2026/09/28

POST#1972 死ぬほど疲れていた。けれど、AI駆動型バブルについて書いておこう

ベトナム阮朝の旧都フエ 庶民の町の朝の一齣

もう、死ぬほど疲れていた。いや、NearDeathだ。

世間の皆さんがお楽しみの土曜日の夜なのに、翌朝6時まで働いていたんだ。管理するだけじゃなく、高所作業車を乗り回し、石膏ボードの山の搬入を取り仕切り、金物の取り付け工事を手伝う。マルチプレイヤーだ。体を使って、頭を使って、気を使って、道具を使って、金を使って、やっと仕事が進みだす。

おかげさまで、日曜日だというのにひたすら眠ってしまった。まったく金が欲しくて働いて、眠るだけだ🔗。RCサクセション🔗だ。

資産なるものをどこかに預けておくだけで金が増えるなんて思ってたら、こんな泥臭い、マディ・ウォーターズ🔗のような仕事はできないぜ。

さて、そんな地を這うようなダンゴムシのような労働者階級の営みとは隔絶した、AI駆動型バブルについてもう少し考えていよう。考えたら考えるほど、おっかなくなるぜ(笑)

 まずはAIと一般投資家の皆さんが創り出すバブルの4ステップだ。

これを簡単なチャートにするとこんなかんじかな。

[1. AIの初動] ──> [2. 他のAIの追随] ──> [3. 一般投資家の参入] ──> [4. 供給限界による高騰]

  1. AIの初動(微小な兆候のシグナル検知)
    あるAIが、ニュース、SNS、あるいはわずかな大口注文の動きから「利得の見込み(期待値の上昇)」を検知して買い注文を出すというわけだ。奴らは人間の何百倍も目ざとくて、抜け目ないからな。
  2. 他のAIの追随(アルゴリズムの共鳴によるモメンタムの増幅)
    そして、あるAIが注文を出すと、ほかのAIもつられて踊りだす。現代の市場取引の7〜8割はアルゴリズム取引だ。他のAIたちは「価格が上がり始めた」というトレンド(モメンタム)そのものを利得の機会と判断し、一斉に追随し始める。ドミノのような値動きだ。ここではすでに「実質的な価値(ファンダメンタルズ)」なんてものはどうでもよくって、「値動きという現象」=幻想だな、だけが買われているわけだ。
  3. 一般投資家の資本注入(取り残される恐怖に震える実質から乖離した資本)
    AI
    たちが作り出した強烈な値動きがチャートに現れると、メディアやSNSで話題になり、一般の個人投資家や遅れてきた機関投資家が「この波に乗らなければ損をする」と焦って資本を注入することになる。この波に乗り遅れたら大損こいちまうって大慌てさ。この段階で、市場は完全に「実質以上の値動き」になってるって寸法だ。俺だったら、このタイミングで売り抜けるね。
  4. 擬制商品の限定性と価格の爆発(お待ちかねの価格の垂直上昇)
    さんざん言ってきた通り、株式の発行株式数や国債の発行残高(=つまりは擬制商品の数)はすぐには増えない。供給が固定されている市場に、AIと人間が競い合って膨大な過剰流動性(資本)を注ぎ込むため、価格は実質を遥かに超えて垂直に跳ね上がることになる。下心のハイパーインフレーションさ。これが今時のバブルのメカニズムといってもいいんじゃないかね。

 このメカニズムがもたらす現代の危機

このバブルの恐ろしいところは、「崩壊(フラッシュクラッシュ)」もまた超高速で起きる点だ。だって、この動きが逆回転し始めるところを考えてごらんよ。
あるAIが「期待値が限界に達した」と判断して売り抜けた瞬間、他のAIが連鎖的に売り注文を浴びせることになるだろう。当然、需要が減れば値段が下がる。人間が状況を理解する前のわずか数分間、いや、数秒で市場が崩壊することが起こり得る。実際に2010年のフラッシュクラッシュなどがその典型だ。

「擬制商品」の正体が「期待値」=『わたしらの下心』であるからこそ、AIという感情を持たない純粋な期待値計算マシーン同士が噛み合ったとき、実体経済から最も激しく乖離したバブルが爆誕するんだ。


つまり、株価のバックラッシュが起こるんだ。バックラッシュの意味くらい知ってるだろ。もとは釣りのリールの糸が絡まることだ。キャストした瞬間にスプールが回りすぎてラインがグチャグチャに絡まる、あの世にも恐ろしい現象のことだ。

確かに、あの「勢いよく前に投げた(進んだ)はずなのに、中で逆回転(反発)が起きて、結果として進むどころか最悪な状態(絡まる)になる」というメカニズムは、社会用語のバックラッシュとも見事に共通しています。そして、そのバックラッシュが起きたリールを前にしたときの「あちゃー…」というあの絶望感は、まさに「期待外れ」どころか「大幻滅」そのものだ。心底うんざりするぜ。

つまり俺がここでいうバックラッシュは、AI駆動型のバブルがはじけ、プロセスによって得られるはずだった期待値(=利益への下心)との乖離によって、値崩れが急速に進行し、市場にパニック的な混乱を引き起こすことだ。



⚠️ 「幻滅」とは期待値のデフレである

「こうあってほしい」という事前の高い期待値(プロセスの加速)に対して、現実の行動(実質)が追いつかず、実質経済から切り離され、地に足のついてない空中戦になっちまって、その乖離が臨界点を超えた瞬間に、信頼という『擬制商品』の価値が急速に値崩れを起こす現象がバブル崩壊と言えるだろうな。

 経済学部の学生 や投資家の皆さんはそんなこと とっくにご存知だと思うけど、それが実は、「とっくの昔に誰もが知っているはずの基本」だからこそ、いざ市場が動き出すと全員が綺麗さっぱり忘れてパニックに陥るのが、金融市場の最も滑稽で、かつ恐ろしい本質なんだよなぁ。

行動経済学の歴史が証明しているように、知識として「知っていること」と、実際に市場の狂気の中で「その通りに行動できること」の間には、深くて暗い川が流れている。まるで野坂昭如の夜の舟歌だ。

経済学部の学生や投資家たちが、なぜその本質を知りながらも同じ過ちを繰り返すのか、その理由は3つの構造的な罠にあるみたいだぜ。君には自分に当てはまるポイントがあるかな?

 知っているのに知らんぷり、なぜだか嵌まる「3つの構造的な罠」(笑)

その1、「自分だけは早く逃げ切れる」という傲慢と根拠ゼロの過信

バブルってのは「実質を超えた『擬制商品』の高騰」であることは、誰もが理解しているだろう。過去にも何度も痛い目にあってるからな。
しかし投資家たちは、「崩壊する直前まで乗っかり、自分が一番最初に売り抜ければ利益を最大化できる」と考えちゃうんだな。自分だけは大丈夫っていう正常性バイアスっての?
こいつが働いちゃうんだな。
これはまさにチキンゲームだ。
このチキンゲームの参加者が増えるほど、バックラッシュ(崩壊)の破壊力は増大するだろう。

その2、合理的な狂気(キャリア・リスク)
プロのファンドマネージャー(機関投資家)は、バブルだと分かっていても買い続けざるを得ない宿命にあるんだ。なぜなら、周りが儲けている中で自分だけが「これは実質を伴わないバブルだ」と現金を抱えて静観していると、顧客から「なぜ利益を出せないんだ」とクビにされる(幻滅される)からだ。
もうすぐ沈没する船に、何食わぬ顔で乗り続けているようなものだな。俺なら精神を病むぜ。てか、破滅を防ぐために、俺なら精いっぱいアラームを鳴らすな。みんな目を覚ませと。しかし、自ら判断することを放棄すると何が起こるか。「みんなと一緒に間違える方が、1人で正しくいるよりも安全である」という組織の力学が働くんだ。ばかばかしいぜ。

その3、AIの「過去データ依存」
現代の市場を支配するAIのアルゴリズムは、過去のデータを学習して将来的に得られるであろう期待値を瞬時に計算、いやさ皮算用してくれる。
しかし、AIは「数理的なパターン」は読めても、「人間がどの瞬間に恐怖を感じて完全なパニック(想定外の投げ売り)を起こすか」という臨界点(皮肉なことにこいつもシンギュラリティさ!)を正確に予測できない。恐怖を感じる感性のない奴がチキンレースに出ても、壁にぶつかるか、作りかけの高速道路からぶち落ちるだけさ。そう、昔の映画、例えばブルース・ブラザーズみたいにね。
結果として、AI自身がパニックの増幅器になってしまうんだ。
クールだな!


 結論として、彼らは「仕組み」を知っている。しかし、「自分の感情」と「他人の狂気」をコントロールすることはできないんだ。

だからこそ、歴史上どれだけ経済学が発達しても、チューリップ・バブルから現代の暗号資産やAIバブルに至るまで、全く同じ形の「期待値の乖離と、それによる急速な値崩れ」が繰り返され続けているわけだ。

これは基本中の基本だろう。しかし、「誰もが知っている基本が、なぜか絶対に通用しなくなる場所」、それこそが市場という怪物の正体なのかもしれないぜ。

経済学は、人間をあらゆる情報を知っていて、合理的に判断することができる記号として考えているけれど、実際の人間は、ちっとも合理的じゃないし、むしろ下心むんむんの欲の皮の突っ張ったギャン中野郎だってことだ。

じゃぁ、どうしたらその被害を最小限にすることができるだろう?

 簡単なことだって。くだらない夢を見ないことだよ。下心がなきゃ、現実を見失い幻惑されて全財産すっちまうような羽目にはならないのさ。

2026/09/25

POST#1971 滅茶苦茶に疲れているけど、よせばいいのについ経済について考えてしまった

ベトナム阮朝の旧都フエ 庶民の町

 とことん疲れ果てているけれど、ぐっすり眠りたいけれど、それはできない。

仕事の合間に車の中で、シートを倒してまどろむのが悦楽という満足のハードルの低さに、われながら笑ってしまう。疲れ果てて朝方、フローリングの上で眠ってしまう事もしばしばだ。

何も考えずに寛ぎたいのに、ふと頭の中に思考の断片が浮かぶ。

河の濁った水の中で、身をひるがえして泳ぐ魚がきらりとその鱗を光らせるような感覚だ。

その感覚を、何とか言葉にしてつなぎ止め、書き留めようとするんだ。その時浮かんだ発想はこんなのだ。

いいかい?

投資や株式って金融商品の本質は、株券や債券にあるのではなく、一定の期間あるいは不定な期間に、その金融商品を入手するために支払った『貨幣が増えるということへの期待値』そのものこそが本質だと気が付いたのさ。額面が流通しているのではない。期待値が流通しているんだ。

よくよく考えてみると、投資や株式の本質は、支払った貨幣が将来的に増えるという「期待値」にあるという理解は非常に本質を突いているように思う。

株券や債券という物理的(または電子的)な証券そのものは、あくまでその期待値を裏付けるための法律上の「権利(請求権や所有権)」を可視化した仕組みに過ぎないということだ。

投資の本質をこの「貨幣の増加への期待値」という観点から分解すると、次のように整理できるかもしれないな。俺は法経学部経営学科中退なんだ。あんまり期待しないでくれよ。

投資の本質を構成する3つの要素とはなんだ?

