2015/05/19

Post #1504 Farewell, My Lovely Camera

 のっけから、タイトルはレイモンド・チャンドラーの名作ハードボイルド、『さらば愛しき女よ』のパクリだ。
そう、今日はまさに『さらば愛しきカメラよ』なのだ。
そのカメラとは、これだ。
カメラに興味のない人は、すまん。勘弁してくれ。
しかし、カメラを手放すことは、俺にとっては身を切るように辛いことなのだ。
わかっておくれよ。
Fuji TX-1 with TX-30f5.6
日曜日の車の事故は、本当に凹んだ。精神的に打ちのめされた。
先日、任意保険の更新があって、2年前の事故のおかげで、保険料が上がったと家人に小言を言われたばかりだったので、ますます落ち込んだ。

Nagoya Station
仕方ない。仕事もぽつぽつと入っては来たが、まだ弱い。7月から来年の3月まではがっちり固まっているのだが、この5月6月はさっぱりだ。先が思いやられる。
そこで、痛恨ながらカメラを一台売却してきた。
それがこのカメラだ。

フジフィルムが、天下のハッセルブラッドと共同開発したカメラ、FUJI TX-1だ。もちろん、35ミリのフィルムカメラだ。当時は、35ミリフィルムで中判並みの画質が得られるということで、驚異のカメラだった。まったく、今となっては前世紀の遺物だ。
泣けてくる。
これは俺が発売と同時に、珍しく新品で買った思い出深いカメラだ。20世紀の終わりごろだったろうか?その割には出番が少なかったがな。

このカメラは、そりゃ凄いカメラだった。
ライカなんかと同じレンジファインダー・カメラだ。つまり、ファインダーの中に映っている二重像を、レンズのピントを調整することで一つに合致させてピントを合わせるというカメラだ。
三角測量の原理の応用だ。
この手のカメラは、基線長が長いほど、ピント精度が高いとされている。と言っても、デジカメ全盛の昨今、そんなこと言ってもよくわからないだろう。つまりファインダーともう一つの対物窓の距離が長いほど、ピントの精度が高まるということなのだ。
しかし、それにしてもこのカメラは横に長い。
この横に長い独特のフォルムがこのカメラの特殊性を物語っている。

工業デザインの世界では、形態は機能が決定するという鉄則がある。
人間にやさしいデザインなんて糞くらえだ!使いにくいものをうまく使いこなしてなんぼじゃろう!
このカメラは、35ミリフィルムの二コマ分を使って24ミリ×65ミリという大画面のパノラマを撮影することができ、しかも通常の24ミリ×36ミリの画面の撮影も、ボタン一つで切り替え可能なカメラで会ったのだ。
当時は、35ミリフィルムの上下をカットし、格好だけパノラマに見せかけるカメラが大流行していたのだが、このカメラは通常の35ミリの画質で、良好なパノラマ画像を撮影することができ、なおかつ、フィルムの途中で自在に通常サイズと切り替えることが可能であったのだ。

なぜそんな荒業が可能なのかと言えば、フィルムゲートの両脇に、切り替えスイッチに連動する羽が左右についており、これが開いたり閉じたりしてフィルムのサイズを切り替えるわけだ。
そこで、普通に考えるとフィルムの途中で切り替えると、フィルムのコマとコマの間が空いてしまったり、重複して二重露光になってしまうのではという疑問が出てくる。
少しフィルムカメラをいじったことがある人ならすぐに思い浮かぶだろう。
そこは世界レベルのカメラメーカーであるフジフィルムだ。
このカメラは、まず最初にフィルムを装填すると、フィルムの長さを計測しがてら、フィルムをすべて巻き上げ、これを巻き戻してゆくシステムになっているのだが、これによって、フィルムの残りのコマ数を計算しながら、画面が切り替えられるたびにフィルムのコマ間が適正になるように、少しづつ巻き上げたり、巻き戻したりするという、非常にお利口さんなカメラなのだ。こんなイカれたカメラは、このカメラとこの後継機種TX-2しかない。俺は、ニンゲンでも道具でも、常識外れにイカれた破格な奴が大好きなのさ。そして、このTX-2すら、出荷は2006年に終了している。それも時代の流れだ。

