2026/06/13

POST#1876 鋼の連勤術師もしくは言葉の力で共同体を縫い合わせること

熊野、路地
さて、今日で13連勤だ。もうすでにくたくただ。
けれど、前にも語ったことがあるけれど、この世の中を悪くしてる連中は、24時間365日休みなく働いている。世の中を少しでも良くしたいと願っている俺が、疲労困憊しているからといって休んでいるわけにはいかないだろう。

では、昨日の続きだよ!はじまりはじまり・・
もう一度ハイアワサとデガナウィタの出会いから説き起こそう。
人生に必要なのは、よい理解者と同伴者だ。昨日と重複することは端折るけどね。

1. 預言者「デガナウィダ」との出会い

ハイアワサもまた、戦争によって最愛の娘たちをすべて失い、深い絶望の中にいた。

そこへ、デガナウィダ(大いなる平和をもたらす者) という預言者が現れた。

ハイアワサは彼の「武力ではなく平和の法によって団結する」という思想に共鳴し、吃音のある彼の代弁者(伝道師)として部族間を巡る決意をしたのだ。 

 2. 「1本の矢と5本の矢」の説得

ハイアワサは各部族の首長たちを訪ね、視覚的で分かりやすい例えを使って説得を行った。

彼はまず、1本の矢を取り出し、それを簡単にポキリと折って見せた。

そして次に5本の矢を束ねて差し出し、「これを目一杯の力で折ってみよ」と促した。

首長たちが束ねた矢を折ることができないのを見て、ハイアワサは「我々が個々の部族(1本の矢)であれば容易に滅ぼされるが、5つの部族が結束(5本の矢)すれば、何者も我々を折ることはできない」と説き、協力の必要性を訴えたんだ。

まるで毛利元就🔗の話だなぁ。なんらかの交通が日本と当時の北米のあったにあったんじゃないの?という疑問も浮かんでくる。せめて、北米人がまだアジアに住んでいたころの新石器時代にまでさかのぼる逸話なんじゃないかと考えたくなるが、ヨーロッパにもこれに類似する話があるようなので、人類がそれぞれの社会生活を営み、協力・協働を行うときに手っ取り早く使用する比喩なんだろう。まぁ収斂進化みたいなものか。

まぁ、なにはともあれこの比喩を巧みに使うことで、大方の部族の首長たちは連合を作ることに合意した。しかし、問題はハイアワサの妻子を殺したオノンダーガ族の首長タドダホその人本人だった。

3. 最大の難敵「タドダホ」の精神を癒やす

連邦結成の最大の障壁だったのが、オノンダーガ族の残忍な首長「タドダホ」だったのは今言った通りだ。伝承では、彼は邪悪な魔術を使い、髪の毛が蛇になっているほどの狂気に囚われていたとされている。完全に社会を崩壊に導く指導者になっていたと考えられるだろう。

このような指導者は、今の国際政治の舞台にも多く見受けられる。自らの想念が作り出した『敵意』にとらわれ、その敵意を自らエコーチェンバーのように増幅し、周囲に害悪をまき散らす。それが、その辺のおっさんならまだしも、社会の指導者であったことそのものが大問題だ。

ハイアワサとデガナウィダは、武力で彼を屈服させるのではなく、「美しく神聖な歌(平和の歌)」を歌い、タドダホの心に語りかけた。

つまり、誠意を尽くした言葉の力=パロール🔗で、タドダホの内面にわだかまる不信感や敵対心、猜疑心を溶かしたわけだ。

こうして、この歌によって彼の心から狂気と邪悪さが消え去り、髪の蛇が解けて正気を取り戻したことで、最後の部族が連邦への参加を承諾することになったわけだ。

我々の感覚からすると諸悪の根源というかラスボス的な立ち位置のタドダホは、文化英雄たるハイアワサとデガナウィダによって、放逐されたり殺害されたりするのがお決まりのパターンだろう。しかし、それすらも言葉の力で包摂してしまうというところが、非常に大きなポイントだ。

4. 「大いなる平和の法」の制定(システムの構築)

5つの部族が合意したのち、彼らは「大いなる平和の法(ガヤナシャゴワ)」という民主的な憲法を制定した。それは次のような内容からなっていたようだ。

合議制の導入

物事は戦争ではなく、各部族の代表が集まる「評議会」の話し合いで決定する。

母系社会の権限

役職の任命や罷免の権限は、部族の「母親(チーフ・マザー)」たち女性が握る。

武器の埋葬

一本の大きなホワイトパイン(松の木)の根元に穴を掘り、すべての武器を投げ入れて埋め、その上に平和の木を植えたという。これが大事だ。カント🔗の『永遠平和のために🔗』を思わせる武装解除だ。今日の日本国憲法の精神にも通じるものがあるといってもよいだろう。

