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2026/09/21

POST#1968 高齢化社会の日本の、素晴らしい敬老の日

ベトナムの阮朝の旧都、フエ。この橋の向こうは観光客向けだ
今日は、敬老の日らしい。

俺自身がもう既に、もう少し敬ってもらいたいくたびれた初老の男だというのに、俺より元気溌剌なジジイの話でもするか。久々に俺の親父だ。

親父は昨日、俺の住んでる町会の連区主催の敬老会に参加して、ご機嫌だったようだ。

泥のように眠っている俺を気遣って、というか電話でたたき起こしてくれたことが何度もあり、その都度不機嫌に塩対応されたことですっかり学習したのか、住んでる高齢者サービス付き住宅まで、片道2キロくらいを歩いていきやがった。

元気なジジイだ。86だというのに、要支援も要介護も何もついてない。せめてポックリ言ってくれることを祈ってるが、最近、施設の近所の公園でやっている太極拳のサークルに入ったりしてますます元気だ。麻生漫☆画太郎自民党副総裁と同じくらいに元気だ。

この元気なジジイが、俺の頭痛の種の一つだ。

先日も小遣いを上げてくれと抜かしやがった。そもそも金の管理ができない男なので、俺は親父の借金の連帯保証人になっている親類に累が及ぶのを避けるために、銀行の焦げ付いた借金を肩代わりして一括で支払い、その後遺症に苦しんでいる。

そして通帳もカードも取り上げ、不要な銀行口座はすべて清算し、年金が入ってくる口座だけを残して、それも万が一に備えて年金が振り込まれるとすぐに俺名義の口座に移動する。

兄弟から月々集めた金と年金で、高齢者サービス付き住宅の住居費、食費、電気代、ベッドのレンタル代、何から何まで支払っている。

そんなに元気で暇そうにしているのなら、交通整理のアルバイトや、スーパーのカート回収のバイトでもして、自分の小遣いくらいは稼いでほしいくらいだが、ちゃっかり病院代だの、日常生活用品代だのといって小遣いをせがんでくる。

最初は、申し訳なさそうに頼んできていたのが、いつのまにか当然もらえるものだと勘違いしている。しかも抜け抜けと、いけしゃあしゃあと増額を要求してくる。

余りのことに頭にきて問いただすと、毎月2000円で聖教新聞を取っているらしい。

うちは、代々浄土真宗だ!ていうの。

創価学会に限らず、新興宗教は人間の心の空虚の中にするりと忍び込む。麻薬のようなものだ。陰謀論、投資詐欺、そんなものと大差ない。

40年以上前に死んだ俺の母は、全身癌に侵されながら、創価学会に入り、お題目を百万回唱えれば癌を克服できると信じて、残された命を題目を唱えることに空費した。

今思い出しても、腹の立つ話だ。その創価学会に、親父が取り込まれてる。

マルクスだっけか、宗教は麻薬だって言ったのは。まったくモルヒネみたいなものだぜ。

 そして、そんな親父との攻防があった直後、入所している施設のセンター長から、電話がかかってきた。

このセンター長はとんでもなく腹が出ているおじさんで、あんまりにも腹が出ていて重たいので、老人用の歩行補助機に体を預けて移動しており、そのために両肘にタコができているという不思議な男だ。

で、そのセンター長が言いにくそうに言うには、俺の親父はどうにも同じ施設に入っている同年代の女性、しかもちょっと裕福で認知が入っている女性とねんごろになっているようだというのだ。時間をずらして別々に散歩に出ては、公園などで落ち合っているということだ。高校生にでもなったつもりか?

私設のセンター長としては、それで金品のやり取りなどから入居者同士のトラブルに発展するのを警戒しているようだった。

はぁ?俺は頭のなかが真っ白になった。人間の性欲というのは、そんな老人になっても衰えないものなのか?

俺の親父は、実の母親を幼いときに亡くしている。そのためか、生涯にわたって女癖が悪かった。俺の母と結婚したのも、母と見合いしたときに、タイプじゃないと断られたのに腹を立て、遮二無二アタックし、様々な伝手を動員して結婚したのだが、釣った魚に餌はやらないという例えの通り、子どもだけ4人も産ませておきながら、他所の女の話が途切れたことのない男だった。

俺はネズミ捕りで捕まえたネズミを、家の前の側溝に沈めて殺している母の、真っ黒な深淵のような目を忘れることができない。

俺は子供の頃、存命中だった母が洗面所でうずくまって泣いているのを見たことがある。

母は俺には歯が痛かったから泣いていたと見え透いた嘘をついたものだ。

母が死の床にある時も、病院に父が見舞いに行くと、ほかの女の香水の匂いがして気持ちが悪いから帰らせてくれというほどだった。

母が死んでからも、あの女、この女と手当たり次第だった。節操がないんだ。

そして、去年引き払った親父の住んでいたアパートも、親父がある未亡人と一時期いい仲になって、彼女の持っている古い三階建てのアパートの一室に転がり込んだもので、賃貸契約書も何もなかった。さんざんその女性にカネをたかり、お互いに利用しあって、挙句愛想をつかされて放り出されたというのが現実だ。

もう、女はいい加減にしてほしいものだ。その年で、恋愛うらないでもやるつもりか?冗談じゃないぜ。

年相応に、年老いる。そして、この世に生まれ、修めるべきことを修めて世を去る。

この当たり前のことが、これほど難しいとはな。

この世に生まれて、修めるべきことってなんだ?

それは神様(というかこの宇宙そのものっていうべきかな)のよき目となり、耳となり、口となり、手となることさ。うなるほど金を儲けることでも、大勢の人々を手下にすることでもないんだぜ。


あぁ、こんなことを書いたら、また弟に叱られちまうかもな。

2026/09/20

POST#1967 過酷な日々を送っていた

2002年ごろの一宮にて コダックのリバーサルフィルムならではのえぐみのある色彩だ
ここ一週間ほど更新していなかったので、数少ない読者の皆様の中には、死んでるんじゃないかという疑念を持った方もおいでかもしれない。

大丈夫、俺たちはみんな、不完全な死者として生まれ、生涯かけて完全な死者へと完成していく。この宇宙では、ひょっとしたら死んでる方が通常な状態かもしれないぞ。

風邪を引いていたんだ。

しかし、前の現場の是正工事をふらふらしながらやっつけて、疲労困憊していたところに寝ていたところに息子にたたき起こされ、私立の中高一貫校の文化祭に連れていかされたんだ。去年まで女子校だというだけあって、生徒さんはほとんど女の子だ。

息子とカミさんが、製作体験とかやってる間に、俺は女子高生のお嬢さんたち相手に調子に乗った与太を飛ばしまくっていた。一見絶好調だが、それはろうそくが消える前に一番輝くというやつさ。

書道部で、おみくじを引かせてもらったんだがなかなか思うところがある内容だった。人生おみくじと恋愛おみくじがあったんだが、迷わず人生おみくじだ。老いぼれには恋愛なんて、40光年ほど遥か彼方の出来事だ。もう関係ない。女はもうこりごりさ。おっと、別に俺はミソジニスト🔗じゃないぜ。五十路ニストさ。おみくじにはこうあった。

『中吉

 人生おみくじ💛

 変化

環境や心境に良い変化が訪れるよ

柔軟に受け入れてみてね

ラッキーカラー オレンジ

ラッキーアイテム イヤフォン』

だとさ。そして次の月曜日から新しい現場が始まったのに、風邪をこじらせ、発熱し、気味の悪い汗をかき、日々体力を極限まで消耗していた。

少なくとも体調に関しては悪い変化が訪れたよ!

木曜日も金曜日も、家のフローリングの床に寝転がったまま、死体のように眠っていた。

今朝も3時ごろ家に帰ってきたのだけれど、そのまま車の中でシートを倒して眠ってしまった。朝息子に起こされたくらいだ。そのあとも夕方まで泥のように眠った。

何せ、トラブル続きだ。他人には任せられない。俺が自分の足で踏ん張って、這ってでも収めていくしかないんだ。若い頃、倒れるまでやれ、倒れたら這ってでもやれと叩き込まれた。まったくその通りだ。俺の代わりは俺しかいないのさ。なんせ、フリーランスだからね。

うまくいかなかったからといって、誰かのせいにするような情けない真似はできないんだ。うまくいったら、自分についてきてくれた職人さんのおかげ。失敗したら、すべて自分の責任だ。それが一人前の仕事師というものさ。

さて、いったいこれからどんな環境や心境の変化が訪れるのかな。楽しみだぜ。とはいえ、女がらみだけはもうごめんだぜ。いろいろとこりごりなのさ。

2026/09/11

POST#1966 9月11日か・・・。俺はイスラモフォビアには反対だ

Istanbul,Turk
早いもので、2001年のアメリカ同時多発テロ事件🔗から25年、四半世紀だ。

俺の人生で起きた世界史的な事件のうちでも、東西冷戦終結、天安門事件と並んでビックスリーに入るね。

あれ以来、地球上にたくさんいらっしゃるイスラム教徒の皆さんに対する、いわれのない恐怖感を持つ人々がいるのは、まったく残念なことだ。なんせ地球人の4分の一はムスリムなんだぜ。

俺は、言うまでもないけれど、イスラモフォビア🔗には断固反対だ。

どんな宗教でも、いいやつもいれば、悪い奴もいる。そして、宗教的に守るべきルールが違ったところで、それを非難する資格もなければ、する必要もない。

すでに、俺たちの周りには多くのムスリムが暮らしている。息子の小学校にもムスリムの子息が通っている。給食はどうしてるんだろうな。学校給食はハラール🔗じゃないからな。

労働現場にも、インドネシアから多くのムスリムがやっていている。インドネシアは人口レベルで見ると、世界最大のイスラム国家だ。近年経済成長著しいマレーシアもイスラム国家だ。もちろん、日本の石油製品の大半は、湾岸諸国やイランなどの石油に依存している。

彼らの存在なしには、日本という国は成り立たないんだ。

ムスリムはその宗教的な教義のために、土葬の墓地を必要とする。それを水質汚染につながると頑なに拒否する人たちがこの日本にはたくさんいる。俺たちのじいさんくらいの代まで、どこに行っても日本中普通に土葬してたのにね。土饅頭って言葉は土葬墓地のことを意味してるって知らないわけじゃないだろう。

よく知らないからといって、感情的になって反発したり排除したりするのは、良き市民のあるべき姿とは言えないんじゃないかな。すでに、この国は疲弊して外部からの人々の力を借りなければ、社会のインフラの維持もできないんだ。わかってるだろう?