ううっ、こんなカメラを手放してしまうとは、俺、不甲斐ないッたらないぜ。

Nagoya Station
このカメラに、装着するレンズ、Super EBC FUJINON TX-90(90ミリf4)とSuper EBC FUJINON TX-45(45ミリf4)そして、中古で30万くらいで買った銘玉Super EBC FUJINON TX-30(30ミリf5.6)の三本をセットで持っていたんだが、これを泣く泣く叩き売ってきてのだ。

上に挙げた写真は、TX-30を使って撮ったっものだが、このようにパノラマモードにすると焦点距離は16度ほどに相当し、およそ角度にして94.1度の画角を得ることができる。
これは、人間の視角視野におおよそ匹敵するもので、非球面レンズの採用により、非常にひずみの少ないシャープな画像を得ることができるのだ。
もちろん、45ミリや90ミリも素晴らしいレンズだった。

まさに珠玉のレンズたち。たまらん。L=TX-45、C=TX-30,R=TX-90

古くからお馴染みのカメラ商さんは、精一杯の金額を出してくれた。しかも即金で。
ありがとう、熊沢さん。

いくらで買って、いくらで売ったってのは、詮索しないで頂戴ね。そういうことは言挙げしちゃいけないのが、この世界の不文律だから。

俺の秘蔵のカメラは、自分の会社を立ち上げるときにも何台か売られていった。そしてまた一台、箪笥の肥やしになっていた名機が、俺の手元から去っていったのだ。
自分の不甲斐なさに、泣けてくるというものだ。
せめて、誰かもっと使ってくれる人の手に渡ることを祈るばかりだ。

俺の尊敬する世界企業IKEAの創業者、イングヴァル・カンプラード氏は世界的にもまれな成功をおさめた企業家であるけれど、常々その子供たちにこう言い聞かせていたという。
『本当におまえが欲しいのはこれなのか。本当に欲しいのか、買う価値があるものなのか、しっかり考えたのか。それを買ったら、手元にお金は残らないぞ。』(ノルディック社刊 バッティル・トーレクル著、楠野透子訳『イケアの挑戦 創業者は語る」313ページより)

この言葉をもっと若いうちに知っておけば、現在、こんな不甲斐ないことにはならなかっただろう。
少なくとも、このイカれたカメラを、なけなしの高い金を出して買うこともなかったはずだ。
その代り、今の道楽者の俺はいなかっただろうし、今現在の写真の戦闘的で前のめりな撮影スタイルを見出し、確立することもできなかっただろう。
そして何より、写真を通じて世界をとらえ、その意味を探り、自分自身の考えを深めていくという生き方にも、達することはできなかっただろう。

何事も、授業料ってのは高くつくってもんだ。


読者諸君、失礼する。俺と一緒に、売られていったカメラのために、ドナドナでも歌ってやってくれ。頼むぜ。

2015/05/18

Post #1503

Bremen,Germany
昨日の夕方、久々に事故ってしまった。
ここ2年くらい無事故でなんとか乗り切ってきたんだが・・・。痛恨の極みだ。
あぁ、凹むわぁ・・・。

コンビニの駐車場で。車を出そうと1メートルくらいバックしたら、駐車してる車のすぐ後ろを走ってきた車の横っ腹に、ドンとぶつけてしまったのだ。マジかよ。
まったく、よりによってどうしてそんなところを走ってるんだよ。駐車場なんだから、バックしてくる奴がいるのは当然だろう・・・。俺も確かに確認不足だったんだろうけど・・・、まぁ、まいったなぁ・・・。あと5秒タイミングがずれていたら、どうってことなかったんだが。事故とはまぁ、そんな風にして起きるものだ。

幸いなことに誰も怪我などしちゃいないんで、物損扱いで済んだのだが、そりゃもう、かなり気落ちするぜ。ついこの間も任意保険の更新の際に、2年前に起こした追突事故のおかげで、等級が下がって保険料が何万円も上がったと、カミさんに小言を言われてうんざりしていたというのに・・・。

さらに幸いなことに、現場は警察署の真ん前んで、事故の届けもあっという間だったし、うちの車の破損もバンパーに傷がついたくらいで済んだんだ。かまやしねぇよ、所詮はバンパーだもん。

しかし、そんな幸いは焼け石に水だ。カミさんは、もっと大きな災難に合うはずが、これで済んだのかもしれないよなんて、気休めを言ってくれているが、とてもそんな気分にはなれないよ。

