは、無責任ってもんだろう。

しかしなんだな、いくら経済成長したって、景気が良くなったって、死ぬまで追い詰められた人に誰も気が付かないし、有形無形の手を差し伸べてくれない世の中ってのは、あまりいい世の中とは言えないよな。
アメリカ様の戦争の片棒を担いだりする法律を作る前に、誰もが健康で、最低限の生活を送ることができる世の中の仕組みを考えてもらいたいもんだぜ。

読者諸君、失礼する。どうせいつかは死ぬんだから、その日が来るまでみっともなくても悪あがきしたほうがイイと俺は確信してるよ。まぁ、俺も相当に見苦しい生き方を晒してはいるがね。

2015/05/15

Post #1500

Home Town/Nagoya
先日近所のうどん屋でかつ丼とうどんのセットを注文し、それが出てくるまでの間、俺はある絵本を3回も読んでしまったぜ。それは今は亡き佐野洋子の傑作『百万回生きたねこ』だ。
うちにもあるんだが、退屈だったんでね。カミさんは、その絵本を見ると、悲しい結末が思い出されて、泣けてくるから読めないと言っていたが、俺は何回まで我慢できるか、試してみたんだ。

三回まわり読み切ったところで、うどん大盛りとかつ丼のセットがやってきた。
もちろん、そんな絵本は子供向けっていうんだろうが、週刊文春なんか読んで、世の中のことをわかったようなふりをするよりも、よほど為になるってもんだ。なにしろ、感性がすり減っちまったら、この世の中は無味乾燥な砂漠とかわりゃしないんだぜ。

う~ん、ついにこのブログも1500回だ。
2010年の秋からシコシコやってきた。相も変わらずご覧の通りだ。
一昨年の年末ごろには、いい加減うんざりして1000回めどにやめてしまおうかとも思ったが、意外や意外、やめるなという意見をうけて、のんべんだらりと続けてきた。よくもまぁ、毎日続けてきたものだ。

俺が厭きるよりも、君たちがうんざりしちまうんじゃないかって心配になるよ。

しかし、1500回なんてただの通過点に過ぎないんだぜ。
俺のブログを読んで、笑ったり、泣いたり、勇気づけられたりしてくれるという人が一人でもいる限り、やめる理由なんてどこにもないぜ!
だから、俺が生きてる限り付き合ってもらうさ。

なんてたって、俺はこうして生きてるんだからな。週刊現代や女性自身なんかにのってる芸能人の生活よりも、俺は自分の人生のほうがはるかに面白いんだ。世間の皆様はそうじゃないのか?どっかの芸能人が、どっかの女とやったとか、遺産相続でもめているとか、そんな話のほうが自分の人生よりも面白いのか?
はっきり言って、そんなことはどうでもいいのさ。俺は『百万回生きたねこ』の主人公の猫みたいに自分のことが大好きなんだ。もちろん、君たちのことも大好きだ。嘘じゃないぜ。これは君に向けて書いてるんだ。

そう、君だよ、君!
俺はいつだって、君のことを思いながらこのブログを書いてるのさ。君のことが大切なのさ。
昔学生の頃、授業中に描いた落書きを、昼休みに仲間たちに見せびらかすような気分で、毎日コツコツと書いているのさ。
Home Town/Nagoya
昨日はプリントして、先日の旅行のネガを近所のカメラのキタムラ一宮中島通店に取りに行き、夜中の一時までそのネガをチェックしていた。連日視神経と脳みそをフル回転させているために、くたくただ。仕事よりも、精力を注いでやってるのさ。

俺はもうずいぶん長いこと写真をやってるような気がするが、最近自分の写真が昔とは全然違ってきたって思えてきたよ。昔の写真をまとめてみる機会があったんだが、その時実感したんだ。

昔は、なんだか世の中の人々が、思わず目を背けたくなるような面に、やたらとこだわっていたような気がする。人間の暗部をつかんで、平穏な暮らしをしている人々の鼻先に、ほれって突き付けるような思いがあったのかもしれない。
その頃の写真は、なんだかどこか荒んだような気配が漂っているように思う。
けれど、今はもう少し人々を愛おしむような写真が撮りたいんだ。
実際にはそんなにも変わらないけれど、俺の気持ちが変わってきたんだろう。昔は、ささくれ、やざくれて、どこか人間を馬鹿にしてたんだろう。
それに何より、どんな人も、そう例えるなら、人から決して良くは言われないような生き方をしている人も、決して悪い人なんかではなく、自ら望むと望まざるにかかわらす、何らかの契機で、そう生きざるを得なかっただけの、どこか悲しい人であり、実は愛すべき人なんだと気が付いたことのかもしれない。
もっと端的に言えば、携帯をいじってるケバい女とか、疲れたサラリーマンの親父の写真なんか撮りまくっても、もうなんもおもろないって思ったのさ。とはいえ、ときには撮るだろうけれどね。
それよりも、君が見て心躍るような写真を撮りたいのさ。

