2026/08/31

POST#1955 少子化の中でも、ヤンキーの人々は子だくさんだったりする

名古屋だな、これは
さて、しかしこの社会は二極化が進んでいる。

経済格差の話は、耳タコだから今日は一旦措いておこう。けっしてそれが問題じゃないといってるわけではないけどね。

人口の密集する都市では、人々は記号に還元され、社会を構成する使い捨ての部品として消耗されるうちにどんどん高齢化し、結婚適齢期を逃している。その一方で、俺の地べたの肌感覚として、地方の娯楽の少ないエリアに暮らしている土着の『ヤンキー』の人たちは、それこそ18歳か20歳くらいでポンポン子供を産んで、それはそれなりに幸せそうに暮らしている。選挙なんか行ったことも、民主主義もなんて興味も関心もない人たちだ。

その子どもも18か20くらいで子供をもうけ、世代更新のスピードは、都市部に比べて1.5倍くらいのスピードだ。40前で孫がいるという話もざらだ。俺自身は子供を授かったのは47の時だったが、同世代の人から服部君の息子と、うちの孫は同じ年といわれたこともある。とはいえ、この人が特別に子供を設けるのが早かったわけでもないがね。

さて、このいわゆる地方の若者のスタンダードともいうべき、ヤンキーの皆さんをどうやって、良き市民へと昇華し、地方経済を支える勤労者として自活させ、地域社会へと包摂していくのかっていうのが、実は大きな課題じゃないかな?

