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| 白菜・近江八幡 |
さて、仕事が暇だから今のうちにせっせと進めよう。人生は意外と短いんだ。
武家政治による「直系家族」の西日本席巻
鎌倉幕府の成立(1192年)と、それに続く「承久の乱(1221年)」こそが、この関東発の直系家族システムが西日本を肉体的に席巻していく決定的な契機だったことは昨日話した通りだね。
この承久の乱を境にして西日本を支配していた朝廷側に勝利した鎌倉幕府は、西日本の数千箇所にのぼる没収領地に、関東の御家人🔗たちを「地頭🔗」として大量に送り込んだんだ。これを『西国補任』というんだけれど、これによって流動的でアノミーだった西日本の貴族社会・農民社会の上に、自分たちの生み出した直系家族システムのOSを西日本にインストールすることになったって寸法だ。
その後、室町・戦国時代を経て、江戸時代に施行された檀家制度🔗、明治の旧民法🔗の家父長制🔗で、この武家型直系家族システムが日本全国の「スタンダード」へと定着していくことになったわけだ。もちろんこれはアウトラインをなぞるだけの大雑把な言説だとは理解しておいてほしい。あくまでフレームワークだ。俺は学者先生じゃないんでね。
日本独自の「ハイブリッド直系」
中国が「秦によるスキタイ起源の遊牧民の家族システム導入」によってキメラ🔗=饕餮🔗化したのに対し、日本は「関東武士という内部のフロンティア」から湧き上がった直系家族のエネルギーが、西日本のアノミーな古代社会を征服・統合していくという独自のプロセスをたどってきた。
だからこそ日本の直系家族は、朱子学🔗による純粋培養の直系社会の朝鮮とは異なり、血統の純血性よりも「イエ」という経営体の存続を最優先し、優秀な養子を柔軟に受け入れるという、西日本的なアノミー・流動性のDNAを内包した「独特の強靭な直系家族」として完成したと言えるだろう。
この独自の着地を遂げたからこそ、日本はのちに西欧(こちらも直系ないし核家族の系譜)と同様に、単独相続による資本の本源的蓄積や、老舗企業の多さにもみられる家業の永続性、そして近代化へのスムーズな適応力を手に入れることができたと考えることができるだろう。
おそらくそれは、もともとのアノミーな土台があったからこその『ご都合主義的なアレンジ』だったんだろう。つまり本来が「流動的で柔軟な双系社会」であったからこそ、日本は大陸のイデオロギーを都合よく取捨選択し、血縁に縛られない「経営体としての直系家族(イエ)」という独自のシステムを構築・着地させることができたちゅうことだわ。
もし、日本が最初から強力な父系原理を持っていたら、大陸の儒教を教条主義的に—それこそ朝鮮半島のように極端な形で—受け入れるしかなかっただろう。
けれども、縄文+百越🔗の双系核家族の柔軟な土台があったからこそ、日本はきわめてプラグマティック(実利主義的)な大改造を行えたんだと俺は考えているんだ。
1. 血縁の「ゆるさ」がもたらした柔軟性
古代日本の双系社会では、血統は父からも母からも辿れる曖昧なものだったんだ。つまり、「血統の純血性」に対する執着が、大陸や半島に比べて最初から圧倒的に希薄だったんだ。
だからこそ、中世に「単独相続の直系家族」へシフトする際、「血のつながった実子」がいなければ、他所から優秀な人間を連れてきて「養子」にすればいいという、とんでもなくドラスティックな割り切りが可能になったんだな。
天皇家に後継ぎがいなかったら、600年も前に分かれた分家から養子を連れてこればいいって考えとどこか通じるなぁ。
もしこれが、血縁を絶対視する強固な父系社会であれば、血の混じらない養子は一族の祭祀を汚すものとして絶対に許されないだろう。というか、そんなもの、発想さえされないだろう。実際に韓国や中国では、一族以外の養子は厳しく排除されていた。諸葛孔明🔗も、敵対する呉に仕えていた兄の諸葛瑾🔗のもとから次男を養子を迎えているんだ。
2. 「双系」から「単独相続」への構造変換
双系的な核家族社会における平行・交叉いとこ婚の頻発は、「身内だけで財産や権力を囲い込む」ための防衛策でもあったわけだ。余談ながら俺の親類にも母方交叉いとこ婚の家庭があるけど、別に財産も権力もない。ただ、その受容をめぐって、容認派と否認派の断絶が数十年続いているだけだ。
この現状に、大陸から入ってきた「一系に絞る直系家族システム」という観念が結合した時、東国で過酷な現実と格闘する武士たちは気づいちゃったんだろうな。「いとこ婚で必死になって掴んだ財産をこねくり回すより、優秀な一人の後継者に全財産を単独相続させ、残りの兄弟は外に出したり、家臣にする方が、組織としてイケてるんじゃね?」って。
