2011/03/19

Post #125 女たちへのエレジー

今日は朝の9時から翌朝の6時まで仕事なんだ。
俺の仕事はきついときはキツイ。それが男の仕事だ。しかし、俺の経験では、どんな先の見えない仕事でも終わらない仕事はない。俺はいつもそうやって自分に言い聞かせている。
どんな困難な状況も、何時までも続くことはないってことだ。今困難な状況に置かれている人たちに、一日も早く『あんときゃ、ホント大変だったなぁ』って、微笑みながら言えるような日が来ることを祈らずにはいられない。まったくだ。もう一度言おう。今、困難に直面している人たちに、笑顔が戻る日を俺は心から待っている。時間がかかるのは当然だろう。しかし、そんな日が来ることを信じていこう。信じるってことは、スゲー力があるんだぜ。

Osaka
女をモノのように扱う男がいる。俺はそういう手合いは好きではない。友人になりたいとも思わない。女を自らの快楽の道具としてとらえている奴なんて、好きになれないし、一緒に飲みに行ったりしたくない。絶対にね。

しかし、モノの女の場合は、どうなんだろうな?

俺は、やっぱりいくらモノでも、女の形をしたものは、邪険には扱えないな。不幸な女の魂が宿っているかもしれないじゃないか。
俺はキューブリックの映画『時計仕掛けのオレンジ』に出てきた、ミルクバーの店内を思い出したぜ。その店ではミルクは店に置かれた女のマネキンの胸から飛び出し、机の代わりに、四つん這いになった女のマネキンみたいなのが使われていたように記憶している。

女をモノとして扱ってはいけないぜ。ましてや、暴力だなんて。もし、そんなふうに君のまわりの女性に憤ることがあっても、そこはぐっとこらえていこう。それが男だ。せめて、モノにあたっておくぐらいにしておこうぜ。それでも女性は充分怖がっちまうんだけどな。

別に、俺の生活に何か事件が起こった訳じゃない。ただ、この写真を見てて、なんとなくそう思っただけさ。
ああ、そうそう3月8日は国際女性デーだったんだって。そんな結構な日があるなんて、俺は知らなかったぜ。
諸君、また会おう。暑さ寒さも彼岸までだ。良い連休を過ごしてくれ。俺は仕事だ。そして、被災地で大変な思いをしてる人たちの事を想って、あまり羽目を外し過ぎないようにしてくれないか。そうだ、梅の花でも見に行くといいだろう。今頃、パリではミモザの花も咲いているだろう。なんてね。

2011/03/18

Post #124 ヘリコプター

いつも災害が起こると、不思議に思い、なおかつ苛立ち、挙句の果てには憤慨することがある。
今回の災害にも、避難所には食料も水も生活物資もない。しかし、そんな避難所にも、カメラが入って、マスコミのレポーターが入っていて、呑気に『避難所生活はいかがですか?』とか『一番必要なものは何ですか?』とか被災者に訊いて回っている。俺達はそれを通じて、状況を知ることができるのだが、どこか割り切れない。
そして、今回の震災でも、被災地の上空には真っ先にマスコミのヘリコプターが、ぶんぶんと飛び回っただろう。

Osaka 例によって本文とはカンケー無し
何度俺は、ヘリコプターに乗ったレポーターが『病院(もしくは学校)の屋上には、SOSと書かれています。』と伝えるのを見たことだろうか?
SOSだって言ってるだろう!マスコミがそういう状況をカメラにおさめて、そのまま飛び去ってしまったのを何度見たことだろう。そして、そのSOSと書かれた屋上で、ヘリコプターに向かって必死に手を振る人々を何度見てきたことだろう。子供が線路を走る電車に手を振ってるのとは訳が違うんだぜ。そのカメラが映している光景の先には、生か死かというぎりぎりの状況に置かれて、困窮逼迫している被災者のかたが、電気も薬もない状況の中で、患者を救おうとして懸命に働く医師や看護師がいるんだぜ?
相も変わらず、今日もまた、マスコミのカメラは避難所に上がり込み、被災者に対して、訊くまでもなく分かるような頓馬な質問を投げかけては、こういうのさ。『道路が寸断され、物流が止まったいるため、被災地には援助物資がなかなか届きません』 じゃ、俺はマスコミの皆さんに訊きたいぜ。『HEY、HEY、HEY、マスコミのおにーさんよ、あんたたちははいったいぜんたい、どうやってそこにたどり着いたんだい?』ってね。そしてもう一発訊きたいぜ。『あんた、まさかマイクだけ持って行ったんじゃないだろうな?何か、援助物資を、それが例え焼け石に水のわずかな量でも、持っていかなかったのかい?』ってね。
わかってる、俺は本当はよーく分かってる。それは報道の使命ではないっていうんだろう。客観的に事実を伝えるのが報道の仕事ですって、シレッとした顔で言うんだろう?
けど、本当にそれでえーんかい?
俺がその立場だったなら、報道の使命だのなんだのは、とりあえず脇に置いても何かしたいぜ。
ああ、わかってるよ。本当によ〜く分かってる。目の前の人たちだけ助けても仕方ないっていうんだろう。起きていることを広く社会に伝える仕事なんだ。食料や水や生理用品や靴下を被災者にもっていってやることが仕事じゃないっていうんだろう?
けど、本当にそれでえ〜んかい?
俺が子供じみたことを言っているのは承知している。彼らが職務を忠実に果たすのは、被災してない俺が、自分の仕事を誠実に真面目にこなすのとまったく同じ仕事ですっていうことくらい、百も承知だ。
Barcelona
承知していることと、納得していることは違う。俺はこのブログは極力自分の想いを自由に、誰憚ることなく、正直にセージツに綴りたいと思っている。だから、それが社会の一般的な通念と噛み合わなくても、あえて言ってみるか。それってなんか納得いかないぜ。これは見せもんじゃないんだぜってね。これ見よがしにヘルメットなんかかぶりやがって、この野郎って思うのさ。

