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| たぶん…東京 |
設計が棚の高さを変更するように依頼をしてきたんだ。
これを設計はCADの画面上でマウスでちょちょいと修正するだけで、あまつさえ金額的に協力してほしいとぬけぬけとこいてやがる。
俺の見立てでは、ざっくり一週間の追加工期とざっくり百万円の予算が必要になる。五チームの職方が絡むんだ。おかしなことじゃない。それを工期もそのまま、お金も協力してほしいとは、あきれてものが言えないぜ。
世の中、こんなやつらばかりだ。自分の仕事に真剣に取り組んでないんだろう。もううんざりだぜ。こんな仕事辞めて政治結社でも作ろうかな。『日本困民党』なんてかっこいいな。
そういえば、昨晩、仕事に行くと名古屋駅前で反高市政権のデモをしていた。
甲高い声でマスクをした女性が、拡声器でシュプレヒコールを叫び、百人ほどの人々がドラムを打ち鳴らしたりしてリズムを取っていた。
おれはそれを眺めながら、やらないよりはマシだけれど、たとえ高市が退陣したとしても、今の日本社会の構造つまりOSの書き換えをしない限りは、次も同じような奴が同じようなことをするだけだ。
この辺のことを俺はTHE WHO🔗の70年代初頭の名曲無法の世界🔗に謳われているから知っている。新しいボスにあってみろ、古いボスとおんなじだぞ!っていう歌さ。
俺が毎日、しこしこと書き記しているのは、このブルシットな構造を書き換えるためのプログラムでもあるんだ。
さてと、俺の小市民たる日常のことはいい。
日本人の統合の象徴である天皇を中空の基軸に据えた『天皇制リベラリズム』の理念を拡張、追及してゆけば、様々な属性の人々を、日本人として受け入れ、包摂してゆく器となりえるのではないかと俺は考えている。
これは昨日も挙げた網野史学とリベラリズム、そして現代の「多文化共生」や「包摂(インクルージョン)」の議論を結びつける極めて重要なポイントだ。
「天皇という器」が持つ、日本人としての統合と受け入れの機能について、考えてみよう。
属性を問わない「無縁」の包摂
網野善彦が描いた中世の「無縁」の場では、出自、職業、さらには罪人であるか否かといった世俗の属性が一度リセットされた。この背後には「天皇の前に、等しく無縁(自由)である」という論理があったのだ。
これを現代的に解釈すれば、特定の血縁、地縁、あるいは特定のイデオロギーに基づかない「ニュートラルな統合のシンボル」として天皇を置くことで、多様なルーツを持つ人々を「日本人(あるいは日本社会の構成員)」としてフラットに受け入れる、広大な「空の器」としての機能が見えてくるはずだ。
「特殊な縁」を相対化する力
通常、ナショナリズムは「単一民族」や「独自の文化」といった強い「縁」を強調し、そこから外れる人を排除しようとする。要はメンバーズオンリーだ。
しかし、天皇という存在を「無主・無縁」の原点として捉え直すと、あら不思議、特定の集団(マジョリティ)が日本という国を私物化することを防ぐ「究極の公(パブリック)」となるんだ。
この「公」は、特定の「縁」を持たない人々、つまり移民やマイノリティ、あるいは既存のコミュニティに馴染めない人々にとっても、平等に開かれた空間=コモンズの保証人となり得るんだ。寛大で寛容なシステムだ。
「統合の象徴」としての開かれたアイデンティティ
憲法に規定される「日本国民統合の象徴」という言葉を、網野的な「無縁」の文脈で読み解けば、それは「均質な日本人を作るための象徴」ではなく、「バラバラな背景を持つ人々が、その多様性を保持したまま共存することを許容する器」となるだろう。均質な日本人のみが同調圧力の下で結束=ファッショ🔗した結果が日本の大東亜戦争であり、大政翼賛会であり、太平洋戦争での敗北の原因だった。そのおかげ様で、いまだに日本はアメリカの属国だ。
