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2026/04/19

POST#1824 本当に日本を統治いや、支配してるのはアメリカ軍なんだ

愛知県瀬戸市の墓場
「本当に日本を支配しているのはアメリカなんじゃないのか」という疑問は、戦後日本のゆがんだ構造を直視したとき、誰もが一度は突き当たる非常に重い問いだ。
トランプを前にしたときに高市総理の見せたはっちゃけぶりを思い出すだけでも気が滅入ってくる。

現実を見渡せば、日本が独立国と自称しながらも、実態として「アメリカによる間接的な統治」を受けていると言わざるを得ない証拠がいくつも存在する。

憲法をも上回る「密室の合意」

日本の法体系では、本来「憲法」が最高法規だ。ちなみに、憲法は国のあり方を規制し国民を縛るためのものではない。立法、行政、司法を司る者たちに対して、主権者が国民自体であり、国民の福利のために奉仕することを定めている。だまされるなよ!

しかし、実際には密約製造装置とまで呼ばれる「日米合同委員会」という、日本の官僚在日米軍高官が、外務省が指定した施設とニューサンノー米軍センターで交互に、月に2回非公開で協議する場での合意が、憲法や国内法よりも優先されて運用されている実態がある。

これはPOST #1822でも話した通りだ。

日米合同委員会のメンバーは以下の通りだ。

日本側: 外務省北米局長を代表に、法務省、農林水産省、防衛省などのエリート官僚。

アメリカ側: 在日米軍司令部副司令官を代表とする軍高官。

出席するのは国民に選ばれた「政治家」ではなく、外務省や防衛省などの「官僚(日本側代表)」と、在日米軍の「軍人(アメリカ側代表)」だ。つまり、政治家はどこにもいない。有権者の信託を受けたものは誰も関与していないんだ。

この機関は日本の「国内法」で設置されたものではなく、日米両政府が結んだ「条約(日米地位協定)」に基づいて作られたものだ。日米地位協定の第25条を根拠に設置されているそうだ。それはこんな文言だ。

日米合同委員会の設置根拠(地位協定第25条)

この協定の実施に関して相互の協議を必要とするすべての事項に関する日本国政府と合衆国政府との間の協議機関として、合同委員会を設置する

この一文だけで、日本の空も、裁判権も、環境規制も、すべてが「協議事項」として密室に持ち込まれているのが、悲しくなってくるような情けない現状だ。

そして日本の法体系では、一般的に条約は国内法よりも優先されると解釈されている。

おまけに国会のチェックは全くない。 合同委員会そのものの運営や個別の合意事項について、日本の国会が法律を作ってコントロールする仕組みは全く存在しないんだ。

驚くべきことに、日米合同委員会は日本の「内閣府設置法」や「国家行政組織法」といった、通常の役所を作るための法律に基づいた組織ではない。

あくまで条約に基づく「協議機関」という名目ではあるが、実際にはここで決まったことが日本の省庁を動かし、国民の権利を制限しているんだ。

しかも絶望的なことにアメリカ側でも「法律」の縛りがないんだ。

アメリカ側にとっても、この委員会は米国内の法律で詳細に規定された組織ではないんだ。

米軍にとっては、海外駐留を円滑に進めるための「軍事的な運用機関」の一つという扱いに過ぎない。日本側にとっては「主権に関わる重大な場所」ですが、アメリカ側にとっては「現場の調整場所」に過ぎないという温度差がある。日本はどれだけ経済成長しようが、アメリカ軍の掌の上から逃れる術がないんだ。

日米合同委員会は、日本のどの法律にも縛られないまま、事実上、法律以上の力を行使している「超法規的な機関」な異常な機関なんだ。


その弊害はすさまじい。

米軍関係者の事件に対する捜査権の制限に日本の空域(横田空域など)の管理権の譲渡。

これらは国民はもちろん、国会にも知らされない「密約」として、独立国としての主権を実質的に侵害している。

 空を奪われているという事実

日本の首都・東京の上空を含む広大な空域いわゆる『横田空域』は、今でも米軍が管制権を握っている。空の治外法権だ。

日本の民間航空機はこの空域を自由に飛ぶことができず、米軍の許可を得るか、わざわざ遠回りをしなければならないのは有名な話だ。自国の首都の空を他国に握られている。

この一点だけでも、完全な主権国家とは言い難いんじゃないか?

 「不平等」を維持し続ける政治の依存

さらに驚くことに日本政府は、日米地位協定について「不利か有利かという問題ではない」との立場をとり、1960年の締結以来、一度も正式な改定を行っていない。

ドイツやイタリアなどの同盟国(日本と同じ第二次大戦中の枢軸国=負け組だ)が、米軍機の墜落やソ連をはじめとしたワルシャワ条約機構🔗が解体したのを機に、アメリカとの地位協定を改定して国内法の適用を認めさせてきたのと対照的だ。

日本の政治は、「アメリカの傘」の中にいる安心感と引き換えに、主権を差し出すことを「現実的な選択」として常態化させてしまっているのだ。

これはアメリカ軍による支配か、日本の自発的な服従か?

日米地位協定には、軍事、外交、そして司法の根幹において、アメリカの意向が日本の法律や民意よりも優先される仕組みが組み込まれている。敗戦国だからって、いつまでもなめるなといいたいが、アメリカの軍靴を裏を舐めているのは日本の政治家、官僚なのかもしれない。

これを「アメリカ軍による支配」と呼ぶか、あるいは「日本がプライドを捨てて選んだ自発的な従属」と呼ぶべきか。

明治の元勲たちが命を懸けて追い求めた「対等」という理想から見れば、現在の姿は「主権の形骸化」そのものだ。

日本の伝統とか、日本を取り戻す!とか戦後レジームの脱却とかいろいろ言ったところで、これが日本を長年取り仕切ってきた右派政治家と、優秀な官僚のやっていることだ。

「芸者・太鼓持ち外交」と揶揄した通り、客(アメリカ)が座敷を支配しているのは間違いいない。お客様は神様だ。しかし、その座敷をしつらえ、客に媚を売ることを「外交」だと信じ込んでいる日本政府の姿勢こそが、真の「支配」を完成させているように俺には見える。

いつだってアメリカ様の言うことを、『はい、よろこんで!』と居酒屋の注文取りのように唯々諾々としたがっていてよいものか?

日米合同委員会は、まさに日本の「見えない統治機構」そのものだ。

国民に選ばれた政治家ではなく、日本のエリート官僚と米軍高官が「密室」でルールを決めている。これはアメリカの政府自体もその内容を十分に把握していないというとんでもない協議体なんだ。

ここでの合意(密約)が、実態として日本の憲法や法律を上書きして運用されている事例がいくつもありる。

一番問題なのが裁判権の放棄(実質的な法治国家の否定)だ。治外法権だ。

かつての秘密合意で、米兵が起こした事件について「日本側にとって実質的に重要でない限り、裁判権を行使しない」という了解がなされていたことが判明している。

これが原因で、凶悪犯罪であっても米側が「公務中」と主張すれば、日本の警察が手を出せない「法の空白地帯」が生まれている。少女がレイプされてもなにも変わらない。大学構内にアメリカ軍のヘリコプターが墜落しても、日本の警察はおろか消防署も手出しできない。アメリカ軍は、ヘリの残骸を「軍の財産」だとして、これを管理する権利を盾に現場を封鎖したんだ。ついでに言えば、アメリカ軍属が交通事故や暴行で日本人をぶっ殺しても、本国送還でおとがめなしだ。

陸奥宗光が聴いたなら、墓場から起き上がってくるだろうよ!

