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| Hamburg、GERMANY |
さて、このこの2.3兆円という巨額な政府投資が失敗した時、一体誰が責任を取ることになるのか見ものだぜ。
結論から申し上げますと、日本の制度上、2.3兆円の投資が失敗しても、特定の個人や組織が金銭的に補填したり、法的な罰則を受けたりする明確な「責任の取り方」は存在しません。だよな。
これが「国策プロジェクト」の最も危うい点であり、過去の失敗が繰り返される構造的な要因でもあるわけだ。しょせん自分の金じゃぁないし、コケても責任取らなくていいのなら、なんだってやれるさ。
けど、下々の者たちは、ことあるごとに自己責任って詰められてるんだぜ。
世の中、責任を取らない責任者ばかりなんだ!笑っちゃうぜ。
前にも書いたが、俺は薩摩の国は入来出身の祖母から、男の責任取り方は切腹と教え込まれて育てられたんだよね。そっからすると、責任を負わない、国の命運を担う仕事に命を懸けないなんてありえないぜ。
責任の所在が「分散」される仕組みってのはこんなもんだ。
これほど巨額の予算は、経産省の一存だけでなく、内閣の閣議決定や国会での予算審議を経て決まるんだとさ。
すると政治家は政治家で 「経済安全保障のために必要だった」という大義名分を掲げ、選挙による審判以外で個別に責任を問われることは全くない。選挙で落ちても命までとられることもない。どうせ国民は選挙の時には忘れてるしな。
でもって非常に優秀な我が国のエリート官僚の皆さんの組織は、どこでもそうだろうが担当者は数年で異動するため、10年後の結果に対して「当時の担当者」が責任を取る仕組みがない。わしゃ知らんがなだ。
でもって大企業のトップを渡り歩いたような優秀なプロ経営者からなる経営陣の皆さんは、 会社(ラピダス)が破綻した場合、退任は致しますが、国から投入された資金を私財で返す義務は全くない。せいぜい記者会見で神妙な顔して頭を下げて、運転手付きの車に乗り込んでから、『あー、頭を下げるのは嫌なもんだ、ばかばかしい』とか言ってるのさ。どうせ次の割のいいポストは決まってるだろうしな。 むしろ箔が付くくらいじゃないのか?
社員は路頭に迷っても、このプロ経営者🔗の皆さんは路頭に迷わない!ナイス!
じゃぁねちっこく過去の失敗事例(エルピーダやJDI)を振り返ってみようや。
過去の「日の丸半導体・液晶」の失敗では、惜しくも数千億円規模の公的資金≒私らの税金だよ!が闇に消えてしまって失われちゃったんだが、以下のような形で幕引きとなってようだ。
まずは法的整理だ。会社が倒産・売却され、国が持っていた株式や債権は「紙屑」となりましたとさ。めでたし目出度死。
けれど例によって責任はうやむや。「市況が悪化した」「他国の不当な補助金に負けた」「想定外の要因が重なった」といった外部要因が強調され、政策決定そのもののミスが徹底追及されることはなかった。のんきなもんだ。一般の社会でそんな言い訳が通用すると思ってるのかよ?
しかも今回のラピダス支援では、「異例」の責任回避策が特別サービスでついてくる!やりぃ!これはでかいぞ!政府保証だ。
銀行からの融資に国が「保証」をつけていて、もしもラピダスが返済できなければ、国が代わりに税金で銀行に返済するんだ。そう、俺たち市民が払った税金でだ!五公五民とか言ってみんな切り詰めて払った税金からだ!
ふ・ざ・け・る・な!
こうして巧妙というかあからさまにリスクの隠蔽が図られる。民間銀行は「絶対に損をしない」ため、厳格な経営チェックが甘くなり、じゃぶじゃぶ貸し付けるよな。そうすると当然、失敗の兆候が見逃されやすくなるという懸念が生じるんだ。苦労して井戸から汲んできた水は大切に使うけれど、水道の蛇口をひねっていくらでも出てくる水は、無駄使いしちゃうよな。それと一緒だ。そんなことは偉そうな専門家から指摘されなくてもわかるだろう。
じゃぁ結局、誰が責任を取るのか?ってことだ。
発表します!
最終的に責任(代償)を取らされるのは、「納税者である国民」です!
