2011/10/10

Post #331 Happy BirthDay Mr.Moriyama

今日、10月10日は写真家・森山大道の誕生日だ。
森山さん(あえてこう呼ばせて頂きたい)は1938年生まれなので、今日で73歳だ。俺とはおよそ、30歳違う。俺にとっては当然前人未到の領域だ。正直、そんな年齢になった自分の姿は想像がつかんね。1938年生まれということは、俺の中学高校時代の師匠、A先生と同じ年か。そういうと、実感が湧くな。最近の70代はなかなかに皆さんお元気だ。喜ばしいことだ。おそらく森山さんも、毎日のようにカメラを持って、狩人のようにまだ見ぬイメージを求めて歩き回っているからこそ、お元気なんだろう。歩くことは健康の基本だというのがよくわかる。
還暦あたり、つまり20世紀末あたりから、森山さん再評価の波は高まり、次々と、まさに怒涛の勢いで写真集が発表されてきた。写真のお好きな読者諸君なら、よく知るところだろう。おかげさまで、俺の小遣いはいつも逼迫していると言っても過言ではない。そんななかでも、俺が、このブログを覗いてくれている君たちに、ベストとして挙げるのは『新宿』(2002年月曜社刊 600ページ 524カット収録 全B/W)だ。
森山大道 『新宿』 2002年月曜社刊 重版未定
モノクロの写真、それも一目で夜、ノーファインダーで撮ったと思しき輪郭の定かならぬ写真の表紙に、ショッキングピンクのタイトルが踊っている。
その光と影のコントラスト。
思わず手が伸びる。そして、手に取った時に感じるその重み。
600ページ、524カットは伊達ではない。ズシリと来るのは、単に物理的な重みだけじゃないだろう。
毎日のように新宿を歩き回り、何千本、何万カットもの写真を撮り、そのうえで選び出された写真たち。その行為の重みを感じることができる。
モノクロ写真ばかりで、一切の文章も説明もない。しかし、確かにそこには、大いなる混沌、欲望の坩堝たる世紀末都市新宿の姿がくっきりと写し取られている。
しばしばノーファインダーで水平線は傾いている。
時に被写体はぼやけ、影の塊のようにもなっている。
ぞして何より、モノクロならではの黒の締り。それは時に大胆に画面を焼きつぶすが、エロスすら感じさせる。ぞぞっとくるわ。

ひょんなことから写真をはじめ、ストリートスナップという自分のスタイルが出来てきた頃、この写真集に出会った。その頃の俺は、リバーサルで無謀にも夜景を撮り、ノーファインダーで道行く人々を撮りまくり、ひたすら路地から路地を歩き回っていた。
誰に教わった訳でもなく、自分の撮りたいものを突き詰めて行ったら、そんなスタイルが確立しつつあった。今見ると、凶暴なまでに写真を撮っている。残酷な現実にカメラを向けたものもある。ここで見せると、問題になりそうな写真も多々ある。見たいかい?そのうちね。その頃俺が撮っていたのは、こんな写真だ。もちろん、ショックの少ないモノだけど、どう?
この頃、俺はこんな写真を撮っていた。イケイケだった。
もちろん、森山大道なんて、全く知りもしなかった。ただ、自分の欲望と衝動の赴くままに、リバーサルフィルムをガンガン消費していた。今日、久しぶりに見てみると、あまりにイケイケで我ながら少しビビった。怖いもんなしで写真を撮りまくっていた。もし、撮っているのを見つかったなら、ただじゃすまないような類の写真も多々あった。馴染のラボの店員さんも他の人の写真ならこれはお断りしますけど、Sparksさんの写真だから、まぁ仕方ないってカンジで諦めていたほどだ。そうだよね、井上君、三村君。
この本を手にしたのは、ちょうどこの頃だ。
俺はショックだった。
こんな写真が撮れるなんて。現実をそして、写真はこんなもの(といっては失礼だけれど)でもゼンゼンOKだ。俺の方向は間違っていなかったと確信した。この写真集は、俺の仲間内でも評判で、俺にモノクロへの転向を勧める仲間もいたっけ。
けれど、この写真集を手にしたことで、かえってモノクロに行くことが躊躇われた。どんな写真を撮っても、森山大道の劣化コピーだと言われてしまうんじゃないかって心配していたんだ。読者諸君の中には、そんな風に感じている人もいるんじゃないだろうか。しかしまぁ、俺にとって、森山大道はビートルズのようなもんで、イギリス人がどんなロックをやったところで、何かしらビートルズの影響を感じないわけにはいかない。そして、それを恐れていたら、自分たちのロックなど出来やしない。だから、開き直ってやる。この開き直りの精神が、熟するのに、いささか時間ときっかけが必要だったんだ。
しばらくして、母方の祖父の3回忌に、親戚のおじさんから古いFUJIの引伸機をもらった時、腹をくくった。もう、行くしかないって開き直った。モノクロ写真をやれと、モノクロ写真をやるのが必然だと、背中を押された気がしたのだ。
今なら解る。たとえ同じ場所で、同じアングルで撮ったとしても、写真とは、その場限りの一回性のものなんだから、全く別の写真にしかならないってことが。同じ光は、二度とない。