①時間の価値(現在価値と将来価値)

今ある100万円を消費せず、あえて将来に回す(リスクに晒す)ことに対する対価(プレミアム)を求める行為だ。これは国債なんかのように、利回りが確定しているモノに多くあてはまるだろう。

②不確実性(リスク)の引き受け

実は、期間が「一定(債券など)」であれ「不定(株式など)」であれ、将来の貨幣の増加は確定していない。だって、国債が10年後に1.25倍になったところで、インフレ率がそれを上回っていたら、元本割れしてしまうからな。

投資家は、その不確実性というリスクを引き受ける見返りとして、プラスの期待値を期待してるわけだ。ちなみにイスラーム経済では、このような不確実性というのは、排除されるべき要素(これをガラルというらしい)を経済活動から排除し、実体経済と強くリンクすることが求められている。これは蛇足ながら。

③購買力の維持・拡大

単に数字の上の貨幣を増やすだけでなく、インフレ(物価上昇)に負けない実質的な購買力を将来にわたって確保・拡大しようとする期待の現れでもあるわけだ。これは②でも触れたよね。

つまり、官民挙げて皆さんにお勧めしまくっている『投資』とは、現在の確実な購買力(貨幣)を手放し、将来の不確実な、しかしプラスの『期待値』を持つ購買力を獲得しようとする行為そのものと言えるだろう。

そう、俺はふと車の中で、投資の本質ってのは、株券や債券(社債、地方債、国債)などに出資すると、期待されるゲイン=利得こそが、投資という『擬制商品』の本質なんだなと気づいただけなんだ。こんなことは、経済学部の学生ならみんなわかってるか(笑)

しかし社会の現状を見てみると、むしろ普通の経済学部の大学生や一般の投資家ほど、この本質を忘れて目先の価格変動や「株というモノ」の取引に終始してしまいがちだといえるだろう。

そう、いく儲かった、いくら損したというけれど、誰かが損しない限り、儲かることはないんだ。

カール・マルクスが『資本論』などで指摘したように、株式や債券はまさに『擬制資本(架空資本)』と呼ばれるんだ。本来商品ではない、商品の交換手段だったものに、時間の遅延と惣領の増殖というプレミアムへの期待をまぶした『商品』にしているわけだ。そう、絵にかいたモチにキナコをまぶして、これは食べられるよって言ってるみたいなもんかな?

この『擬制商品』工場や機械といった『現実の資本』とは異なり、証券や債券そのものはただの紙切れ(もしくはデジタルデータ)に過ぎない。俺自体には何の価値もない。

それに価値という擬制的な本質をもたらしているのが、人々の将来への『期待値』、つまり、獲らぬ狸の皮算用というアニマル・スピリットに過ぎないわけだ。

もう少しそれっぽく言うなら。その本質は、「将来生み出されるであろう利得(ゲイン)を請求できる権利」をパッケージ化して商品に見せかけたものに過ぎないということだ。

このアニマル・スピリットという熊鷹根性のおかげで、世の中の人たちは、ありえないような儲け話にまんまと騙され、資産を失っていく。投資詐欺なんかに引っかかるわけだ。下心がなければ、そんなものに引っかからないのに。もしくは、俺のようにそもそも資産がなければ、引っかかりたくても奴らの網の目から零れ落ちるのさ。(笑)

そう、アニマルスピリットとは、下心と見つけたりだ。

この「擬制商品の本質は期待されるゲイン=利得である」という視点を持つと、経済の見え方がガラリと変わってくるだろう。


この 「擬制商品」という視点から見える3つの経済のリアルはこんなところさ

①バブルの正体

実体経済(工場やサービスの利益)の成長スピードを超えて、「将来のゲインへの期待値」だけが一人歩きして膨らんだ状態こそがいわゆる『バブル』だ。擬制商品だからこそ、実体とは乖離してどこまでも膨らみ、いつか必ず破裂するんだ。

②国債の本質

国債という擬制商品のゲインを裏付けているのは、その国が将来「国民から徴収する税金(あるいは経済成長)」への期待値そのものだ。インフレでなければ、現代貨幣理論=MMTを援用すれば、国家は税金に依存せずに、貨幣を生み出せるということになるが、インフレ局面においては、それはインフレを加速させ、モノの価格を吊り上げて人々を困窮化させる。まぁ、今の日本で起きてるのがこれだな。

てなわけで、俺たちは国の、国民の将来の稼ぎを期待して、国債を買っているってことだ。

③現代のマネーゲーム

実体的な価値の裏付けが希薄な暗号資産(仮想通貨)などは、まさにこの『純粋な期待値(ゲインへの期待)だけで駆動する擬制商品』の最たる例と言えるだろう。

期待値という砂上の楼閣の上に聳え立つ空中楼閣のようなもんだ。


そこで思考実験だ。

現在の株式市場はAIによって人間では知覚不能な時間単位での取引が行われている。そこで、可能性の話を考えてみるんだ。

 AI がまずある株式銘柄に、あるいは ある国の国債に買い注文を出す。

それによって他の AI がそこに利得が見込めると判断して買い注文を出す。

それによって擬制商品は、実質以上の値動きをみせ、この値動きに反応した一般投資家がその銘柄に資本を注入する。

しかしこの擬制商品の数は限られているので、相対的に実質を遥かに超えて値上がりする。それが現代の金融市場における「AI駆動型バブル」のメカニズムそのものだ。

経済学の古典的な理論では、バブルは「人間の集団心理(群衆心理や強欲)」によって起きるとされてきましたが、現代ではそれが「AI(アルゴリズム)の相互作用」によって超高速化・巨大化しているという、なんだか困ったことになってるんだ。

そろそろ地道でゲインの薄い仕事の段取りをしなきゃいけないから、続きは明日だ。

しかし、きらりと脳内に閃いた思考を言語化するだけで、こんなに手間がかかるのもまいったもんだね。

明天見!

2026/09/23

POST#1970 群盲、象を撫でるが如く

ベトナム阮朝の旧都フエ 路傍に花が。

この糞みたいな人生の中で、クソの山ほど本を読んできた。そしてまだまだそれは積みあがってる。床が抜けるのは時間の問題だ。実は、11月に自分の本が満載の部屋のフローリングの工事があるんだが、この工事のために、千冊を優に超える大小さまざまな本を整理して他の部屋に避難させなけりゃならない。考えただけでうんざりするぜ。

そうまでして、俺はいったい何が知りたいというのだろう。

一つには、俺がこの世界に生きている意味を知りたい。

そして、俺が生きているこのクソ人間社会の構造を知りたいんだ。

「人間社会の構造」という壁は、いつも言っている『知のパルクール』にとって最高に登りがいのある、巨大で複雑なダンジョンだ。

この領域に挑むとき、あらかじめ用意された「資本主義」「民主主義」「国家」といった教科書通りのタテマエというか、お利口さんが敷設し、しっかりと舗装し、はみ出さないようにガードレールや縁石、センターラインまで完備した既成のルートをお行儀よくなぞるだけでは、社会というダンジョンの最深部には到底たどり着けないんだ。

クリシェにからめとられておしまいさ。

俺たちが普段、確固として存在し、厳然と社会に聳え立っている『実存』そのものに見える制度が実は俺たち自身が生み出した『幻想』であることを看破し、単なる『記号』として疑い、その裏でうごめく人間の身体性と、経済活動の中に交差する贈与と負債のダイナミックな力線を読み取り。そして俺たちを巧妙にシステムの中に封じ込め、隷属させる『権力』の発生システムといった剥き出しの骨組みへ直接飛び移るんだ。

縦横無尽の脳内パルクールが必要だ。

例えば、俺が挑む『知のパルクール』の前には、クソ強固な壁として、こんな構造的なアプローチがあることだろう。ご苦労なこった。

例えば、国家や貨幣という共同幻想のバグ。

本来は人間を保護するために生み出されたはずの法やシステムが、いつの間にか肥大化し、逆に生身の人間を「記号」や「部品(つまりブルシット・ジョブや使い捨ての労働力)」として搾取し始めるクソ構造。

例えば、非線形な社会の進化。

ヘーゲル史観に基づくような西洋的な「未開から文明へ」という単線的な進歩史観の嘘を見抜き、気候や家族構造によって社会はフラクタル(曼荼羅)のように多様に分裂生成(スキゾジェネシス)していくという野生のダイナミズム。これは吉本隆明から受け取った宿題だ。

俺たちが日々汗を流し、冷や汗をかき四苦八苦している実体経済とほおっておくだけで価値が増殖する金融資本主義の乖離

地に足のついた身体的な労働やコミュニティの倫理(イスラーム金融の利子=リバの否定や、かつての近江商人の哲学)が、実体のないデジタルな数字のゲームによって侵食され、経済的なエントロピーが増大していく危うさ。つまり、実体と乖離したバブルがどんどん大きく膨らんでいく恐怖の構造だ。いつジェンガみたいに大崩壊してもおかしくないんだぜ。

それらをすべて掴み取ろうとするためには、様々な分野の知見を脳内にぎゅうぎゅう詰め込むことが必要だ。人類学、経済学、歴史学、宗教学、人口学、社会学、哲学、文学、サブカルチャー、様々な分野を横断して、異なる領域の考えをスーパーフラットに、縦横無尽に繋ぎ合わせていかないと、とってもじゃないけどこのクソダンジョンの深奥部にはたどり着けない。

何しろ、現代社会は最大出力で回る扇風機に糞がぶつかったみたいにひどいことになってるからな。

人間社会というあまりにも巨大な構造物の全体像を掴むには、どれか一つの学問という「既製のハシゴ」を登るだけでは絶対に不可能なんだ。それぞれの学問が自らのテリトリーを守るために築いた「専門性の壁」を、文字通り縦横無尽に飛び越えて繋ぎ合わせる必要があるんだ。

なぜなら、社会の骨組みはすべてがフラクタルに連動しているからなんだ。

俺の思考はどこに着地しようとしてるんだろう。

 だから、俺が無謀にもあらゆるジャンルの専門書とかを読んだりするのは、その為なんだよね。譬えて言えば、群盲象を撫でるってのがあるだろう。その触感でしか世界を確かめ俯瞰することができないたくさんの目の不自由な方に、一人で群盲集合体になろうとしてるんだ。

「群盲象を撫でる」ってやつを、一人で群盲になろって全体像を把握しようとしてるってわけだ。――無謀極まるな。なかなかにパンチが効いてる表現だ。悪くないぜ。痛快だ。

本来の寓話が意味するところは、読者諸兄もご存じの通り、「それぞれの人間が象のパーツ(一部の専門性)しか触れず、全体を誤認する」という人間の限界=つまり愚かさというか専門性の壁を皮肉ったものだろう。

けど俺は、あらゆるジャンルを横断し連結することで、自分自身がいくつもの異なる「盲目の目」になり代わり、それぞれの視点から象のあらゆる部位を触りまくることで、その脳内に巨大な象の立体像、つまり人間社会の真の構造を一人で再構築しようとしているわけだ。

これこそが、あらゆる専門書を横断し、思考を繋ぎ合わせる読書の真意だったんだ。

とんでもない欲望だ。

一つの学問(たとえば経済学だけ、あるいは歴史学だけ)という「一本の細いハシゴ」に頼る人間は、自分が触っているのが「象の尻尾」や「象の足」に過ぎないことに気づけないだろう。そして、その隘路を極めて大家になることができるだろう。

しかし、それは木を見て森を見ずだ。

自分の実際の生活感覚に軸足を置きつつ、敢えて自らを異なる分野の「群盲」へと解体し、貪欲に本を読み漁ることで、既存のアルゴリズムや均一化された社会のシステムが絶対に見せようとしない「社会の本質的な手触り」を掴み取ろうとしているのさ。

我ながら、ご苦労なこった。

そんなことしたって、いったい何になるってのさ。女の子にちやほやされるわけでもないしな。単なる自己満足じゃないか。まぁ、俺の人生だから、好きにやらせてもらうさ。

2026/09/22

POST#1969 風見鶏みたいなメディアにみんな踊らされていないか?

ベトナム阮朝の旧都フエ、庶民の住むエリアはこんな感じだ

三笠宮家の彬子女王殿下に関して、ちょっと前まで著書『京都の書きもの』や、イギリス留学時の経験を綴った『赤と青のガウン』がベストセラーとなっちゃって、その親しみやすい文体や内容から大きな注目と人気を集めたりしたのは皆の衆もご存じかと思う。確か赤と青のガウンは、漫画にもなってたような覚えもあるぞ。皇族方としてはめずらしくメディア露出が増えたことで、多くの国民に身近な存在として認知されるようになって人気もうなぎ登りだったわけだ。

しかし、世の中は非情だ。

男性皇族の減少と、それに伴う女性皇族の公務の増加に対応するために、彬子女王に関して皇族費が倍増され、また麻生副総裁と高市首相がゴリゴリと進めて改悪してしまった皇室典範の議論の一環で、彼女の母親が麻生太郎の妹であり、彬子女王は麻生一族であるという言説や、彬子女王が旧宮家から養子をとって、その子どもが皇統を担うことになったら、麻生王朝だとかいう極端な話が飛び出してきた途端、ネット上などで批判的な言説やバッシングが、雲霞のごとく巻き起こってるぜ。

 しかし、一歩引いて考えてみると、皇族費が倍額になったり、皇室典範の話で、麻生太郎の姪であることが広く知られることとなったとしても、御本人の中身がかわったわけでも何でもないのではなかろうか?