このハイアワサによる「対話と調停」「一歩も引かない平和への信念」によって、北米最古の民主的連邦制度が誕生した。このシステムは、近年、のちのアメリカ合衆国憲法の手本にもなったと言われている。また、当時のヨーロッパの啓蒙思想にも大いに影響を与え、ルソーの人間不平等起源論などは、彼らの存在を意識したものであるという論考が、デヴィッド・グレーバー🔗デヴィッド・ウェングロウの著書『万物の黎明🔗』などにも取り上げられているんだ。

具体的に、彼らは長年の恩讐をどのように克服したのか?

彼らが恩讐を乗り越えた最大の方法は、「復讐(殺害)」の代わりに「法による代替(代償)」のルールを全員で合意したことだ。

感情のステップ:哀悼(あいとう)の儀式

身内を殺された人は、悲しみで理性を失い、復讐に走ることとなる。

それは昨今の殺人事件の裁判で、被害者の遺族が極刑を望むと発言することからも普遍的な心情だ。目には目を、歯には歯をだ。

しかし、それは同時に復讐の終わりなき連鎖を生み出す。最終的には最後の一人になるまで殺し合いが続く可能性を排除できない。

そこで連邦こ作った人々は、まず「遺族の悲しみを社会全体でケアするステップ」を義務付けた。
「目が涙で曇っているなら拭い、耳が血で詰まっているなら掃除し、喉が詰まっているなら水を与える」という儀礼的な言葉をかけ、加害者側も交えて徹底的に寄り添ったのだ。

現代風に言えば、被害者遺族の心のケアを社会に実装したのだ。

意思決定のステップ:多数決の禁止

また、彼らは多数決を数の専制につながる悪しき制度だとして退けた。

10人中7人が賛成、3人が反対」で決定すると、敗れた3人には「無視された」という遺恨が残る。そして、いつしかその遺恨の火種は何かをきっかけにして燃え盛り、社会を焼き尽くすこととなることを彼らは知っていた。

それがいかに煩雑で面倒なプロセスを履むこととなっても、社会の分断と、それによって生まれる憎悪の芽を、彼らは摘み取ることを選択したのだ。
そこで彼らは「全員のプライドを傷つけないために、全員が1ミリずつ妥協して新しい100%を作る」という道を選んだ。

これが全会一致システムの誕生だ。


3. 関係性を回復させた「贈与(ワムパム)」の仕組み

殺された命の対価や、壊れた関係を修復するために使われたのが、貝殻で作られた紐や帯であるワムパム🔗Wampum)」だ。これは単なるお金ではなく、「言葉と誓いの可視化」でした。

命の価値を物質で埋める(代替の贈与)

誰かが殺されたとき、加害者側の部族は被害者側の部族へ、大量のワムパムを「贈り物」として差し出した。

  • 「このワムパムで、失われた家族の穴を埋めてください」
  • 「このワムパムで、あなたの怒りを静めてください」

これを受け入れることは、「復讐の権利を放棄し、相手を許す」という公的なサインになるわけだ。

ここで留意してほしいのは、このワムパムを被害者サイドに送る主体も、受け取る主体も部族ということだ。

個人の不始末の責任を部族という共同体全体で担保するという観点だ。今日の裁判でも、刑事罰と並行して、民事的な損害賠償が求められる。

この時、支払い能力を持つものは支払うことはできるだろうが、そもそも支払い能力を持っているような家庭に育ったものは、他者を殺してまで自分の意見や要求を貫徹することが、或いは殺人の衝動に身を任せて相手を害することが、甚大な結果をもたらすということに気がまわらないということはないだろう。つまり自己抑制が働くのだ。

この部族によって賠償するという、一見個人の責任を免責するようなシステムが、個人の思惑による悪行を思いとどまらせる強力なストッパーになり得たことは容易に想像ができる。

契約書としてのワムパム

そして、5つの部族連合の協議によって重要な合意がなされると、その内容を編み込んだ「ワムパム・ベルト」が作られた。

これは、この部族連合における憲法=コンスティテューションのようなものだ。
そして会議のたびにこのベルトを広げ、「この模様は、私たちが二度と戦わないと誓った証拠である」と全員で確認したという。