「誰のものでもないから、みんなが居て良い」という中世の「無主の地」のロジックが、現代においては「誰のものでもない象徴だから、誰であっても日本人として統合され得る」という、極めてリベラルでオープンなアイデンティティの基盤になり得るという考え方だ。
史学を応用した日本人観のコペルニクス的転換だ。もちろんここに俺は、ジャン=ジャック・ルソー🔗の社会契約説🔗を隠し味にしている。国家とは、国民すべての契約によって生み出されるものである以上、その契約を結ぶものは国民となりうるという視点だ。
俺の考えは、天皇制という歴史的システムの中に、現代の国民国家が抱える「排除と選別」の問題を解決する「寛容なプラットフォーム」としての可能性を見出すものだ
これは、宇沢弘文が志向した「共に生きるためのコモンズ」を、日本の国制という根源的なレベルで再定義する非常にダイナミックな視座だと、僭越ながら考えている。
この「開かれた器」という考え方を踏まえると、現代の日本社会における外国人労働者や多文化主義への対応において、この歴史的ロジックをどう応用できるかが次の興味深い論点になるだろう。
ここで俺が持ち出すのは、古代日本で見られた渡来人、帰化人という存在だ。彼らは日本の文化の屁ってんに大きく寄与するとともに、古代の天皇とは大きくかかわっていた。
中国からやってきた漢人の末裔漢氏🔗、秦の始皇帝の末裔を自称する秦氏🔗、滅亡した百済の王族の血統の百済王氏🔗、同じく新羅に滅ぼされた高麗(今の北朝鮮界隈)から渡来した高麗氏、など渡来人🔗や帰化人🔗は、今日に続く日本の文化を構築するのにも重要な役割を果たしている。ちなみに、俺は服部だけれど、服部は秦氏の末流という説もある。だから俺は、戦国武将の子孫だといってマウントを取ってきたやつに、俺は秦の始皇帝🔗の子孫だといって度肝を抜いてやったことがあるくらいだ(笑)。
『帰化人』や『渡来人』といった、既存の共同体や秩序の「外」にいた人々と天皇の関係を紐解くと、天皇が持つ「開かれた統合の器」としての側面がより鮮明になるだろう。
網野史学の視点を踏まえ、これらがどう天皇と密接に関わるのか整理してみよう。
「異能の民」と天皇の直属関係
網野善彦氏は、中世の職能民(鋳物師、庭上、芸能民など)が天皇直属の「供御人🔗(くごにん)」や「神人🔗」としての身分を得ることで、諸国の関所を自由に通行できる「自由通行権」を享受していたことを明らかにした。関所や領国境にてとどめられることなく、自由に諸国を往来することができたわけだ。この当時の国は、今の県とは違うからこの感覚は解り辛いだろうが、想像してほしい。官製や領主の権限による関所、あるいは在地の豪族や盗賊などにより設けられた私設の関所を、天皇の権威を蒙ることで自由に往来できたのだ。これは当時においては、きわめて異例の存在だったということだ。
社会の外部の保護
供御人や漂泊の民など、特定の村落共同体(縁)に属さない人々は、世俗の権力からは「浮いた存在」だった。俺が世間から浮いている以上に浮いていただろう。これらの人々は、排斥され無縁であるがゆえに、人柱などにもされることもしばしばだったという。しかしその一方で、彼らは「天皇という超越者」と直接結びつくことで、世俗の支配から脱し、自らの職能を全うする自由を確保したのだ。
渡来人と「新しき公」の形成
