2011/04/30

Post #169 Fragment Of Amsterdam #2

何ということだ、今日で四月も終わりだ。
今年も一年の3分の1が終わってしまったということか。光陰矢の如しだ。とはいえ、この肌寒さはなんだろうか?日本の気候は変わってしまったのか?地震や津波に原発事故に加えて、冷夏なんてことにならなきゃいいんだが…。

de Dam,Amsterdam
今日も今日とて、夜に仕事が入っているので、至極あっさり行っておこう。
アムステルダムのダム広場は、昔アムステル川を堰き止めるダムが作られた場所だ。ここから現在のアムステルダム旧市街の干拓が行われて、街が形成されていったんだぜ。そう、アムステルダムとは、そのものずばり『アムステル川のダム』って意味だよ。
馬車の後ろに見えるのは王宮なんだけど、現在改修工事中でしてね、インダストリアルな雰囲気が濃厚だぜ。とはいえ、オランダの王様は、今はハーグに住んでるらしいんだけどね。

もういっちょ行ってみようかな。#1の写真の別カット。
de Dam,Amsterdam
このダム広場は、アムステルダムの中心地だけあって、適当に歩いていても、何だかんだとここにたどり着いてしまう。少なくとも俺の短い滞在の間、何時いっても人がわんさか集まっていたぜ。すぐ横に、百貨店なんかもあったしな。

今日は、GW真っただ中なんで、現場に向かうのも気が重いぜ。なんせ、どこを通っても、渋滞、渋滞、渋滞だからね…。俺のマシーンが泣いているぜ。馬車に乗ってるのと変わりがないくらいさ。
う~む、仕方ない、読者諸君は物足りないかもしれないが、ごくあっさりと更新して、早めに出撃するとするかな。
読者諸君、また会おう。俺は連日の夜の仕事に、いい加減うんざりしているぜ。まぁ、仕事があるだけマシだがね。5月は全く暇になりそうだしね。せいぜいどっさりたまったネガをみっちりプリントさせてもらうさ。みんな、楽しみにしててくれよ。

2011/04/29

Post #168 Ethics Inside Me

読者諸君、GWをいかがお過ごしであろうか?
俺は相変わらず寝て暮らし、相も変わらず今夜も男の仕事。何のことはねぇ、全く普段と変わりないぜ。まぁ、こんな時にちょろちょろ動いても、渋滞だのなんだので、イライラするだけだ。暇になる日はいずれ来る。商売左前ってことだから、あんまり歓迎は出来ないがね。

さて、閑話休題だ。
Amsterdam
先日の旅行で、空港でチェックインしていると、隣のカウンターでチェックインしているイカにもラスタマンって格好の黒人と、その日本人の奥さん、そしてその子供が目に入った。ああ、あの子はハーフなんだ、イカすぜ、あの天然パーマって思っていたんだ。
搭乗ゲートの喫煙室でパイプをぷかぷかしてると、さっきのラスタマンがやってきた。俺のパイプを見て、ご機嫌なカンジでサムアップだ。
俺とラスタマンは、すぐに打ち解けてタバコをふかしながら、喫煙室でつかの間の交流を持ったのさ。
『パイプ、吸ってみるかい?』
『いやいや、そいつは俺にはストロングすぎるぜ』ラスタマンはポケットからマルボロかなんかを取り出して吸い始めた。おいおい、ボブ・マーレーはバナナみたいにぶっといマリファナをふかしてたじゃないか?そんな健全なこと言ってちゃ、ラスタマンの名が泣くぜ。俺は心の中で、そう思ったのさ。
ふぅーと気持ちよさそうに煙を吐き出して、ラスタマンはこういった。
『ところであんたの髪形、なかなかイカしてんな』
『おうよ、ありがとよ、こいつは天然パーマなんだ。あんたはアメリカ人かい?』
『いやいや、俺はエチオピア人なんだ。本場のラスタマンさ。名古屋でレゲーバーをやってるんだ』
『そりゃいいね、今度寄らせてもらうかね。ところで、あの子は?』俺は、喫煙室の外でうろちょろしている、ジュニアラスタマンを指差した。
『おぉー、あれは俺の息子ね、ナチュラルボーン・ラスタマンさ』
『そりゃまたカッコイイな。で、ラスタマンは一家でどこにお出掛けなんだい?』
『俺はカミさんと息子たちを連れてドイツに行くんだ。あんたはどこ行くの?』
『アムステルダム、ブリュッセル、パリだよ』
『おぉ、アムステルダム!あそこはサイコーだぜぇ。なんてったって、コーヒーショップで大麻を堂々と吸えるんだからな。ラスタマンにはありがたいぜ、なんせ日本じゃとっ捕まっちまうからな』
『まったくだ、ダッハッハッハ!』
俺達は屈託なく笑いあった。ラスタマンのカミさん(それはごくフツーの小太りのおばちゃんなんだが)がラスタマンを呼びに来た。どうやらボーディングタイムだそうだ。
ラスタマンと俺は『いい旅を!』と言い合って別れた。

