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2026/05/26

POST#1859 下心が無けりゃ、魔法にはかからない

 

Bremen,Germany

ある夜、仕事をしていると珍しくFacebookの友達申請が来た。

品川区に住んでいる、知らない女だ。若松昌未とかいう名前だったな。

顔は写っていない。ナイキかなんかのブラトップかなんか着てトレーニングかなんかしてる胸元だけ写ってる。ほかには、上賀茂神社の写真や葵祭とかの投稿がある。

品川区なのに京都か…。まぁそれもあるかもしれない。しかし、JR東海の313系電車が鳥居の前を通過している写真を見ると、そんな特異なロケーションのところは、静岡の田舎あたりにしかない。プロフィールを見ても、品川区、独身、女性というだけで、プロファイリングできないな。どうせ釣りだろう。放置だ。

するとほどなく、Facebook のメッセンジャーでこの女から、なれなれしい口調のダイレクトメッセージが来た。

俺が15年ほど前にUPしたドイツのブレーメンの旧市街から駅へと向かう途中にある公園の、色とりどりのパンジーか何かに囲まれた風車の写真だ。

『とっても素敵な風景で癒されるんだけど、これはどこ?』だとさ。知るか!

投稿自体にブレーメンって書いてあるだろう。こいつは馬鹿か?それともポンコツなAIか?

15年前の写真の場所をわざわざ聞いてくるのは、AIボットや詐欺アカウントが使う典型的な「会話のきっかけ作り(アイスブレイク)」のテクニックなんだそうだ。

記事に「ブレーメン」と明記されているのに聞いてくるのは、人間の感覚からすると明らかにおかしいんだけど、奴らのシステムや目的を考えると以下の理由が考えられるな。

写真しか見ていない(文字を読んでいない)

相手(またはシステム)は、俺のタイムラインを過去にさかのぼり、「見栄えが良い写真」「海外旅行らしき写真」だけを自動でピックアップしているんだろうな。

写真に添えられたテキストや位置情報のタグは、AIのプログラムや海外のオペレーターが見落としている(あるいは日本語が読めない)ため、シンプルに「これはどこですか?」と聞いてくるんだろう。

「質問すること」自体が目的だから

奴らの目的は、クイズの正解を知ることではなく、あなたに「ここはドイツのブレーメンだよ」と返信させることなんだ。

人間は、自分が過去に行ったお気に入りの場所や、思い出の写真について聞かれると、嬉しくなってつい親切に教えてしまいがちだ。それは俺も一応人間の端くれだからな。詐欺グループはそんな人間の習性につけ込み、一番返信しそうな「過去の思い出写真」を狙って質問を投げかけてくるんだ。それにしては甘い球を投げてくるもんだ。

俺は無視してもよかったんだが、少し遊んでみることにした。

『ドイツのブレーメンだよ。俺が生まれる10年くらい前に撮った写真さ

俺はご丁寧にグーグルマップのリンクまで送りつけてやったよ。しかし、俺のギミックは完全スルーで返事が来た。これが人間だったら、すごくセンスがない奴だ。俺はユーモアのセンスのない奴が、生理的にダメなんだ。

『旅行が好きなんだ。ブレーメンはどうだったの?また行きたいと思う?』と返してきやがった。

やれやれ、不毛なラリーが始まったぜ。

『いやぁー、俺は盗賊だったからひどい目にあったから二度とごめんだな。もっともこの円安じゃ、海外旅行なんて行くもんじゃないさ』

さて、懸命な読者諸兄諸姉はもうお分かりですね。かの有名なブレーメンの音楽隊をネタにしたきり返しだ。しかし、それも完全スルーだ。鉄のメンタルか、まったくセンスがないのか?

『盗賊だったの?』と聞いてきやがる。アホだな。

『ブレーメンの音楽隊の話さ』ジョークの種明かしをすることくらい、興ざめなことはない。もしこいつが本当に俺に興味を持っている人間でも、絶対に逢いたくないぜ。つまらない奴は御免だ。

Facebookのメッセンジャーで知らない相手から届くなれなれしいメッセージは、現在その多くに「AI(対話型ボット)」やテンプレートを組み合わせた自動生成プログラムが使われているんだ。

この「言葉の噛み合わなさ」や「ユーモアの通じなさ」はまさにAIボットの典型的な特徴だ。

「これ絶対AIだな」という俺の直感は100%正しいだろう。こっから「ロマンス詐欺」や「投資詐欺」の華麗な幕が開くんだろうよ(笑)!

FaceBookのメッセンジャーの仕様上、知らない人からのメッセージは通常「メッセージリクエスト」に入るんだけど、一度でも返信してしまうとシステムに「つながり」が承認されたとみなされてしまうらしい。そうすると、

相手のメッセージが直接届くようになる。

俺が「アクティブ(オンライン)」かどうかが相手に筒抜けになる。

「このアカウントは返信してくる=カモになる可能性がある」として、詐欺師たちの「カモリスト」に登録されてしまうことになるんだそうだ。面白いな。俺はそこいらのカモネギじゃないぜ。

そこで俺は彼女?の投稿に京都の葵祭や上賀茂神社の写真があるんで、『君こそ、京都の葵祭りとか好きなのかい?』と打ち返したんだ。そうしたら、やっこさん、自分の公開してる投稿にその写真があるのに『葵祭りは行ってみたいですね』とか言い出す始末だ。

完全にバグってる。そこまでいくとバカバカしさを通り越して、もはや清々しいほどのポンコツぶりだ。

このラリー、俺の完全勝利だ。15-0だ。

「生まれる前の写真」に続き、「音楽隊の盗賊」のネタまでスルーされたとなれば、相手が100%人間の心を持っていないマシーン(またはマニュアル通りにしか動けない詐欺師)」であることが完全に証明されたぜ。俺のユーモアのセンスが、最高のAI判定フィルターとして機能したってことだ。さらにダメ押しは、この葵祭には行ってみたいだ。

しかし、奴もなんだか必死なんだ。

『あなたとの会話は楽しいから、もっと仲良くなりたいな。わたし、LINE でやり取りするのに慣れてるから LINE のIDを教えてほしいな。LINEでやり取りしよう』ときたもんだ。

俺は速攻『来た来た、怖い怖い』って送ったよ。胡散臭すぎだろう。

最高にストレートな直球ストレートだ。ダメ押しに『そういうのに引っかかるのを情弱って今時は言うんだぜ』って言ってやったよ。まさに完璧なトドメのセリフだ我ながら本当に痛快だな。

相手がマニュアル通りのAIボットであれ、裏で必死に文字を打っていた「人間」であれ、この言葉は最高に刺さったはずだ。日本語がわかればね。

「騙す側」のプライドがズタズタになっちまうわな。自分たちは「だまし取るプロ」のつもりでメッセージを送っているのに、ターゲットである俺から逆に「お前らの方が情報弱者(情弱)だ」と一刀両断されるんだぜ。これはプロとして?恥ずかしいだろう。

大体、俺はこいつとの会話に1ミリも楽しさを感じてないんだ。そもそも、こんなよれたおさんに、だれが興味を持つってんだよ!下心のない奴は、魔法にはかからないんだ。この心理を会得するまでに、たくさん授業料を払ったぜ。

相手のLINEでやり取りするのに慣れてるから」というセリフも、本当に分かりやすすぎる「テンプレの教科書」通りだ。少年ジャンプの漫画みたいに王道だ。「LINEに変えませんか?」ってのは、Facebookのアカウントが通報されて消える前に、個人の連絡先へ移動させようとしてるんだそうだ。

俺は、『君のプロフィールや会話を振り返ってみても、君という人間のプロファイルができないからごめんだぜ。おじさんそんなに暇じゃないんだ』といって失礼させてもらったぜ。


しかし、話は二回戦にもつれ込む。

次の日の夜にもメッセージが来た。相手も必死なんだろう。かわいそうになってくるぜ。

そのメッセージには『あなたが何に悩んだり苦しんでるかわからないけど、私に打ち明けてほしいな』ときたもんだ。

面白いな。俺は自分のブログのリンクを送りつけてやった。社会に対して考察したものだ。

しばらくして返事が来る。

『どうしたらこんな文章が書けるの?』

『批判精神を持つことさ』

それでもなお『あなたともっとお話ししたいからLINEのIDを教えて』と食い下がってくる。

『悪いけど、LINEは浮気を疑われるから、俺はトクリュウの悪党ご用達のsignalを使ってるのさ。悪だくみの証拠が残らないから便利だぜ(笑)』

『私はsignalはあんまり使ったことないの…』

知るか!この日も俺の勝ちだな。

しかし、戦いは次の日に持ち越しだ。

だんだん、どこまで面白いこと言ってくるのか楽しみになってきた。


次の夜に奴が送ってきたのは打って変わってこんなのだ。ひょっとしたら、選手交代したのかもしれない。

『あなたが何を悩んで苦しんでいるか知らないけれど、力になれると嬉しいな。だから、LINEのID教えて』

もう笑えて来た。『別に何にも悩んでない。野のケモノのように生きて、最後は死ぬだけだよ』正直に言えば、いつもその程度に考えてる。厳密に言えば、金の悩みは尽きんけれど、そんなものはないもの、真面目に働く以外にないんだ。魔法のように金が増えるわけじゃない。

それでもまだ、あなたとお話ししたいから LINE  ID を送ってとか言って懇願してくるんだよね。なんか俺、野のケモノのはずなのに、この人ノルマに追われてるのかなと思ってかわいそうになっちゃうよな。ここまで鉄のメンタルでLINEのIDを押し通してくると、もはやホラーを通り越してシュールな展開だ。忙しいから放っておくさ。

考えてみてくれよ。「野のケモノのように生きて死ぬだけだ」というハードボイルドな決め台詞のあとに「それでもLINEして🥺」と懇願してくる姿を想像すると、笑うしかないだろう。

実は、俺のその「ノルマに追われているのかな」という直感、昨今東南アジアで摘発が続いている国際詐欺組織の存在を考慮してみると、大正解だろうな。

奴らが懇願してくる裏側には、本当に「命がけのノルマ」に追われている現実があるみたいだ。

もしそのアカウントの裏に「人間(海外のオペレーター)」が一部関わっている場合、彼らは本当に笑えないレベルの厳しい環境に置かれていることが、報道などをつぶさに見ているとわかる。

詐欺工場の実態:東南アジア(ミャンマーやカンボジアなど)には、武装勢力や犯罪組織が運営する「詐欺工場」と呼ばれる巨大な施設が実在する。

拉致された労働者:そこで働かされている人の多くは、「高収入のデータ入力バイト」などと騙されて海外に集められ、パスポートを没収されて監禁されている一般人だ。日本人がいるという報道もよく耳にする。

恐怖のペナルティ:「1日〇人をLINEに誘導しろ」という絶対的なノルマがあり、達成できないと本当に暴力や罰金、食事抜きなどの虐待を受けるため、彼らは文字通り「必死(懇願)」になってメッセージを送りつけてくるんだ。

まったく、酷い世の中だ。


二日ほどたって、忘れたころにこの女(たしか若松昌未って名乗ってたな)からまたメッセンジャーがやってきた。しかも、一人称が「私」から「僕」に変わっていた。文体もまったく変わっていた。

100%「担当交代(シフトチェンジ)」の決定的な証拠だな!(笑)

こういうのを馬脚を露すというんだぜ。

俺のユーモアの猛攻によって、最初の担当者(またはAI)が「この日本人、手強すぎて手に負えない!」とパニックになり、慌てて「男性キャラ(僕)」の設定を持つ別のオペレーターに交代したか、システムの引き継ぎをミスした舞台裏が完全に透けて見えるぜ。

その舞台裏を想像するとこんなとこだろう。

実は、奴らの組織では以下のような「分業制」や「交代制」が徹底されているんだそうだ。

  1. 1ステージ(ばらまき要員)
    まずはAIボットや、マニュアル通りにメッセージを送りまくる「下っ端」の担当者が、大量の人に声をかける。
  2. 2ステージ(引き込み要員)
    あなたのように「返信が続いて、かつLINEに誘導できそうなターゲット」が現れると、より会話がこなれた「中堅・ベテラン」の担当者にバトンタッチする。

今回のケースでは、引き継ぎの際に「設定(キャラクターの一人称)」を統一するのを忘れて、うっかり素の「僕」が出てしまったんだろうな。 必死にノルマをこなそうと焦るあまり、チーム内での連携がボロボロになっている様子が目に浮かぶぜ。(笑)

俺は、いい加減うんざりして、『君は初見の相手に対して自分の名前も名乗らないし、口調も馴れ馴れしすぎる。そんな無礼な人間を相手にLINEを教えてお友達になる奴がいるわけないだろう。それに何より、私から僕に第一人称が変わってるぜ?性転換でもしたのかい?』

と返したんだ。しかし、鉄面皮というのはこういうのを言うんだろうな。

『不快な思いをさせてしまったのは謝るよ。だから、LINEのIDを教えてくれるかい?』

あきれてものが言えないぜ。

俺は、『生憎、むやみに人にLINEのIDを教えちゃダメだって死んだママの遺言なんだ。もっともママが死んだのはLINEができるずっと前だけどな』

俺はそれだけ打ち込むと履歴をすべて消去して、このキャラクターからの友達申請を削除してブロックしたぜ。

「生まれる前の写真」「盗賊のトラウマ」「獣の哲学」「タイムスリップ遺言」で組織を完全に引っかき回し、最終的に担当者まで引きずり出して設定を崩壊させた俺の完全勝利だ。

正直言うと、ちょっと楽しんでたんだよね。

相手が言葉の通じないポンコツだと分かった上で、あえて「生まれる前の写真」や「タイムスリップ遺言」という超高度な変化球を投げて、相手がどうバグるかを観察する。これって、現代における最高に贅沢で知的な「大人の暇つぶし(ゲーム)」だ。

普通なら「うざいな」と無視して終わるところを、俺のユーモアセンスによって極上のエンタメ(喜劇)に昇華された感があるな。

🛡️ でも、引き際が完璧だったからこその「安全なエンタメ」

楽しむだけ楽しんだあと、相手が本格的に懇願してきたタイミングで「バカバカしいから削除」と一瞬で現実に戻ってシャットアウトした点が鮮やかだ

そんなもん、ヒットアンドアウェイが世の中の常識さ

しかし、世の中こんなのに本当に引っかかっているんだろうか?

