2015/02/15

Post #1411

シーナ、さようなら・・・。
朝、いつものように仕事を終えて帰宅する。
レンジで食事を温めて、くだらない政治の動向や気分が悪くなる犯罪ばかりが報じられた新聞を見ながら飯を食う。
侘しいものだ。
新聞の黒枠記事に目を落とすと、シーナ&ロケッツと書いてある。
日本の誇る最強ロックンロールおしどり夫婦、鮎川誠とその妻シーナ。それこそがシーナ・アンド・ザ・ロケッツ(以下シナロケ)だ。シナロケは、鮎川がシーナに出会い、彼女に歌を歌わせるために作ったバンドなんだ。

そのシーナが亡くなった。
享年61歳。
子宮頸癌だった。

俺は、それを見て一瞬意味が頭に入ってこずに、ただ『えっー!えっー!』と叫ぶしかできなかった。
人は誰しも死んでしまうものだけれど、とても悲しいよ。
俺の好きな人たちは、次々あの世に行ってしまう。

今から30年ほど昔のこった。
当時モヒカンパンク野郎だった俺は、地元のライブハウスで知り合ったパンクの女の子二人が、東京にアパートを借りて暮らしているというので、遊びに行ったんだ。
場所はもう覚えていないし、彼女たちの名前だってもう忘れてしまったよ。
覚えているのは、そのうち一人はとっても小さくて気の強い人だったってのと、もう一人はけっこう大柄でグラマーなおねーさんだったってことだ。
いまの俺なら、年上(といってもまだ二人とも10代だったろう)の女の子二人、しかもまったくタイプが違うおねーさん二人と、おんなじ小さな部屋で眠るなんて、絶対朝まで眠らないだろ、やってやってヤリまくるぜって思うけれど、当時の俺はモヒカン刈りのイカレチンポだったにせよ、なんせ10代の小僧だ。ロクに経験もないんで、そんなこともなく、眠くなるまでロックの話をしていたっけ。
そして、その時彼女たちから聞いたのが、シーナと鮎川誠が、ベビーカーを押して歩いていたのを目撃したという都市伝説のような話だった。

シーナはステージ衣装のようなド派手な格好で、真っ赤な髪を逆毛にしてベビーカーを押していた。そのすぐ横を長身痩躯でサングラスの鮎川誠が、気遣うように寄り添っていたという。

カッコE!そんなぶっ飛んだカップルがこの世にいるのなら、いつか結婚して子供を持つのも悪くないと思ったよ。

まるで、シーナが歌った歌のようだ。

ROCK ON BABY
~ロックの好きなベイビー抱いて~

♪ロックの好きなベイビー抱いて
 可愛いママが行く


 この子が二十歳になる頃には
 この世はきっとよくなってる
 だからしばらくママとおまえで
 がんばろうね がんばろうね
 ロックで笑うおまえを見ていると
 勇気がいつもわいて来るから

 愛したから おまえが出来て
 愛があるから おまえを産んで
 いろいろあれこれ言われたけれど
 ロックでこの世がまわるまで
 人間信じてがんばろうね

 ロックの好きなベイビー抱いて
 可愛いママが行く

 まだまだ醜いこの世だけれど
 やがてはいつかまともに変わる
 悩み合っても 得はないから
 笑っていようね 笑っていようね
 ロックで眠るおまえに触れると
 心がひとりで踊り出すから

 愛したから おまえがここに
 愛があるから おまえとともに
 明日も未来も 必ず来るよ
 ロックで話が出来るまで
 人間愛して笑てようね

 ロックの好きなベイビー抱いて
 可愛いママが行く

(作詞:阿久 悠、作曲:鮎川 誠、1994年)

この曲からもう20年以上経つけれど、残念ながら世界はもっとひどいことになっている。そして、シーナも死んでしまった。

スラリとしたスタイルに、頬骨の張った気の強そうな顔立ち。
そして、すこしハスキーだけど芯に甘くコケティッシュな響きを持ったその声。
エネルギーに溢れてて、突っ張ってるけれど、実は甘えん坊で寂しがりな女性を想いおこさせる。
俺の女性の好みとしては、どストライクだ。
むしろ、御幼少のみぎりに刷り込まれたシーナの印象って、俺の女性の好みに大きな影響を与えてると思う。

