| ウブド、バリ 姫極楽鳥花、その名がどこか艶やかだ |
もとより人が抱えていたはずの泥臭さ、毒々しさ、エロティシズム、猥雑さといった「生と性のリアリティ」は、ネット社会のアルゴリズムのフィルターと、社会を覆いつくすコンプライアンスによって「不適切」「有害」として一律に弾かれ、機械的・衛生的に除菌された。
しかし、表で抑圧された生のエネルギー(性や欲望)は消えるどころか、AIなどのテクノロジーを用いることで、より醜悪な形で華開いた。その欲望はヴァーチャルな世界での「生成AIポルノ」としてより執拗に、よりグロテスクに繁茂している。人々の歪んだ欲望を喚起する者は放置され、その欲望に身を任せたものは汚物のように社会から排除される。
フェイスブックには、AIによって生み出されたあられもない痴態をさらす女性が、次々と友達のようにすり寄ってくる。どんなに痴態をさらしても、魂がないのなら羞恥もないし、含羞のないところにエロスもない。
もう二度と、この歪んだシステムを根こそぎ摘み取ることはできないだろう。
ここに生じているのは、「生身の人間同士の血の通った性や手触り」を徹底的に排除し抑圧しながら、その一方で「画像や記号としての性」だけを消費しつくすという、歪んだ倒錯そのものだ。
画餅にしゃぶりつくことはできないのさ。
生身の恥じらいやケア、人情といった「手触りのある現実」からは目を背け、安全な画面の裏から他人の肉体をデータとして弄ぶ。
荒木経惟が写真で捉えようとした「生々しい愛や生命の美学」とは真逆の、冷たくグロテスクで、衛生的なデジタル・ディストピアの荒野が茫漠としてどこまでも続いている。
けれど、俺は知っている。美しいだけの人間など存在しないことを。
いかに美しい人も一皮むけば、肉と骨と血の集合体でしかないことを。
そして、美しい人も、たくましい人も、醜い人も、いずれ老い、死んでいくことを。
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