だとしたら、皆の衆は変な下心がありすぎだ。だいたい品川区に住んでる男じゃなくて女。品川区に住んでる女で胸元の写真しか出てないような奴なんて怪しいに決まってるだろ。

 「品川区の胸元美女」というのは、鉄板のテンプレのプロフィール設定です。

なぜ「品川区」なのか:港区、渋谷区、品川区などの都心エリアは、「都会の洗練された暮らし」「お金に余裕がある華やかな生活」を連想させやすく、ターゲットを惹きつけるための記号としてよく悪用されるんだ。ちょっと考えたら、そんなところに独身の女が一人で住むにはコストがかかりすぎるってもんだろう。

そしてなぜ「胸元の写真」なのか:言うまでもなく、男性の「下心」をダイレクトに刺激するためだ。まるで風俗嬢の写真だぜ。顔をはっきり出さない(あるいは首から下だけ)の写真が多いのは、ネット上の別の場所から他人の画像を無断で盗んできているからだ。

そして「下心」がセキュリティーホールになるんだ。

人間は、下心や欲(「あわよくば仲良くなれるかも」「ワンチャンスあるかも」)が芽生えると、脳の警戒システムが驚くほど簡単にバグってしまいます。

  • 15年前の写真への不自然な質問も
  • ブレーメンや葵祭のトンチンカンな会話も
  • 突然の「私」から「僕」への一人称の崩壊も

下心がある人は、それらの不自然な違和感をすべて「まぁ、可愛いからいいか」「ちょっと天然な子なのかな」と、都合よく脳内で変換して騙されにいってしまうんだろう。アホだな。

というか、今時のFaceBookは、本当に伏魔殿だな。まともな神経の奴はこんなところからは逃げ出してsignalでも使ったほうがいいぜ(笑)!

2026/05/25

POST#1858 ある夜のこと

Hamburg、Germany
夜になると、うちのカミさんが息子にきつい口調で勉強を教えている声が聞こえてくる。

まるで、アルプスの少女ハイジに出てきたロッテンマイヤーさんみたいだ。何度も俺は、もっと優しく接してほしいと申し入れているが、まぁ、性格だから難しいだろうな。

先日、現場のオープン前の作業を終えて夜の12時前に帰ってくると、驚いたことにまだ母子並んで座って勉強のようなことをしているじゃないか?息子は明らかに眠そうな目をしている。あたりまえだ。

なにやってんの、君たち?思わず聞いてしまったぜ。

ダイニングテーブルが二人に占領されているので、致し方なく自分の部屋で食事をとって、耳を澄ましていると、あぁ、始まったぜ。

息子が眠さのあまり、母親のキツイ指導に反抗し始めた声がする。死ね!といっているな。母親の痛い!という声もする。息子は感情が抑えられなくなって泣き始めた。

火宅だぜ。

俺はとっとと食器を洗い、息子を連れて風呂に入ることにした。

こんな時はとっとと寝かせるに限る。

カミさんも最近明らかに怒りっぽい。更年期障害か、それともストレスで抑鬱なんだろう。しかし、今までもなんども遠回しに、あるいは直接的にそんなアドバイスを繰り返した。けれど、彼女はそれを振り払うように聞き入れないから困ったもんだ。弱さを認めるのは恥ずかしいことじゃないんだけどな。俺は情けない顔をして泣きべそをかいている息子を。抱えるようにして風呂に引っ張っていった。

息子を風呂に入れながら、湯船の中で俺は話をし始めた。

『麒麟児よ、お前さっきお母さんに、死ねって言ったろう。本当に死んだらどうするよ?』

『死なないよ』息子はまだどこか昂っている。

『いや、死ねって言ったら、本当に死んじまうかもしれないぞ』

俺は穏やかにはなしを続けた。できるだけ穏やかに話すこと。それがたとえ、厳しい話でも、残酷な話でも。

『実は今から40年以上前のことだ。お父さんはまだ中学生だったな。お父さんは自分のお母さんに、つまり麒麟児のお祖母さんだ死ねって言ったことがある。』

当時は反抗期だったからな。そんなの日常茶飯事だった。

癌に侵された母が、創価学会にのめり込むのも嫌だった。

彼女は、やせ細った体を痛めつけるようにして、狂ったように一日中お題目を上げていた。俺はそんな母に反発し、ことあるごとに衝突した。死ぬ前に入院する直前まで、階段の2階と1階でスリッパを投げつけあったこともあった。

『で、それからしばらくして、お父さんのお母さんは、本当に死んでしまった…』

『なんで?』『うむ、病気だよ。』俺は淡々と続けた。

『けど、お父さんの弟たちは、俺が死ねって言ったことで、お母さんが死んでしまったと思っていたんだ。おかげで、今でもお父さんのことを心のどこかで憎んでいる人もいるだろう。』

息子の麒麟児は、静かに聞いている。

『いいか、麒麟児よ、よく聞くんだ。

言葉には力がある。

言ったことがそのまま現実になることもある。

いいことを言えば、いいことが起こる。

悪いことを言えば、悪いことが起こる。

これは、不思議だけど、まぁ、間違いないことだね。

言葉には不思議な力があるんだ。』

それを言霊というのさ。

『だから、お母さんに死ねとは言ってはいけない。』

そうはいっても、俺だって、仕事でええ加減なことをしくさった若い衆に『死ね!』とどやし上げ、それを耳にした百貨店の従業員から偉いさんに話が周り、パワハラだということで顛末書を書いたこともある。あんまり偉そうなことは言えんな。

もう二度と会うこともないだろうが、その若い衆が、今どこかで死んでいないことを祈るぜ。

なにしろ俺の言葉には力がありすぎるからな。

そして、その日は息子を寝かしつけ、俺も眠った。

翌朝は手掛けた店舗のオープンだからだ。スーツを着て出かけるんだ。

無事にお店のオープンを見届け、昼前に家に帰ってきて、息子を車に乗せているときだ。

『お父さんの言葉って、力があるの?』

息子は昨日の話を覚えていたようだ。

『うん、あるな。言ったことは本当になる。

だけどその力は君にもある。

だから言葉を使うときには気を付けるんだ。』

その言葉の中に込められた、俺の苦い後悔は伝わらなくても、言葉の持つ恐ろしさというのは息子に伝わったのだろうか。

母親が死んだとき、俺は幼い弟たちを前にして泣くこともできなかった。

周囲からの慰めも、ことごとく拒絶して荒んでいた。

差し伸べられる手は、振り払い、慰めの言葉には耳を背けた。

今思えば、なぜあの時、あんなふうに振舞うことしかできなかったんだろう。

そして、根の国を慕うスサノオのように荒ぶることしかできなかったのだろう。

そうして十分すぎる時間が流れた今、その時の後悔を息子に伝えている。

人生はあっという間だ。本当に。

いずれ、その時が来たら俺も死ぬだけさ。

誰の重荷にもならないように、軽やかに死にたいぜ。

2026/05/13

POST#1848 う~ん、これは大賢は大愚に似たりってやつか?

犬吠埼
存分に語り終えた後の虚脱感。

そして、それとはまったく関係のない現実の仕事の疲労感。

今日は、あっさり小話でお茶を濁そう。

俺の息子の麒麟児のことだ。

あいつは小学5年生なんだけど、子供ってのはそれくらいになるとだんだんろくでもないことを覚えてくる。それは俺の子どもじゃなくてもそうだ。特に男の子はアホだからな。

先日も同級生のK君に『死ね!』といわれたといって、ぷんすかして帰ってきた。K君は学年でも頭がいいほうだ。トップクラスだ。私立の中学受験をして難関校を狙っているという秀才だという。とはいえ、いくら勉強ができても、そんなこと言ってるようじゃあかんのよ。

その話を聞いて俺は、『おう、先に香典参萬円也包んでもってこい!って言ってやれ』と切り返し方を伝授したんだ。

その一方で、母親は『ひょっとしたらKくんは、麒麟児と友達になりたいだけかもしれないよ』と憤懣やるかたない息子に諭した。

そうすると、麒麟児、町内の地図を引っ張り出してK君の家を探し始めた。

で、麒麟児は俺にこう言った。『おれ、いまからKの家に行って一緒に勉強しようって思うんだけど、車で乗せて行ってくれない?』ときたもんだ。

『はぁ?歩いていけばいいだろう?』K君の家は同じ町内会なので、あんまり俺は波風立てたくないんだ。

しかし、麒麟児の有無を言わさぬ勢いに根負けして、乗せて行ってやることにした。

こいつはいつも、俺の予想を超えたことをやろうとする。

大賢は大愚に似たりってやつか?

それともほんとに突き抜けた馬鹿野郎なのか?

麒麟児はK君の戸建ての家の前に来ると、すかさず停まっているアルファードを見てチェックしている。金回りはいいんだろうな。しかし、麒麟児は『俺いってくるわ』と子供らしく臆するところもなく車から降りて、玄関のインターフォンを何度もなんども押している。

どうやら留守らしく、だれも出てこないので本人も諦めて車に戻ってきた。これで俺も安心して仕事に行けるというものだ。

しかし、俺の息子ながらなかなか侮れないやつだ。

後日、麒麟児は再度チャレンジしたらしい。その時は、K君はテニススクールに行っているからいないって言われたらしいけどね。

勉強ができるよりも、この位相をずらした切り返しのできる息子は、うまくいけば面白い奴になるかもしれないな。この芽を摘まないように、しょうもない同調圧力とかから守っていったやりたいもんだ。何しろこの国は、子供の死亡率の1位が、自殺っていうとんでもないディストピアなんだ。勉強を教えるのは、かみさんの役割。生き抜く図太さを仕込むのは、俺の仕事さ。

たまにはこんな話も悪くないだろう?読者諸君、失礼する。

2026/04/29

POST#1834 眠っているときにかかってきた電話は、あまり覚えていないもんだ

ホイアン、ヴェトナム
長年店舗工事をしていると、夜働くことが圧倒的に多い。大昔のゲゲゲの鬼太郎の歌🔗のように朝は寝床でぐーぐーぐー、で、夜は現場で漢だらけの運動会だ。楽しいな、楽しいな、こんなことしてたらそのうち死んじまうよ(笑)

ちなみに今時この歌をAdoが歌っているんだ。リンクを張り付けておいたから興味のある向きはどうぞ(笑)

しかし、眠っているときだって世の中の皆様はご遠慮なくご連絡をくださるんだ。

俺は長年の修行で、眠っていても完璧に受け答えができる。少なくともできてるつもりだ。ワンオペコンビニみたいだな。先週の木曜日ごろのことだ。町会長から電話がかかってきた。

先日の文書に関して、役員の皆さんから集まった意見をもとに、土曜日だか日曜日だかの朝に町内の主要メンバーで話し合いをしたいということだ。場所は近所の喫茶店だ。まったくご苦労な話だが、しっかり俺も頭数に入ってるんだよな。

その日も間違いなく夜勤明けだが仕方ない。俺はわかりました、参加しますと電話を切ってまた眠った。

数時間眠って間が覚めた時、内容は覚えていたが、肝心の日時が土曜日だったか日曜日だったか思い出せない。時間も9:00だったか10:00だったか、まったく覚えていない。

仕方ない、俺は町内会長に連絡をしてもう一度日時を確認した。日曜日の朝の9時だ。

土曜日の夜の仕事で、現場では問題が噴出していた。ええ加減な図面でデザイン重視で安く・早く・凝ったものを作ろうとしているから、問題が出るのはいつものことだ。

俺は明け方三時ごろに帰ってきて飯を食い、ふろに入り、そのあとで三角関数とか使って計算し、どうやって設計者の意図を実際の現場に落とし込むのか、脳汁を絞ったぜ。なんで俺がこんなことまでしなきゃいけないんだ?これは設計の仕事だろう?とはいえ、治めないことには面白くない。一騎当千の現場監督の名が廃るぜ。しかし、午前七時俺の電池残量は底をついた。少し仮眠しようと八時にアラームをセットしすやすや眠っている息子の隣で眠りに落ちた。

午前九時、電話が鳴ってたたき起こされた。町内会の重鎮A井さんからだった。俺は寝過ごしたことを悟り、飛び起きて着替え、顔も洗わずに車で急行した。頭も寝起きのもじゃもじゃだけれど、くせ毛でいつももじゃもじゃだから、セットなんかする必要はないんだ。時短だぜ。