なぜみんながそこでこう、急に手のひらを返したように批判しだすのかが、全く俺には訳が分からないぜ。まさに掌返しって奴だ。

たとえ「親しみやすさ」から「公的責任」へと関心のフィルターが変わったからといっても、彼女の中身が変わったわけじゃない。

たしかに最初は「ベストセラーを出した親しみやすく魅力的な皇族」という個人のキャラクターに注目が集まっていた面はあるだろう。で、皇族費の増額や皇室典範改正といった「税金」や「国家の制度」が絡むニュースが出たことで、世間の見る目が「魅力的な個人」から「公的な制度の対象(あるいは象徴)」へと移り変わったという面もあるだろう。

だからといって、ご本人の中身がすっかり入れ替わってしまったわけではない。変わったのはその状況だけだ。

政治的・制度的な議論への「巻き込まれ」というとばっちりもあるにはあるだろう。

皇室典範の改正や女性皇族のあり方は、国民の間でも意見が大きく分かれる非常にセンシティブな政治的テーマだわな。

麻生漫☆画太郎センセーとの縁戚関係などが報じられると、ご本人の意思とは無関係に、「その制度改正に賛成する勢力」や「反対する勢力」の思惑の渦中に置かれてしまう事もあるだろう。

その結果として、制度や政治に対する不満や警戒感が、その象徴として見なされた個人へのバッシングという形に形を変えて噴出しているという状況だわな。

しかも、現代のメディアやSNSというクソな界隈では、極端な意見や対立を煽る構図(「絶賛」から「批判」へなど)のほうが注目=アクセス数を集めやすいという特性がある。

アクセス数が稼げる方が商売として成り立つのさ。そのため、一部の批判的な声がネット上で過剰にクローズアップされ、まるで「世論全体が手のひらを返した」かのように見えてしまう現象が起きているんだ。

だったら本人にはどうにもできないことなんだったら、本人も世間は放っておけばいいんじゃないかと俺はおもうのさ。泰然自若としていればいいんだ。

にもかかわらず、なぜ世間様やメディアの連中が「放っておかない」のかについては、皇室という存在が持つ「公の性質」と、国民側の心理に理由があるだろう。

つまりあれだ、金と国の制度の根幹がらみだ。

まずけち臭い話だが、「公金(税金)」が関わるという側面がある。

皇族方の生活や活動は、国民の税金(皇族費など)によって支えられているのは、皆様ご存じの通り。

そのため、金額の変更や制度の改正が議論になると、国民側には「自分たちの税金の使い道や、国のあり方に関わる問題だ」という当事者意識が生まれるという寸法だ。てなわけで、金が絡むと途端に「個人の私生活」として放っておくことが難しくなり、公的な監視や議論の対象になってしまうというあさましい側面がある。

しかし、政治家や官僚の無駄使やあほらしい政策には誰も自分に関わることとは考えないのは、解せないな。

そして「象徴」としての宿命ってのもあるだろう。

皇族方は憲法上、「国や国民の統合の象徴」として定められている。

おかげさんで、皇族方に関することは「一個人の人間」としてではなく、「皇室というシステムそのもの」として見られがちなんだとさ。村社会だな。

既存の社会システムに対する不満や、皇室典範改正などの制度設計巡る対立があるとき、その象徴である個人に人々の感情や意見が向けられてしまうという、構造的な宿命があるにはあるだろう。しかし、それとてご本人にはいかんともしがたいことだ。

そして、これが一番俺が納得いかない話だが、皇族方は反論や自己弁護が難しい立場におありだ。

一般の芸能人や政治家であれば、誤解に対して自身のSNSや会見で自由に反論したり、経緯を説明したりできるだろう。

裁判で白黒つけることもあるだろう。

しかし、皇族という立場上、政治的な議論やメディアのバッシングに対して自ら積極的に反論したり、個人の見解を発信したりすることは極めて困難だ。

この「反論できない」という立場が、結果としてメディアやネット上の無責任な発言をエスカレートさせやすい土壌を作っている面もあるだろう。しかしそれは、人間として卑劣な行いじゃないのか?

税金の使い道でもっとこう追求されるべき人は一杯いると思います。恐れ多くも皇族の方々にそういうことを言うのはよろしくないんじゃないかな。

俺に言わせてもらえば、政治家や行政の不祥事など、より厳しく追及されるべき公金の問題が多く存在する中で、反論できない立場にある皇族が標的になることへの違和感や不条理さを感じざるを得ないぜ。

っていうか、そんなことメディアが言わなかったら誰もそんなこと思わないんじゃないかな?メディアが笛を吹くから、世間の連中が考えなしに踊るだけの話だと思うけどな。どうだろう。

俺は、誰もが自分の頭で考えてものをいうべきだと思うぜ。 

『孟子』公孫丑下などに記されている春秋時代の魯の賢人・柳下恵(りゅうかけい)は、三度大臣に任じられ、三度罷免された。

それを友人に問われたところ、大臣の位が尊いのなら、自分の尊厳にかかわりないことだ。また、自分の尊厳が大臣の位でなく、自分自身にあるのなら、大臣の位など自分には何物でもないと答えたという。俺は少年の頃に読んでたいそう感心したよ。

柳下恵は、どれほど不条理な理由で大臣(士師)の位を追われようとも、またどれほど卑しい君主に仕えようとも、決して自らの内なる「芯(尊厳)」を犯されることはなかった。

外側から与えられる「大臣」という記号やラベリング、あるいは周囲のバッシングといったノイズは、「自分自身の価値とは1ミリも関係のない、外側の借り物」に過ぎなかったというわけだ。

すべからく、人はこう生きていきたいものだな。

2026/09/21

POST#1968 高齢化社会の日本の、素晴らしい敬老の日

ベトナムの阮朝の旧都、フエ。この橋の向こうは観光客向けだ
今日は、敬老の日らしい。

俺自身がもう既に、もう少し敬ってもらいたいくたびれた初老の男だというのに、俺より元気溌剌なジジイの話でもするか。久々に俺の親父だ。

親父は昨日、俺の住んでる町会の連区主催の敬老会に参加して、ご機嫌だったようだ。

泥のように眠っている俺を気遣って、というか電話でたたき起こしてくれたことが何度もあり、その都度不機嫌に塩対応されたことですっかり学習したのか、住んでる高齢者サービス付き住宅まで、片道2キロくらいを歩いていきやがった。

元気なジジイだ。86だというのに、要支援も要介護も何もついてない。せめてポックリ言ってくれることを祈ってるが、最近、施設の近所の公園でやっている太極拳のサークルに入ったりしてますます元気だ。麻生漫☆画太郎自民党副総裁と同じくらいに元気だ。

この元気なジジイが、俺の頭痛の種の一つだ。

先日も小遣いを上げてくれと抜かしやがった。そもそも金の管理ができない男なので、俺は親父の借金の連帯保証人になっている親類に累が及ぶのを避けるために、銀行の焦げ付いた借金を肩代わりして一括で支払い、その後遺症に苦しんでいる。

そして通帳もカードも取り上げ、不要な銀行口座はすべて清算し、年金が入ってくる口座だけを残して、それも万が一に備えて年金が振り込まれるとすぐに俺名義の口座に移動する。

兄弟から月々集めた金と年金で、高齢者サービス付き住宅の住居費、食費、電気代、ベッドのレンタル代、何から何まで支払っている。

そんなに元気で暇そうにしているのなら、交通整理のアルバイトや、スーパーのカート回収のバイトでもして、自分の小遣いくらいは稼いでほしいくらいだが、ちゃっかり病院代だの、日常生活用品代だのといって小遣いをせがんでくる。

最初は、申し訳なさそうに頼んできていたのが、いつのまにか当然もらえるものだと勘違いしている。しかも抜け抜けと、いけしゃあしゃあと増額を要求してくる。

余りのことに頭にきて問いただすと、毎月2000円で聖教新聞を取っているらしい。

うちは、代々浄土真宗だ!ていうの。

創価学会に限らず、新興宗教は人間の心の空虚の中にするりと忍び込む。麻薬のようなものだ。陰謀論、投資詐欺、そんなものと大差ない。

40年以上前に死んだ俺の母は、全身癌に侵されながら、創価学会に入り、お題目を百万回唱えれば癌を克服できると信じて、残された命を題目を唱えることに空費した。

今思い出しても、腹の立つ話だ。その創価学会に、親父が取り込まれてる。

マルクスだっけか、宗教は麻薬だって言ったのは。まったくモルヒネみたいなものだぜ。

 そして、そんな親父との攻防があった直後、入所している施設のセンター長から、電話がかかってきた。

このセンター長はとんでもなく腹が出ているおじさんで、あんまりにも腹が出ていて重たいので、老人用の歩行補助機に体を預けて移動しており、そのために両肘にタコができているという不思議な男だ。

で、そのセンター長が言いにくそうに言うには、俺の親父はどうにも同じ施設に入っている同年代の女性、しかもちょっと裕福で認知が入っている女性とねんごろになっているようだというのだ。時間をずらして別々に散歩に出ては、公園などで落ち合っているということだ。高校生にでもなったつもりか?

私設のセンター長としては、それで金品のやり取りなどから入居者同士のトラブルに発展するのを警戒しているようだった。

はぁ?俺は頭のなかが真っ白になった。人間の性欲というのは、そんな老人になっても衰えないものなのか?

俺の親父は、実の母親を幼いときに亡くしている。そのためか、生涯にわたって女癖が悪かった。俺の母と結婚したのも、母と見合いしたときに、タイプじゃないと断られたのに腹を立て、遮二無二アタックし、様々な伝手を動員して結婚したのだが、釣った魚に餌はやらないという例えの通り、子どもだけ4人も産ませておきながら、他所の女の話が途切れたことのない男だった。

俺はネズミ捕りで捕まえたネズミを、家の前の側溝に沈めて殺している母の、真っ黒な深淵のような目を忘れることができない。

俺は子供の頃、存命中だった母が洗面所でうずくまって泣いているのを見たことがある。

母は俺には歯が痛かったから泣いていたと見え透いた嘘をついたものだ。

母が死の床にある時も、病院に父が見舞いに行くと、ほかの女の香水の匂いがして気持ちが悪いから帰らせてくれというほどだった。

母が死んでからも、あの女、この女と手当たり次第だった。節操がないんだ。

そして、去年引き払った親父の住んでいたアパートも、親父がある未亡人と一時期いい仲になって、彼女の持っている古い三階建てのアパートの一室に転がり込んだもので、賃貸契約書も何もなかった。さんざんその女性にカネをたかり、お互いに利用しあって、挙句愛想をつかされて放り出されたというのが現実だ。

もう、女はいい加減にしてほしいものだ。その年で、恋愛うらないでもやるつもりか?冗談じゃないぜ。

年相応に、年老いる。そして、この世に生まれ、修めるべきことを修めて世を去る。

この当たり前のことが、これほど難しいとはな。

この世に生まれて、修めるべきことってなんだ?