古代において、高度な技術や知識を持った渡来人は、天皇(大王)の権力を支える重要な実務・技術集団であった。様々な先端技術を、右派の皆さんがお嫌いな中国や朝鮮半島から日本にもたらしたんだ。しかし、当時の人々はそれを排斥するのではなく、自分たちのsy会をアップデートするために積極的に取り込んでいったわけだ。俺たちよりも数段上手だ。
多様なルーツの統合
天皇制は、在地(土着)の勢力だけでなく、渡来系氏族をも「王民」として積極的に取り込むことで成立したという視点を見失ってはいけない。先にあげた秦氏や東漢氏、西漢氏など日本の古代天皇制を支えたガラ石族は枚挙にいとまがないのだ。
「日本人」のプロトタイプ
渡来人が持つ外来の文化や宗教(仏教など)を天皇が受け入れ、国家の「公」の形を整えていった過程は、まさに異なる背景を持つ人々を統合する「器」としての原点と言えるだろう。
突き詰めると帰化人や渡来人といった「境界の人々」にとって、天皇は彼らを既存の差別や拘束から解き放ち、「公(パブリック)」の一員として位置づけるための磁石のような存在であったと言えるだろう。
彼らを「日本人」として受け入れる器であるという俺の考えは、「天皇とは、純血の象徴ではなく、むしろ『境界を超えてくる多様な力』を統合し、生存の場を保障するためのシステムである」という、非常に力強い歴史的・リベラルな解釈に繋がっていく。
こうした「外から来た力」を統合する天皇のあり方は、現代の「開かれた公共圏」を考える上で、具体的にどのような方向性を示してくれるだろう。
この明治以前の天皇制に秘められた機能が、社会の底辺にある人たちや、低賃金でケア労働を担う人たち、あるいは 日本にやってきた移民の人々、そしていずれやってくるであろう台湾有事の際に、台湾から大量に日本に亡命してくるであろう多くの人々を、この社会に包摂するための大きな装置になりえると俺は考えているんだ。
網野史学の「無縁」のロジックを現代にスライドさせると、天皇という存在は、特定の「家系」や「民族的純血」の象徴ではなく、むしろ「社会のあらゆる固定的な縁(しがらみ)から外れてしまった(あるいは外らされてしまった)人々」を、ダイレクトに公共圏へと繋ぎ止める「最終的なセーフティネットとしての器」と定義し直すことができるということだ。
その視点から、ケア労働者や移民の方々の包摂について整理してみよう!
「属性」を無効化する統合
現代社会では、国籍、資格、経済力、あるいは「正規・非正規」といった属性で人間が選別される。非人間的な階級社会だ。気づいてますか?
しかし俺が構想する『装置』としての『リベラルな天皇制』は、それら世俗の評価軸をすべて飛び越えたところにある。
ケアを担う人々
社会の底辺で、最も過酷で代替不可能な「命のケア」を担いながら、正当な評価と十分な賃金を得られていない人々。彼らを「天皇という公(おおやけ)」に直結する存在と捉え直すことは、彼らの仕事を「単なる低賃金労働」から「社会を根底で支える聖なる公務」へと価値逆転させる論理になり得ます。
『渡来人』の現代版としての移民
古代の渡来人が天皇の装置によって「日本」というシステムに組み込まれ、その文化を豊かにしたように、現代の移民の方々も「新しい渡来人」だと捉えよう。すでに生産の現場、接客の現場、あるいはケア労働の最前線では、『技能実習生』という名の『移民』なくして立ち行かない状況になっている。あなた方は、それをわかっているだろうか?そして、どこか心のどこかで自分たちより劣った存在だと見ていないだろうか?コンビニのレジで働いているネパール人の青年たちは、日本語を流ちょうに話し、英語もヒンドゥー語と近縁のネパール語も自在に話す。それだけでも、現代の日本社会ではかなりハイスペックな存在だと思うがいかがかな?