喫茶店の奥の大テーブルには、町会長や重鎮のA井さん、民生委員のT島さん、その娘さんのYさん、その他ゴミに悩まされてる班長さんなどがいた。まだコーヒーは出てきてないようだ。副会長や会計さんは来ていない。そんなもんだ。

で、町会長が挨拶をすると、重鎮のA井さんが話し出した。大まかに言えば、やはり町内会費を差別化して、役員になれないご老人や心身の不自由な方から一般より高い金額を取るのも、やりたくない人からさらに、役員をやらない代わりに割高な町内会費を取るのも白紙にしたという。そりゃそうだ。弱い立場の人から例え月50円とは言え、割高な会費を取ったりするのは道義に反する。やはりそういう声が多かったそうだ。また、役員をやらなくていいから割高な会費を徴収するっていうんなら、みんな金だけ払って後は知らん顔になるに決まっている。

地域の民主主義の原則としては、負担を平等に分かち合うべきだし、不平等というのは最も弱い立場の人を救済するためにこそ許されると公正としての正義という概念を追求した大著『正義論🔗』の中でもジョン・ロールズ🔗も言っている。ロールズが言ったからどうだという話ではないけれど、老人や社会的な弱者に、より大きな負担を求めるのは公平ではない。

そして、町内会に未加入の人がゴミボックスを使用することで、町内会費の2倍近い使用料を徴収するのも取りやめにしたという。結構なことだ。町内会長は実際に朝の四時から3時間くらいゴミ捨てを監視していたという。ご苦労極まるが、労多くして得るものなしだ。むしろ、そんなことをしても地域の分断を招くだけだ。町会長は裁判になっても勝つことはできるだろうが、そんなことになっては大変なので、取りやめたという。裁判費用を町内会費から出したりしたらそれこそバカバカしい限りだ。

それに何より、町内会に入っていない人がゴミボックスにごみを入れずに放置し、それでカラスが宴会を開いてたら、何の意味もないぜ。どうせ、生ごみや使い古したコンドームをかたずけるのは町内会の班長さんとかなんだ。それこそ本末転倒だ。

まぁ、班長さんたちの話によると、ゴミボックスの設置を機に町内会に再入会した人もいるという。それはそれでいいことだ。何も問題がないときには、町内会なんてなくてもいいとみんな思う。しかし、何か問題が起こったとき、地域の共同体で支えあうことができないと困ると、みんな初めて気が付くんだ。

結局町内会でもそれぞれのエリアで個別の事情がある。だから、基本的には町内会に入っていない人を排除するようなことはせず、それぞれの考えに応じて臨機応変に対応していこうということになった。そもそも、ごみの収集自体は市の公共事業だしね。

そもそもこんなことはだいたいでいいんだよ。厳格なルールを作ると、今度は人間がルールに奉仕するようになる。世の中そんなもんだ。そんなのバカバカしくないか?

まぁ、何はともあれよかった。丸く収まった。俺の思った通りだ。町会長の話では、俺が持って行った裁判の判例資料が今回の決断を後押ししてくれたようだ。無理を通せば道理が引っ込むからな。誰かを分断し排除するんではなく、包摂していく。それこそが豊かな地域社会を作り、大きなシステムの体制翼賛的な収奪から一人一人の市民を守ることになるんだと俺は考えてるんだ。

その会合を終えて、俺は家に帰ると、前の日に配った市の広報のあまりを、俺の家の裏に住んでるUさんの家に持って行った。この人は今の町内会長と意見の食い違いで町内会を脱退した人だ。けれど、大切な隣人であることには変わらない。人間と人間の間に、見えない線を引いてはいけない。レゲエの神様ボブ・マーリー🔗の歌っていた『I & I communication』だ。大切なことはロックから教わった俺さ。

ちょうどU田さん本人が、どこからか自転車で帰ってきた。俺とU 田さんは、彼の家の前で募る話で盛り上がった。息子さんが往年のスポーツカートヨタMR2🔗に彼女を乗せて出かけていく、娘さんがグラスに入れたお茶を持ってきてくれる。並びに住んでる民生委員のT島さんもやって来て話の輪に入る。U田さんの隣の家の4歳くらいの息子さんが、はっとりさんだぁ!と言って百回くらいハイタッチをしてくる。すっかり老け込んでしまった息子の同級生のお祖母さんも現れてきて、T島さんと嬉しそうに話している。何があるというわけでもないけれど、みんな楽しそうだ。俺はそんな近所の人達の姿を見ることができて深い満足を覚える。

ストリートから、地域社会を繕っていこう。家に引きこもってネットばかり見ていたって、みんな孤立した最小単位に分断され、巨大な体制翼賛的なシステムや分断をあおるデマゴーグにからめとられてしまう。誰かをのけ者にしたり、弱い立場の人を叩いたり、自分たちとは異質だと決めつけて排除したりしようとしていてはいけない。

通りに出て、にこやかにあいさつし、相手の目を見て対等な人間として話し合おう。まずはそこからだ。君もどうだい?

2026/04/28

POST#1833 物事はたいてい悪いほうにエスカレートするのさ

somewhere
先ほど入ってきたニュースだと、日銀は金利引き上げを見送った。相も変わらず0.75%だ。

1万円を持っていても一年間の利息は75円だ。物価上昇を加味すると、円の価値は年間2から3%目減りしていく。インフレなんだ。なのにコストプッシュ型のインフレで真のデフレ脱却ではないとか言ってるんだ。どこの国の話だろうか?

75円でいったい今何が買える?蒲焼さん太郎とか、タラタラしてんじゃねーとかうまい棒くらいしか買えんわい!ガリガリ君だって無理だ。振込手数料にもならんわい。これに対して物価上昇はうなぎ登りの鯉の滝登りだ。略してうなぎの滝登りだ。

円は持っているだけで価値が減衰していく。円安は止まらない。黒田前総裁のイケイケもどうかと思っていたが、石橋を叩いて叩いて結局渡らない植田総裁のチキンぶりには絶望的な気持ちになる。利上げによる責任を取るよりも、なんだかんだと理由をつけて現状維持に逃げる。結局学者出身の植田総裁では、現状を打破する責任は負いきれないんだろう。インテリなんてそんなもんだ。円安は続く。混迷する世界情勢の中で、円安がつづくのはこの国の衰退を促進するだけじゃないか。物資も調達できない。円にゲインが見込めないということは、日本という国に将来性がないということを意味するんだ。

物事はたいてい悪いほうにエスカレートする。それはマクロ経済だけでなく、町内の些細なことも同じだ。

しばらくした日曜日、ほかの役員のかたからLINEが来た。町会長がくばっている文書を見たかというものだ。写真付きで送ってもらったんで、自分もポストに走って見に行ったら、入っていたわ。ここでも物事はさらにおかしな方に転がっていた。どうやら町内会の役職者に配っているようだ。

そのタイトルには『ゴミボックスに関する問題点と町費の変更案について』とある。

そして思わず頭をひねりたくなるような文章が紙面に踊っていたぜ。

『町内会としてゴミボックスの購入を考えていますが、問題点もいろいろ出ています。

今までに町内会の役員ができないとの事で脱会された方も多く、脱会された方もゴミボックスを使用したいとの要望もあります。

今後、数万円のゴミボックスを数か所に設置を計画しています。今までにも防犯灯やその電気代などを町費より賄っていることを考慮し、案として役員ができる方、役員ができない方、そして町内会に未入会でもゴミボックスの使用を希望される方と町会費を下記のように分類したいと考えています。

*町内会に仲介されている方

①役員ができる方                 年間3600円(300円×12か月)

②役員ができない方で、高齢者・体の不自由な方   年間4200円(350円×12か月)

③役員ができない方で、健康で特段問題の無い方   年間6000円(500円×12か月)

*町内会に入会されていない方

 ゴミボックス仕様希望の方            年間7000円

役職名、お名前を記入して、変更案に賛成のかたは『賛成』欄に〇を記入、ほかに意見のある方は『他の意見』欄に記載し、4月中に町会まで持参してください』だとさ!

俺はトムとジェリーで驚いたトムみたいに目玉が飛び出すところだったぜ!

何を考えてるんだ、会長は?俺は末尾に記載されていた会長の家の電話にさっそく電話を掛けた。しかしその番号は間違っていてつながらなかった。サイコーだな(笑)

こんなこと、役員だけで決めたら他の会員から苦情が来るに違いない。古代ギリシャだって市民は数千人いたのに(奴隷と子供と女は除く。そんなもんだ)全員参加だったんだぜ!

それに町内会はメンバーズオンリーではなくて、ある種の『公共財🔗』であるべきだ。地域を分断し、他を排除するための組織でもなければ、生活や各家庭の事情を斟酌することもなく会員を区別したり、老人や心身に不調を抱えている人から例え月50円とはいえ多く徴収するのは全くおかしなことだ。本来、コミュニティーってのは様々な背景や能力の人々を、そういった差異にかかわらず包摂していくべきものだろう?

だいたい、そんな施策を実施したならば、だれもかれもが6000円払って役員にならないことを選択するだろう。金で面倒ごとから逃れられるんなら、だれだって払うさ。しかし、その果てにあるのは町内会の崩壊と、地域住民のモナド🔗化が進行し、だれもが互いに挨拶も交わさない冷たい社会になってしまう。分断と対立だ。その先に待っているのは、万人の万人による闘争だ。リヴァイアサン🔗で皆さんお馴染みのトマス・ホッブス🔗が小躍りして喜ぶぜ。

俺はさっそく市の収集事業課に電話してみた。先日の総会で、町会長が町内会に入っていない市民から、使用料を徴収してもよいといわれていると皆の前で公言していたからだ。

しかしゴミの収集自体は市の公共事業だ。町内会に入っていようがいまいが、市民であり、税金を払っている(非課税の人ももちろんいる)以上は、同じように扱われるべきだ。

電話口の実直そうな担当者さんは、町内会のことについて私どもがとやかく申し上げる立場にないのでと、恐縮しつつ答えてくれた。要は首を突っ込んだりしたくないんだよ。そりゃそうだ筋が違う。市としては市民が出したごみを、税金を使って公平に収集するのが仕事なんだから。

俺はさっそく『賛成』の欄に大きく✖を書き記した。大切な署名に使うと決めている愛用のペンのブルーブラックのインクで。そしてご意見欄にこう書き記した。

『年会費の件は、総会によって決議すべきです。(役員だけで決めるべきことではない)ほかの町内はともかく(ほかの町内では、町内会費より高いお金を徴収しているところもあるという)町内会費より高い金額を請求することは違法の惧れがあります。市の収集事業課にも質問しましたが会員以外に課金すべきか否かは、市では判断できないとのことです』と書いて、うららかな春の日差しを浴びて会長の家まで歩いて行ってポストに投函した。

ついでに、町内会に入っていない人が、ゴミステーションの使用を拒まれたことで起こした裁判の判例をプリントアウトし、大事なところに参政党の皆さんのお好きなオレンジのチェックペンでマークアップしてね。

例え町内会だろうと、市町村は言うに及ばず大は国家、国際社会に至るまで皆が納得するように協議し熟議する。それが民主主義だ。俺はそう信じてる。そして、人間を様々な属性で分断するのではなく、『人間は人間だから尊重される』という大原則が必要だと信じている。

その旗を俺は生涯降ろす気はないぜ。ちなみにその旗はこんな旗だ。アナルコサンディカリズム🔗のアナーキズムの黒と労働運動の赤をベースに日本の国旗と笑顔を組み合わせた俺の旗印だ。俺は気に入ってるんだ(笑)

2026/04/27

POST#1832 たまには地に足の着いた話をしようかな町内の話だ

愛知県一宮市のどっか
今の現場が始まってすぐのことだから四月の中頃のことだ。

朝、夜勤明けで病院に行き、少し眠ってから仕事に行って慄きながら夜通し働いて、自動運転で車を転がして帰ってきたときのことだ。いくつになっても、どれだけ経験を積んでも、初心に帰って慄きつつ仕事に取り組むという癖が抜けない。事故があったりオープンに間に合わなかったりすれば、責任が取れない。責任が取れないからこそ、頭を使って、体を使って、気を使って、道具を使って、時にはお金を使って全力を尽くす。だからこそ、仕事に対して懼れがないといえば嘘になるんだ。慄くしかないだろう。

車から降りるとどこかから『はっとりさん、はっとりさん』と呼ぶ声がする。まだあたりは薄暗い。眠っている人も多かろうに、その声は静かな明け方の空気の中に響く。この声は間違いない、町会長のA田さんだ。俺はこの通りぶらぶら気楽な稼業なので、町内会にはできるだけコミットするようにしている。だって、地域社会が最も身近な社会だからだ。

家の前の緑道のつつじの陰から俺の名を呼んでいたのはやはり町会長だった。

『A田さん、声が大きいですよ。まだ皆さんおやすみになっていますよ』

俺は歩み寄りながら、押さえた声で返事を返した。町会長は何をうろついてるんだ?ウォーキングかそれとも認知症の徘徊か?どっちでもいいけど、もっと静かに。

町会長は俺を捕まえると、いきなり意見を求めてきた。やはり来たか。実は昨日の夜、カミさんから連絡があって、町会長が書類に賛同して捺印してほしいといってきたって連絡をくれてたんだ。

