![]() |
| 春、俺の町にて |
手助けやケアを必要としている社会的な弱者が、自分たちの困り事を近所の隣人をはじめとした地域共同体の人に手助けしてもらうことで、これは初めて命を吹き込まれ、振り出され、地域共同体の中を流通し始める。ニコリ😊
このトークンを相手にピンポンのようにケアをしてもらって返すのはルール違反。必ず他の人に何かをお願いして、そのトークンを流通させること。で、そのトークン自体は年 4 回の市県民税や固定資産税の収納期日に価値がゼロになる。そしてまた 1 からやり直し。誰か困っている社会的弱者や近隣の人を助けることで、トークンを手に入れて、市区民税や、固定資産税、或いは水道代の支払いに充当できる。ニコリ😊
このトークンは、それぞれにバーコードやQRコードが印刷れていて、トークン自体の管理をすることができるが、使用する分には一切電子デヴァイスの使用は必要とせずに、人の手から手へと渡る。また、緊急時には裏面に記載されているQRコードを読み込むことで、適切な行政機関に公的な支援を要請することができるものとする。ニコリ😊
その導入に際しては、ランダム化比較試験を行ったうえで、事業規模や対象範囲を注意深く検討してゆく。ニコリ😊
これが、今の段階で考えている概要だ。田舎くさいな。我ながら時代遅れっぽい気がする。しかし、それがいままでさんざん言ってきたように、本当に社会的弱者を取りこぼさないための仕掛けなんだ。
オードリー・タンやWeb3の社会思想家たちが、どれだけ複雑な数式や暗号技術でトークン(通貨)を設計しても、それらは結局、画面上の数字をいじるだけの「ハブズ(資産を持つ者)のゲーム」になりがちだ。
しかし、この『絆トークン』は、人間の「困り事」と「助け合い」、そして「税金という国家の強制力」を地べたのリアリティで完璧に編み込んでいる。最後のまとめだ。
1. 「社会的弱者」が通貨の『中央銀行(発行元)』になる逆転劇
現代の資本主義では、中央銀行が法定通貨を発行し、或いは富裕層(ハブズ)がステーブルコインなどの仮想通貨を発行し、それをコントロールしている。しかし、このシステムでは「今、リアルに困っている弱者」が通貨を発行する起点になるという点が、最大の相違点だ。
- 自治体から配られた小切手型のトークンは、弱者が「助けて」と誰かに手を差し伸べ、他人がケア労働(実体価値)を提供した瞬間に、初めてこの世に「通貨(価値)」として誕生し、流通し始める。ニコリ😊
- これによって、弱者は社会の「お荷物」ではなく、コミュニティに経済の血流(トークン)を流し込む「最も尊い起点」へと180度位相を反転させる。これこそが真のインクルーシブ=社会への包摂だ。ニコリ😊
2. 「相手に返してはダメ」という『互酬性(贈与)』の強制
「助けてくれた人に直接トークンを返してはならない」というルールは、人類学の核心を突いている。
- もし直接返せてしまったら、それは単なる「1回限りの労働の売り買い(市場取引)」になってしまい、関係性はそこで速やかに消滅するだろう。
- 直接返せないからこそ、トークンを受け取った人は「次は自分が別の誰かを助けるか、あるいは別の誰かに何かをお願いしなければならない」という状態に追い込まれる。これが、グレーバーが愛した「利己主義ではない、ケアと贈与のネットワーク(連帯)」を地域社会に強制的に編み上げていくことになる。
3. 「期日に価値がゼロになる」という『減価する貨幣』の知性
ドイツの経済思想家シルビオ・ゲゼルが提唱した「減価する貨幣(持っていると腐るお金)」の思想が、ここで見事に日本の税制と融合している。貨幣の価値の源泉は、国が法定通貨を以て税金を受け取るということによって生じているのだから。
- 年4回の地方税(市民税や固定資産税)の納期に価値がゼロになるということは、「タンス預金(貯蓄)が絶対にできない」ということだ。ニコリ😊