それは神様(というかこの宇宙そのものっていうべきかな)のよき目となり、耳となり、口となり、手となることさ。うなるほど金を儲けることでも、大勢の人々を手下にすることでもないんだぜ。


あぁ、こんなことを書いたら、また弟に叱られちまうかもな。

2026/09/20

POST#1967 過酷な日々を送っていた

2002年ごろの一宮にて コダックのリバーサルフィルムならではのえぐみのある色彩だ
ここ一週間ほど更新していなかったので、数少ない読者の皆様の中には、死んでるんじゃないかという疑念を持った方もおいでかもしれない。

大丈夫、俺たちはみんな、不完全な死者として生まれ、生涯かけて完全な死者へと完成していく。この宇宙では、ひょっとしたら死んでる方が通常な状態かもしれないぞ。

風邪を引いていたんだ。

しかし、前の現場の是正工事をふらふらしながらやっつけて、疲労困憊していたところに寝ていたところに息子にたたき起こされ、私立の中高一貫校の文化祭に連れていかされたんだ。去年まで女子校だというだけあって、生徒さんはほとんど女の子だ。

息子とカミさんが、製作体験とかやってる間に、俺は女子高生のお嬢さんたち相手に調子に乗った与太を飛ばしまくっていた。一見絶好調だが、それはろうそくが消える前に一番輝くというやつさ。

書道部で、おみくじを引かせてもらったんだがなかなか思うところがある内容だった。人生おみくじと恋愛おみくじがあったんだが、迷わず人生おみくじだ。老いぼれには恋愛なんて、40光年ほど遥か彼方の出来事だ。もう関係ない。女はもうこりごりさ。おっと、別に俺はミソジニスト🔗じゃないぜ。五十路ニストさ。おみくじにはこうあった。

『中吉

 人生おみくじ💛

 変化

環境や心境に良い変化が訪れるよ

柔軟に受け入れてみてね

ラッキーカラー オレンジ

ラッキーアイテム イヤフォン』

だとさ。そして次の月曜日から新しい現場が始まったのに、風邪をこじらせ、発熱し、気味の悪い汗をかき、日々体力を極限まで消耗していた。

少なくとも体調に関しては悪い変化が訪れたよ!

木曜日も金曜日も、家のフローリングの床に寝転がったまま、死体のように眠っていた。

今朝も3時ごろ家に帰ってきたのだけれど、そのまま車の中でシートを倒して眠ってしまった。朝息子に起こされたくらいだ。そのあとも夕方まで泥のように眠った。

何せ、トラブル続きだ。他人には任せられない。俺が自分の足で踏ん張って、這ってでも収めていくしかないんだ。若い頃、倒れるまでやれ、倒れたら這ってでもやれと叩き込まれた。まったくその通りだ。俺の代わりは俺しかいないのさ。なんせ、フリーランスだからね。

うまくいかなかったからといって、誰かのせいにするような情けない真似はできないんだ。うまくいったら、自分についてきてくれた職人さんのおかげ。失敗したら、すべて自分の責任だ。それが一人前の仕事師というものさ。

さて、いったいこれからどんな環境や心境の変化が訪れるのかな。楽しみだぜ。とはいえ、女がらみだけはもうごめんだぜ。いろいろとこりごりなのさ。

2026/09/11

POST#1966 9月11日か・・・。俺はイスラモフォビアには反対だ

Istanbul,Turk
早いもので、2001年のアメリカ同時多発テロ事件🔗から25年、四半世紀だ。

俺の人生で起きた世界史的な事件のうちでも、東西冷戦終結、天安門事件と並んでビックスリーに入るね。

あれ以来、地球上にたくさんいらっしゃるイスラム教徒の皆さんに対する、いわれのない恐怖感を持つ人々がいるのは、まったく残念なことだ。なんせ地球人の4分の一はムスリムなんだぜ。

俺は、言うまでもないけれど、イスラモフォビア🔗には断固反対だ。

どんな宗教でも、いいやつもいれば、悪い奴もいる。そして、宗教的に守るべきルールが違ったところで、それを非難する資格もなければ、する必要もない。

すでに、俺たちの周りには多くのムスリムが暮らしている。息子の小学校にもムスリムの子息が通っている。給食はどうしてるんだろうな。学校給食はハラール🔗じゃないからな。

労働現場にも、インドネシアから多くのムスリムがやっていている。インドネシアは人口レベルで見ると、世界最大のイスラム国家だ。近年経済成長著しいマレーシアもイスラム国家だ。もちろん、日本の石油製品の大半は、湾岸諸国やイランなどの石油に依存している。

彼らの存在なしには、日本という国は成り立たないんだ。

ムスリムはその宗教的な教義のために、土葬の墓地を必要とする。それを水質汚染につながると頑なに拒否する人たちがこの日本にはたくさんいる。俺たちのじいさんくらいの代まで、どこに行っても日本中普通に土葬してたのにね。土饅頭って言葉は土葬墓地のことを意味してるって知らないわけじゃないだろう。

よく知らないからといって、感情的になって反発したり排除したりするのは、良き市民のあるべき姿とは言えないんじゃないかな。すでに、この国は疲弊して外部からの人々の力を借りなければ、社会のインフラの維持もできないんだ。わかってるだろう?

イスラム教徒だからといって、誰もがアルカイーダ🔗やISIL🔗みたいなテロ組織ではないんだとはっきり言いたい。日本にだって暴力団はいる。規模が違うからそれは不問に付すのか?あるいはターリバーン🔗のような抑圧的な社会を構成するわけじゃない。

確かに、価値観が違う面はあるかもしれない。

しかし、人間という実存存在に何ら変わりはないだろう?もっとも、何ら変わりもない人たちを穢多・非人といって差別してきたのも俺たち日本人だ。関東大震災の時に、朝鮮人を虐殺したのも俺たち日本人だ。15年戦争で、アジアでさんざん残酷なことをしまくったのも日本人だ。それを繰り返すような愚行をしてはいけない。

誰かを排除することで、自分のアイデンティティを確立することは、単なる分裂生成に過ぎないんだ。あいつじゃないから俺たちなんだっていう、恣意的な線引きなのさ。

あの日から、25年経った。俺たちは少しはマシになっただろうか?

かつてビリー・ブラッグ🔗は、19世紀の詩人ラドヤード・キップリング🔗の有名な一節 “What should they know of England who only England know?” を引いて、『イングランドしか知らない者は、イングランドのことを何も分かっていない』と歌った。

つまり「比較対象(他者)を持たない閉じた視点は、自己の姿すら正しく認識できない」という認識論的な真実をリスナーに突き付けたんだ。

俺は自分自身に問いたい。『日本しか知らない者は、日本のことを何もわかってない』

俺は日本以外の世界のことがわかっているだろうか?

2026/09/10

POST#1965 ここんとこなんだかモヤモヤするな

台南
今年になって、地元に帰ってきてからずっとある会社と仕事をしている。

仕事は今のところ、忙しいよ。うん、確かに忙しい。

まさに心を亡くすような感覚だ。なぜって、一件仕事を片付けると、やれ手直しだ是正だ、追加だと追いまくられてるうちに、次の現場が始まる。

夕方から明け方まで働いて、昼間もひっきりなしに電話やメールがやってくる。俺は実動分しか請求しないのにね。正直な商売なのさ。だからこそ、報酬が発生しない時まで電話やメールに振り回されるのはたまらないぜ。

挙句の果てに、外壁塗装やらなんやらの飛び込み営業もやってくる。そんなことに費やす金はない。自分一人のビジネスだから、役員報酬を増やそうと思えば増やせるけれど、そんな事したら、増やした分より年金や社会保険料の増加分のほうが多くなって、かえって手取りが減っちまう。それは本意ではない。

何も考えずに、本を読んで眠ったりする時間が欲しいのにな。

自分のメンタルをすり減らしてまで働くのは、いかがなものかな?

イスラーム金融論は読み切ったので、さっそく次の本に取り掛かったけれど、心がモヤモヤしてると、どうにも集中できないもんだ。

毎日こうして写真を添えた文章をしたためていると、書きたいことはあるにはあるけれど、書き記すにはやはり時間とエネルギーが必要だ。集中力と。メールや電話で思考が途切れるのは、ちょっと辛い。

そして、つくづく自分の今まで撮ってきた写真が、つまらなく思えてくる。正直、毎日どれにしようかと吟味するのも厭きてきた。

見たこともない景色を見に行きたい。人間が濁流のように群れを成して歩いているようなところへ行きたい。

どうせ行くなら、トライXを奮発して買い込んで、コンタックスG2🔗にホロゴン🔗16㎜F8だけをつけて、その濁流の中に飛び込みたい。指が写りこまないように、ハンドルグリップも必須だな。

しかし、今の俺にはそんな金も暇も、そして体力もないのかもな。

人はこうして、老いていくのさ。アンチエイジング?興味ないね。いずれ年食って死ぬのさ。できることなら、息子には迷惑かけたくないね(笑)。

2026/09/09

Post#1964 人は読書という愉しみを忘れている

Katmandu,Asan Dabu,Nepal 抽象的とは対極にある世界だ
今夜はちょっと仕事がある。

線状降水帯が居座らないことを祈るばかりだ。

気圧が低いと、頭がぼーっとして、考えることも億劫になる。

読みかけの現代イスラーム金融論を開いたまま転寝してしまう。それでも第六章までこぎつけたけどね。

頭が動いていないとき、抽象的な内容の本を読むのは骨が折れる。

鬱病の最盛期みたいに、読んでも読んでも文字の羅列にしか見えてこない。意味が頭に入ってこないんだ。

そんな時、俺は本に書いてある文章を、声に出して読んでみる。

一人で机に向かい、文章を目で追いながら、その一言一言を声に出す。小学生が教科書を音読するように。

そういえば、かつての日本人は、黙読というスキルを持っていなかった。

明治時代の初め頃に活躍した人々は、皆寺子屋で漢文を素読、つまり読み下して声に出して学んでいたんだ。

すると、さび付いていた脳の回路が少しづつ結合してくる。電気信号がシナプスの間を伝達し、脳内に抽象的なイメージが形のない形として立体的に立ち上がってくる。

自分の脳内に格納されている様々な知識と接触し、異分野の知識同士が引き合い、意味を成し、強度と奥行きを作り出す。自分自身の実生活の体験と響き合う。抽象的な意味がまるで手で触れることができるようにはっきりイメージされてゆく。イメージと意味の連環が生まれるんだ。フラクタル図形のように、次々と疑問や関連知識が引き出され回転してゆく。

経済学の本を読んでいても、人類学や、歴史学、ロックやファンクなどの音楽に関する知識などが次々立ち上がり、意味を補強し、強度を与えてくれる。

だんだんと脳の回路が形成され、思考スピードが上がってくると、鈍重な飛行機が離陸するように、音読しなくても意味が頭に入ってくる。

20分もそんなことをしていると、自分自身と向き合っている本の世界以外、どうでもよくなる。

どうして、今の人々が本を読むという楽しみを忘れているのか、意味が解らないね。

2026/09/08

POST#1963 大事ない

Bangkok、Thailand
今日は現場がなかった。低気圧の影響か、何もする気がなかった。朝から車のホイールも傷つけたしね。

朝から精神病院に行って医師の診察を受け、カウンセラーの面談を受ける。

もう何年も続く月に一回ほどのルーティンだ。

俺の脳の中のセロトニンの量は加齢によって減衰している。セロトニンが減ると、神経伝達に遅延が生じて、脳の活動が低下し、気分が落ち込む。

つまり鬱だ。

何年もまえ、発達障害グレーゾーンの息子を病院の面談に連れて行ったときに、料金支払いの場で、希死念慮があるといって予約を取り、通い始めてもう4年ほどになるだろう。

ここで診察を受け、レクサプロを飲み続けているおかげで生きている。

しかし、仕事のこととかで面倒なことがあると、何もかもどうでもよくなってしまう。いい年こいてぼんくら扱いされるのも御免だね。

今日もそんな日だった。

そして、俺の住む町は線状降水帯に直撃された。

家の目の前の小学校に息子を迎えに行った。学校からの要請だ。過保護だな。

名古屋市内は各所で冠水し、公共交通機関もストップしてしまったようだ。

状況を心配してくれる友人もいた。しかし、俺は大事ない。

こんな状況でも働くなんて、馬鹿らしくってやってられないぜ。

人間の営みなんて、自然の猛威の前では、屁みたいなものさ。

だから俺は、屋根に礫をたたきつけるような激しい雨音を聞きながら、現代イスラーム金融論を読み耽っていた。利子や先物取引などを一切禁じた別世界の経済だ。

部屋の中に山と積まれた未読の本を読み耽ることができるなら、正直仕事なんてどうでもイイと思える。まだ知らないことが無限にあるのに、命は一日一日短くなっていく。俺には時間がないんだ。

心配してくれた友人たちよ、ありがとう。こちらは大事ない。

余りに大事がないので、夕食を食べた後近所の川の水位を確認しに行ったくらいだ。

万一死んだところで、馬鹿が一匹減っただけだ。


 