『あぁ、家内から聞いています。ゴミボックスの件でしょう』

『そうなんだわ』町会長は知ったいるなら話が早いと話を進め始めた。

少し遡って、3月の末に開かれた町内会総会で、ゴミ収集場所のカラスによるごみの散乱を防ぐため、ゴミボックスを導入しようという話が出てたんだ。市からも多少補助が出るので、まずは県道に面した集積所2ヵ所2台ずつ導入しようという話になったんだ。

そしてその場で町会長は、 『町内会のお金で買うものだから、町内会に入っていない人は入れてもらっては困る』とぶち上げたんだ。それをここでもめだしたら会議は紛糾するからってんで、皆さんそれぞれにどうすべきか考えていただき、一度回覧板などでご意見を承るということにしてはどうでしょうと、司会進行役の俺は有耶無耶にしてその場を切り抜けたんだ。

何しろ、この会長と方針の違いで町内会を脱退した人も多い。俺の同世代ですぐ裏に住んでるUさんもそんな一人だ。会長の言葉の端々に、その人たちに対する意趣返しのルサンチマンがこもっているのを俺は嗅ぎ取ったんだ。

で、カミさんから前の晩に送られてきた写真には、次のような文言が謳われていた。

『ゴミボックスの使用について

 この度、カラスなどによるごみ収集場所のゴミ散乱を防止するために、町内会会費によりゴミボックスを購入します。

 町内化に加入されていない方はゴミネットなどでゴミの散乱を防止し、ゴミボックス内にごみを入れないように注意してください』

とあった。これに捺印しろと言われても、俺は御免被るな。

世の中にはありふれた問題だ。君の町でもあるんじゃないのかな。俺が推奨する方法はカラスは賢い鳥だから、『君たち、ごみをあさっちゃいけないよ。みんなが迷惑してるんだ。君たちの立場もわかるけど、もう少し考えてくれないか?』って諭してみることかな。ああいつらは意外と人間を一人一人識別し、その行動を忘れないから、穏やかに話して諭してみたことがある。以来、俺の家の前は荒らされたことがないんだ。車に糞は落とされるけどね(笑)。

実は、こうした「町内会未加入者へのゴミ出し制限」は全国でトラブルになっており、法律や裁判例では以下のような考え方が一般的なんだそうだ。

大まかに言えば、ゴミ出し制限は違法なんじゃないかってことだ。

「一切禁止」は違法の可能性が高い: 過去の裁判(神戸地裁・大阪高裁など)では、町内会未加入を理由にゴミ捨て場の利用を一切認めないことは、「権利の濫用」として違法と判断され、町内会側に損害賠償を命じたケースがある。

行政サービスの公共性: ゴミ収集は本来、市町村が責任を持つ行政サービスです。市の補助金が入っている設備であれば、なおさら特定の人を完全に排除することは正当化しにくいと考えられるだろう。村八分じゃないんだから。

応じるべき負担もある: 一方で、町内会側が「掃除や管理の負担を会員だけが負うのは不公平だ」と主張する点にも一定の理屈があります。最近の福井地裁の判決(20254月)では、未加入者に対して、管理費相当額(年15,000円程度など)の支払いを条件に利用を認めるという判断も出ている。

町会長は、さっき上げた文書を町内会未加入の過程に配布しようと考えてるらしい。今からコンビニにコピーしに行くつもりだって言っていた。それで、町内でも忌憚なくモノを言うくせに角を立てない俺に、賛同を求めてきたってわけだ。

冗談じゃない。町会長は『5000円払ったら、使ってもらってもいいということにしようと思ってるだわ』と言ってきたが、それはいかがなものか?町内会費は月額300円、年間3600円だ。それより高いって暴利すぎじゃないか?やらずぼったくりだよ。

『相応の金銭的な負担を求めることは反対しないけれど、町内会費より高い金額を請求するってのはいただけませんね。』俺は町会長に切り返した。

『それにUさんを狙い撃ちにするような態度は感心できません。Uさんは意見の相違で町内会を脱退されましたが、僕の世代が中心になって町内会を運営するようになったら、Uさんの経験や行動力、なにより不正を嫌う誠実さを僕は尊敬してるので、絶対に呼び戻すつもりです。だから、そんな町内を分断したり村八分にするようなことはお勧めできません。』

『とはいえ、町内会の会費で買っているものだから…』

『いやいや、市からの補助もあるでしょう。Uさんとこだって市民なんだから。最も僕は、先日の総会の時からすでに、そんな事態になったら、面倒だけれど僕の家の前のごみ捨て場に捨ててください!ってやりとりしてるんです。ゴミの収集はあくまで市の事業ですから。』

俺の口調は柔らかいけど、絶対に妥協はしないっていう強い力がこもっていた。

『はっとりさん、判子はいただけないですか』

『何より、こういったことは町会長の一存で決めるようなことではないのではありませんか?回覧板でそれを全ての町内会の会員に周知した上でやるべきですよ。それが民主的な自治のあるべき姿です。』

その言葉に町会長は口ごもるようにしつつ『もう籠が届いてしまうから…』ともぞもぞ言っていた。

『ならばなおさら、並行してでも独断でお決めになるのではなく、回覧板などで皆さんの意見を募り、周知し、民主的な手続きを踏んでください。』これは町会長にとっては、自分のやり方を否定される以上の、重みのある一言だったかもしれない。

町会長は誰もがやりたがらない仕事だ。金がもらえるわけでもないし。だから、長年町会長を務めているA田さんを否定するのは忍びない。けれど今回の町会長のやり方は、短期的には「お金」や「ルール」で解決するかもしれないけれど、長期的には地域の「信頼」や「つながり」を損なっていくことになるだろう。俺が言ったことは、まさにその「壊れかけたコミュニティの再生」を見据えた視点なんだ。

町会長は今からコンビニに行ってコピーしてこようと思っていたが、もう少し検討するといって、夜明けの緑道を歩き去っていった。


俺は「草の根の民主主義」の経験っていうのがもっと大きな社会そのものの民主主義を育てることになると思うんだ。大きな政治の話だけでなく、ゴミ出しや町内会といった「生活に一番近い場所」での経験こそが、社会全体の民主主義を支える土台になるんだ。

今回、俺が町会長に対して、

「一部の独断ではなく、全員の合意を(回覧板での周知)」

「排除ではなく、共生を(次世代への禍根を残さない)」

という筋を通したことで、「草の根の民主主義」を実践できたのならいいんだけどな。

面倒な手続きや対立を避けて「長いものに巻かれる」のではなく、あえて対話を選び、納得感を求める。その積み重ねが、結果として「誰もが居心地の良い社会」を育てていくことになるんじゃないかな?

民主主義ってのは誰にとってもかなり面倒くさいもんなんだけども面倒くさい プロセスを経ないとやっぱり意味がないんだよね。

「面倒くさいプロセス」こそが民主主義の本体であり、それを省いてしまうと、ただの「強制」や「支配」になってしまうんだ。どっかの専制主義国家とか、どっかの民主主義の老舗といいながら王様が好き勝手にしてる国とか、どっかの選挙で大勝したから自分が何をやるかははっきり言わんけど、白紙委任されたから話し合う必要も説明する必要もないっていう国みたいにね。

効率だけを求めれば、町会長が独断で決めてハンコを押させるのが一番早いかもしれない。でも、それではコミュニティーの中に納得感は生まれないだろうし、排除された人たちとの間に深い溝が残るだけだ。

意見の違う人同士が話し合い、回覧板で情報を共有し、みんなで頭を悩ませる。その「面倒くささ」を経て決まったことだからこそ、人はルールを守ろうと思えるし、地域に愛着も持てるんじゃないのかな?それこそが手間をかける価値なんだ。

「民主的なプロセスを経ないと意味がない」という言葉は、まさに民主主義の本質だと思うんだ。たとえ結果が同じ「カゴを置く」であったとしても、そこに住民の合意があるかないかで、コミュニティの質は180度変わってしまいます。それが「意味」の重みだ。

その「面倒くさい」を厭わない態度こそが、将来的に「この町はみんなを大切にしているんだな」と感じられる土壌になる。俺はそう信じている。

民主主義はアメリカやフランスで生まれたとみんな思っているかもしれないが、合衆国の民主主義の起源になった制度は実はアメリカの原住民の間に根付いていたものだ。

イロコイ連邦🔗という、五大湖周辺の部族連合の自治システムはアメリカ建国に大きな影響を与えたけれど、まさに徹底した合意形成(コンセンサス)のプロセスを重視していたんだ。

イロコイ連邦に学ぶ「面倒くささ」の価値

全員一致への執念: 彼らは多数決でサッと決めるのではなく、異なる部族間や世代間で納得がいくまで話し合う。この「話し合いを尽くす」という手間が、結果として連邦の強固な結束を生んでいた。

七世代先を想う: 彼らは何かを決める際、「この決定が七世代後の子孫にどう影響するか」まで考えて議論していたと言われている。この長すぎるほどの時間軸こそが、短視的な「効率」に流されない、真に持続可能な民主主義の形だろう。現在の四半期決算や日々上下する株価と世論調査の政権支持率しか考慮しない政府とは大違いだ。

役割分担と検証: 特定の部族が提案し、別の部族がそれを検討し、さらに別の部族が最終判断を下すという、チェック・アンド・バランスの仕組みを徹底していた。まさに俺が町会長に求めた「実務と周知の並行プロセス」に近いものがあるだろう。 

現在の効率重視の社会では、こうしたプロセスは「遅い」「面倒」と切り捨てられがちだが、そのプロセスそのものが社会の信頼を育てる土壌になるんだ。そして信頼を喪失した社会は分断され、分断は支配と対立を生み、支配と対立は憎悪と闘争を生み出す。最悪だ。 

俺は、人類学の本や社会学の本を読む過程で、そういう知見を通三重ねてきた。今回のことが、かつてのイロコイ連邦の智恵に通じるものがあるとすれば、生きた知識だということになり嬉しい限りだ。 

けれど、一週間ほどしてから、事態は急展開を迎える。次回に続くだ。

2026/04/21

POST#1826 鬱病に関する大いなる矛盾

ベトナム
朝四時に仕事を終え、家には5時に帰ってくる。年年歳歳、心身に負荷がかかるのを感じる。

カミさんが用意しておいてくれた食事を、届いたばかりの左翼ご用達・朝日新聞を読みながら、もっちゃもっちゃと食べる。そうこうしている間に風呂を温めなおし、食器を洗ってから風呂に入る。温かいお湯に満たされた風呂桶に入ると棺桶に入ったみたいにくつろぐぜ!けど、このまま寝落ちするといけない。俺のカミさんの親父さんは、ふろの中で死んでいたっけ。で、気力を振りしぼって風呂から出るともう6時30分だ。

そこから仕事の写真と報告書をまとめ、現場で生じた質疑を整理して顧客にメールを送り、7時ごろ寝床に潜り込む。

女房子供はもう起きる時間だ。

いつもならこれで昼くらいまで眠るのだけれど、今日は持病の鬱病の治療のために朝から病院に行かなけりゃならない。カミさんに8時半に起こしてくれと頼み、しばし浅い眠りにつく。

今の俺は傍から見ればやたらとでかい風呂敷を広げ、何の悩みもなさそうだが、前にも話したようにここ何年も鬱病で薬漬けだ。ついでに言うとアレルギー疾患と痛風でも薬づけだ。

ぶぶ漬けでも食べってかえっておくれやす、てなもんだ。

一時間ほどまどろんで、半分居眠り運転で病院に行く。そして医師の簡単な診察とカウンセラーとのとりとめもない話をして、処方箋をもらい薬局に行く。

この薬局は薬が出てくるのにやたらと時間がかかっていたのだが、グーグルマップのコメントに『とにかく薬が処方されるまで時間がかかりすぎる』と書き込んでから、なぜか他の人を差し置いて俺の薬が処方されるようになった。偶然なのか?それとも、俺が厄介な病人だと思われてるのか。ありがたい話だ。俺は眼をあいたまま眠り、眠りながら車を運転して家に帰ってくる。すごい、テスラも驚きの自動運転だ!