こうして言葉の重みをモノに定着させ、相互の裏切りを防いだのだ。

言ったことがころころ変わるどこかの国の政治家とは全く違うのだ。


俺自身が構想している、草の根の民主主義をリビルトするというトクヴィル🔗的な試みを形にしてゆくために、このイロコイ連邦の成り立ちとそのシステムを深く知りたいと考えているんだ。グレーバーの『民主主義の非西洋起源について🔗』などには、この制度の発祥までは記されていない。こうして、その半ば神話的に再構築されたその発祥までさかのぼると、レヴィ=ストロース🔗構造主義🔗まで行きそうだけどね

デヴィッド・グレーバーは『民主主義の非西洋起源について🔗』において、民主主義を国家の制度ではなく「国家の統治が届かない『あいだ』の空間で、対等な人間同士が揉め事を解決する泥臭い実践」として描き出した。

しかし、なぜその空間で「全会一致という極端な個の制度(=1人の拒否権がシステム全体を動かす仕組み)」が、単なる思いつきを超えて持続可能な社会契約として定着したのかの「発生のメカニズム」までは、グレーバーの記述でも網羅されていない。 

この発祥の謎に迫るには、まさにクロード・レヴィ=ストロースの構造人類学、特に「交換(互酬性)」と「神話的思考」の交差点まで遡る必要があるだろう。

なぜイロコイ連邦において、恩讐(血の復讐)を乗り越えた「個の全会一致システム」が生まれたのか。その深層を4つの論点からさらに解剖してみよう。


1. なぜ「全会一致」なのか:1人の「個」を排除した瞬間に社会が死ぬという恐怖

トクヴィルが『アメリカのデモクラシー🔗』で警告した最大の病理は「多数者の専制」だった。

少数派が多数派に押し切られ、個の自由が圧殺される現象のことだ。

イロコイ連邦が「多数決」を徹底的に拒否し「全会一致」に固執したのは、彼らにとって「多数者の専制」は即、社会の崩壊(内戦)を意味したからだ

レヴィ=ストロース的な親族構造の視点で見ると、当時の北米先住民の社会は、緊密な「クラン🔗(氏族)」が網の目のように組み合わさった母系社会だった。
多数決を行い、例えば「4部族が賛成、1部族が反対」の状態で物事を決定したとする。

近代国家であれば「不満を抱えながらしぶしぶ従う少数派」として処理されるだろうが、この国家なき社会、つまり暴力を独占した国家というリヴァイアサン🔗のいない社会において、意思決定から排除された「1」の個、あるいは1つの部族は、システムへの帰属意識を失い、即座に「外敵」へと反転してしまうのだ

排除された者が抱く「遺恨(怨念)」は、必ず次の「血の復讐」の引き金になる。

彼らにとって全会一致とは、お花畑のような理想主義的な道徳ではなく、1人でも排除したら、そこから社会が腐って崩壊する」という、極めてリアリズムに基づいた安全保障上の制度設計だったわけだ。


2. ハイアワサの「闇落ち」と、レヴィ=ストロース的「自然から文化への移行」

ハイアワサの経歴は、単なる美談ではなく、「恩讐をシステム化するプロセス」そのものです。

ハイアワサは家族を虐殺され、発狂して森にこもり、旅人を襲って喰らう「人食い(怪物)」になりました。これはレヴィ=ストロースの文脈で言えば、「社会契約を失い、完全に『自然(動物)』へ退行した状態」を意味する。復讐の連鎖の中にいる人間は、人間ではなく、ただの暴力の自動機械(自然の脅威)に他ならないのだ。

ここに現れた調停者デガナウィダは、ハイアワサを力でねじ伏せるのではなく、「言葉」と「ワムパム(物質)」によって彼の狂気(自然)を、対話可能な「文化(社会)」へと引き戻した。
この「闇落ちした個人が、対話のシステムによって社会へと再統合されるプロセス」こそが、イロコイ連邦の基盤になる。

これ大事だから、覚えておいて!

