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| 大阪 |
そして維新の会の皆さんが、何度投票で住民に必要ないといわれてもへこたれない大阪都構想だ。過去2回の住民投票で否決されまたが、日本維新の会は3度目の挑戦に向けた動きを見せているそうな。こいつも「大阪経済特区」を作るようなものではないだろうか?
大阪都構想は「大阪全体を一つの強力な経済特区(ゾーン)として機能させるための土台作り」という側面が非常に強くって、俺にはリバタリアン的な「特区」の発想と共通しているように見えてるんだ。
そのポイントを洗い出してみると、こんな感じか。
①「特区」としての大阪都構想
一元的な意思決定(スピードアップ): 府と市がバラバラに持っていた権限を一つにまとめ、大阪全体を一つの「ゾーン」として迅速に成長戦略(IR誘致やインフラ整備など)を実行できる体制を目指している。
②規制緩和の呼び水
維新の会は都構想とセットで「国家戦略特区」などを活用し、金融やエネルギー、ライフサイエンス分野での税制優遇や規制緩和を積極的に進めています。まぁ、税制優遇ってことは、日本の納税者の納めた税金を投入してもらいつつ、その特区に来た連中は低い税率や緩い規制で大盤振る舞いしてもらえるということだ。
③統治機構の実験
既存の「市」という枠組みを壊し、新たな「特別区」という統治形態を作る試み自体が、国家のあり方を変える一つの実験的な「特区構想」と言えるだろう。
じゃ、なぜ「ゾーン」的なのかを深堀してみるべ。
通常の特区は特定のビジネス領域を対象にしているけれど、都構想は「行政システムそのもの」を成長に特化した形に作り替えるものなんだ。つまり、住民の福祉や生活は置き去りにされる可能性もあるんだ。
「二重行政の解消」によって生まれた財源やパワーを、成長戦略(ゾーンの価値向上)に集中投下するというロジックは、非常に戦略的でリバタリアン的な合理性に通じている。
これに加えて、日本維新の会 が主張する 議員定数削減は民主主義の平等性の理念に反する非常にリバタリアン的な発想だとしか俺には思えない。
まさに、こここそが「リバタリアン的な合理性」と「民主主義の平等性」が真っ向からぶつかるポイントだ。
リバタリアン的な視点では、議員定数削減は以下のように正当化されるんだろう。
①「コスト」としての政治:
政治家も一種の「コスト」とみなし、行政の肥大化を防ぐために削減を求める。つまり維新の皆さんの大好きな身を切る改革だ。しかし、円安とインフレによる影響もあり、わが国の予算は毎年過去最高を更新中だ。そんな中で議員の歳費など、嵐の中の屁の一発じゃないか。まぁ、党議拘束で自分の見識も表明できないような議員なら、いらんと言えば要らんが。
②受益と負担の適正化
「身を切る改革」によって、有権者に負担を強いる前にまず自分たちの特権を削るという論理ももちろんあるだろう。しかし、これは「民主主義の理念」から見ると、次のような重大な懸念が生じると思うのは、俺だけか?
まず『多様な意見の切り捨て』
定数が減れば、少数派の声が議会に届きにくくなり、大政党に有利な構造になるんじゃないか?
次に『一票の格差と平等性』
1人の議員が代表する人口が増えることで、有権者一人ひとりの影響力が薄まり、参政権の平等性が損なわれる可能性があります。すでに田舎の有権者一人に対して大都会の有権者は3人前というくらいに一票の格差は開いている。これはひどい。
加えて『チェック機能の低下』
議員が少なすぎると、行政(首長)に対する監視機能が弱まり、独裁的な運営を許しかねないというリスクがある。健全な野党が必要なんだ。
維新の会は「効率的な意思決定」を重視してる。もちろん、戦後最速の予算案衆議院通過をやり遂げた高市内閣もそうだろうけれどね。効率的だからといって、皆が納得する者かどうかは別の問題だ。
それは「熟議や多様性の確保」という民主主義のコストを削ることでもあるんじゃないかね。
この「効率(リバタリアン的)」か「プロセス(民主主義的)」かという対立は、維新の政策を考える上で最も重要な視点の一つと言えるだろう。
だいたい、ろくに話し合いもせず多数決だけで決めるなんて、小学校の学級会以下じゃないか?

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