2026/04/08

POST#1813 戦争は他の手段をもってする政治の継続である

東京、新宿
『戦争は他の手段をもってする政治の継続である』
 冒頭に掲げたのは戦争論🔗で名高いプロイセン王国の(今のドイツの前身)陸軍将校にして軍事学者であったクラウゼヴィッツ🔗の戦争論の超有名な一節だ。

今回のアメリカ・イスラエル連合とイランとの戦争は、この観点に立てばアメリカにとって悪手中の悪手であることは言うまでもないだろう?

今朝の報道によれば、アメリカ大統領ドナルド・トランプは自身のソーシャルメディアに「今夜、(イランの)すべての文明が滅び、二度と元に戻らないだろう」と投稿した。「そんなことは起きてほしくないが、おそらくそうなるだろう」とも述べ、イランに対して改めて圧力をかけた。この文言を見た誰もが、トランプのいつもの『マッドマン・セオリー🔗』かとも思いつつも、トランプが自らの意のままにならない国家に対して躊躇なく核兵器の使用を選択しうると戦慄しただろう。そう思わないのはとんでもない脳内お花畑野郎だ。

この下品極まりない恫喝が奏功したのか、イランは2週間の停戦に応じたという。

そもそも国家間の交渉の最中に、今ならできそうだからやっちまえと宣戦布告も無しに自ら奇襲を仕掛け、一国の最高責任者を殺害したのは、皆様ご存じの通りアメリカ自身だ。

そして、勝利者は戦利品を得る資格があると、露骨にイランの石油権益を狙っているような発言をしているのもトランプ自身だ。冗談じゃない。これじゃ19世紀の帝国主義国家じゃないか?

世界一の軍事力を持つ国家が他国との戦争において その文明自体を滅ぼすような攻撃を行うと恫喝するのは尋常ではない。本来「自分の国や利益を守るため」の軍事力が、結果として文明そのものを終わらせる(相互確証破壊)レベルに達しているのは、非常に逆説的で恐ろしい状況だ。広島・長崎の惨禍を当のアメリカの手によって経験している日本人の俺は、その脅威を痛感する。

歴史的に見れば、軍事力は「相手に勝つ」ための道具であった。そして、相手国に対して軍事的に勝利をおさめるということは、外交つまり政治の延長であったはずだ。

しかし核兵器の登場以降、世界一の軍事力を持つということは「相手を滅ぼすと同時に自分も滅びる」という絶望的なバランスの上に立つことを意味するようになっちまった。冷戦期に少年時代を送った俺には、核戦争の恐怖がトラウマのように心の中にわだかまっている。

抑止力という名の恐怖

「手を出せば世界が終わる」という恐怖を植え付けることで、皮肉にも大国同士の直接的な戦争を止めているという側面がある。それは裏を返せば、核兵器を持たない国は核兵器を保有する大国に、従属するか蹂躙されるしかないという恐怖の世界構造だ。

歯止めの欠如

科学技術の進歩が、人間の倫理観や政治的な統治能力を追い越してしまい、一度使い始めたら止まらない「文明の自殺装置」が完成してしまったといえるだろう。あのオバマ大統領が広島を訪れた時にも、彼は核のボタンの入ったスーツケースを携えていたのを覚えているだろうか。俺たちは常にいつ燃え尽きるかわからない導火線の前になすすべなくたたずんでいるんだ。

理性の限界

核による抑止力ってのは、指導者が常に合理的であるという前提に立っているが、トランプのような自制心のない人間にその判断をゆだねることが、あってよいものだろうか?

