2026/04/26

POST#1831 なんのこたぁねぇ、連帯責任は無責任ってことか

 

Copenhagen,Denmark
例によって、夜勤を終えて家路につき、飯を食って風呂に入る。少しさっぱりしたところで写真整理と40年ぶりに使うサイン・コサイン・タンジェント現場で採寸した図面から寸法を割り出す。
午前七時、限界だ。俺は少し仮眠することにした。今日は九時から町内会の寄り合いがあるんだ。
案の定、寝坊した。町内会の重鎮からの電話で目を覚まして、そのまま車に飛び乗って会合が開かれてる喫茶店に向かった。
で、それが終わってからずいぶん長い間、町内の隣人と立ち話をして過ごした。
風通しが良くて、住んでて安心できる拡大家族のような町内がいいと思ってるんだ。

家に帰ってきたら、女房子供はとっくに出かけていた。まぁ、それでも悪くない休日だ。

閑話休題。

まったく、参政党じゃないけれど『どうして日本人はこんな 劣化しちゃったんだ?』と頭を抱えたくなるぜ。 昔は自分の政策によって失敗があったならば、俺たちの先祖は潔く切腹してたんじゃないのか?

薩摩隼人の血を引く祖母に育てられた俺以外には「切腹」というのは極端な話かもしれないけれど、かつての日本には確かに「公(おおやけ)に対する責任感」や、失敗を恥じる「潔さ」という倫理観が、指導者層にも現場にも深く根付いていた。

現代の指導者層(政治家や官僚、プロ経営者)が『劣化』したように見える背景には、単なる精神論ではない、いくつかの構造的な要因がある。

まずは何より「恥の文化」から「無謬(むびゅう)性の文化」へ日本文化が変容してしまったんだ。

昔の日本人は、自分の非を認めることを『恥』とし、そのケジメとして身を引いて隠居する座敷牢に入るなり、切腹するという『美学』を持っていた。倫理と生き方の美学が内面化されていたんだな。

しかし現代の組織、とりわけ官庁、つまり役人のせかいでは、「間違いを認めたら終わり」という文化が定着してしまった。別にアメリカ流とかそういうわけじゃない。

一度失敗を認めると、その瞬間に自分の人生をかけて築いてきたキャリアが断絶し、組織全体の責任を問われるため、厚顔無恥に屁理屈をこね、論理をすり替えてでも「自分たちは間違っていない」と強弁し続けることが正解になってしまったというわけだ。見苦しいぜ。これが官僚の無謬性だ。現代の天動説だ。睾丸に鞭でもくれてやるぜ!

そして赤信号みんなで渡れば怖くないといわんばかりの「顔の見えない」意思決定システムだ。

かつての実業家や政治家は、自らの出身地域や行政の現場と密接に繋がっており、『誰のために何をするか』という個人の顔が見える責任を負っていた。

しかし今は、プロジェクトがあまりに巨大化し、経団連の偉いさんや経済学者や政治家の皆さんがお集まりになる、なんちゃら会議だのなんちゃら委員会の合議制の影に隠れて、「誰が最終的に決めたのか」が曖昧になっている。唐傘連判みたいに判子はいっぱい捺してあるかもしれないが、責任が細分化された結果、誰もが『自分は組織の一員として手続きに従っただけだ』という言い訳が可能になってしまいました。官僚的無責任というわけだ。

なんのこたぁねぇ、連帯責任は無責任ってことか

デビッド・グレーバー🔗官僚制のユートピア🔗を一読なさることをお勧めするよ。

そして、リスクを取らない「秀才」たちの跳梁跋扈。

今の日本の中枢にいるのは、失敗を恐れて減点法を生き抜いてきた「試験のプロ」たちだ。

彼らは自分の懐が痛まないお金、つまり俺たちの税金を使い、失敗しても優秀な頭脳でひねり出した屁みたいな理屈で逃げ切れるため、本当の意味での「覚悟」を持つ必要がない。まったく猪口才な奴らだぜ。コロナの頃の『アベノマスク』はあまりに鮮やかな典型だ。

しかし俺も含めて市井の実業の親父さんたちは、 失敗すれば自分と家族が、社員とその家族が路頭に迷うため、本気でリスクを管理し、必死に汗をかく。命が惜しいからな。

そして日本人の心から「武士道」的な倫理観が払底し、喪失してしまったんだ。

かつて日本人の根底にあった『卑怯な真似はしない』『弱きを助ける』といった徳目が、効率や数字、あるいは『保身』という価値観に取って代わられてしまった。

インボイスで零細企業を追い詰め、自分たちは裏金で甘い汁を吸うという行為に『恥ずかしさ』を感じなくなっているのは、まさに精神的な劣化と言えるだろうよ。

「自分の決断に自らの人生を賭ける」という実業の親父さんたちが持っている当たり前の感覚が、国を動かす側から完全に失われてしまったんだ。寅さんに出てくるタコ親父の爪の垢でも煎じて飲んでろ。中小企業の親父さんたちは、今時切腹こそしやしないが、どん詰まりになったら首をくくったり線路に飛びこんだりしてるんだ。

言葉を失うほど重い現実だ。くそっ、たかが金のことで死んでたまるか。俺はそうなったら、ミャンマーの奥地、黄金の三角地帯🔗に逃げ延びて、バナナでも食いながらケシでも栽培してしぶとく生きるぜ。

さて皆の衆、『劣化』という言葉では足りないほど、今の日本の指導層と現場の間には『命の重さ』に対する埋めがたい断絶があるのではないでしょーか。

人間は人間であるという、ただその一点だけで尊重されるべきだ。

中小企業の親父さんたちがどん詰まりの末に選んでしまう「最悪の決断」は、まさに自分の人生、家族、そして従業員への責任を、文字通り自分の命で取ろうとする究極のケジメだろう。もうどうしようもなくなってメンタルを病んでしまうんだろうな。

俺の親父みたいに、家もとられて借金も税金も踏み倒して、借用書すら持ってないってくらいアナーキーな奴のほうがしぶとく長生きするぜ。ある意味痛快だな。

これに対して、兆円単位の国家予算を動かしている官僚や政治家が、失敗して「申し訳ありませんでした」と頭を下げる(あるいは開き直ってそれすらしない)姿は、実業の現場から見れば、あまりに軽薄で、怒りを通り越して虚しさを感じざるを得ないけど、それは俺だけじゃないだろう?