イスラム教徒だからといって、誰もがアルカイーダ🔗やISIL🔗みたいなテロ組織ではないんだとはっきり言いたい。日本にだって暴力団はいる。規模が違うからそれは不問に付すのか?あるいはターリバーン🔗のような抑圧的な社会を構成するわけじゃない。

確かに、価値観が違う面はあるかもしれない。

しかし、人間という実存存在に何ら変わりはないだろう?もっとも、何ら変わりもない人たちを穢多・非人といって差別してきたのも俺たち日本人だ。関東大震災の時に、朝鮮人を虐殺したのも俺たち日本人だ。15年戦争で、アジアでさんざん残酷なことをしまくったのも日本人だ。それを繰り返すような愚行をしてはいけない。

誰かを排除することで、自分のアイデンティティを確立することは、単なる分裂生成に過ぎないんだ。あいつじゃないから俺たちなんだっていう、恣意的な線引きなのさ。

あの日から、25年経った。俺たちは少しはマシになっただろうか?

かつてビリー・ブラッグ🔗は、19世紀の詩人ラドヤード・キップリング🔗の有名な一節 “What should they know of England who only England know?” を引いて、『イングランドしか知らない者は、イングランドのことを何も分かっていない』と歌った。

つまり「比較対象(他者)を持たない閉じた視点は、自己の姿すら正しく認識できない」という認識論的な真実をリスナーに突き付けたんだ。

俺は自分自身に問いたい。『日本しか知らない者は、日本のことを何もわかってない』

俺は日本以外の世界のことがわかっているだろうか?

2026/09/10

POST#1965 ここんとこなんだかモヤモヤするな

台南
今年になって、地元に帰ってきてからずっとある会社と仕事をしている。

仕事は今のところ、忙しいよ。うん、確かに忙しい。

まさに心を亡くすような感覚だ。なぜって、一件仕事を片付けると、やれ手直しだ是正だ、追加だと追いまくられてるうちに、次の現場が始まる。

夕方から明け方まで働いて、昼間もひっきりなしに電話やメールがやってくる。俺は実動分しか請求しないのにね。正直な商売なのさ。だからこそ、報酬が発生しない時まで電話やメールに振り回されるのはたまらないぜ。

挙句の果てに、外壁塗装やらなんやらの飛び込み営業もやってくる。そんなことに費やす金はない。自分一人のビジネスだから、役員報酬を増やそうと思えば増やせるけれど、そんな事したら、増やした分より年金や社会保険料の増加分のほうが多くなって、かえって手取りが減っちまう。それは本意ではない。

何も考えずに、本を読んで眠ったりする時間が欲しいのにな。

自分のメンタルをすり減らしてまで働くのは、いかがなものかな?

イスラーム金融論は読み切ったので、さっそく次の本に取り掛かったけれど、心がモヤモヤしてると、どうにも集中できないもんだ。

毎日こうして写真を添えた文章をしたためていると、書きたいことはあるにはあるけれど、書き記すにはやはり時間とエネルギーが必要だ。集中力と。メールや電話で思考が途切れるのは、ちょっと辛い。

そして、つくづく自分の今まで撮ってきた写真が、つまらなく思えてくる。正直、毎日どれにしようかと吟味するのも厭きてきた。

見たこともない景色を見に行きたい。人間が濁流のように群れを成して歩いているようなところへ行きたい。

どうせ行くなら、トライXを奮発して買い込んで、コンタックスG2🔗にホロゴン🔗16㎜F8だけをつけて、その濁流の中に飛び込みたい。指が写りこまないように、ハンドルグリップも必須だな。

しかし、今の俺にはそんな金も暇も、そして体力もないのかもな。

人はこうして、老いていくのさ。アンチエイジング?興味ないね。いずれ年食って死ぬのさ。できることなら、息子には迷惑かけたくないね(笑)。

2026/09/09

Post#1964 人は読書という愉しみを忘れている

Katmandu,Asan Dabu,Nepal 抽象的とは対極にある世界だ
今夜はちょっと仕事がある。

線状降水帯が居座らないことを祈るばかりだ。

気圧が低いと、頭がぼーっとして、考えることも億劫になる。

読みかけの現代イスラーム金融論を開いたまま転寝してしまう。それでも第六章までこぎつけたけどね。

頭が動いていないとき、抽象的な内容の本を読むのは骨が折れる。

鬱病の最盛期みたいに、読んでも読んでも文字の羅列にしか見えてこない。意味が頭に入ってこないんだ。

そんな時、俺は本に書いてある文章を、声に出して読んでみる。

一人で机に向かい、文章を目で追いながら、その一言一言を声に出す。小学生が教科書を音読するように。

そういえば、かつての日本人は、黙読というスキルを持っていなかった。

明治時代の初め頃に活躍した人々は、皆寺子屋で漢文を素読、つまり読み下して声に出して学んでいたんだ。

すると、さび付いていた脳の回路が少しづつ結合してくる。電気信号がシナプスの間を伝達し、脳内に抽象的なイメージが形のない形として立体的に立ち上がってくる。

自分の脳内に格納されている様々な知識と接触し、異分野の知識同士が引き合い、意味を成し、強度と奥行きを作り出す。自分自身の実生活の体験と響き合う。抽象的な意味がまるで手で触れることができるようにはっきりイメージされてゆく。イメージと意味の連環が生まれるんだ。フラクタル図形のように、次々と疑問や関連知識が引き出され回転してゆく。

経済学の本を読んでいても、人類学や、歴史学、ロックやファンクなどの音楽に関する知識などが次々立ち上がり、意味を補強し、強度を与えてくれる。

だんだんと脳の回路が形成され、思考スピードが上がってくると、鈍重な飛行機が離陸するように、音読しなくても意味が頭に入ってくる。

20分もそんなことをしていると、自分自身と向き合っている本の世界以外、どうでもよくなる。

どうして、今の人々が本を読むという楽しみを忘れているのか、意味が解らないね。

2026/09/08

POST#1963 大事ない

Bangkok、Thailand
今日は現場がなかった。低気圧の影響か、何もする気がなかった。朝から車のホイールも傷つけたしね。

朝から精神病院に行って医師の診察を受け、カウンセラーの面談を受ける。

もう何年も続く月に一回ほどのルーティンだ。

俺の脳の中のセロトニンの量は加齢によって減衰している。セロトニンが減ると、神経伝達に遅延が生じて、脳の活動が低下し、気分が落ち込む。

つまり鬱だ。

何年もまえ、発達障害グレーゾーンの息子を病院の面談に連れて行ったときに、料金支払いの場で、希死念慮があるといって予約を取り、通い始めてもう4年ほどになるだろう。

ここで診察を受け、レクサプロを飲み続けているおかげで生きている。

しかし、仕事のこととかで面倒なことがあると、何もかもどうでもよくなってしまう。いい年こいてぼんくら扱いされるのも御免だね。

今日もそんな日だった。

そして、俺の住む町は線状降水帯に直撃された。

家の目の前の小学校に息子を迎えに行った。学校からの要請だ。過保護だな。

名古屋市内は各所で冠水し、公共交通機関もストップしてしまったようだ。

状況を心配してくれる友人もいた。しかし、俺は大事ない。

こんな状況でも働くなんて、馬鹿らしくってやってられないぜ。

人間の営みなんて、自然の猛威の前では、屁みたいなものさ。

だから俺は、屋根に礫をたたきつけるような激しい雨音を聞きながら、現代イスラーム金融論を読み耽っていた。利子や先物取引などを一切禁じた別世界の経済だ。

部屋の中に山と積まれた未読の本を読み耽ることができるなら、正直仕事なんてどうでもイイと思える。まだ知らないことが無限にあるのに、命は一日一日短くなっていく。俺には時間がないんだ。

心配してくれた友人たちよ、ありがとう。こちらは大事ない。

余りに大事がないので、夕食を食べた後近所の川の水位を確認しに行ったくらいだ。

万一死んだところで、馬鹿が一匹減っただけだ。


 

