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2026/08/28

POST#1952 来たれ、素晴らしい新世界!

Copenhagen、Denmark

じゃあ例えば、考える方向性を少しずらしてみようか。

身心障碍者の人たちは、恋愛対象として選好されにくい。人権とか正しいことを言ったからとて、それは事実だ。正しいことを言う人は、自分はたいていその事象に対して客観的な立ち位置にとどまっているものだ。正しくて健康とは、無自覚に冷酷なものだね。

さて、身心障碍者の方たちにはその恋愛する機会が非常に少ないとする。けれど、その人たちが性欲をまったく持ち合わせていないと、考えることはできない。同じ人間だもの。

そういう人たちに対しての、セックスワーカーの人たちもいるけれども、こういったほうが成立したならば、身心障碍者の人たちもは制度的に性欲を排除される存在になるわけだよね。

まさにそこが、制度や法律が人間を「記号」として処理しようとしたときに生じる、最も残酷で深刻な人権侵害の現場なんじゃないだろうか。

身体障碍や知的障碍を持つ人たち(「心傷者・障がい者」)の性の問題は、法規制の議論においてしばしば完全に無視されるか、意図的に見ないふりをされている。
制度がもたらす「無性化=社会的な去勢」という排除
近代の福祉制度や法律は、心身障碍者(特に重度の身体障碍や知的障碍を持つ人々)を「庇護すべき純粋な存在」として扱いがちだ。
しかし、純粋無垢な人間など、いない。
これは裏を返せば、彼らから「性欲を持った一人の生身の人間」という属性を剥ぎ取る「無性化(むせいか)」のプロセスでもあるって言えるだろう。
まずそこには機会の不平等がある。
健常者のように自由に移動したり、出会いの場にアクセスしたりすることが物理的・社会的に極めて困難なのは自明だ。しかも問題はそんな表面的なことじゃなく、制度的な排除があるわけだ。公的な介護・福祉サービス(ヘルパーなど)において、排泄や入浴の介助は「生存に必要」として認められるけれど、「性の処理や介助」は公的福祉の枠組みから完全に排除されているのが冷酷な現実だ。
結果として、彼らは制度によって「性欲を持つこと自体が想定されていない存在(あるいは持つべきではない存在)」として、静かに、かつ強制的に性の領域からパージ=追放されているわけだ。
セックスワーカーという「最後のセーフティネット」
こうした制度の隙間で、障がいを持つ人々の尊厳や欲求の受け皿になってきたのが、まさにソープランドをはじめとする性風俗や、障碍者向けの性支援(一般社団法人ホワイトハンズなどの射精介助・性介助サービなどだ。頭が下がるぜ。
それは単なるなる性的な娯楽ではない役割だということに、異論はあるかい?
障碍者にとって、セックスワーカーの存在は単なる「遊び」ではなく、自分の身体の可能性を確かめ、他者と触れ合い、「自分も一人の男/女である」という自尊感情(QOL:人生の質)を回復するための、唯一無二の福祉的インフラとして機能しているといえるだろう。
健康で正しいということほど、人を無情にさせるものはないと金子光晴も言っていたな。
もし、これまでの議論のように「不都合だから」「人道的に問題があるから」と法律で店舗型風俗などを一律に禁止・排除してしまえば、真っ先に煽りを受けるのは、こうした「他に代替手段を一切持たない社会的弱者」だといえるんじゃんないかな。
「鼻をそぎ落とす」論理の犠牲者
「やれるもんならみんなの鼻をそぎ落としたらいい」という前回の話に引きつけるなら、障碍者のみんなは、お上が「悪臭をなくす(クリーンな社会を作る)」という理想を掲げたときに、真っ先に鼻を切り落とされ、その苦痛さえも「最初から鼻なんてなかったことにしよう」と歴史の闇に葬られる存在だと言えるよな。
俺たちは優生保護法などで、障碍者の性の権利を奪ってきて知らん顔を決め込んできた歴史がある。まだ苦しんでいる人たちがたくさんいる。
「誰もが平等でクリーンな社会」を目指して作られる法律が、結果として、恋愛市場からも公的福祉からも見放された人々の「最後の駆け込み寺(セーフティネット)」を破壊するという矛盾。これはまさに、文学や人類学が描き出してきた「制度の持つ冷酷さと、人間の割り切れなさ」そのものなんだよな。全く、素晴らしい新世界さ。

