さて、前々回の続きだ。 この自らの掌のうえで「大国を競わせる」という前代未聞の国家戦略を進めるにあたって、決して大国に蚕食されてゆかないような日本国内の「独立自尊」の機運をどのように高めていくべきだろう。
我に奇策あり。
ここは一丁、日本政治最大の禁じ手、『天皇ナショナリズム』を利用しますか。
日本政治における究極のカードだ。男系男子じゃないと天皇を認めたくない自民党、男系女子でも構わないという中道改革連合。オリイも中道改革連合の小川代表が、自分が生きてるうちに女性天皇を見てみたいといって、発言撤回そして謝罪してたな。なぜ謝罪しないといけないのかよくわからんが、俺なら自分は200歳まで生きるつもりだからといって、うまい事はぐらかすだろうな。
だいたい保守派の言う伝統ってのは、いつだって明治憲法が基準で射程距離が浅すぎる。推古天皇🔗や持統天皇🔗とか、飛鳥時代、奈良時代などは時代の節目に女性天皇🔗が即位しておいでだ。ある意味、この国の抜かずの宝剣のようなお家芸のはずだ。江戸時代にも女性天皇の御即位の例が二例もある。
正直言えば、自分としては天皇制が本当に必要なのか。憲法の定める人権を享受しえない国家の象徴として生きることを、自ら選ぶ選ばざるに関わらず生まれ落ちた瞬間から担わされる不自由な人間の存在を認めることは、まったく本意ではない。
一人の人間存在として、あまりにも過酷な人生を送ることを運命づけられておいでで、お労しい限りだと不敬ながら思わずにいられないのだ。
加えて、権力闘争のトロフィーのように扱われ、下々の庶民の敬愛と余計なお世話な好奇のまなざしにさらされ続け、報道によって毀誉褒貶にさらされる。
本来稲作農耕司祭王としての性格が濃厚な天皇陛下という存在自体が、すでに農業が国の基盤を担えなくなっている今日では、すでに不敬な言い方ではあるが、天皇制は時代とともに変貌してしまった日本の下部構造、つまり経済や大衆文化にそぐわないのかもしれない。
週刊誌に消費されるコンテンツにされてしまっているようにも見えるし、その不敬に国民自体が気づいていないのが悲劇的ですらある。
しかし、俺は天皇というアジアに広くみられる一種の生き神信仰(ダライラマとか、ネパールの処女神女クマリもその系統に連なるだろう)の持つ巨大なポテンシャルの存在を信じている。そして畏怖畏敬しているんだ。
日本の歴史において、国家の危機や体制の劇的な転換期に「天皇」という存在がレバレッジ(てこ)として使われてきたのは厳然たる事実だ。
俺は自分自身が掲げている、人間が長い闘争の末に取り戻した平等性と、個々の人間に備わった尊厳を等しく尊重するという方針は、不本意ながら一旦措く。
そのうえで、日本の閉塞状況を打ち破り、転回させる唯一のツールとして「天皇ナショナリズム」を利用するべきだと提言する。
自民党のセンセー方や日本会議なんかの右派団体の皆様なんか目じゃないほど、皇室のお方々に働いていただく。
もちろん、「天皇ナショナリズム」を独立自尊のために利用するという戦略には、凄まじい爆発力と、同時に制御不能なリスクが同居しているのは承知の上だ。
これを掲げた私たち日本人が、広くアジア諸国の皆さんに謝罪すべき過ちを犯したことも重々承知している。しかし、どう考えても、日本人の統合の象徴として一般意思🔗をその御身に体現し、銀河系の中心にある巨大ブラックホールのように日本という国家の中空の核として立ち、強力な向心力を国民に及ぼすことができるのは、ただ天皇陛下お一方しかおいでにならない。
1. 「対米従属」を断ち切る唯一の権威
現在の日本において、憲法や日米安保条約、さらには戦後民主主義の枠組みを超えて国民を一つにまとめ、既存の統治システム(官僚機構や親米政治)をリセットできる唯一の「正統性」は、理屈抜きで天皇という存在にある。
これはもう理屈じゃない。国民の間にある、一種の宗教なんだ。
「国民の象徴」としての決断
天皇陛下が「日本の自立と平和」を直接的に示唆なさるだけで、戦後80年以上の対米追従のロジックは一瞬で無効化される可能性がある。
しかし、政治学者の白井聡🔗が主張しているように、わが国の「国体」における天皇の至上性は、戦後アメリカによってとってかわられたという見方もできる。国民統合の象徴がアメリカ合衆国という奇妙によじれた状況だ。アメリカの政権が共和党であるか民主党であるかにかかわらず、日本の政権がアメリカに従属し続けているのがその証左だ。
このポジションを、日本人の手に取り戻し、衰退してゆくであろうドル覇権と圧倒的な武力で意にそわない国を攻撃し続けるならず者国家と心中することを避けるためには、陛下の「御聖断」を仰ぐしかないだろう。
2. 多極化外交の「重石」としての権威