睡眠不足は鬱病を悪化させる。

いつもならこれで夕方まで眠ることができるのだろうが、明日仕事の書類の提出日だ。今日のうちに仕込みをしておかないと間に合わないぜ。現場から上げている質疑は全く返答がない。後でやり直しを食らうのも、書類の不備で仕事が滞るのも御免被る。そんなわけで、また一時間半ほど眠り、目を覚まし、マシンのように書類を作成していく。その間にも、質疑や懸案事項の電話をかけまくる。なにかに追い立てられてるみたいだな。

睡眠不足は鬱病を悪化させる。

やれやれ、昔RCサクセションの歌の歌詞で『クスリを飲んで眠る 副作用で起きる』というのがあったのを思い出して、クスリと笑ってしまったぜ。

 鬱病を直すために睡眠時間を削って、鬱病の悪化のリスクを高める。とんだマッチポンプだな。まぁ、太平洋の反対側の世界最強最狂国家のやらかしてるマッチポンプに比べたら、ささやかでほほえましいマッチポンプだけどな(笑)。

2026/04/14

POST#1819 寝起きから警察に文句の電話を入れた


犬吠埼
眼を覚ました時には、11時30分だった。
今日はうつ病でかよっっている精神病院の予約が9時から入っていたのに。
診察とカウンセリングだ。
俺が鬱病だといっても誰も信じてくれない。この人たちだけが信じてくれるのさ(笑)
ふとLINEを見ると、父が入所しているサービス付き高齢者住宅の施設長からLINE電話が入っていたのに気が付いた。俺は爆睡していたから気が付かなかったんだ。
で、施設長に連絡してみるとこんな話だった。

俺の親父は86歳にして要介護どころか要支援もつかない健康なくそジジイなんだが、毎朝決まったルートを散歩している。ご苦労なこった。
毎日同じルートを歩いていれば、毎日通学などで顔を合わせ子供たちにあいさつをしたり、そのうちに親しくなって話したりハイタッチすることも出てくる。
どうにも施設の人に話を聞くと、その子供からは手紙をもらったり親御さんとも挨拶したりする親密な関係を築いていたらしい。
それを不審に思った地域住民が、警察に相談し、今朝警察がやってきて親父に事情聴取したうえで、施設まで連れてゆき、施設長とも話をしたという。私服警察官が3人もやってきたんだとさ!そして、『今回は警告だ』という不気味な言葉を残して去っていったという。

京都の山中で行方不明の小学生が遺体で見つかったことに関しては、同じ年頃の子どもを持つ市民としては、胸が痛む。(京都の件に関しては、いまだに事件なのか事故なのか、それとも本人自身の問題なのかわからない状態なので、ここで何かを言うのは差し控えることにする。ご了承いただきたい。)そして、そんな報道があったことで、子供に声をかける老人を不審に思う市民がいるのもわかる。現象を見て何を思うかは内心の自由があるからそれは問題ない。問題なのはそのあとだ。
怪しいと思うなら、自分から声をかけて話してみればいいだろう?それとも86歳のじいさんがおっかないのか?(ある意味あの元気さが、俺にはおっかないけどな)

誤解が解けたら理解を深めよう。

そして、警察だ。何の法的根拠があって私服警察官が3人もやってきて『警告』したのか?
子供への挨拶そのものは刑法上の犯罪ではないんじゃないのか。
が、現代の防犯活動において、警察は重大な犯罪(誘拐やわいせつ事件など)を未然に防ぐための「先制・予防的活動」として、見知らぬ大人による声掛けを「事案」として扱うことがあるのだという。やばいな。子供にあいさつをする町内の気さくなオッサンたる俺も、いつ警告されるか分かったもんじゃない。この国はいつからこんな風通しの悪い国になったんだ?

警察官から『警告』を受けた際に、背景として考慮されている可能性のある法律や根拠は調べてみるとこんなものがあるようだ。
1. 警察官職務執行法(警告の法的根拠)
警察官が父に「やめるように」と告げた行為自体は、この法律に基づく指導や警告である可能性が高いかもしれない。
第4条(避難等の措置): 人の生命や身体に危険が及ぶおそれがある場合、警察官は必要な警告を発することができます。
犯罪の予防: 警察は「犯罪の予防」を責務としており(警察法2条1項)、不審者情報が寄せられた際や、特定の状況下での声掛けが「犯罪の前兆」と判断された場合に指導を行います。 

2. 迷惑防止条例(各都道府県の規定)
多くの自治体では、特定の状況下での「つきまとい」や「不安を覚えさせる言動」を禁止している。 
不安を与える行為: 正当な理由なく、相手(特に13歳未満などの子供)に不安を覚えさせるような方法でつきまとったり、声をかけたりする行為が制限される場合があります。
卑わいな言動: 内容によっては、条例上の「卑わいな言動」とみなされるリスクもあります。 
3. 軽犯罪法
第1条28号: 他人の進路を塞いだり、つきまとったりして不安や迷惑を覚えさせる行為が該当する可能性があります。

ではなぜ「挨拶」が警告の対象になるのか?

警察の基準では、善意の挨拶であっても、子供が「怖い」と感じて通報したり、保護者から「知らない人が声をかけている」と相談があったりすると、「子供に対する声かけ事案」として記録されるそうだ。
警察は、略取・誘拐などの重大犯罪を未然に防ぐため、犯罪に至らない段階であっても、行為者を特定して「指導・警告」を行う運用を強化しているらしい。ご苦労なこった。

なぜ「警告」まで発展したのか?

現代の防犯ルールでは、たとえ挨拶であっても、子供が「怖い」と感じたり、保護者が「知らない人が頻繁に話しかけてくる」と通報したりすると、警察は「声かけ事案(不審者情報)」として動かざるを得ないのが現状だそうだ。やれやれ、世知辛い世の中だ。

刑法の条文に直接抵触していなくても、以下のステップで「警告」が行われた可能性が高いようだ。

子供・保護者あるいは地域住民からの通報: 「知らないおじいさんに毎日声をかけられて不安だ」という相談が警察に入る。あるいは「施設に入っているから地域の人間とみなされず、不審な老人が毎日こどもと親し気に接している」と地域住民から通報相談が入る。

ストーカー規制法や迷惑防止条例の準用: 繰り返し同じ子に声をかける行為が、相手に不安を与える「つきまとい」に近いと判断される。とはいえ、親父の話じゃその子からは、手紙とかももらったことがある顔見知りだったらしいぜ。

警察官職務執行法に基づく指導: 実際の事件(誘拐やわいせつ等)を未然に防ぐため、警察が「これ以上はやめてください」と公式に警告(行政指導)を行う。

まったく「今の世の中はどうなっているんだ」と納得しがたいぜ。しかし今の時代は「知らない大人からの声かけは、善意であってもリスク」と子供たちが教えられている。いわゆる『いかのおすし』だ。

それはそれでごもっともな話だ。まったく市民社会が委縮して、他人に無関心で共感力の低い冷たい社会になっていくのがするのもよくわかる。まったく以て結構なお話た。

この話しのポイントは、現代の防犯活動が抱える非常に根深く、切実な問題(ジレンマ)だ。

本来、地域社会の「挨拶」は、子供を見守り、犯罪を抑止するための「共助」の基盤だったはずだろ。オアシス運動とかあったよな。バンドのオアシスじゃないぜ、そっちはそっちで大好きだけど。

しかし、現在起きている現象は、「市民社会の委縮(ソーシャル・キャピタル=社会的なつながりの毀損)」を招いている側面が多分にあるといえるだろう。

この問題には、以下の3つの背景が複雑に絡み合っているんじゃないかな。

1. 「性善説」から「リスク管理」への転換

かつては「地域の大人はみんなで見守る」という性善説が通用したが、現在は「万が一の事件」が起きた際の警察や学校の責任問題が非常に厳しくなっている。その結果、「疑わしきはすべて排除する」という極端なリスク管理に振れてしまっている。

2. 教育現場の「知らない人にはついていかない」の徹底

現在の防犯教育(いかのおすし等)では、「知らない人に声をかけられたら逃げる」と教えられる。子供には「善意の挨拶」と「誘い出しの口実」を見分ける能力がないため、「大人は一律に警戒対象」として教育せざるを得ないという教育現場の限界があるんだそうだ。けれど俺は子供のほうが人間の本質を見抜いてると思うけどな。

3. 「声かけ事案」という統計の罠

警察は、軽微な声かけもすべて「事案」として集計し、防犯メールなどで共有するんだそうだ。ご苦労様。これにより、保護者の不安が過度に煽られ、「挨拶されただけで通報する」という過剰反応が連鎖し、さらに警察が動かざるを得なくなるという悪循環が生まれている。

さて、86歳のくそジジイが朝の散歩で挨拶をするという、かつては「美徳」とされた行為が「警告」の対象になるのは、明らかに地域のコミュニケーションの崩壊を象徴している。

俺は寝ぼけた頭でこの話を聞いて、真っ先に憲法で保障された「表現の自由」や「行動の自由」に対し、具体的な実害(つきまといや卑わいな言動)がないにもかかわらず、警察が「挨拶」を一律に禁じるのは、公権力の過剰な介入だと思ったぜ。俺は国家権力に縛られるのが嫌いなんだ。てか、好きな奴っているのかな?

俺は施設長との電話を切ると、すぐな地元の警察署に電話した。生活安全課か地域課の人間と電話越しに事情を説明し、その『警告』の法的根拠を伺いたいと話をしたんだすると警察官は、『了解』と言った。

『了解』だと?了解ってのは、あくまで上の立場の人間が目下のものに対して言う言葉だ。俺はそれく指摘し、即刻抗議した。非礼だ。

警察官が市民に対して「了解」という言葉を使うのは、ビジネスマナーとしても公務員の接遇としても極めて不適切だ。本来は「承知いたしました」や「かしこまりました」と言うべき場面だ。俺はへりくだってほしいと思ってないから『わかりました』で十分だけどね。

俺は『公僕』が『了解』なんて言葉を使うもんじゃない!と言ってやったんだ。

君はどう思うかわからないが、これは、主権者たる市民として極めて正当な権利行使なんだ。公共の安寧を守るはずの者が陥っている「勘違い」を正す重要な指摘なんだ。

そもそも警察官は国家権力のシステムの一環ではあるけれど、国家システム自体が「公僕(Public Servant)」であり、その権力は市民からの信託によってのみ成立している。俺たち一人一人の市民はもって生まれた権利=自然権の一部を国家という全体に委譲し、そのうえで司法、立法、行政などを任せているにすぎないんだ。

それがいつの間にか市民を指導・管理の対象として見下し、対等な敬意を欠いた言葉(了解)を使うことは、その信託関係を自ら否定する行為に他ならないんだぜ。

俺があんまり声高に憤ってるもんだから、別の部屋でテレワークしてるカミさんが、そう感情的になるもんじゃないとたしなめに来たほどだ。しかし、俺に応対した末端の警察官は、国家システムというものが、個人の自然権を移譲して公共の福祉のために作られたものである認識がない。俺が国家システムという言葉を発したとたんに不機嫌になるのが分かった。

ある意味仕方ない。俺の真ん中にある哲学的な視点は、近代民主主義の根幹である「社会契約説」そのものだからだ。

これは大事なことだからもう一度言うぜ。

本来、警察権力というものは、私たちが自分たちの安全を守るために「自然権(自由権)」の一部を信託し、公共の福祉のために行使させているに過ぎないはずだ。

つまり、警察官は「主権者である市民の自由を最小限の介入で守るための公僕」であるはずだ。

しかし、現場の末端警察官において、以下のような深刻な「認識の逆転」が起きているのが実態だ。

1. 「お上」意識とパターナリズム(父権的介入)

「了解」という言葉遣いに表れているように、彼らは自分たちを「市民を指導・管理する立場」と思い込んでいる。主権者から権限を預かっているという謙虚な認識ではなく、「国家という強大な権力の執行者」としての特権意識が、個人の尊厳を軽視させている。

2. 「公共の福祉」の誤用

本来「公共の福祉」は個人の自由を調整するための概念のはずだけれど、実際の現場では「誰か一人でも不安に思えば、個人の自由を制限して良い」という安易な安全至上主義にすり替わっている。

これでは、多数派の主観によって少数派(あるいは個人の善意)が排除される「専制」と同じだ。先日も卒業式の赤飯が、3月11日に不謹慎だというたった一人の苦情で廃棄された。それと同じだ。

3. 法の支配(Rule of Law)の欠如

法執行官であれば「どの条文の、どの構成要件に該当するのか」を厳格に判断すべきだが、現代の防犯活動は「事案化(データ化)」を優先するあまり、法的根拠のない「事実上の強制(行政指導)」を乱発している。これは法治国家としての根底を揺るがす事態じゃぁなかろうか。

俺は、内容がわかる人間からの連絡を要望し、内容いかんによっては弁護士に相談するといって電話を切り、返答を待った。

「調査して連絡する」という回答を引き出したことは、彼らに「安易な言葉(警告・了解)が通用しない相手である」と認識させた証拠だといえるだろう。

「弁護士と相談する」という言葉を警察に突きつけたことは、今回の問題を単なる「現場の行き過ぎた注意」から、「公権力による不当な権利侵害(国家賠償法上の問題や名誉毀損の可能性)」へとステージを引き上げる、非常に強力な布石だ。俺たち兄弟にさんざん尻拭いをさせてきたくそジジイだが、根拠なく犯罪予備軍扱いされるのは納得いかんのさ。

警察側も、これによって「適当な言い訳で済む相手ではない」と組織として認識したんだろう。早速地域課の警部さんがしどろもどろで電話してきた。

まぁ、その子どもと緊密な関係を築いているのははたからはわからない。

警察も誰からか通報があれば動かざるわけにいかんのだろう。しどろもどろで釈明していた。警察官職務執行法ですか聞いたら、その上位法である警察法という法律に基づくものだといっていたな。なんや知らんけど。

面倒だな。仕事の電話は次々かかってくるし。俺は最後に地域課の偉いさんに言ってやったさ。

『次に親父が何かしでかしたら、警告とかなまぬるいこと言ってないで、さっさと逮捕して独房にぶち込んでください。そうすれば、僕ら兄弟も親父の入所してる施設の金を払わなくて済みますから。次はぜひ思い切ってお願いします!ガハハハッ』

そもそも、俺の親父のようなケースで私服警察官が3人もやってきて『警告』という言葉を安易に使うことは、国家が市民の日常生活(挨拶という道徳的行為)を検閲し、コントロールしようとする「全体主義的な兆候」なんじゃないのか?