 インボイス制度や社会保険料の引き上げは、机上の計算では「公平な負担」に見えるかもしれない。益税益税って、世間様からぶっ叩かれたしな。

しかし、ミクロな現場ではその「わずかな数万円、数十万円」が、夜の零細企業経営者たちを死に物狂いの資金繰りに追い込み、最後の一線を越えさせる引き金になるんだぜ。

一言で言えば、制度が「死」を強いている矛盾に世間は満ち満ちているんだ。そして国民は、自分より弱い者を見つけて、匿名でつるし上げて鬱憤を晴らす。陰惨だ。

この世がくそダメに思えてくるぜ。

そういえば、俺が子供のころ、近所の畑の肥溜めの上澄みの中でトノサマガエルがすいすい泳いでいた。俺はそれを捕まえようとして肥溜めに手を突っ込み、おふくろに激切れされたことを今思い出したぜ。まさか、この年になって俺があのトノサマガエルみたいにくそ溜めの中を泳ぎ回る羽目になるとはな。

零細企業やフリーランスの現場では、制度の変更一つで、リアルに「死」が隣り合わせになる。こんな駄文を書き散らしてる俺は、君には呑気なおっさんに見えるかもしれないけれど、心中は毎日綱渡りだ。

けれど、このくそ溜めの上に聳え立つ国策プロジェクトでは、盛大に失敗しても誰も死なないし、生活も困らない。

このあまりにも不平等な構造こそが、今の日本で最も『おかしい』部分だとは思わないか?

『責任ある積極財政』という言葉が聞かれるけれど、あれはいったいどういう意味なのか、俺にはさっぱりわからない。「責任」という言葉が独り歩きして形骸化し、責任ってつければみんなが納得する枕詞みたいなもんだろうか?

今のエリートたちが使う「責任を取る」という言葉は、せいぜい「役職を辞める」「ボーナスを一部返納する」程度のことだろう?なに、報酬の○○%返納というのもよくきくね。けど、彼らにはどうってこたぁないのさ。

一方で、市井の経営者にとっての責任は、常に「全人生」がかかっている。

この「責任の重みの差」を知ろうともせず、机上の空論で2.3兆円という想像もつかない額を動かす。しかもその金は、市井の経営者の皆さんや日本全国津々浦々の労働者の皆さんが、生活を切り詰めて払った税金そのものだ。この無神経さはいったいなんだ?

現場で歯を食いしばって、文字通り命を懸けて商売をしている人たちが報われず、無責任な「思いつき」で動く側が守られる。このままでは、日本という国そのものの精神が崩壊してしまうだろう。

せめてその失敗したプロ 経営者やエリート官僚を禁治産者にするとか、そういうペナルティーを考えてほしいもんだ。今の「やり逃げ」が許される構造を放置したままでは、今後も同じような失敗が繰り返されるだけだろう。

「プロ経営者」として巨額の公的資金(血税)を動かすのであれば、それ相応の「身分上のリスク」を法的に負わせるべきだというご意見は、実業の厳しさを知る人からすれば当然の要求じゃないか。

実際に、以下のような「厳格なケジメ」を制度化すべきだという議論があるようだ。

1. 「禁忌(公職・役員就任禁止)」の厳格化

失敗したプロジェクトの責任者に対し、その後一定期間、あるいは一生涯、「上場企業や公的団体の役員、政治家への就任を禁止する」という措置。

ちなみに、今の日本では、失敗しても別の会社の顧問や団体の理事として『渡り鳥』のように生き残れる仕組みになっている。何が『渡り鳥』だ。『アホウドリ』の間違いだろう!

「失敗したら二度と表舞台には立てない」というルールがあれば、彼らも中小企業の親父さんたちと同じような切迫感を持って、必死に仕事をする・・・かもしれない。あんまり期待しないけどね。

2. 「成功報酬」があるなら「失敗罰則」を

プロ経営者は成功した時に数億円の報酬を要求する。しかし、大損害を出した時には「解任」だけで済むのはアンフェアじゃないか。むしろ単なる強欲だ。

私財の没収や返還義務: 投じた税金に対して著しく成果が低かった場合、それまでに受け取った高額な報酬の返還を義務付ける。

個人保証の導入: 「国が保証するなら、経営者個人も一部保証せよ」という形にすれば、今の「他人の金=税金で博打を打つ」ような無責任な経営はできなくなるだろう。ちなみに、一般的な中小企業の経営者は、出資金以上の責任はないとされているけれど、法人の代表としてではなく、個人として連帯保証人となり、結局は事業債務から逃れる術はない。

日本は、一度レールから外れてしまったもの、一度失敗したものに、再起するチャンスを与えない社会だが、どうやら大企業の偉いさんたちの世界では勝手が違うようだ。

3. 「背任罪」の適用拡大

単なる「判断ミス」で片付けるのではなく、明らかに無理な計画を強行したり、事実を隠蔽したりした場合には、刑事罰(実刑)を含めた厳しい追及ができるように法整備を行うべきだろう。

中小企業の親父さんが「首をくくる」ほど追い詰められる一方で、何兆円も溶かした人間が「遺憾である」の一言で済ませる不条理を、法律で正す必要がある。何せ、血税を無駄にしたんだ。その責、万死に値するぜ。

「実業の現場」では当たり前の「責任の取り方」を、政治や国策プロジェクトの世界にも持ち込む。それができない限り、2.3兆円という大金は、ただの「エリートたちの遊び金」として消えていくだけかもしれないな。

まったく「役職を辞める」程度の生ぬるい話ではなく、「公民権停止(選挙権・被選挙権の剥奪)」や、二度と表舞台で活動できない「禁治産者(に類する厳しい資格制限)」のような、社会的・政治的生命を絶つレベルの厳罰が必要だと俺は思ってる。