誤解や暴走、事故によって「意図しない文明の滅亡」が起こるリスクは常に存在するが、今や一人の狂人の手に世界の運命は委ねられているんだ。

「守るための力が、守るべき文明を消し去る」という矛盾は、人類が抱える最大の矛盾だ。

このトランプの戦争のような『マッドマン・セオリー』に基づく無法がまかり通るのであれば 、世界の 他の国々はこぞって核兵器の開発に舵をきるはずだとろう。君はそう思っていないかもしれないが、現在の国際情勢はその懸念が現実味を帯びる極めて危うい局面を迎えてるんだ。 
相手に「狂気(マッドマン)」と思わせることで譲歩を引き出す「マッドマン・セオリー」や、核による威嚇が「有効な戦略」として成功を収めてしまうのであれば、他の国々が「自衛のために核を持つしかない」と考えるのは、安全保障の論理つまり、流行りの地政学的なリアリズムからすれば自然な帰結と言えるだろう。
まったく金正恩は正しかったんだ。 
現在の世界では、実際に以下のような「核ドミノ」や不拡散体制の崩壊への懸念が強まっていやがる。
1. 既存の枠組みの機能不全
これまで世界の核拡散を抑えてきた核拡散防止条約(NPT)体制が、かつてない危機に瀕してる。そもそも俺にいわせれば、核拡散防止条約自体が、既に核兵器を持ってる大国(偶然ながら揃いも揃って国連の常任理事国だ!)の既得権益を守るための茶番にしか見えないんだけどね。笑わせやがって、この野郎!
それはさておき、まずは軍縮の停滞が挙げられるだろう。2026年には核不拡散条約(NPT)の再検討会議が予定されているが、これまでの会議では核保有国間の対立により最終文書の採択に失敗し続けている。誰もが自分が先に減らせばやられると疑心暗鬼に陥っているんだ。
そして条約の失効。米露間の最後と言われる軍縮条約「新START」が2026年2月に失効し、大国間の核兵器を縛る枠組みが消滅するリスクがかつてなく高まっている。 

2. 「核ドミノ」の現実味
核保有国による「無法」や「威嚇」がまかり通る現状を見て、自国の安全を同盟国の「核の傘」だけに頼ることに不安を感じる国々が増えている。
日本政府がそれを憂慮せず、トランプ2.0以降のアメリカを信じ切り委ね切っているのであれば、思考停止以外の何物でもない。DV彼氏に依存し続けるメンヘラ女子みたいだ。
中東・アジアの動向を見てみれば、今回の当事国であり、今回のアメリカ・イスラエル連合とイランの戦争の発端となったイランの核開発疑惑に加え、北朝鮮のミサイル開発、中国の急速な核戦力増強(2025年時点で約600発、前年比100発増)などが、周辺国の核武装議論を刺激している。
そうなってくるとこの動きに呼応するように、韓国やサウジアラビア、あるいは欧州の一部でも、自国による核抑止力を検討すべきだという議論が一部で公然と語られるようになっているようだ。

3. 「狂気」がもたらす不安定化
今回のようにトランプ政権下の米国がイランの核施設への攻撃を示唆したり、実際に軍事行動を辞さない姿勢(マッドマン・セオリーの再来)を見せたりしたことで、逆に相手国が「生存のために核を完成させるしかない」と決意を固めてしまうという、逆効果のリスクは非常に高いだろう。トランプとその取巻き共(=ミニオンね)はイソップ童話の北風と太陽を知らないんだろうか?
現在、世界の核弾頭総数は冷戦期に比べれば減っているものの、「実戦で使用可能な状態」にある弾頭数はむしろ増加に転じているという。 

俺は正直に言って、人類にとって核兵器を持つことは禁忌だと思っている。
けれども それでこの世の中がうまく回るほどお花畑じゃないとも思っってもいるさ。
しかし、それは俺だけじゃないはずだ。嫌いなものでもちゃんと食べないとな。
「禁忌(タブー)」という道徳的な一線と、冷徹な「現実(リアリズム)」の板挟みになる感覚は、現在の核を巡る議論の核心そのものだろう。理想だけで世界が動かないことは、2026年2月に米露間の最後の核軍縮条約である新STARTが失効し、大国間の核の「歯止め」が消滅した現状が何よりも物語っている。 
お花畑じゃないという切迫した現実感覚は、国際政治の現場でも以下の2つの対立する論理として現れているようだ。