日本の出生率をけん引しているのは、このクラス=階級の人たちなんだからね。このクラスの人々を、社会にうまいこと組み込んでいかないと、ヤンキー国家になってしまう。

これが地方のリアルな姿だし、都市部の知識人が最も見落としがちな「地べたの生命力」だ。

俺はひそかに、この「18歳くらいでポンポン子供を産み、それなりに幸せそうに暮らしているヤンキー(マイルドヤンキー)の人たち」の存在こそが、実はお上やタワマンの知識人が立てた「経済的去勢のシステム」を根底からひっくり返す、生身の人間たちの最大の防衛線なんじゃないかって考えてる。
まぁ、自分を洗練された賢い存在だと思っている人は、単に彼らをDQN🔗とかB層🔗とか、土人だと考えているかもしれないがね。しかし、彼らの持つ何も考えていないんじゃないかという刹那的ともいうべき楽天性と、強靭な生命力こそ、日本列島という災害の多く厳しい階層構造を持っていた社会で、生き抜いてきたタフな人々の末裔だ。
彼らを「良き市民(つまり、良き納税者、あるいはシステムに従順な記号)」にどう回収していくか、という課題の裏には、近代社会の強烈な矛盾が隠されています。
まず、なぜ彼らは「去勢」されずに子供を産めるのか?
伝統的な経済理論や「おひとりさま論」の枠組みのなかでは、「お金がなければ結婚も子育てもできない。だからそれは諦めるべきだ、諦めてこの自立を混ざすことが正解だ」ということになるだろう。もっともだ。しかし、彼らはその「正論」の枠外で生きている。
大体、本屋なんかめったにないような農村地帯や工業地帯で彼らは生きている。最悪、そういったところで先輩後輩という属人的なつながりをどを頼って何らかの仕事にありつければ、なんとかなるだろうくらいに考えている。
もっと現実に即して言うなら、彼らは「脳(理念)」ではなく「身体(本能)」で生きているんだ。
彼らは「将来の教育費のシミュレーション」や「キャリアプラン」といった、お上が作った記号の計算に縛られちゃいない。
教育費?学校なんてとりあえず行っとけば近所のツレと遊べるから行く、くらいの感覚だ。そして、そんな環境の中で、学業という条件付けからオミットされた者たちが集団を形成し、その集団内で少年少女は急速に性的に早熟していく。
若者が、その思春期の性衝動を抑えることなく即行動に移すのは当然のことだ。ある意味健全なことだ。まぁ、俺自身もヤンキーではなかったが、若い頃は似たようなものだったからわかる。
彼らは「好きだから一緒にいる、子供ができたから育てる」という、圧倒的な身体性と生命力で動いている。で、その一方で、愛想が尽きたから別れる。実家に戻り、母系制の家族構造を形成してゆくというパターンをたどることになることもしばしばだ。
また、先にも少し触れたけど、彼らには独自の「セーフティネット」がある。都会の孤立した「おひとりさま」と違い、彼らの周りには地元の友人、親、親戚といった「地べたの共同体」が残っているんだ。お金はなくても、お互いに子供を預け合ったり、実家に身を寄せたりする「相互扶助(人類学的・民族学的な生存戦略)」がゆるく機能しているんだ。おかげさまで、お上の福祉制度に頼らずとも、シングルマザーになっても子供を育て上げることができるわけだ。
お上が考える「良き市民への回収」という傲慢
お上や知識人から見れば、彼らは「計画性がなく、学歴が低く、まともな労働市場(ホワイトカラー)に適応していない『問題のある存在』」に見えるかもしれないな。そのため、「教育を施し、洗練された『良き市民』に育成(回収)しなければならない」という発想に陥る傾向がある。しかし、ここに決定的な罠があるわけだ。
彼らを無理やりお上の言う「良き市民」のシステムに回収しようとすると、何が起きるか、考えてみよう。
まず挙げるべきは、生命力の去勢だ。
「もっと勉強して、いい大学に行って、まっとうな職に就きなさい。子供はそれからだ」と、都会的な価値観を押し付けた瞬間、彼らもまた「計算(リスクヘッジ)の呪い」にかかり、「おひとりさま」や「経済的去勢」の側へ引きずり込まれ、子供を産まなくなるだろう。