「どれほど深い恩讐を抱えた個であっても、適切な手続き(ケアと物質の互酬性)を踏めば、社会の構成員としてリビルトできる」という一例を、ハイアワサ自身が証明したのだ。


3. 恩讐を克服した「贈与(ワムパム)」の深層:レヴィ=ストロースの交換理論

では、長年の戦争による具体的な恩讐(身内を殺された憎しみ)を、どうやって物質でクリアしたのか。ここにレヴィ=ストロースの『親族の基本構造🔗』の根底にある「互酬性(ギフト・エコノミー)」の原理が働いている。

彼らが行った贈与は、現代の「賠償金(貨幣の支払い)」とは本質的に異なる。現代の賠償金は、支払った瞬間に「関係が切れる(清算される)」ものでだ。つまり等価交換だ。コンビニでの買い物と同じだ。金の切れ目が縁の切れ目だ。

しかし、彼らのワムパムの贈与は「永久に続く関係性のスタンプ(契約)」であったんだ。

命の価値のコンペンセーション(補償)

身内を1人殺されたクランは、労働力と戦闘力を失い、何より「誇り」を傷つけられる。

加害者側は、ただ謝るのではなく、「失われた命の重さに釣り合うだけの象徴的価値」として、膨大な時間と労力をかけて作られた白い貝殻(ワムパム)を贈ることになる。

贈与による「負債」の反転

レヴィ=ストロースやマルセル・モース🔗が指摘した通り、贈与を受け取ることは、相手との間に「新たな関係性(負債と互酬のループ)」を結ぶことを意味する。

「殺した・殺された」というマイナスの関係性を、ワムパムの「贈った・受け取った」というプラスの交換関係に上書き(リライト)するわけだ。

ワムパムを受け入れた被害者側は、「私は復讐の権利をあなたに譲渡(贈与)し、代わりにあなたとの平和を受け取る」という非対称な交換に同意したことになる。

現代人の感覚からすれば、それは割に合わないディール(いやな言葉だな)だろう。

しかし、それによって受け取った被害者側は、贈った加害者側に一種の貸借関係を築くことになる。

これにより、個人の怨念は「部族間の法的な貸し借り」へと昇華され、私的な暴力が禁止されることになるのだ。


4. 宿敵タドダホを「排除」せず「議長」にする:システムの究極のレジリエンス

トクヴィル的な草の根民主主義のリビルトにおいて、最も現代的で示唆に富むのが、狂気の独裁者・宿敵であるタドダホ(オノンダガ族の首長)の処理方法だ。なにしろ、かれこそがラスボスみたいなものだからな

通常の政治闘争であれば、平和を阻む巨悪であるタドダホは「処刑」されるか「追放」されるのが定石だろう。

しかし、ハイアワサとデガナウィダは彼を殺さず、驚くことに連邦の中央会議におけるである「最高議長(火の番人)」のポストを与えたんだ!

これは構造人類学的に極めて鮮やかな「毒の無害化(システムの包摂)」だといえるだろう。

プライドの回収:

タドダホの持つ強大な権力欲と破壊衝動を排除して「反体制の爆弾」にするのではなく、システム内部の「最高の栄誉」で満たすことで骨抜きにすることに成功した。

拒否権という役割の付与

 彼に与えられた「火の番人」の役割は、モホークやセネカが揉み合った議論に対して、最終的な調整と「差し戻し(拒否権)」を行う権限だった。

建築のアーチでいえば要石、キャップストーンだ。

つまり、彼の「他人の邪魔をしたい、牙を剥きたい」という攻撃的なエネルギーを、「議論が安易に多数決へ流れるのを防ぐための、最後のストッパー(チェック&バランス)」という防衛システムへと変換したわけだ。エネルギーの大きさはそのままに、ベクトルを変えたという表現がしっくりくるな。


トクヴィル的「草の根民主主義」への接続

グレーバーが言うように、民主主義の本質が「国家なき空間での合意形成」であるなら、それを駆動させる制度(インスティテューション)は、「最も声が大きく、最も社会を破壊しかねない『個(タドダホやハイアワサ)』を、いかに排除せず、システムの一部として機能させるか」という設計にかかっているだろう。俺たちは今、毎日TVでアメリカの声の大きなおじさんが社会システムをめちゃくちゃにしているのを目にしている。

今、俺や君たちに突き付けられている課題は、実はまさにこれだ。これなんだ。

これは明日考えよう。良い週末の夜を過ぎしてくれ。俺は仕事だけどな。

2026/06/12

POST#1875 大いなる平和の法、民主主義は抗争から生まれた

 

Ubud,Bali
昨日のごたごたで、睡眠不足のままテスラも真っ青になる自動運転で帰ってきた。

カミさんが作り置きしておいてくれた食事を温めて食べながら届いたばかりの試験に出る左翼新聞の朝刊の一面に目をやると、『天皇陛下「国民理解得られるものを」 皇族数の確保策、議論巡り言及🔗』という見出しが躍っている。