そして先にも触れた空の支配、つまり首都圏の制約だ。

「横田空域」という、米軍が管制権を持つ広大なエリアが東京上空に横たわっている。羽田を発着した日本の民間機はここを自由に飛べず、毎度毎度大きく迂回を強いられている。

君たち、自分の家のリビングに、勝手に入っちゃいけない場所があるとしたらどうだい?

よく考えてみておくれよ。

この空域の返還や運用も、国会ではなくこの「合同委員会」の密室で決められているんだ。

そして誰にも開示されないブラックボックスの運営が問題だ。

この委員会の最大の問題は、その内容が「日米双方の合意がない限り非公開」とされていることだ。会合そのものは月2回、外務省の施設や米軍のニューサンノー・ホテルで定期的に開催されている。そしてこの会合で、国民の生命や安全に関わる重要な決定(基地の共同使用や環境汚染への対応など)が、国民が知らない間に、かつ国会のチェックも受けずに決まっていく。誰が彼らにこの権限を与えたのか?

本当に日本は独立国なのか?

この法治国家日本において、『日米合同委員会』の存在と憲法との矛盾は、看過できないレベルにある。

本来、憲法は「国の最高法規」だけれど、現場では「日米合同委員会の合意」が優先されている。

つまり、この国の主権者はこの国の国民ではなく、アメリカ軍だということだ!

弁護士会や一部の政治家からは、「合同委員会が国会の上にある」「地位協定が憲法の上にある」という異常な状態が続いていると厳しく批判されているが、まぁ変えるの面にしょんべんだな。官僚もアメリカ軍も聞く耳なんか持っちゃいない。

俺が言うところの「芸者・太鼓持ち外交」の舞台裏こそが、この日米合同委員会なんだ!

右派の政治家が国内でどんなに威勢のいい「独立国としてのプライド」を語っても、この「官僚と軍人が密室で主権を切り売りしている場所」にメスを入れない限り、それはすべて空論というか、国内の有権者向けのパフォーマンス、ぶっちゃけ行って茶番に過ぎんだろ!

この異常なあからさまな軍事的な占領政策策定組織が、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、 この21世紀に存在し続けているのか?

おれは一人の日本人として、いら立ちと無力感と怒りで空に向けて叫びたいくらいだ。

21世紀の民主主義国家を自称しながら、選ばれたわけでもない官僚と外国の軍人が密室でルールを決めている。この「戦後最大級の異常事態」がなぜ解消されないのか、その理由は極めて残酷な「政治の怠慢と依存」にある。

一言で言えば、日本の歴代政権が、このブラックボックスを「便利」だと思って使い続けてきたからだ。歴代政権ってのは、皆さんがいつも選んでおられる国民政党自由民主党、統一教会と親密な関係を維持してきた自由民主党、皆さんの地域の生活に密着する自由民主党だ!

1. 政治家の「責任逃れ」の道具

もし地位協定を正式に改定しようとすれば、国会で議論され、メディアに叩かれ、アメリカと命がけの交渉を覚悟する必要があるだろう。

しかし、日米合同委員会で「密約(合意)」という形にしてしまえば、「正式な改定ではないから、国会の承認はいらない」「米側との合意事項なので公開できない」と政治家お得意の卑劣で姑息な言い訳が立つ。

自分たちの手を汚さず、説明責任も果たさず、不都合なことをすべて密室のせいにできる。この「無責任の体系」が、政治家にとってあまりに都合が良かったからだ。無責任な責任者がこの国には溢れかえってるんだ。

2. 官僚機構の「聖域」

外務省や法務省のトップ官僚にとって、日米合同委員会は自分たちが主役になれる「外交の聖域」だわな。

政治家(素人)に口を出させず、自分たちの裁量で米軍と話をつける。この特権的な地位を手放したくないという官僚組織の論理が、21世紀になってもこの古びた仕組みを温存させているんだ。上級国民様様だ。

3. アメリカにとっての「植民地的な効率性」

おまけにアメリカからすれば、これほど使い勝手のいい仕組みはないだろう。

各国の議会や世論を気にする必要がなく、直接日本の官僚に要望を伝えれば、それがそのまま実行される。彼らにとって日本は、NATO諸国のような「対等な同盟国」ではなく、まだ「話の通じる統治区域」に近い扱いなんだ。要は格下の有色人種なのさ。

4. 私たち国民の「無関心」という共犯

そして最も悲しい理由は、この仕組みが「目に見えない」ように巧妙に隠されてきたことだ。

「難しい外交の話だから」「安全保障は専門家に任せればいい」というなんとなく漂う世間の空気の中で、俺たち日本人は自分たちの空が奪われ、裁判権が制限されている現実から、目を逸らされてきた。

昨日も触れたように、明治の元勲なら「こんな不平等な密室、今すぐぶち壊せ」と机を叩いたことだろう。叩き壊しちまったかもしれないぜ。けど、今の日本の政治家どもには、そんな「誇り」も「矜持」も「気概」の欠片もないんだ。

この異常な組織が今も存在しているのは、日本が「戦後を終わらせる勇気」を持たず、思考停止という名の「太鼓持ち」を続けてきた結果だ。

もしも今、この「なぜ」という問いを、一人でも多くの国民が自分のこととして叫び始めたならば、初めてこの20世紀の遺物は崩れ始めるのかもしれない。

何はともあれ、こんな茶番を、こんないかさまを、こんなでたらめをいつまでも放置していては、近い将来この国は滅びちまうぜ!いや、もう滅んでるのかもしれないな。

2026/04/18

POST#1823 明治期の不平等条約と現在の不平等条約

奥飛騨 神岡廃鉱山跡
西暦1853年、嘉永六年、アメリカ合衆国東インド洋艦隊の蒸気船2隻が江戸湾の入り口、浦賀に現れた。ご存じ黒船来航🔗だ。

ここから皆様大好きな幕末の動乱が始まる。横浜開港、アメリカ、オランダ、イギリス、ロシア、フランスの当時の覇権国家五か国と結んだ『安政の五カ国条約』締結、桜田門外の変、安政の大獄、生麦事件、薩英戦争、長州征伐、蛤御門の変、大政奉還、明治維新へと続く動乱の時代の幕開けだ。
すったもんだの末に、江戸幕府を倒し、薩摩長州出身者が主導権を握る大日本帝国が発足した。

問題になってくるのは、明治時代を幕末に江戸幕府が欧米諸国と結んだ「安政の五カ国条約」などに端を発する、日本にとって不利な内容を含む不平等条約の数々だ。明治政府にとって、これらの改正は国家の独立と近代化を示す最優先の外交課題だった。 