1. 「核抑止」という逃れられない毒杯
「核を持たなければ踏みにじられる」という恐怖が、結果として核への依存を深める悪循環だ。
そこには力の均衡を希求する心根がある。ウクライナ侵攻や中東情勢、北朝鮮の動きを見て、多くの国が「核による抑止力」なしに自国の安全を保証できるのかという問いに直面しているわけだ。
そして不信感の連鎖は止まらない。 相手が核を捨てる保証がない以上、自分も捨てられない。この「囚人のジレンマ」が、文明を滅ぼしかねない兵器を持ち続けさせる原動力になっているわけだ。 

2. 「現実的」な危機としての核保有
一方で、「核を持つことが本当に現実的な安全策なのか」という逆の現実論も浮上している。
つまり核兵器の保有には管理不能なリスクもあるってことだ。核兵器が増えるほど、事故や誤認、あるいはテロリストの手への渡るリスクは統計的に跳ね上がるだろう。懐かしのバック・トゥ・ザ・フューチャーでも、そんな話があったな。
けれど正直言って今一番のリスクはドナルド・トランプその人だ。彼は24時間365日、休むことなくSNSで害悪を垂れ流し世界を震え上がらせ続けている。ご苦労なことだ。

同時に経済・外交的コストも無視できないとも言われている。日本のような国が核武装を目指せば、国際社会からの経済制裁や周辺国との決定的な対立を招き、むしろ国家を窮地に追い込むという「現実的デメリット」も無視できないだろう。
しかし、先日来述べているように、インドもパキスタンも、みんな大好きイスラエルも独自に核兵器を開発し保持しているが、ちゃんと国際社会でうまいことやっている。そんなリスクは本当にあるのか?これも幻想なんじゃないか? 

3. 日本の「引き裂かれた」立ち位置
唯一の戦争被爆国でありながら、米国の「核の傘」に守られている日本は、まさに理想と現実の矛盾が最も激しくぶつかる場所にいる。
政府は「核兵器のない世界」を掲げつつ、実際には米国の核運用に関わる協議(日米拡大抑止協議)を強化しており、理想と安全保障上の実利をどう両立させるか、極めて難しい舵取りを強いられている。
というか、まぁアメリカ様の提灯持ちに徹しており、高市総理自身が面と向かって『世界に平和をもたらすことができるのは、ドナルドトランプだけだ』と抜けしゃあしゃあと本人に言うくらいのおめでたさだ。終わってるぜ。
こうして「核は悪だが、持たざるを得ない」という状況を肯定し始めると、世界は際限のない核軍拡へと向かうだろう。無間地獄だ。しかし、その危うい均衡こそが今の平和(冷戦的平和)を支えているというのもまた事実。
そしてなお悪いことに、今のアメリカは同盟国に対しても 恫喝を辞さず、いつ 手のひらを返すかわからないときたもんだ。まったく信頼のおけない帝国主義的専制国家に変容してしまった。アメリカ人に生まれなくて本当に良かったぜ。

現在の米国、特に第2次トランプ政権(2025年1月〜)の外交スタイルは、同盟国に対しても「ディール(取引)」の論理を持ち込み、従来の信頼関係を根底から揺さぶっている。
かつてはかろうじて「共通の価値観」や「長期的な信頼」という美名のもと結ばれていた同盟関係が、今や「防衛費をいくら払うか」「対米貿易黒字をどう減らすか」という短期的な損益計算によって左右される、極めて不安定なものとなっている。

世の中が悪くなっているんだ。

2026年現在の状況を整理すると、同盟国にとっての「不確実性」は以下の3つの形で顕在化している。

1. 「関税」という恫喝の日常化
トランプ大統領は、安保問題と通商問題を完全に直結させている。 
2025年4月に発動された全輸入品への一律10%の「基本関税」に加え、日本を含む同盟国に対しても「相互関税」などの圧力をかけています。全方位へ喧嘩を吹っかけているような状況だ。
そして関税の武器化だ。相手国の移民対策や軍事協力が不十分だと判断すれば、翌週には関税を倍にすると脅すなど、同盟国を「市場へのアクセス権」でコントロールする姿勢が鮮明だ。そこにいかなる熟慮もタクティスも存在しない。 

