2012/02/03

Post #448 03/Feb/2012

ニッポンの偉大な写真家、アラーキーこと荒木経惟の写真集に、『東京は秋』という素晴らしい写真集がある。
天下の電通の雇われカメラマンを、訳あり自己都合退職した直後、毎日当てもなく三脚とペンタックスの67を担いで東京を歩き回って撮影された、モノクロの小さな写真集だ。
もちろんここには、みなさんご存じの大股開きのヌードや緊縛写真なんかは一枚も出てこない。
仕事を失った寂寥感と、将来に対する漠然とした不安感が入り混じっているような印象すら受ける。このころ、荒木経惟は、結婚して間もない妻・陽子の貯金で食いつないでいたという。
エラい!
これが並みの女なら、土方でも職安でも行きやがれ!ととんでもないことになるだろう。この奥さんがいなかったら、きっと今日の天才アラーキーは存在していないだろう。
撮影されたのは、1972年の9月から1973年の8月にかけて。まだ、天才アラーキーになっていない頃の、荒木経惟だ。当時、彼は自らを、19世紀末『芸術家のための資料』と称して失われゆく古いパリの街並みを写し続けてウージェーヌ・アッジェになぞらえて、東京アッジェと気取っていたという。
Bruxelles
この写真集は、もうすでに失われて久しい東京をノスタルジックに回顧するような造りになっている。
というのも、見開きの左側には写真が、右側にはその写真を見て語り合う、荒木経惟とその妻・陽子の会話が収められているからだ。その対話は、撮影から10年を経た83年の12月と84年の6月だった。ここに、写真の本質にはノスタルジーなものであるということが見て取れる。
この年、この写真集は三省堂から刊行され、失業者時代の荒木経惟の写真が明らかにされたという訳だ。
私の持っている版は筑摩書房から1992年に復刊されたものだ。この時には、既に荒木経惟の愛妻・陽子は子宮癌の為、他界している。通常この手の写真集が復刊されることはあまりないのだが、この場合には、荒木経惟自身が、妻・陽子との思いで・メモリアル(それは極めて写真の本質に近しいものだ)として、強く復刊を望んだのではないかと俺は邪推する。
ココには、三省堂版にはなかったあとがきが記されている。
全文引用してみよう。
『こんなふーに写真を話す相手がいなくなってしまった。実は、写真てーのは写すことより写したものを見せて話すほーが楽しいのだ。
もー妻はいない。
でも、妻はチロを残してくれた。最近チロは写真を見せると、イイにゃあと言うようになった。
1992年 東京は、初秋』
このチロすらも、既に去年他界してしまった2012年の今日から見ると、この写真集は、私たちがそれを見ている現在—チロの死んだ昨年—妻・陽子の死んだ1992年—写真をはさんで荒木経惟と陽子が語り合った83,4年—写真が撮影された72,3年というように、思い出によって紡がれる世界がまとりょーしかのような入れ子構造になって広がっていくのが感じられるはずだ。

さて、どうして今回この写真集の話しを唐突にしたかというと、この写真集が、素晴らしくなおかつお手頃な写真集であるということだけでなく、俺のとても好きな写真集だという理由だけでもなく、先に引用した『あとがき』に、写真の楽しみのエッセンスが詰まっているからだ。