それだけの覚悟がなければ、「他人の金(血税)」で数兆円規模の博打を打つ資格はないはずだろう。

1. 公民権停止と「公務禁止」

内容: 巨額の税金を損失させたプロ経営者や官僚、政治家に対し、一定期間(あるいは終身)、「選挙権・被選挙権の剥奪」および「一切の公的な職務(顧問や参与含む)への就任禁止」を課す。

意図: 「国を過った者には、二度と国政や公の物事に関与させない」という、文字通りの追放刑だ。

2. 「社会的・経済的剥奪(実質的な禁治産化)」

内容: 失敗の責任の重さに応じて、個人の全資産を凍結・没収し、さらに破産者と同等、あるいはそれ以上に「他人の金を預かる業務」や「企業の代表者」になる権利を恒久的に奪う。

意図: 中小企業の経営者が自己破産した時に受ける苦しみ(住む場所を追われ、信用を失う)を、プロ経営者にも同等に、あるいは「公金を預かった重み」としてそれ以上に味わせる仕組みだ。

3. 「国策背任罪」の新設と「獄中」での責任

内容: 単なる経営判断のミスではなく、杜撰な計画や保身による強行を「国民に対する背任」と定義し、執行猶予なしの実刑判決を下せるようにする。

意図: 「切腹」が許されない現代において、国家に損害を与えたことに対する最大の物理的なケジメを、塀の中で取らせるという考え方だ。

今の日本のエリートたちが「劣化」したのは、こうした「失敗した時の恐怖」が皆無だからだ。なんせ、成功すれば、高額報酬。失敗しても、名誉ある退職。これでは「いい加減」になるのも当然です。

俺たちに日本の大衆は、もっとこの体たらくに怒ったほうがいい。

日本人が大人しいから、この懲りない連中は、盛大に失敗してものうのうと生きてられるんだ。日本人の「我慢強さ」や「秩序を重んじる気質」が、結果として無責任な指導層を「のうのうと生き延びさせている」という側面は否定できるかい。

諸外国、特にグローバルサウスといわれるような地域や、あるいは歴史的に市民革命を経験してきたフランスのような国々であれば、これほど不条理な事態(庶民からは1円単位でむしり取り、特定企業に数兆円溶かす)が起きれば、もっと直接的で激しい「怒りの爆発」が起きています。フランスであった黄色いベスト運動🔗を、君も覚えているだろう。大衆をバカにしていちゃ、今に痛い目を見るぜ。

1. 諸外国での「責任の取らせ方」の現実

激しい抗議行動: 途上国やフランスなどでは、生活に直結する増税や不透明な公金支出があれば、暴動に近いデモが起き、政府機関や指導者の邸宅が囲まれることも珍しくない。

物理的な追及:汚職や無策で国を傾けた指導者が、文字通り群衆に引きずり出されたり、国外亡命を余儀なくされたりする国は現実に存在する。日本人がおとなしくて規律を重んじる国民でよかったな。裏を返せば、飼いならされた家畜みたいだぜ。

2. 日本の「おとなしさ」が招く甘え

日本人は「法的手続き」や「選挙」を重んじますが、逆に言えば、「法さえすり抜ければ、あるいは選挙まで逃げ切れば、何をしても安全だ」と官僚やプロ経営者に高を括らせる原因にもなっていないか?

「切腹」の文化が消え、物理的な制裁の恐怖もなくなった現代の日本で、エリートたちは「国民は怒っても、結局は何もしてこない」と心のどこかで舐めている節があるだろう。

国会の前で何万人も集まってデモをしても、国営放送がニュースとして放送しないような情報統制国家なんだ。

3. 「命の重み」の不均衡

行き詰った中小企業経営者の中には、誰に言われるでもなく、一人で責任を背負い込んで「首をくくる」という極限のケジメをつけてしまう人もいる。人口10万にあたり15.4人自殺する。その中のいくらかはやはり、経済的に行き詰った末の自殺だろう。年間2万人ほど。一時期は年間3万人だったな。

しかし、その原因を作った側は、クーラーの効いた部屋で「遺憾の意」を表明するだけです。この「死ぬほど苦しんでいる側」と「涼しい顔をしている側」のバランスが、海外のような激しい衝突がないために、是正されずに固定化されています。

日本人が「大人しい」のは美徳とされることもああるだろう。麻生漫☆画太郎センセーも、日本人の民度は高いのだと海外の政治家に自慢してるくらいだからな。

しかし時として、その美徳が「無責任な権力者を助長させる装置」になり、国民をして『自らを圧殺する契機』となってっていないだろうか?

「袋叩き」に近いレベルの「激しい怒りと監視」を国民が突きつけない限り、彼らが自ら「実業の痛み」を理解し、身を正すことは期待できないのかもしれねぇなぁ…。

2026/04/25

POST#1830 大企業は自分に有利な政策を政治家から買っているってことなんだぜ

Hamburg、GERMANY

今朝は授業参観だった。しかし風呂の中で眠ってしまった俺には、そんな元気はなかった。

カミさんの話では、息子の新しい先生はなかなか授業がうまいようだ。厳しいけれど子供たちを包摂するような雰囲気のある人らしい。

授業参観にはいかなかったが、町内会の班内のご家庭に市の広報を配り、コンビニで固定資産税第一期分をおさめてきた。俺の親父は、家を借金のかたに手放した後、会社の社屋に住んでいたんだが、そこの固定資産税を何年も滞納した挙句、結局追われるように資産家の未亡人の持つアパートに転がり込むことになった。

人のふり見てわがふり直せだ。固定資産税はちゃんと払えるように毎月積み立てている。自転車操業ここに極まれりだ。

さて、閑話休題。

そもそも考えてみれば、日本の経済を支えているのは末端の中小企業だ。企業数だけなら日本の企業の99.7%は中小企業だ。労働者の数だけとっても約7割が中小企業だ。

皆様ご存じの大企業はほんの少ししかない。この中小企業をないがしろにしていながら、大企業に税金を突っ込んだり、税制の優遇を与えるのは皆さん、なんだかおかしな話じゃないですか?「日本の背骨」は中小企業なのですが、国の政策はその実態と大きく乖離(かいり)しているのが現状だわな。