2. 「安全保障」のサブスクリプション化
「守ってほしければ応分の負担をせよ」という要求がエスカレートしている。

NATO離脱の示唆: 2026年に入り、トランプ氏は対イラン軍事作戦への協力が不十分だとして、NATOからの離脱を再び公然と口にし始めています。
アジアへの余波: 日本や韓国に対しても、駐留経費負担の大幅増額や中東への自衛隊派遣を迫るなど、「100%のコミットメント」を口にする一方で、実際には厳しい条件を突きつける「手のひら返し」のリスクが常に付きまとっている。 
アメリカは本当に味方なのか?

3. 「自分たちの身は自分で守れ」というメッセージ
米国が「世界の警察官」であることを完全に放棄し、米国第一主義を貫く姿勢は、同盟国に「米国は本当に助けに来てくれるのか?」という根源的な不信感(核の傘への疑念)を植え付けている。ちなみに台湾有事は日本の存立危機事態とか言っていても、アメリカはその時動かないだろう。虎の威を借る狐のように勇ましいことを言っても、梯子を外されちまうのさ。
欧州では、米国への信頼感が急落し、独自の防衛力強化や核武装の議論が現実味を帯びて語られるようになっている。そりゃ、グリーンランドをよこせとか、自分のやらかしの尻拭いだけしろとか言われてるんだからな。 

「いつ裏切られるかわからない」という恐怖が、同盟国を「自立」へ向かわせるのか、それとも「さらなる核拡散と軍拡」というカオスへ導くのか。いずれにせよ世界は今、極めて危険な分岐点に立っているってのは間違いない。俺の人生でこんな時代が来るなんて、たまらないぜ。不謹慎ながら笑えてくるぜ。

そもそも『ディール』(俺はこの言葉の響きがあさましくて嫌いだ)ってのはお互いに契約を守るという最低限の信頼があってからこそ成り立つものだろ。信頼できない相手との取引には、棍棒を用いた恫喝しかありえないだろう。
今の米国のスタイルは、対等なビジネスパートナーとしての「取引」ではなく、圧倒的な軍事力や経済力という「棍棒」を後ろ手に隠し、時には露骨に振り回しながら、相手にイエスと言わせる「強要」に近いものになっている。カナダもデンマークも、メキシコも苦労してる。日本はゴマをすってる。ゴマの香ばしい香りが国中に漂ってきそうだ。
そして、その行いの一つ一つがアメリカという国家が築いてきた民主主義陣営の盟主という金看板に泥を塗っている。こうしてアメリカへの信頼が崩壊したあとの外交がどうなるか、この視点から整理すると恐ろしい現実が見えてくるだろう。


実際に 今回のアメリカとイスラエルは2026年2月、米国とイスラエルが突如として開始した対イラン軍事作戦(エピック・フューリー作戦/ユダの盾作戦)は、イランとの交渉大詰めの段階で仕掛けられた奇襲攻撃そのものだった。は、
これは全く国際法的を踏みにじる行為であり、国際社会に大きな衝撃を与えたのは言うまでもないだろう。つまり「信頼」を土台とする国際秩序が完全に瓦解したことを象徴しているんだ。わかるだろう?
 