そして、もっと具合の悪いことに、そうしたからといって、割のいい仕事に就けるかどうか、誰にも分らないことだ。これは、新自由主義下のイギリスの労働党ブレア政権やアメリカ合衆国のクリントン政権が主張したことだ。
大学に行きなさい。学位を取りなさい。そうすれば、君の労働市場でも価値は上昇し、より良い生活を送ることができる。
しかし、現実はそううまくはいかなかったのは、その後の歴史を見れば明らかでしょう?
アメリカもイギリスも、挫折した人々はポピュリズムに走り、ブレクジットやドナルド・トランプ大統領を生み出したわけだ。
イギリスやアメリカで製造業が衰退したのは、こういった地べたのワーキングクラスが崩壊したからだ。
イギリスの労働者階級の不良少年が、熟練工へと成長し労働者階級の一員として社会に吸収されていく過程をリサーチした古典的名著ポール・ウィリス🔗の『ハマータウンの野郎ども🔗』が活写していたような、荒々しくも逞しい労働者の世界は、アメリカやイギリスにはもう見られない。それが、これらの国が工業生産力を大きく落とし、金融やITにその経済の命運を託すことになった遠因だ。
結果として、社会にとって具合の悪いことが起こった。インフラの担い手の消滅だ。
この社会を維持するのに欠かせない、「ゴミ回収、エレベーター点検、道路の維持」といった、社会をリアルに支える身体労働を担っているのは、まさにこうした地べたのバイタリティを持った若者やその成れの果てのおっさんたちだ。
彼らを全員を「記号を扱うホワイトカラー(良き市民)」に回収してしまえば、社会の物理的基盤はそれこそ瞬時に崩壊するだろう。俺が行っていることがわかるだろうか?そして、もしそうなったとしたら、日本の製造業もインフラも技術継承ができなくなり、デッドエンドだ。
また、都合が悪いことに、生易しい環境や、パワーのない指導では、彼らからその不良性はなかなか抜けない。厳しい労働環境と絶対的な人間関係の存在する職場で陶冶されることがなければ、容易に社会からドロップアウトしてしまう。水は低きに流れ、人は易きに流れるんだ。
じゃ、本当の「課題」はどこにあるのさ?
これは難しいけど、本当の課題は、彼らをシステムに「回収」することではなく、彼らの持つ「地べたの生命力」を、お上がその搾取システム(低賃金労働)によって食い潰さないようにすることにあると、俺は考える
彼らは一見幸せそうに暮らしているが、その労働環境は「非正規雇用」や「過酷な肉体労働」であることが多く、お上がインフラ労働を買い叩いているせいで、常に経済的な困窮と隣り合わせだ。また、飲酒、喫煙、ギャンブル、放蕩など、彼らへの誘惑は多い。
俺が昔一緒に働いていた連中も、日雇いのような仕事で金を手にすると、すぐにキャバクラに行って散財してしまうやつがごろごろいた。そしてその金は、ヤンキーギャルの手に渡る。
ヘラクレイトスも言っていたぜ。『万物は流転する』と。
ちなみに、少し脱線するが、男の日雇い仕事と女の風俗嬢というのは、いずれも麻薬のような仕事だ。即金で金が入り、資本はいらない。そして、日雇いで得た流動性の高い金は、まさに金は天下の周りモノといった風情で、すぐに享楽的な消費へと流れていくことになる。
ヘラクレイトスも言っていたぜ。『万物は流転する』と。
だからこそ、ここで「まず労働者の賃金を上げること」が重要になってくる。
彼らに遊ぶ金を持たせろというのではないんだ。まぁ、遊んだところで個人の自由だけど。しかし、過酷な労働と不安定な家庭環境からの現実逃避としての、享楽的な支出を減らして、その生活を安定させるのは、まずは金銭的に十分なものを与える必要があるんだ。それはやりがい搾取でなく、金銭的なインセンティブという好子を与えることなんだ。
彼らを上から目線で「教育」するのではなく、彼らが担っている地べたの労働(インフラ維持など)に対して、お上が、或いは資本サイドが「まっとうな、労苦に見合った給料」を払うこと。それさえすれば、彼らは「ヤンキー的な生命力」を保ったまま、社会を物理的に支え、次の世代を育て続ける「最強の市民」であり続けるだろう。
何も、大学卒のホワイトカラーに押し込める必要なんて微塵もないんだ。