おかしい。今年は大吉だったはずだ。なのにここにきて仕事はピタリと停滞しているし、子供も授かる様子もない。カミさんとの間にも、先行き微妙な風が吹いている。挙句の果てにこの事故かよ。まったく、踏んだり蹴ったりだ。

仕方ない。秘蔵のカメラの売却を検討するか。とはいえ、いまさらフィルムカメラなんか、ろくな値段つきゃしないよなぁ。

どうにも最近ついてないな。
いや、思えば俺の人生、いつだってついてなかったような気がしてきたぞ。いつだって七転八倒、右往左往だ。そうして年だけ食っちまった。
まったくたまらないぜ。泣けてくるとはこのことだ。

読者諸君、失礼する。

2015/05/17

Post #1502

Copenhagen,Denmark
うむ、身体が重い。昨日は久々に夜飲みに行ってきた。
俺が仕事もせずに、学校なしの小学生のように鬱屈して暮らしているのを見かねた兄貴分のYさんが誘ってくれたのだ。
ジンとワインの大漁節であった。
おかげさんで、今朝は身体がどんよりと重い。
まぁ、たまにはそんな日もあってもイイだろう。
中世イランの科学者にして詩人、オマル・ハイヤームの詩にもこんなのがあるぞ。

『酒をのめ、これこそが永遠の生命、
 青春の果実なのだ。
 バラと、酒と、友の酔う季節に、
 幸福のこの一瞬を味わえ、これこそが人生』
(平凡社ライブラリー刊 オマル・ハイヤーム『ルーバイヤート』岡田恵美子訳P163より)

ポールダンスのショーをやってる店に行き、兄貴と二人、仕事の事や女の事やらを肴に盛り上がり、楽しいひと時を過ごしてきたんだ。その様子はこんな感じ。百聞は一見に如かずだ。
こっちは兄貴分のYさん撮影だよ。

お楽しみのショータイムだ!
あぁ、またこんなもんばっか撮ってるやん俺、反省!
男ってのは、いくつになってもホントに阿呆だな。
しかし、楽しいんだから仕方ない。若いおねーちゃんの肌はきれいだしな。
けどまぁ、若い女は侘びサビを知らねぇから、俺の魅力には気が付かないもんだ。

しかし、俺、この日に限って珍しく、いつも使ってる愛機CONTAX T3を持たずにのこのこ出かけていたんだな。

不覚!

これはもう、はっきり言って武士が刀を忘れて外出したり、サザエさんが財布を忘れて買い物に行くようなもんだ。
去勢された馬でもレースでは突っ走るかもしれないが、カメラがないと人生が物足りないのだ。つまり、古いモノクロカメラは俺の人生のタマタマだってことだ。そういやレンズのことをタマっていうしな。
大いに反省だ。こんな写真はもういいやって思ってたけど、やっぱりこういうところに行くと、見たものすべてモノクロ写真にしたくなるんだ。

それはおれの性だから仕方ないぜ。しかし、済んだことを悔やんでも、どうしようもない。また、小遣いを握りしめてリベンジするだけのことだ。ポールダンスのおねーさんにあげるチップも忘れずにな。

帰りの地下鉄には、佐賀と新潟から来たミュージシャンの若者たちと遭遇し、本の5分ほどの間、アコースティックギターを抱えた若者たちと音楽について語り合ったりもした。たまに外出すると、面白いぜ。

最後にもう一丁、オマル・ハイヤームの詩をあげておこう。こういうのが好きなんだよ。俺はインテリだからな。インテリアじゃないぜ。間違えんなよ。

『大地を駆ける白黒の馬の背に酔いどれを見た。
 異教もイスラームも、憂き世も信仰も、
 神も真理も、聖法も信念も念頭にないありさま。
 二つの世において、これ以上の勇者がいようか。』
注釈:白黒の馬は昼と夜からなる日常の世界の比喩。二つの世とはあの世とこの世を意味する。
(前掲書、P133より)


読者諸君、失礼する。しかし、どうして電車の中で俺が座ってる隣には、誰も座ろうとしないんだ?俺は酔っぱらったおねーさんに、そっと肩を貸してやったりしたかったのに!こんな破格の男を、どうして世の中のおねーさんたちは放っておくんだ?まったく意味が解らないぜ!
どうなってるんだ、まったく!世の中どっかおかしいぜ!