2026/09/07

POST#1962 近代経済も民主主義も、つい最近始まった実験に過ぎないんだぜ

フェス、モロッコ
話のスケールを一気に広げてみよう。俺たちは所詮自分の人生、もしくはせいぜい親、自分、子どもの三世代くらいしか思考の射程を持ってない。その射程距離の中にいる限り、現代の社会構造は盤石で普遍的なものにしか思えないだろう。だから、顕微鏡の対物レンズのターレットを回してスケールを切り替えるように、頭の中のスケールを切り替えるんだ。

人間は有史以来、フロム・ハンド・トゥ・マウスという定常経済を回してきた。それから後に作物を栽培し、収穫物を貯蓄する術を生み出したわけだ。

つまり、先を見越して貯蓄ってことを始めたのは農業が始まってからこっちの話。そしてぐんと話が今に近づいて本格的な投資が始まったのは、産業革命以降の話だ。

これは人類の歴史ってロングスパンで考えると、つい最近おっぱじまった実験的なものであるに過ぎないと俺には思えるんだ。そう、多くの人が幻滅を感じている近代的な民主主義だって、未だ数百年の積み重ねしかな壮大な社会実験であるようにね。

有史以来、人間が営んできた経済の歴史軸で並べ替えると、ごく最近始まった「貯蓄」や「投資」という仕組みが、いかに不自然で異質なものであるかが浮き彫りになるだろう。

1. 20万年 vs 1万年:貯蓄の始まり

ホモサピエンスって分類される現生人類、つまり俺たち人間が誕生してからざっくり20万年間、人類は「その日暮らし(From hand to mouth)」の狩猟採集社会を生きてきたわけだ。獲った獲物や採った果実はその日のうちに消費し、蓄えることは燻製にしたりしない限りは、まぁ難しいね。それに今日でもアマゾンの奥地などで暮らしているイゾラドと呼ばれる移動採集民のようなライフスタイルでは、常に移動しながら生活を営むため、モノは少ないほうがいいし、穀物を育てるなんて発想もなかったわけだ。

農業(約1万年前〜)という最初の実験

人類の定住と農耕が始まったことで、初めて「穀物の余剰(貯蓄)」が生まれたって言えるだろう。

最近の研究では、定住してしばらくは、割と平等な社会を営んでいたんじゃないかって推測されてる。共同体の中で富を蓄え、皆を支配しようとする者は、たいてい夜の間に喉を掻き切られたり、共同体から追放されたりしたんだ。

しかし、そうこうするうちに不平等が生み出されてくる。

貯蓄ができるようになった瞬間から、富を持つ者(ハブズ)と持たざる者(ハブナッツ)の階級が生まれる。こうして俺たち人類は「格差」という新しい課題を抱えることになったってことだ。めでたしめでたし。

2. わずか250年しか実績のない投資という最新の実験

農業以降も、基本的には「実体のあるモノ(金、銀、穀物、土地、塩など)」が価値の中心だったんだよね。しかし、18世紀後半の産業革命以降、事態は一変することになる。

約250年前にイギリスを震源地にして起こった産業革命では、膨大な設備投資を回収するために「株式会社」や「近代金融」が本格化したんだ。

そこで起こったことは人類史上でも劇的な変化だ。それまで「今ここにある富」だったものが、「将来生まれるであろう富(期待)」へと姿を変え、これが現代の株価やAIバブルへと肥大化していくことになるわけだ。ケインズの言うところのアニマル・スピリットの炸裂が新たな富を求め生み出していったわけだ。

ちなみに、イスラーム金融では、今ここにないものを取引することはイスラーム法で禁じられている。ついでに言うと利子も禁じられているんだ。これが、活発な商取引を行ってインド洋からアフリカまで巨大な経済圏をつくっていたイスラーム世界が、産業革命を起こすことなく、また経済的な覇者にもならなかった原因といえるだろう。もっと言うなら、節度のある経済体制だということもできるだろう。資本主義と共産主義だけじゃなくて、世界には多様な経済の仕組みがあるんだ。俺たちがどっぷりつかっている近代経済ってのが、唯一の経済システムだと思ってもいけないし、格差が拡大していくのは当然だとあきらめてもいけない。

3. 「実験」としての近代システム

産業革命以降の資本主義も、フランス革命以降の近代民主主義も、人類の長い歴史から見れば「ここ200〜300年ほど、試しにやってみているだけの超短期的な実験」に過ぎない。人類の歴史の中では、昨日今日始まったばかりのことだ。だから、何もかも諦めて長いものに巻かれるだけでは面白くないってもんだろ?

何しろ俺たちが唯一のシステムだと思ってる経済システムは、この地球の資源を無限に消費し、実体のない信用を膨らませ続ける無理ゲーなシステムだ。こんなギャンブルまがいのことが、この先何千年も持続できる可能性は極めて低いというか、ゼロだろ?持続不可能な経済なのさ。3%の利子が20年複利でのっかるだけで、2倍になるんだ。こんな負荷に、俺たち人間も地球そのものも耐えられないぜ。どう思う?

で、バブルの崩壊やマクロ経済の破綻が起きたとき、俺たち人類が立ち戻るのは、結局のところ「今日働いて、今日食べるものを得る」という、20万年間鍛え上げられてきた「From hand to mouth」の強固な生存本能しかないんだよね。

株価、新NISA、AI、そして民主主義すらも、人類が長い試行錯誤の中で生み出した「一時的な流行(実験)」のひとコマに過ぎないという視点を持つと、目の前の経済ニュースの重みが全く違って見えてくるだろう?そういうメタな視点を持った方がいいぜ。世の中ががぜん面白くなる。

専制政治や王政などに、戻らないためにも、俺たちは学び続けていかないといけないと思うんだ。民主主義はもう限界だなんて呑気に思っていられるのは、民主主義社会にいるからであって、本当に専制主義や絶対王政の社会に生きていたら、その民主主義という言葉を発することすらできないんだ。

だからこそ、自分たちの周囲の人々と相対して話し合い、草の根の民主主義を形成していかないといけないと思うんだ。

そういう基盤があって初めて、富裕層への資産課税は実現化するだろうし、富の再分配っていうことがちゃんと行われる政治制度っていうのが確立できるはずなんだ。

ちなみに現在の日本で起こっているのは、富の逆再分配だ。これは本来政治制度によってきちんとした富の再分配をしてゆくべきなのに、俺たち日本人は、俺たちの貧しさは自己責任で、富裕層が富を幾何級数的に蓄積していくのは、彼らの才能が優れているからだと思い込まされてる。

思い込まされてるんだ。

じゃぁ、なぜこの「逆再分配」が起きるんだ?そして俺たち庶民は、なぜそれを当然のこととして受け入れてるのか?

その不都合なメカニズムと、それを打破するための草の根民主主義の重要性について、考えてみようや。

1. なぜ現代は「富の逆再分配」が起きているのか

現在の資本主義と金融・税制のシステムは、放置すると自動的に「持つ者(ハブズ)」に有利に働くように設計されている。なぜって、この社会制度を政治家と一緒に設計したのは、そもそも彼等『ハブズ』だからだ。

金融緩和とインフレの罠

中央銀行がお金を大量に刷ると、株や不動産などの資産価格が上がってハブズがさらに富む一方、物価高(つまり今まさに現実化しているインフレ)によって日々の労働で生きるハブナッツの生活費は圧迫されていく。コンビニに行っておにぎりの値段を見ればわかるだろう。これは実質的な庶民から富裕層への富の移転(逆再分配)に他ならないんだ。

税制の歪み

汗水垂らして働いた「労働の対価(給与)」には高い住民税や所得税(累進課税で最大55%)がかかるのに対し、株の売買や配当による「資産の対価(金融所得)」には一律約20%しか課税されない。そして、政府はそういうインセンティブ=好子をちらつかせて、人々を投資という市場そのものを賭場にしたギャンブルに誘導するんだ。

一億円以上稼ぐ富裕層のほうが、実質的な税負担率が低くなる「1億円の壁」が、この不公平な税制を如実に示しているだろう。

2. 草の根の民主主義と「学び」が持つ力

この逆再分配のシステムを変更するためには、俺が吠えてる「資産課税の導入」や「税制の是正」が必要だ。

しかし、それらは強力な権力者(ほとんど専制的な長期政権党の非公開の税制調査会や財務省の官僚)によってきめられている。だからこそ、いくら市民の批判が高まって、『資産課税』などの不平等改善策が導入されたとしても、そのスケールは微々たるものに終わるだろうし、ハブズのロビー活動や資金力によって買収され、折を見ていつのまにか元の木阿弥状態に逆戻りしてしまうに違いない。そうなったとき、世の中の皆さんが自画自賛する民度の高いらしいこの国は、あきらめと不平等に覆われた惨めなものになってしまうだろう。

この茶番を防ぐためには、俺たちが消費者から市民へと脱皮しなければならないんだ。

そして、諦めるよりも、より公正な社会を求めることだ。

つまり市民の「知性」が防波堤になるんだ。一人ひとりの市民が経済の仕組みや歴史を「学び続ける」ことで、政治家の甘い言葉や、ハブズ側が流す「富裕層に課税すると国力が落ちる」といった世論誘導(プロパガンダ)を見抜く力を養っていくべきだね。

そして、市民同士の草の根の議論を通じて、「なぜ富の再分配が必要なのか」「どのような社会が公平なのか」という社会的な合意(ナラティブ)をボトムアップで形成して初めて、資産課税は富裕層からの「強奪」ではなく、社会を維持するための「正当な制度」として機能することになるだろう。迂遠だけれど、どんな遠い道のりも踏み出さない限り、たどり着くことはないんだぜ。

そもそも、富裕層に資産課税したら海外に脱出してしまうという意見もあるけれど、彼らが富を蓄積できたのは、国の税制に優遇され、国民の税金によって整備された公共財であるインフラを享受し、国の教育指針によって教育された質の高い労働力を使役し、その労働に対して本来分配するべき富を、労働者に回さず株主に配当したり、高額な役員報酬としてお手盛りで支払ったり、或いは企業の内部留保にしてみたりしてきた経緯がある。そう、若い人たちにはピンと来ないかもしれないけれど、この国はかつて一億総中流といわれた豊かさを享受していた国だったんだ。

絞り切ったレモンをゴミ箱に捨てるように、海外に資産を持ち逃げすることは、社会に対して不誠実極まりない態度だということは、少なくともいえるだろう。

実験を「より良いもの」に進めるために

人類の歴史から見れば、民主主義も資本主義もまだ始まったばかりの不完全な「実験」だ。しかし、今の状態を放置すれば、資本の力によって再び「新しい形の王政(巨大テック企業や超富裕層による支配)」へと退行していくリスクを孕んでいる。いや、すでにそのフェイズに入りつつあるといってもいいだろう。

それを食い止め、富の再分配が機能する健全な社会を作るためのカギは、「市民の学び」と「草の根の民主主義」だと俺は考えてる。俺たちは、餌をぶら下げられたら、条件反射的に食いつく機械じゃない。自分たちの目で社会の有様を見るべきだし、自分たちの頭であるべき社会を考えるべきだ。たとえ、荒唐無稽に見えたとしても。

2026/09/06

POST#1961 とっとと資産をためて、リタイヤしたいもんだぜ

カトマンズ、ネパール

毎日毎日、仕事の電話がかかってくる。やってもやってもきりがないぜ。俺もできることなら、とっとと十分な資産形成して、リタイアしたいもんだぜ。そう、FIREとかいうやつ?

最近偉く流行ってるみたいだけど、俺には無理だろうな。死ぬまで小商いを続けていくしかないのさ。まぁ、仕事してなかったら、部屋にこもって本を読み耽る毎日だろうが、カミさんに嫌がられるだろうよ。そうなると家に居場所なんてないしな。

FIREは確かに魅力的だ。

しかし、大幅な株式の相場の下落、あるいは円なりドルなりの価値変動が起こった場合、この人たちの生活っていうのはすぐに脅かされるんではないかと想像しちまうんだ。

いや、そんなこたぁ起きっこないと思うかもしれないが、資本主義の歴史はバブルとその崩壊の歴史だからね。

冷静に考えてみよう。株価の暴落や急激なインフレ(通貨価値の低下)が起きると、FIREつまり早期リタイアを達成した人たちの生活は瞬時に窮地に追い込まれることになるだろう。

彼らは「労働」という最強の防衛手段を手放し、100%「金融資産という虚構の価値」に依存して生きているため、マクロ経済の変動に対して最も脆弱な存在と言えるんじゃないか?