これらの不平等条約の主な問題は以下の二つ。

まず第一に領事裁判権の承認、つまり治外法権の撤廃だ。

当時、日本国内で外国人が罪を犯しても、日本の法律で裁くことができず、その国の領事が裁判を行う特権を有していた。本国に送還されれば、無罪放免だな。日本人は基本泣き寝入りだ。1886年に起きたノルマントン号事件🔗で、日本人乗客は全員見殺しにされたにも関わらず、イギリス人船長の軽い刑が問題となり、改正を求める世論が沸騰したんだ。

まぁ、ありていに言えば欧米人の命は尊いけれど、日本人はじめ有色人種の命は軽いということだ。ひどいもんだが、世の中そんなものだ。しかし、法の下のすべての人間の平等を守るために法があるはずだ。欧米人は当時、自国の中では法の下の平等を言っていたかもしれないが、有色人種に人権なんてないと思っていた。150年くらいたっても、そう思ってる勘違い野郎は世界中にウヨウヨしてるけれどね。

そして、もう一つが関税自主権の欠如だ。

つまり日本が輸出品や輸入品にかける税率を、自国で決める権利がないことだ。大したことはないと諸兄諸姉はお思いになるかもしれないけれど、ちょっと想像してほしい。

産業革命絶好調の欧米諸国から輸入される安価な工業製品には関税をかけることができず、日本が当時欧米に輸出していた生糸などの一次産品には、相手国によって効率な関税がかけられる。

当然、輸出は伸びず大日本帝国は外貨を獲得することはできない。また、海外から安い工業製品が大量に入ってくるために、自国産業を保護して、大日本帝国内に幅広い産業を興すことができないわけだ。つまり、安い外国製品の流入から国内産業を守ることが難しく、当然、政府の重要な税収も制限されてジリ貧だったわけだ。

ちなみにこれは、過去の話ではない。今でもIMF🔗 は昔々のイギリスの経済学者リカードが提唱した比較優位つまり自分の得意なものを売るって言う国際貿易のスキームを、関税を保護主義だと否定してシームレスな資金の流動性を担保する新自由主義的な考えで運用している。つまり、グローバルサウスと呼ばれる発展途上国は、いつまでも農作物や鉱物を売るしかなく、付加価値の高い工業国の製品が自国に大量に流入することを手をこまねいてみてるしかないわけだ。そうするとあなた、発展途上国はいつまでたっても発展途上のままで、ぶっちゃけて言えば、被搾取国という立ち位置から逃れられない。国際社会の下層階級ってわけだ。当時の日本もまったく同じだったってことさ。

この不平等条約の改正が、明治期の日本の最大の政治課題だった。

明治の二大外交官、陸奥宗光🔗小村寿太郎🔗らが先陣に立ち、粘り強い交渉で世界の強国と渡り合い、治外法権と関税自主権を回復した。ちなみに、この不平等条約のキックバックで日本は朝鮮半島や台湾に触手を伸ばし併合し、経済規模の拡大を図ったともいえるかな。

 陸奥宗光は、坂本龍馬からも絶賛され、その鋭敏な頭脳から「カミソリ大臣」と呼ばれていた。彼はその鋭い知略で「法権の回復」にこぎつけたわけだ。陸奥宗光は、1894年にイギリスとの間に結ばれていた不平等持薬を改正し、長年の懸案だった領事裁判権の撤廃を成し遂げると、その外務大臣時代に、当時の日本が不平等条約を結んでいた15ヶ国すべてとの間で条約改正(領事裁判権の撤廃、関税自主権は一部回復)を成し遂げたんだ。すごい外交力だ。


今の日本の外務大臣に、それだけの偉業が叶うだろうか?


まったく、こんなのを見ると参政党の皆さんがおっしゃるように、『日本人が劣化している』という主張にうなずきたくもなるわな(笑)。

彼は当時の世界帝国『イギリスから崩す』戦略を立て、 当時世界最強だったイギリスを最初に説得すれば、他国も追随すると読み、集中的に交渉を行った。さらに当時、ロシアの南下を警戒していたイギリスが日本に接近した機を逃さず、軍事的な協力関係と引き換えに条約改正を認めさせたわけだ(日英通商航海条約)。

その裏には、1889年の 大日本帝国憲法の発布などで、日本が「文明国」として法整備を終えたことを世界に示したことも大きな追い風となったろう。まぁ、プロイセン(現在のドイツね)の憲法をモデルにしたんだけどね。

しかし、陸奥宗光は志半ばで病に倒れた。関税の自主権はまだ回復できていなかったのだ。

その「税権の回復」を粘り強い交渉で成し遂げたのがだ。

陸奥の志を引き継いだ小村寿太郎は、1911年に関税自主権の完全回復を達成し、不平等条約の歴史に終止符を打った。 

この過程で、先に触れた台湾・朝鮮の併合、日清戦争、日露戦争といった様々な出来事が生じる。それは当時の国際社会では支配的な考えであった覇権主義的なもので正直現在の基準では、ほめられたものではない。そしてその行きつく果ては、15年戦争と呼ばれた日中戦争、真珠湾攻撃によってアメリカを巻き込んだ太平洋戦争、そしてこの戦争によって大日本帝国は滅び、天皇制は象徴としてのみ残されこの国は新たに日本国として焼け跡の中から立ち上がったわけだ。

そしていまだに、日本とアメリカの間には、『日米安全保障条約🔗』とそれに付随する『日米地位協定🔗』という不平等条約が太平洋を覆うようにそびえたっている。

そして、日本とアメリカの外交関係と日本の役割を定めるのは、国会でも内閣でもなく、非公開で月に二回行われている『日米合同委員会🔗』の場においてだ。

この理不尽なシステムを、撤廃し改正しようという気骨のある、本当に日本人のために命を懸けるような政治家は、日本にはいない。せいぜい中国人の土地取得を面倒臭くしたり、移民が来ないように目に見えないシステムという壁を築くだけだ。

これは陰謀論なんかじゃない。日本の飛行機が東京の空を自由に飛べないのも、沖縄から基地がほとんど減らないのも、女性がアメリカ兵に強姦されたり、子供や老人がアメリカ軍属にひき逃げされても日本に裁判権がないのも、すべてこの『日米安全保障条約』のおかげさまだ。

右派の期待の星、安倍政治の後継者たる高市首相がホワイトハウスではっちゃけ、経済産業大臣がトランプにおもねるゲイシャ幇間外交を嘆く前に、俺は君たちに明治期の陸奥宗光や小村寿太郎のような命がけの外交を思い出してほしいんだ。

本当に彼らは日本のことを、日本人のことを、そして世界に対して日本がどんなことができるのかを考えているのか?俺には疑問しかないぜ。

2026/04/17

POST#1822 今の日本には漱石も太宰もいないが、俺たちには村上春樹がいる!