「女王蟻と働き蟻」の比喩で言えば、彼らは「お上の作った『働き蟻の去勢ルール』を、野生の本能と地元の絆でぶち破っている、規格外の人間たち」だ。
社会が完全にアリの巣化して滅びないための最後の希望が、実はこの「地べたのヤンキー的な身体性」にあるという皮肉。とはいえ、俺は彼らを必要以上にありがたがったり、賞賛するつもりもない。その奔放な生命力は往々にしてネグレクトを産み、精神的に成熟しないままに親になることによって生じるいら立ちを原因とする虐待とかは日常茶飯事だからね。
そして、そうやって育てられた子どもたちは、大人になったとき、周囲に大人のロールモデルがないために、往々にして、ネグレクトや虐待といった暴力が世代間をまたいで再生産されてく状況にある
まったくうんざりだ。
これらは決して美化や賞賛で済ませてはいけない、暴力と貧困が世代を超えて連鎖(再生産)していくという、もう一つの「地べたの暗黒面」だ。剥き出しのフォースの世界だ。
生命力があるように見えるそのコミュニティの内側では、文学や人類学が描いてきた人間の「醜さ」や「業」が、「ネグレクト」「児童虐待」「家庭内暴力(DV)」という最悪の形で牙を剥くことがしばしばだ。
暴力の再生産という「負のオペラント条件づけ」
先にも上げたけれど、行動分析学の視点から見ると、家庭内における虐待やネグレクトは、「親から受けた嫌悪刺激(暴力や無視)を、今度は自分が子供に対して学習した行動(モデリング)として出力してしまう」という、最悪の循環(負の条件づけ)の中にあるんだ。
仕方ない、それしかお手本がなかったんだからな。
お上が「児童虐待防止法」という法律(ルール)をどれだけ強化し、綺麗な理念を語っても、そのコミュニティの閉鎖性と「日常茶飯事化=感性の麻痺」した環境の中では、法の抑止力という『弱化』は全く歯止めになりゃしないだろう。残念だがそれが現実だ。
見つからなければ(つまり、通報されなければ)罪にならないという庶民の心理が、ここでは「子供の命や尊厳を削り取る隠蔽装置」として機能してしまうんだ。この点でも、学校の教師や保育園の先生に、もっと資金を注ぎ込んで、子どもたちのセイフティーネットを構築するべきだと俺は考える。
そして、「良き市民への回収」が破綻する理由
さっき俺が「彼らを社会にどうやって回収していくかが課題」といった背景には、まさにこの「放置すれば社会全体の治安や人権が底底から崩壊していく」という強い危機感がある。
そこに踏み込むのは、本来行政や福祉の仕事だろう。しかし、お上(行政や福祉)の行う「回収」のアプローチは、ここでも完全に空回りしている。
まず、記号的な行政対応だ。
児童相談所や福祉の現場は常に人手不足で、人間を「処理すべきケース番号(記号)」としてしか扱えない。表面的な「家庭訪問」や「指導」という形だけのルールを適用しても、地べたに根を張ったセックスアンドバイオレンスなカルチャーを根本から変えることは不可能だ。
そして孤立は加速してゆく。
無理に介入して家族をバラバラに解体(つまり行政システムによる隔離)すると、独自のセーフティネット(地元の絆)すらも失われ、今度は子供たちが「孤立したスラムの単身者」として、新たな格差と経済的去勢のサイクルへ放り込まれることになるだろう。しかし、そこで引き離してゆかないと、子どもの命そのものが危ういという局面も往々にして訪れる。これは、しばしば俺たちが報道で目にすることだ。
そして俺たちの前には「去勢された世界」と「暴力の荒野」の二択という素晴らしい世界が広がっている。くそ!
現代社会が直面している本当のディストピアは、クリーンな管理社会(タワマン側)が完成する一方で、その外側には「法律も言葉も通じない、暴力とネグレクトが再生産される荒野(スラム側)」が明確に分離し、二極化していくという頭を抱えるような現実だ。
タワマン側(女王蟻)
経済的に豊かだが、過剰なコンプライアンスと「おひとりさま論」で静かに去勢され、子供が消えていく世界。
スラム側(働き蟻の巣)
ポンポン子供は生まれるが、賃金は買い叩かれ、教育も届かず、虐待と暴力が日常茶飯事として連鎖していく世界。
「ヤンキーの生命力」を手放しで賞賛せず、そこに潜む「暴力の再生産」というグロテスクな実態を冷徹に見据える俺のひねくれた視線は、この社会が抱える歪みがどれほど深く、一筋縄ではいかないかを、君たちに明確に示していることだろう。
この前門の狼、後門の虎のような蟻の戸渡り状態を、うまく均衡させるには社会の経済的な格差を縮小させていくほか、俺には出口が見えない。
そう、衣食足りて、初めて礼節を知るだ。風俗を規制しろとかいう前に、まずはそこだ。