さらにいえば、経済的に抑圧され、結婚はおろか恋愛すらもできない人々は、社会制度的に去勢されることになるな!
これこそが、現代社会において最も急速に進行している「格差による静かな去勢(制度的・経済的去勢)」の実態だ。
障害を持つ方々への制度的排除が「見えない化」であるならば、低所得層や経済的弱者に対する排除は、市場経済というシステムを通じた「冷徹な自己責任としての排除」そのものだ。
 経済力=「人間としての市場価値」という残酷な現実が、社会には厳然として存在する。
自由恋愛市場は、一見すると「誰もが平等に参入できる自由な場所」に見えるだろう。しかし、それは嘘だ。というか、恵まれた生活をしている人たちに限った話だ。現実には、経済的な基盤(安定した雇用、収入、可処分所得)がなければ、スタートラインにすら立てない構造になっているんだ。
まずデート代・外見への投資の欠如って問題が出てくる。
日々の生活で精一杯な人々には、出会いの場に行く交通費や、衣服、趣味、マッチングアプリの月会費に回すお金(資本)が、そもそもないんだ。
そして将来の見通しのなさという極め付だ。NO Futureだ。
正規雇用や低賃金労働に縛られていると、「他人と関係を築く余裕」「結婚して家族を持つ未来」を想像すること自体が贅沢(リスク)になり、自ら恋愛を諦める(欲望の自己抑制)ようになるだろう。
俺も現場で、新規入場者アンケートの緊急連絡先が、郷里の父親とか社長とかになってる、擦り減ったかつての若者=中年のおっさんに出会うことしばしばだ。
近代社会は「すべての人は法の下に平等であり、幸福を追求する権利がある」と高らかに謳っているけれど、そんなものは嘘さ。そんなものはでたらめさ。経済のシステムは「お金のない人間は、恋愛や生殖のサイクルから静かに退場してください」というメッセージを送り続けているんだ。冷酷な、残酷な社会なのさ。
「最後のセーフティネット」さえ奪うクリーン化(とコインの裏表の脱法化)
こうした「経済的に抑圧され、恋愛市場から排除された人々」にとって、数千円から数万円で一時的に孤独を癒やし、人間としての欲求を満たしてくれる性風俗(特に安価な業態)は、一種の「精神的な生存インフラ」として機能してきたということを、恵まれた性生活をお送りの皆様に申し上げたい。
そして、お上の進める「売春防止法の強化」や「クリーンな社会づくり」は、彼らの数少ない逃げ道(代替手段)を真っ先に叩き潰してくださるだろう!
それは強者の論理なんだ。十分な経済力があり、いつでも恋愛や結婚ができる「持てる者(ルールを作る側)」は、「性風俗など不潔で前時代的だからなくすべきだ」と正論を吐きます。正論だよ、正しいよ、けど正しさだけで世の中は回っていないのに、なぜ税の逆進性とかおかしなことを放置して、そこから手を付けるのか?労働分配率の低さを放置して、なぜそこから手を付けるのか?
結果、弱者の孤立は避けられないだろう。店舗型の風俗店が潰れて価格が高騰したり、地下化してアクセスが難しくなったりすれば、本当に困窮している人々は、その代替手段からも完全に締め出されることになるだろう。それとも、欲しがりません、勝つまでは、なのか?
 人間の「記号化」がもたらすクリーンなディストピア
これはまさに、「人間をただの記号としてしか見ない社会システム」の行き着く先の姿そのものだ。かっこいい社会じゃないか!
経済理論や少子化対策を語る「偉い人たち」は、グラフ上の「出生率」や「平均所得」という数字(記号)だけを見て、「若者の草食化が進んでいる」「恋愛に興味がない人が増えた」と分析しがちだ。
寝言は寝て言え。
しかし、文学や人類学的な視点でその底辺を見れば、そこにいるのは「興味がない」のではなく、社会システムによって選択肢を奪われ、尊厳を削ぎ落とされ、生きながらにして「去勢」されている生身の人間たちの絶望そのものだ