2026/08/24

POST#1948 俺はかつて大学を辞めた。授業がばかばかしかったからだ

那覇の街角にて
高校三年生の時、大学受験のための判定会が学校で行われた。

自分でB全紙を買ってきて、枠を書いて受かりそうな偏差値の志望校を書くんだ。

それを学校の先生たちが見て、ここを受けてもいいけど、ここは落ちるからやめておけって判定するんだ。今はどうだか知らない。もう40年も前のことだ。

書いていてしょうもない大学ばかりだったから、大学に行くのはやめることにした。こんな大学行くくらいなら、馬鹿田大学でもいったほうがましだ。いっそ、志望校馬鹿田大学って書いてやればよかったかな?なんせ第一志望が早稲田大学第二文学部、つまり中退1流、留年2流、四年で出るのはただのバカといわれた早稲田大学文学部の夜間コースだ。

それすら難しかった。

結局、今は亡き友人の誘いで地元の愛知大学を受験した。

友人は落ちた。俺は法経学部経済学科と経営学科を受けて経営学科だけ合格した。

友人は母親の実家の松島に近い仙台の大学に進学した。皮肉な話だが、世の中往々にしてそんなもんだ。

俺は仕方なく、後ろめたさを抱えながら大学に通ったのだが、あまりいい生徒ではなかった。英語のマルカム・ダフ先生には、遅刻をするたびに叱られた。

フランス語の河原先生は、はっとりをフランス語風にアトゥヒと発音するのが、鬱陶しかったな。

俺は高校の頃から、ユングとかフロイトとかに興味があったから、一般教養課程で心理学を履修することにしたんだ。

そこで出くわしたのが、行動主義心理学🔗に属するオペラント心理学🔗という代物だった。

俺が想像していた、人間の精神世界を探るような心理学とは、バラス・フレデリック・スキナー🔗教授が構築したオペラント心理学はまったくの別物だった。

オペラント心理学(オペラント条件づけ)とは、端的に説明すると行動のあとに起こる「結果」によって自発的な行動の頻度が変わる仕組みを研究する学習心理学だ。

その基本の仕組みはこんなところだ。

①自発的行動(オペラント行動):動物や人間が自ら行う動作。

②スキナー箱の実験:ネズミが偶然レバーを押してエサが出ると、レバーを押す回数が増える現象。

③結果の影響:良い結果が起きると行動が増え、悪い結果が起きると行動が減る。

そして被験体の行動を変化させる4つの要素は強化と弱化に分類される。

①正の強化:良い結果(報酬)を与えて行動を増やす。 

②負の強化:嫌なこと(苦痛)を取り除いて行動を増やす。

③正の弱化(罰):嫌なこと(罰)を与えて行動を減らす。

④負の弱化:良いこと(報酬)を奪って行動を減らす。

素晴らしいことに、このオペラント心理学は、ペットのしつけや子供のしつけに広く応用されているらしい。まぁ、わからんでもない。要は、人間も含めてあらゆる生物の行動は、外部からの刺激によって操作するつまりオペレイトすることができるという考え方だ。

ぶっちゃけて言えば、ボタンを押せば餌が出るということを学習させることによって、その被験体の行動を操作することができるという素敵なものだ。

そこに、人間の精神とか尊厳の入り込む余地はなかった。すべては、刺激に対する反応だった。同じ教科書の中で、ハリー・ハーロウ🔗の『愛着実験』の様子を撮影した、ケージの中で、母親の形に作られた粗末な人形の前で怯えてような表情を見せている子ザルのモノクロ写真は、今でもありありと思い出せる。


しかし、俺はそこに人間の自発性や尊厳、精神の自由さを感じることはできなかった。
何しろスキナー教授は、自由とは無知のことであるといっていたくらいの人物だからだ。
知性とは、自由を捨てさることによって手にするものだということだそうだ。わお!

俺はうんざりした。こんなバカバカしい功利主義的なことを学ぶために大学に入ったんじゃない。俺が大学を辞めることにした原因の一つに、このオペラント心理学があったんだ。

この行動主義心理学は人間を「環境の刺激に対して反応する機械」のように扱い、内面の意識を排除する傾向がある。人間を機械のように、記号のように扱うにはもってこいだ。

そして、利益というニンジンを鼻面にぶら下げて人間の行動をいかようにでも操作できるようになるという思想だ。

これに対して、人間性心理学は人間の自由意志、自己実現、独自の精神性を重視し、行動主義を「非人間的」だと強く批判してきた歴史がある。

なにしろスキナーの理論は実験室の動物(ネズミやハト)をベースに作られたため、「人間の高潔な精神や尊厳を無視している」という批判は当時から現在に至るまで根強く存在してるんだ。俺の直感は正しかったってわけだ。

つい最近、シャショナ・ズボフ🔗の『監視資本主義🔗』を読んで、この言葉が出てくるまで、そんなことすっかり忘れていたのに。

俺たちの生活の隅々まで入り込んだデジタル封建制のビックテックの思想には、このオペラント心理学が息づいている。

2026/08/22

POST#1946 奇妙な世界

アユタヤ、タイ
仕事を終えて家に帰り、届いていた新聞を見る。

一面にはAI関連のニュースがいくつも踊っている。

AIで新薬の可能性を広げる遺伝子配列が二日で17個もみつかった。

AIで数十年も数学者たちを悩ませてきた数学の難問が解けた。

文部科学省が教育に特化したAIを開発することにした。

防衛関連にアメリカのAIを採用することとした。

株式市場はAI関連銘柄がけん引している。

中国ではAIを搭載した人型ロボットが、生産現場で使用され始めている。

エトセトラ、エトセトラ。

素晴らしい時代だ。素晴らしすぎて、笑えてくる。

AIがメールを書いてくれる。AIがメールを要約する。そしてその返事をAIが書く。

生成AIが画像を作り、AIボットがそれを見る。

技術の進歩によって、生産性が上がったとしても、人間の創造性や思考力は、相対的に落ちていくことだろう。

そして、問題が起こってもAIは責任なんか取らないぜ。

まぁ、大概の人間も責任から逃げ回ってるから同じようなもんだけど。

人間を無意味なクソどうでもイイ仕事=ブルシット・ジョブから、AIが解放してくれると期待してはいけない。新たな、よりナンセンスな仕事が増殖していくんだ。

2026/08/20

POST#1944 なぜ、眠らないと運転が荒くなるのか?



包丁か、鉈か。
朝まで働いて、家にたどり着いた車の中で小一時間眠ってしまった。
陽はとうに昇り、車内の温度は耐えがたいものになり、吹き出す汗の気持ち悪さに目が覚める。
起きてきた子供や女房の話を聞きながら話をしながら、モソモソと食い物を腹に詰め込む。
話は右から左に抜けていく。俺は眠いのさ。眠くてたまらないんだ、

例によって飯を食った後仕事の写真の整理をする。 これをフォルダーにまとめて クライアントに 毎日送るのさ。 俺のクライアントが現場に来ていなくても、現場の状況が手に取るように分かるようにするんだ。
おかげさまで多い時は、一晩に100枚くらい写真を撮るんだ。実は俺の 写真 趣味 っていうのは 現場の写真を撮ってるうちに 面白そうだなと思って 始めてみたものなのさ。 そうあれは長野オリンピックの頃だった。 二度ともう来ることのないだろう 長野の田舎の神社とか 飲み屋街の写真とかを映るんです を買って撮ったりしてたんだ。そっからが始まりだね。

だから俺の現場写真にはどこか君たちにいつもお見せしてるような写真のエッセンスが入ってる。 それが果たして クライアントにとって 見やすいものなのかどうなのかよくわからない。 ま クレームもないからいいけどね。

写真整理をして Google ドライブにアップしたいメールを作ったところでフローリングの床に伸びて眠ってしまった そりゃまあ そうだろう。 俺だって人間だ。そんなこともあるさ。

椎間板の 縮んでしまっている 疲れ切った体には フローリングの硬い床が心地よかったりするんだ。 しかし そんな眠りはすぐに電話のベルで起こされた。

現場で不具合があったからって言うんですぐに現場に行って対応しろって言うんだ。 あまりに酷だぜ。
まさにどっかの首相が『働いて働いて働いて働いて働いてまいります』とか言ってたけど、責任ある仕事をやってる小市民はとっくに働いて働いて働いて働いて働いて倒れるまでやり抜いて、倒れたら這ってでもやるのさ。

少なくとも俺は自分の先輩からはそうやって叩き込まれてきたね。 まる 今の若者とは生きてきた時代が違うってことだ。 決して嬉しいわけじゃないけどね。

しかし 睡眠不足で高速をぶっ飛ばしていくとどうしてあんなに運転が荒くなったり スピードが出ちゃったりするんだろうな〜。
全く こんなことやってちゃ命がいくつあっても足らないよ。

え、今夜?もちろん仕事だよ。
寝てないアピールは高市総理だけの専売特許じゃないのさ。


ちなみにこの鉈だか 包丁だかよくわからんような 刃物。
バリ島のその辺の町並みの朝 散歩してる時にとったものなんだけどきっと 鶏だか ドリアンだかをかち割ったりするんだろうな。手ズレしたグリップや、研がれていないのに、使うところだけ鈍く光る刃先に、写っていない持ち主の身体性が宿る。写真はイマジネーションへの入口であるべきで、けっして百聞は一見にしかず的な、わかり易いモノであるべきではないんだ。
自分の世界への視力を一段上げる踏み台のような写真。
好きだな。