このダイナミックな方向転換ができたのは、古い血縁ルールが双系的で固定化されていなかったからだって言えるだろう。
3. 「神道(アニミズム)」という混沌なOSの持続
精神性の面でも、アノミーな土台は生き続けた。
中国の儒教は「先祖の血(祖先崇拝)」を絶対的な宗教としたけども、日本は大陸の儒教や仏教を入れつつも、土着の「神道(八百万の神)」という、ほとんど無秩序で何でもありの多中心的な宗教観を捨てなかったんだ。
おかげさんで、社会が「儒教の教え(=血縁絶対主義)」に100%染まることもなかったし、儒教の「直系・長幼の序」という便利な『統治の型』だけを道具として利用し、中身は日本独自の「家の存続第一主義」にカスタマイズすることができたという筋書きだ。
もっと突っ込んで言えば、分裂生成って考えがここでも作動してるんだ。
つまり、朝鮮半島や中国南部との差異化を図るために、あえてその融通性の高いシステムを採用したとも考えられるだろうな。『俺たちは、一応文明人だけど、あいつらとは一味違うんだ』って奴だ。
4.家督の単独相続と分家という名の細胞分裂
中国の共同体家族は、息子全員に財産を分けるため、一族の土地がどんどん細分化され、全員が貧窮化するか、あるいは巨大な宗族の中に留まり続けるしかなかったんだ。共同体家族システムそのものだ。
一方で、日本の「アノミーから着地した直系家族」は、驚くほどシステマチックに社会を新陳代謝させることに成功したんだ。
後継者(主に長男)が「家」の苗字と財産を丸ごと継承する。次男以下は、そのまま家に残れば「家臣」や「使用人」あるいは「部屋住み」ってニートみたいなもんになるしかないんだけど、経済的余裕があれば、新しい土地で「新しい苗字」を名乗って独立、つまり分家することもできたんだ。ラーメン屋ののれん分けみたいなもんだ。
しかも、こうして分家した瞬間、なんと元の本家とは「別の直系家族」としてカウントされ始めるんだ。この「苗字による分化 = 新しい直系家族の誕生」というプロセスが無限に繰り返され、社会全体が自立した中小の「経営体(イエ)」の集合体へと再編されていったわけだ。
文化や制度の形成において「隣国(他者)との差異化」は強力な原動力にる。
日本が、朝鮮半島や中国南部から儒教や律令制という「型」を熱心に学びながらも、その核心である「教条的な血縁絶対主義」を拒み、アノミーな土台を活かした「融通性の高いシステム(血縁を超えた機能的直系家族)」へと着地させた背景には、「俺たちはあの大陸の先進地域の連中とは異なる、独自の自立した文明圏である」という強烈なアイデンティティの主張の動機があったと考えるのは極めて自然なことだろう。
みんな同じ丈のスカートをはいていたら埋没してしまうけど、一人だけスカートの丈が短かったら、目立つよね。簡単に言えばそういうことさ。
この「差異化の戦略」=分裂生成が、日本のシステムをどのように決定づけたのか、よく考えてみよう!
1. 外交的・政治的アイデンティティとしての差異化
古代から中世にかけて、日本(倭国・大和朝廷)の最大の政治課題は、東アジアの圧倒的な覇権国である中国(中原の王朝)の「冊封体制🔗」という君臣関係に呑み込まれないことだった。今でいえば、中国の推し進める一帯一路🔗で中国から借金し、その経済的支配下にはいるようなもんだ。
その緊張関係は台湾有事をめぐる高市総理🔗の発言にも表れているように、形を変えて今日も日本の抱える政治的な課題だ。これ大事な視点。押さえといて。
聖徳太子🔗の「日出づる処の天子」の国書に象徴されるように、日本は「中国の家臣ではない独立国」としてのプライドを、その国家の成立初期から打ち出していた。それは周辺民族を貪欲に飲み込み膨張し続ける、中国という巨大なシステムへの恐怖の裏返しだったんだ。
だから、あんまり中国が!中国人が!って反発したり排斥したりするのは、ビビってんじゃないのって相手に思われちゃうんじゃないかって、俺には見えちゃうんだよね。
このスタンスは、朝鮮半島の諸国(特に後の朝鮮王朝)が、中国の正統な後継者を自任して「小中華」となり、本家以上に過激な儒教的な血縁主義(宗族制度)を国教化していったのとは対照的だ。つまり日本は「大陸のルールをそのまま真に受けるのは、彼らの軍門に下り同質化してしまうことだ」という無意識の警戒感から、あえて融通性を残した独自のOSを守り続けたんだろうな。
2. 「血の正統性」を競わないリアリズム
中国や朝鮮半島では、王朝交代(易姓革命)が起きるため、「どの血統が本当に正統か」という血の争いが文字通り命がけで行われるわけだ。それが社会全体の血縁執着(族譜の重視など)につながっている。実際に孔子の家系図なんか、今までずっと続いているんだ。2500年もだぜ!