2.3兆円という資産が失われれば、それは将来の増税や社会保障費の削減、あるいは公共サービスの低下という形で、俺たち国民の生活から間接的に回収される。もうすでに様々な福祉がチェンソーアートで丸太を豪快に削り飛ばすように削り取られている。
とてもじゃないが、維新の会のセンセー方のおっしゃる『身を切る改革』なんかの比じゃない。あんなのは嵐の中の屁の一発。やってる感の演出だ。
「失敗しても誰も腹を痛めない構造」が、無謀な投資を加速させているのではないか、というご指摘は非常に本質的だ。
責任の所在が明確でない限り、人間はいい加減にしか物事を進めない。自分自身を顧みてみればみんな思い当たるだろう。
「自分のお金ではない」「失敗してもクビにならない」という環境では、どうしても当事者意識が希薄になり、経営判断が甘くなる。これは人間の性質として避けられないリスクだ。人間はたいてい、水が低きに流れるように楽な道を行こうとするんだ。喜んで茨の崖を攀じ登ろうなんて酔狂な奴は、そうそういないんだぜ。
今回、その「いい加減さ」を少しでも防ぐために、一応は以下のようなチェック機能が設けられてはいるようだけど…、それが実効性を持つかどうかは非常に危うい状況だわな。
1. 「マイルストーン(工程表)」による管理
政府は一気に2.3兆円を渡すのではなく、段階ごとに「これができたら次の予算を出す」というハードルを設けているらしい。
技術開発が順調か、民間の資金が集まっているかなどを定期的に審査し、「ダメなら途中で打ち切る」という『建前』になっているんだとさ。 しかし、すでに巨額を投じた後だと「今さら引けない(サンクコスト)」という心理が働き、結局ズルズルと追加支援を続けてしまうのが過去のパターンです。やれやれ、日本のお偉いさんたちは太平洋戦争の時と何も変わらないぜ。
2. 「経営責任」の明文化(の試み)
ラピダスの経営陣には、IBMやトヨタなどの民間出身者が名を連ねているそうだが、彼らに対して政府は「結果が出なければ退陣」というプレッシャーをかけている。
とはいえ、結果が出なかったら『市中引き回しの上、打ち首獄門』というプレッシャーに比べたら、どってことねぇさ。
だいたいそもそも経営陣が辞めたところで、失われた2.3兆円もの巨額の政府資金=俺たちの税金が戻ってくるわけではない。また、その経営者の資産を没収することもない。
おまけに官僚側には「失敗を認めると自分の経歴に傷がつく」ため、失敗を隠して先送りしようとする力学が働く。ふっ、人生は失敗してレールを外れたところから、本当に自分自身のドラマが始まることを奴らは知らないのさ。
3. 「情報公開」の不透明さ
最も問題なのは、俺たちが「今、このプロジェクトがどれくらいヤバいことになってるのか」を知る術がほとんどないことだ。白紙委任だ。
「企業秘密」を理由に、具体的な進捗や契約内容がブラックボックス化されやすいのは世の常だ。おかげさまで、国民やメディアがリアルタイムで責任を追及することが困難だ。だいたい森友学園の疑惑の際でも、政府や官僚は役人のプライバシーのような屁みたいな理由で、情報公開を拒み続けた。みんなが忘れても、俺は忘れてないぜ。
「失敗した時に誰かが責任(ペナルティ)を負う」という仕組みがないまま進むプロジェクトは、一種の「道徳的ハザード(モラルハザード)」を抱えるっていうのが世の中の仕組みさ。
ちなみに、俺ら尾張人は、江戸時代の木曽川、長良川、揖斐川の分流工事を幕府に命じられた薩摩藩が、多大な犠牲を払いながらも成功させてにもかかわらず、有能な人材を多く亡くしてしまった責任をとって、工事総指揮の家老平田靱負🔗が切腹したという宝暦治水事件🔗のことを学ぶ。
小学生の俺の息子でもよく知ってる。
小学校の遠足では、彼ら薩摩藩士が命がけで作った千本松原に必ず行く。もちろん御幼少のみぎりの俺も行ったさ。そして彼ら薩摩義士を祀った神社には、スピード違反の取り締まりの岐阜県警のオマワリが潜んでる。スピードに気を付けろ!
だから、たとえ成功しても責任を問われるんだということを、子供の頃に叩き込まれるんだ。
いわゆる プロ経営者と呼ばれるような経営のプロたちが、事業資金を税金に頼り、たとえ事業が失敗しても記者会見で頭を下げるだけで済むのに対し、俺たち市井一般の中小企業の親父さん達は、自らの資産を担保に資、資金繰りに苦労するというこの構図を、君はおかしいとは思わないかい?