中露の基地を受け入れるような極端な等距離外交(ジブチ方式)を進める際、国内は激しい分断に見舞われることが容易に予想されるだろう。
その混乱を抑え、「これは日本が生き残るための聖断である」という空気を作るには、政治家レベルの言葉では絶対に不可能だ。今は亡き安倍晋三が1ダースいたところで、予算案一つ年度内に通せなかった早苗ちゃんがどれだけ頑張ったところで、無理なものは無理だ。
畏れ多くも天皇陛下という歴史的権威がその背後に透けて見えることで、保守層も含めた国民の納得(あるいは沈黙)を引き出す装置になり得る。
3. 歴史の再現とリスク
かつての「尊王攘夷🔗」も、アメリカ、ロシア、イギリス、フランスといった欧米列強の外圧に抗うために天皇の権威を利用し、古い幕府体制を破壊し殲滅し転換した。しかし、この手法には大きな危うさもあるのは、皆様ご存じの通りだ。
まずこれは扱いを誤ると自らの首すら切り落とす諸刃の剣だということだ。
ナショナリズムが一度火を噴けば、それは国民の選民思想的な幻想を燃料にして燎原の火のように燃え広がり、火をつけた当の本人たちも巻き込み焼き尽くしてしまう業火となるだろう。
そうなってしまえば、「対米自立の等距離独自外交」という冷静な計算を超えて、排外主義や暴走した軍国主義に繋がりかねない。
それが幕末から明治大正昭和を経て、大東亜戦争=太平洋戦争へと至る私たち日本人が歩んだ道のりだった。俺自身はその歴史を誇る気持ちなどさらさらないが、右派的な世界観では大っぴらには言えなくてもそれこそが我が国の栄光の歴史だと認識されていると俺は考えている。彼らは万世一系の天皇を中心にした長子相続家父長制の神の国に戻したいんだ。
我々は、二度とその道を歩むわけにはいかない。
(そもそも家父長制も、長子相続性も、夫婦同姓もプロイセン(今のドイツね)をモデルにして作られた明治憲法を通じて生み出されたものだ。日本古来の伝統でも何でもない。それはここに言い添えておく。)
さらに大日本帝国の明治憲法と違い、日本国では、天皇陛下は国民の統合の象徴である。
ここで付言させていただく。
俺は大日本帝国と日本国は憲法が違うんだからこれは本当は違う国家だと考えている。
国家のOSである憲法が大きく書き換えられている、というか全く別物になっている以上、同じ国ではないんだ。
会社の定款が違ったら、それは別法人だろう。
日本国という法人は、日本国憲法という定款で、破産廃業した大日本帝国の社員=国民を再雇用して作られた別法人なんだ。
もっと平たく言えば、異なるOSを採用しているWindowsとMacが、同じパソコンだ言う人はいないだろう。
この両者は全く似て非なるものなのだ。
ここをしっかり踏まえておかないと、国民統合の象徴たる天皇陛下の政治利用を不敬を承知で試み、国民の安寧のためとはいえ陛下を政治闘争の道具にすることは、皇室そのものの存続を危うくする賭けでもある。しかし、現状では皇室の血統を維持していくのはかなりの困難が予想される。
同じように存続が危ぶまれるのであれば、俺は未来を開く方向へと陛下をはじめとした皇族の御皆様方に踏み出していただきたい。
結論として、アメリカという「外圧」と、中国という「現実」に挟まれた今の日本で、骨までしゃぶられ続ける現状をひっくり返すには、「戦後という枠組み自体を終わらせる儀式」が必要なのかもしれません。
その中心に天皇を据えることは、日本にとって最後の、そして最も危険な独立手段と言えるだろう。
しかし、考えてみてほしい。ナショナリズムといって左派の良識派はしばしば妖怪に出くわしたかのように震え上がるが、ナショナリズム無しにまとまっている国家、独立を果たした国家があるだろうか?なんだかこれじゃ、マルクスの共産党宣言🔗に出てきた共産主義という名の妖怪みたいだな(笑)
「一つの妖怪が日本を徘徊している――天皇ナショナリズムという妖怪が…」ってところか(笑)
俺自身は国家とは、ざっくり言って一般意思に基づく憲法という契約によって成立する法人だと考えている。その一般意思を表明する人々をどこで線引きするかといえば、まぁナショナリズムに基づくアイデンティティーしかないのではなかろうか。マイナンバーカードやパスポートなんていうのは、支配管理のためのツールに過ぎないからね。
この「天皇ナショナリズム」による独立自尊を成し遂げた後の日本は、「民主主義国家」としての形態を維持できるだろうか。
それとも、全く別の新しい統治形態へと変貌してしまうのだろうか?
一つだけ言えることがあるとすれば、この同調圧力世界最強のこの国の民は、ひとたび結束すると恐ろしいほどの力を生み出す。その力をどう制御して大国のスーパーパワーに対峙してゆくかだ。
我に奇計あり つづく

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