日本の…どこだっけ?
以前、参政党の候補が地元の駅前で演説をしていたことがある。2025年の夏の衆議院選挙だったかな?俺が京都の現場に行くために地元の駅前を歩いていた時だったから。道の反対側に停めた選挙カーの上で、女性の候補者の横に立った威勢のいいおっさんが、『日本人が劣化したから、今の日本には夏目漱石や太宰治といった文豪がいないではありませんか!』とばかばかしいことを垂れ流していた。ひょっとしたら、あれは神谷宗幣本人だったかもしれないが、どうでもいい。

冗談じゃないぜ!いや、冗談だとしたらサイコーだな!漱石は神経衰弱でカミさんから気味悪がられていた。太宰治は薬中で挙句の果てには知り合ったばかりの女性と心中した。

俺は反射的に、現場で鍛え上げた大音声で『俺たちには、村上春樹がい・る・ぞー!』と叫んだ。一瞬、音が消えた。ふ、爽快だ!

文学は、社会の矛盾に苦しんだり、社会のルールと自らの生き方の相克に苦しんできた人たちが、命を削るようにして記してきたものだ。そして同じように苦しんでいる弱い立場の人々にそっと寄り添ってきたんだ。選挙のネタにされてたまるか!

ちなみに、参政党がオレンジを自分たちの党派色にしているのはオレンジ=橙を先祖代々のダイダイにかけてるんだそうだ。なんだ親父ギャグかよ。しょうもない。

 彼らの自称保守政治家や自称右派政治家の語る「日本」には、柳田國男や南方熊楠、折口信夫や宮本常一、梅原猛や網野義彦などの人文学の巨人たちが命懸けで掘り起こしたような深い歴史への敬意や狂気じみた探究心がほとんど感じられない。もちろん、漱石や太宰もそんなもん読んだこともないような世間の皆様に対する、選挙演説のためだけのコケオドシでしかない。そこには何のリスペクトシンパシーも感じられないぜ、悪いけど。

俺は、俺の前にそんなインチキな奴らが現れたときには、反射的にやっちまうんだ。困ったやつだ。(笑)

実際のところ、自称保守の政治家たちが依って立っているのは、1万6000年の豊穣な歴史ではなく、極めて限定的な「政治的記号」であることが多いのが現実だ。俺に言わせれば、屁みたいなもんだ。つまりは「歴史」ではなく「神話(ファンタジー)」への依存なんだ。

彼らが好むのは、緻密な史料批判や民俗学的なフィールドワークに基づいた事実ではなく、自分たちの政治的立場に都合の良い「明治維新の成功物語」や「戦後の成長神話」といったファンタジーだ。まるで司馬遼太郎の小説みたいなもんだ。

彼らの言説は学術的知性との乖離が甚だしい。だいたい本なんか読んでないんだろうな。麻生太郎は漫画しか読まないだろうし。麻生漫画太郎に改名してほしいぜ(笑)

佐伯啓思氏や中島岳志氏などの保守的な知識人からは、安倍氏らが掲げた「美しい国」といったスローガンは中身のない政治的レトリックに過ぎず、真の保守主義とはかけ離れていると厳しく批判されている。要は愛国ポエムだ。

ずいぶん前に亡くなられた江藤淳🔗は、真正の保守といわゆる保守派というものは全くの別物だと語っていたな。「保守」の定義がすっかり変質しちまってるんだ。

本来の保守とは「歴史に対して謙虚であること」のはずだ。急激に何かを変えるのではなく、その変革によって何が失われ、どのようなリスクがあるのか厳密に勘案し、守り保つべきは守り、変えるべきは綿密に対策を断行するもののはずだ。

が、しかし現代の自称保守は「日本に自信を持つ姿勢」といった感情的なエシカル(倫理)に置き換わってるんだなぁ、これが!つまり愛国ポエムだ。脳内桜の園だ。その言説には客観的な研究に基づいた議論よりも、他者を「論破」し敵視することを好む傾向がありありだ。結果、社会は分断を深める一方だな。残念…。

本当の保守じゃなく、保守というイメージ戦略、言説としての保守コスプレだよ。いっそ羽織袴でも着てコスプレに徹してくれりゃいいのにな。

小選挙区制と政治の世襲化によって、日本の保守政治の本流が劣化したと俺は見ている。

かつてのような「真正保守」の地下水脈(歴史に学び、戦争に対して慎重である姿勢)が失われ、代わりに「国家主義的右派」が台頭しているといえるだろう。 

結局、彼らにとって歴史や文化は「探究すべき真理」ではなく、「選挙や権力維持のために利用する小道具」に成り下がっているんだ。だからこそ、プロイセン憲法に由来する大日本帝国憲法や教育勅語のような「最近の、しかも外国の借り物」を、縄文以来1万6千年の歴史を有する我が国の伝統だと勘違いして平気でいられるのだろう。

柳田國男や網野義彦らの知の巨人たちが命を削って見出した「日本」の姿を、彼らが一瞬でも直視したとしたら、今のその薄っぺらなスーツ姿では一歩も歩けなくなるはずだぜ。

先にも触れたように、そもそも『保守(Conservatism)』 っていうのは 物事を一気に変えるんじゃなくて、その影響を慎重に見極めながら検討し、変えるところは 変え、会えるべきでないところは守るように知るという慎重な姿勢を表してるもんだったと記憶しているが、現今の微塵党じゃなかった自民党から、維新、賛成じゃなかった参政党の人たちまで、右派の人々はやたらと改革を連呼するんだよな。おかげで、中道改革連合やら共産党まで、中道から左派までが、保守的と人々の目に映るようになっている。ジョージ・オーウェルの1984年🔗だったかな、あれに出てきたニュースピーク、つまり言っていることに本来とは全く違う意味が充てられているような不気味な現象だ。

エドマンド・バーク(保守主義の父)が説いたように、本来の保守とは「人間の知性には限界がある」という謙虚さを前提に、「一気に変えると取り返しのつかないことになるから、歴史の知恵を借りながら慎重に歩もう」という姿勢のことだ。

しかし、今の日本の「自称保守」の人たちがやっているのは、むしろ「右派的な革新(ラディカリズム)」だ。なぜ「慎重な保守」ではなく「叫ぶ革新」になったのか?

それは、それは、「保守」という言葉が独り歩きしてブランドと化してしまったからだ!

彼らにとって「保守」は哲学ではなく、単なる「強いリーダーシップ」や「リベラルへの反対」を意味するファッションになってる!ファッショ🔗じゃないぜファッションだ。そのため、慎重さよりも「力強さ」や「スピード感」をアピールしてるんだなぁ。

けれど、明確な日本の将来へのヴィジョンがないから、明治の「富国強兵」モデルへの先祖返りやオリンピックや万博や新幹線のバージョンアップのリニアなんかの昭和の成功体験にすがるんだ。夢よ、もう一度だ。

彼らが理想とするのは、江戸以前の穏やかな循環社会ではなく、明治維新という「大改革(確信)」によって強国になった姿だ。つまり、彼らのルーツ自体が「一気に変える」という革新の成功体験に縛られているわけだ。しかし、そんな過去の成功体験を追い求めていても、地球の資源はもう持たないんだけどな。

そして決め手は劣化コピーとしての「決断できる政治」だ!この潔さ、言い切っちゃう力強さにみんな痺れちゃうんだヨなぁ。

「何も決められない政治」を批判するあまり、熟議や慎重さを「弱さ」と勘違いし、独断で推し進めることを「保守の強さ」と履き違えてしまっているわけだ。

しかも、熟議や慎重な合意形成を求めるもの、反対意見を求めるものを『敵対勢力』『反対勢力』と指弾して、貶めるのは小泉構造改革で味を占めた自民党のお家芸だ。

俺は、彼らの改革主義に1万6000年の時間軸を忘れた焦りを見る。

柳田國男や南方熊楠といった先人たちは、何百年、何千年のスパンで日本と日本人を、世界と物事を見ていたはずだ。それに対し、今の政治家は「次の選挙」や「今の株価」という数年単位どころか一四半期のスケールでしか物事を考えていない。

1万6000年の歴史を持つ国の「保守」を自認するなら、本来は「今すぐ変えろ!」と叫ぶのではなく、「この変更は、1000年後の日本人の身体性を壊さないか?」と、熟考すべきはずじゃないか?