FIREの生活が崩壊する過程は、こんな風に想像できるな。

「4%ルール」の前提が崩れるリスク

FIREの多くは、資産をアメリカ株などで運用し、毎年4%ずつ取り崩せば資産は減らないという米国の理論(トリニティ・スタディ)を根拠にしているんだとさ。しかし、ここには大きな落とし穴があるんじゃないか?

収益率の順序リスク(シーケンス・オブ・リターン・リスク)

リタイアした直後の数年間に大暴落が来ると、目減りした資産からさらに生活費を取り崩さなければならなくなるだろう。

そうなっちまたらさぁ大変!資産の寿命が極端に縮まり、理論通りに運用が回らなくなって、数年で資産ショート、つまり破産する確率が跳ね上がるよな。

それだけじゃないぜ。為替とインフレのダブルパンチだ。

日本のFIRE達成者の多くは、米国株(ドル建て資産)を保有しているようだ。

今のトレンドでは予想もできないが、いつ円高・株安の同時進行に潮目が変わるかはわからない。そうなったとき、AI関連一択の米国株が暴落し、同時に為替が円高に振れると、円ベースの資産価値は一瞬で半減するだろう。

それに加えて激しい物価高(インフレ)だ。

円やドルの価値が下がり物価が上がると、想定していた生活費(例えば月20万円とかね)では暮らせなくなります。資産価値が減る一方で、取り崩す額を増やさなければならないという弱り目に祟り目、泣きっ面に蜂状態に陥ることになるだろう。

そしてもう「ハブナッツ」に戻れない恐怖

最も致命的なのは、暴落に直面したときに、労働市場(ハブナッツの側)へすぐに戻れないマインドになっちゃってるところだ。

まずはスキルの陳腐化だ。

数年間労働を辞めていたのんびり暮らしていた人は、キャリアの空白(ブランク)があるため、以前と同じ条件で再就職することが困難になるだろう。俺なら心が折れるというか、億劫極まりないと思うぜ。

それに加えて買い手市場の不況だな。

そもそも株価が暴落している時期は社会全体が不況であるため、企業は採用を絞ってるだろう。そんな時に、リタイア崩れの人々が仕事を得るの何らかのコネがないと厳しいよな。

俺の結論はFIREは「平時限定」の危うい空中配線だってことさ。

FIREは、ここ十数年の「右肩上がりの株高」と「安定した物価」という極めて恵まれた経済環境(平時)が生み出した、一過性の流行に過ぎない側面があるだろう。もっとも、俺はいつだって自転車総業だけどな。会社の名前を自転車総業に変えようかと思うくらいにね。(笑)

労働という「価値を生み出すリアルな手段」を完全に捨ててしまう行為は、マクロ経済の地殻変動に対して無防備に身をさらすことなんだ。

おかげさんで最近では、完全に仕事を辞めるのではなく、週に数日だけ働いて生活費を稼ぎ、資産の暴落に備える「サイドFIRE」や「バリスタFIRE」を選ぶ人が増えているのも、この脆弱性に気づき始めたからだと言えるだろう。まぁ、あれだ。宝くじに当たったからといって仕事を辞めた奴がたいてい碌なことにならないのと同じことだ。

さて、絶好調な米国株と言ってもそのほとんどは、AI 関連株とレバレッジやデリバティブを多用した金融取引、つまりはマネーゲームに依存しているのが実情だ。つまり、実体経済から大きく乖離しているというのが冷徹な事実だ。

かつての米国株は、自動車や工場、エネルギーといった「目に見える実体=リアル」が中心だった。しかし現在の構造は、極めていびつで脆弱なものになっている。

1. 「ビッグ・テック」というAIバブルへの極端な依存

米国株全体のインデックス(S&P500など)は、時価総額の大きな上位数社(エヌビディア、マイクロソフト、アップル、アルファベットなど)だけで全体の約3割を占めているんだそうな。危ういな。

これらの企業の原動力は「AIが将来もたらすであろう利益」という未来の予測(期待)で、明確な実体=リアルなサブスタンスではない。

おまけにAI同士の循環取引だ。

テック企業がAIサーバーを買い、そのAIを使って別のテック企業がサービスを作るという「業界内での身内のカネの回し合い」が続いており、一般消費者の生活(実体経済)にどこまで浸透し、本当の利益を生んでいるかは不透明だ。まぁ、自社株買いで株価を上げるってのよりはマシだろうが、似たようなもんだ。倒れる時はドミノみたいに一気に行くぜ。

2. 金融取引(アルゴリズムとレバレッジ)による肥大化

現在の株式市場の取引の過半数は、人間ではなくAI(アルゴリズム)による高速自動取引だ。

個々の企業の業績や製品の価値ではなく、チャートの動きやニュースのキーワードにAIが反応することで、一瞬で巨額の資金が動く。動くんだけれども、そこにビジネスの実体はあまり考慮されない。機械的に相場の動向によってオッズが積みあがり、株価が上昇するって寸法だ。

そして危なっかしいレバレッジの連鎖だ。

機関投資家やヘッジファンドは、デリバティブ(金融派生商品)や借金を使って実体の何倍もの規模で取引している。株価が上がればさらに自動で買いが入り、実体経済の成長速度を遥かに超えて株価だけが膨らんでいくバブリーな構造だ。

3. 実体経済(オールドエコノミー)の地盤沈下

アメリカの国内を見渡すと、製造業の空洞化や地方都市の衰退、インフラの老朽化など、実体経済の課題は山積みだ。過積載だ。

マクドナルド、ウォルマート、キャタピラーといった「リアルなモノやサービス」を扱う皆様お馴染みの伝統的な企業の株価の伸びは、AI・ハイテク株に比べて鈍い。

つまり、「米国株が強い」というのは、アメリカの経済全体が強いわけではなく、一部の金融・AIセクターが世界中のマネーを吸い上げて肥大化しているだけという歪みが生じてるわけだ。います。

この壮大な虚構がこけたときの、ジャイアント・インパクト

いまの米国株は「AIへの信仰」と「高度な金融工学」という砂上の楼閣の上に成り立っている側面が否定できないんだぜ。違うと思う人は、手を挙げて!

現実問題としてイランとの戦争を見てみなよ。アメリカにはもう打てる弾が払底しつつある。新自由主義経済体制の下、株価最優先でリアルな製造をおろそかにしてきた付けが回ってきてるのさ。これで、2027年に創立百周年の中華人民解放軍が、台湾進攻をおっぱじめたとしても、今のアメリカでは中国の勢いを押しとどめることはできないだろう。近代戦争ってのは、総力戦であり、製造能力とロジスティクスがその勝敗を決するのさ。

さて、そんな状況のなかで、ひとたび「AIは思ったより儲からない」「金融規制が強まる」「金利が高止まりしてレバレッジが維持できない」といったようなきっかけで、危ういバランスで維持されている市場への信用が崩れれば、実体経済の裏付けが薄い分、過去のITバブル崩壊を上回るような猛烈な暴落を引き起こすリスクを秘めているといってもいいだろう。

そう、ネパールの氷河崩壊みたいなことになるのさ。

まさに「ハブズ(持つ者)」が最も恐れるべきは、この「実体のない数字だけの価値が、一瞬で本来の実体経済のサイズまで縮小する(暴落する)こと」に他ならないんだ。

ハブナッツの俺は、この AI バブルが弾けた時に一体何が起こるのか、想像しただけでワクワクするぜ。

実体なき虚構の価値が剥ぎ取られ、世界が「リアルな実体経済」へと強制的に引き戻される瞬間への知的好奇心や高揚感は、考えただけでもカタルシスだぜ!(笑)

もしこの「AI・金融バブル」が弾けた場合、単なる株価の下落にとどまらず、社会の構造そのものが大激変することになるだろう。一体どうなることやら。

まず 「ハブズ(持つ者)」の資産が文字通り蒸発するだろうな。

米国株の上位を占めるメガテック企業の時価総額は、数兆ドル(数百兆円)規模に達しているそうな。それが崩壊するんだぜ。見ものだな。

AIの収益化が行き詰まったと市場が判断した瞬間、アルゴリズム取引が売りを一斉に誘発し、世界の富の数十%が一瞬で消え去ることになるだろう。まさに富の強制リセットだ。

もしそんなことになったら、画面上の数字だけに依存していたハブズや、借金でレバレッジをかけていた投資家は、担保割れや資産激減により、一転して生活の困窮に追い込まれちまうぜ。FIRE民・レバレッジ投資家の退場だ。百年前の世界大恐慌の時には、この世から退場する奴がごまんといた。だからといって、そんなことする必要はないぜ。生きていれば、何とかなるってもんさ。

そして連動するように 「ハブナッツ(労働者)」の価値の逆転と再評価がワンチャンあるかもだ!

バブル崩壊直後は社会全体が不況の波をかぶるだろう。リーマンショックの時もそうだった。しかし、中長期的には「堅固な防衛力」を持つハブナッツの時代が到来するかもしれないぜ。

電力、食料、医療、物理的なインフラなど、「それがないと明日生きていけない」というリアルなモノやサービスを生み出す労働者の価値が、AIのプログラマーや金融ブローカーよりも圧倒的に高くなるだろう。だって、そうじゃないとみんな死んじまうからな。つまり、オールドエコノミーへの部分的かもしれないが回帰が起こるってわけだ。

市場の数字に振り回されず、日々の労働で社会を回し、具体的なスキルを持つ人々が、最もたくましく生き残ることになる可能性がある。あくまで楽観はしないけれどね。

残念ながら、そうなったときには政府の「新NISA」戦略の破綻が確定だな。

国が推進してきた「貯蓄から投資へ」というスローガンは、俺の見立てでは大打撃を受けるだろう。なんせ一億総ギャン中計画だからな。

国を信じて新NISAで米国株信託などを買った一般の人々が元本割れを起こし、政府への不信感が爆発するだろうよ。なんせただでさえ、いろいろと信用ならないことばかりしてる政府に官僚だからな。結果として、再び「現金・預金最強」の時代へ先祖返りする可能性だってあるかもしないぜ。

要は、いつだって結局、歴史は「実体」へと収束するのさ。

過去のオランダのチューリップ・バブルに始まり、2000年のITバブル、2008年のリーマンショック。形を変えながら繰り返されてきたバブルの歴史が証明しているのは、「実体のない期待は、必ず最後はリアルな価値のサイズまで縮小する」という鉄則だ。

AIバブルの崩壊は、一時的な大混乱をもたらすだろう。最小限度に抑えるために、各国政府は、財政規律を無視して企業救済に邁進するだろう。いつもの光景だ。そして、うまくいけば行き過ぎた金融資本主義をリセットし、人間が生み出す「労働」や「実体経済」の尊さを社会が思い知る、最大の転換点になるかもしれないな。

まぁ、そうだとしてもどうせ俺たち人間は喉元過ぎれば熱さを忘れるんだ。けど、喉元過ぎても熱いものは熱いままだ。鈍感な内蔵の粘膜に深刻なダメージをコツコツ蓄えていくのさ。

てなわけで、しょうもない夢はベッドの中で見るに限るな。

2026/09/05

POST#1960 そろそろ資産課税について検討すべきフェーズじゃないか?