写真を撮ったり、文章を書き綴っているうちに、自分の中で何かが変わったんだろう。
大人になったってことなのか?
けれど俺は、そんじょそこいらの並の大人ではいたくないんだ。君はもうわかってると思うけどね。君をワクワクさせ続け、君を愉しませたり、君を考えこませたりするような、困った大人でいたいんだ。
俺の家の食卓で
もう一つ、話をしてもイイだろうか?1500回だ、いい区切りだから許してほしい。

俺は、君たちが寄せてくれるコメントを、とても大切に思ってる。これがあるから、このブログが、俺の一方的な垂れ流し、押し付けになろうとするのを、何とか水際で押しとどめてるんだと思う。
他にも、ブログの内容に関して直接メールやフェイスブックなんかでコメントしてくれる人もいる。
また、その一方で俺の持ってる思想や、政治信条に対して感情的にいちゃもんをつけたり、論戦、批判をしてくれる人もいる。それもまた一興だとは思う。もちろん、ある程度のレベルまでは。

俺はそのすべてに、出来る限り丁寧に、可能な限り素早く返信したいと思ってる。
そのやり取りが、俺と君たちをつなぐ縁を、強くしてくれると思っているから。

かつて、俺には黒田さんという20歳ほど年上の友人がいた。
彼は身寄りがなく、しかも病気で働けなくなってしまい、生活保護で暮らしていた。
俺とは、俺がバイクの事故で足の骨を折って入院しているときに、喫煙室で出会ったんだ。人懐っこいおじさんで、何年か俺の家に遊びに来てはコーヒーを飲み、ロックを聴き、文学や思想について語り合ったものだ。
そして、彼は何度か俺に、わざわざ本を買って送ってくれたりするようになった。
俺は、そんな好意をうけるいわれはないので、それを断ったり、しぶしぶ受け取ったりしていた。
それに、生活保護をもらっているような人から、贈り物をされても、申し訳ないってもんだろう?恐縮しちゃうぜ。
今にして思えば、身寄りや親しい友人のなかった黒田さんは、俺との付き合いが純粋にうれしかったんだろうし、それを感謝していたんだろうし、その感謝の気持ちをなんとか形に表したかったんだろう。
そんな気持ちをくみとることができなかったのは、俺がまだどうしようもない若僧だったからだ。
そんなんで、お互いの空気がギクシャクしてきてしばらく経った頃、黒田さんはこの街に見切りをつけて、九州に流れていった。
俺のもとには何度か手紙が来た。俺はそれを受け取るだけ受け取っておきながら、返事を出さなかった。そして、いつしか便りは絶えた。いま、黒田さんは生きているのか、死んでいるのか、俺には知るすべはない。

俺は酷い男だ。俺は孤独なおじさんが精一杯伸ばしてきた手を、無視するように振り払ってしまったんだからな。せっかく結んだ縁を、太くすることなく、断ち切ってしまったんだ。

その後悔が、俺の胸の中には確かにある。時折、思い出しては若い頃の自分の頑なさに、腹が立つ。二度とそんな思いはしたくない。人生は一度きりなんだからな。

だから、君たちと結んだ縁を大切にしたい。
あらためて言わせてもらうよ。
いつもありがとう。

もちろん、昔コメントをくれていたけど、いつの間にか消えてしまった人もいる。
けれど、その人たちのことも忘れたことはない。
また、まったくの匿名で言葉をかけてくれる人もいる。
きっと、ハンドルネームすら明かせない事情があるんだろう。
いつか、そんな人とも、もっと親しく接してみたい。
なにしろ、人生は一度きりなんだからな。

読者諸君、失礼する。俺はこれからも、いつだってここにいる。君が呼んでくれるなら、いつだって応えるさ。君がいなけりゃ、俺のやることなすことには何の意味もないのさ。
さて、今日はヨーロッパ旅行の写真でも、少しプリントしてみようかな?お楽しみに!