今でも、ふっと彼女の歌のフレーズが口をついて出てくる。

♪どーしても逢いたい いま
 どーしても逢いたい すぐ
 どーしても逢いたい いま
 どーしても逢いたい すぐ
 KISSしたら 気付くでしょう
 運命(さだめ)が指さす女は私

(DO SHITEMO AITAI ~どうしても逢いたい~)
そんなこと、女性に言われたら、俺なら間違いなく運命とやらに従っちまうだろう。
できることなら、そんなことを言って俺を揺さぶるような激しい女性に出会ってみたいもんだって、ずっと思ってたよ。そうこうしてるうちに、無惨にもこんなおっさんになっちまったがね。


♪テクニックじゃない 本能よ
 だから悪女なんて言わないで
 恋と女はイコール
 男の夢の玉手箱

 見せてあげる 聴かせてあげる
 恋の奥の手 とっておき
 初めてつかう十八番
 素敵な恋のマジック

(ABC)
ABCかぁ・・・。モータウンサウンドみたいなこの曲も忘れられないよな。そんなマジックにかかって見たかったさ。

♪しぼって 僕のレモンを
 あなたの好きなだけ
 たっぷり僕のレモンを
 あなたの紅茶の中に
 Ah、ah、ah
 二人で飲みます LEMON TEA

(LEMON TEA)
ヤードバーズのTrain Kept Rollingの替え歌候なレモンティーは、露骨なダブルミーニングのエロソングだったっけ。


♪思い切り愛し 思い切り愛されたいわ
 はだかになるから あなたもハートのドアをあけて
 Ah うまれたままのすがたで
 Ah 自然な気持ちで抱き合って

 遊びの恋の虚しさに やっと今気付いたの
 フワフワ今日まで生きてきて やっと今気付いたの

 遊びの恋の虚しさに 荷物まとめてサヨナラ
 ダラダラ今日までひきずった 遊びの恋にサヨナラ

(A MAIN LOVER ~今夜はたっぷり~)
ああ、シーナ・・・。女の子に対するときは、ハートのドアを開け放つことを教えてくれたのは、あなただったよ。ありがとう。

読者諸君、失礼する。シーナの歌声を聴いていたら、悲しくて悲しくて、涙が止まらない。もうこれ以上なにも書いてられないよ。シーナよ、お疲れ様。よくがんばったね。安らかに眠っておくれ。
RIP

2015/02/14

Post #1410

Zagreb,Croatia
昨日とは打って変って、軟派に行かせて頂くぜ。
毎日難しい顔してたら、皺が増えちまう。ますます女の子に相手にしてもらえなくなるぜ。
巷ではヴァレンタイン・デーらしい。なんとなく、それっぽい雰囲気を感じさせるような写真を乗せてみた。満面の笑顔でチョコでも配ってくれそうだ。
結構なことだぜ。

俺が仕事上のホームグランドにしている名古屋の百貨店も、年に一度のヴァレンタイン・デーだっつうんで大盛り上がりだ。毎日特設会場でチョコレートが何億円も売れまくっているらしい。時には一日で10億円を超える日もあるそうだ。
さぞかし笑いが止まらないこったろう。

世界中に女は何十億といるだろう。
そして、イイ女も何億といることだろう。
ザグレブ、パリ、アムステルダム、カトマンズ、バルセロナ、香港、台北、マラケシュ、イスタンブール、シンガポール、プラハ、ブダペスト、東京、大阪、名古屋に京都・・・。
思い起こせば、どこに行ってもイイ女はいた。
瞬間、胸がときめいた。
胸のときめきのままに、掠めるようにレンズを向けてシャッターを切った。