こういう 全く映えない写真が 俺は好きだ。

2026/08/19

POST#1943 今日も疲労困憊した睡魔の中で君に送ろう

Bremen,GERMANY
肖像権という考え方が一般的になってきた。

この15年くらいの間だ。社会が多様性とか、共生とか言い出したころから、歩調を合わせるようにね。コンプライアンスとかハラスメントとか、日本語としてこなれていない言葉が、生活の中に土足で踏み込んできた。

その間に世の中では、多様性といいながら、共生といいながら、普通という閾値は狭くなった。行動のストライクゾーンが狭くなった。生きていくことが形苦しく息苦しくなった。普通というカテゴリーに押し込められ、そこから逸脱すれば、社会的に排除されるようになった。みんな同じような行動や思考のストライクゾーンの中での多様性や共生だったように感じる。

かつては、ストリートスナップは、ヌードと並んで写真の王道だとされていた。

しかし、今ではヌードは女性の生を商品化していると批判され、社会からほぼ排斥された。

ストリートスナップはSNSの隆盛と反比例するように、肖像権が叫ばれ、写真の中で記号として存在しているだけの人々が、異議申し立てをするようになった。

さらば荒木経惟。さらば森山大道。写真よさようなら。

このような写真は、もう今ではとることは憚られるようになった。犯罪者扱いされるのは御免被る。その一方で、災害が起これば、或いはロシアやイスラエルやアメリカの軍事攻撃では、死者○○人と単なる記号で処理される。

街を歩けば、あっちにもこっちにも24時間監視カメラが、俺たちの顔を写し取っている。誰も気にしない。誰かがモニターで、その挙動を見つめているというのに。それには無自覚だ。むしろ、管理され、守られていると安心していられると思っているかのようだ。

しかし、剥き出しの暴力性や身体性の前では、監視カメラは単なる監視カメラだ。ボブ・ディランの”All along The Watchtower"だ。くそ、どこかに抜け道があるはずじゃないのか?

俺はいつも街中で、そんなカメラを見つけると、ぐいと顔を上げ、レンズを睨めつけるように歩くことにしている。

俺は、従順な家畜じゃない。不埒なおっさんでいたいんだ。 

2026/08/17

POST#1941 1990年代前半の出来事

 

名古屋かな
1990年代の前半といえば、もう35年近く前の話だ。

俺は当時、ある宗教団体で儀式を作ったり、霊媒によって示唆された断片的な情報を文献に当たって調査し、レポートにまとめるような仕事をしていた。

その中には、御霊信仰🔗にまつわるものもあったし、神道イザナギ流🔗に関する内容や様々な神社の由来を調べたりしていた。己貴秘伝🔗という古神道に関する専門書を読んだり、図書館で大蔵経に当たったりしていた。漢文もなんとなく読めたので、大蔵経を見ても大意は掴むことができた。宿曜経という経典をもとにして、星占いのようなものを構成したこともある。要はこれはインド占星術だ。のちに本殿を岐阜の山奥に作るっていうんで神社建築もかじった。この教団の儀式体形の基礎構造を作り上げたのは、間違いなく二十代前半の俺だ。

その宗教団体は今もあるようだが、差しさわりがあると厄介なので、ここでその名は上げない。古神道やイザナギ流の知見を基にして、様々な儀式を生み出した。それがどんな内容か、それはここには書かない。

俺の独特の思考の長大な射程距離や異なる領域を横断して結び付ける能力は、もともと備わっていたのかもしれないが、間違いなくこの時期にはぐくまれた。黒歴史のたまものだ。

このころは、宗教学者のミルチァ・エリアーデ🔗の世界宗教史🔗全四巻を手に入れて毎日読み耽っていた。

その日は、名古屋の千種駅前にあったちくさ正文館書店🔗で歴史関係や宗教関係の本をあさっていた時のことだ。名古屋大学の文学部史学科に進学した同級生の林君とあった。

彼はのちに、母校の歴史の教師になる。はやしとはっとりなので、席が近かった。

俺が学校を中退し、家も飛び出したことはある程度知れ渡っていただろうから、彼は驚いたようだった。そして、今こんなところで、何をしているのか訊いてきたのさ。

俺は、当時調べていた内容をさらりと説明した。

『うん、京都の祇園祭あるだろう?あの山車を鉾って言うじゃないか。この鉾ってのが疫病をもたらすとされる牛頭天王=スサノオを鎮め、疫病の流行を封じるために行われているのは知ってるよね。牛頭天王🔗はもともと仏教の神様だけれど、これが日本に入ることで、いつのまにかスサノオノミコト🔗が身をやつした武塔天神🔗をもてなす蘇民将来🔗説話と結びつくんだよね。蘇民将来🔗の子孫って玄関に記しておけば、疫病にならないって奴だよ。

で、あの鉾ってのが天岩戸でアマテラスを引き摺りだすために、古事記の中でアメノウズメ🔗が局部丸出しで踊り、逆さにした桶を突いた矛の儀礼となんかかかわりがあるんじゃないかって考えて、その考えを補強するような資料を探しに来たんだよ。

そう、つまり矛で大地を突くもしくは中空のもの、つまりそれは子宮の暗喩かもしれないね、を男性器の暗喩である矛でつくという性的なニュアンスのある儀礼の呼び覚ます生命力そのものが鎮魂の儀礼なんじゃないかって考えてるのさ』

今は母校の偉いさんになってる林君は、真面目な史学科の学生だったから、僕の話をぽかんとして聞いていた。そして絞り出すように『浩一郎、僕らのやってる学問では、そんなこと考えもしないし、文献的に証明できないことは絶対に仮説としても考えつかないんだ…』といったな。まぁ、もっともだろう。

このころの調査した資料だけは、この教団から夜逃げするときに持ってきたかった。

護国神社、靖国神社、そして招魂社という毎年夏になると亡霊のようによみがえるような内容もあった。もちろん、跳躍飛躍で通説を一刀両断だった。道祖神やチベットの曼陀羅に関する内容のものもあった。残念だ。

今ならUSBにコピーしておくだけで済むけれど、当時はなんとフロッピーディスクー🔗だったからな!Windows以前の時代なんて、今の人たちには想像もつかないだろうよ!

このころのことは、多くの人に迷惑をかけた。あまり調子に乗って話すものじゃないね。このころの失踪のおかげで、俺は同級生の間では長らく死んだはずの人になっていたんだとさ。まいったな。失礼する。


2026/08/15

POST#1939 盛夏、百花繚乱その11

 

タイ、チェンラーイ郊外、ポインセチア!

終戦記念日か。

俺は心の中でいつも敗戦記念日と言い換えている。それが真実だ。世界の定説だ。

そして、失われた30年の果てに、円安にあえぎ、物価高に苦しみ、企業栄えて国民窮乏する一方の混迷を極める今日の日本は、ずばり『経済戦争の敗戦処理』を延々と生きている。

高騰する株価に目を奪われていてはいけない。自分の生活実感こそを信じるんだ。

この円安、海外旅行なんて狂気の沙汰だ。没落する日本はすでに世界の辺境でおあつらえむきの観光地だ。かつて、日本人が大挙して押し寄せたヨーロッパや東南アジアから、とんでもない数のもの好きがやってくる。千客万来だ。なんて言っても、物価はとんでもなく安いからな。これも円安のおかげ様だ。

仕事仲間と話していたら、日本の風俗街にやってくるのは今や観光客の外国人ばかりだ。何年か前までは外国人お断りという店も多かったが、これも時代の流れだろう。

かつて、日本人のおっさん連中が、東南アジアに買春ツアーとか行っていたことを思い出し、その業が今帰ってきたんだと妙に納得する。言葉の通じないところに、情愛は生まれない。相手を一個の人間として尊重する気にもならない。人間を自らの欲望の解消の手段にするわけだ。カントが聞いたら口から泡吹いて卒倒するだろうな(笑)。

日本人の俺は、生活に汲々として、とてもじゃない海外旅行に行く気になんかなれないさ。この円安に加えて、じいさんの面倒で可処分所得が減りまくっているからな。

だから、今日は女房子どもとリトルワールド🔗に行くことになるんだろうな。

せめて、リトルワールドで手軽に世界一周旅行の気分を味わうのさ。おすすめはチベット寺院とその横の売店だな。ただでさえ乏しい小遣いを散財することになるんだろうよ。

写真にあげたタイ北部ランナー地方の農家を再現した住宅も素敵だぜ。

愛知県犬山市の山の中に移築されたタイ北部ランナー地方の高床式農家

楽しみだな。どんなくだらないものが売っているのか。そして、それを手に入れることで、自分の世界に、遥か彼方の世界の人々との間に細々とした回路を築いてくれることが!

