2013/01/19

Post #702 Wires and Wired

VietNam
今まで泊まったたいていのビジネスホテルには、たいてい無難なカンジの水色のUTPケーブルが伸びていて、それでLANにつながっている。モロッコやバリ島では、たいてい無線LANだったのに。だから、ノートパソコンはOKだけど、Wi-Fiモデルのタブレットはつながらない。サミシーことだ。
で、その水色のケーブルを見ながら、ぼんやり考えたのさ。
日本の景気回復のために、行政は電線地中化というのをよくやっている。
ヨーロッパなんか行くと、街の景観を守るために、たいてい電線は地下に埋められていて、職人さんはまず、敷石を剥がして、穴掘りから始めている。御苦労なこった。
しかし、日本の空は、電線がないと、物足りない。
アジアじゃ、町の美観なんてこと考えずに、ガンガン電線をひきまわしている。
極東アジアの日本の町の景観の重要にして欠かすべからざるポイントだ。俺はそう思っている。
電線地中化工事の終わった後の、スカスカした景色を見ると、そこからは人間の営みの痕跡がかき消されてしまったように味気なく感じる。
ヨーロッパは石造りの建物に刻まれた歳月の重みが、人間の営みを感じさせるけれど、ニッポンの新建材とガラスで出来た清潔で安っぽい建物から電線を消し去ると、なんだか現実感というか生活感が失われ、風景そのものが舞台の書割のように感じられる。
いや、俺だけだろうか。
駅前から電線を消し去り、喫煙者を締め出し、明るく清潔なだけで深みの無い街が増えているように俺には思えるんだ。どうだろう、君の街はどうだい。
薄暗い小路に時代遅れの小さな飲み屋が並んだような、生活感が腋臭のように匂い立つ横丁はは残っているかい?
駅前の電線に、夕暮れ時に集まり、ネオンに惑っていつまでも鳴きやまない雀の群れはいるかい?
薄暗い高架脇の電柱に、痴漢に注意の看板が張り付けられているかい?
どこの駅前も、同じようなロータリー、同じようなチェーン店の居酒屋、そしてマクドナルド。
退屈しちまうぜ。
俺が写真に撮りたいのは、人間の気配がムンムン漂う景色。それはいつかはなくなってしまうような景色だ。俺は清潔なだけで人間臭さの無い街は物足りないのさ。
少なくとも、写真を撮るとき、電線がないと少し物足りないってものさ。

読者諸君、失礼する。よい週末の夜を過ごしてくれ。俺は今夜もビジネスホテルで一人さ。退屈だよ、まったく。

2013/01/18

Post #701 Street Light,Bicycle And Woman with Boots

HomeTown/Nagoya
今夜は、写真だけ。眼が疲れてるんだ。ビジネスホテルの部屋は空気が乾燥している。ドライアイになりそうだ。ベッドに腹ばいになってパソコンをいじっていると、目が疲れちまうんだ。
写真には何よりも目が大切なんだ。たとえ、俺の節穴みたいな目だとしてもね。
だから、今夜はとっとと灯りを消して、俺の血走った目を休ませたいんだ。

読者諸君、失礼する。

2013/01/17

Post #700 Crane,Wire and Gloomy Sky!

Osaka
今回でこのクソったれなブログも700回だ。
我ながら飽きずによくやるぜ。そうそう暇人でもないのに、よくやるぜ、呆れるぜ。
UPした写真はとっくに千枚を超えている。
写真は一枚一枚でインパクトがあるのが望ましいのかもしれないが、ある一定の量に集積されると、質より量の領域に突入する。薄利多売だ。ちりも積もれば山となるだ。仕事といい、写真といい、それが俺のスタイルだ。

俺はたった一枚で、読者諸君を感心させるような、インパクトのある傑作を撮りたいわけじゃないんだ。それが出来れば、苦労しないよ。
俺の視点で切り取った写真を、グロスにして叩き売るようにして、イメージの集積によって描かれてゆく俺の世界を築き上げ、そこに君を招待したいのさ。
俺はいつも自分の写真のサムネイルを見て、目もくらむような想いを味わっている。
その世界では、パリもバリも、イスタンブールも大阪も、マラケシュも東京も、アムステルダムも俺の住む名古屋も、バルセロナも香港も、一つの地平にフラットに、隣り合わせに存在する。
そう、それが俺の世界なんだよ。
グローバルっていうのはちょっと薄っぺらだ。うむ、何といったらいいんだろう。そうだな、お気に入りの写真集や小説やカメラやCDが山積みの俺の部屋にいながら、世界のいろんなところに同時に存在しているような不思議な感覚にとらわれるんだ。