日本の警察もそのうちにアメリカのICEみたいに市民を標的にするようになるのかもしれない。あるいはこの国自体が中国みたいな全体主義的な専制主義国家へと変質しようとしているのかもしれない。

どっちにしても、国を守るってのは軍備で国土を死守することよりも、国としての理念を守ることだと俺は思うよ。何より、あいさつするだけで私服警官が3人もやってくる世の中なんて、ホラーすぎるだろう。俺は御免被る。

2026/04/12

POST#1817 キャバクラワンセットのお値段で、一生モノの教養をゲットしろ!

タイ、チェンマイ

さてと、日曜日だというのに夜勤明けに眠って目が覚めたらもう日は傾いていた。セッティング・サン🔗だな。 ガソリンを入れてシェービングジェルを買い、本屋にふらりと入ったら、ウィトゲンシュタイン🔗哲学探究🔗を衝動買いしてしまった。キャバクラワンセットのお値段で、一生モノの教養と暇つぶしのネタが手に入る。素晴らしいこった(笑)

さて、閑話休題

日本の核武装に関しては統計社会学による預言者として名高いエマニュエル・トッドも長年提唱している。俺も最初に読んだときには面食らったが、よくよく吟味してみたら家族システムをもとにした社会分析に定評があるトッドの提言、いささか日本びいきのきらいはあるものの、まったく荒唐無稽なこととは思えなかった。

国論を二分するとかおっしゃるのなら、これくらいのことをぶち上げないとね。高額医療費補助を削減するとかじゃなくてさ。まったく、この国の政治はレベルが低いぜ。 

トッドの提言を「日本びいきの学者の独り言」と片付けられないのは、彼が「家族システム(直系家族)」という、その国の深層にあるOSから国家の行動原理を読み解いているからだ。

トッドが日本に核武装を勧めるロジックは、まさに「対米従属」の打破と直結している。

まずアメリカという「保護者」からの卒業だ。

トッドに言わせれば、核を持たない国は、核を持つ国(アメリカ)に対して「精神的な子ども(被保護者)」の地位に甘んじることになる。マッカーサーも日本人を精神年齢12歳と言っていたしな。アメリカは日本を子ども扱いしているんだ。自立した大人(主権国家)として対等に渡り合うには、核という「自前の盾」が不可欠だというリアリズムだ。

そしてこれは米中対立の「緩衝材」となりうる。

日本が独自の核抑止力を持つことで、今や世界最悪最強の『ならず者国家』と化したアメリカに引きずり込まれるリスクを減らし、中国に対しても「手出しをさせない」という永世中立的な立ち位置を確保できるという計算だわな。

それに加えてトッドの十八番、直系家族の強靭さだ。

ドイツや日本のような「直系家族(長男が継ぎ、規律を重んじる)」システムを持つ国は、一度方向が決まれば驚異的な団結力と技術力を発揮する。大政翼賛会やナチスドイツの全体主義を見てみればお分かりでしょう。トッドは、その潜在能力が「核」という裏付けを得たとき、真の自律が達成されると見ているのだろうな。

俺が妄想する「天皇制をツールとしたインクルーシブな国家」という構想に、トッド的な「核による主権回復」を組み合わせると、「精神的な古層(天皇)」と「物理的な最終兵器(核)」が、外敵を遮断し、内側の自由を守る二重の城壁になる。ファイヤーウォールだ。

しかし、トッドも指摘するように、最大の問題は「日本人がそれを望むか」だな。

生活の困窮が極限に達したとき、日本人はトッドが期待するような「直系家族的な底力」を発揮して、この劇薬を飲み干すことができるでだろうか?

俺が思うに、その前に「システムの自己崩壊」の方が早く訪れてしまうだろう。そうなったらおしまいだ。

「おしまい」という言葉に込められた、俺の底抜けの諦念と、ある種の解放感が入り混じった感覚を感じてほしいものだ。

日々を懸命に生きる人々の泥臭い生活の現場も、柳田國男が夢見た常民の安寧も、そしてトッドが期待した直系家族の底力も、それらが「真の独立」の足がかかりとして結集する前に、「対米従属」という寄生構造そのものが日本を食いつぶし、システムが内側から自壊する。それが、俺の目に見えている最も精度の高い未来図だ。

現に、アメリカに言われるままに増額を決めた防衛費をひねり出すために、国民の福祉は削り取られている。こどもが砂場で興じる棒倒しのように、いつ日本という社会システムの崩壊がやってくるのか、まさに黒ひげ危機一髪だ。

米国債を売る決断も、核を持つ覚悟も、天皇リベラリズムという大博打も。それら「劇薬」を打つ体力すら残っていないほど、今の日本は中身が空洞化してしまっているのだ。

システムが自己崩壊し、あらゆる「偽りの安心」が剥ぎ取られた焼け跡のような更地。そこに至って初めて、残された人々が「日本人とは何者か」を問い、自分の足で立ち上がるしかなくなるわけだ。

けれど、国家なんかなくても俺たち人間は生きている。 

国家がなくても、闇市のようにして生き抜く。その後にこそ鍛造されたしぶとい日本人が、現れるかもしれないぞ。実際に戦後すぐのころは、そんなもんだったろう。

その時に頼れるものは、自分自身の四肢と人と人とのつながりだ。紙切れと化した円や債券ががいくらあっても、北斗の拳のような世界は生き抜けないぜ。どうだい?

2026/04/03

POST#1808 今日は西行忌

 

家の真ん前の小学校の桜 この木を見てこの家を買うことに決めた
昨日と今日は真清田神社の祭礼だ。桃花祭🔗という。
昨日は俺の町内で、祭りの一環としてこども獅子の引率をしたんだ。何しろ俺はこう見えて子供会の副会長だからな。祭壇を設け、神饌を供え、鐘の音と拍子木でリズムをとりながら町内をすすむ子供たちの獅子を引率するんだ。これは思うに町内の祓い清めなんだ。
鈴の余韻のある澄んだ音で、獅子の威容で町内の罪穢れ諸々の禍事を鎮め治める大切なものだと俺にはわかってる。だから、子供たちの健やかなること、町内の皆様の安寧をおもいながら務めを果たした。
前日まで降り続いた雨にも耐え、桜は咲き誇っていた。

願はくば
花の下にて春死なむ
そのきさらぎの望月のころ

そして今日は旧暦で西行🔗の命日にあたる二月十六日。
ちなみに昨日は旧暦二月十五日、お釈迦様の命日とされる涅槃会だ。
若いころ、如月、つまり2月の15日に桜が咲くとは面妖なことだと思っていた。2月の半ばなどまだまだ寒さ厳しい季節だ。こんな時期には寒椿しかなかろうにと思っていた自分の不明を恥じるばかりだ。そう、旧暦のことが全く頭に入っていなかったんだ。
温かく、桜が咲き誇るこの時期なら、あの世に行くには本当にもってこいだ。

ちなみに、鳥羽院に仕える武家のエリート北面の武士であった佐藤義清は、同僚の死を契機に出家遁世し、山中に草案を結んだ。出家しようとする自分の足に縋り付く子供を、縁側から蹴落として出家した話は印象に残っている。ちなみに、同時期の北面の武士には平清盛も名を連ねていた。時代感覚がわかってもらえるだろう。

山河を跋渉し、数多の歌を詠み、桜の花を愛でた西行は沙羅双樹の花の下にて死んでいった釈迦のように、桜の花の咲き誇る時期に死ぬことを願って先にあげた歌を詠んだ。
そして、その願い通りに、如月十六夜の日に世を去った。

まったく、出来すぎだな。

ちなみに西行を慕っていた高杉晋作🔗は、東則ち幕府を倒しに行くという決意と西行をもじって東行と称していたそうだ。

その高杉晋作の詠んだ辞世の句は

おもしろき 
こともなき世を おもしろく
すみなすものは 心なりけり

27歳で亡くなる直前、病床で「おもしろきこともなき世を おもしろく」と書き、下の句を看病していた野村望東尼が付け加えたとされている。

面白くない世の中を、面白くするのは自分自身の心持ちだな。俺は君たちが考え付かないようなことを日ごと夜ごとに考えているのさ。例の奇策は明日また話そう。仕事の書類を作らないといけないんだ!

2026/03/18

POST#1792 こどもの教育をめぐる家庭内の紛争

香港
うちのバカ息子が、塾の週間テストで全校639人中638位という華々しい成績を収めてきた。
さすがは麒麟児だ。豚児って名前にしておけばよかった。
俺はつねづね、名は体を表すってのは嘘だと思ってる。親の願望を表してるんだ。これは俺が昔、誠って名前の不誠実な奴と働いたときに悟った真理だ。
かの中江兆民🔗は自分の息子が人力車の車夫になっても気恥ずかしい思いをしないように、次男に丑吉という名を付けた。しかし、ご子息は長じて古代中国哲学の碩学として名を成したんだ。
翻って、わが息子麒麟児。自動車や電車のことはたちまち覚えるが、理科の暗記問題は全く覚えられない。算数の解き方も全然覚えられない。漢字も全然だめだ。その気がないんだ。
それでも、本人は平気の平左で、自分の試験結果を見て、改めて勉強に取り組む姿勢を見せるわけでもない。
注意しても、説教しても馬耳東風だ。
あまりの態度の悪さに、こんなの月々結構な額面の塾の月謝をどぶに捨ててるようなもんだと憤慨する。
成績が悪いのは仕方ない。
けれど、まじめに取り組んでくれないのは、命を削って働いている自分からするとやりきれないったらない。もっとも、金を出してるのはカミさんだが、そのカミさんに金を吸い上げられる額が、塾のおかげさまで跳ね上がった。月々じいさんの生活費も面倒見なきゃならないしな。
おかげさまで、飲まない打たない買わないの三拍子そろった服部君に磨きがかかるというものだ。
塾をやめてくくれれば、酒を飲んだり、ギャンブルしたりするのかといえば、それはしないが、みすず書房とかのクソ高い本を買えるだろう。本当に内容のある情報は、ただでネットに転がっていないんだ。身銭を切って手に入れた本を、時間をかけて読むことで、自分の内側に繰りこむことができるんだ。まぁ、読む時間があるかは別の問題としても。
あまりにも経済的に不条理だ。
そこで、昨日は息子に塾をやめてもらおうということになった。
はじめのうちは、カミさんと二人で説得してたんだ。愚息は一旦は納得したみたいだったが、俺が夕食後に部屋で本を読んでいるうちに、いつのまにかまたくすぶりだしやがった。おまけにカミさんは俺と息子に二人で話し合って決めてと俺に下駄を預けてきやがった。
むすこは俺に縋り付いて塾に行かせてくれと懇願する。
なんども何度も懇願するが、どうせ明日からしっかりやるとか言ってもやりゃしないんだ。
俺は息子の腕を突き放しようにして振りほどいた。
勢い余って息子は吹っ飛び、クローゼットの折れ戸に激突した。
同時にクローゼットの扉を吊っている金具が壊れたのか、二枚つながりの扉が倒れてきた。

まるで昔のドリフターズのコントだぜ。

こどもは泣き叫び、カミさんはあぜんとしている。
俺はカミさんに扉が倒れてこないように抑えてるように指示すると、道具を仕事の車から持ってきて、扉を吊りなおした。破損した部品はすぐさまネットで探して発注した。やれやれ、無駄な出費だぜ。

それで塾の話は有耶無耶になっちまった。おかげさんで、今日も塾まで車で送っていったところさ。一体何やってんだか・・・。

2026/03/14

POST#1788 俺は勉強は嫌いだが、学問は好きだ

名古屋駅西
どれだけ頑張って仕事に取り組んでも、俺はカミさんからダメな奴と思われているんだ。

仕方ない。若いころは根拠のない自信満々だったし、エネルギーに満ち溢れていたからな。なんでもその気になればできるし、なんにでもなれると思っていた。それが、今ではしがない現場監督だ。それがシビアな現実だ。

どれだけその世界で一線級の一騎当千でも、しょせんはブルーカラーだ。肉体労働の端くれだ。実際には頭使って、体使って、気を使って、金も使うという総合的な人間力が問われるんだけれど、外資系企業でじゃんじゃんバリバリやってるカミさんからすれば、稼ぎの悪い非効率的な仕事のブルーカラーだ。

世の中には職業に貴賎なしという建前があるが、実際にはブルカラーの人間を蔑視する傾向は抜きがたくある。そういった職業の人々の中にも、自発的に卑下するような卑屈な発言をする奴がいる。一般の皆さんのご迷惑にならないように、歩道は一列で歩きましょうとか自ら提案する卑屈な考えの持ち主もいた。現場で働いてる人間は二級市民のように扱われる。まるで士農工商穢多・非人だ。白戸三平のカムイ伝🔗の世界みたいだ。

職業に貴賎なしなんて、嘘だ。

俺が息子とひと悶着あった朝、美容院に出かけて帰ってくると、カミさんは相変わらずむすっとしていた。

俺の朝の態度が気に入らなかったんだろう。にもかかわらず、俺が「塾と塾の課題を夜遅くまでやって学校が蔑ろになるんなら、本末転倒じゃないか?」というと、憮然として「じゃぁ塾辞めればいいの?中学受験やめればいいの?」とすごい剣幕で畳みかけてくる。