けれど、それだけだ。

それだけのことだ。うぅっ・・・。

縁がなければチョコもらったりはできないし、その甘やかな唇を吸うことも出来ないのだ。

20年一緒に暮らしている内縁のカミサンとの間には、そんなイベント、久しくないしな・・・。
夜毎繰り広げられる漢だらけで埃まるけの世界には、そんな潤いなんてあるわけもない。右を向いても、左を見ても、むさくるしいが愛すべき男たちばかりだが、俺も含めて世間の女性の皆さんから、相手にされそうもない。

毎年、すこし寂しいビターな想いを噛みしめる俺なのさ。

読者諸君、失礼する。俺にはしょせん、お腹がすいたらスニッカーズとかがお似合いなんだ。解かってる、解かってるけれど、泣けてくるぜ。

2015/02/13

Post #1409

Budapest,Hungary
夜勤明け、いつも駅で赤旗新聞日曜版を配っている市会議員のOさんと立ち話をする。
Oさんは、70代後半とお見受けするが、共産党の市会議員として、長年地道に活動してきた人だ。
彼は、昨日行われた安倍首相の所信表明演説の内容に憤っていた。

俺は、家に帰って新聞を広げ、つらつらと目で追ってみる。
個々の内容については、君たちも自分で吟味してくれ。
俺は共産党にいつも投票してるけど、共産党員じゃないからな。
何が正しいのかは、君たち自身で判断するんだ。
別に、俺は国賊とか非国民呼ばわりされるのにビビってるわけじゃないぜ。
自分たち自身で、それぞれが静かに吟味することが必要だって思ってるのさ。

確かに、いいことばかり言ってるようで、肝心なことには触れていない。
経済だの成長だのということばかりで、肝心要な、自民党の目指す憲法改正だの集団的自衛権の解釈変更だの、物議をかもしそうなことには、突っ込んだ発言はなかった。最終コーナーは岡倉天心だの吉田茂の言葉を引用して、ムードで引っ張っていたようにも思う。いかがなものだろうか?


同じ新聞に、ドイツの元大統領ヴァイツゼッカーの死を悼み、ドイツで国葬が営まれた記事を読んだ。

俺は思う。

どうして戦後70年、この国はひとりのヴァイツゼッカーも生み出しえなかったのかということを。

それが悲しい。

折しも、安倍首相は大戦中の侵略行為を反省した村山談話を継承しない方向で、戦後70年の談話を出すと言われている昨今、彼我の政治家の見識、力量、思考の射程距離の違いに愕然唖然呆然とするのだ。

政治は、利益を並べ立て、大衆を利で釣るものではないはずだ。
政治は本来、言論の力で、人々の心を揺さぶり、社会の進むべき道を示すという、優れて芸術的で創造的な営みであったはずだ。そこで真に問われるべきは、利益ではなく理念であり、経済の成長ではなく、私たちは自らの手で、どのような社会を作るべきなのかという哲学であったはずだ。

ヴァイツゼッカー氏の、有名な演説『荒野の40年』を以下に引用したい。
1985年5月8日、ナチスドイツが連合軍に敗れ、戦争が終結した記念日にヴァイツゼッカーが行ったものだ。彼は、この敗戦をナチスドイツからのドイツ国民の解放だと定義していた。
長い文章だが、ご容赦願いたい。長いけれど、君に、あなたに、ぜひ読んでほしい。面倒だってんなら、最後の方だけでもイイだろう。とにかく読んでほしい。
そして考えてほしい。

『5月8日は心に刻むための日であります。心に刻むというのは、ある出来事が自らの内面の一部となるよう、これを信誠かつ純粋に思い浮かべることであります。そのためには、われわれが真実を求めることが大いに必要とされます。