さて、俺がアムステルダムで、実際にコーヒーショップで大麻を吸ったかといえば、これがまったく吸わなかった。面白みのない男だ。葉っぱが自由に吸えるなんて、世界でもオランダくらいなんじゃなかろうかというのに。しかし、俺は普段から酒もほとんど飲まないし、トルコに行った時も、水パイプもやらなかった。
どうにも、肉体的に弛緩したような退廃的な雰囲気が好きになれないし、第一、俺は自分の感覚意識が鈍るのが、嫌いだ。万一、不覚を取ってしまっては男として面目が立たないのだ。だから吐くまで飲んだりすることはないし、飲んだとしても、記憶が無くなるような飲み方はしない。
ある意味つまらん男だ。しかし、脳内麻薬は年がら年中、ドバドバ放出されているからな、いつだってトップギアに入れることができるぜ。なかなか便利だろう?
そういえば、高校生の頃付き合っていた女の子は、何年か後にあった時には、自分のアパートの押し入れで大麻を育てていると言っていたな。若い頃、夜の公園を散歩していると、しばしばイラン人のプッシャーから大麻を買わないかって声をかけられたもんだ。しかし、そのたびに俺は『俺がほしいのは、ソウルパワーだ』って断っていたぜ。今でも、クラブとかで踊ってる兄ちゃんや姉ちゃんには、葉っぱをやってる奴がごまんといるんだろうな。よく大学生がおまわりにパクられている。押尾センセーなんて奴もいたっけ。

さて、法で許されていたなら、やらねば損なのだろうか。法律の抜け穴をくぐらないのは、間抜けなんだろうか?さらに一歩踏み込んで、法によって強制されたら、やらねばならないのだろうか?

その答えは人それぞれだ。勝手にするがいいさ。
しかし、俺は自分自身の内なる倫理と行動規範によって、やらない方が良いと思うことはやらないし、やるべきだと思うことは、たとえ法で規制されていてもやるだろう。
自らの内なる倫理によって、自分の行動を律していきたいんだ。
Amsterdam
街を歩けば、いい年をしたサラリーマンのオヤジが、赤信号の横断歩道をへっちゃらでわたっていくのを見かける。大阪やパリに行けば、赤信号でわたらない奴のほうが少ない。それはその人の内なる倫理なのだろう。どうぞ、ご自由に。しかし、もしどこかで子供が見ていたら、どーする?自分の子供に、赤信号で横断歩道を渡れと教える馬鹿な親は、さすがにいないだろう。
俺には子供はいないけど、俺はちびっこたちが見ている前で、赤信号を渡るようなことはしたくないね。子供たちに悪い見本を見せたくないってのもあるが、それは法で定められているからじゃない。自分の身を守るためと、自分が逆の立場なら、わたってほしくないということによるわけだ。
つまり、『己の欲せざるところ、人に施すなかれ』だ。
赤信号で平然と渡ってゆく偉そうな管理職のおじさんは、きっと自分の部下がルールを守らないと、厳しく叱責するにちげーねぇ。それとも、会社という村の掟には忠実でも、市民社会のコモンセンスや国によって定められた法には、厳密に従う必要がないと思っているのだろうか。
う~む、大いに疑問だ。
俺には、その辺の機微がいまいち良くわからん。俺にとって、倫理とは自分の中にあるものだからだ。俺には小さなルールを守れないような男が、より大きなルールを守って生きてゆけるとは思えないんだが。そして、この倫理こそが、裸一貫でこの巨大な社会と渡り合っていくための武器だからだ。

例えばもし、法で、殺人が許されているのなら、人を殺すだろうか?
そんなことはありえないだろうと思うかもしれないが、実は戦争ってのはそういうことだ。俺達の爺さんくらいの年代の人々が、先の戦争中に中国でどれだけ中国人の首をはねることができるのかって競争していたのは、ほんのつい最近のことだ。中国人に嫌われたって、仕方ないだろう。善良な八百屋のオヤジとかが、軍人になったとたんに、平気の平左で人の首を切り落とすんだぜ。

冗談じゃないぜ。こんなことってあるのかい?