「国民」の定義の拡張
既存の「血縁的日本人」という狭い枠組み(縁)が彼らを拒絶しても、「天皇という空の器」が彼らを「この地に生き、この社会を共に作る者」として包摂する。これは、排他的なナショナリズムを、天皇という超越的なシンボルを使って「内側から中和し、開いていく」リベラルな戦略と言えるだろう。
「無主の空間」としての日本社会の再構築
で、次は宇沢弘文氏のコモンズ論に引き寄せてみようか。
その視点から解釈すると、日本という国自体を、誰のものでもない(私物化できない)「無主の地」として管理運営していくことになるだろう。
包摂のプラットフォーム
「ここは誰かの持ち物ではなく、天皇(=究極の公)のもとで、誰もが排除されない無縁の場である」というフィクションを再起動させることで、移民もケア労働者も、卑下することなく堂々と「公共」に参加できる足場が生まれるはずだ。
俺の構想は、天皇制という最も古くからあるシステムの中に、「最も新しく、最も困難な社会課題(格差と排除)」を解決するためのプラグ(接続端子)を見出すものだ。
これは「伝統を守るための天皇制」ではなく、「誰もが居場所を失わない未来のコモンズを作るための、歴史的リソースとしての天皇制」という、極めてクリエイティブな社会構想なんだ。俺は何とかして、この「開かれた器」というビジョンを、現実の制度や社会意識に落とし込んでいきたいと考えている。
さて、ここでもう一度、くどいようだけれど保守論壇の人たちや 右派政治家、あさらにはその支持層の人たちがおっしゃる 伝統というものが、いかに底のの浅いものであるかということを示していかないといけないだろう。日本の伝統とはもっと長い歴史を持ち、もっと多様な懐の深いものであるっていうことを認識すべきじゃないか?
現代の保守や右派が語る「伝統」の多くは、実は明治以降に作られた「均一で閉鎖的な国民国家」のイメージに基づいた、歴史の厚みからすれば非常に「底の浅い」ものと言わざるを得ないんだ。
網野史学の知見を武器に、彼らが依拠する「単一民族・農耕定住民・血統の純潔」という物語を解体し、本来の天皇制が持っていた「多様性・流動性・包摂性」を提示することは、社会の懐を深くするために極めて有効な営みだと俺は確信している。
です。以下の3つのポイントで、その「懐の深さ」を対置して、右派的な伝統感を相対化してみよう。
「農耕民だけの王」ではなく「境界に生きる民の王」
多くの保守派は日本を「瑞穂の国」とし、天皇を農耕祭祀の主宰者と定義している。
しかし網野善彦は、天皇が山、海、市、あるいは漂泊する人々(非農業民)という「定住社会の境界線上にいる人々」と深く結びついていたことを明らかにした。
右派への反論の鍵: 伝統とは「内側に閉じこもる農耕民の論理」だけではなく、外から来る人や自由に動く人を包摂する「ダイナミックな交通と交流の論理」であったことを突きつけてみましょうかね。
「排除の論理」ではなく「無縁の論理」
「日本を日本人の手に取り戻す」といった排外的な言説は、特定の「縁(血筋や国籍)」を強調している。しかし、本来の天皇の機能は、先述の通り「世俗の縁を切り離す(無縁にする)」ことで、どんな異質な存在でも、その属性を問わずに「公」の一員として迎え入れることにあった。
右派への反論の鍵: 「伝統的な天皇制こそが、私的な差別や選別を無効化する最強の包摂装置だった」と主張することで、排外主義こそが伝統に反していると逆照射する。
「固定的なアイデンティティ」ではなく「生成するアイデンティティ」
渡来人が国家の根幹を支えたように、日本の「伝統」とは常に外からの新しい血や知恵を取り込み、変化し続けてきた「プロセス」そのものだといえよう。
右派への反論の鍵: 保守派が守ろうとしているのは「固定された静止画」に過ぎない。真の伝統は、移民や新たな労働力を「新しい渡来人」として飲み込み、絶えず日本をアップデートし続けてきた「動画(生成のプロセス)」であると定義し直す。
以上の観点を駆使して、右派・保守派が語る「狭い伝統」を否定するのではなく、「諸君の言っているのは、1500年以上の歴史のうちの、たかだか明治以降の150年程度の小さな伝統に過ぎない。本来の日本の姿(伝統)は、もっと荒々しく、自由で、多様な人々が混じり合う、懐の深いものだ」と、より大きな物語で包み込んでしまう戦略なわけだ。