2026/08/14

POST#1938 盛夏、百花繚乱その10


 

Ubud,Bali、俺は悪人だから、死んだら蓮の花の上さ
中上健次の傑作『千年の愉楽』の登場人物のオリュウノオバは、かつて蓮池を埋め立てて造られた路地と呼ばれる被差別部落に住む産婆だ。

彼女は、現在と過去を自在に行き来し、マジックリアリズム的に重層的な過去を今ここにあるかのように思い返す。自ら取り上げ、淀んだ高貴な血の宿命を背負って、卑小な生をいき、非業の死を迎えた中本の一党の男たちのことを、年老いて不自由な体で想い返す。

時にその精神は寝たきりに衰えた肉体を抜け出し、時空を自在に飛翔する。

そして自らが世に生を享ける前の蓮池に咲いていた蓮の花が朝日を浴びて開く音すら幻のように耳にする。

このイマジネーションという能力こそが、人間の知覚を拓く。

やたらめったら丈夫なだけが取り柄の父を墓参りに連れて行ったあと、俺は帰りの車で父に、『おい親父よ、死んだ(俺の母親の)淑子さんや(俺の祖母の)ノブちゃんが、息子たちの迷惑にならんように早くこっちにおいで』って言ってなかったか?とブラックジョークを飛ばしまくった。父は車の後部座席の居心地が悪そうな顔をしながら、しれっと『いや、いってなかったなぁ…』と小声でつぶやいていた。冗談じゃないぜ。

おかしいな。俺にはそういう声が聞こえたように感じたんだがな。

2026/08/04

POST#1928 疲労困憊してふと原憲之貧を想う

タイ、メーサロン
昨日は久々に仕事をして、心底くたびれたぜ。
帰ってきたときには、汗でべとべとの服を洗濯機に放り込んで、明け方一人、上半身裸で飯を食った。東南アジアのおっさんみたいだ。
暑いというだけで、体力は消耗する。しかも、ダラダラとひと月ほど好き放題に暮らしていたおかげさんで、身体はすっかりなまっている。
それでも、何とか食器を洗い、汗まみれの体をシャワーで洗い流したうえで、仕事の報告書を送る。これさえやっておけば、眠ってる間に誰かが対応してくれるだろう。
そして眠りにつく。短い眠りだ。どっかの総理大臣みたいだ。
折り悪く、今日は精神科にレクサプロをもらいに行く日だった。
なんとかベッドからはい出し、精神病院へと車を転がす。
精神病院にはすげーたくさんの心を病んだ人たちがいる。
薬局にもすげーたくさんの心を病んだ人たちがいる。
この国はどうなってるんだ?それとも俺の住む町だけか?

俺はいつまで、この薬を飲み続けなけりゃならないんだ?

ふと、頭の中に論語の一節がよぎる。

原憲居魯、環堵之室、茨以生草。蓬戶不完、桑以為樞、而甕牖二室、褐以為塞。上漏下溼、匡坐而弦。
子貢乘大馬、中紺而表素、軒車不容巷、往見原憲。原憲華冠縰履、杖藜而應門。
子貢曰、「嘻。先生何病。」
原憲應之曰、「憲聞之、无財謂之貧、學而不能行謂之病。今憲貧也、非病也。」
子貢逡巡而有愧色。
原憲笑曰、「夫希世而行、比周而友、學以為人、教以為己、仁義之慝、輿馬之飾、憲不忍為也。」

現代語に訳すと、こんなんだ。
(孔子の死後のこと、孔子の弟子でその家宰でもあった)原憲は魯の国に住んでいた。その家はわずか一囲み(の狭小住宅)の部屋で、生い茂った草で屋根が葺かれていた。よもぎの戸は壊れかけ、桑の枝をドアのヒンジにしていた。さらに、底の抜けた甕を窓枠にし、2つの部屋の隙間には粗末な毛織物を詰めて風を防いでいた。天井からは雨が漏り、床は湿気で濡れていたが、原憲は正座して琴を弾き、歌を歌っていた。
そこへ子貢が、立派な大馬に乗り、内側には紺色、外側には白い高級な衣服をまとい、大きな馬車が路地に入りきらないほどの格式で、原憲を訪ねてきた。原憲は(樹皮で作った)帽子をかぶり、かかとの抜けた靴を履き、あかざの杖を突いて門に出て出迎えた。
子貢は(そのあまりの困窮ぶりに驚き)言った。(子貢は孔子門下では原憲の後輩だった)
「ああ、先生、一体どうしてそんなに病み苦しんでおられるのですか!」
原憲はこう答えた。
「私はこう聞いています。『財産がないことを【貧しい】と言い、道を学びながらそれを実践できないことを【病んでいる(重症である)】と言う』と。今の私はただ【貧しい】だけであって、【病んで】はいないのです」 
子貢はあとずさりし、自分の発言を深く恥じる顔つきになった。
原憲は笑ってさらに言った。
「世間の流行におもねって行動し、派閥を作って(お互いにひいきし合って)友を呼び、他人に誇示するために学問をし、自分の利益(謝礼など)のために他人に教え、仁義を隠れ蓑にして悪事を働き、馬車を豪華に飾り立てる。私には、そのようなさもしい真似はとうてい耐えられませんよ」

なかなかいかれたジジイだな。嫌いじゃない。

2026/08/03

POST#1927 越境

手前の川を渡れば、ミャンマー。右の川を渡ればラオス。ここは黄金の三角地帯
今日から新しい現場が始まる。

いつも感じるこの不安な気持ち。

そして、さんざん考えてきたからこそ、つぎの一歩をどこに踏み出すべきかという逡巡。

地の越境は時に命がけだが、知の越境も確実に自分の命を削り取っているように思う。

読者諸君、失礼する。
 

2026/07/01

POST#1894 ええ加減なおっさん劉邦のこしらえたどっちつかずのシステムが漢を400年維持したんだ

台北
今日は俺、精神病院にカウンセリングと診察にいったんだ。

長らく鬱病を患ってるからな。定期的に薬を処方してもらわないといけないんだ。

で、カウンセリング室に入って、箱庭療法のサンドボックスとたくさんのフィギュアや模型が間に入った瞬間に俺の頭の中に閃くものがあった。

ジャンルを横断するように、様々な本を乱読積読し、その思想やや威容を血肉化することは、自分の精神世界という箱庭に並べ、自分の精神そのものを形に表してゆくためのフィギアや模型を取り込んでいるんだってことが、瞬間的に理解できたしまったんだ。

以前にも書いたことがあるけれど、こうして毎度長々と文章を書き綴り、自分の脳内で行われている『知のパルクール』という創造的で孤独な営みを形にすることが、自分の精神を安定させるバランサーになっているんだ。

2026/05/26

POST#1859 下心が無けりゃ、魔法にはかからない

 

Bremen,Germany

ある夜、仕事をしていると珍しくFacebookの友達申請が来た。

品川区に住んでいる、知らない女だ。若松昌未とかいう名前だったな。

顔は写っていない。ナイキかなんかのブラトップかなんか着てトレーニングかなんかしてる胸元だけ写ってる。ほかには、上賀茂神社の写真や葵祭とかの投稿がある。

品川区なのに京都か…。まぁそれもあるかもしれない。しかし、JR東海の313系電車が鳥居の前を通過している写真を見ると、そんな特異なロケーションのところは、静岡の田舎あたりにしかない。プロフィールを見ても、品川区、独身、女性というだけで、プロファイリングできないな。どうせ釣りだろう。放置だ。

するとほどなく、Facebook のメッセンジャーでこの女から、なれなれしい口調のダイレクトメッセージが来た。

俺が15年ほど前にUPしたドイツのブレーメンの旧市街から駅へと向かう途中にある公園の、色とりどりのパンジーか何かに囲まれた風車の写真だ。

『とっても素敵な風景で癒されるんだけど、これはどこ?』だとさ。知るか!

投稿自体にブレーメンって書いてあるだろう。こいつは馬鹿か?それともポンコツなAIか?

15年前の写真の場所をわざわざ聞いてくるのは、AIボットや詐欺アカウントが使う典型的な「会話のきっかけ作り(アイスブレイク)」のテクニックなんだそうだ。

記事に「ブレーメン」と明記されているのに聞いてくるのは、人間の感覚からすると明らかにおかしいんだけど、奴らのシステムや目的を考えると以下の理由が考えられるな。

写真しか見ていない(文字を読んでいない)

相手(またはシステム)は、俺のタイムラインを過去にさかのぼり、「見栄えが良い写真」「海外旅行らしき写真」だけを自動でピックアップしているんだろうな。

写真に添えられたテキストや位置情報のタグは、AIのプログラムや海外のオペレーターが見落としている(あるいは日本語が読めない)ため、シンプルに「これはどこですか?」と聞いてくるんだろう。

「質問すること」自体が目的だから

奴らの目的は、クイズの正解を知ることではなく、あなたに「ここはドイツのブレーメンだよ」と返信させることなんだ。

人間は、自分が過去に行ったお気に入りの場所や、思い出の写真について聞かれると、嬉しくなってつい親切に教えてしまいがちだ。それは俺も一応人間の端くれだからな。詐欺グループはそんな人間の習性につけ込み、一番返信しそうな「過去の思い出写真」を狙って質問を投げかけてくるんだ。それにしては甘い球を投げてくるもんだ。

俺は無視してもよかったんだが、少し遊んでみることにした。

『ドイツのブレーメンだよ。俺が生まれる10年くらい前に撮った写真さ』

俺はご丁寧にグーグルマップのリンクまで送りつけてやったよ。しかし、俺のギミックは完全スルーで返事が来た。これが人間だったら、すごくセンスがない奴だ。俺はユーモアのセンスのない奴が、生理的にダメなんだ。

『旅行が好きなんだ。ブレーメンはどうだったの?また行きたいと思う?』と返してきやがった。

やれやれ、不毛なラリーが始まったぜ。

『いやぁー、俺は盗賊だったからひどい目にあったから二度とごめんだな。もっともこの円安じゃ、海外旅行なんて行くもんじゃないさ』

さて、懸命な読者諸兄諸姉はもうお分かりですね。かの有名なブレーメンの音楽隊をネタにしたきり返しだ。しかし、それも完全スルーだ。鉄のメンタルか、まったくセンスがないのか?