「私立の中学行かなくっても、死ぬことはないけれど、毎日遅刻して学校行くなんて意味ないじゃないか」俺は抗弁したが、いまだかつてカミさんに口論で勝てたことがない。

「じゃぁ、あきらめろっていうの?なに!市立の中学行って、通信制の高校でも行けばいいの?!あんたが麒麟児にパンでも焼いて一生暮らせって言ったんじゃないの!そんなのかわいそうでしょ!」カミさんは半泣きで怒っている。

パンでも焼いて生きろってのは、発達障害で本当に学校の勉強がままならなかったころ、俺がしばしば言っていた話だ。小学校から特別支援学校に移り、先々は発達障害や身体障碍、知恵遅れの人などの施設で、入所者や通所者の自立のために、パンを焼いて売ったりしてるようなところに行くしかないんじゃないかって言っていたことを指してるんだ。

俺はパン焼いて生きるのも、けっして意味のない人生ではないし、惨めなものでもないと思うけど。それはあえて言わない。そこに無意識の差別意識が潜んでいることを俺は感じ取るけれど、それも黙っておく。そもそもまぁ、どんな人生も意味があるといえばあるし、意味がないといえばない。どっちでもいいさ。

俺は言葉に窮した。確かに俺はそういったことが何度もある。けどもう、そうなったら自分の部屋にこもるしかないんだ。

で、なんだかんだ言って昨日の夜も、夜12時前まで二人でわあわあ言いながら勉強していたわな。俺はさっさと風呂に入って休ませてもらったぜ。

最後に一言。俺は勉強は嫌いだった。けれど、学問はいまでも好きだ。

勉強って「強いて勉める」って書くだろう。その自分の外から強いられて何かのためにする、将来いい稼ぎを得るためにするっていう功利主義が見え隠れするのが嫌なんだ。なんか子供を作るためにだけにする、種付けのようなセックスみたいでげんなりする。

ただ、自分の中から湧き上がってくる疑問や好奇心といった「問いを学ぶ」という、見返りは自分の満足だけの愉楽としての学問。俺が好きなのはそれだ。読者諸君、失礼する。よい週末を過ごしてくれ給え。

2026/03/13

POST#1787 子供をめぐる家庭内のおおいなる見解の相違

成田

俺のカミさんは、俺がふとした拍子に「将来息子のきりんじがお嫁さんをもらって…」というだけで、血相変えて怒る。お嫁さんとか家とかいう観念がない人なんだ。まぁ、複雑な家庭環境だったから致し方ないかもしれない。
俺は日常的な話でひょいと出た言葉に、激烈な反応を繰出されて内心辟易する。きっとレヴィ・ストロースの親族の基本構造🔗なんか読んだら、900ページ以上あるとっても分厚い本なのに、引きちぎって破り捨てること請け合いだ。
なぜって、この本では社会集団相互で、女性を交換し合うことで、社会を結合していくというテーマが語られているんだからな。実際にレヴィ・ストロースがこの本を出版したときにも、女性蔑視だという非難の大合唱だったらしい。
まぁ、リベラルなんだろう。俺以上に。稼ぎも俺以上だしな。俺はいつまでたっても、ヒモみたいなもんだと思われ、どこか頼りない奴だと軽蔑されているんだろう。
そのカミさんは、息子を私立の中学に入れるために頑張っている。
最近は進学学習塾に通い出した。
しかし、うちの息子はいつも言うように発達障害グレーゾーンの問題児だ。
そもそも、落ち着いて座って授業を受けていることが最近までできなかった。
授業中、教室を抜け出して学校内を探検するのが好きだったんだ。俺が子供のころなら、そんな奴もいただろう。しかし、その前に先生にこっぴどく叱られてビンタ食らったりしたものだ。
おかげさまで、俺の息子の通知表はいつだって1の行進だ。学校の担任からは、いくらテストでいい点をとっても、授業にまともに取り組んでいないから通知表は1しか付きませんと宣告されている。思うにこの先生は、あまり俺の息子のことが気に入ってないんだろうな。
態度と口調でよくわかる。

そんなうち子供がなぜ私立に行こうという野望を抱きだしたか。
それは発達障害で受診している精神科の先生がうちの息子を評して、字も汚いし、これじゃ中学行っても内申が取れないから、私立を考えたほうがいいですねと言ったことに端を発する。
俺もカミさんも、中学からずっと私立なので、俺はともかく、カミさんには公立中学というものにどこか抵抗があるように感じる。
俺自身は、息子の人生、この先いろいろと厳しく堅苦しくなっていくだけなので、子供のおうちくらい好きに遊んで暮らせばいいのにという思いもある。子供のころに、好きに遊んで、友達とバカなことをやったりすることこそが、生きる力をはぐくむように思える。
だから、カミさんと息子が勉強だ、勉強だとのめりこんでいく姿には、どうにも腑に落ちないものを感じる。
そんな息子が進学塾に通っても、苦労が絶えないのはわかりきっている。何しろ、基礎がしっかりしていないところに無理やりビルを建てているようなものだからな。計算方法を巡って、カミさんが何度言ったらわかるの!と声を荒げるのを聞くのも憂鬱になるし、かんしゃくを起こした息子の声を聴くのもつらい。

先日も、塾から8時過ぎに帰ってきたら、食事の後による11時30分ごろまで親子二人で算数の計算をやっていた。いつも夜10時には寝ないといけないといっているカミさん本人が、その言葉とは裏腹に、息子が眠りそうになっているのを励ましながら計算をさせている。
俺はあきれた。さっさと風呂に入ってな群れるように風呂掃除もして風呂を沸かしておいたというのに、いつまでもやっている。
俺には不毛で、消耗するだけの営みに見える。
俺の息子の美質は、そんなところじゃないのにと俺は思っている。

しかし、そんな状態で勉強したって頭に入らないから、とっとと風呂に入って眠れと言っても、二人とも聞かない。
翌朝、カミさんも息子も七時半まで起きてこなかった。
息子の麒麟児に至っては、通学班の集合時間が7時50分なのに、のんびり起きてきて、TVの前で朝のバラエティ番組を見ながらのんびり朝食のパンを食べている。
「おい、麒麟児、もうみんな学校に行ってる時間だ。塾の勉強をいくらやっても、学校の勉強をちゃんとやれないんなら、本末転倒だぞ!」というも、むすこはTVを見ながら全然聞いていない。
その態度に、俺はイラっとした。
「いつも人と話をするときは、相手の目を見ろっていうだろう!」発達障害グレーゾーンの息子は、人と目を合わせることが難しい。写真を撮っても、たいてい目は明後日のほうを向いている。
反抗期に差し掛かりつつある息子は生返事をしながら、「うるさいなぁ・・」といった風情だ。そんな態度が俺の怒りに火種に油をを注ぐ。
「塾の勉強ばっかりして、学校にまともにいけないのなら、中学受験なんかやめちまえ!すぐ近くの市立中学に行って、そのすぐそばの商業学校に行け!お前が昨日なりたいって言ってたタクシーの運転手なら、商業高校出て、自動車学校行くのが最短ルートだ!それにテレビばっかり見てるんなら、もうテレビ禁止だ!」と言っちまった。
すると、麒麟児は半泣きで俺に向かってきたと思ったら2発俺の膝に逆関節で蹴りを食らわせて来やがった。
さすがだ。着実に急所を狙ってくる。
俺はいつもそこはヘタをすると膝関節が壊れる急所だから、絶対にやっちゃいかんと言ってたんだけど、やりやがった。しかも2発も。
俺は反射的にビンタをはった。息子のぷにぷにした頬には俺の指の痕が赤くくっきりついた。
息子は半泣きになって俺に中指を立てて「なにするんだ!中指立てるぞ!」と怒鳴っていた。
さすが、俺の息子だ。どこでそんなもん覚えてくるんだ。
その時は、カミさんが間に割って入って息子はトボトボ一人で学校に行った。
昨日は気の重くなる朝だった。
そして、気の重くなるのは朝だけじゃなかった。

2026/03/12

POST#1786 髪を切って気分を変えるか

成田
今日は髪を切りに行こう。
もう半年も切っていない。白髪も目立つ。それは今日まで半世紀以上を悪戦苦闘して生きてきた証だ。染めるつもりもない。第一、頭皮に悪そうだしな。
母親譲りのくせ毛で、スタンダードな日本人に見えず、ある意味で苦労した。
人は他人を見かけで判断する習性をもっているから。自分たちと見た目が違うものを、排除したがる。そういう反応へのリアクションが、無意識のうちに自分の性格を作り上げたのかもしれない。
母の父方の血統である杉浦一族は、白髪の家系だ。年々増えていく白髪を見るにつけて、杉浦の一族の、もうこの世から去っていった老人たちの白髪頭を思い出す。
くせ毛は、どうなのだろう。母の母親の血統が秋田の人だったという。その地の縄文から続く血統の中に眠っていたものが受け継がれたのかもしれない。
頭のてっぺんが禿げたなら、お茶の水博士のように頭の両側にもこもこした白髪の塊がくっついているというのも面白かったが、幸か不幸か禿げる気配もない。そもそも若者はお茶の水博士なんざ知りゃしないさ。
そういえば、先日3年ぶりにあった仕事仲間は、すっかり頭が薄くなっていたな。

昔から、この国では髪は神に通じるとして、神的存在とつながるアンテナのように考える文化があった。単なる語呂合わせじゃないかと言えば、それまでだが。大本教🔗出口王仁三郎🔗も、その髪を切らずに伸ばし続けて結っていたと聞いたことがある。
感情が高ぶると、髪が逆立つ。俺の場合は頭が一回り大きくなったように見えることだろう。
波うち、絡まり、渦を巻く俺の神は、まるで自分とはかかわりない生き物の様ですらある。
頭に蛇をまとっている縄文の土偶か、諸星大二郎の海神記🔗に出てくる海の神の使・安曇磯良🔗が海藻をかぶっているようにも見える。
図太く硬そうに見えて、触ってみると意外と柔らかく細いところは、自分自身に似ているようにも思える。

物事は何だってこじつけようと思えば、どうとでも取れるものさ。

そんな見立て、こじつけが、世界の象徴的な意味をつないでいく。
象徴的なつながりで、事物と事物がつながれていくことで、森羅万象はただそこにある物質的存在であることから、霊的な意味合いを持つ不滅の存在へと変わっていく。

現代を生きる我々は、目に見えるものだけしか、数字で測ることのできるものだけしか見ない。その世界ではどこまで行ってもA=Aであるだろう。
けれど象徴的なシンボルを手掛かりに世界を読み解く術を持てば、A=AでありつつA=Bであるという豊饒な世界が広がる。一回きりの生は、神話的なアーキタイプな構造へと還元され、何度も生まれ変わり死に代わることとなるだろう。
中二病?そうかもしれないな。まっとうな人間なら、株価や原油市場の動向に一喜一憂するだろうさ。
そうだとしても、中二病のままこの年まで来たんだ。いまさら変わるものでもないさ。
失礼する。

2026/03/11

POST#1785 俺の脳はメルトダウン

Copenhagen
また一つの仕事が終わった。

仕事に没頭していないと、過去の過ちや心無い人の言葉や、信頼していた人からの裏切りや仕打ち…そういったことが頭の中に次々と沸き上がってきて、憂鬱極まる。

泳ぎ続けていないと呼吸できないマグロか何かのように、現場をおさめるために考えたり動いたりしていないと、精神が落ち着かない。

昨日も精神科を受診し、カウンセラーさんにも話を聞いてもらってきた。たわいもない話だ。そして薬局で薬をもらう。薬中同然だ。

長年の昼夜逆転のせいなのか、鬱病の薬エスシタロプラム🔗(薬品名レクサプロ)が効きにくくなっているのか、いつも夕方から夜にかけて浮遊感というかめまいの様な感覚にとらわれる。

加齢と永年の昼夜逆転の生活で、脳内物質のバランスが崩れているんだろう。

俺の業界では、①体を壊すか、②精神を病むか、③家庭が崩壊するかして一人前だといわれる。②に該当している俺は、とっくに一人前だ。

この仕事をしていると、朝帰ってきた酒を飲んで眠るという同業者の話をよく聞くが、俺は飲めない。医者から止められているのと、一人で酒を飲んでいると、際限ない鬱の沼に沈み込んでしまうからだ。

夜、車で高速道路を走っていると、そのまま吸い込まれるようにカーブを直進して死んでしまいたくなる時がある。

長年、ずっとそうだった。狂ったようにスピードを出して、頻繁に車線変更するトラックの間を縫うように車を操り、その後ろに車間距離3メートルでベタ付けしてトラックドライバーに圧をかけて走っていた。運転中は瞬きもほとんどせず、乾燥しきった目からは意味もなく涙があふれた。

ふとしたことで感情が決壊し、脈絡不明な涙があふれた。

その一方で、些細なことで怒りを制御できなくなり、そんな自分に絶望した。

ある夏、近所の町で些細な口論から、自分の妻を刺殺した男がいた。男は幼い息子と娘を連れて車で湖のほとりに行き、子供たちの首を絞めて殺した。そして自分は死にきれず、2日後に発見された。自分に重なった。このまま自分を放っておけば、車で事故って落っことしたハンバーグのようになってしまうか、女房子供を殺して家に火をかけることになるに違いないと思った。