一方で、日本は天皇家は「万世一系」という共同幻想を早期に共有することで、天皇の血統の正統性争いを建前上終わらせることに成功したんだ。まぁ、南北朝時代とか例外の時期はあるけれどね。
一番上の天皇の血統が固定されているため、その下の武士や庶民層は「血統の純血性を競う必要」がそもそもなかったんだ。それよりも「目の前の土地や家業をいかに確実に存続させるか」という実利に全力を注ぐことができたわけだ。
このドメスティックな安定環境が、融通性の高いシステムを育む土壌になったんだよな。
3. 「文字」より「現場」を重んじる文化
中国南部や朝鮮半島は、科挙に代表される「文字(経典)の記述通りに社会を統治する」という文人・教条主義の社会だったんだ。なんせ採用試験は儒教の古典から出ることになってたからね。実際、今まで見てきたように共同体家族システムの中国では、その方法でしか、官僚を採用できなかったからね。
これに対し、日本は直系家族システムを確立した武士階級による「現場の武力と実務」が支配する戦闘的プラグマティズム(実利主義)の社会へ移行しちゃったんだな。
さらに、文字通りに儒教システムを社会に実装すれば「一族以外の養子はNG」になるだろう。しかし、日本の現場を支える武士団では「それでは家が潰れて防衛できない」という現実が勝るわけだ。実際に鎌倉幕府なんか、三代将軍実朝🔗が暗殺されて源氏の惣領の血統が途絶えた途端に、京の藤原氏から将軍を迎えたりするという節操のなさだ。
ここで効いてくるのが、日本人が太古から持っていた元来の双系的核家族の融通性だ。
これを「日本固有の美徳(和風・国風)」として都合よく再解釈し、大陸のガチガチのシステムに対して「大陸や半島の連中は理屈っぽいが、俺らは状況に応じて融通無碍にやるべ」という、独自の洗練された差異化の意識(のちの『和魂洋才』に通じるメンタリティ)を構築していったと言えるんだ。まったく食えない民族だな。
3. 朝鮮半島・中国南部との決定的な「社会の景観」の違い
この分化システムにより、日本と大陸では社会の構造(景観)が180度異なるものになった。
韓国・中国南部(宗族社会)
朝鮮社会では社会が「金(キム)氏」「李(イ)氏」「陳(チェン)氏」といった巨大な血縁の塊(宗族)で縦割りにされる。社会の流動性は低く、血縁の絆が公的な法律や国家への忠誠よりも優先されがちだった。これが現在でも「身内びいき(ネポティズム)」や政治の利権構造に繋がりやすい土壌となっているんだ。わかりやすいのはあれだ、北の将軍様ご一家を見てみろ。金日成以来、金日成、金正日と鉄板の権力移譲だ。もうすでに金正日の娘が次期後継者と目されているだろ。
日本(イエ社会)
「佐藤」「鈴木」「高橋」といった苗字は、血縁の連帯を意味しない。なんせ日本には何十万もの苗字があるけれど、それらはすべて「独立した個別の直系家族(あるいはかつて分家した名残り)」なんだ。むしろ、昨日も触れたように、苗字なんて屋号みたいなもんだ。
血縁集団という巨大な塊がないため、社会は最初から細かくフラットに分解されており、人々は「血筋」ではなく「自分が所属する組織(家、のちの会社・国家)」に忠誠を誓うメンタリティが育まれました。
同姓不婚を無視し、苗字によって家を無限に分化・独立させていくこのシステムこそ、土地の効率的な管理、商業(老舗企業)の発展、そして個人の組織への高い帰属性を生み出し、日本の近代化を支えた思想的なエンジンだったんじゃないかな。
この「血のつながりよりも、苗字(組織)の存続を優先する」という日本人の精神性は、現代の日本のコーポレート・ガバナンス(同族経営における婿養子社長の多さや、企業への愛着)にも色濃く生き続けています。だからこその終身雇用とか会社が従業員の面倒を丸抱えで見るとかいうシステムが根付き、高度経済成長期に役だったんだ。
中国がなぜ経済成長しても民主化しないのかって謎をたどっていくうちに、エマニュエル・トッドの家族システム論を道案内にしつつ、デイヴィッド・スタサヴェージの「早熟な全体主義(中国)」を経て、とうとう日本の「アノミーな土台」という補助線を経ることで、「なぜ日本は東アジアの中で唯一、ヨーロッパに近似した、曲がりなりにも民主的な社会構造―それは職能的・組織的な直系家族の乱立と裏腹だ—へ着地できたのか」という、現代中国との対照的な軌跡をたどることになったわけだ。長い道のりだった。
また、今まで話し合ってきた中で、俺や読者諸兄諸姉が辿り着いた縄文社会の姿は、ピエール・クラストル🔗が『国家に抗する社会🔗』のなかで描いたアマゾンのヤノマミ族🔗やグアヤキ族などのアマゾン原住民社会の構造と、人類学的と非常によく似たものだった。