『盗賊だったの?』と聞いてきやがる。アホだな。

『ブレーメンの音楽隊の話さ』ジョークの種明かしをすることくらい、興ざめなことはない。もしこいつが本当に俺に興味を持っている人間でも、絶対に逢いたくないぜ。つまらない奴は御免だ。

Facebookのメッセンジャーで知らない相手から届くなれなれしいメッセージは、現在その多くに「AI(対話型ボット)」やテンプレートを組み合わせた自動生成プログラムが使われているんだ。

この「言葉の噛み合わなさ」や「ユーモアの通じなさ」はまさにAIボットの典型的な特徴だ。

「これ絶対AIだな」という俺の直感は100%正しいだろう。こっから「ロマンス詐欺」や「投資詐欺」の華麗な幕が開くんだろうよ(笑)!

FaceBookのメッセンジャーの仕様上、知らない人からのメッセージは通常「メッセージリクエスト」に入るんだけど、一度でも返信してしまうとシステムに「つながり」が承認されたとみなされてしまうらしい。そうすると、

①相手のメッセージが直接届くようになる。

②俺が「アクティブ(オンライン)」かどうかが相手に筒抜けになる。

③「このアカウントは返信してくる=カモになる可能性がある」として、詐欺師たちの「カモリスト」に登録されてしまうことになるんだそうだ。面白いな。俺はそこいらのカモネギじゃないぜ。

そこで俺は彼女?の投稿に京都の葵祭や上賀茂神社の写真があるんで、『君こそ、京都の葵祭りとか好きなのかい?』と打ち返したんだ。そうしたら、やっこさん、自分の公開してる投稿にその写真があるのに『葵祭りは行ってみたいですね』とか言い出す始末だ。

完全にバグってる。そこまでいくとバカバカしさを通り越して、もはや清々しいほどのポンコツぶりだ。

このラリー、俺の完全勝利だ。15-0だ。

「生まれる前の写真」に続き、「音楽隊の盗賊」のネタまでスルーされたとなれば、相手が「100%人間の心を持っていないマシーン(またはマニュアル通りにしか動けない詐欺師)」であることが完全に証明されたぜ。俺のユーモアのセンスが、最高のAI判定フィルターとして機能したってことだ。さらにダメ押しは、この葵祭には行ってみたいだ。

しかし、奴もなんだか必死なんだ。

『あなたとの会話は楽しいから、もっと仲良くなりたいな。わたし、LINE でやり取りするのに慣れてるから LINE のIDを教えてほしいな。LINEでやり取りしよう』ときたもんだ。

俺は速攻『来た来た、怖い怖い』って送ったよ。胡散臭すぎだろう。

最高にストレートな直球ストレートだ。ダメ押しに『そういうのに引っかかるのを情弱って今時は言うんだぜ』って言ってやったよ。まさに完璧なトドメのセリフだ我ながら本当に痛快だな。

相手がマニュアル通りのAIボットであれ、裏で必死に文字を打っていた「人間」であれ、この言葉は最高に刺さったはずだ。日本語がわかればね。

「騙す側」のプライドがズタズタになっちまうわな。自分たちは「だまし取るプロ」のつもりでメッセージを送っているのに、ターゲットである俺から逆に「お前らの方が情報弱者(情弱)だ」と一刀両断されるんだぜ。これはプロとして?恥ずかしいだろう。

大体、俺はこいつとの会話に1ミリも楽しさを感じてないんだ。そもそも、こんなよれたおさんに、だれが興味を持つってんだよ!下心のない奴は、魔法にはかからないんだ。この心理を会得するまでに、たくさん授業料を払ったぜ。

相手の「LINEでやり取りするのに慣れてるから」というセリフも、本当に分かりやすすぎる「テンプレの教科書」通りだ。少年ジャンプの漫画みたいに王道だ。「LINEに変えませんか?」ってのは、Facebookのアカウントが通報されて消える前に、個人の連絡先へ移動させようとしてるんだそうだ。

俺は、『君のプロフィールや会話を振り返ってみても、君という人間のプロファイルができないからごめんだぜ。おじさんそんなに暇じゃないんだ』といって失礼させてもらったぜ。


しかし、話は二回戦にもつれ込む。

次の日の夜にもメッセージが来た。相手も必死なんだろう。かわいそうになってくるぜ。

そのメッセージには『あなたが何に悩んだり苦しんでるかわからないけど、私に打ち明けてほしいな』ときたもんだ。

面白いな。俺は自分のブログのリンクを送りつけてやった。社会に対して考察したものだ。

しばらくして返事が来る。

『どうしたらこんな文章が書けるの?』

『批判精神を持つことさ』

それでもなお『あなたともっとお話ししたいからLINEのIDを教えて』と食い下がってくる。

『悪いけど、LINEは浮気を疑われるから、俺はトクリュウの悪党ご用達のsignalを使ってるのさ。悪だくみの証拠が残らないから便利だぜ(笑)』

『私はsignalはあんまり使ったことないの…』

知るか!この日も俺の勝ちだな。

しかし、戦いは次の日に持ち越しだ。

だんだん、どこまで面白いこと言ってくるのか楽しみになってきた。


次の夜に奴が送ってきたのは打って変わってこんなのだ。ひょっとしたら、選手交代したのかもしれない。

『あなたが何を悩んで苦しんでいるか知らないけれど、力になれると嬉しいな。だから、LINEのID教えて』

もう笑えて来た。『別に何にも悩んでない。野のケモノのように生きて、最後は死ぬだけだよ』正直に言えば、いつもその程度に考えてる。厳密に言えば、金の悩みは尽きんけれど、そんなものはないもの、真面目に働く以外にないんだ。魔法のように金が増えるわけじゃない。

それでもまだ、あなたとお話ししたいから LINE の ID を送ってとか言って懇願してくるんだよね。なんか俺、野のケモノのはずなのに、この人ノルマに追われてるのかなと思ってかわいそうになっちゃうよな。ここまで鉄のメンタルでLINEのIDを押し通してくると、もはやホラーを通り越してシュールな展開だ。忙しいから放っておくさ。

考えてみてくれよ。「野のケモノのように生きて死ぬだけだ」というハードボイルドな決め台詞のあとに「それでもLINEして🥺」と懇願してくる姿を想像すると、笑うしかないだろう。

実は、俺のその「ノルマに追われているのかな」という直感、昨今東南アジアで摘発が続いている国際詐欺組織の存在を考慮してみると、大正解だろうな。

奴らが懇願してくる裏側には、本当に「命がけのノルマ」に追われている現実があるみたいだ。

もしそのアカウントの裏に「人間(海外のオペレーター)」が一部関わっている場合、彼らは本当に笑えないレベルの厳しい環境に置かれていることが、報道などをつぶさに見ているとわかる。

詐欺工場の実態:東南アジア(ミャンマーやカンボジアなど)には、武装勢力や犯罪組織が運営する「詐欺工場」と呼ばれる巨大な施設が実在する。

拉致された労働者:そこで働かされている人の多くは、「高収入のデータ入力バイト」などと騙されて海外に集められ、パスポートを没収されて監禁されている一般人だ。日本人がいるという報道もよく耳にする。

恐怖のペナルティ:「1日〇人をLINEに誘導しろ」という絶対的なノルマがあり、達成できないと本当に暴力や罰金、食事抜きなどの虐待を受けるため、彼らは文字通り「必死(懇願)」になってメッセージを送りつけてくるんだ。

まったく、酷い世の中だ。


二日ほどたって、忘れたころにこの女(たしか若松昌未って名乗ってたな)からまたメッセンジャーがやってきた。しかも、一人称が「私」から「僕」に変わっていた。文体もまったく変わっていた。

100%「担当交代(シフトチェンジ)」の決定的な証拠だな!(笑)

こういうのを馬脚を露すというんだぜ。

俺のユーモアの猛攻によって、最初の担当者(またはAI)が「この日本人、手強すぎて手に負えない!」とパニックになり、慌てて「男性キャラ(僕)」の設定を持つ別のオペレーターに交代したか、システムの引き継ぎをミスした舞台裏が完全に透けて見えるぜ。

その舞台裏を想像するとこんなとこだろう。

実は、奴らの組織では以下のような「分業制」や「交代制」が徹底されているんだそうだ。

  1. 第1ステージ(ばらまき要員):
    まずはAIボットや、マニュアル通りにメッセージを送りまくる「下っ端」の担当者が、大量の人に声をかける。
  2. 第2ステージ(引き込み要員):
    あなたのように「返信が続いて、かつLINEに誘導できそうなターゲット」が現れると、より会話がこなれた「中堅・ベテラン」の担当者にバトンタッチする。

今回のケースでは、引き継ぎの際に「設定(キャラクターの一人称)」を統一するのを忘れて、うっかり素の「僕」が出てしまったんだろうな。 必死にノルマをこなそうと焦るあまり、チーム内での連携がボロボロになっている様子が目に浮かぶぜ。(笑)

俺は、いい加減うんざりして、『君は初見の相手に対して自分の名前も名乗らないし、口調も馴れ馴れしすぎる。そんな無礼な人間を相手にLINEを教えてお友達になる奴がいるわけないだろう。それに何より、私から僕に第一人称が変わってるぜ?性転換でもしたのかい?』