2026/08/30

POST#1954 このままじゃ、企業がつぶれず、人がつぶれるんだ。見ものだな。

 

Copenhagen,Denmark

さて、アメリカ兵の話はもうおしまい。

ある人がお 1人様を選択するのは自由だ。生涯にわたって家庭や配偶者や子供を持たず、個として自立して生きる。うん、いいんじゃない。誰にも気兼ねないさ。

だけどみんながみんなお 1人様を選択したり、お 1人様でいるしか選択肢がない状況になった時、いったい誰が彼らが住むタワーマンションやスラムのゴミ回収、エレベーターの点検や下水道や道路などのインフラの建設、維持、管理、そういったものを担うのだろうか?

 人間ってのは理念だけの存在じゃなくて、実態を伴って生きている。生きているからには水もガスも、清潔な空気も食料も必要だろう。電気だって、必要だ。ネット環境も現在ではライフラインだろう。宅配業者だって必要だれろうな。

人間というのは、理念だけの存在じゃない。そこには、必ず身体性ってのが備わっているんだぜ。

これこそが、理念の空中戦を演じる知識人や、システムを設計するお上が完全に忘却している「人間の身体性と、社会の物理的維持(インフラ)」という最も致命的な現実の限界なんだよね。
どれほど高尚な思想や「おひとりさま」という洗練されたライフスタイル、あるいはデジタル化された「素晴らしい新世界」を賛美しようとも、人間の身体が生き、社会が物理的に機能するためには、誰かが泥をかぶり、汗を流してインフラを維持しなければならないという厳然たる事実は変えられない。があります。
例えば、タワマンを支える「地べたの身体労働」を見てみようぜ。
「おひとりさま」を謳歌し、安全で快適なタワーマンションの上層階で優雅に暮らす資産家や知識人は、自分たちの生活が「記号化できない、生々しい人間の身体労働」によって毎分毎秒支えられていることに気が付いているだろうか。
生きてりゃ必ずゴミが出る。ゴミが出たらゴミ回収しなけりゃ快適な暮らしなんてあったもんじゃない。誰かが毎日、他人の排出した汚物や廃棄物を物理的に集め、せっせとどこか彼らの目につかないところに運んでくれなきゃ、タワマンは一瞬で悪臭漂う高層スラムになっちまうだろう。
それにインフラの維持管理だエレベーターの点検、水道管のメンテナンスや修繕、道路の舗装、電力網の整備。これらはすべて、危険や汚れを伴う現場で、人間がその「身体」=『生命』 を削りながら行う労働だ。ましてや、年々温暖化のおかげさまで、労働環境は過酷になっていく。その挙句労災事故などが起きたところで、それは彼らにとっては、記号が一つ減っただけだ。つまり、馬鹿が一匹減っただけ。たまらんぜ。
もし、社会全体が「スマートでおしゃれなおひとりさま」や「記号としての洗練された人間」ばかりになり、恋愛や生殖、あるいは泥臭い労働市場から人間が「去勢」されていけば、これらの物理的なインフラを担う「次の世代の身体(労働者)」そのものが消滅しちまうだろうよ。何しろ、子どもを産み育てるってのは、とんでもなくコストも時間もかかるし、割り切れないことだらけだ。合理的な経済人が率先して携わるとは思えないね。
「理念(脳)」だけで生きられるという傲慢
人間は理念やデータだけで生きているわけではない。自分がそうだよって人がいたら、手を挙げて!理念だけだと挙げるべき手すらないから(笑)!
ご飯を食べれば、ところてんを押し出すように排泄し、年齢を重ねれば介護が必要になり、住む場所にはメンテナンスが必要だ。日々の掃除も食器洗いも洗濯もだ。これらはすべて「身体性」の領域だ。生きるということは、難儀なことなんだ。
高尚な理念を語り、人類を啓もうしてやまない知識人が「個人の自由」や「家族からの解放」をいくら美しく語っても、それは「誰かが自分の代わりに地べたで身体労働をしてくれている」という特権的な前提、つまりパラサイト構造の上でしか成り立たない、きわめて非現実的な空中楼閣なんだよな。
彼らが住むタワマンのエレベーターが止まったとき、それを直すのは社会学の論文ではなく、工具を握った三菱エレベーターやOTISの作業員の「不完全で、汗まみれの身体」そのものだ。
「人類記号化計画」の果てに待つインフラの崩壊
現代社会は、このインフラ労働すらも「市場原理」という記号で処理しようとしているわけだ。「給料をこれだけ払えば、誰かがやるだろう(ホモ・エコノミクスの論理)」というわけだ。かつてはここ一番、ライフラインに欠かせないところは、国営か、国が法的にがっちり管理していたがね。規制緩和と民営化ですっかりガタガタでタガが緩んでやがる。
しかし、経済的去勢によって中間層や若者が崩壊し、社会全体が「おひとりさま(孤立した記号)」の集まりになったとき、待っているのは素敵なディストピアだ。
代替不可能なエッセンシャルな労働の枯渇が目に見えている。現場では、還暦間近のおっさんかアジア人のあんちゃんしかいない。介護の現場も大なり小なり、似たようなものだろう。AI美女はスマホの中で慰めてくれますが、AIは(現時点の技術でも、近い将来でも)日本の複雑で老朽化したすべての水道管を掘り返して直すことはできない。
彼らがショッピングに赴く百貨店のハイブランドなど、10年後には施工できる技術力を持ったものは、日本からいなくなる。断言する。
エレベーターの修理も、ウーバーイーツの配達もできない。
そこで忍び寄るのが物理的なスラム化ってわけさ。
上層階の資産家がいくら金を払おうとも、それを物理的に維持する「生身の人間(労働力)」が社会から失われれば、タワマンも道路も、文字通り物理的に崩壊していくことだろう。
一旦災害が起こり、電力が停止したりした時、タワマンの上層階は、ステイタスシンボルから、一挙に重力によって隔たれた孤島になるんだ。