- トークンを手に入れたハブズ(タワマン住民や資産家)は、このトークンで、税額を縮小相殺できるため、その利己的なマインドによって、期日までに必死になって「誰かを助ける(労働を提供する)」、猛烈な勢いで地域共同体の人々に対し、ケアを提供し、つまり隣人たちの困りごとを解決するために、汗をかきトークンを手にしなければならなくなる。これによって、地域社会の中で『絆トークン』が強制的に回ることとなる。ニコリ😊
4. 毎年「1からやり直し」という、権力の固定化防止
クラストルが描いた「国家に抗する社会」のように、富や権力が一箇所に蓄積していくことを、この「年4回のリセット」が構造的に不可能にしている。
- どんなに要領よくトークンを集めた人がいても、期日が来れば全員が同じスタートラインに戻される。この「一過性の実験」を繰り返すことで、社会は常に健康的で平らな状態(フラット)に保たれる。貧富の差を解消するほどの力はもちろん有していないけれど、不平等について、格差について、人間の尊厳について考えることを、社会の成員に促し、共同体を耕す鋤になることは間違いないだろう。
このシステムを運用するのに、スマホも、複雑なブロックチェーンもいらない。大規模なシステム開発も不要だ。必要なのは、自治体が発行する紙の「小切手(トークン)」と、年に4回の税金の窓口、そして何より「目の前の人の困り事に耳を傾ける、地域社会の人々の善意」だけだ。インテリの絵空事とは次元が違う、圧倒的な身体性だ。ニコリ😊
もっと言えば、『相手に対する優しさ』を最大の原動力にして回る地域経済システムだ。
どれだけ精緻なトークンシステムを設計し、減価する貨幣のルールをビルトインしたとしても、そこに「相手に対する優しさ」という人間の最も根本的な感情がなければ、それはただ「新しい義務」や「ポイント集め」という、クソ面白くないものに堕落してしまうだろう。
弱者が「助けて」と言えるのも、それを受け取った人が「次へ回そう」と思えるのも、そして高額な固定資産税の足しにするためにタワマンから降りてきた人を「インクルーシブ」できるのも、そのシステムのすべての隙間を埋めるのは、合理的な計算ではなく、人間が人類の古層から持ち続けてきた「他者への優しさ」に他ならないんじゃないかな。
俺は、オードリー・タン🔗の『プルラリティ🔗』も手に入れて読んでみた。目指している目的地は非常に近しいものがあるように感じるんだが、どこかしっくりこなかった。
そしてそのあと、この『プルラリティ🔗』をなぞったような政党すら出てきたが、今一つ共感できなかった。デジタル化推進って付帯決議さえつけば、安易におかしな法案に賛成してしまうような連中だよ。
デジタルはあくまで手段であって、目的じゃない。人間一人ひとりを尊厳ある市民として公正に守り、その生を保障することこそが目的なんだ。そんな哲学というか信念が感じられないんだなぁ〜。俺の感性の問題だろーな、
Web3🔗の技術を基盤としたインテリたちの設計図がどこか寒々しく、俺には絵空事に見えてしまう。この違和感はいったいぜんたいなんだろうと考えていた。
テクノリバタリアンに対する情報の集中に対する分散型WEB、ブロックチェーン、トークンベースの経済、多様性と人間性の尊重。言っていることは素晴らしいし、近しいものがあるのは解る。わかるんだけれど、気持ちが乗らなかった。
一言で言えば、身体性が感じられないんだ。人間は、最終的には理性で理解しても動かない。感情が付いてこないと、人間は一歩踏み出せないんだ。
彼らは「システムが完璧なら、人間は自動的に善く動く」と信じている。しかし、俺の構想するトークンは、人間が本来持つ「優しさ」というリアルな実体があって初めて血が通うように作られている。それどころか、人間の利己的な欲望すらも悪魔的に利用するように構想している。
「相手に対する優しさ」という、最も原始的で、最も強靭な「言葉と労働の贈与」。これこそが、この地域社会を耕し、人間を連帯させていくためのシステムに命を吹き込む、文字通りの「最後の、そして最大のパーツ」なんだ。