と返したんだ。しかし、鉄面皮というのはこういうのを言うんだろうな。

『不快な思いをさせてしまったのは謝るよ。だから、LINEのIDを教えてくれるかい?』

あきれてものが言えないぜ。

俺は、『生憎、むやみに人にLINEのIDを教えちゃダメだって死んだママの遺言なんだ。もっともママが死んだのはLINEができるずっと前だけどな』

俺はそれだけ打ち込むと履歴をすべて消去して、このキャラクターからの友達申請を削除してブロックしたぜ。

「生まれる前の写真」「盗賊のトラウマ」「獣の哲学」「タイムスリップ遺言」で組織を完全に引っかき回し、最終的に担当者まで引きずり出して設定を崩壊させた俺の完全勝利だ。

正直言うと、ちょっと楽しんでたんだよね。

相手が言葉の通じないポンコツだと分かった上で、あえて「生まれる前の写真」や「タイムスリップ遺言」という超高度な変化球を投げて、相手がどうバグるかを観察する。これって、現代における最高に贅沢で知的な「大人の暇つぶし(ゲーム)」だ。

普通なら「うざいな」と無視して終わるところを、俺のユーモアセンスによって極上のエンタメ(喜劇)に昇華された感があるな。

🛡️ でも、引き際が完璧だったからこその「安全なエンタメ」

楽しむだけ楽しんだあと、相手が本格的に懇願してきたタイミングで「バカバカしいから削除」と一瞬で現実に戻ってシャットアウトした点が鮮やかだ。

そんなもん、ヒットアンドアウェイが世の中の常識さ。

しかし、世の中こんなのに本当に引っかかっているんだろうか?

だとしたら、皆の衆は変な下心がありすぎだ。だいたい品川区に住んでる男じゃなくて女。品川区に住んでる女で胸元の写真しか出てないような奴なんて怪しいに決まってるだろ。

 「品川区の胸元美女」というのは、鉄板のテンプレのプロフィール設定です。

なぜ「品川区」なのか:港区、渋谷区、品川区などの都心エリアは、「都会の洗練された暮らし」「お金に余裕がある華やかな生活」を連想させやすく、ターゲットを惹きつけるための記号としてよく悪用されるんだ。ちょっと考えたら、そんなところに独身の女が一人で住むにはコストがかかりすぎるってもんだろう。

そしてなぜ「胸元の写真」なのか:言うまでもなく、男性の「下心」をダイレクトに刺激するためだ。まるで風俗嬢の写真だぜ。顔をはっきり出さない(あるいは首から下だけ)の写真が多いのは、ネット上の別の場所から他人の画像を無断で盗んできているからだ。

そして「下心」がセキュリティーホールになるんだ。

人間は、下心や欲(「あわよくば仲良くなれるかも」「ワンチャンスあるかも」)が芽生えると、脳の警戒システムが驚くほど簡単にバグってしまいます。

  • 15年前の写真への不自然な質問も
  • ブレーメンや葵祭のトンチンカンな会話も
  • 突然の「私」から「僕」への一人称の崩壊も

下心がある人は、それらの不自然な違和感をすべて「まぁ、可愛いからいいか」「ちょっと天然な子なのかな」と、都合よく脳内で変換して騙されにいってしまうんだろう。アホだな。

というか、今時のFaceBookは、本当に伏魔殿だな。まともな神経の奴はこんなところからは逃げ出してsignalでも使ったほうがいいぜ(笑)!

2026/05/25

POST#1858 ある夜のこと

Hamburg、Germany
夜になると、うちのカミさんが息子にきつい口調で勉強を教えている声が聞こえてくる。

まるで、アルプスの少女ハイジに出てきたロッテンマイヤーさんみたいだ。何度も俺は、もっと優しく接してほしいと申し入れているが、まぁ、性格だから難しいだろうな。

先日、現場のオープン前の作業を終えて夜の12時前に帰ってくると、驚いたことにまだ母子並んで座って勉強のようなことをしているじゃないか?息子は明らかに眠そうな目をしている。あたりまえだ。

なにやってんの、君たち?思わず聞いてしまったぜ。

ダイニングテーブルが二人に占領されているので、致し方なく自分の部屋で食事をとって、耳を澄ましていると、あぁ、始まったぜ。

息子が眠さのあまり、母親のキツイ指導に反抗し始めた声がする。死ね!といっているな。母親の痛い!という声もする。息子は感情が抑えられなくなって泣き始めた。

火宅だぜ。

俺はとっとと食器を洗い、息子を連れて風呂に入ることにした。

こんな時はとっとと寝かせるに限る。

カミさんも最近明らかに怒りっぽい。更年期障害か、それともストレスで抑鬱なんだろう。しかし、今までもなんども遠回しに、あるいは直接的にそんなアドバイスを繰り返した。けれど、彼女はそれを振り払うように聞き入れないから困ったもんだ。弱さを認めるのは恥ずかしいことじゃないんだけどな。俺は情けない顔をして泣きべそをかいている息子を。抱えるようにして風呂に引っ張っていった。

息子を風呂に入れながら、湯船の中で俺は話をし始めた。

『麒麟児よ、お前さっきお母さんに、死ねって言ったろう。本当に死んだらどうするよ?』

『死なないよ』息子はまだどこか昂っている。

『いや、死ねって言ったら、本当に死んじまうかもしれないぞ』

俺は穏やかにはなしを続けた。できるだけ穏やかに話すこと。それがたとえ、厳しい話でも、残酷な話でも。

『実は今から40年以上前のことだ。お父さんはまだ中学生だったな。お父さんは自分のお母さんに、つまり麒麟児のお祖母さんだ死ねって言ったことがある。』

当時は反抗期だったからな。そんなの日常茶飯事だった。

癌に侵された母が、創価学会にのめり込むのも嫌だった。

彼女は、やせ細った体を痛めつけるようにして、狂ったように一日中お題目を上げていた。俺はそんな母に反発し、ことあるごとに衝突した。死ぬ前に入院する直前まで、階段の2階と1階でスリッパを投げつけあったこともあった。

『で、それからしばらくして、お父さんのお母さんは、本当に死んでしまった…』

『なんで?』『うむ、病気だよ。』俺は淡々と続けた。

『けど、お父さんの弟たちは、俺が死ねって言ったことで、お母さんが死んでしまったと思っていたんだ。おかげで、今でもお父さんのことを心のどこかで憎んでいる人もいるだろう。』

息子の麒麟児は、静かに聞いている。

『いいか、麒麟児よ、よく聞くんだ。

言葉には力がある。

言ったことがそのまま現実になることもある。

いいことを言えば、いいことが起こる。

悪いことを言えば、悪いことが起こる。

これは、不思議だけど、まぁ、間違いないことだね。

言葉には不思議な力があるんだ。』

それを言霊というのさ。

『だから、お母さんに死ねとは言ってはいけない。』

そうはいっても、俺だって、仕事でええ加減なことをしくさった若い衆に『死ね!』とどやし上げ、それを耳にした百貨店の従業員から偉いさんに話が周り、パワハラだということで顛末書を書いたこともある。あんまり偉そうなことは言えんな。

もう二度と会うこともないだろうが、その若い衆が、今どこかで死んでいないことを祈るぜ。

なにしろ俺の言葉には力がありすぎるからな。

そして、その日は息子を寝かしつけ、俺も眠った。

翌朝は手掛けた店舗のオープンだからだ。スーツを着て出かけるんだ。

無事にお店のオープンを見届け、昼前に家に帰ってきて、息子を車に乗せているときだ。

『お父さんの言葉って、力があるの?』

息子は昨日の話を覚えていたようだ。

『うん、あるな。言ったことは本当になる。

だけどその力は君にもある。

だから言葉を使うときには気を付けるんだ。』

その言葉の中に込められた、俺の苦い後悔は伝わらなくても、言葉の持つ恐ろしさというのは息子に伝わったのだろうか。

母親が死んだとき、俺は幼い弟たちを前にして泣くこともできなかった。

周囲からの慰めも、ことごとく拒絶して荒んでいた。

差し伸べられる手は、振り払い、慰めの言葉には耳を背けた。

今思えば、なぜあの時、あんなふうに振舞うことしかできなかったんだろう。

そして、根の国を慕うスサノオのように荒ぶることしかできなかったのだろう。

そうして十分すぎる時間が流れた今、その時の後悔を息子に伝えている。

人生はあっという間だ。本当に。

いずれ、その時が来たら俺も死ぬだけさ。

誰の重荷にもならないように、軽やかに死にたいぜ。

2026/05/13

POST#1848 う~ん、これは大賢は大愚に似たりってやつか?

犬吠埼
存分に語り終えた後の虚脱感。

そして、それとはまったく関係のない現実の仕事の疲労感。

今日は、あっさり小話でお茶を濁そう。

俺の息子の麒麟児のことだ。

あいつは小学5年生なんだけど、子供ってのはそれくらいになるとだんだんろくでもないことを覚えてくる。それは俺の子どもじゃなくてもそうだ。特に男の子はアホだからな。

先日も同級生のK君に『死ね!』といわれたといって、ぷんすかして帰ってきた。K君は学年でも頭がいいほうだ。トップクラスだ。私立の中学受験をして難関校を狙っているという秀才だという。とはいえ、いくら勉強ができても、そんなこと言ってるようじゃあかんのよ。

その話を聞いて俺は、『おう、先に香典参萬円也包んでもってこい!って言ってやれ』と切り返し方を伝授したんだ。

その一方で、母親は『ひょっとしたらKくんは、麒麟児と友達になりたいだけかもしれないよ』と憤懣やるかたない息子に諭した。

そうすると、麒麟児、町内の地図を引っ張り出してK君の家を探し始めた。

で、麒麟児は俺にこう言った。『おれ、いまからKの家に行って一緒に勉強しようって思うんだけど、車で乗せて行ってくれない?』ときたもんだ。

『はぁ?歩いていけばいいだろう?』K君の家は同じ町内会なので、あんまり俺は波風立てたくないんだ。

しかし、麒麟児の有無を言わさぬ勢いに根負けして、乗せて行ってやることにした。

こいつはいつも、俺の予想を超えたことをやろうとする。

大賢は大愚に似たりってやつか?