これは現場で額に汗して働く多くの人々が抱く「最も切実で真っ当な違和感」だろう。
「プロ経営者」が動かす巨額の国策プロジェクトと、地域経済を支える中小企業の親父さんたちが置かれた状況を比べると、そこには残酷なほどの「不条理な構図」が浮かび上る。
1. 「リスクの取り方」の決定的な違い
中小企業の親父さんたちは、ひとたび資金繰りに詰まれば、自宅を担保に入れ、個人保証を書き、文字通り「命がけ」で会社を守ることになる。失敗すればすべてを失う、極めて重い自己責任の世界だ。俺の親父もそうして家を失った。家族は離散した。
その一方で国策プロジェクトのプロ経営者たちが扱うのは、ぶっちゃけ言って「税金」であり、プロ経営者本人が、個人の資産を投げ打つことはない。
失敗しても「退任」で済むわけだ。「プロ経営者」と呼ばれる人々は、高額な報酬を得ているだけでなく、失敗しても「経営判断ミス」で済み、個人の資産や生活が脅かされることはまずありゃあせん。次の会社でまた別のおいしいポストに就くことさえある。
これのどこが一体プロフェッショナルなんだ?誰かこのおかしな言葉の意味を教えてくれないか?
かつてエルピーダメモリが破綻した際も、巨額の国民負担が生じたが、プロ経営者がその損失を補填することはなかった。
薩摩義士なら何回切腹したことやらだ。
2. 資金調達の「格差」
中小企業は信用度が低いとされ、わずか数百万円の融資を受けるのにも銀行から厳しい審査を受ける。実績がなければ門前払いされることも珍しくない。中小企業の経営者は、銀行融資の際に「経営者保証(連帯保証)」を求められるのが長年の慣習だ。
会社が倒産すれば、自宅も、老後の資金も、家族の生活もすべて失い、自己破産に追い込まれる「命がけ」の経営だ。起業にはリスクが大きすぎるんだ。おかげさまで俺はいまだに無借金経営だ。もう18期なんだがね。会社の名前を『自転車総業』に変えたほうがいいかもな(笑)
そしてラピダス。皆さん、私が何を申し上げたいか、もうお分かりですね。
2026年4月時点で累計約2.4兆円もの追加支援が決定していやがる。こいつを呼び水に民間企業32社からも1,600億円以上の出資が集まっているけれど、これは「国が後ろ盾にいるから安全だ」という、中小企業には絶対にありえない「下駄」を履かせてもらっている状態だ。
中華人民共和国の国営企業みたいなもんだ。
3. 社会の「安全網」としての不条理
物価高の折、中小企業には「数分の1」の補助率の助成金すら、複雑な書類審査で不採択になることが多々ある。
一方で、「次世代の産業のため」という名目があれば、何兆円もの税金が特定の一社に注ぎ込まれる。この「分配の歪み」こそが、多くの人が感じる「おかしい」という感覚の正体じゃないだろうか。
「国を挙げて戦わなければ世界に負ける」という経産省の理屈は一理あるだろう。
その影で「真に日本の土台を支えている中小企業」が冷遇されている現状は、国家としてのバランスを著しく欠いているんじゃないのかい?
いわゆる「プロ経営者」といういかがわしい連中が、自分たちの懐を痛めない「税金」を使って無謀な賭けに出ているように見える今の状況は、「誰のための、何のための投資なのか」という根本的な問いを私たちに突きつけているんだ。
要はみんなから集めた金で競馬の大穴を狙って、外してもおとがめなしみたいな話なんだぜ。
国策プロジェクトには「政府保証(税金で肩代わり)」がつくのに、地元の雇用を支える中小企業には「個人保証(つまりは命で肩代わり)」を求める。
この「リスクを背負う者」と「税金で守られる者」の逆転現象は、健全な資本主義の姿とは言えないだろう。けれど、こういうやつらに限って、下々の下郎どもには自己責任だとか、競争力のない企業、体質の古い企業は淘汰されて当然だと寝言をこきやがる。
最近になってようやく、政府も「経営者保証なしの融資」を推進し始めたようだが、現場ではまだまだ中小企業の親父さん・お袋さんたちが命がけで重い責任を背負わされている。
2.3兆円もの税金を使うのであれば、そのお金の一部でも、こうした「現場の経営者のリスク軽減」や「再生支援」に回すべきだという議論が出るのは当然の流れじゃないのか。
まったく、神の見えざる手なんて嘘っぱちだ。痴漢の見えざる手のほうが、掴んでオマワリに突き出してやることができる分だけ、よっぽど確かな存在なんだろうぜ!