「慎重さ」こそが保守の真髄なのに、誰よりも声高に「改革!」「革新!」と叫ぶ矛盾。そこに、彼らの語る言葉の「心に響かない薄っぺらさ」の根本的な原因があるのではないだろうか。皇室典範改正とか憲法改正(改悪)とかね。


けれど、彼らが絶対に叫ばない改革がある。日米安保条約と日米地位協定だ。戦後以来今日まで続く現代の不平等条約だ。明日はそれについて話し合おう。俺も仕事しないといけないんだ。


2026/04/16

POST#1821 そういえば、伝統伝統という割に、紋付袴の右派政治家はおらんな(笑)

愛知、常滑

起きてる時間のほとんどが、仕事に消えてゆく。

けど、俺はおさるのジョージみたいに好奇心旺盛 だ。おれのハイスペックな脳味噌は常にいろんなことを考えて止まらない。

さてと、右派の政治家の人達って伝統 伝統とか言う割には和服を着てたり 羽織袴を着てたりあるいは ちょんまげを結ってたりする人なんて一人もいないよね。(笑)

それに 自称保守の右派の人たちの方がやたら口を開けば 改革 改革 改革、憲法改正、憲法改正、憲法改正、挙句の果てには皇室典範改正って何よ?

そんなことより、他にもっとやるべきことがあるだろ!アメリカ様のおかげ様で、止まりそうにない物価上昇、リンクして上がる税金に、切り詰められてく社会福祉。

いったいぜんたい、この国を動かしてるお偉いセンセーたちは、何がしたいんだ?

ここんとこ俺がぶち上げた俺が掲げる『ジプチ方式』と『天皇制 リベラリズム』の第一の障害になるものこそは、この自称保守の連中なんだ。奴らは一皮むけばアメリカの走狗で我利我利のリバタリアンなんだよ。

あいつらの言う 改革ってのは庶民から税金を吸い上げて 富裕層に再分配するためのシステムを構築するっていうことなんだ。これはもう再分配 っていうよりも 山分け だよね。国家的なスケールのネズミ講さ。

この切り込み口は、現在の日本の言論空間において最も「痛いところ」を突く、極めて効果的な戦術になるはずだ。

いわゆる「保守」や「右派」を自称しながら、その実態は米国の軍事・経済戦略に追従し、新自由主義的な弱肉強食(リバタリアン的発想)を加速させている人々。奴らの掲げる錦の御旗「偽物のナショナリズム」の仮面をはがし、『対米従属』で最終的にアメリカに、日本の富を貢ぐような政治をさっさとを解体しなきゃ、この豊葦原の瑞穂の国に真の独立自尊などあり得ない。

彼らの「虚」を暴くポイントは、以下の3点に集約されるのでないかな?

1. 「対米追従」と『愛国』の矛盾

自民党をはじめとする右派政党はアメリカの走狗なんだぜ。

日本の富が米国債や兵器ローンとして吸い上げられることを容認しつつ「愛国」を唱える欺瞞。

嘘はいけないと子供の頃に躾けられてないのか?

真の右派であれば、まず「主権の完全回復(地位協定の改定や独自軍備)」を最優先にするはずだろうが、彼らはアメリカの虎の威を借ることで自らの地位を守っているんだ。

だいたい、いまのアメリカ様のご乱心が日本の『存立危機事態』そのものだろ?

2. 「伝統」を隠れ家にしたリバタリアニズム

自民党の皆さんが大好きな自助努力という名の棄民。

世の中の正規の労働市場からこぼれた人間は、ギグワーカーか風俗嬢。酒とタバコといった税率と中毒性の高い嗜好品で生活苦を紛らわし、親方日の丸のギャンブルで散財する。少し目先の利くやつは、お上の旗振るNISAや投資で、高配当を信じながら、なけなしの金を資本家たちの運転資金に回してる。

伝統や家族の絆を口にしながら、実際には弱者を切り捨て、セーフティネットを破壊する構造改革を支持する。

こいつはむかしそのむかし、宮本常一が描いたような「共同体でしぶとく生き抜く日本人の互助精神」とは真逆の、冷酷な市場原理主義そのものだろう。

おまけにコミュニティに働きかけたらたちまち不審者扱いで、私服警官がやってくるのさ!素敵な国だろニッポンは!

3. 「プロイセンモデル」の亡霊

誰も彼もがこれ大昔から、日本に伝わる社会の形と、信じ込まされ騙されてきた、カチンコチンに硬直した、薄っぺらな国家観。

明治以降に作られた「上からのナショナリズム」に固執して、もっと古層に広々広がり一万年をはるかに超えてる「誰でも彼でも溶かし込み同化させてく、寛容で未来性をもつインクルーシブな日本のダイナミズム」を奴らは理解しようとしないんだ。

奴らにとっての天皇は単なる便利な「統治の道具」であって、俺がかくあれと乞い願う「多様性を包摂するオーソリティ」ではまったくない!

今に旧宮家の右派論客が、いつの間にやら男系男子と天皇陛下になる日も近いぜ!

なにせ巷のネトウヨは、畏れ多くも畏くも、上皇陛下を名指して、パヨクとからかい憚らず、我が身の不敬に気がつかぬ!笑止千万!

国民的に大人気の愛子内親王殿下が、先々御即位召されれば、男系男子の万世一系途絶えると、慌てふためき急ぐは皇室典範改正。

そんなに男系男子がいいのなら、仁徳天皇陵掘って、そこに眠れる仁徳天皇、畏れ多くも遺伝子情報サルベージして、今上陛下の玉体の御身傷つけ得た血に潜むDNAとくらべてみたらいいんじゃない?

第一伝統伝統と、伝統工芸士みたいに連呼してるあの人たち、そんなに言うなら毎日の国会質疑に答弁に、羽織袴に白足袋で現れて、有権者の皆様に向け朝の辻立ちしてみれば?

薄くなってる頭でも、いっそチョンマゲ結ってみて、これぞ日本の伝統を、その身に体現した姿!なんて外連味にたっぷりに、予算委員会で大見得きってごらんなせぇ。そこまでやるなら、その伝統も口先だけのまやかしじゃなく、本気と書いてマジと読むと、認めてやってもよござんす!(笑)

この「似非右派」どものメッキを剥がし、彼らが単なる「アメリカの利権の管理人」に過ぎないことを白日の下にさらしてみせよ。外道の本性破邪顕正!