例えば、ビリー・ブラッグ🔗の『The Milkman of Human Kindness🔗(人情の牛乳屋)』みたいなそういう気持ちを人間持つべきだと思うんだ。
イギリスのパンク・ロッカーである彼が、エレキギター1本で「君が寂しいなら電話するよ、体調が悪いなら詩を送るよ」「君が倒れそうなら両手を差し出すし、苦い気持ちでいるなら理解するよ」と歌い、「僕は人情の牛乳屋だから、エクストラでもう1パイント置いていくよ」と繰り返すあの曲だ。ソリッドなテレキャスターのギターカッティングがめちゃかっこいい。ニコリ😊
マクベスの「the milk of human kindness(人間らしい優しさ、人情)」に由来するあの精神こそ、『絆トークン』システムを構想し続けてきた俺の個々の中に鳴っていたBGMなんだ。
「もう1パイント」という言葉の贈与
この歌の牛乳屋は、代金(市場の論理)のやり取りだけで動いているのではない。
相手が弱っているのを見たときに、「頼まれてもいないのに、好意で余分にもう1パイント置いていってしまう」という、計算を超えた自発的な優しさ(贈与)で動いている。商売人としては失格でも、人間としてはいい奴なんだ。
- インテリにはない「実体の体温」:オードリー・タン的なスマートなシステムは、「1パイントの注文に対して正確に1パイントを届ける」最適化は得意だろう。しかし、ビリー・ブラッグが歌う「お節介で、泥臭くて、おまけしてしまう優しさ」をデジタルで設計することはできないんだ。デジタルでは1+1=2にしかならない。
- 地べたで回るミルク:この『絆トークン』も、まさにこの「もう1パイント余分に置いていくよ」という住民同士のちょっとしたお節介や優しさがあって初めて、制度という冷たい枠組みを超えて、本物のコミュニティの血流になっていくんだ。
人類学者のマーシャルサーリンズ🔗だって、『石器時代の経済学🔗』のなかで、ブッシュマン、つまりサン人🔗の人たちが、人間贈り物をしないのが一番良くないって言ってるっていう話を紹介しつつ、人間の社会の最も根底的な部分に贈与というシステムが埋め込まれていることを記していたな。これも、「相手に返してはダメなトークン(贈与の連鎖)」の、人類学的な絶対の裏付けなんだ。ニコリ😊
サン人🔗の人々は、コミュニティの中で「贈り物をしない(ため込む)こと」を、単なるマナー違反ではなく、「社会を物理的に崩壊させる最大の悪」として激しく嫌うんだ。
なぜかって?それは 贈り物を「ため込む」ことは「戦争の準備」そのものだからさ。
サーリンズの記述にあるように、彼らにとって富やモノを自分のところで止めておく行為は、「私はお前たちを信用していない」「私はお前たちと繋がる気がない」という強烈な敵意の表明、つまり戦争のサインそのものなんだ。
富裕層が資本をため込んできたことが、社会と地域共同体への、経済的な戦争だったというのは、比喩でも何でもなく、本当のことだ。戦後、社会福祉が充実し、豊かな中間層が形成されていた時期に、すでに新自由主義を信奉する一部の人々は、ひそかに社会に働きかけ、格差を拡大し、富を集中させる方策を秘密裏に進めてきた。イギリスのジャーナリスト、オーウェン・ジョーンズ🔗の『エスタブリッシュメント🔗』や『CHAVS🔗』を読んでみれば、よくわかるだろう。
サン人🔗の人々が考えていたように、資本をため込むことは、他の人々を物理的、経済的に打ちのめし、隷属させ、支配させるための第一歩だとい見方は、石器時代から人間が看破してきた真実そのものだと、現代の社会から逆算してみればはっきりわかるだろう。
逆に、モノをどんどん他人に回す(贈与する)ことは、「私たちは地べたで繋がっている仲間だ」という平和条約を、日々更新し続ける営みなんだ。『絆トークン』のシステムで「持っていると税金の期日に価値がゼロになる」というルールは、まさにサン人🔗が「モノをため込む奴は社会から排除する」とした人類の太古から続く知性を、現代の制度として翻訳したものだといえるだろう。ニコリ😊