昔、阪神大震災の時にもそう思った。作家の辺見庸も、確かそんなことを書いていたっけ。しかし、俺にとって、最もインパクトがあったのは、キヨシローによく似たゼリーなる人物が率いていたザ・タイマーズが歌っていた『ヘリコプター』って曲だ。もちろん俺には、自衛隊のヘリの活躍が報じられている時に、それに異を唱えたり、水を差したりするつもりは全くないが、あくまで、かつてこういう歌もあったって形で書いておく。
皆さん、決して俺の真意を誤解しないでほし―ぜ。

ヘリコプター  ヘリコプター
空から水をまいてくれ
ヘリコプター
今すぐこの火を消してくれ
マスコミばかりが乗ってるヘリコプター

燃えてるぜ 燃えてるぜ
2日も3日も骨まで燃えてるぜ
ヘリコプター
まるでこの街は火葬場さ
人命救助をしてみろヘリコプター

自衛隊のヘリコプター 消防署のヘリコプター
警察のヘリコプター エリートだけが乗れるヘリコプター

ヘリコプター ヘリコプター
燃え広がる前に飛んでこい
ヘリコプター
レポーターよりも俺を乗せてくれ
火事場のまわりの野次馬ヘリコプター

政府要人のヘリコプター 海外派兵のヘリコプター
税金で買ったヘリコプター いざという時に飛べないヘリコプター

ヘリコプター ヘリコプター
燃え広がる前に
ヘリコプター ヘリコプター
飛べなくなる前に
ヘリコプター ヘリコプター
上昇気流のその前に
ヘリコプター

THE TIMERS 『ヘリコプター』(アルバム『不死身のタイマーズ』より)

過激だ。誤解を招く恐れがビンビンあるぜ。
俺も、読者諸君から呆れられてしまうかもしれない。もちろん、俺は自衛隊の皆さんが、孤立した人々をヘリですくいまくっているのを知っているし、福島の原発でも、危険を冒して消火活動に従事していることも知っているし、心から尊敬している。しかし、言いたい。もちろん、俺が言いたいのは、マスコミの皆さんに関することが言いたいから、こんな昔の歌を引っ張ってきたんだ。分かるだろう?実にこの逡巡こそが人生だ、ロックンロールだ。
マスコミの皆さんも、職務に忠実なのはまことにいいことだ。なんて言ったって、彼らも所詮サラリーマンなんだからな。しかし、職務を逸脱したり、自分の組織をはみ出すようなことをしでかす方が、人間として正しい、いや義しい(もちろん、ただしいと訓むのだよ)時もあるんじゃないだろうか?
諸君、どう思うだろう?俺は今回も今一つ納得いかないと思ってるんだがな。
もちろん、このどさくさに紛れて便乗値上げで一儲けをたくらんでいるような性根の腐ったクズ野郎や、今から復興特需をにらんでホクホクしているようなろくでなしなんかには、納得するどころか、憤慨しているんだけどな。もし、そんな性根の腐った奴に出会ったら、問答無用で簀巻きにして川に放り込んでやるぜ。憶えてろよ!今から風呂に入って、よーく首を洗っておくこった。

それでは、また会おう。明日から本格的に、俺もイソガシー。また、体調をくずしてアレルギーを起こしたり、結石や通風で悶絶しないようにしなくちゃな。そうそういつも君たちに心配をかける訳にはいかないさ。もっと心配してあげてほしい人が、今の日本には何十万にもいるんだからな。
失礼する、また会おう。