なぜこのような「おかしな構図」が放置されているのか、その裏側にある3つの冷徹な理由を整理してみよう。

まずは「効率」と「管理」を優先する官僚組織の存在だ。

経産省にとって、全国300万以上の中小企業を一社ずつ支援するのは膨大な手間がかかる。そりゃそうだろう。一方で、ラピダスのような巨大プロジェクト一カ所に数兆円を投じる方が、圧倒的に管理が楽で「やった感(成果)」をアピールしやすいという、官僚的な論理というかご都合主義があるんだぜ。

で、一時期世間を席巻した「選択と集中」というスローガンが浮上してくるが、この頓馬共はこの「選択と集中」をはき違えてる。 かつてから政府は「選択と集中」を掲げているんだけど、それが結局は「声の大きい大企業」にばかり光を当てる結果になっているんだな。なぜって、大企業は政治家と仲良しで経団連の皆さんとずぶずぶの関係だからな(笑)。

前段からの続きで政治との距離があげられる。つまりはロビー活動だ。

大企業や業界団体は、政治家や官僚に対して強力な交渉力、つまりロビー活動を持っている。企業献金だって大っぴらにやってござるしな。一方で、日々の資金繰りに追われる中小企業の親父さんたちの声は、個々では小さく、なかなか国の中枢まで届かない。資金繰りに必死なのに、政治家に献金なんてできないんだから、仲良くなることもないだろう。

これはぶっちゃけ、大企業は自分に有利な政策を政治家から買っているってことさ。

結果として、予算配分を議論する会議の場には、中小企業の現場を知らない「プロ経営者」や学者が並び、自分たちに都合の良い理屈で2.3兆円の正当性を語ることになっちゃうんだなぁ。世も末だ。

そしてとどめは「波及効果」という名の幻想だ。

政府は「大企業が成功すれば、その下請けである中小企業にも仕事が回る」と説明しているんだが、これはいわゆるトリクルダウン理論🔗だ。経済のシャンパンタワーだ。そうやって言えば、まるでホストクラブみたいないかがわしさが君にもわかってもらえるだろう!

しかし現実はそんな甘っちょろいもんじゃない。人間の欲望には限りがないからだ。その真実を知っているのは、俺のような貧乏人だけだ。

物価高やエネルギー高で中小企業が苦しんでいても、大企業はコストカットを要求し、利益を独占する構図が続いてきた。2.3兆円をラピダスに投じても、その恩恵が末端の町工場にまで賃上げとして届く保証はどこにもない。俺はあるゼネコンの現場事務所で、スーパーゼネコンの社員が、下請けの営業担当に対して、脅迫すれすれの値引きを強要しているのを見たことがある。よくある風景さ。ありふれた出来事さ。君にも覚えがあるんじゃないのか?

いつも言うけれど、トリクルダウンなんて、嘘っぱちなんだ。俺が勝手にいってるんじゃないぜ。ジョセフ・E・スティグリッツ🔗をはじめとした、錚々たる経済学者が解き明かしてるんだ。

こうして零細中小企業の皆さんが「ないがしろ」にされた結果の末路は国力の衰退だ。

日本経済の土台である中小企業が崩れれば、いくら先端の半導体だけを作っても、日本経済は立ち行かない。いくら経済のコメといっても、食べられる半導体なんかないしな。それだけじゃ腹は膨れないのさ。

優れた技術を持つ町工場が資金繰りや後継者不在で潰れてしまえば、二度とその技術を取り戻すことはできないだろう。

「真面目に働いて責任を取る者が損をし、税金にすがるプロが甘い汁を吸う」という構図が続けば、社会の中に不信感の増大が増大してゆき、国民の勤労意欲や国への信頼そのものが崩壊していくだろう。

にもかかわらず、政府は近年、零細企業にも インボイス制度で消費税の納付を義務付けてた。おかげさまで、俺もケツの毛まで毟り取られてるさ。この対比はあまりにも残酷で、今の政府の姿勢が「誰を向いているのか」を如実に示しているだろう。

税金を取りやすいところから巻き上げ、搾れるだけ搾り取り、自分たちに献金してくれるよな大企業に回す。やったね!富の逆再分配だ。

片やラピダスという特定の一企業には、2.3兆円もの血税を「将来の投資」としてジャブジャブつぎ込む。その一方で、日々の暮らしを必死に支えている零細企業やフリーランスには、インボイス制度で「1円単位の消費税」を厳格にむしり取ろうとする。この方向性は、信賞必罰としても、経済政策としても支離滅裂だと言わざるを得ないぜ。

この矛盾を整理してみようぜ。するとあら不思議、3つの「おかしさ」が際立ちますぜ。3つの美味しさが引き立つとかならよかったんだがな。

1. 「弱者から奪い、強者に配る」不条理

年商1,000万円以下の免税事業者だった零細企業にとって、インボイス登録による消費税負担は死活問題だ。「益税」という言葉が一時期大流行りして正当化されていますが、実態は「ギリギリで回している商売の利益を削り取る」行為だ。俺はあの益税という言葉の大流行は仕掛けられたプロパガンダなんじゃないかと疑っている。大企業への様々な税制優遇措置に関しては、法人税務の申告書の書式を見ただけで明々白々なのに、だれも益税って言わんのが怪しさ満点だ。

庶民や零細企業から集めたその貴重な税収が、失敗の責任すら問われない「プロ経営者」たちの壮大な実験に使われているわけだ。この構図は、真面目に納税している側からすれば到底納得できるものではないぜ。ヘリコプターで現ナマをばらまいてほしいぜ!

今、ひらめいた!それより実質国営企業だというのなら、ラピダスの株式を全国民に一株づつ配ったらどうだ?ナイスアイディアじゃない?!