社会の底辺に置かれている「ケア労働者」や「移民」の人々を正当に評価し、社会に正しく包摂することは、日本を壊すことではなく、むしろ「日本が本来持っていた、天皇という装置によるダイナミズムを現代に蘇らせることだ」というロジックは、非常に説得力があると確信している。
フランスやドイツなどが移民政策に失敗したのは、移民を同化するにせよ、多文化主義で分割するにせよ、それをまとめるためのシャフトがなかったからだと俺は考えている。俺は『天皇制リベラリズム』という概念こそが、その社会統合のシャフトになりえると考えているのだ。この洞察は、現代の比較政治学や社会学における「統合の失敗」という難問に対する、非常に独創的で強力な解決策の提示だと俺は自負している。
フランスの「同化政策」やドイツの「多文化主義」が直面している限界を、「中心軸(シャフト)の不在」という言葉で表現するのは、ちょっと説得力があるんじゃないかい?
既存モデルの限界と「シャフト」の欠如
移民に対して同化主義を通じて施策してきたフランスは、 「共和主義」という普遍的理念でまとめようとしましたが、それは移民に対し「自らのルーツを捨て、フランス人になれ」と強いる圧迫的なシャフトであった。結果、バンリュー問題🔗に代表されるような摩擦と分断を生んでいる。
また、多文化主義路線を取ったドイツでは、 「違いを認める」ことで共生を図ったが、共通の軸が弱いために社会がバラバラにセグメント化(並行社会)され、互いへの無関心や対立を招いた。俺もフランクフルトの駅前で、移民を排除するように訴えるデモを見た。また、それに単身抗議するトルコ系のおっちゃんを屈強な警官が三人がかりで押しとどめるのも目にした。当時はメルケル政権全盛時代だったが、社会の軋轢は相当に大きかったのだ。
これらは、いわば「個々を消し去る軸」か「軸のないバラバラな状態」のどちらかだったために起きた社会の分断だといえるだろう。
『天皇制リベラリズム』という第三のシャフト
これらのモデルに対して俺が君たちに提唱するモデルは、網野史学の「無縁・公界」を応用することで、これまでの失敗を乗り越える可能性を持ったニューモデルだ。
「空(くう)」であることの包摂力
天皇は、特定の宗教的教義や強い政治的イデオロギーを強制する存在ではない。
いわば「空の器」としてのシャフトです。この「空」であるという特性が、移民の独自の文化や宗教(ルーツ)を否定することなく、その多様性を保持したまま、同じ「公(おおやけ)」の中に繋ぎ止めることを可能にし得る。
「無主」による自由の担保
「誰の私有物でもない日本」という空間を天皇が担保することで、移民もケア労働者も、特定の階層や集団に隷属することなく、対等な「公界(パブリック)」の構成員として社会に参加できる。この「自由な場所の保証人」としてのシャフトこそが、欧州には欠けていたものだ。
日本独自の「シャフト」がもたらす未来
もし、天皇という存在を「血統の純血性」という狭い解釈(保守派の底の浅い伝統)から解放し、「多様な背景を持つ人々が、その多様性を失わずに共存するための共通基盤」として定義し直すことができれば、それは世界に類を見ないリベラルな統合モデルになるだろう。
移民へのメッセージ
「日本人になれ(同化)」ではなく、「この無縁の地(日本)で、あなたの個性を保ったまま、共通の公(天皇という象徴)のもとに共に生きよう」という、より受容性の高いメッセージが可能になるのではないだろうか。
戦時中に、金子光晴に『占領地の東南アジアの代表や文化人を天皇に拝謁させ、伊勢神宮に参拝させる』という意見を求めた文学報国会の面々に対して、金子光晴は、『彼らには彼らの文化や信仰があり、それを強制しても意味はないからやめるがよい』と答えてという話を記憶しているが、強制し君臨するのではなく、その生存を寛容に受け入れただ承認する「中空のシャフト」には、今後ますます多様化せざるを得ない社会を統合してゆくポテンシャルがあると考えているんだ。
突き詰めたところ、この「シャフト」という概念は、バラバラになりがちな現代社会において、「強制力によらない緩やかな連帯」をいかに作るかという問いへの、日本らしい、かつ非常に洗練された答えだといえるのではなかろうか。
この「シャフト」を、実際の社会制度や教育、あるいは日々の暮らしの中で「実感できるもの」にしていくには、どのようなプロセスが必要だろうか?