それは、国民が「安逸な奴隷」から目覚めるための、不可欠な儀式(デトックス)になるだろう!

そんじょそこらのおじさんおばさん、お兄ちゃんお姉さんは騙せても、俺はうかうかその手には乗りはしないぜ金輪際!おかしいことはおかしいと、しっかり言わせてもらおじゃないか

2026/03/31

POST#1805 今を生き抜くために、過去を検証してみる

ハノイ。ハノイは漢字で河内と書くんだぜ

土砂降りの雨だ。桜は雨に打たれ散っていく。残念なことだ。一滴もこぼすな松茸の露 桜も散れば見苦しいと、どこかの男子トイレの小便器の前に書いてあったのを思い出す。

思い返してみると、まったくもって不思議なことなんだけれど、かつて安倍晋三元総理によるアベノミクスが日本の政治経済を席巻していたころ、もっとも社会的に弱い立場の者たちがもっとも割を食っていたにもかかわらず、彼らは熱狂的にアベノミクスを支持したということが、今でも俺には意味が分からない。

謎だ。

人間はしばしばじぶんの存在を圧殺するために、圧殺されることをしりながら、どうすることもできない必然にうながされてさまざまな負担をつくりだすことができる存在である。』という吉本隆明🔗共同幻想論🔗の一節をおもいだし、嘆息してしまう。

そう、市井の人々の存在を圧殺するような、非常に皮肉で残酷な現象が起きたんだ。

本来、円安や物価高で最もダメージを受けるはずの層が、なぜ自分たちの首を絞めるような政策を熱狂的に支持したのか。今を生き抜くためにもう一度検証してみることにする。

そこには、巧妙な「心理的演出」と「見せかけの恩恵」があったんじゃないか。

1. 「期待感」という麻薬

アベノミクスが始まった2013年頃、日本は長く暗いデフレに沈んでいた。日銀による『大胆な金融政策』、経済産業省を旗振り役にした政府による『機動的な財政政策』、そしてしりすぼみに終わった『民間投資を喚起する成長戦略』という「3本の矢」という分かりやすいスローガンと、株価の急上昇という視覚的な演出により、「何かが変わるかもしれない」という根拠のない高揚感が社会を包みこんだ。

円の価値下落により実質賃金が下がっていても、「株価が上がっている=景気が良い」という報道を俺たち国民は信じ込まされた。そして、それは安倍政治の継承者たる高市政権によるサナエノミクスでも、まったく同じことが起こっている。気を付けるんだ、みんな。

2. 雇用者数の「数字マジック」

アベノミクスは「雇用を増やした」と胸を張りったが、その実態は非正規雇用の増大だった。「仕事があるだけマシ」という低賃金労働層に対して、「失業率の低下」という数字を突きつけることで、「自分たちを救ってくれている」と錯覚させたのだ。かつての日本型終身雇用は完全に崩壊していた。人々は必要な時に必要なだけジャストインタイムで調達される部品のように扱われたわけだ。これもいまでも続いている。最寄りの市役所や図書館に行ってみるがいい。おおくの人々が単年度の非正規雇用だ。建築現場の監督なども派遣会社から送り込まれている人ばかりで、決断力も統率力もない。

そして、竹中平蔵率いるパソナみたいな会社が大いに成長した。

3. 消去法的な支持(TINA: There Is No Alternative)

加えて「他に選択肢がない」という絶望感も利用された。

直前の民主党政権時代の混乱(震災や円高)を徹底的に叩くことで、「自民党以外に政権を任せたらもっとひどいことになる」という恐怖心を植え付けました。『悪夢のような民主党政権』という言葉が総理自身の口から何度も語られ、俺たちの脳裏に刷り込まれた。

こうして「現状維持」が最善だと思い込まされた弱者層は、自分たちを圧殺してゆく政策であっても、それを支持せざるを得ない心理状態に置かれたんだ。

4. ネット世論と「仮想敵」の創造

Dappi🔗などのツイッター(現X)アカウントを用いた巧みなSNS情報戦略により、不満の矛先を「政府の無策」ではなく、他国や「特定の反対勢力」などに向ける「敵を作る政治」が成功した。

また2015年ごろには、安倍政権が憲法の解釈を閣議決定で読み替えて、集団的自衛権を正当化したことに対して市民の反対運動が盛り上がったころも、思いっきり左寄りに見える俺のブログにも、バカにするようなコメントや敵対的なコメントが多く寄せられた。このころには、自民党のプロパガンダ、恐るべしだと肌身で感じたよ。

加えて一部の生活保護費の不正受給の事例を喧伝して、生活保護を受けている人はすべて社会に寄生しているお荷物のように錯覚させる心無い言葉も多く飛び交った。

生活保護は、憲法によって保障されたセイフティーネットであるにもかかわらずだ。人間はいつ何時、自分自身が不慮の事故や病気、災害などで生計を立てる方法を奪われたり、資産を失ったりする可能性がある。誰でもだ。その時に命をつなぎ、最低限の生活を維持するための社会制度なのにだ。

本来なら「生活の苦しさ」を政府にぶつけるべき人々が、SNSという自分の言説に責任を負わない立場から、別の自分より弱い対象を叩くことで一時的な万能感(承認欲求)を得る構造が作られちまったわけだ。

大昔にTHEブルーハーツが歌ったように♪弱い者達が夕暮れ さらに弱い者を叩く その音が響き渡れば ブルースは加速してゆく♪だ。まったくロックでもないぜ。

結論を言ってしまえば、情報の非対称性を利用した「収奪」だったんだ。

社会的に弱い立場の人々は、日々の生活に追われてる。もちろん俺もだ。そうすると複雑なマクロ経済(円の価値の目減りなど)を精査する余裕なんかない。てか、マクロ経済なんて知らんがな。

その「情報の格差」と「切実な不安」を巧みに利用することで、社会的には下層に位置する国民の絶大な支持と税金を吸い上げながら、実際には富裕層や政府が潤う仕組みを維持したのが、この10年の正体だったと言えるだろう。

まさに「羊が、自分を食べるオオカミを応援してしまった」ような状態だ。

俺はサナエノミクスを掲げる高市総理率いる巨大与党が、アベノミクスのころとは、円の価値の物価の変動方向も真逆なのに、またぞろ同じ道を進みかねないとびくびくしてるのさ。

何しろ、第二次大戦以来この国の人間は、失敗に学ぶ姿勢が欠如してるからな。

2026/03/30

POST#1804 この大変な時に優先事項は国旗損壊罪か?

木蓮
先週の土曜日の左巻きの朝日新聞の朝刊に自民、「国旗損壊罪」議論に着手🔗という記事がひっそりと政治面に掲載された。

朝日新聞の報道によると『自民は同日昼、松野博一元官房長官ら約10人が党本部に集まった。会合は非公開。複数の出席者によると、論点の整理に向け、国旗損壊に対する他国の事例、「国旗国歌法」が1999年に制定された経緯などを確認したという。非公開か、もっとオープンにすりゃいいのに。何か後ろめたいのか?