2. 「事務負担」という見えないコスト

大企業はシステムを整える体力がありますが、俺のように一人で切り盛りしている中小零細の親父さん・お袋さんにとって、インボイスの手間は膨大な事務負担となり、本来の「稼ぐ時間」を奪っているんだなぁ。

国は「DXだ」「生産性向上だ」と言いながら、零細企業には最も生産性を下げるような煩雑な制度を押し付けているんだ。一方でラピダスには「効率的な国策」として巨額予算を投じるという、二枚舌(ダブルスタンダード)がまかり通っていいるんだな。

まぁ、政治家のダブルスタンダードなんてのは、これに限ったことじゃない。驚くようなことじゃない。ウクライナを侵略するロシアは非難しても、ガザでジェノサイドを繰り広げるイスラエルには批判するもの遠慮し、イランに戦争を吹っかけたアメリカ様ことは「世界に平和をもたらす」と手放しで礼賛して、やられた方のイランを非難する始末だ。

Q:だれがこんなやつらの言うことを信じるんだ?

A:圧倒的多数の日本人が支持してるらしいよ!

3. 日本の「底力」を削っている自覚の欠如

インボイスによって廃業に追い込まれる零細企業が増えれば、日本の多様なサービスや技術の「芽」が摘まれてしまうだろう。俺も一瞬考えたが、ローンもあるし、仕事も好きだ。それに仕事を廃業したら、また世間からヒモといわれてしまうぜ。

2.3兆円の半導体」が10年後に成功したとしても、その時に日本を支える中小企業のネットワークがボロボロになっていれば、国としての経済力はトータルでマイナスになるだろう。

結局、政府は何を考えているのか?

正直なところ、今の政策決定の場には「現場で資金繰りに走り、領収書を整理する親父さんの苦労」が、つまり経済の実体がわかる人間が一人もいないのではないか、と思わざるを得ないな。

「将来のハイテク産業」という華々しい看板の陰で、今この瞬間、日本を支えている人たちの心が折れかけている。この現実を無視したまま進む2.3兆円の投資に、一体どれだけの価値があるのかという俺の静かな怒りと疑問を、せめて君にもわかってほしい。

これは極めて健全な批判精神じゃないか。

まったくツッコミどころは満載なんだが、結局は政治家の皆さんやエリート官僚の皆さんも、それどころかプロ経営者のお偉いさんたちも、実業の人達ではなくて 机上の空論の人たちで、これそこが諸悪の根源だと言わざるを得ないだろう。

今の政治家や政策を決めている人たちの多くは、親から地盤を受け継いだ「世襲議員」か、試験勉強が得意で組織を上がってきた「官僚出身者」ばかりだ。

政府の諮問会議に、街工場の親父が混じってる、ギグワーカーの若者がウーバーのリュックをしょって混じってるなんてことはありえない。

彼らの多くは、以下のような「実業の痛み」を肌で感じたことがありません。

給料日に通帳の残高が足りるか黒ひげ危機一髪の綱渡りの金繰りの恐怖。 

客先で頭を下げ、1円単位のコストカットを積み上げて利益を出す執念と現場の泥臭さ。

 役所が決めた「机上の空論」のような不条理な規制やはた迷惑な制度で、どれほど現場の手が止まり、商売が壊されるかという実感。

彼らにとって、2.3兆円という数字はパソコンの画面上の「予算枠」に過ぎず、インボイスの納付書も「適正な課税」という理屈上の言葉に過ぎないんだろう。「国民の生活や中小企業の親父さんの人生」が、その数字の裏に張り付いていることが想像できていないんだ。それどころか、俺のような人間なんか単なる数字ぐらいにしか思われていない。あいつらが俺たちのほうを見るのは選挙の時だけで、エリート官僚に至っては、まったく違う世界を生きてるんだ。

「机上の空論」が招く恐ろしい結果

実業を知らない人が「最強の理論」で作った計画(ラピダスや過去の日の丸プロジェクト)がなぜこけるのか。それは、「市場は生きていて、理屈通りには動かない」からだ。つまり、いつだって想定外なんだ。

競合他社の執念や、現場の士気、予期せぬトラブルといった「変数」を計算に入れられないから、失敗した時に「想定外だった」という無責任な言葉で逃げることになるんだ。情けない話だぜ。

結論として、現場の苦労を知らないおめでたい人たちが、現場から吸い上げた国民のお金を、自分たちの「理想の未来」のために使い込んでいるわけだ。この「実業と政治の決定的な乖離」が、今の日本の閉塞感そのものだろう。トマ・ピケティ🔗がみたら、わが意を得たりとひざを叩くこと請け合いさ。

2.3兆円の夢」を語る前に、まず「今日の1万円、明日の10万円」に苦しむ現場に寄り添うことが、本来の政治の役割のはずじゃないか。


まあ維新の皆さんが『身を切る改革!』とか言って議員数削減や自分たちの報酬を減らしたところで、そんなもんたかが知れている。大規模経済支援の前では屁みたいなはした金だ。やってる感だ。けれどもせめて議員のセンセー方にも政治資金を1円単位で税務署に申告してほしいでもんだぜ。

賛成の人、挙手を願います!

金額の多寡以上に、「国民には1円単位でインボイスや確定申告を強いておきながら、自分たちは使途不明な『裏金』や『政策活動費』を許されている」という不公平感が、国民の皆さん全体はいざ知らず、俺の怒りの本質だ。

今の政治資金をめぐる状況は、まさに「実業の常識」からすれば信じられないほど甘ちゃんなもんだ。俺の親父が若いころ、会社の金庫から金を鷲掴みにして飲みに行ってたようなもんだ。

1. 1円単位の公開」が進まない現状

現在、政治資金規正法の改正議論が行われていますが、自民党などは「5万円超」などのラインを設けて、それ以下の少額領収書は公開しなくていいという姿勢を崩していない。

その点を取ってみても、一般企業なら100円の消しゴム1個でも領収書を保管し、経費として認められるか税務署にチェックされるんだ。それが実業の世界の常識だ。戦々恐々としてるぜ。

これに対して政治家のセンセー方の世界では、数万円単位の支出が「何に使ったか」さえ公表されないまま、非課税で扱われることがまかり通っています。まさに政治のとんでも非常識だ。 

2. 「政策活動費」というブラックボックス

特に問題なのは、政党から議員個人に渡される「政策活動費」だ。

これは領収書の提出すら不要で、年間で億単位のお金が「何に使われたか一切不明」のまま消えていく。

国民にはインボイスで「透明性」を求めながら、自分たちは「最高機密の政治活動があるから」という理屈で、税務署のチェックも及ばない「闇のポケット」を持っているわけだ。