2. 「ありがとう」と言わないサン族の優しさ
実はサン族には、贈り物を受け取ったときに「ありがとう」と大げさに感謝する習慣がない。なぜなら、感謝の言葉でその場で関係を「清算(チャラ)」にしてしまうのは、市場の取引(売買)と同じだからだ。
『絆トークン』が「相手に直接返してはダメ。他の人に回して流通させる」と設計されているのは、まさにサン族のこの「ありがとうで終わらせない、贈り物のリレー」そのものなんだ。 ニコリ😊
行為に対してお礼を言わない、贈与に対してお礼を言わないっていう態度は、サン族だけじゃなく、未開な部族に関してはかなり普遍的な事象なんだ。例えば人類学者奥野克己🔗の『「ありがとう」も「ごめんなさい」もいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと』🔗で描かれるボルネオ島の狩猟採集民「プナン🔗」の姿は、サーリンズの贈与論とも完全に地続きの、まさに人類の古層のリアルな実証だ。
この「お礼(ありがとう)を言わない」という態度が、未開の部族に普遍的である理由は、私たちの社会が持っている「貸し借りを1回ごとに清算(チャラ)しようとする冷たさ」への強烈な批評になっていえるだろう。彼らがありがとうを言わない本質は、『絆トークン』構想の根底にある「優しさ」と見事にシンクロしているんじゃないかな。
「ありがとう」は関係を切り離す言葉
私たちが日常で使う「ありがとう」や「ごめんなさい」は、お礼や謝罪を伝えることで、その行為の「貸し借り」をその場で一度ゼロにするための『決済の言葉』にほかならない。
決済してしまうからこそ、私たちは「これでチャラだから、もうあなたに義理はない」と、お互いに独立した孤立した個人(消費者)に戻ることができます。しかしプナンの人々は、物をあげることも、もらうことも、助け合うことも「当たり前(シェアリング)」すぎて、そもそも貸し借りという概念がない。決済する必要がないから、「ありがとう」が存在しないのは当然だ。ニコリ😊
「不完全なまま、繋がり続ける」という優しさ
彼らは、お礼を言って関係をスッキリ清算するのではなく、あえてお礼を言わずに「お互いに負い目(心地よい負債)を抱えたまま、ダラダラと繋がり続ける」ことを選び生きている。
他人のバイクを借りてぶっ壊しても謝らないし、お礼も言わないけれど、また明日も一緒に生きていく。この「お互いの不完全さや迷惑を、社会全体でまるごと包摂(インクルーシブ)して生きる」という圧倒的なタフさと優しさこそ、まさに「ミルクマンの精神」の究極の形だともいえるだろうな。ニコリ😊3. 「ミルクマン」と「ブッシュマン」の合流
ビリー・ブラッグが歌った「もう1パイント余分に置いていく優しさ(人情)」と、サーリンズが描いたサン人🔗の「贈り物を回し続ける生存戦略」。
この2つは、時空を超えて完全に同じ人間の本質(古層の知性)を指している。
対して、お利口さんが頭で考えた数式やWeb3のデジタルコインには、この「贈り物をしなければ生きていけない」という人間の切実な優しさと生存の泥臭さがないんだなぁ。ニコリ😊
ズバリ言えば、だからこそ、俺たちは地域社会から民主主義をリビルトしなければならないんだ。
51対49で多数派が専制政治を敷く『形式的な民主主義』ではなく、一つの問題を、皆が自分自身の問題としてとらえ、皆が納得する落としどころを探ってゆく。そして最終的には全員が納得できるような回答を導き出すという、一見迂遠だけど人々を分断しない、粘り強い民主主義が。そう、かつて草創期のアメリカ合衆国で、フランスの若き法律家だったトクヴィル🔗が『アメリカのデモクラシー🔗』で見出した、あの「ニューイングランドのタウンミーティング」みたいなやつだ。