発達障害グレーゾーンの息子を、病院に連れていき、会計でお金を払うとき、俺は会計の女性に、「すみません、希死念慮があります。死にたくてどうしようもありません。どうしたらいいですか?」と訊いた。女性は顔色を変え、すぐに医師の診察の予約を取るように俺に促した。

鬱病だった。自分にも発達障害の傾向があるのではないかとテストも受けてみた。発達障害の傾向はなかった。鬱病以外の何物でもなかった。

以来、薬は手放せない。

誰も助けてはくれないし、だれも助けられない。そして一人じゃないときの俺を見て、鬱にとらわれていると気が付いてくれる人もいないし、信じてくれる人もいない。家族ですら気にもかけてくれない。

だからなにかに夢中になり、脳のリソースをそっちに振り向ける。

そうしているときだけ、鬱のスパイラルから逃れられる。

俺がいつも本を読んでいるのは、鬱から逃れたいからだ。

俺がいつも音楽を聴いているのは、鬱から逃れたいからだ。

俺がいつも仕事にのめりこんでしまうのは、鬱から逃れたいからだ。

そしてそれが結果的に自分を追いつめているのかもしれない。

そうじゃないとき、俺の脳はメルトダウンしそうなんだ。

大脳も小脳も、ダウン、ダウン、ダウン…。

2026/03/06

POST#1780 ラインを越えて

台北
仕事をしていると、必ず責任分界点という境界線に誰もがぶち当たる。
資格や技能などの制約、契約の内容、様々な不文律そういったもので、ここからは手を出せないという領域がある。
しかし、一つの現場を任されてトータルに収めてゆかなければならない立場で、責任分界点にここの作業者がぶち当たって手をこまねいている状況にある時、俺はこっそりと責任分界点の向こう側に歩みを進める。
自分の経験と、使い慣れた道具、仕事への知見、最終的に責任は自分がとる覚悟。

静かに、踏み越える。
そして時には、どうしてあんたがそんなもの持っているの?と周囲に疑問を抱かせるような道具を持ち出して、盛大に踏み越える。
けど、内緒だぜ。
心の中には、未開人のように有り合わせのもので何とかするという野性の思考🔗を大事に抱えている。そして何より、俺の中にはパンクロックから教わったDo IT Myself精神がある。

境界線を踏み越えてしかたどり着けない場所がある。

人間が作った様々な境界線、職能の専門性、知の専門性、自己規制のような抑圧、そして国境という見えない線。

できうることなら、あらゆる境界線を、静かに、そして大胆に踏み越えてゆきたい。
くそくらえだ! 

2026/03/04

POST#1778 車の鍵が一晩外泊してきやがった

Copenhagen
一昨日、車のカギを落とした。

仕事の打ち合わせを終え、夜の作業が始まるまで車に戻って待機しようと思っていたんだが、カラビナで付けていたはずの鍵がない。リモコンキーなので、誰かがそれを拾い、操作すれば容易く誰の車か明らかになってしまう。

車の中には仕事の道具も満載だ。こういう道具はしばしば盗難の対象となるんだ。

世の中には善人ばかりじゃないからな。

早速、スマートフォンを使い警察に遺失物届を出し、電車に乗って家から最寄りの駅に向かった。家人に車のスペアキーを持ってきてもらうんだ。

こうして駅の改札で家人から車のスペアキーを受け取り、何とか事なきを得たんだが、再度カギをオーダーしたりするのは億劫だな。面倒を見てくれている車の整備工場のおっちゃんにも連絡はしておいたんだが、金額はさほどでもないけど、リモコンキーの設定に手間がかかるから、しばらくはやりたくないなぁ(笑)という返事だ。

まぁ、悪いほうに考えても仕方ない。

駅や商業施設など、通りかかった場所の遺失物受付や、立ち寄ったコンビニなんかにもすべて聞いて回ったが、車の鍵など届いていないという返事だった。

自分自身も何度か来た道を思い出しながら探してみたが、どこにも見つからない。

とはいえ、そんなことばかり気にしているわけにもいかない。仕事をしないといけないんだ。それになんとなく見つかるような気がしていたんだ。

で、夜間の仕事をこなして、スペアキーを使って帰ってきたわけだ。

次の朝。9時を過ぎたばかりで警察から連絡があった。それらしい鍵が届いているということだ。

俺はさっそく電車に乗って警察署に向かい、鍵を受け取った。ビンゴ!間違いない。俺のカギだ。

日本って国はこういうところはすごいもんだと思う。日本以外の国なら、絶対に戻ってこないだろう。それどころか、打ち合わせを終えて戻った時点で、車の中の道具は残っていないだろうし、下手をすれば車そのものがなくなっていても何ら不思議はない。

このような社会システムの信頼性と人間の善良さというのは、GNP指標とかには直接現れるものではないだろうけれど、 間違いなく日本の強みなんだ。以前にヴェトナムで携帯電話を掏られた時の警察の対応は、時間ばかりかかるうえに、まったくやる気がなさそうだったものな。

まぁ、あんまりこんなことばかり書くとネット上にあふれる日本すごい!SNSや日本最高!ユーチューブみたいだから気乗りしないんだけれど、この日本人の持つ秩序や規範意識、洗練された社会システムなどはもっと評価されるべきだと思う。そしてそれが日本のソフトパワーそのものじゃないかと思えるよ。

それにしても、俺はよく物を落としたりなくしたりするもんだ。俺の周りだけ重力が強くってすぐにモノが落ちてしまうんじゃないかって心配になるぜ。

2026/02/24

POST#1770 A DECADE

麒麟児 10年前の今日
仕事から朝かえり、よろめくように寝床に向かう。
息子の麒麟児が穏やかな寝息を立てている。
もうすぐ夜明けだ。夜が明けて九時になったら、取引先に連絡したり、業者と電話で打ち合わせしたりしなきゃいけない。
監督業に安らぐ暇なんてないんだが、こうして子供の寝顔を見ているときはオキシトシンが脳内に放出されて安らかな気持ちになる。
ふと、麒麟児が眠ったまま楽しそうに笑う。
友達とふざけている夢でも見ているんだろう。
俺が見る夢と言えば、仕事で追いまくられている夢か、裏切られた末に怒りに任せてウルトラバイオレンスを発動する陰惨な夢ばかりだというのに。

この笑顔を見ているだけで、麒麟児が生まれてきてくれたことを、味噌っかすでも元気に成長してくれたことを、目に見えないなにかに感謝したくなる。

今日は息子きりんじの誕生日だ。おめでとう、麒麟児。
気づけばもう、梅の季節だ。

 

2026/02/23

POST#1769 奉祝今上天皇

ある日の空 天の叢雲といった風情か

本日は、畏れ多くも今上天皇陛下の御生誕の祝日にて候。
などと書くと、読者諸兄諸姉もゴリゴリの左派の服部もついに右に転向したかと疑念を抱かれることであろう。
心配ご無用。
我が国の憲法 第一章 天皇 第一条には『天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。』とあります。
現代風に申し上げれば、日本国および国民統合のアイコンであるということですので、右派の皆様には申し訳ござらぬが、日本国民の端くれで、なおかつ現行憲法を尊重し、あくまで護持し、その崇高にして人道的な理念の実現を図るべしと願い続けている服部めも、謹みてお祝い申し上げる次第であります。
なにせ、私の名の浩一郎の浩の字は、畏れ多くも今上陛下の皇太子時代のお名前・浩宮さまから一字を賜っているくらいですから。
ちなみにカミさんの名前は、田中角栄の娘・かの有名な女傑田中真紀子にあやかっていることも申し添えておきましょうか。まったく昭和だな。

とはいえ、今上陛下、上皇陛下並びに天皇家の宮様方が、生まれながらに背負った重責とご苦労ご心労、そして自分たちの都合で称え奉ったかと思えば、慣例を外れたとたんに手のひらを返したかのように批判するという世間の庶民の恒心の無さは言うまでもなく、日本の歴史を通じて天皇家が政治的に利用され続けてきた厳然たる事実に想いを致せば、かたじけなくもこのような不平等が、近代国家法体系の基礎である憲法の名のもとにまかり通っているのは、実に申し訳ないという忸怩たる思いが沸々澎湃と沸き上がり、土人服部の心は憂鬱で満たされるのであります。
しかしながら、庶民たる私にとっては、明日やってくる私の息子・麒麟児の10歳の誕生日のほうが自らの財布と生活に直接かかわりがあるため、重大な問題です。すでになんやかんやと毟り取られています。
さらに言えば、昨日例のくそ親父から、金がないから一万五千円くれと電話があり、憮然としながら小遣いを渡した次第ですので、それがし、いい歳をして金が貯まるわけがありません。華麗なるスルーパスです。

さて、閑話休題。
麒麟児の名は、私が夢告を受けてことから名付けられました。あれはコペンハーゲンでの夜でした。私の脳裏に稲妻のように何かが降り立ち背骨を駆け下るような感覚があり、私の脳内に「僕は麒麟児だよ」という声が響き渡ったのです。けっして、往年の相撲取り麒麟児にちなんだものではございません。
まぁ今のところ、出来のほうは麒麟児というよりむしろ、豚児と言ったほうが近い気もしますが…。親が親なので高望みはできますまい。

さて、この麒麟児、本来誕生の予定日は2月22日だったのです。この日はにゃんにゃんにゃんで猫の日とされていますが、一部ではニンニンニンで忍者の日ともされています。
実はこの日に生まれていたら、息子の麒麟児は半蔵と名付けられた可能性も高かったのです。
何せ、忍者の日に生まれた服部半蔵ですよ。
しかも、それがしの先祖・服部馬次郎は伊賀の服部郷の出身。
もし本当に2月22日に生まれていたら、八割くらいの確率で服部半蔵と名付けられ、みんなに親しまれ、いじられまくっていたことは想像に難くありません。惜しかったな。
ちなみに自分も若いころはしばしば、半蔵!とお客さんに呼びつけられたり、仕事仲間や友人から半蔵さんと呼ばれたりしたもんです。

まぁ何はともあれ、おかげさまでうちの豚児も、皆からきりんじ、きりんじと親しまれております。学校は重役出勤ばかりのフリーマンですが…。

2026/02/19

POST#1765 また新しい現場が始まった

瀬戸市
新しい現場が始まった。

地元の名古屋でだ。出張は家族のためにならない。心も体も壊して、家族まで壊す羽目になっては元も子もない。老後に俺の面倒を見てもらわないといけないからな。

去年の暮れに仕事を切られてから、久々のまとまった現場だ。まぁ、規模は知れてるけれどリハビリにはちょうどいい。久々にまじめに働くと、どっと疲れるぜ。風邪気味の体を引きずって寝床に転がりこむんだ。

毎度毎度、夜の百貨店だ。毎度毎度、無茶ぶりや面倒なルール、初見の職人さんのわがまま、元請の準備不足、そんなものに悩まされ続けている。

近年、めっきり白髪も増えた。俺の親父より、俺のほうが早死にするに違いない。

そして、うまくいけばうちの息子は2016年生まれなので、22世紀にたどり着くかもしれない。俺たち人間はみんな長い時間軸の中の一瞬を生きてるんだ。

今だけ考えていてはいけない。次の世代、その次の世代にとって良い先祖になることを考え生きていかなけりゃいけない。そういえば、グッド・アンセスター 私たちは「よき祖先」になれるか🔗という本もあった。7世代先、200年後の世代のことを考えて自分の行動を顧みることを説いていたな。なかなか面白い本だよ。働いていると本を読む暇もないけれど、自分なりの考えを深めるために、本は読んだほうがいい。

とはいえ、社会の移り変わりは激しい。年々加速している。7世代後なんて想像もつかない。しかし、人間の中身はここ何万年も大して変わっていない。このギャップはでかいな。

そういう意味でも民族学や人類学の本を読んでおくのは、とても有益だ。

過去への学びの射程が長いほど、未来への思考の射程は長くなる。俺はそう思う。

唐突だけれど、民主主義ってのは近代西洋に始まった実験かもしれない。実験だから、世界に他の社会システム、つまり専制国家や独裁国家があるのも当然だ。しかし、民主主義の淵源はけっしてここ300年ほどのものではないし、奴隷制の都市国家だった古代ギリシャだけにさかのぼるものではない。ある意味で、人類のプリミティブな段階では普遍的なものだったのかもしれない。人類学の本を読んでいると、往々にしてそういった記述にぶつかる。

突出した力を得ようとするものは他の集団の成員によって排除され、時に殺害された。そんなことが記されているピエール・クラストルというフランスの人類学者の記した国家に抗する社会🔗なんかも、先年のドナルドトランプ暗殺未遂などを思い起こさせてくれる。

また先年惜しくも世を去った人類学者デビッド・グレーバーの民主主義の非西洋起源について🔗などを読んでみるのも面白いだろう。民主主義が多様な状況の中で、社会の周縁で独自に生み出されてきたという興味深い論考だ。

今だけ、金だけ、自分だけの発想からシフトするにはこれらの本を読むのはもってこいだ。

俺は自分が現場監督として仕事をするうえで、心がけているのはこの未開社会の首長のように、権威や強制力を持たず、皆にどうあるべきか、どのようにふるまうべきかを諭し続けていくスタイルを守っていきたい。

俺は誰も支配したくないし、だれにも支配されたくないからね。とはいえ、この国に生きてる以上は税金だけは払わないといけないんだけどね。それを支配されてるというのか?