泥棒が法律を作っているようなもんさ。

3. 税務署が動かない「不公平」

中小企業の親父さんが少しでも計上を間違えれば、税務署が飛んできて厳しく追及される。下手すると、税務監査で税務署員が稼働して、手ぶらでは帰れないので、何もなくても日東分くらいの追徴課税をひねり出すという話も聞いたことがある。

しかし、何千万円もの裏金が発覚した政治家たちが、後から「修正申告しました」だけで許され、脱税で立件もされない今の状況は、「法の下の平等」が崩壊していると言っても過言ではない。それどころか、こんな裏金議員も選挙で再選されれば、禊は済んだとばかりに要職に就く。

江戸時代の犯罪者みたいに、とっ捕まるたびに額に入れ墨を入れて、一から始め、2回目にはナ、3回目には大、4回目には犬とか大書きされるようにしてほしいもんだぜ。一目でいぬ畜生にも劣る人間の屑ってわかるだろう。もっとも、この刑罰は明治政府によって1870年(明治3年)に廃止されたんだがね。復活させてみてはどうじゃろ?

「政治家も1円単位で税務署に申告せよ」というルールが徹底されれば、少なくとも「国民から吸い上げた税金を自分たちの都合で浪費する」ことへの心理的ハードルは上がるはずじゃないか。そもそもあいつらは偉そうに国の金とかいうけれど、広く国民から信託された税金なんだぜ。ましてや奴らのポケットマネーですらない。

「机上の空論」で2.3兆円を動かす前に、まずは自分たちの「1円」を国民と同じ土俵で説明する。それができて初めて、産業政策や社会保障を語る資格があるはずだ。

そしてまた官僚も責任を問われないので 思いつきでおかしなことばっかりやってしまうわけですよ。とほほ…。

この「官僚の無責任体制」こそが、ラピダスの2.3兆円やインボイスといった「現場不在の政策」を生み出し続ける装置になっている。森友疑惑で自殺者まで出しておきながら、だれも責任を取らないアレだよ、アレ。

実業の世界では、判断を誤れば会社が傾き、自分と社員が路頭に迷うことになる。

だがしかし、官僚の世界にはそのリスクが全くない。生涯安泰だ。年金額もすげーし、天下り先にも事欠かないしな。人生勝ち組だ。みんな東大一直線🔗で官僚を目指したのもわかるわぁ。

1. 「失敗」という概念がない世界

官僚にとっての成功は「予算を獲得し、法律を通すこと」であり、その政策が10年後にどうなったかは評価の対象外だ。やったらやりっぱなしってことさ。

 プロジェクトが頓挫する頃には、当時の担当者は別の部署か、天下り先に移っている。つまりは異動による逃げ切りだ。「我亡き後に洪水よ来たれ」だ。

たとえ失敗しても、「当初の目的は達成した」「外部環境の変化だ」と屁みたいな理屈をこねて、決して非を認めようとしない。つまり大本営発表の「成功」への書き換えだ。

2. 「思いつき」を止められない構造

官僚は数年おきに異動するため、短期間で「目に見える手柄」を立てようとします。

新しい看板(「次世代」「GX」「デジタル」など)を掲げて派手な予算を組む「思いつき」の方が、地味で地道な中小企業支援よりも評価されやすい。

実業の経験がないため、その「思いつき」が現場の親父さんたちの首をどれほど絞めるか、想像力が働かないんだ。

3. 責任を取らないどころか「天下り」

巨額の税金を注ぎ込んだプロジェクトに関わった官僚が、退職後にその関連団体や支援先の外郭団体に天下りし、さらに高い給料をもらうことさえある。ていうか、そんな奴ばかりだ。まるでコントだ。俺たちは吉本興業もびっくりのコントを見せつけられているんだ。

もっと派手に笑ったほうがいい。それは滑稽で恥ずかしいことだって知らせてやるためにも!

「失敗させた張本人が、失敗の尻拭いをするための組織に再就職して、また税金を食いつぶす」という、実業ではあり得ない逆転現象が起きているんだ。笑うしかないだろう!

政治家が「机上の空論」を振りかざし、官僚が「無責任な思いつき」を予算化し、責任を取らない「プロ経営者」が大活躍し、最後は「実業の現場」がそのツケを払わされる。この「責任の不在」という構造的欠陥を正さない限り、2.3兆円のような大博打は今後も繰り返されるだろう。国力は鰹節🔗を削るように、ゴリゴリと削られていくのさ。

どうする、皆の衆?

結局、俺たち国民が「おかしい」と声を上げ続けるしかないんじゃないか?なんせこの国の主権者は政治家でも官僚でもプロ経営者でもなく、俺たち国民一人一人なんだから。

2026/04/24

POST#1829 世の中、責任を取らない責任者ばかりなんだ!

Hamburg、GERMANY

さて、このこの2.3兆円という巨額な政府投資が失敗した時、一体誰が責任を取ることになるのか見ものだぜ。

結論から申し上げますと、日本の制度上、2.3兆円の投資が失敗しても、特定の個人や組織が金銭的に補填したり、法的な罰則を受けたりする明確な「責任の取り方」は存在しません。だよな。

これが「国策プロジェクト」の最も危うい点であり、過去の失敗が繰り返される構造的な要因でもあるわけだ。しょせん自分の金じゃぁないし、コケても責任取らなくていいのなら、なんだってやれるさ。

けど、下々の者たちは、ことあるごとに自己責任って詰められてるんだぜ。

世の中、責任を取らない責任者ばかりなんだ!笑っちゃうぜ。

前にも書いたが、俺は薩摩の国は入来出身の祖母から、男の責任取り方は切腹と教え込まれて育てられたんだよね。そっからすると、責任を負わない、国の命運を担う仕事に命を懸けないなんてありえないぜ。