トクヴィル🔗は、巨大な中央集権国家が押し付ける官僚制(あるいは「多数派の専制」)に対抗できる唯一の防波堤として、あの地べたのタウンミーティングという「市民自身による自治の実践の場」を激賞した。そこでは、一人ひとりの市民が、自分の頭で考え、自分の言葉で隣人とぶつかり合う「主権者としての身体性」を持っていたんだ。
俺が目指す「草の根の民主主義のリビルド」とは、まさに、このトクヴィル🔗的なタウンミーティングを土台として蘇らせ、その上でプナンやサン人のような「ありがとうで決済しない(チャラにしない)贈与の連鎖」や、ビリー・ブラッグ🔗のような「相手への優しさ(人情)」を重ね合わせる、人類史上最も古くて、そして新しい強靭なハイブリッドシステムの実装なんだ。
この日本っていう衰退しつつある衰退途上国でこれを実行する意味は大きいと思うんだ。
落日の国だ。しかし、衰退途上国はダウンサイジング先進国でもあるんだ。
これまでの経済学や官僚の頭脳は、いまだに「成長」「拡大」「右肩上がり」という、とっくに破綻した新自由主義に立脚した悪魔の引き臼の幻影を追い続けている。
だからこそ、少子高齢化で縮みゆく日本の現状を「ただの衰退」と捉えて絶望し、東京一極集中を加速させ、ふるさと納税のような「税金の奪い合い(泥泥の逆再分配)」に狂奔して結果地方を切り捨ててゆくことになっているんだ。
しかし、日本はただ衰退しているのではない。地球上のどの国もまだ経験したことのない、「持続可能で、人間を目的とする形へ社会を縮小させていく(ダウンサイジング先進国)」としてのフロントランナー(先駆者)となるべきなんだ。少しこの視点についてまとめよう。
1. 「拡大の経済」から「ケアの縮小経済」への軟着陸(ソフトランディング)
バナジー🔗やデュフロ🔗たちが発展途上国の「これから拡大する貧困」を研究したのに対し、日本が必要としているのは、「人口も資源も減っていく中で、いかに人間の尊厳を薄めずに、豊かに縮んでいくか」という未知の数式だ。『絆トークン』は、嘘くさい国債の利払い論争や国のマクロ経済がどれだけ縮小し、円の価値が下落しようとも、俺たちの足元にある地域の中の「人間の善意という無限のコルヌコピア(豊穣の角)🔗」だけを原資にして回り続ける。この資源を1ミリも無駄遣いしないこの仕組みは、まさにダウンサイジング時代のインフラでもあるんだ。
2. 「ヒューマンリソースという資材」から解き放たれるチャンス
しかし、社会がダウンサイジングしていくこれからの日本こそ、その冷酷なシステムの呪縛(モナドの檻)から脱出し、「人間がただ人間であるだけで尊重される世界」へとシフトする最大のチャンスだ。
民生委員を通じて自治体が生活困窮者に配り、彼らが自ら割印を押して命を吹き込む『絆トークン』は、縮みゆく地域の中に、人間の温かい連帯(ソリダリティ)のセーフティネットを編み直すハンマーになり得る可能性を持っている。
3. 世界が日本(ダウンサイジング先進国)をお手本にする未来
その時、世界中の研究者やバナジーたちの後継者が、「かつて日本という国で、デジタルとアナログを融合させ、民生委員と小切手帳の割印を使って、地域の共同体をリビルトし、社会そのものを人々のセイフティーネットにする試みがあった」という未来を想像、いや創造してみるのも悪くないな。
田中角栄の列島改造のような「拡大のエネルギー」の時代は終わった。オリンピックだ、万博だ、リニアだと、夢よもう一度みたいなことをやっていても、ドツボにはまるだけだ。だからこそ、俺は「ダウンサイジングされた日本の辺境で、外の資本に奪われない独自の生存基盤をブリコラージュする」という、退屈しのぎを考えたのさ。
さて、明日から新しい現場が始まる。俺はこの発想をまとめて君たちのもとに形にして届けることができた。今の自分にとっては、望外の成果といえるだろう。やり切った感がある。
とはいえ、これでもう死ぬわけでもない。まだまだ、このクソ暑いなか、俺の人生も君の人生も終わるまでは続く。まだまだ君をあっと言わせるようなことを考え続けるさ。また会おう。

0 件のコメント:
コメントを投稿