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| 名古屋 スパイラルタワー |
さて、気分が沈み時には、憂鬱なことを考えて、精神のデフレスパイラルを愉しもう。
今日のお題は、この国はこれから、みんな大好き維新の会+自民党の数を恃んだ政権運営で、ナショナリズムで擬装したリバタリアン国家になってゆくのかしらん?
日本維新の会と自民党(特に保守派・タカ派層)の接近をどう見るかは、政治学的な視点からも非常に興味深いんじゃないかな。
自分でいうのもなんだけれど、「ナショナリズムで擬装したリバタリアン国家」という表現は、現在の日本政治の一側面をかなり的確に突いているんじゃなかろうか。
この流れをざっくり整理してみるべ。
①「身を切る改革」と新自由主義
維新が掲げる「小さな政府」や規制緩和は、リバタリアニズム(自由至上主義)に近い性質を持っている。自民党内の競争重視派とも親和性が高く、福祉や公助を削り、自己責任論をベースにした国家像へと突き進んでいる側面があるわいな。
しかし、相も変わらず我が国の民の心の中には、天皇の赤子が住んでいる。天皇陛下を家父長とした国家という擬制の家制度にすっぽりと包まれている。その心性にリバタリアニズムはぴったりとフィットしない。そこで出てくるのがこれだね。
②ナショナリズムによる補完
リバタリアン的な政策(格差の拡大やセーフティネットの縮小)は、そのままでは大衆の支持を得にくいという弱点がある。そりゃ誰だって貧乏くじを引きたくはないんだもん。
そこで、「伝統」「愛国」「憲法改正」といったナショナリズム的な情緒を前面に出すことで、国民の結束を維持し、不満の矛先を外(あるいは特定のマイノリティ)へ向ける手法が取られることになるだろう。というか、もうなってるから安心して。
③「統治の効率化」という共通言語
両者に共通するのは、民主的なプロセスや手続きよりも「スピード感」や「決定できる政治」を重視する姿勢だ。要は「コスパ重視」「タイパ重視」という底の浅い『丁寧な議論』だ。
ここに含まれた強烈な皮肉、わかってもらえるかな?
これが、個人の自由を尊ぶ本来のリバタリアニズムとは裏腹に、国家権力を強化する方向へ向かう矛盾(オーソリタリアン・リバタリアニズム的な動き)を孕んでいるわけだ。
異なる方向のベクトルが統合されるみたいなイメージだね。
現状では、この2党の連立や協力が深まれば、経済は徹底した市場主義、効率主義を志向してゆくだろうし、その一方で社会道徳や安全保障政策は保守・ナショナリズムという、一見矛盾したハイブリッド型の国家を目指す動きが加速する可能性は高いんじゃないかな。
君はこういう「新自由主義と保守主義の合体」が、俺たち下々の一般市民の生活の質(クオリティ・オブ・ライフ)にどう影響すると思うかい?
俺のこの先の世の中の展望は暗い。星もない夜の闇のように暗い。俺たち下々の市民は、構造的に抜け出せない円高、生活必需品の高騰、そして相も変わらずの逆新型の税負担によって、ますます困窮の度合いを深めていくことになるだろう。
しかも、社会システムに起因する困窮も、結局は自己責任によるものとされ、俺たちは生産性の低い人間の屑だと自分たちを情けなく思うことに相成るだろうさ。
つまり時代遅れのセイフティーネットはほころびだらけで、物価高は放置され、税金は取られ、富裕層や大企業、あるいは経済特区に降臨した外資に投入される。
こんな「新自由主義の極北」とも言える光景が、現実味を帯びて近づいてきている。きっと気が付いたときには、もうずっぽりとそのシステムにはまって身動きもとれない。
俺たちを待ち受ける「搾取のスパイラル」を予想してみようぜ。
①自己責任論の武器化
困窮を個人の努力不足にすり替えることで、本来国家が果たすべき「生存権の保障」を免責させ、セーフティネットの解体を正当化する論理だ。生活保護受給者はぶったたかれ、生活困窮者は努力しなかったから、勉強しなかったからと困窮するのが当たり前とされるわけだ。身の回りにもそんな目にあっている人はいないかい?
②富の「上」への再分配
物価高で実質賃金が目減りし、一般市民の購買力が奪われる一方で、その裏側にある増税分や社会保険料が、大盤振る舞いの軍事力増強や「経済特区」という名の大企業・外資への優遇策(補助金やインフラ整備)へと流し込まれる構図だ。
③ナショナリズムによる目隠し
生活が苦しくなればなるほど、「国益」や「外敵への脅威」を強調することで、市民の怒りを本来の敵(格差を生む政策)ではなく、外側の対象へとそらす機能が働くだろう。
外国人は排斥される、日本に救いを求めてきた難民は厄介者として強制送還される。仮想敵を生み出して、軍事力増強と憲法改変を正当化する機運を熟成する。もう、これは現実になっている。
かつて一億総中流と称賛されたこの国に、素敵な未来が待っているのさ。
これは「自由」を標榜しながらも、実際には「強者のみが自由に振る舞い、弱者は自己責任という名の鎖に繋がれる」国家の姿だ。特に外資や特区への傾倒は、かつての植民地経済に近い、国家の切り売り(アセット・リッピング)に近い性質さえ感じさせるんじゃないか。
幸いなるかな経済的に豊かな者。天国は汝らのものなりだ。
そのうち生麦事件みたいなことが起きないか楽しみだ。
とはいえ、精強で鳴らした薩摩隼人じゃなく、今の去勢された日本人じゃ無理だろうな。

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