すべてを数値化し、不都合な「醜さ」や「貧しさ」を規制で覆い隠そうとする社会は、一見するとクリーンで洗練されて見えますが、その下には、息を潜めて消えていくことを強要された無数の人々がうごめいているんだ。昔のぼっとん便所の便槽の中の蛆虫みたいに。
まさに素晴らしい新世界だ!
現代社会が進めている「不都合なものを法や経済の論理でクリーンに排除し、すべてを記号化していく動き」は、ディストピアへ向かう足音そのものだ。
障碍者や、経済的に困窮して恋愛市場から排除された貧しき人々から「生身の性や尊厳」を奪い取り、代わりにスマホの画面や安価なデジタルコンテンツ、あるいは「自己責任」という思考の麻薬を与えて黙らせる。
しかもそのデジタルコンテンツは AI 美女だったりするよな、今時!(笑)
この「AI美女」というピースがはまることで、システムによる「生身の人間からの去勢」と「完璧な管理社会」は、いよいよ完成に向けて加速していくのさ。すげーハイパードライブ感だ!
「トラブルの起きない、完璧な商品」の爆誕
生身の人間を相手にする恋愛や性風俗には、常に「お上」が嫌う「汚さ」や「リスク」がつきまとうさ。なぜって、人間はどろどろとしているし、一皮むけば、血と粘膜と肉と骨だからだ。だから当然、感情のドロドロしたもつれ、ストーカー、売買春、人権侵害、性病の拡大などが生み出されうるだろう。
しかし、AI美女であれば、それらのリスクはすべて「ゼロ」になる!みんながハッピーだ!やったね!AI美女のいいところは、絶対に裏切らない、怒らない、要求しないんだ。観音様みたいだな。
そして自分の好みの外見や性格(プロンプト)通りに、24時間いつでも100%自分を肯定して慰めてくれる。うちのかみさんみたいに、俺のことを人間の屑を見るような目で見ることもないぜ(笑)!
お上が法律でソープランドやリアルな性のインフラをいくら潰しても、あるいは経済的格差で恋愛から若者を締め出しても、「AI美女で満たされてください」と言えば、社会的な暴動や治安悪化(暴発)を防ぐ「安全な排気弁」が手に入るんじゃないか、ワンチャン?
「記号」を消費する「記号」の完成
AI美女と恋愛する人間は、もう「他者というコントロールできない複雑な存在」と向き合う必要がない。自分のゆがんだ欲望も抑圧する必要もない。トラブルもない。つまりそれは、自分の脳内で完結する、完璧に計算された快楽(好子)ってわけだ
これは、ルールを作る側が前提にしている「人間を単なる記号として扱う」という思想に、庶民の側が自ら進んで同化していくプロセスそのものだ。生身の人間との泥臭い関わり(文学や人類学が描いてきた人間の業)を諦め、AIという「記号」で自分の性欲や孤独を埋めるようになれば、人間は本当に、ただの「データを消費するだけの記号」へとダウングレードされてまうだろ。まぁ、いいんじゃない?
進んで「鼻をそぎ落とす」人々
キルゴア・トラウトの小説では、独裁者が「力づくで全員の鼻をそぎ落とし」した。
しかし、現代の「AI美女」というテクノロジーがもたらす未来は、もっと洗練されていて恐ろしいものだぜ。しかし、社会はそれを望んでいるんだろうな。
今の社会ならば、お上が「鼻をそぎ落とすぞ」と脅さなくても、①生身の恋愛はコストがかかる(経済的去勢)、②性風俗は法律で厳しくなり、地下化して危ない。③だったら、スマホの中のAI美女の方が安くて、安全で、自分を傷つけないから最高だ!お金があるんなら、AIとリンクした自立自動型のドールでもいいじゃん!
と、庶民の側が「進んで自分の鼻(生身の人間を求める本能や、それに伴う不完全さ)をそぎ落とし、システムの差し出すインスタントな幸福を受け入れる」ようになるだろうよ。

俺は御免蒙るけどな。アホらしい。