これには実はからくりがあって、戦争中に、軍人たちは覚醒剤をバンバンにやっていた。何日も不眠不休で行軍したり、戦闘したりするためにね。今でもシャブ喰った奴が、通り魔事件を起こしたりするってのが、たまにあるだろう?あれを国家的にやっていたんだ。戦後、暴力団が覚醒剤を扱っているのも、北朝鮮が未だに覚醒剤の輸出で国家経済を回していると言われているのも、旧日本軍の遺産なんだ。
自らの倫理に反して、国家によって殺人を強要される。
戦争ってのは、そういうことだ。
軍備を増強しろとか、憲法9条を改悪しろとか言っている連中は、自分自身が、国家によって、縁もゆかりも無い誰かを殺すことになった時、喜んで殺すのだろうか。アムステルダムで大麻が吸えるってウキウキするように銃のトリガーを引くのだろうか、刀を振り下ろすのだろうか。
俺は、誰かに命令されて、法に許され守られて、誰かを殺したりするようなマネは御免だぜ。それで非国民だとか腰抜けだとか言われるのなら、喜んで非国民になるし、腰抜けになるさ。
自分自身の内なる倫理しか、国家の強制力に立ち向かう術はない。
ふふふ…、俺の中では大麻の話しと戦争の話しは、倫理という軸を介してつながっているんだ。

もちろん、それは極端な話だろうが、俺はいつだって、自分自身の内側の倫理が指差す方へ歩んでいきたいと思っているんだ。それは時には、世間のルールとずれている時もあるだろう。しかし、自分の中で40年くらいかけて培った倫理を、信じていきたいんだ。それがない限り、譬え法を犯す泥棒になったとしても、それは国家という主人の目を盗んでつまみ食いをする奴隷と変わらないからな。

読者諸君、今日はちょいと小難しくなってスマン。俺はどうにも、たまに小難しい屁理屈をこねくり回してみたくなるんだ。では、また会おう。俺は今からスパゲティでもこしらえて、さっさと食っては男の仕事に出撃しなきゃならないんでな。良い連休を楽しんでくれ。