責任の所在が「分散」される仕組みってのはこんなもんだ。

これほど巨額の予算は、経産省の一存だけでなく、内閣の閣議決定や国会での予算審議を経て決まるんだとさ。

すると政治家は政治家で 「経済安全保障のために必要だった」という大義名分を掲げ、選挙による審判以外で個別に責任を問われることは全くない。選挙で落ちても命までとられることもない。どうせ国民は選挙の時には忘れてるしな。

でもって非常に優秀な我が国のエリート官僚の皆さんの組織は、どこでもそうだろうが担当者は数年で異動するため、10年後の結果に対して「当時の担当者」が責任を取る仕組みがない。わしゃ知らんがなだ。

でもって大企業のトップを渡り歩いたような優秀なプロ経営者からなる経営陣の皆さんは、 会社(ラピダス)が破綻した場合、退任は致しますが、国から投入された資金を私財で返す義務は全くない。せいぜい記者会見で神妙な顔して頭を下げて、運転手付きの車に乗り込んでから、『あー、頭を下げるのは嫌なもんだ、ばかばかしい』とか言ってるのさ。どうせ次の割のいいポストは決まってるだろうしな。 むしろ箔が付くくらいじゃないのか?

社員は路頭に迷っても、このプロ経営者🔗の皆さんは路頭に迷わない!ナイス!

じゃぁねちっこく過去の失敗事例(エルピーダやJDI)を振り返ってみようや。

過去の「日の丸半導体・液晶」の失敗では、惜しくも数千億円規模の公的資金≒私らの税金だよ!が闇に消えてしまって失われちゃったんだが、以下のような形で幕引きとなってようだ。

まずは法的整理だ。会社が倒産・売却され、国が持っていた株式や債権は「紙屑」となりましたとさ。めでたし目出度死。

けれど例によって責任はうやむや。「市況が悪化した」「他国の不当な補助金に負けた」「想定外の要因が重なった」といった外部要因が強調され、政策決定そのもののミスが徹底追及されることはなかった。のんきなもんだ。一般の社会でそんな言い訳が通用すると思ってるのかよ?

しかも今回のラピダス支援では、「異例」の責任回避策が特別サービスでついてくる!やりぃ!これはでかいぞ!政府保証だ。

 銀行からの融資に国が「保証」をつけていて、もしもラピダスが返済できなければ、国が代わりに税金で銀行に返済するんだ。そう、俺たち市民が払った税金でだ!五公五民とか言ってみんな切り詰めて払った税金からだ!

ふ・ざ・け・る・な!

こうして巧妙というかあからさまにリスクの隠蔽が図られる。民間銀行は「絶対に損をしない」ため、厳格な経営チェックが甘くなり、じゃぶじゃぶ貸し付けるよな。そうすると当然、失敗の兆候が見逃されやすくなるという懸念が生じるんだ。苦労して井戸から汲んできた水は大切に使うけれど、水道の蛇口をひねっていくらでも出てくる水は、無駄使いしちゃうよな。それと一緒だ。そんなことは偉そうな専門家から指摘されなくてもわかるだろう。 

じゃぁ結局、誰が責任を取るのか?ってことだ。

発表します!

最終的に責任(代償)を取らされるのは、「納税者である国民」です!

2.3兆円という資産が失われれば、それは将来の増税や社会保障費の削減、あるいは公共サービスの低下という形で、俺たち国民の生活から間接的に回収される。もうすでに様々な福祉がチェンソーアートで丸太を豪快に削り飛ばすように削り取られている。

とてもじゃないが、維新の会のセンセー方のおっしゃる『身を切る改革』なんかの比じゃない。あんなのは嵐の中の屁の一発。やってる感の演出だ。

「失敗しても誰も腹を痛めない構造」が、無謀な投資を加速させているのではないか、というご指摘は非常に本質的だ。


責任の所在が明確でない限り、人間はいい加減にしか物事を進めない。自分自身を顧みてみればみんな思い当たるだろう。

「自分のお金ではない」「失敗してもクビにならない」という環境では、どうしても当事者意識が希薄になり、経営判断が甘くなる。これは人間の性質として避けられないリスクだ。人間はたいてい、水が低きに流れるように楽な道を行こうとするんだ。喜んで茨の崖を攀じ登ろうなんて酔狂な奴は、そうそういないんだぜ。

今回、その「いい加減さ」を少しでも防ぐために、一応は以下のようなチェック機能が設けられてはいるようだけど…、それが実効性を持つかどうかは非常に危うい状況だわな。

1. 「マイルストーン(工程表)」による管理

政府は一気に2.3兆円を渡すのではなく、段階ごとに「これができたら次の予算を出す」というハードルを設けているらしい。

技術開発が順調か、民間の資金が集まっているかなどを定期的に審査し、「ダメなら途中で打ち切る」という『建前』になっているんだとさ。 しかし、すでに巨額を投じた後だと「今さら引けない(サンクコスト)」という心理が働き、結局ズルズルと追加支援を続けてしまうのが過去のパターンです。やれやれ、日本のお偉いさんたちは太平洋戦争の時と何も変わらないぜ。

2. 「経営責任」の明文化(の試み)

ラピダスの経営陣には、IBMやトヨタなどの民間出身者が名を連ねているそうだが、彼らに対して政府は「結果が出なければ退陣」というプレッシャーをかけている。

とはいえ、結果が出なかったら『市中引き回しの上、打ち首獄門』というプレッシャーに比べたら、どってことねぇさ。

だいたいそもそも経営陣が辞めたところで、失われた2.3兆円もの巨額の政府資金=俺たちの税金が戻ってくるわけではない。また、その経営者の資産を没収することもない。

おまけに官僚側には「失敗を認めると自分の経歴に傷がつく」ため、失敗を隠して先送りしようとする力学が働く。ふっ、人生は失敗してレールを外れたところから、本当に自分自身のドラマが始まることを奴らは知らないのさ。

3. 「情報公開」の不透明さ

最も問題なのは、俺たちが「今、このプロジェクトがどれくらいヤバいことになってるのか」を知る術がほとんどないことだ。白紙委任だ。

「企業秘密」を理由に、具体的な進捗や契約内容がブラックボックス化されやすいのは世の常だ。おかげさまで、国民やメディアがリアルタイムで責任を追及することが困難だ。だいたい森友学園の疑惑の際でも、政府や官僚は役人のプライバシーのような屁みたいな理由で、情報公開を拒み続けた。みんなが忘れても、俺は忘れてないぜ。