はじめて、森山さんの写真集を、この『新宿』を手にしたときの胸の高鳴りを忘れられない。
それは高校生の時に、The Whoの1stアルバム“My Generation”を聴いた時以来の衝撃だった。いまでも、自分の写真の方向性に悩んだときには、夜、独りでこの『新宿』を開いてみる。そして、自分が間違ってないんだと確信する。自分が写真のバックボーンに連なっていると確信する。
森山さん、ありがとうございます。
森山さん、誕生日、おめでとうございます。
この声が届くかどうかわかりませんが、いつまでも、路地から路地を彷徨うようにして、スゲー写真を撮ってください。及ばずながら、俺も頑張ります。

2011/10/09

Post #330 Fragment Of Fragments #21

本日、これといってことも無し。
強いて言うなれば、15年ほど続けてきた習慣を、一旦やめる決心をしたくらいかな。タバコとかじゃないぜ。ふふふ・・・、諸君に当てることができるかな?なかなか意外なものだぜ。諸君が俺に抱いているイメージを覆し、塗り替えるほど、せせこましい習慣だ。
それは家計簿だ。
むしろお小遣い帳といったほうがいいかもしれないな、俺の場合は。家賃や保険の支払いから、拾った一円に至るまで、毎日毎日、克明かつ詳細に記入されていた。漏れもいささかあったにはあったが、まぁ、税務署に持っていくわけじゃないから、さほど気にはしちゃいなかったんだがね。
しかし、最近のクレージーきわまる仕事の連打で、記憶も朦朧、チェック不能になってしまったんだ。つまり、余りに仕事が忙しすぎて、缶ジュースをどれだけ飲んだとか、もう把握しきれなくなっっちまったんだ。いやフツーはそこまで几帳面にやっちゃいないだろう。しかし、意外なほどに神経質な俺なのさ。ほとんど病的まなでに記録したがる性分なんだ。記録すると決めたなら、記録していかないと気持ちが悪いんだ。
何というか、それを見れば、いつどこに行って、何をしたかが克明に思い出すことができるって思うのさ。だから、永年続けてきた。もっとも、墜落寸前の低空飛行で日々の生活を切り抜けているから、墜落つまり引き落とし漏れや赤字を回避するためにも、必要だと言えば必要だったんだが・・・。
しかし、一旦やめだ。
収拾がつかなくなっちまった。あまりにクレージーな仕事が続いたおかげで、何もかも混乱状態だ。まったく自己管理がなっていないぜ。反省するぜ。
HomeTown/Nagoya
家計簿に記載されるのを待っていたレシートの山は、全てゴミ箱にぶち込まれた。すっきりしたと同時に、何だか物寂しいものだ。自分で決めたことを自分で果たさなかったという思いで胸がうずく。
もちろん、俺以外の人間にとっては、どうでもイイことだが・・・。俺には大切なことだったんだぜ。日記みたいなものさ。
けれど、今じゃこのブログが日記のようなものだから、まぁ百歩譲って、良しとしておこう。
しかし、金に関してはやはり扱いを慎重にするべきだろう。
今日も実際に、仕事の売掛帳に不備が見つかった。この修復には、いささか時間と手間がかかりそうだ。すくなくとも、独り静かに取り組まなければ、気が散ってしまうしな。今日買ってきたばかりのJeff Beckの名盤“Blow By Blow”も、途中で訊くのをやめてしまったほどだ。あまりに素敵なギターなので、とても集中できなかったんだ。もうすぐ俺の会社も決算だというのに、これではまた、今年も正月明けに大変な思いをすることになりそうで、気が滅入るぜ。
HomeTown/Nagoya
読者諸君、失礼させてもらうぜ。君たちもお金のことはきっちりしておいた方がイイ。きっちりしているつもりでも帳簿は合わなかったりするもんだ。困るんだよね、まったく。こう見えても青色申告事業者だからな、俺は。お調子者の俺の人生、いつだって金のことで気苦労が絶えないのさ。まぁ、これも人生さ、ロックンロールさ。

