2026/11/02

POST#1995 自分たちの住んでいる社会をよりマシなものに変えていくことこそが、政治的に正しいってことじゃないのかい?

名古屋大須商店街にて

昨日は日曜日だったから、死んだように眠っていたかった。眠っていたかったんだけれど、息子がドライブに行きたいっていうから。運転しながら眠っていたんだ。

谷汲山華厳寺ってい寺の本堂にある戒壇巡りをやりたいって連れ出されたんだ。わが息子ながら、酔狂なもんだ。

真っ暗な中を手探りで進むのさ。人生とおんなじだ。わざわざそんなところに行くまでもなく、いつだって人生はそんな状態なんだ。やれやれ、眠たいぜ。

さて、世界のというか主にアメリカにお住いのポリコレ大好きな皆さんは、日本の学園もののアニメを批判したり改変することよりも、自分たちが暮らす社会で、夜中の三時に女の子が一人でループに乗って大通りを走ることができるような環境を作ろうとはしないのだろうか?

そんな安全な社会を実現するのが、政治的に正しいあり方だろう?

普通に考えれば、「日本の日常系アニメのような、誰もが銃を恐れず、格差に怯えず、穏やかに暮らせる安全な社会」を自分たちの国でも実現することこそが、彼らにとっても究極のゴール=理想であるはずだ。異論のある人いる?

しかし、なぜ彼らはそれを自分たちの国で実現しようとせず、日本のアニメに文句を言うだけなのか。そこには彼らの諦めと無力さがある。

まず、「現実のインフラ」を作る能力と覚悟がない。

「どんな理想も、現実に立脚していなければ道筋を描けない」と先に書いたよね。日本のこの現状ってのは、一朝一夕にできたものじゃないんだ。日本がこの「深夜3時に女の子が歩ける社会」を維持できているのは、秀吉の刀狩りから始まり、綱吉の文治政治、そして現代に至るまで何百年もかけて、治安、医療、教育、国民皆保険といった目に見えない「社会のインフラ(ソーシャルキャピタル)」をコツコツと地道に構築してきたからに他ならないんだ。

これをアメリカやヨーロッパで実現しようとすれば、とんでもなく凄まじい大改革が必要になるだろう。どんな?

例1

合衆国憲法を改正して、全国民から数億丁の「銃」を完全に没収する。全米ライフル協会の皆さんが黙っていないだろうな。そこで待っているルートは、命がけの内戦レベルの反発が起きるという経路をたどるのは必定だろうな。

例2

富裕層に大増税をして、貧困層のための国民皆保険や医療・教育インフラを本気で整える。

けど、トマ・ピケティも言ってるけれど、これは本当にやった方がいい。資産課税も視野に入れたほうがいい。富裕層の最高税率は、この30年くらいで劇的に下がってるんだから。

例3

路上で暴行や窃盗などの犯罪をおかすものを検挙し、麻薬を売る人間を徹底的に取り締まり、治安を回復させるのも必要だろう。これはやらないといけないだろう。特に麻薬はジェームスブラウンも、パブリックエネミー№1(社会の敵だ)と歌っていたんだが、それから何十年経っても、いまだに変わらない。

これらは気の遠くなるような時間、政治力、そして血の滲むような現実の痛みを伴うことだろう。

政治的に正しい精力的な活動家の皆様には、この地獄のような現実のプロセスに挑む覚悟も、具体的な道筋を描く能力もないというのが正直なところだろう。

だから、連中は「正しさのノルマ」を設定し、それをクリアしさえすれば満足してしまうんだ。それは現実に対する敗北を認めていること以外の何物でもない。

彼らにとっての「理想の社会」とは、実は「みんなが本当に安全で豊かに暮らせる社会」なんかじゃなく、「表面的に、すべての人種やジェンダーの比率が平等に配置されている画面」になってしまっているんだ。要は誤魔化しなんだ。絵に描いた餅なんだ。

現実の社会は銃や格差を解決するのは難しすぎるから諦める。

けど、エンタメの画面の中じゃ、映画やアニメの登場人物の比率(白人何割、黒人何割、LGBTQ+何割)を無理やり変えさせることは、SNSで圧力をかければ数年で達成できるぜ、せめてここだけでもあるべき世界を構築するぞ!となるわけだ。

タワケらしい。

つまり、彼らは「現実の社会を変える」という本物の理想への道筋を描くのをサボり、「映画の配役を変える」「アニメキャラの肌の色を濃くする」という、一番手軽で安易なインスタントの理想郷でお茶を濁しているわけなんだ。そう、自己満足以外の何物でもないんだ。

だから、現実の差別や治安は1ミリも良くならないのに、「自分たちは理想に向かって戦っている」という錯覚(=脳内お花畑)から抜け出せませないんだ。幻想なんだ。

だからこそ、GDPは落ちててもお花畑のような社会を作り上げてる日本の「普通の日常」を認めたくないんだ。認めたら、自分たちが惨めになるからさ。

つまり、煎じ詰めれば彼らのプライドの問題だ。

もし「日本のアニメに描かれている世界は、日本人が何百年もかけて作ってきた現実の日常だ」と認めてしまったら、欧米の自分たちの社会システムは、経済が30年も停滞している日本の日常に完全に敗北しているってことになっちまうだろう。そう、経済成長してないくせに治安も、医療も、教育も日本の方が豊かってどういうこと?っていう不都合な真実を認めざるを得なくなるんだよ。

アメリカやヨーロッパの知識人や活動家には、「自分たちこそが世界の中心であり、最先端の文明国である」という強いプライド(欧米中心主義)が根底にある。偉そうに言っても、エスノセントリズム=自分たちがサイコー!なんだ。

そのため、「日本のような東洋の単一民族に近い国が、自分たちより遥かに安全で理想的な社会をすでに実現している」という現実を直視したくないんだ。

ミニオンズみたいな連中だしな。

だからこそ、それを「現実の日本の姿」ではなく、「人種差別的な日本人が作った、多様性のない空虚なファンタジー」という低レベルなものに格下げして叩くことで、自分たちの心の平穏を保っているという側面があるとしか考えられないぜ。

本当にその理想を実現したいなら、日本のアニメを叩いている暇があったら、自国の銃規制や貧困問題に命をかけるべきだ。

それをせず、現実から一歩も進まない「空言(画面のポリコレ比率)」ばかりを弄んでいるからこそ、彼らの運動は世界中のフツーの感覚の皆様方から「偽善だ」「お花畑だ」と愛想を尽かされ始めているんだ。

言葉狩りやよその国の文化にケチをつけることが政治的に正しいことじゃない。

あくまで現実世界に働きかけ、自分たちの手で自分たちの社会をよりマシに変えていく地道な営みこそが、政治的に正しいっていうんじゃないのか。

その営みに終わりなんかない。日本だって決してユートピアじゃない。貧困や格差もある。けれど、いきなり銃撃されてぶっ殺されたり、警察や移民局の連中に袋叩きにあってどこかに連れ去られるってことが無いだけましなだけだ。

そう、一見正しそうなことを大声で言うやつらには、うさん臭さがある。気をつけろ、みんな。