2011/04/28

Post #167 Fragment Of Amsterdam #1

今夜は連れ合いと一緒にフィギアスケートを見ていたら、すっかり遅くなってしまった。迂闊だったぜ。今朝はすっかり明るくなってから眠りにつき、仕事関係の宅配便が来たことにも気づかず、例によって昼過ぎまで眠り、これじゃいかん、今日は月末だ、銀行に行って支払いをしなくてはって飛び起きて、おっとり刀で銀行に向かい、いそいそと振込を済ましてきてから、さぁ、プリントしようぜって勢いでプリントしたんですがね、なんだか睡眠不足ってのか、最近の国内時差ボケ状態のせいで、どうにもこうにも集中できず、途中で昼寝なんかしちまったくらいで、結局15枚くらいしかプリントできなかったぜ。
不覚だ。
しかしまぁ、生業のほうは震災の影響なんかもあって、5月はズイブン暇そうなんで、引きこもってコツコツプリントするってのも、一興かもしれないな。なんてったって、プリントしたいネガが、軽~く5、600枚はあるからね。こんなペースでちんたらやっていては、俺が生きてるうちに終わらないぜ。だからといって、デジカメに移行する気は、もちろんさらさらない。ここは大事なポイントなんで、もう一度言おう、デジカメに移行する気は、まったくないんだぜ!
Amsterdam
それはそうと、『たまには写真やカメラについて話そうかな #4』は、このブログの中で、一番地味にPVを伸ばしているロングテールなんだが、どうしてだろうかと思い、ちょっと見てみると、CONTAXで検索をかけると、かなり上の方にヒットしてくるわけだ。かつて、ライカと写真界を二分したコンタックスが、今では誰からも忘れられ、俺のようなおっさんのたわ言のようなブログが、世間の皆様のコンタックスに関する、情報源になってしまうとは。悲しいことだ…。
ふと、興味が湧いきて、同じ検索条件でヒットしている他のブログを見て、俺はひっくり返った。
俺の愛機ContaxⅢaを、堂々と戦前の古いカメラだと抜かしている奴がいる!当節流行のカメラ女子だとしても、これを大目に見るつもりは、さらさらない!真実は常にひとつ!と名探偵江戸川コナン君も言っているではないか!
興味のない向きには何のこっちゃだろうが、あえてここではっきり言っておこう。
あのキャパも使ったContaxは戦前も戦前、1936年にツァイス・イコンが発表したⅡ型。これに露出計を載せたものがⅢ型。レンズにはCarl Zeiss Jena(イエナと読むのだよ。ドイツ東部の街で、カールツァイスの創業の地だ)と刻印されているはずだ。
戦後に、東西ドイツ分断によって、巨大光学機器メーカーCarl Zeissも東西に分断され、企業体力はがくんと低下した。何と言っても本拠地のイエナはソビエト軍に接収され、生産設備は、ごっそりそのまま、技術者もろとも、ウクライナのキエフに持っていかれちまったからだ。まぁ、ゆとり世代の若い衆は、ドイツが東西に分断されていて、1989年にベルリンの壁が崩壊したことをきっかけに、共産主義の東側と、資本主義の西側に分断されたいたドイツが統合したって歴史も、ご存じないかもしれないが。
斯く言うツァイスも、イエナの東側と、アメリカ軍によってドイツ西部の街オーバーコッヘンに拉致同然に移住させられた技術者たちによって再建された西側のツァイスに分かれてしまったのだ。そして、1991年にカール・ツァイスは東西統合するまで、それぞれが本家争いを繰り広げていたのだ。
その本家争いの真っただ中、ほとんどゼロから再建された西側のCarl Zeissから、1950年に発表されたのが、戦前のⅡ型のシャッタースピードや操作性を向上させ、一層の小型化を施したⅡaで、翌年発売されたのが、露出計搭載モデルのⅢaだ。間違えてもらっては困る。
特殊なものを除いて、そのレンズにはZeiss Optonと書いてあったり、Carl Zeiss W Germanyと書いてあるはずだ。どこぞのエー加減な中古カメラ屋のオヤジの話しを真に受けたのだろうか?俺は、必ずこういうことを書く際には、信頼できる文献に当たり、極力間違いの無いように心掛けているつもりだ。以前も紹介した竹田正一郎センセーの本を読んでみてくれ。
カメラや写真に関して、もっと歴史を学んだ方がイイぜ。カメラの発展の歴史は、確かに自動化の歴史ではあるが、その過程を学ぶことで、露出やシャッター速度の関係、レンズの特性と開放値に応じた描写の変化、そしてレンズの個性に基づいてどんな描写が生み出されるのかを理解することができるってもんだ。単に、シャッター押せば写るっちゅうもんじゃないんだぜ。
そして、自分の撮影しているモノが、その辺の子猫や花鳥風月やモデル撮影会でも、今日までどのような写真家によって、どんな写真が撮られてきたのか、そしてそれがその当時、どのようなインパクトを持っていたのかを学ぶことはヒジョーに重要なんだ。写真集や写真展に足を運ぶんだ。そうすれば、君の写真に必ずや奥行きが出ることだろう。まぁ、俺が言っても説得力ないかな。
音楽も文学もそうだぜ、昔のスゲー奴らの業績や傑作も知らずに、イイ気になってるようじゃだめだ。まさに、温故知新だ。後ろに進むことによって、前に道が開けるんだ。しかも、最短でね。
まぁ、Contax Ⅲaは戦後のカメラだよってことが言いたいだけなんだけどね。もしかしたら、その人の言う戦争はアフガン戦争とか湾岸戦争かもしれないけど…。

まぁ、それはどうでもいいか。
今日はアムステルダムの写真をお届けしよう。
de Dam,Amsterdam
さっきも言ったように、今日はフィルム一本分、15カットしかプリントしていない。具体的に言うと、アムステルダム郊外のスキポール空港駅のホームから、アムステルダム中央駅を経て、サムソナイトをごろごろ転がしながらホテルに向かい、一息ついてカフェを探しに出たところまでだ。俺の旅はこうして、プリントすることで濃縮され、熟成した記憶として脳みその中に定着されていくのさ。

写真はアムステルダム旧市街の中心、ダム広場で見かけたおねーさんだ。どう、いい女だろう?日本だったら、こんな格好でうろうろしてんのは、風俗嬢と相場は決まっているが、さすがにオランダは違う。
なんか俺に話しかけてきて、パンフレットをもらったけど、俺はおねーさんの半分はみ出たおしりにばかり気をとられていて、何を一生懸命、こんな格好で伝えようとしてるのか、イマイチわかんなかったんだ。
まぁ、パンフレットを見たところ、これまたオランダ語ばかりなんだけれど、想像するに家畜を飼育するのにも、出来る限り愛情を持って、家畜が苦痛を感じないようにしてあげよう、そして感謝して食べよーみたいな話なのかなって想像したんですがね。子豚の写真とかのってたし。しかし、だとしてもこの格好でアピールする必要性って、あるんですかね。俺は嫌いじゃないけど…。

読者諸君、また会おう。これからコツコツプリントしていくぜ。まだまだこんなのは序の口だ。35本のうちのたったの1本だ。これからもガシガシ行かせてもらうぜ。楽しみにしていてくれ!