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| 奥飛騨 神岡廃鉱山跡 |
ここから皆様大好きな幕末の動乱が始まる。横浜開港、アメリカ、オランダ、イギリス、ロシア、フランスの当時の覇権国家五か国と結んだ『安政の五カ国条約』締結、桜田門外の変、安政の大獄、生麦事件、薩英戦争、長州征伐、蛤御門の変、大政奉還、明治維新へと続く動乱の時代の幕開けだ。
すったもんだの末に、江戸幕府を倒し、薩摩長州出身者が主導権を握る大日本帝国が発足した。
問題になってくるのは、明治時代を幕末に江戸幕府が欧米諸国と結んだ「安政の五カ国条約」などに端を発する、日本にとって不利な内容を含む不平等条約の数々だ。明治政府にとって、これらの改正は国家の独立と近代化を示す最優先の外交課題だった。
これらの不平等条約の主な問題は以下の二つ。
まず第一に領事裁判権の承認、つまり治外法権の撤廃だ。
当時、日本国内で外国人が罪を犯しても、日本の法律で裁くことができず、その国の領事が裁判を行う特権を有していた。本国に送還されれば、無罪放免だな。日本人は基本泣き寝入りだ。1886年に起きたノルマントン号事件🔗で、日本人乗客は全員見殺しにされたにも関わらず、イギリス人船長の軽い刑が問題となり、改正を求める世論が沸騰したんだ。
まぁ、ありていに言えば欧米人の命は尊いけれど、日本人はじめ有色人種の命は軽いということだ。ひどいもんだが、世の中そんなものだ。しかし、法の下のすべての人間の平等を守るために法があるはずだ。欧米人は当時、自国の中では法の下の平等を言っていたかもしれないが、有色人種に人権なんてないと思っていた。150年くらいたっても、そう思ってる勘違い野郎は世界中にウヨウヨしてるけれどね。
そして、もう一つが関税自主権の欠如だ。
つまり日本が輸出品や輸入品にかける税率を、自国で決める権利がないことだ。大したことはないと諸兄諸姉はお思いになるかもしれないけれど、ちょっと想像してほしい。
産業革命絶好調の欧米諸国から輸入される安価な工業製品には関税をかけることができず、日本が当時欧米に輸出していた生糸などの一次産品には、相手国によって効率な関税がかけられる。
当然、輸出は伸びず大日本帝国は外貨を獲得することはできない。また、海外から安い工業製品が大量に入ってくるために、自国産業を保護して、大日本帝国内に幅広い産業を興すことができないわけだ。つまり、安い外国製品の流入から国内産業を守ることが難しく、当然、政府の重要な税収も制限されてジリ貧だったわけだ。
ちなみにこれは、過去の話ではない。今でもIMF🔗 は昔々のイギリスの経済学者リカードが提唱した比較優位つまり自分の得意なものを売るって言う国際貿易のスキームを、関税を保護主義だと否定してシームレスな資金の流動性を担保する新自由主義的な考えで運用している。つまり、グローバルサウスと呼ばれる発展途上国は、いつまでも農作物や鉱物を売るしかなく、付加価値の高い工業国の製品が自国に大量に流入することを手をこまねいてみてるしかないわけだ。そうするとあなた、発展途上国はいつまでたっても発展途上のままで、ぶっちゃけて言えば、被搾取国という立ち位置から逃れられない。国際社会の下層階級ってわけだ。当時の日本もまったく同じだったってことさ。
この不平等条約の改正が、明治期の日本の最大の政治課題だった。
明治の二大外交官、陸奥宗光🔗と小村寿太郎🔗らが先陣に立ち、粘り強い交渉で世界の強国と渡り合い、治外法権と関税自主権を回復した。ちなみに、この不平等条約のキックバックで日本は朝鮮半島や台湾に触手を伸ばし併合し、経済規模の拡大を図ったともいえるかな。
陸奥宗光は、坂本龍馬からも絶賛され、その鋭敏な頭脳から「カミソリ大臣」と呼ばれていた。彼はその鋭い知略で「法権の回復」にこぎつけたわけだ。陸奥宗光は、1894年にイギリスとの間に結ばれていた不平等持薬を改正し、長年の懸案だった領事裁判権の撤廃を成し遂げると、その外務大臣時代に、当時の日本が不平等条約を結んでいた15ヶ国すべてとの間で条約改正(領事裁判権の撤廃、関税自主権は一部回復)を成し遂げたんだ。すごい外交力だ。
今の日本の外務大臣に、それだけの偉業が叶うだろうか?
まったく、こんなのを見ると参政党の皆さんがおっしゃるように、『日本人がれえっ化している』という主張にうなずきたくもなるわな(笑)。
彼は当時の世界帝国『イギリスから崩す』戦略を立て、 当時世界最強だったイギリスを最初に説得すれば、他国も追随すると読み、集中的に交渉を行った。さらに当時、ロシアの南下を警戒していたイギリスが日本に接近した機を逃さず、軍事的な協力関係と引き換えに条約改正を認めさせたわけだ(日英通商航海条約)。
その裏には、1889年の 大日本帝国憲法の発布などで、日本が「文明国」として法整備を終えたことを世界に示したことも大きな追い風となったろう。まぁ、プロイセン(現在のドイツね)の憲法をモデルにしたんだけどね。
しかし、陸奥宗光は志半ばで病に倒れた。関税の自主権はまだ回復できていなかったのだ。
その「税権の回復」を粘り強い交渉で成し遂げたのがだ。
陸奥の志を引き継いだ小村寿太郎は、1911年に関税自主権の完全回復を達成し、不平等条約の歴史に終止符を打った。
この過程で、先に触れた台湾・朝鮮の併合、日清戦争、日露戦争といった様々な出来事が生じる。それは当時の国際社会では支配的な考えであった覇権主義的なもので正直現在の基準では、ほめられたものではない。そしてその行きつく果ては、15年戦争と呼ばれた日中戦争、真珠湾攻撃によってアメリカを巻き込んだ太平洋戦争、そしてこの戦争によって大日本帝国は滅び、天皇制は象徴としてのみ残されこの国は新たに日本国として焼け跡の中から立ち上がったわけだ。
そしていまだに、日本とアメリカの間には、『日米安全保障条約🔗』とそれに付随する『日米地位協定🔗』という不平等条約が太平洋を覆うようにそびえたっている。
そして、日本とアメリカの外交関係と日本の役割を定めるのは、国会でも内閣でもなく、非公開で月に二回行われている『日米合同委員会🔗』の場においてだ。
この理不尽なシステムを、撤廃し改正しようという気骨のある、本当に日本人のために命を懸けるような政治家は、日本にはいない。せいぜい中国人の土地取得を面倒臭くしたり、移民が来ないように目に見えないシステムという壁を築くだけだ。
これは陰謀論なんかじゃない。日本の飛行機が東京の空を自由に飛べないのも、沖縄から基地がほとんど減らないのも、女性がアメリカ兵に強姦されたり、子供や老人がアメリカ軍属にひき逃げされても日本に裁判権がないのも、すべてこの『日米安全保障条約』のおかげさまだ。
右派の期待の星、安倍政治の後継者たる高市首相がホワイトハウスではっちゃけ、経済産業大臣がトランプにおもねるゲイシャ幇間外交を嘆く前に、俺は君たちに明治期の陸奥宗光や小村寿太郎のような命がけの外交を思い出してほしいんだ。
本当に彼らは日本のことを、日本人のことを、そして世界に対して日本がどんなことができるのかを考えているのか?俺には疑問しかないぜ。

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