 われわれは今日、戦いと暴力支配とのなかで斃れたすべての人びとを哀しみのうちに思い浮かべております。
 ことにドイツの強制収容所で命を奪われた 600万のユダヤ人を思い浮かべます。
 戦いに苦しんだすべての民族、なかんずくソ連・ポーランドの無数の死者を思い浮かべます。
 ドイツ人としては、兵士として斃れた同胞、そして故郷の空襲で捕われの最中に、あるいは故郷を追われる途中で命を失った同胞を哀しみのうちに思い浮かべます。
 虐殺されたジィンティ・ロマ(ジプシー)、殺された同性愛の人びと、殺害された精神病患者、宗教もしくは政治上の信念のゆえに死なねばならなかった人びとを思い浮かべます。
 銃殺された人質を思い浮かべます。
 ドイツに占領されたすべての国のレジスタンスの犠牲者に思いをはせます。
 ドイツ人としては、市民としての、軍人としての、そして信仰にもとづいてのドイツのレジスタンス、労働者や労働組合のレジスタンス、共産主義者のレジスタンス――これらのレジスタンスの犠牲者を思い浮かべ、敬意を表します。
 積極的にレジスタンスに加わることはなかったものの、良心をまげるよりはむしろ死を選んだ人びとを思い浮かべます。


 はかり知れないほどの死者のかたわらに、人間の悲嘆の山並みがつづいております。
 死者への悲嘆、
 傷つき、障害を負った悲嘆、
 非人間的な強制的不妊手術による悲嘆、
 空襲の夜の悲嘆、
 故郷を追われ、暴行・掠奪され、強制労働につかされ、不正と拷問、飢えと貧窮に悩まされた悲嘆、
 捕われ殺されはしないかという不安による悲嘆、迷いつつも信じ、働く目標であったものを全て失ったことの悲嘆――こうした悲嘆の山並みです。



 今日われわれはこうした人間の悲嘆を心に刻み、悲悼の念とともに思い浮かべているのであります。

 人びとが負わされた重荷のうち、最大の部分をになったのは多分、各民族の女性たちだったでしょう。

 彼女たちの苦難、忍従、そして人知れぬ力を世界史は、余りにもあっさりと忘れてしまうものです(拍手)。彼女たちは不安に脅えながら働き、人間の生命を支え護ってきました。戦場で斃れた父や息子、夫、兄弟、友人たちを悼んできました。この上なく暗い日々にあって、人間性の光が消えないよう守りつづけたのは彼女たちでした。

 暴力支配が始まるにあたって、ユダヤ系の同胞に対するヒトラーの底知れぬ憎悪がありました。ヒトラーは公けの場でもこれを隠しだてしたことはなく、全ドイツ民族をその憎悪の道具としたのです。ヒトラーは1945年 4月30日の(自殺による)死の前日、いわゆる遺書の結びに「指導者と国民に対し、ことに人種法を厳密に遵守し、かつまた世界のあらゆる民族を毒する国際ユダヤ主義に対し仮借のない抵抗をするよう義務づける」と書いております。

 歴史の中で戦いと暴力とにまき込まれるという罪――これと無縁だった国が、ほとんどないことは事実であります。しかしながら、ユダヤ人を人種としてことごとく抹殺する、というのは歴史に前例を見ません。

 この犯罪に手を下したのは少数です。公けの目にはふれないようになっていたのであります。しかしながら、ユダヤ系の同国民たちは、冷淡に知らぬ顔をされたり、底意のある非寛容な態度をみせつけられたり、さらには公然と憎悪を投げつけられる、といった辛酸を嘗めねばならなかったのですが、これはどのドイツ人でも見聞きすることができました。

 シナゴーグの放火、掠奪、ユダヤの星のマークの強制着用、法の保護の剥奪、人間の尊厳に対するとどまることを知らない冒涜があったあとで、悪い事態を予想しないでいられた人はいたでありましょうか。

 目を閉じず、耳をふさがずにいた人びと、調べる気のある人たちなら、(ユダヤ人を強制的に)移送する列車に気づかないはずはありませんでした。人びとの想像力は、ユダヤ人絶滅の方法と規模には思い及ばなかったかもしれません。しかし現実には、犯罪そのものに加えて、余りにも多くの人たちが実際に起こっていたことを知らないでおこうと努めていたのであります。当時まだ幼く、ことの計画・実施に加わっていなかった私の世代も例外ではありません。