2011/03/17

Post #123 ぼくが真実を口にすると・・・

こんな時期だけれども、俺のホームタウンは被災地からかなり離れている中部地方(FMラジオ局はカッコよくMid Landと呼んでいた)だから、明日から今月いっぱい、怒涛の仕事ラッシュが始まるんだ。
被災地の皆さんには、まことにもって、申し訳ないが、人生は自分の意図したようには必ずしもならない。外的なヨーインに大きく左右されてしまうのだ。致し方ない。人はそれぞれのリングで、精一杯生きてゆくしかないんだ。
まだ起こっていないことに心配して、パニックになったりふさぎ込んでしまっても仕方ない。備えは必要だけれど、不安に駆られてしまっては、貴重な人生の一日を、無駄に使ってしまうことになりかねないぜ。
俺には俺の人生がある。そして、俺は自分の人生を生きてゆくしかないんだ。
この先に何が待っていようとも。
ならば、今目の前のことに全力で取り組んでいくしかねぇだろう。せめてみんな、被災地の皆さんに恥ずかしくないように、しっかりと生きていこうや。
Osaka
そんなわけで、今日はプリントでもして過ごしたかったんだ。何故って、明日死んでしまうことになっても仕方ないとは思うが、唯一心残りなのは、自分の写真でプリントしていないものが山ほどあるってことだ。残念ながら、俺にはそれを老後の楽しみにとっておこうなんて趣味はないんだ。何故って、ジジイになって生きてるかなんて、さっぱりわからないからな。

しかし、明日からのラッシュに備えて、仕事の段取りをしたり、掃除をしておいたりしてるうちに、今日も雑事で一日暮れてしまった。残念だ。しかし、掃除機で掃除をしたり、洗濯機で洗濯したりすることができるのは、電気や水道、そしてガスなどのライフラインが健全に維持されているからだ。当たり前のことが、実はありがたいことだって身に沁みるぜ。
こんな雑事で忙殺されてしまった一日だったんだが、一つよかったのは、アレルギーの薬をもらいに行った病院の先生が、若くてきれいなおねーさんだったってことぐらいか。もう少しで、『センセー、彼氏いますか?僕と食事でもどーですか。よければ、あなたの写真を撮らせてもらえないかなぁ』なんて聞きそうになってしまった。まぁ、まつ毛にボールペン、乗りそうですよねなんて、チョーシに乗って言ってしまったが。
しかし、そんなことをしても仕方ない。所詮、彼女と食事をしたりしても、彼女には俺の世界はわかってもらえないだろう、きっと。俺の世界を理解してくれるのは、俺の内縁のカミさんとごく少数の友人、そして何よりこのブログを読んでくれている、親愛なる読者のみなさん、そう君たちだけだろうから。
俺は、図面を製本するための材料を買いに近所の本屋に行ったんだが、ここで、また本を買ってしまった。
おいおい、仕事の段取りはどうなったんだよ?

しかし、心配無用だ。その本は以前新書で出ていた時に買っていた本なのだ。
しかし、以前働いていた会社の同僚に、『これは、生きていくうえでとてもためになる本だから、ゼヒ読んでみるといいぜ』って貸したら、二度と帰ってこなかった。もし奴が気に入って読み込んでいてくれたなら、恨み言の一つも言わないだろう。
しかし、俺の推測では、99.99%、奴は読んでいない。
本を読んだりする習慣のない人間は、本を読む習慣を持つ人間が、どれほど本を大切にしているのか、そして、どれほどその本から多くのことを学び、自らの指針にしていくのかわかっていないんだ。
奴が活字を読んでいるのを見たのは、残念ながら『週刊プレイボーイ』だけだった。
仕方ない。荒れた土地に種を蒔いても、芽を吹く確率は低いのだ。

だから、その本が文庫になっているのを見つけた時に、迷わず買ってしまったのだ。この非常時に呑気なことだと思われるかもしれない。しかし、未曽有の災害によって、心身ともに足元がぐらつくような感覚にさらされている今だからこそ、俺はその本を買わねばと思ったんだ。そう、本は時として、人生を歩む上での、杖となり、指針となり、灯りとなるんだ。

その本の名は勢古浩爾著 『ぼくが真実を口にすると 吉本隆明88語』(ちくま文庫刊)だ。

タイトルは、吉本隆明の詩、『廃人の歌』の一節、『ぼくが真実を口にすると ほとんど全世界を凍らせるだろうといふ妄想によって ぼくは廃人であるそうだ』からとられている。