 国旗損壊罪の創設は、首相をはじめ自民保守派の思い入れが強い。その理由の一つには、外国国旗の損壊には刑法で「2年以下の拘禁刑、または20万円以下の罰金に処する」との規定がある一方、日本国旗にはその定めがないことがある。

 自民はそうしたことを踏まえ、日本国旗の損壊に対する罰則を定める新法を制定しようと検討を進める。あるPTメンバーは「罰則のない理念法ならわざわざ法律を作る意味はない」と語る。』とのことだ。コバホークこと小林鷹之議員なども、罰則の制定に意欲的なんだそうだ。

俺は、国旗国歌法が制定されたときの、わが心の師・忌野清志郎が「君が代」をロック調で演奏し、わざわざ物議を醸していたことを思い出す。この騒動は確か国会でも取り上げられ、国歌をロック調にアレンジするのはどうなのか?と問題になった。結局、表現の自由ということで有耶無耶になったが、俺は正面から批判するんじゃなくて、ずらした角度からからかうのが有効だと学んだぜ。圧倒的な権力を持った連中に正面切って戦っても疲れるだけだぜ(笑)

しかし、この円安と物価高に加えてイラン戦争で国民の生活が窮乏しているときに、国旗損壊罪の協議を優先って、どんな政治的センスなんだ?(笑) 国民をバカにしてるのか?(笑)

この状況に対して今の経済状況や国際情勢を鑑みると「優先順位がおかしい」と感じられるのは俺だけじゃないだろう。むしろ、それって非常に真っ当な感覚じゃないか?イエス様も言ってたけど、人はパンのみにして生きるにあらずだけど、パンがなけりゃ生きられないんだぜ。 


多くの国民が円安、物価高、不透明な中東情勢による生活への直接的な影響に不安を感じている中で、なぜ今この議論なのか?

この法案は、自民党内の保守系議員グループが長年推進してきたものだ。

主な目的は「外国の国旗を傷つけると罰せられるのに、日本の国旗(日の丸)を傷つけても罰則がないのは不自然だ(不敬だ)」という不均衡を解消することにある。あぁ、そいつは結構な志だよ。しかし、これが今このタイミングで注目されている背景には、政治的な思惑以外の何物でもないだろう?

まずは何といっても保守層へのアピール

政権支持率が早苗ちゃんのおかげで高止まりしているうちに、党内の基盤である保守層の支持を繋ぎ止めるための象徴的なトピックとして持ち出される傾向があるんだそうな。お偉い人々の考えることはよくわからんぜ。

まぁ、今のところ政府が閣法として最優先で進めているわけではなく、自民党の一部の議員連盟が主体となってプロジェクトチームを作って動いている状態だけど、センセー方の感覚と国民の皆の衆の生活感覚との「温度差」は大したもんだ。やはり天下国家を論じるにはこれくらい鈍感じゃないとダメか(笑)。

国旗なんてさ、日の丸のなかににっこり笑顔でも入れてくれればいいのにな。そうすりゃ、大日本帝国の帝国主義の亡霊と決別できるぜ!

こんな感じだ!

思い立ったら吉日、さっそくAIででっち上げてみたぜ。便利な時代だぜ。

うん、われながらなかなかクリエイティブで、ある種「究極の脱力」を感じさせるぜ!こんな国旗が描いてあったら、対米従属右翼の街宣車も皆に親しまれるぞ!楽しみだ!

こわいおじさんたちが、わが国の象徴たる神聖な日章旗に対して何たる不敬!とぷんすかするのが目に浮かぶってもんだ。しかし日章旗が日本の国旗🔗として使われるようになったのは、幕末1850年代半ばだ。縄文時代から考えると16000年物歴史を持つ我が国の歴史の中で立った1%ほどの期間使われてきたにすぎない。家父長制と同じく、近代に作られた伝統なんだ。ちなみに皇室の紋章は十六八重表菊紋だ。

「国旗を損壊したら罰する」なんていう後ろ向きで厳めしいというより悪趣味な議論をするより、「思わず微笑んでしまうようなシンボル」に変えてしまうほうが、今の日本に必要な「心の余裕」を取り戻せる気がするんだが、どうだい?

「にっこり日の丸」がもたらすかもしれない変化はたくさん考えられるぜ。俺はイマジナリーマンなのさ。

まず第一に「大日本帝国の亡霊」との決別だ

ご指摘の通り、今の「日の丸」に軍国主義や帝国主義の影を感じて身構えてしまう層もいる。思えばこの旗は、日本人が中国大陸や東南アジア、太平洋の島々に戦火を広げていた記憶を背負わされて不憫なことだ。俺が当の日の丸だったら、PTSDで家族に暴力を振るったり、自傷行為したりするだろう。

そこに「笑顔」が入るだけで、重苦ししい歴史から解き放たれ、「平和と親しみやすさの象徴」にアップデートされるんだ。

お次は不毛な対立の無効化だ。

もしこんな日の丸の国旗なら、国旗を焼き捨てようとか破り捨てようとか思う人たちも、笑顔のマークを傷つけるのはさすがに良心が咎めるんじゃないか。人間は顔に認識できるものを見ると愛着を持つようにできてるんだ。力で抑え込むのではなく、「攻撃する気を削ぐ」という柔和な守り方だよ。にっこり笑ってる子供をぶん殴れるのは、サイコパスぐらいのもんだからな。そして、そういうサイコパスは放っておいてもやる時はやる。

でもって低成長時代を生き抜く「サボる」哲学との共鳴だ。

この物価高と円安のダブルパンチの中、「欲しがりません勝つまでは」という悲壮感とは真逆の、「まあ、テキトーに笑ってやっていこうぜ」というメッセージ。今の窮屈な社会には、そのくらいの適当さと愛嬌がちょうどいいのかもしれません。

さらにダメ押しで政治的センスの逆転だ。

もし今の政治家に「国旗に笑顔を入れよう」なんて言うセンスがあれば、物価高や円安で疲弊した国民の心も、少しは解けただろうに……と思わないか?あ、ふざけてるように思われてるかしら?

「お国のために耐えろ」という厳格な顔をした政治より、「みんなが笑える生活をまず作ろう」という笑顔の政治。それこそが、本来あるべき優先順位じゃないか。今の日本の社会に必要なのは、強権的なルール(罰則)ではなく、「国民が自然と笑顔になれる経済対策」のはずだ。みんなが笑顔で腹いっぱい食える社会こそが、まっとうな社会だ。違うかい?!

それにもし本当に「にっこり日の丸」に変わったら、少なくとも韓国や中国は文句言えないんじゃないか。硬直した日中関係、そして子音あるごとにぎすぎすする日韓関係。嘆かわしいことだ。

今の「国旗損壊罪」のような議論は、中韓からすれば「日本の右傾化だ」「軍国主義の再来だ」と批判する格好の材料(燃料)になってしまいかねん。

しかし、日の丸に「にっこり笑顔」が入っていたら、話は全く別になるんじゃないか。

何しろ見るからに「平和の象徴」への全振りだ。

笑顔のマークを「侵略の象徴だ!」と批判するのは、客観的に見てかなり無理がありだろう。反論しようとすればするほど、批判する側の心の狭さが際立ってしまうという、高度な「柔道的な外交」じゃないか?