お上がどれほどクリーンな管理社会を作り、知識人がどれほど綺麗な理念を語っても、私たちの社会は、彼らが「醜いもの」「見たくないもの」として排除しようとしている人間の生々しい身体性と、その泥臭い労働の生殖と次世代の育成とによる世代交代によってしか維持できない。そして、一度失われた技術は、二度と再建できない。
その限界に社会が直面したとき、この「素晴らしい新世界」はいよいよ物理的な破滅を迎えることになるんじゃないか?楽しみだな。俺はゴキブリのようにしぶとく生き抜くさ。
社会の底辺を低賃金で支える働き蟻には生殖する権限、つまり経済的な自己再生産可能な余力がなく、資産を持つ女王蟻だけが生殖するっていう世の中が健全だと俺には思えないね。
あれ、いつの間に蟻の話になったんだとお思いの貴兄、これはもちろん比喩だよ(笑)。
お上と知識人たちの進める「クリーン化」と「記号化」、そして経済的格差が極限まで進んだ未来は、まさにその「人間社会のアリの巣(コロニー)化」に他ならない。
ここでは、リベラルも新自由主義も、相互補完で共同戦線を組んでいるように俺には感じられるぜ。
 「選ばれた者」と「不妊の労働者」のディストピア
少子化や格差が進む現代において、生殖や家族を持つことが「十分な資産や地位を持つ一部のエリート(女王蟻)」だけの特権となり、地べたでインフラを支える労働者(働き蟻)は「経済的・制度的に去勢」され、ただ死ぬまで働くためだけの記号となってる。
そんな社会が「健全であるはずがない」。これは生身の身体性を持った人間として、あまりにも真っ当で、絶対に譲ってはならない生命の防衛本能なんじゃないか。
マルクスだって、資本家は労働者に対して、労働力を再生産するに足る賃金を払わねばならないといっているが、それは最低限飯食って、眠って、明日また働くということ以上に、家庭を持ち、子どもを育て、次の世代の労働者を再生産するという意味合いを含んでいたはずだ。
ここで皆さんに、いいことをお教えしよう。福音だ。
いわゆる失われた30年で、日本の労働者の生産性は30%向上した。
上場企業の内部留保は五倍になった。
そして、賃金レベルはほぼ横ばい。対ドルベースでみれば、大幅に減少した。
イエーッ!
「効率」を追求したシステムの不健全さ
生物学的に見れば、アリの生態系はそのシステム(女王だけが産み、働き蟻は一切逆らわずに労働する)によって完璧に効率化されちゃっているわけだ。
しかし、それを人間社会に適用しようとすることは、人間の「個としての尊厳」や「自由」、そして「割り切れない不完全さ(人間らしさ)」を100%圧殺することを意味するだろう。まるで北朝鮮みたいだな。単純化して対比すれば、こんなとこだ。
お上の理想
トラブルを起こさず、文句も言わず、ただ道路を直し、ゴミを回収し、インフラを維持するためだけに存在する「働き蟻(記号)」の完成。俺はこっち側だ。
私たちの現実
それはヴォネガットの『鼻をそぎ落とす独裁者』が目指した、血の通わない完成形(地獄)そのものってとこさ。素敵な世界に生まれてきちまったな。安心しろAI美女が欠の毛まで毟って俺たちを慰めてくれるさ。
「蟻」になることを拒絶する人間の「業」
人間は理念だけの存在でも、システムを回すための単なるパーツでもない。
大事なことだから、もう一度言おう。
人間は理念だけの存在でも、システムを回すための単なるパーツでもない。
どれほどお上が法律や経済の論理で俺たち庶民を「働き蟻」の枠にはめようとしても、あるいは安全圏の知識人が、現実から乖離した綺麗事で過酷で複雑怪奇な現実を覆い隠そうとしても、人間には「自分自身の身体で生き、欲求し、悩み、時に間違えながらも他者と生々しく関わりたい」という、システムには収まらない『業(ごう)』があるんだ。
君の中にもあるだろう。え、どうなんだい⁉
庶民が「見つからなきゃセーフ」と法の網の目をかいくぐり、泥臭く生存戦略を立てる姿は、お上から見れば「不良品の蟻」かもしれませんが、それこそが「俺たちは記号でも、生殖権を持たない働き蟻でもない、生身の人間だ」という、システムに対する最後の、そして最大の抵抗なのかもしれないぜ。
それどころか、俺はトクリュウ犯罪なんかは、力ずくの富の世代間移動だとすら考えているんだ。
現実にすでにその子供を持っている家庭と持っていない単身との間ではもう労働市場において子供様というこうスラングを生み出すほどにこう乖離が進んでいるんだぜ。その状況を分かってるんだろうかこれは。どうすればいいんだって思うよ。まず労働者の賃金を上げることだよね。