吉本隆明は、『戦後思想界の巨人』と呼ばれる在野の思想家であり、哲学者であり、詩人であり、何よりも糖尿病を患うジーさんだ。ある一定の年齢の人々にとっては、その名は伝説的な輝きを持っているだろう。若い人々には、吉本ばななの父親といったほうがわかりやすいかもしれない。
俺は、モヒカン刈りの高校時代から、ロックを聴きながら吉本隆明の本を読んできた。
The Whoのピート・タウンゼント、忌野清志郎とならんで吉本隆明は、今日まで俺を支えてきてくれた大きな柱だ。いや、むしろこれらは今の俺の背骨だといってもいいだろー。俺はけっして頭のいい男ではないから、吉本の哲学的な内容は十分に理解できているとは言い難い。残念だ。しかし、自分は決してインテリではなく、またどんな組織にも属することもなく、ただの大衆の一人なんだという堅固な立ち位置から放たれる吉本の言葉は、俺の心に矢のように突き刺さり、その言葉のまわりに、経験という肉が巻くように自分は歩んできた。
Osaka
この本の著者の勢古氏もこう書いている。
『本書は、吉本隆明の、いわゆる「思想」の語録ではない。しかし、まちがいなく「吉本隆明」の思想の語録である。  中略  本書に出現している傍流としての吉本隆明、これもまた吉本隆明である。いや自惚れていえば、これこそが吉本ではないか、といいたいところだ。控えめにいって、わたしは本書の吉本隆明像に自信をもっている。一面的だとのそしりは免れないだろうが、しかし、だれからなにをいわれようと、ふっふ、絶対的な自信がある。何故ならこのような感受の仕方こそが、「哲学」学者でも文芸批評家でもないふつうの人間にとっての「思想」(思考)だと信じているからである。この考えにはたぶん普遍性はない。が、そんなものはなくてもちっともかまわない。ひとりの自分、そしてひとりの他人を生きるものにとっては、人間の存在や日々の生活の本質を透徹するような思想こそが思想なのである。』
ああ、ここにも、俺と同じように吉本隆明を読んでいた人がいたんだなって嬉しくなるぜ。
市井で生きる卑小な名もなき大衆の一人である俺たちにとって、生活の実感のない言葉は、所詮ゲームのようなもので、いかにそれが膨大な知識と高度な思考によって生み出されていようと、地に足がついていないってことで、読んでもクソのふたにもなりはしねぇ。だから、生活を国家によって、つまり俺達からの税金によって保障されていたりする大学教授の本なんか、読んでもみたいとも思わなかった。読んでもよくわかんねぇしな。
しかし、吉本は違った。軍国少年、左翼青年、そして大企業の組合労働運動家、失業者などの道をたどりながら、詩人として出発し、文芸評論家、思想家と間口を広げてきた吉本の言葉は、生活者の重みがある。つまり、地に足がついているんだ。

この本の中から、俺の好きな言葉をいくつか列記してみよう。

『いいことを照れもせずいう奴は、みんな疑ったほうがいいぞ』

『何が強いって、最後はひとりが一番強いんですよ。』

『労働というのは一種の「刑罰」みたいなもの』

『個人のほうが国家や公よりも大きいんです。』

『本当に困ったんだったら、泥棒して食ったっていいんだぜ』

『智力、腕力、思想、識見、すべてをあげてわたしと闘ってみろ。』

『何か、自分の思っている自己評価より高くみられるようなことだったら嫌だけど、出鱈目なこととか、低くみられることならいいんだってのがこっちの原則なんで。』

『僕には、自分がやっていないこととか出来ないことでは人をおおっぴらに非難するな、という自戒があります。』

俺はこれらの言葉を、何度心に唱えて働いてきただろう。生きてきただろう。

『ぼくの孤独はほとんど極限に耐えられる
ぼくの肉体はほとんど過酷に耐えられる
ぼくがたふれたらひとつの直接性がたふれる
もたれあうことをきらつた反抗がたふれる』
この詩の一節を、若き日の森山大道や中平卓真が口ずさんでいたのを知って、嬉しくなった覚えもある。
俺が、今日までこうして生きてこれたのは、絶望してしまわなかったのはロックンロールとともに、こういう言葉を自分の支えにしてきたからだ。今だからこそ、もう一度これらの言葉を胸に刻もう。
俺は、生きるぜ、いけるところまで。悪いけど。
今日もコンビニのATMで、電話しながら金を下していた男は。『パチンコで負けちまったから、金がなくて…』なんて言っていた。生理的に、こんな大変な時にパチンコにうつつを抜かすたぁ、太てぇ奴だ、この野郎って思わないでもないが、いかんいかん。吉本隆明もこういっていたしな。
『こんな深刻な目にあっている自殺者がある一方で、すぐ隣でお笑いや遊びや娯楽が行われているという社会を承知し、赦すこともおすすめしたいのです。日本人が初めて本当に必要とする寛容さが、これですから。』
最後に吉本隆明もこういっているぜ。
『日本人ってのは、ちょっとバカにできないぜ』 
きっと、今回の大惨事も、日本人は乗り越えていけると俺は信じてる。
では、皆の衆、また会おうぜ。
今日は俺の趣味の話し一色で、スマン。けど、興味があったなら、この本読んでみておくれよ。