その答えはすでにわれわれに示されている。
平成天皇および今上天皇によって、『天皇制リベラリズム』の可能性というのは、すでに開かれてると俺は考えているんだ。
平成の天皇(現上皇陛下)および今上天皇が実践されてきた歩みは、まさに俺の提唱する『天皇制リベラリズム』の種をまき、育ててきた過程そのものと言えはずだ。
具体的に、どのようにその可能性が開かれてきたかを整理すると、以下のようになります。
「社会的弱者」への徹底した寄り添い
平成の天皇は、ハンセン病療養所や障害者施設、あるいは災害被災地など、社会の「縁」から排除されがちな人々の元へ、自ら足を運び続けた。
これは網野氏のいう「無縁」の民、すなわち世俗の権力が見捨てた人々を、天皇という「公」が真っ先に抱擁するという、中世的な「無縁の主」としての機能の現代的かつ慈愛に満ちた再起動そのものだ。
「渡来人」と「和解」への言及
上皇陛下が2001年の会見で「桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると続日本紀に記されていることに、韓国とのゆかりを感じています」と述べられたことは、保守派の「底の浅い伝統(純血主義)」を内側から突き崩す決定的な瞬間だった。おかげさまで、上皇陛下のことを、畏れ多くも『パヨク』などと揶揄するネトウヨの多いこと、不敬の極みであるといえよう。この発言は、天皇自らが「日本は外に対して開かれた歴史を持っている」ことを認め、多様なルーツを持つ人々を包摂する「器」であることを示した画期的な宣言であった。
「祈り」という非権力的な統合
今上天皇もまた、水問題などの地球規模の課題(コモンズの課題)に関心を持ち、特定の政治的立場を超えて、人類全体の生存の基盤を案ずる姿勢を示されている。
権力(パワー)を行使するのではなく、ただ「そこに在り、案ずる」という超越的な空の器としての在り方は、まさに社会の多様な人々を緩やかに束ねる「シャフト(軸)」として機能しているのではないかね。
これらのことを顧みてみればわかるように、現実の平成天皇、今上天皇のなされる実践が、すでに俺の一見奇抜な理論を先行しているんだ。
憲法の枠組みの中で『象徴』としての在り方を模索し続けてきた両陛下の歩みは、すでにリベラリズム(個人の尊重、平和、包摂)と深く連結している。
あとは、俺や君たちたち市民の側が、この「開かれた統合の形」を言語化し、保守派の狭いナショナリズムから奪還して、社会のグランドデザイン(移民政策や社会保障など)に繋げていけるかどうかにかかっているのではないだろうか?
この「陛下たちが示してきた実践」を、私たちが制度や市民意識として定着させるために、次の一手として何が必要だと俺は考え抜いた結果にたどり着いたのが、愛子内親王と悠仁親王による時代の天皇制リベラリズム、『ヒメ・ヒコ制🔗』に基づく22世紀へと続く『天皇制リベラリズム』だ。POST#1841🔗参照
気が付けば日は傾いてきた。今日の君たちとの語らいはこれくらいにしようじゃないか。また会おう。

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