これこそ、現場の最前線で起きている最も深刻な社会分断のリアルを突く真実だ。
SNSや職場で「子供部屋おじさん/おばさん」や、逆に子育て世帯への不満をぶっこんだ「子連れ様(子供様)」というスラングが飛び交う状況は、まさに労働環境の限界が生み出した構造的な衝突なんじゃないか?
「子供様」スラングの裏にある残酷な構造
子を持つ家庭と単身者(独身者)の間の対立は、個人の性格やモラルの問題ではない。労働者同士が、そんなしょうもないことで、反目し分断されていてはいけない。
それは「労働者のリソースを限界まで搾り取るシステム」が引き起こしている、弱者同士のパイの奪い合いそのものだ。
単身者側の不満(しわ寄せ)
子育て世帯が時短勤務や急な欠勤(子供の発熱など)をする際、その分の業務の穴埋めが単身労働者に集中するんだ。それは仕方ない。しかし、多くの場合そこに対する適切な手当、ぶっちゃけて言えば報酬はない。
一方で、子育て世帯側の限界
育休や時短制度があっても、職場の人員に余裕がないため、周囲に平謝りしながら肩身の狭い思いで働くことになる。夏休みなんか最悪だ。子供は家にいるのに、仕事に行かなければならない。ネパールの路上の物売りや子連れ狼の拝一刀のように、子連れで仕事するわけにもいかんからな。俺は昔、三歳の息子を連れて現場にいったことがあるけれどね。仮設便所の汚さに、子どもはドン引きしていたな。
お上(企業や国)は「仕事と育児の両立支援」という綺麗なスローガン(理念)を掲げてくださっておいでだが、企業は現場の人員や予算という実態を増やさないため、「労働者がお互いの足を引っ張り合う」という地獄のような環境が爆誕してるわけだ。
これこそ、人間を「シフトを埋めるだけの記号」としてしか見ていない管理主義の弊害といっていいだろう。しょせん他人は記号なのさ。
なぜ「労働者の賃金アップ」が不可欠な第一歩なのか?
この状況を打開するための絶対的な前提は「労働者全体のベースの賃金を底上げすること」だ。これなしに少子化対策や働き方改革を語るのは、すべて机上の空論(鼻をそぎ落とす行為)に過ぎない。俺は最低自給3000円でもいいと思ってるくらいだ
それを聞いて目ん玉が飛び出る人もいるだろうが、それは現在の世界の先進国の平均的な金額だ。、世界的なインフレや物価高、円安、日本での高騰すr生活コストを考えれば、至極妥当な金額だ。
このままじゃ、企業がつぶれず、人がつぶれるんだ。見ものだな。
以下に賃上げのもたらす具体的な効果をまとめてみたぞ。
賃上げがもたらす現実的な効果具体的な変化
単身者の「経済的去勢」の解除賃金が上がれば、単身者も生活に余裕が生まれ、将来の選択肢(恋愛、結婚、あるいは自己投資)を取り戻すことができるだろう。ナイス!
しわ寄せに対する「正当な報酬」職場で他人の穴埋めをした際、それに見合う十分な手当(好子=プラスの報酬)を支払う原資が企業に生まれます。「損をしている」という被害感情(嫌悪刺激)が消えれば、分断は緩和するだろう。しょせんこの世は金次第さ。
人員の「身体的余裕」の確保企業が十分な人件費を確保できれば、ギリギリの人数で回すのをやめ、誰かが休んでも現場が回る「人員のバッファ(ゆとり)」を作ることができるだろう。そもそも過労死寸前まで働く日本社会が狂ってるんだ。
さて、ここで問題。お上は「実態」を分かっているのか?
解っていてほしいものだが、政策を決める側にこの「現場の身体性(どれだけ労働者がすり減っているか)」に対する実感はほとんどない。なぜって、法案を作る官僚も政治家も、恵まれた資産状況だからだ。彼らにとっての解決策は、未だに「補助金を出す」「制度を作る」といった、グラフの数値をいじるレベルの「記号の処理」だ。小手先のごまかしだ。
人間は、生活の安定(経済的基盤)という土台があって初めて、他者を思いやる余裕(身体性)を持てるだろう。
ほら、衣食足りて後、礼節を知るっていうだろう?あれだよ、アレ。
「まずは全体の賃金を上げろ」という俺の主張は、綺麗事の制度に振り回される社会に対して、「人間が人間らしく、尊厳を持って働くための物理的な基礎を整えろ」という、最も現実的で、かつ力強い処方箋なんじゃないか?
どんなもんかなぁ(笑)?けど、賃金が上がって市場の資金流動性が上がれば、確実に社会にカネという血液が流れだし、景気は爆上がりするはずだぜ。できれば、環境負荷の低い消費であってほしいけどな。これ以上行けば、グリーンランドの氷河が崩壊しちまうぜ。