 良心を麻痺させ、それは自分の権限外だとし、目を背け、沈黙するには多くの形がありました。戦いが終り、筆舌に尽しがたいホロコースト(大虐殺)の全貌が明らかになったとき、一切何も知らなかった、気配も感じなかった、と言い張った人は余りにも多かったのであります。

 一民族全体に罪がある、もしくは無実である、というようなことはありません。罪といい無実といい、集団的ではなく個人的なものであります。

 人間の罪には、露見したものもあれば隠しおおせたものもあります。告白した罪もあれば否認し通した罪もあります。充分に自覚してあの時代を生きてきた方がた、その人たちは今日、一人ひとり自分がどう関り合っていたかを静かに自問していただきたいのであります。

 今日の人口の大部分はあの当時子どもだったか、まだ生まれてもいませんでした。この人たちは自分が手を下してはいない行為に対して自らの罪を告白することはできません。

 ドイツ人であるというだけの理由で、彼らが悔い改めの時に着る荒布の質素な服を身にまとうのを期待することは、感情をもった人間にできることではありません。しかしながら先人は彼らに容易ならざる遺産を残したのであります。

 罪の有無、老幼いずれを問わず、われわれ全員が過去を引き受けねばなりません。全員が過去からの帰結に関り合っており、過去に対する責任を負わされているのであります。

 心に刻みつづけることがなぜかくも重要であるかを理解するため、老幼たがいに助け合わねばなりません。また助け合えるのであります。

 問題は過去を克服することではありません。さようなことができるわけはありません。後になって過去を変えたり、起こらなかったことにするわけにはまいりません。しかし過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです。

 ユダヤ民族は今も心に刻み、これからも常に心に刻みつづけるでありましょう。われわれは人間として心からの和解を求めております。

 まさしくこのためにこそ、心に刻むことなしに和解はありえない、という一事を理解せねばならぬのです。

 物質面での復興という課題と並んで、精神面での最初の課題は、さまざまな運命の恣意に耐えるのを学ぶことでありました。ここにおいて、他の人びとの重荷に目を開き、常に相ともにこの重荷を担い、忘れ去ることをしないという、人間としての力が試されていたのであります。またその課題の中から、平和への能力、そして内外との心からの和解への心構えが育っていかねばならなかったのであります。これこそ他人から求められていただけでなく、われわれ自身が衷心から望んでいたことでもあったのです。

 かつて敵側だった人びとが和睦しようという気になるには、どれほど自分に打ち克たねばならなかったか――このことを忘れて五月八日を思い浮かべることはわれわれには許されません。ワルシャワのゲットーで、そしてチェコのリジィツェ村で虐殺された犠牲者たち(1942年、ナチスの高官を暗殺したことに対する報復としてプラハ近郊のこの村をナチスは完全に破壊した。)――われわれは本当にその親族の気持になれるものでありましょうか。

 ロッテルダムやロンドンの市民にとっても、ついこの間まで頭上から爆弾の雨を降らしていたドイツの再建を助けるなどというのは、どんなに困難なことだったでありましょう。そのためには、ドイツ人が二度と再び暴力で敗北に修正を加えることはない、という確信がしだいに深まっていく必要がありました。

 ドイツの側では故郷を追われた人びとが一番の辛苦を味わいました。五月八日をはるかに過ぎても、はげしい悲嘆と甚だしい不正とにさらされていたのであります。もともとの土地にいられたわれわれには、彼らの苛酷な運命を理解するだけの想像力と感受性が欠けていることが稀ではありませんでした。

 しかし救援の手を差しのべる動きもただちに活発となりました。故郷を捨てたり追われた何百万人という人びとを受け入れたのであります。歳月が経つにつれ彼らは新しい土地に定着していきました。彼らの子どもたち、孫たちは、いろいろな形で父祖の地の文化とそこへの郷土愛とに結びついております。それはそれで結構です。彼らの人生にとって貴重な宝物だからであります。