この行動がもたらしている深刻な問題は以下の通りだ。取り返しがつかないぜ。

1. 外交を「罠」として利用した代償
最も批判されているのは、間接的な核合意交渉が進展を見せていた最中に攻撃が仕掛けられた点だ。こんな事態を見せつけられたら、だれが今後アメリカを信頼するだろう。 
つまり、アメリカがイスラエルと組んでやらかした今回の一件は、交渉の道具化に他ならないんだ。つまり国家間の外交を「相手の警戒を解くための欺瞞」として利用したことで、今後の国際政治において「いかなる対話も信用できない」という致命的な前例を作りっちまったわけだ。やれやれ。
そして日本以外の各国が大いに非難しているのは国際法の無視だ。 
これは国連憲章が禁じる武力行使の原則(自衛や安保理の承認がない状態での攻撃)に対する明白な違反であると、多くの国際法学者が指摘しているけれど、そんな事賢い人たちが指摘するまでもなく誰だってわかる。 

2. トランプ政権の法軽視
トランプ大統領自身が、今回の作戦について「国際法など必要ない」といった旨の発言をしており、ルールに基づいた秩序(Rules-based order)そのものを否定する姿勢を鮮明にしている。自らが法を遵守する精神を持たないものが、どうして人々に法を守らせることができようか? まずは塊より始めよだ。
まったく世も末だ。こいつは棍棒外交の極致なんだ。つまり「自分の要求(ホルムズ海峡の開放など)を飲まなければ、文明ごと破壊する」といった極端な恫喝が、ブラフではなく実力行使を伴って行われているんだ。死にたくなかったら口座の暗証番号を言うんだ!って迫る強盗と変わらないぜ。 

3. そして現時点での最新状況(2026年4月8日現在)
激しい戦闘と報復の応酬が続いてきたが、本日までに以下の動きが出ている。
トランプ氏は4月7日、イラン側との「2週間の停戦」に合意したと発表した。しかしこれは終戦ではなく、これはホルムズ海峡の安全な開放を条件としており、根本的な不信感が解消されたわけではありません。つまり単なる条件付きの静止 だ。

交渉中に背後から殴るような真似がまかり通る現状では、イランや他の国々が「生き残るためには核武装(棍棒)しかない」と結論づけるのは、もはや避けられない流れに俺には見えるぜ。誰か何とかしてくれよ。


政治は「言葉」とそれに裏打ちされた行動によってなされる一種の芸術だ。
しかし、「言葉」が意味をなさなくなる世界では、どんな条約や約束も、時の政権の、それどころかドナルド・トランプという三流不動産屋上がりの野卑な大統領の気分次第で「手のひら返し」されるなら、外交交渉そのものが時間の無駄になるだろう。
現に、今回イランは核交渉大詰めの時点で不意打ちされた。信じられるかい?

そしてやってくるのは「暴力」と「恐怖」への信奉だ。
信頼が消えた世界では、俺が、そして君が危惧したように「相手を物理的に黙らせる力」つまり核や軍事力だけが唯一の共通言語になってしまう。
それは、文明の否定だ。文明を終わらせるのに総攻撃はいらないんだ。
結果、終わりのないエスカレーションが始まるんだ。
棍棒で脅された側は、屈辱を晴らすか、あるいは自分もより大きな棍棒(核武装など)を持つことでしか対抗できなくなるだろう。そしていつだって、足を踏んだほうはすぐにそのことを忘れるけれど、足を踏まれたほうは、いつまでもそれを忘れない。中国や韓国が事あるごとに日本を非難するのは、そういうことでもあるんだけどね。

俺は今、『信頼できない相手とは、力で殴り合うか、力で押さえつけるしかない』という、人類が長い時間をかけて脱却しようとしてきた野蛮なリアリズムに、世界が引き戻されているのを感じるぜ。トマス・ホッブス🔗が描いたリヴァイアサン🔗以前の「万人による万人への闘争」という世界が再現されるんだ。
この「棍棒外交」が常態化する中で、力でねじ伏せられる側にならないためには、日本のような国は「独自の棍棒」を持つべきなのかは、ここ一連の投稿で示してきたとおりだ。
俺は自分の投稿が、単なるブラックジョークで笑ってすますことできる世の中を望んでいた。けれども、どうにも世界は急激にそんな混沌とした修羅場へと変貌しつつあるんだ。
最悪だぜ。

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