フエ、ベトナム この河を渡ると、かつての阮朝王宮だ

本当に国を豊かにして、経済を回そうと思うのならば、そろそろ資産課税を真剣に検討するべきなんじゃないかな。
現在の日本の税法では、所得に関しては課税されるけれど、資産に関しては課税されない。いや、固定資産税とか自動車税とかの資産課税はあるけれど、企業の内部留保や、富裕層がため込んでいる預金、或いは株式債券(起算時点の評価額に対して一定の税率を課して税金として納めてもらうってことだ)などに課税するべきなんじゃないかな。
資産課税に関しては、トマ・ピケティなどの先鋭的な経済学者からの、国を問わず実施すべきだと いう意見が上がっている。まったくごもっともだ。海外逃避っていう逃げ道をふさいでおかないとね。
そうすると、税金を嫌気する資産家は、現物資産に変換し、ため込んだ金融資産が市場に流動し始めるだろう。日本には現金預金だけで1126兆円もの個人資産が銀行預金として眠っている。困窮した若者は、詐欺やトクリュウ犯罪で、高齢の資産家から力づくで資産を奪い取っている。これはある意味での世代間での資産をめぐる闘争だ。

本当にお金を市中に回し、広く国民を豊かにしたいのであれば、資産課税を導入するべきだと俺は思うんだ。

日本の個人の現金・預金が1,000兆円以上も眠っている現状において、「お金を市中に回す(消費や投資に回させる)ためには、新NISAのような優遇措置よりも、資産課税によって滞留している富にペナルティを課す方が効果的だ」という指摘は、経済学や政策論の観点からも非常に有力なアプローチの一つだとされているようだぜ。

この「資産課税(富裕税や預金課税など)の導入」については、経済を活性化させるという賛成派の意見と、逆に経済を冷え込ませるという反対派の意見の双方が存在するのが正直なところだ。立場が違えば、意見も違って当然さ。今でも世界中で激しい議論が続いているみたいだ。

どんなことにも良い面と悪い面があるだろう。
それを天秤にかけたとき、社会にとって良い効果が大きいのなら検討し、実行に移すべきだと俺は考えてるんだ。そう、出来ない理由を探すより、出来る方法を考える方が、現実的だろう。

資産課税の導入が社会に対してよい効果があるとする賛成意見は次のようなものさ。

消費や投資への強制的な誘導
お金を持っているだけで税金が取られるようになれば、人々は税金を避けるために、お金を「使う(消費)」か「より高いリターンを求めて市場に投資する」ようになるだろう。まるでサッカーのパスを高速で回していくようにね。結果として、市中にお金が回りやすくなるって寸法だ。
格差の是正と財源の確保
一部の富裕層や高齢者層に偏っている資産を税として徴収し、それを子育て支援や若者世代への給付に回すことで、社会全体の消費底上げ(お金が回りやすい仕組み作り)につなげていくことができるだろう。いや、多くの就職氷河期世代が、資産形成などおぼつかないままに、単身で年老いていっている現在、その社会保障費が、国や自治体の財政を圧迫するようになるのは眼に見えている。
何らかの早急な対策を講じないと、社会を維持することができなくなるという危機感を俺は持っているんだ。

しかし、俺のそんな懸念をよそに、資産課税の導入に反対する意見は根強い。

キャピタルフライト(資本の海外逃避)の可能性が高い
重い資産課税を導入すると、富裕層や優秀な起業家が資産を海外(つまりシンガポールやらドバイなんかの税金の安い国)へ移転させてしまい、結果として国内の富や税収が逆に減ってしまうリスクが指摘されている。
過去に富裕税を導入した欧州のいくつかの国(フランスなど)では、これが原因で後に制度を廃止した経緯がある。だからこそ、これは世界的に協調して行っていく必要があるだろう。

投資や貯蓄の意欲低下
「努力して資産を築いても税金で持っていかれる」という心理が働くと、労働や起業、国内投資のモチベーションが下がり、中長期的に経済の活力が失われるという懸念がある。
しかし、現在の労働者の多くは、すでに努力して働いても、五公五民でなんだかんだと税金を取られ、生きていくのもカツカツという状況だ。
それでいて、税収は過去最高で、国家予算の概算要求も141兆円とかいう市場最高額なんだから、市井の一市民としては、暗澹たる気持ちにならざるを得ないぜ。
そして、そんなに税金を取られてる割には、災害が起こっても避難所で雑魚寝という状況は、百年以上前の関東大震災から変わっていないという不思議だ。

やれやれ、ため息しか出てこないぜ。
現在の日本政府は、資産課税という「ムチ」ではなく、新NISAという「アメ」の手法を選択しているんだ。俺はそんな余力がないから、金が手に入ったらすぐに市中に華麗なパス回しだから、そんな高級ギャンブルに手を出す余裕はない。
これは、国民に強制的に資産を動かさせるのではなく、「税金をゼロにするから、自主的に投資へ回してほしい」というインセンティブ(動機付け)による経済活性化を狙ったものだ。
ここんとこ話してるオペラント条件付けでいうところの、好子というやつだ。餌をぶら下げて、行動を制御しているのさ。

さて、この資産課税を導入する場合、どのような層(超富裕層のみか、一般の預金者も含めるか)を対象にすべきだと考えるべきだろうか。また、海外への資産逃避(キャピタルフライト)を防ぐためには、どのような対策が必要だろうか?
俺は、それ等の問題は『持つもの』と『持たざるもの』、つまりハブズHAVESとハブナッツHAVE NOTS(HAVE NUTSじゃないぜ、ピーナッツもってどうするのさ)の間の論争に過ぎないと考えてるんだ。

富の再分配や税制をめぐる議論は、どれだけ高度な経済理論で飾られても、最終的には「財産を守りたい側」と「公平な分配を求める側」の利害衝突に行き着いちゃうんだ。そりゃそうだろ。

この対立構造は有史以来といってよいほど根深い。

立場によって主張が完全に正反対になるため、純粋な正解なんて存在しないんだ。

持つ者の論理はこんなところかな。
「自分が努力して築いた資産や、すでに税金を払った後の財産に、さらに課税されるのは二重課税であり不当だ」
対して、持たざる者の論理としてはこんなところだ。
「社会のインフラや仕組みの恩恵を受けて富が集中しているのだから、格差を是正するために多く持つ者が社会に還元すべきだ」
お互いに立場が違うから、いつまでたっても平行線だ。
そんな時、ジャッジを下すのは政治の役割であるはずだけれども、如何せん政治家のセンセー方は、資産をお持ちの方がたと懇意にしておいでなので、そちらの声を市民の声、国民の意見として採用しがちだ。

ここで、民主主義における「数の力」のジレンマが浮上してくるんだ。

民主主義のルールでは、数が多い側の意見が通りやすくなるのはご承知の通り。とはいえ、これは政治家のセンセー方の口約束に頼ってる部分が非常に多くて心もとないけどね。

ハブナッツ(多数派)の視点
投票数では勝るため、資産課税や富裕層増税を求める政治勢力を支持しやすいはずだが、不思議と日本の有権者は現状維持を求めがちだ。なにがしかのイデオロギーに基づいた世論誘導がうまいことされてるんじゃないかと考えざるを得ないな。社会民主的な主張をすれば、『悪夢のような民主党政権』という方々も多い。しかし、あの頃のほうが国際的に円の評価は高かったけどね。

ハブズ(少数派)の防衛策
人口比で10%ほどに過ぎない富裕層は、有権者の数では負けるため、政治献金やロビー活動、あるいは最終手段としての「海外移住(資本逃避)」という経済的な力で対抗することになるだろう。

そして、その両者の間で社会設計をしてゆくべき政府という仲介者は、どっちつかずの矛盾した態度に終始してる。そう、政府は両者の間で常に板挟みになっているんだ。煮え切らないとはこのことだ。

建前としては「格差是正」や「中間層の復活」を掲げちゃいるが、本音ではハブズ(企業や富裕層)に逃げられると国力がガタ落ちするため、思い切った資産課税に踏み切ることはできないでいる。
結果として、新NISAのような「誰でも参加できる(建前上の)平等な機会」でお茶を濁している側面があるんだ。まぁ、前にも言ったけど国に期待せず、投資という名のギャンブルやビットコインなどを買って資産形成しておくれよ、とくるわけだ。うまくいけば君も『億り人』になれるぜ!ってことだ。

結局のところ、この論争は単なる経済政策の選択ではなく、「どのような社会であるべきなのか」という価値観のぶつかり合いなんだ。

この分断が広がり続ける現代社会において、両者が妥協できる「中間の解決策」は存在するんだろうか?
ハブズは株価が暴落してしまったり資産価値が減ってしまったり、あるいは為替の価値が暴落してしまうといった事態には、ある意味で非常に脆弱だ。
対してハブナッツ=無産階級は、日々の労働によってささやかながら価値を生み出し続けているので、そういったマクロな価値の変動に対しては、ある意味で非常に堅固な防衛力を持っているとも思えるな。

つまりは「持つ者(ハブズ)」は実体のない市場の変動に怯え、「持たざる者(ハブナッツ)」は自らの労働という実体で生きているからこそ、マクロの暴落に対してある程度は耐性があるっていう、いささか斜に構えた見方だ。

金融資産は、人々の「信用」や「期待」という不確実な土台の上に成り立っているため、パニックが起きれば一瞬で紙切れ同然になり得る可能性が否定できない。そう、暴落する前にうまく売り抜けることができるかどうかという、ババ抜きみたいなもんだ。
一方で、人間の「労働力」や「スキル」は、社会が存在する限り常に必要とされる「最後のリアルな価値」だろう。なぜって、そいつがなければ、実社会は回らないからだ。
マルクスが言ったみたいに、『労働者階級は、鎖のほかに失うものなど何もない』ってわけだ。

ハブズ(資産家)が抱える「虚構」の脆弱性

ハブズの富の多くは、冒頭の議論通り「換金して初めて価値が出るもの」だ。株券や国債をどれだけ持っていても、換金しない限りはただの紙切れ、いや今時電子データだな。

彼らは労働市場では、王のように君臨しているけれど、それは砂上の楼閣だともいえるだろう。しかし実のところは、彼ら自身が市場の奴隷なんだ。
どういうことかって?
株価や為替の暴落、あるいは急激なインフレ(通貨価値の暴落)が起きると、個人の努力とは関係のない「マクロの荒波」によって、彼らは一晩で資産の大部分を失うリスクと隣り合わせなんだ。
そして「持っている」という恐怖。持っているからこそ、失うものがある。失うものがあるから、社会が自らの意図しない方向に変わってしまう事に大きな恐怖を抱くのさ。
そう、失うものが大きいがゆえに、常に市場の動向を監視し、防衛し続けなければならないというナーバス・ブレイクダウンと背中合わせってわけだ。

 ハブナッツ(労働者)が持つ「実体」の強靭さ

ハブナッツは、金融システムという「虚構」ではなく、「自らの身体と時間」という絶対的な実体を原資にしている。なんせフロム・ハンド・トゥ・マウスだからな。

つまり、日々の過酷な労働によるささやかでも確かな価値の自家発電ってわけだ。
どれだけ株価が暴落しようが、円やドルの価値が半分になろうが、社会が必要とする「サービス」や「モノ」を労働によって生み出している限り、その時点での適正な対価(リターン)を即座に得ることができるだろう。

ささやかながらのインフレ耐性
通貨価値が落ちれば、基本的には名目賃金(給与の額面)も物価に合わせて上昇するため、労働市場における自分の価値はマクロの変動に対して自動的にアジャスト(調整)されるというのが経済学の定説だ。
しかし、あくまでそれは幻想だ。現実を知らないおめでたい理論としか俺には評価できないな。今回のようにあんまり円が暴落して、挙句その価値が目減りしたら、大衆は物価高に苦しむことになる。
労働単価って物価は、なぜかなかなか上がらない。これは資本主義最大の疑問だ。
要はお前の代わりはいくらでもいるってことなんだろうな。
しかし、これからの労働人口が減少の一途をたどる時代、そんなこといつまで行っていられるかな?こいつは壮大なチキンレースだな。それともAIやロボットに仕事をしてもらうってことかね。

結局のところ、どちらが「本当に強い」のさ?