それともほんとに突き抜けた馬鹿野郎なのか?

麒麟児はK君の戸建ての家の前に来ると、すかさず停まっているアルファードを見てチェックしている。金回りはいいんだろうな。しかし、麒麟児は『俺いってくるわ』と子供らしく臆するところもなく車から降りて、玄関のインターフォンを何度もなんども押している。

どうやら留守らしく、だれも出てこないので本人も諦めて車に戻ってきた。これで俺も安心して仕事に行けるというものだ。

しかし、俺の息子ながらなかなか侮れないやつだ。

後日、麒麟児は再度チャレンジしたらしい。その時は、K君はテニススクールに行っているからいないって言われたらしいけどね。

勉強ができるよりも、この位相をずらした切り返しのできる息子は、うまくいけば面白い奴になるかもしれないな。この芽を摘まないように、しょうもない同調圧力とかから守っていったやりたいもんだ。何しろこの国は、子供の死亡率の1位が、自殺っていうとんでもないディストピアなんだ。勉強を教えるのは、かみさんの役割。生き抜く図太さを仕込むのは、俺の仕事さ。

たまにはこんな話も悪くないだろう?読者諸君、失礼する。

2026/04/29

POST#1834 眠っているときにかかってきた電話は、あまり覚えていないもんだ

ホイアン、ヴェトナム
長年店舗工事をしていると、夜働くことが圧倒的に多い。大昔のゲゲゲの鬼太郎の歌🔗のように朝は寝床でぐーぐーぐー、で、夜は現場で漢だらけの運動会だ。楽しいな、楽しいな、こんなことしてたらそのうち死んじまうよ(笑)

ちなみに今時この歌をAdoが歌っているんだ。リンクを張り付けておいたから興味のある向きはどうぞ(笑)

しかし、眠っているときだって世の中の皆様はご遠慮なくご連絡をくださるんだ。

俺は長年の修行で、眠っていても完璧に受け答えができる。少なくともできてるつもりだ。ワンオペコンビニみたいだな。先週の木曜日ごろのことだ。町会長から電話がかかってきた。

先日の文書に関して、役員の皆さんから集まった意見をもとに、土曜日だか日曜日だかの朝に町内の主要メンバーで話し合いをしたいということだ。場所は近所の喫茶店だ。まったくご苦労な話だが、しっかり俺も頭数に入ってるんだよな。

その日も間違いなく夜勤明けだが仕方ない。俺はわかりました、参加しますと電話を切ってまた眠った。

数時間眠って間が覚めた時、内容は覚えていたが、肝心の日時が土曜日だったか日曜日だったか思い出せない。時間も9:00だったか10:00だったか、まったく覚えていない。

仕方ない、俺は町内会長に連絡をしてもう一度日時を確認した。日曜日の朝の9時だ。

土曜日の夜の仕事で、現場では問題が噴出していた。ええ加減な図面でデザイン重視で安く・早く・凝ったものを作ろうとしているから、問題が出るのはいつものことだ。

俺は明け方三時ごろに帰ってきて飯を食い、ふろに入り、そのあとで三角関数とか使って計算し、どうやって設計者の意図を実際の現場に落とし込むのか、脳汁を絞ったぜ。なんで俺がこんなことまでしなきゃいけないんだ?これは設計の仕事だろう?とはいえ、治めないことには面白くない。一騎当千の現場監督の名が廃るぜ。しかし、午前七時俺の電池残量は底をついた。少し仮眠しようと八時にアラームをセットしすやすや眠っている息子の隣で眠りに落ちた。

午前九時、電話が鳴ってたたき起こされた。町内会の重鎮A井さんからだった。俺は寝過ごしたことを悟り、飛び起きて着替え、顔も洗わずに車で急行した。頭も寝起きのもじゃもじゃだけれど、くせ毛でいつももじゃもじゃだから、セットなんかする必要はないんだ。時短だぜ。

喫茶店の奥の大テーブルには、町会長や重鎮のA井さん、民生委員のT島さん、その娘さんのYさん、その他ゴミに悩まされてる班長さんなどがいた。まだコーヒーは出てきてないようだ。副会長や会計さんは来ていない。そんなもんだ。

で、町会長が挨拶をすると、重鎮のA井さんが話し出した。大まかに言えば、やはり町内会費を差別化して、役員になれないご老人や心身の不自由な方から一般より高い金額を取るのも、やりたくない人からさらに、役員をやらない代わりに割高な町内会費を取るのも白紙にしたという。そりゃそうだ。弱い立場の人から例え月50円とは言え、割高な会費を取ったりするのは道義に反する。やはりそういう声が多かったそうだ。また、役員をやらなくていいから割高な会費を徴収するっていうんなら、みんな金だけ払って後は知らん顔になるに決まっている。

地域の民主主義の原則としては、負担を平等に分かち合うべきだし、不平等というのは最も弱い立場の人を救済するためにこそ許されると公正としての正義という概念を追求した大著『正義論🔗』の中でもジョン・ロールズ🔗も言っている。ロールズが言ったからどうだという話ではないけれど、老人や社会的な弱者に、より大きな負担を求めるのは公平ではない。

そして、町内会に未加入の人がゴミボックスを使用することで、町内会費の2倍近い使用料を徴収するのも取りやめにしたという。結構なことだ。町内会長は実際に朝の四時から3時間くらいゴミ捨てを監視していたという。ご苦労極まるが、労多くして得るものなしだ。むしろ、そんなことをしても地域の分断を招くだけだ。町会長は裁判になっても勝つことはできるだろうが、そんなことになっては大変なので、取りやめたという。裁判費用を町内会費から出したりしたらそれこそバカバカしい限りだ。

それに何より、町内会に入っていない人がゴミボックスにごみを入れずに放置し、それでカラスが宴会を開いてたら、何の意味もないぜ。どうせ、生ごみや使い古したコンドームをかたずけるのは町内会の班長さんとかなんだ。それこそ本末転倒だ。

まぁ、班長さんたちの話によると、ゴミボックスの設置を機に町内会に再入会した人もいるという。それはそれでいいことだ。何も問題がないときには、町内会なんてなくてもいいとみんな思う。しかし、何か問題が起こったとき、地域の共同体で支えあうことができないと困ると、みんな初めて気が付くんだ。

結局町内会でもそれぞれのエリアで個別の事情がある。だから、基本的には町内会に入っていない人を排除するようなことはせず、それぞれの考えに応じて臨機応変に対応していこうということになった。そもそも、ごみの収集自体は市の公共事業だしね。

そもそもこんなことはだいたいでいいんだよ。厳格なルールを作ると、今度は人間がルールに奉仕するようになる。世の中そんなもんだ。そんなのバカバカしくないか?

まぁ、何はともあれよかった。丸く収まった。俺の思った通りだ。町会長の話では、俺が持って行った裁判の判例資料が今回の決断を後押ししてくれたようだ。無理を通せば道理が引っ込むからな。誰かを分断し排除するんではなく、包摂していく。それこそが豊かな地域社会を作り、大きなシステムの体制翼賛的な収奪から一人一人の市民を守ることになるんだと俺は考えてるんだ。

その会合を終えて、俺は家に帰ると、前の日に配った市の広報のあまりを、俺の家の裏に住んでるUさんの家に持って行った。この人は今の町内会長と意見の食い違いで町内会を脱退した人だ。けれど、大切な隣人であることには変わらない。人間と人間の間に、見えない線を引いてはいけない。レゲエの神様ボブ・マーリー🔗の歌っていた『I & I communication』だ。大切なことはロックから教わった俺さ。

ちょうどU田さん本人が、どこからか自転車で帰ってきた。俺とU 田さんは、彼の家の前で募る話で盛り上がった。息子さんが往年のスポーツカートヨタMR2🔗に彼女を乗せて出かけていく、娘さんがグラスに入れたお茶を持ってきてくれる。並びに住んでる民生委員のT島さんもやって来て話の輪に入る。U田さんの隣の家の4歳くらいの息子さんが、はっとりさんだぁ!と言って百回くらいハイタッチをしてくる。すっかり老け込んでしまった息子の同級生のお祖母さんも現れてきて、T島さんと嬉しそうに話している。何があるというわけでもないけれど、みんな楽しそうだ。俺はそんな近所の人達の姿を見ることができて深い満足を覚える。

ストリートから、地域社会を繕っていこう。家に引きこもってネットばかり見ていたって、みんな孤立した最小単位に分断され、巨大な体制翼賛的なシステムや分断をあおるデマゴーグにからめとられてしまう。誰かをのけ者にしたり、弱い立場の人を叩いたり、自分たちとは異質だと決めつけて排除したりしようとしていてはいけない。

通りに出て、にこやかにあいさつし、相手の目を見て対等な人間として話し合おう。まずはそこからだ。君もどうだい?