そうそう、韓国の皆さんがいつも帝国主義の象徴だと批判する旭日旗もこうしてみるか。


で、「帝国主義の亡霊」の浄化ってのはさっきも書いたとおりだ。

かつての軍靴の響きを感じさせるデザインから、親しみやすいキャラクター的なシンボルに昇華させることで、過去の文脈を強制的に上書き(アップデート)できてしまうんじゃないか?

そしてソフトパワーとしての勝利だ。

もし日本が「世界で最も愛嬌のある国旗」を採用したら、世界中の若者やネットユーザーが味方に付いてくれるだろう。政治的なイデオロギー論争を、「カワイイ文化(Kawaii Culture)」で無力化する戦略だ。

ダメ押しで政治的センスの欠如への皮肉もたっぷりだ。

本来、政治とはこうした「敵を作らず、空気を変える」ようなクリエイティブな解決策を見つけるべきものじゃないか。それなのに、今の政府ときたら・・・。

内向き: 右派の顔色をうかがって罰則(力)で解決しようとする。

外向き: アメリカの顔色をうかがって主体性を失う。

その結果が、今の「国民の窮乏」と「不毛な国旗論争」のセット販売だ大変お得になっておりますだ。

君は「罰則で守る国旗」と「笑顔で親しまれる国旗」、どちらが今の日本を救う「センス」だと思う?

 そして俺の構想では、国家も「君が代」から上を向いて歩こうに変えてしまいたい。

あー、右派の皆さんにお叱りを受けてしまうな。けれど、この国の主権者は天皇陛下ではなくて、あくまで俺たち一人一人の国民だ。麻生太郎でもない。Me & YOU & YOU!だ。

 最高じゃないか?このセンス。今の閉塞感漂う日本には「救い」そのものだぜ。

古今和歌集の巻七・賀歌にルーツを持つ「君が代」の厳かさも伝統だ。

ですが、今の「円安・物価高・戦争の影」でみんなが俯(うつむ)いている時に、無理やり「国旗を敬え!」と罰則で縛るより、「上を向いて歩こう」を歌いながら少しでも顔を上げようとする方が、よっぽど健康的で前向きな政治的メッセージになるんじゃないか?

まず「涙がこぼれないように」という共感が庶民の間に熟成されるんだ。

今の国民の生活実感にこれほど寄り添ったフレーズはないんじゃないか。

「欲しがりません勝つまでは」という精神論ではなく、「辛いけど、涙をこらえてなんとかやっていこうぜ」という、弱さに寄り添う優しさがあるだろう。

しかも世界中が合唱できる。なんたってこの歌は昔々ビルボード1位を獲ったことがある!

この曲なら、中韓どころか世界中が文句を言わずに一緒に口ずさめるだろうよ。「日本は笑顔で、上を向いて失われた30年で疲弊した社会を再生しようとしているんだな」という究極の平和アピールになりうるんだ。

「幸せは雲の上に、幸せは空の上に」という歌詞は、地に足をつけて必死にノルマをこなす(=搾取される)生き方から、ふっと視線を外して「空でも見上げようぜ、星でも数えようぜ」と上を向き、つかの間人間性を取り戻す。想像してみてくれ、ワールドカップやオリンピックで「上を向いて歩こう」が流れるんだ。口パクしてる日教組の先生たちだって、喜んで歌ってくれるさ。

今のどんな政治家にも絶対にできないだろうけど、もしこの国の政府が「国旗損壊罪」なんていうトゲトゲした議論の代わりに、「国歌を『上を向いて歩こう』に、国旗を『にっこり日の丸』にします!」と宣言したら、支持率は爆上がりし、国民のメンタルも一気に軽くなるはずだ。

「帝国主義の亡霊」を、罰則という「力」で抑え込むのではなく、「笑顔と名曲」というソフトパワーで成仏させてしまう。 これこそが、今の日本のリーダーに最も欠けている「粋なセンス」ではないだろうか?まぁ、首相が変わるたびに靖国参拝でもめてばかりの我が国には無理だよな(笑)

「上を向いて歩こう」を歌いながら、にっこりマークの旗を振る日本。そんな「脱力系国家」なら、もう少し未来に希望が持てると思いませんか?


けど、実際に今、ホルムズ海峡ににっこり日の丸の自衛隊が行ってみたらどうなるとおもう?


その光景を想像するだけで、今のガチガチに硬直した国際政治や自衛隊の運用に対する「究極の風刺」になるんじゃないか!

「国旗損壊罪」を検討しているような強面の政治家たちが、「存立危機事態だ!」「軍備増強で抑止力だ!」と言い合ってる中、戦火のホルムズ海峡に、「にっこり日の丸」を掲げた掃海艇や護衛艦が「上を向いて歩こう」を大音量で流しながら入っていく……。

これ、実はバカバカしいようでいて、凄まじい効果があるかもしれないぜ。

1. 敵意を完全に喪失させる「脱力外交」

イラン側の反応: 革命防衛隊のボートが近づいてきても、デカデカと「笑顔」が描かれた旗を見たら、攻撃のタイミングを逃すというか、やる気を失うんじゃないかな(笑)。「こいつら、正気か?」と困惑させることが、最大の防御(抑止力)になるかもしれないぜ。

米軍の反応: NATOに振られたアメリカ軍は日本の姿勢を評価してるらしいが、「提灯持ち」を期待していたアメリカも、この「超平和主義(?)な日本」の姿には、苦笑いして対応に苦慮すること請け合いだ。

2. 「帝国主義の亡霊」の完全浄化

かつての「旭日旗」や「日の丸」に過敏に反応する周辺諸国も、笑顔のマークが海を渡っていく姿には、軍事侵略の意図を感じようがないだろう。「日本は本当に変わったんだな」という強烈なメッセージになりうるぜ。

3. 自衛官のメンタルも救われる

悲壮感の中で、中東の過酷な環境で任務に就く自衛官の方々も、にっこりマークの下で「上を向いて歩こう」を歌いながら任務をこなせば、少しはメンタルヘルスを守れるのではないでしょうか。

結論:政治的センスの「真く骨頂」

今の政府がやっている「国旗を罰則で守る」という発想は、守ろうとすればするほど敵を作り、緊張を高めるだろう。習近平国家主席の渋ツラが目に浮かぶぜ。

対して、俺がみんなに提案する「にっこり日の丸」は内向きには窮乏する国民にささやかな笑顔とユーモアを。外向きには:、一触即発の海域に「平和な脱力感」を与えるんじゃないか。

これこそ、今の日本に必要な「最強のソフトパワー」だぜ。ついでにポケモンでも艦船の横っ腹に描いておくか?

ホルムズ海峡で「にっこり日の丸」を振る自衛隊。その光景を見た世界中の人々が、「日本、面白いこと始めたな」と笑ってくれたら、それだけで今の重苦しい世界情勢に一石を投じられる気がするぜ。

敵を作らないことこそが、無敵なんだ。

もしそうなりゃ学校で国旗掲揚や国歌斉唱が楽しくなるぜ、約束しよう!