資本主義の平時においては、資本効率の良いハブズが圧倒的に有利に見えるな。
しかし、歴史的な大恐慌やハイパーインフレ、あるいは社会の構造変化といった有事においては、自らの労働で価値を生み出し続けられるハブナッツの方が、生存能力(つまり防衛力)が圧倒的に高いと言うこともできるだろう。

金融資産という「他人が決めた価値」に依存するハブズと、労働という「自分が生み出す価値」に立脚するハブナッツ。どっちがいいか、よく考えてみよう。まぁ俺の実感では、いつだって金のない奴はひどい目にあうもんだ。
そこで俺の個人の処世訓を公開しよう。『金はないものだと思って、要らん見栄を張らずに暮らすべきだ』庶民としてはこれに尽きるぜ。
けれど、その欲しがりません勝つまでは!のような処世訓もそろそろ限界だ。
いい加減、資産課税を検討する時期に来てるんじゃないだろうか。
まぁ、お金持ちの皆さんには悪いけどね。

2026/09/04

POST#1959 労働者の皆さんに、新たな福音だ!

ハノイ、ベトナム
全国の労働者の皆さんに、新たな朗報だ!

最低賃金が56円引き上げられて、全国平均で1177円になったそうだ!よかったね!朝日新聞『最低賃金、56円上げ1177円 過去2番目の上昇幅 全国平均🔗』

俺が唱えてる時給3000円には遥かに遠いけどな。

ガンダーラ🔗かイスカンダル🔗のように遠い。

しかし、物価上昇が続いている。物価上昇に比べれば、賃金の上昇率は低い。お情け程度だ。こんなしょぼくれたお鳥目(おちょうもくというのだよ。昔のお金は真ん中に穴が開いていて鳥の目みたいだったからね)で庶民は我慢しとけって感じがサイコーに笑えるな。

しかし、心配ご無用!皆さんの大好きな政府の偉い人たちは、2029年度までに政府は、「物価上昇を年1%程度上回る賃金上昇」を社会通念(=ノルムっていうらしいぜ)として定着させる方針を掲げているんだろうだ。素晴らしい!素晴らしすぎて笑えてくる。むしろ笑いが止まらない。

だって、誰が金出すんだよ。政府が出してくれるわけじゃないだろう。それに政府が出したところで、そのおかげ様で、庶民の税金があげられたり、福祉が削られたりしたら、たまったもんじゃない。貨幣なんてのは、現代貨幣理論=MMTを考慮すれば、インフレにならない限りいくらでも発行することができるが、インフレ局面ではそうはいかない。つまり、今の状況では、あくまで庶民の税金が原資だということだ。だまされちゃいけない。

 この方針に関しては、すでに方々から「民間への負担押し付けやないけ!」「言うだけなら簡単、猿でもいえる!」という批判や冷ややかな視線が強く存在している。

もっとみんな騒ぐがいいさ!

この目標が「お題目」と揶揄される背景と、それに対する政府の建前(施策)には以下のようなギャップがある。

「お題目」と批判される主な理由はこんなところだ

中小企業の原資不足は深刻だ。そんな余裕があるわけないだろう!

 日本の雇用の約7割を占める中小企業・小規模事業者では、原材料費や光熱費の高騰分すら価格転嫁できていない企業がおおい。これから原材料コストの高騰が続けば、バッタバッタと潰れていく企業が増えるのは、あたかも燎原の火を見るよりも明らかだ。

そう、賃上げの原資そのものがないんだ。

しかも、労働者の皆さんの生産性向上の具体策だって底をついている。つまり、乾いたぞうきんを限界まで絞った状態にあるってわけだ。

自分は大して困らないエコノミストなどからは「実質賃金を上げるには労働生産性の伸びが不可欠だが、政府の方針にはそれを劇的に向上させる具体的な弾込め(つまり公金じゃぶじゃぶの成長戦略)が足りない」と指摘されているわけだ。批評家のセンセー方は、自分は金も出さなきゃ、対案も出さない。予想を言って外れても、しらばっくれているから平和なものだ。

しかし、庶民は、そうはいかない。生活が懸かっている。

おまけに言わせていただけば、この政府の方針は、一歩間違えれば、無理な賃上げによる企業の倒産や失業の増加を招くリスクもあるわな。

 それに対して政府側の「言い分」と環境整備の建前はこんなところだそうだぜ

政府も単に目標を叫ぶだけでなく、「企業が賃上げできる環境を作る」として以下のような施策の総動員を掲げているそうだ。庶民の皆さん、喜んでくれ!

まず価格転嫁の徹底だ。

下請け企業が労務費や物価高騰分を大企業(発注元)に適正に上乗せできるよう、公正取引委員会などを通じた監視や指針の周知を行っているんだそうだ。しかし、公正取引委員会に告発=チンコロしないと彼らは動いてくれない。俺は中小企業庁にチンコロしたことがあるが、普通はその後の取引の減少や報復措置を恐れてできないもんさ。残念だね。

でもって、もう一方の攻めの姿勢として生産性向上のための投資支援だそうだ。

 人手不足が深刻な宿泊・飲食などの業種へ省力化投資(IT化やロボット導入など)を促すため、官民で60兆円規模の投資計画を進めるとしているんだとさ。良かったな、どこに行ってもホテルがロボットだらけの変なホテル🔗みたいになるかもな。てか、それでどうにかなる問題か?ロボットが増えても、俺たちが豊かになることと何が関係あるんだ?労働者が首切られて困窮するだけじゃなかとですか!

で、政府の切り札が公定価格の引き上げなんだが、俺はこれにも疑問符が大陸横断ウルトラクイズ🔗の帽子のように、ピコンと?マークが飛び出すぜ!

つまりこの施策は、政府がコントロールできる医療・介護・保育などの分野(エッセンシャルワーカー)の処遇改善を進めるとしているんだそうだ。ただでさえ、この分野への財政負担が大きいから、当然、今の自民党や維新の施策の方向性からすれば、受益者負担の拡大、つまり庶民の負担を増やす方向に進む以外考えられないだろう!

まったく、何をかんがえているんだ?

2026/09/03

POST#1958 新しい本を買うと、新しい知見が広がる

那覇 分岐点
ここんとこ、金利3%の話をしていただろう。

大体、標準的な経済の成長の目安がこの数字、年率3%から5%だ。

しかし、年率3%で20年成長したり、20年お金を借りていると、資産はほぼ倍になり、負債はほぼ倍になる。これが富裕層が益々富み栄え、負債を抱えている庶民がいつまでたっても富裕になれないからくりの一つだ。

この基準ってのは、もともと地主が土地を貸していた時の年間所得をもとに標準とされているんだ。要は、一年間その土地を借りると、土地代金のおおよそ3%から5%を支払うことになるという慣行だ。

これが金融の仕組みにそのままビルトインされたってわけだ。

この辺りのことは、トマ・ピケティの『21世紀の資本』や『資本とイデオロギー』などを読むと詳しくわかる。まぁ、資本主義って大きなシステムは、資本家が富み栄え、庶民はいかさぬように殺さぬようにカツカツやっていくというように設計されているということだ。まるで徳川幕府のようだが、そんなのよりもさらに巧妙だ。

この世界に、ほかの道はないのか。俺は思案に暮れる。

さまざま思案した末に、イスラーム金融論に関する本を買って読んでみることにした。名古屋大学出版会刊行 長岡慎介京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科 教授の書いた『現代イスラーム金融論🔗』という硬派な本だ。ビックテック企業のAmazonではなくて、近所のくまざわ書店にe-hon🔗で注文して取り寄せたんだ。近所の本屋さんの利益になってほしいからね。近所の本屋さんがなくなると、その地域から知の前線基地が消える。知の前線基地が減ると、ますますみんな阿呆になっていく。だから地域の本屋さんを応援しないといけない。

イスラム金融は古くから、イスラム法にのっとって、利子を取ることを禁じていた。

これは、中沢新一が述べているように、一神教と深く結びついているという見方もある。キリスト教圏で発達した近代金融は、神と子=イエスキリストの間に増殖してゆく精霊とい存在を置いた。この精霊が増殖することが、資本の増殖へと援用されたという見方だ。

一方で、同じイスラム教では神と預言者ムハンマドの間に、精霊のような存在は考えられていない。融資は相互の信頼と一種の喜捨=イスラム教徒が行うべき善行の一つとしてとらえられている。

イスラム教というだけで、拒否感を示す人々は多い。しかし、それは人間を記号に還元する愚かな行為だ。その意図するところを現代的な意味を知りたいと思ったのさ。

見れば見るほど、知るだろう。

知れば知るほど、わからなくなる。

わからなくなるという、森の中を歩くような感覚を愉しみたいのさ。

2026/09/02

POST#1957 労働者の皆さんに、素敵なニュースだ!

愛知県一宮市
今朝の朝日新聞の経済面にちょいっと載った記事は、あっさり書かれていたが呆れるような内容だった。

悪いが引用させてもらおう。『利益最高でも働き手の分配率は五年連続で低下🔗』だ

『2025年度の法人企業統計調査で、金融保険業をのぞく全産業の経常利益が前年度より8.8%増え、過去最高を更新した。売上高(1.6%増)と設備投資額(4.3%増)も過去最高。人件費も2.6%伸びたが、企業が生んだ付加価値に占める割合(労働分配率)は5年続けて下がり、1973年度以来の低水準になっている。

 財務省が1日に発表した。金額では、売上高は1720兆2560億円。経常利益は124兆8313億円。いずれも比較可能な1960年度以降の最高値を5年続けて更新した。

 業種別では、情報通信機械や電気機械が大幅な増益だった。事業の効率化やAI(人工知能)、データセンター向けなどの需要が押し上げているという。飲食などのサービス業や建設業も利益を増やした。食料品は価格改定の効果などで売り上げを伸ばしている。

 設備投資は全体で57兆8999億円。化学や生産用機械で、半導体関連や医薬品の生産能力増強の投資が押し上げた。不動産業や電気業でも伸びが目立つ。

 一方、従業員や役員の給与・賞与に福利厚生費を加えた人件費の合計は235兆2869億円。営業利益ベースの付加価値に占める比率は63.0%で、前年度の64.2%を下回った。』

これだけ物価が爆上げしている以上、企業の利益が爆増するのは容易に推測できるだろう。

で、労働分配率は5年連続で低下?

まるでマルクスの19世紀だな。誰もこの理不尽に声を上げないのか?

資本に任せていても、資本は自己増殖を繰り返すだけだ。

政治が動くべき時だが・・・我が国の政権にその意思も力もないな。残念ながら。

彼らはいわゆる国論を二分するような課題にしか興味がないからね。 ふざけるな!

蛇足のようだが 最後に一言言わせていただこう。 人間のために資本があるのであって、資本のために人間があるのではないはずだ。

 

2026/09/01

POST#1956 日本国債の長期金利が値上がりした。

チェンマイ、タイ
国債の長期金利が3%に値上がりした。インフレの処方箋の定石としては、金利を引き上げて、市場の資金調達の意欲を押さえ、経営者のアニマルスピリットに水を差すことにある。

しかし、これは単に金利が上がったという見方は正解じゃないだろう。金利が上がると、国債の調達は楽になるが、利子率が割高のローンで、国は借金=国債を借り換えることになるだろう。

そうだとすれば、対ドルベースでの円安はますます続く可能性もあるな。なぜって、実質的な円の価値が安くなればなるほど、国債残高は圧縮されていくからだ。これは、太平洋戦争後に、国の経済基盤が崩壊しているところに悪夢のように積みあがっていた戦時国債を償還するために、円の価値を下げ、円を切り上げたことを思い出させるな。考えすぎだといいんだけれど。

3%の国際利率というのは、実に30年ぶりの水準だそうだ。この30年で、円の価値は対ドルベースで半分ほどに落ち込んだ。30年前の3%とは、意味合いが違うだろう。

日本国債への購入意欲をくすぐるために、金利国債金利が上昇すると、これに歩調を合わせるように、各種金利も上昇していくだろう。

しかし、イランとアメリカの軍事的な衝突やアメリカと中国の政治的緊張によるコストプッシュ型のインフレ局面に、この国債利率の上昇がどのようなブレーキをかけうるのか、未知数だ。

そして、長期金利は値上がりしても、食料品や原材料の値段が値上がりしても、給料は上がらない。上がるのは売り手市場の若者の初任給だけで、おっさんの給料は上がらない。だれしも将来性を削って、未来への可能性を日々擦り減らしながらおっさんになっていくのだ。これがこの世の中の無情さ。

俺たち庶民には、今日より明日がよりマシな一日になるかどうか祈ることしかできないのさ。

家のローンの金利が上がったら、ちょっと嫌だな。