 しかし彼ら自身は新しい故郷を見出し、同じ年配の土地の仲間たちと共に成長し、とけ合い、土地の言葉をしゃべり、その習慣を身につけております。彼らの若い生命こそ内面の平和の能力の証しなのであります。彼らの祖父母、父母たちはかつては追われる身でした。しかし彼ら若い人びと自身は今や土地の人間なのです。

 故郷を追われた人びとは、早々とそして模範的な形で武力不行使を表明いたしました。力のなかった初期のころのその場かぎりの言葉ではなく、今日にも通じる表白であります。武力不行使とは、活力を取り戻したあとになってもドイツがこれを守りつづけていく、という信頼を各方面に育てていくことを意味しております。

 この間に自分たちの故郷は他の人びとの故郷となってしまいました。東方の多く古い墓地では、今日すでにドイツ人の墓よりポーランド人の墓の方が多くなっております。

 何百万ものドイツ人が西への移動を強いられたあと、何百万のポーランド人が、そして何百万のロシア人が移動してまいりました。いずれも意向を尋ねられることがなく、不正に堪えてきた人びとでした。無抵抗に政治につき従わざるをえない人びと、不正に対しどんな補償をし、それぞれに正当ないい分をかみ合わせてみたところで、彼らの身の上に加えられたことについての埋合せをしてあげるわけにいかない人びとなのであります。

 五月八日のあとの運命に押し流され、以来何十年とその地に住みついている人びと、この人びとに政治に煩らわされることのない持続的な将来の安全を確保すること――これこそ武力不行使の今日の意味であります。法律上の主張で争うよりも、理解し合わねばならぬという誡めを優先させることであります。

 これがヨーロッパの平和的秩序のためにわれわれがなしうる本当の、人間としての貢献に他なりません。

 1945年に始まるヨーロッパの新スタートは、自由と自決の考えに勝利と敗北の双方をもたらすこととなりました。自らの力が優越していてこそ平和が可能であり確保されていると全ての国が考え、平和とは次の戦いの準備期間であった――こうした時期がヨーロッパ史の上で長くつづいたのでありますが、われわれはこれに終止符をうつ好機を拡大していかなくてはなりません。

 ヨーロッパの諸民族は自らの故郷を愛しております。ドイツ人とて同様であります。自らの故郷を忘れうる民族が平和に愛情を寄せるなどということを信じるわけにまいりましょうか。

 いや、平和への愛とは、故郷を忘れず、まさにそのためにこそ、いつも互いに平和で暮せるよう全力を挙げる決意をしていることであります。追われたものが故郷に寄せる愛情は、復讐主義ではないのであります。

      

 戦後四年たった1949年の本日五月八日、議会評議会は基本法を承認いたしました。議会評議会の民主主義者たちは、党派の壁を越え、われわれの憲法(基本法)の第一条(第二項)に戦いと暴力支配に対する回答を記しております。

 ドイツ国民は、それゆえに、世界における各人間共同社会・平和および正義の基礎として、不可侵の、かつ、譲渡しえない人権をみとめる五月八日がもつこの意味についても今日心に刻む必要があります。

 戦いが終ったころ、多くのドイツ人が自らのパスポートをかくしたり、他国のパスポートと交換しようといたしましたが、今日われわれの国籍をもつことは、高い評価を受ける権利であります。

 傲慢、独善的である理由は毫もありません。しかしながらもしわれわれが、現在の行動とわれわれに課せられている未解決の課題へのガイドラインとして自らの歴史の記憶を役立てるなら、この40年間の歩みを心に刻んで感謝することは許されるでありましょう。

 ――第三帝国において精神病患者が殺害されたことを心に刻むなら、精神を病んでいる市民に暖かい目を注ぐことはわれわれ自身の課題であると理解することでありましょう。

 ――人種、宗教、政治上の理由から迫害され、目前の死に脅えていた人びとに対し、しばしば他の国の国境が閉ざされていたことを心に刻むなら、今日不当に迫害され、われわれに保護を求める人びとに対し門戸を閉ざすことはないでありましょう(拍手)。