「失敗した時に誰かが責任(ペナルティ)を負う」という仕組みがないまま進むプロジェクトは、一種の「道徳的ハザード(モラルハザード)」を抱えるっていうのが世の中の仕組みさ。

ちなみに、俺ら尾張人は、江戸時代の木曽川、長良川、揖斐川の分流工事を幕府に命じられた薩摩藩が、多大な犠牲を払いながらも成功させてにもかかわらず、有能な人材を多く亡くしてしまった責任をとって、工事総指揮の家老平田靱負🔗が切腹したという宝暦治水事件🔗のことを学ぶ。

小学生の俺の息子でもよく知ってる。

小学校の遠足では、彼ら薩摩藩士が命がけで作った千本松原に必ず行く。もちろん御幼少のみぎりの俺も行ったさ。そして彼ら薩摩義士を祀った神社には、スピード違反の取り締まりの岐阜県警のオマワリが潜んでる。スピードに気を付けろ!

だから、たとえ成功しても責任を問われるんだということを、子供の頃に叩き込まれるんだ。

いわゆる プロ経営者と呼ばれるような経営のプロたちが、事業資金を税金に頼り、たとえ事業が失敗しても記者会見で頭を下げるだけで済むのに対し、俺たち市井一般の中小企業の親父さん達は、自らの資産を担保に資、資金繰りに苦労するというこの構図を、君はおかしいとは思わないかい?

これは現場で額に汗して働く多くの人々が抱く「最も切実で真っ当な違和感」だろう。

「プロ経営者」が動かす巨額の国策プロジェクトと、地域経済を支える中小企業の親父さんたちが置かれた状況を比べると、そこには残酷なほどの「不条理な構図」が浮かび上る。

1. 「リスクの取り方」の決定的な違い

中小企業の親父さんたちは、ひとたび資金繰りに詰まれば、自宅を担保に入れ、個人保証を書き、文字通り「命がけ」で会社を守ることになる。失敗すればすべてを失う、極めて重い自己責任の世界だ。俺の親父もそうして家を失った。家族は離散した。

その一方で国策プロジェクトのプロ経営者たちが扱うのは、ぶっちゃけ言って「税金」であり、プロ経営者本人が、個人の資産を投げ打つことはない。

失敗しても「退任」で済むわけだ。「プロ経営者」と呼ばれる人々は、高額な報酬を得ているだけでなく、失敗しても「経営判断ミス」で済み、個人の資産や生活が脅かされることはまずありゃあせん。次の会社でまた別のおいしいポストに就くことさえある。

これのどこが一体プロフェッショナルなんだ?誰かこのおかしな言葉の意味を教えてくれないか?

かつてエルピーダメモリが破綻した際も、巨額の国民負担が生じたが、プロ経営者がその損失を補填することはなかった。 

薩摩義士なら何回切腹したことやらだ。

2. 資金調達の「格差」

中小企業は信用度が低いとされ、わずか数百万円の融資を受けるのにも銀行から厳しい審査を受ける。実績がなければ門前払いされることも珍しくない。中小企業の経営者は、銀行融資の際に「経営者保証(連帯保証)」を求められるのが長年の慣習だ。

 会社が倒産すれば、自宅も、老後の資金も、家族の生活もすべて失い、自己破産に追い込まれる「命がけ」の経営だ。起業にはリスクが大きすぎるんだ。おかげさまで俺はいまだに無借金経営だ。もう18期なんだがね。会社の名前を『自転車総業』に変えたほうがいいかもな(笑)

そしてラピダス。皆さん、私が何を申し上げたいか、もうお分かりですね。

 2026年4月時点で累計約2.4兆円もの追加支援が決定していやがる。こいつを呼び水に民間企業32社からも1,600億円以上の出資が集まっているけれど、これは「国が後ろ盾にいるから安全だ」という、中小企業には絶対にありえない「下駄」を履かせてもらっている状態だ。 

中華人民共和国の国営企業みたいなもんだ。

3. 社会の「安全網」としての不条理

物価高の折、中小企業には「数分の1」の補助率の助成金すら、複雑な書類審査で不採択になることが多々ある。

一方で、「次世代の産業のため」という名目があれば、何兆円もの税金が特定の一社に注ぎ込まれる。この「分配の歪み」こそが、多くの人が感じる「おかしい」という感覚の正体じゃないだろうか。 

「国を挙げて戦わなければ世界に負ける」という経産省の理屈は一理あるだろう。

その影で「真に日本の土台を支えている中小企業」が冷遇されている現状は、国家としてのバランスを著しく欠いているんじゃないのかい?

いわゆる「プロ経営者」といういかがわしい連中が、自分たちの懐を痛めない「税金」を使って無謀な賭けに出ているように見える今の状況は、「誰のための、何のための投資なのか」という根本的な問いを私たちに突きつけているんだ。

要はみんなから集めた金で競馬の大穴を狙って、外してもおとがめなしみたいな話なんだぜ。

国策プロジェクトには「政府保証(税金で肩代わり)」がつくのに、地元の雇用を支える中小企業には「個人保証(つまりは命で肩代わり)」を求める。

この「リスクを背負う者」と「税金で守られる者」の逆転現象は、健全な資本主義の姿とは言えないだろう。けれど、こういうやつらに限って、下々の下郎どもには自己責任だとか、競争力のない企業、体質の古い企業は淘汰されて当然だと寝言をこきやがる。

最近になってようやく、政府も「経営者保証なしの融資」を推進し始めたようだが、現場ではまだまだ中小企業の親父さん・お袋さんたちが命がけで重い責任を背負わされている。

2.3兆円もの税金を使うのであれば、そのお金の一部でも、こうした「現場の経営者のリスク軽減」や「再生支援」に回すべきだという議論が出るのは当然の流れじゃないのか。

まったく、神の見えざる手なんて嘘っぱちだ。痴漢の見えざる手のほうが、掴んでオマワリに突き出してやることができる分だけ、よっぽど確かな存在なんだろうぜ!