クラストルの「国家に抗する社会」の理論を縄文社会、そしてこれまでの「中国(国家の完成)」との対比に重ね合わせると、この壮大な歴史の旅が完璧な哲学的一致を展望することができるだろう。
1. 「国家に抗する」ためのアノミーとクラン
クラスストルの最大の発見は、いわゆる未開社会は「国家を作れなかった遅れた社会」ではなく、むしろ「国家という巨大な支配マシンの誕生を、本能的に予測し、全力で拒絶し続けている社会」であることを意味しているんだ。
権力の分散とアノミー(流動性)の防衛機能
ヤノマミ族などの社会では、首長はいるけれど、彼には命令権はない。もし首長が独裁者のように振る舞おうとすれば、人々は彼を無視するか、夜中にこっそり首を掻き切るか、あるいはクラン(氏族)ごと別の場所へ移動してしまうだろう。
固定化された「直系家族」や「絶対的な王」を作らず、婚姻や移動のルールを流動的に保っておくこと自体が、「国家(タテの支配)を発生させないための強力な社会の防衛システム」だったんだ。
縄文人が1万年以上もの間、国家を作り出すことなく、階級格差や大規模な戦争を起こさず、核家族中心のフラットなクラン社会を維持できたのは、まさに彼らがヤノマミ族と同じ「国家に抗する社会」だったからだといえるだろう。そして、これが最も普遍的で原初的な社会システムなんだ。
女性と「言葉・交換」の三位一体
クラスストルの分析では、未開社会のフラットさを維持するために、社会のなかで最も重要な「3つの要素」が等価に交換される必要がある。それは、「言葉」「財貨(物)」、そして「婚姻(女性)」だ。ヤノマミ族の社会でも女性の婚姻を通じたクラン間のネットワークが社会の暴走=独裁者の誕生を防ぐセーフティネットになっていたようだ。
更に、これにレヴィ=ストロース🔗の見解を加えれば、戦争は失敗した交換の姿だといえるだろう。
縄文社会が「男性の武力」ではなく、女性の生命力を象徴する「土偶」をシンボルに掲げ続けたのは、「武力によるタテの序列化(国家への道)」を無意識のうちに拒絶し、横の豊かな循環(アノミー的融和)を気に入っていたって証拠じゃないかな。
3. 「国家に抗しきった」日本、「国家に呑み込まれた」中国
これまで議論してきたユーラシア東端のダイナミズムを、クラスストルの視点で総括すると、これ以上ないほど鮮やかなパラドックスを描くことができそうだな。いっちょやってみるか。
【中国の道】:国家の完成とキメラ化
原初のアノミー(国家に抗する社会)
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過酷な環境により、抗いきれずに「直系(殷・周)」が誕生
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遊牧民の共同体家族システムを呑み込み、個人の自由を圧殺する「超国家(共同体家族のキメラ)」へ到達し、専制国家が完成!
【日本の道】:国家に抗する遺伝子の温存
縄文のアノミー(ヤノマミ族と同じ「国家に抗する社会」)
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大陸から押し出された百越(秦の国家から逃れてきた海洋のアノミー民)が合流
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中世に関東武士によって「直系・国家(イエ制度)」の枠組みを作り、直系家族システムに到達するも、その深層(西日本や民俗宗教)には、縄文・百越由来の「国家に抗するフラットな遺伝子」が息づく
そこで、昨今の縄文ブームの理由が、ドライブラシでなぞるように浮き上がってくる。
縄文文化のすばらしさを見出したのは岡本太郎🔗だといわれている。彼は稀代の芸術家である以上に、レヴィ=ストロース🔗の師匠筋にあたるマルセル・モース🔗にパリ大学🔗で民族学を学んだ男だったのを覚えていてほしい。つまり、クラストルやレヴィ=ストロースと同じような視界を持っていたんだ。
俺たちが今、縄文の土偶やその社会のあり方に激しく惹かれるのは、現代の息苦しい新自由主義による人間の資源化やデジタル封建制、或いは俺たちの社会のすぐ外側を取り囲む全体主義やデジタル監理社会(中国共産党体制はその極限の姿だ)の対極にある、「かつて人類が持っていた、国家に抗する、自由でフラットなアノミー社会の究極の記憶」がそこにあるからに他ならないだろう。
それが単なる現実逃避の縄文趣味で終わるのか、それとも『より開かれた社会』を構想してゆく足掛かりにすることができるのかは、俺や君たち一人一人の意志次第だろう。
覚悟しろよ。
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