正直言って、俺は、君達読者の諸君と、そんな語らいの場を持ってみたかったんだが、空気の読めない野郎のおかげさんで、コメントの受け入れを中断している。それに加えて、心中密かにコメントの再開を期して臨んだアンケートには、投票総数1という盛り上がらなさだった。
がっくりだよ。
アラーキーの言葉を借りれば、こんなところだ。
『こんなふーに写真を話す相手がいなくなってしまった。実は、写真てーのは写すことより写したものを見せて話すほーが楽しいのだ。もーコメントはこない。』
写真ってのは、やっぱり見ながらワイワイ言ったりするのが、楽しいし、その方が世界が広がるような気がするんだが、どうだろうねぇ。それとも、写真を趣味にしている人たちは、シャイな人が多いのかい?俺のブログを見てくれてるはずの友人たちは、俺のやっぱり写真になんか興味が無いんだろうか?ただ、上手いねぇとか、キレイだねぇとかで終わるようなもんじゃないだろう。
どの写真に写っている瞬間も、もうすでに二度とは戻ってこない時間を切り取ったものだし、写っている人は、いつか必ずこの世からいなくなってしまうんだぜ?そして何より、写真を見せてる俺も、写真を見てる君も、何時かはこの世から消え去ってしまうんだ。これだけは間違いない。絶対の真理だ。だからこそ、俺は君たちと話し合いたいと思っていたのにね、残念だ。残念きわまるとはこのことだよ。
OK、もっと見たことの世界や、会ったこともないような他人に興味を持ってもいいんじゃないのかい?いい年こいて金儲けと放射能、芸能人の恋愛話や政治家のスキャンダル、そしてTVのドラマやB級グルメにしか興味が無いなんて、つまらないと思わないかい?俺は、ホントは写真について、あるいは写真をネタにして君たちと、この世の中のことを、俺自身や君自身の事を、いろいろと話し合ってみたかったんだがね。
ううっ、この冬一番の寒さが、俺の心の寒々しさに呼応するようにも感じるぜ。
読者諸君、そんなわけで失礼するぜ。君もホントは、自分の写真に関して誰かともっと話してみたりしたいんじゃないのかい?どうなんだい?しかし、そう問いかけても、コメントできないから、誰も答えてはくれんだろうな。やれやれ、嫌になっちまうぜ。

2012/02/02

Post #447 02/Feb/2012

HomeTown/Nagoya
今年は寒い。比較的冬も過ごしやすいはずの俺の地元でも、今朝は雪がガンガン降っていやがった。TVではJR、名鉄、近鉄の各線は平常運転だとか言っていたはずなのに、実際に駅に行ったら電車は一時間半も遅れていた。目的の駅にたどり着いた時、遅れは115分に拡大していた。
JR東海さんよ、あんたらには正直さとか誠実さとかは無いのかよ。雪で遅れるのは恥ずかしいことじゃないだろう。正直に遅れていますって言えよ!
俺は以前の経験から知っているんだが、天下のJR 東海さんには、お客様苦情窓口がないようなのだ。電話番号すら、公開していない。イエローページには、最寄の駅の電話番号すら載っていないんだ。どうなってるんだ。きっと奴らは、鉄道電話と呼ばれる独自の回線電話だけで、事足りると思っているんだろう。
最近知ったんだが、JR東海の利益の9割近くは東海道新幹線によって稼ぎ出されているそうだ。サラリーマンや学生の皆さんが、毎日毎晩乗っている在来線からの上りは、一割ほどなんだそうだ。
だからきっと、奴らは在来線にのってるような貧乏人は、ゴミかなんかだと思ってるに違いない。せいぜいよくて、働きアリだ。そう、金持ちは在来線なんかに乗らないんだ。少なくともこの名古屋界隈じゃね。あの見栄っ張りな連中ときたら、駅ビルの中にあるJR名古屋高島屋に行くのにも、わざわざ高級車で乗り付けるんだ。あそこの駐車場はこれまた割高なんだぜ。金持ちじゃなきゃ、車でなんか行きゃしないさ。
俺の連れ合いは、かつて何かのトラブルで電車が線路上で止まり、冷房も止まってしまった真夏の満員電車に閉じ込められ、おっさんの体臭で気分が悪くなったにも関わらず、車掌からは何のアナウンスもなかったと憤っていた。
儲かってる会社は、下々の、蟻のように働く人々のことを軽んじるようになっていくものさ。
経団連のお偉いさん方のお顔を拝見してみるとイイ。弱い立場の人たちに、何の遠慮も配慮もありゃしないって顔をしているだろう。自分たちの会社が儲かるんなら、若者にまともな職が無くて、社会が少子化し、社会の安定が崩れても屁の河童なんだ。自分とこの会社が儲かるためには、ただでさえ借金ダルマの我が国に対して、税金を安くしろという。それが嫌なら、日本から出ていくと脅しをかける始末だ。まるでヤクザのようだ。
冗談じゃない。まったくあんな連中とは付き合っていられないぜ。東海の超優良企業と言われる元国鉄のJR 東海さんが、しみったれた庶民をコケにしてても、俺は全く驚かないぜ。
読者諸君、失礼する。俺はいつだって、蟻のように働く人々の仲間だ。なんたって、新幹線のグリーン車なんて、生まれてこの方一度たりとも、乗ったことは無いんだからな。クソ喰らえだ!

2012/02/01

Post #446 01/Feb/2012

Paris
今夜はこれで。
雪がガンガン降ってるんで、さっさと熱い風呂に入って眠りたいのさ。