けっしてシャブ喰ってるわけじゃないぜ。

俺はランダムに並んでいる自分の写真を眺めていると、そんな不思議な気分になってくるっていうことさ。
そこは路上の世界でもある。何故なら俺の写真のほとんどは路上で歩きながら撮られているからだ。そう、まさにOn The Roadだ。
俺の撮りたいものは、全て路上に転がっている。
俺は今、富士山の見える町に来ているけれど、富士山を撮りたいなんて、ちっとも思わないぜ。そんなのケータイで撮って、友達に送るくらいの扱いでちょうどいいのさ。富士には、月見草がよく似合うBy太宰治の心意気だ。そもそも俺が撮らなくても、誰かがとっくに、もっと上手に撮ってるんだからな。
俺は昔から、その手の写真を風呂屋のタイル絵か、人畜無害のカレンダーみたいで、好きになれなかったんだ。そういうものは、自分の眼で見るに限る。それに、その手の万人受けする写真を撮りたいって人は、日本全国通津浦々、どこにだっている。
他人と同じことをしていちゃ、名もない群衆の中にうずもれてしまうぜ。そうだろう?
世界に70億人もいるのに、自分はたった一人なんだぜ?そんなのつまらなくないか?俺はひねくれ者なのさ。俺は俺の道を行かせてもらうぜ。

それよりも俺は、寂れた路地の看板や、道行く冴えないサラリーマンや、誰からも顧みられないようなポンコツな人々、そしてこの寒空の中、惜しげもなく足を晒して闊歩する御嬢さんたち、そんなものに心惹かれてるのさ。そいつらは、いつだって路上に転がっている。時折オマワリに職質されたりするのも路上だがね。仕方ない、俺はいつだって反体制だったんだからな。職質くらいされるってもんさ。OK、俺の魂の叫びを聴いてくれ!

ぐうぇあぁぁぁぁっ!
写真とりてぇぇぇぇ!
プリントしてぇぇぇぇ!

まだまだ君たちが見たことが無い写真が、山ほどある。それどころか、俺自身も見たことない写真が山ほどあるんだ。家に帰れば、プリントされてないネガの山が、ブンブンと唸りをあげているのさ。
マンネリでも飽きなきゃイイ。天才アラーキーもそういっている。
同じ道を歩いても、同じ人間に出くわしても、まったく同じ瞬間なんてない。
そして、その唯一無二の瞬間を切り取るのが写真だろう。
その意味において、飽きるわけがないだろう。
まぁ、忙しさにかまけて、心が折れるときはあるだろうけれどね。
OK、この44歳のファンキー・ガッツ・マンの冒険というか道楽に、これからも付き合ってくれる心の広い君たちよ。これからもよろしく頼む。
ほとんど反響もなくって、底なしの穴に毎日ひとつづつ小石を投げ込んでいるような寂しさも時には感じるが、まぁイイだろう。俺の話しが自己完結しすぎてて、突っ込みどころがないんだって思っておくよ。そう思い込んでいた方が、俺も君も幸せでいられるってもんだ。
とはいえ、時折コメントをくれる数少ない理解者の皆さん、本当にありがとう。個別に名前は挙げないが、宇宙に向けたメッセージに、何万光年も離れたところから返信があったように嬉しく思ってるぜ。君たちのおかげで、俺は今日もこうして、思い上がったくだらない駄文を書き連ね、へたっぴな写真を見せびらかすことができるってものさ。
おぉ、自分の才能の無さにひっくり返りそうだぜ。
君たちこそ、俺の支えなんだ、ありがとう。いつか君たちと、じかにお目にかかることのできる幸せな日の来ることを、俺はいつだって夢見ているよ。

読者諸君、失礼する。俺はシャワーを浴びて、飯を食いに出かけるのさ。御機嫌よう。