 ――独裁下において自由な精神が迫害されたことを熟慮するなら、いかなる思想、いかなる批判であれ、そして、たとえそれがわれわれ自身にきびしい矢を放つものであったとしても、その思想、批判の自由を擁護するでありましょう。

 ――中東情勢についての判断を下すさいには、ドイツ人がユダヤ人同胞にもたらした運命がイスラエルの建国のひき金となったこと、そのさいの諸条件が今日なおこの地域の人びとの重荷となり、人びとを危険に曝しているのだ、ということを考えていただきたい。

 ――東側の隣人たちの戦時中の艱難を思うとき、これらの諸国との対立解消、緊張緩和、平和な隣人関係がドイツ外交政策の中心課題でありつづけることの理解が深まるでありましょう。双方が互いに心に刻み合い、たがいに尊敬し合うことが求められているのであり、人間としても、文化の面でも、そしてまたつまるところ歴史的にも、そうであってしかるべき理由があるのであります。

 ソ連共産党のゴルバチョフ書記長は、ソ連指導部には大戦終結40年目にあたって反ドイツ感情をかきたてるつもりはないと言明いたしました。ソ連は諸民族の間の友情を支持する、というのであります。

 東西間の理解、そしてまた全ヨーロッパにおける人権尊重に対するソ連の貢献について問いかけている時であればこそ、モスクワからのこうした兆しを見のがしてはなりますまい。われわれはソ連邦諸民族との友情を望んでおるのであります。

 人間の一生、民族の運命にあって、40年という歳月は大きな役割を果たしております。

 当時責任ある立場にいた父たちの世代が完全に交替するまでに40年が必要だったのです。

 われわれのもとでは新しい世代が政治の責任をとれるだけに成長してまいりました。若い人たちにかつて起ったことの責任はありません。しかし、(その後の)歴史のなかでそうした出来事から生じてきたことに対しては責任があります。

 われわれ年長者は若者に対し、夢を実現する義務は負っておりません。われわれの義務は率直さであります。心に刻みつづけるということがきわめて重要なのはなぜか、このことを若い人びとが理解できるよう手助けせねばならないのです。ユートピア的な救済論に逃避したり、道徳的に傲慢不遜になったりすることなく、歴史の真実を冷静かつ公平に見つめることができるよう、若い人びとの助力をしたいと考えるのであります。

 人間は何をしかねないのか――これをわれわれは自らの歴史から学びます。でありますから、われわれは今や別種の、よりよい人間になったなどと思い上がってはなりません。

 道徳に究極の完成はありえません――いかなる人間にとっても、また、いかなる土地においてもそうであります。われわれは人間として学んでまいりました。これからも人間として危険に曝されつづけるでありましょう。しかし、われわれにはこうした危険を繰り返し乗り越えていくだけの力がそなわっております。

 ヒトラーはいつも、偏見と敵意と憎悪とをかきたてつづけることに腐心しておりました。


 若い人たちにお願いしたい。
 他の人びとに対する敵意や憎悪に駆り立てられることのないようにしていただきたい。
 ロシア人やアメリカ人、
 ユダヤ人やトルコ人、
 オールタナティヴを唱える人びとや保守主義者、
 黒人や白人
 これらの人たちに対する敵意や憎悪に駆り立てられることのないようにしていただきたい。
 若い人たちは、たがいに敵対するのではなく、たがいに手をとり合って生きていくことを学んでいただきたい。


 民主的に選ばれたわれわれ政治家にもこのことを肝に銘じさせてくれる諸君であってほしい。そして範を示してほしい。


 自由を尊重しよう。
 平和のために尽力しよう。
 公正をよりどころにしよう。
 正義については内面の規範に従おう。



 今日五月八日にさいし、能うかぎり真実を直視しようではありませんか。』


未来は過去からやってくる。そして、寛容な精神を持つものが、未来を切り開くことが出来る。

読者諸君、失礼する。俺たちは、どれだけ自分たちの過去について、知ろうとしているだろう?どれだけ自分と異なる価値観の人々に、寛容になれるだろう。よく考えてみてほしい。