2011/10/08

Post #329 A Sewing Machine Shop Of Izmir

今日も一日眠って暮らした。人生の貴重な一日が台無しだ。
妙に目が乾く。ドライアイかと思い目薬を差してもどうもいけない。熱っぽいことに気が付き体温を測ると熱もあるじゃないか。まるで体のブレーカーが落ちてしまったようだ。まぁ、そんなときもあるさ、人間だもの。初公判の夜にいきなり尿路結石で入院するような人もいるくらいだ。仕事が一段落ついて、体調を崩したって悪くはないさ。世間は秋の行楽真っ盛りだろうが、調子にのって出かけると、これまた体調を崩してしまうだろうし、高速だって混んでいることだろう。大人しく眠っているのに限る。I'm Only Sleepingだ。
ふと、去年の夏の旅行で訪れたトルコの地方都市イズミルの事を思い出した。排ガスもうもうのメインストリートに面したローマ時代の遺跡、その遺跡と道をへだてた一画に広がる活気あふれるバザール。礼拝の時刻を知らせるモスクのアザーン。どれもとびきりエキゾチックで、素敵な思い出だ。そんな中でも、ひときわ思い出すのが、イズミルの下町のミシン商のことだ。
Izmir,Turk
その朝、俺とつれあいは古代アゴラと呼ばれるローマ時代の遺跡を探して、イズミルの街の路地をうろついていた。ガイドブックのちいさな地図と、前の日にバス会社のおやっさんからもらったイズミルの街の観光地図が頼りだ。ガイドブックの地図は小さすぎ、もらった地図はすべてトルコ語だ。これはなかなかに難しいオリエンテーションだ。そうこうしているうちに俺達は、観光客なんて、まずいそうにないブロックに迷い込んだ。
そこでうろうろしている俺たちに声を掛けてきたのが、このミシン商のおやっさんだった。
中央でおどけたポーズをとっているのが社長だ。その隣が英語の得意な番頭さんだ。ついでに左の子供は、社長のご子息だそうな。むくむく太っている。
おやっさんは俺達を見つけると『あんたら日本人かい?まぁここに座ってチャイ(トルコでよく飲まれる紅茶だ)でも飲んで休んでいくとイイ』と声を掛けてきた。日本人的な感覚で、いえいえお構いなく、なんて言う間もなく、何が何やらわからぬ間にどこからか丸い椅子が出され、俺達は座るように促された。おやっさんはそこらを歩いているチャイ屋のアンチャンに声を掛け、自分たちの分も合わせてチャイを注文してくれた。
そしてチャイが届けられると、ミシンの天板を机にして、皆でチャイをすすりながらよもやま話に花を咲かせたんだ。大人も子供も、そこにいる誰もが話の輪に入っていた。仕事はいいんかい?と突っ込みたくなるほどだ。まぁ、ほとんどしゃべっていたのは社長さんと、通訳担当の番頭さんだが、そうじゃない人々も、終始ニコニコと笑っていたっけな。
どうにもトルコでは日本人は好かれているようだが、ここまで歓迎してくれるのはなかなかないぜ。ありがたい事だ。
Izmir,Turk
社長さんと思しきおやっさんは、頼まれてもいないのに、『俺がボス、つまりはプレジデントで、こいつは俺の右腕の営業担当。こいつは俺の倅で、あいつは機械担当で、そっちの子供はあいつの息子だ』なんて次々紹介してくるんだ。で、社長は英語の得意な番頭を通じて、自分は日本製のミシンを扱っていること、なかなか商売は順調な事などを話し続けた。
聞けば年齢は俺とさほど変わらないようなんだが、従業員を雇い、手広く商売しているようだ。大したもんだ。
みんなニコニコしている。楽しそうだ。店といっても、ミシンは道路にずらりと並べられている。日本人の感覚はここじゃ通用しないんだ。オンザロードのミシン展示場なのさ。路地を抜ける地中海の風に吹かれながら、中年の機械担当のオヤジさんが、ニコニコしながらミシンを整備している。
見れば、店の中はもちろん、道路をふさぎそうな勢いで並んでいるミシンの大半は日本製だ。そう、JukiやBrotherなんかのミシンが、ユーラシア大陸の反対側で人々に愛されているのさ。俺の死んだオフクロが、俺が子供の頃内職で使っていたミシンとよく似たミシンが、このアジアの涯に勢ぞろいだ。俺は少しうれしくなったな。
社長は、ムチムチと太った息子に、今から商売を仕込んでると言っていた。番頭さんは、観光客は誰も彼もイスタンブルに行くばかりだが、イズミルはイスタンブルよりも、ずっとアットホームで人情がある街だから、もっと多くの観光客に来てもらいたいと語っていた。確かに俺もそう思う。こんなに素敵な町なのに、ガイドブックの扱いはたったの見開き2ページだ。
チャイを飲み干すと、社長は従業員の息子に、水を買ってくるように言いつけて、俺たちに振る舞ってくれた。そう、真夏の地中海沿岸は結構暑いのさ。
そして、おやっさんは俺たちにどこに行く気かと尋ねた。俺達はアゴラに行くんだというと、そこに居合わせた誰もかれもが、ミシン店の店先の路地を奥に進んでいくように指差して、口々に説明してくれた。ありがとう、イズミルのミシン屋さん。
もう、この懐かしい人々に会うことはないかもしれない。
けれど、この人たちが今日も幸せに暮らしていることを、願わずにはいられないのさ。
読者諸君、失礼させてもらうぜ。君達がもしトルコに行くことがあったなら、イズミルに行ってみることをお勧めするよ。そうしたら、このイズミルのミシン商の店先を覗いてみてくれないか。きっと彼らは君たちのことも大いに歓迎してくれることだろう。ガイドブックに載っているようなところを見て回るだけの旅じゃ、つまらないもんだぜ。自分の足で歩き回り、人と触れ合うような旅。それがイイのさ、それがサイコーなのさ。