以前にもPOST#1835🔗でこの件には言及させていただいたけれど、あからさまに自分たちのいいように天皇の威信を利用している人々によって、議論がミスリードされてはならないだろう。

その時その時で、雅子様や紀子様を都合よくバッシングして売り上げを伸ばす週刊誌などの過激な文言に、眉を顰め憂慮しているであろう大多数の心ある国民なら、だれしもそう思うはずだ。そういう手合いは、自分の家庭の中のことを他人から詮索されるだけでプライバシーが!とか言って大騒ぎするんじゃないのかな?知らんけど。

陛下は「制度に関わる事項については私から言及することは控えたい」と前置きなさったうえで、「皇族数の確保のあり方についての議論においても国民の皆さんの理解が得られるものとなることを望んでおります」と語られた。

陛下が穏やかに語られれるお言葉の中に、強い意志を感じる。

一部の声の大きい者のために国の在り方を誤ってはならないと、静かにしかし厳として国民にお伝えになっておられると拝察いたす。

故にこそ、七代先の未来を視野に入れた熟議と、全会一致のプロセスが社会に求められているんだ。


じゃぁ、こっから昨日の話の続きね。

イロコイ連邦=ホデショノニのシステムが作られた3つの背景

それは社会が崩壊寸前まで混乱した危機の中から生み出されたという。

血の復讐(哀悼の戦争)の連鎖

かつての部族間では、身内が殺されると相手の部族に復讐し、それがさらなる復讐を生む地獄のような内戦が続いていた。だいたい、氏族社会に限らず、人間の社会というのは、アイデンティティを確立するために、隣接する人種的に近く、文化的にも同じグループに属する者たちと、自分たちを分けるために、違うシステムを採用する。それによって、排除的にアイデンティティという共同幻想を強化していくんだけど、当時の北米東部の氏族社会も例にもれずそういう事態になっていた。これを未開人の神性などと切り捨てることは、排外主義を唱え、隣国を敵視する現代のわれわれも、まったく同じシステムにからめとられていることに気付くべきだ。

外敵(アルゴンキン語族など)への対抗

同じ語族に属する氏族同士が血で血を洗う内紛というか内戦で弱体化すると、周囲の強力な敵対部族に滅ぼされる可能性もどんどん高まってきたわけだ。

当然だ。仲たがいしてる場合じゃない。

もし地球に敵対的な宇宙人がやってきたら、ロシアとウクライナが、イランとアメリカが戦争やってる場合じゃないだろう?ウルトラセブン🔗を見て育った俺にも、そんな危機感はずっとあるんだが、当時のイロコイ諸族の中にもそんな危機感が芽生え始めたわけだ。

白人(ヨーロッパ人)到来の予兆:

この社会が不安定だった時期、ヨーロッパからの植民者たちが彼らの前に姿を現し始めた。17世紀初頭の1620年にはアルゴンキン語族🔗ワンパノアグ🔗族によって植民者に食料が与えられ、これが今日の感謝祭🔗の由来となる事例も起きている。こういった話は語族や氏族の間を素早く伝播していったことだろう。

つまり、のちに自分たちの生活圏に到来する白人入植者の脅威に備えて結束する必要があったわけだ。宇宙人の危機に結束する地球人みたいなものさ。


創始者たちの理念:「大いなる平和の法」

このシステムは、デガナウィダ🔗(偉大な調停者)とハイアワサ🔗という2人の伝説的な指導者によって作られた。彼らは武力ではなく、以下の理念で部族をまとめようとかんがえたんだ。

まず「心の武器」を捨てる

彼らは復讐の連鎖を断つため、殺し合いの代わりに「言葉」と「贈り物(ワムパム🔗)」で悲しみを癒やす法を編み出したんだ。

全会一致による「遺恨」の排除

多数決にすると負けた側に不満が残るのは、世の中どこに行っても古今東西同じだ。

それは反対する者を一時的に抑え込むことはできても、これによって生じた文壇や違和感は間違いなくくすぶり続け、将来の争いの火種になるだろう。

つまり多数決は51人が49人を切り捨てる数の専制にほなならないんだ。

全員が納得するまで話し合うことこそが、内紛の再発を完全に防ぐ手段になるという、単なるお花畑のきれいごとではない切実な要求がそこにはあったんだ。

「母」に与えられたストッパー権

どこの世の中でも、たいてい男ってのは阿呆なもんだ。すぐに調子に乗ったり、頭に血が昇って相手とドンパチ始める。どっかのおかしな髪型のおじいさんを見ればわかるだろう?そしてくだらないメンツのために引くに引けなくなってしまうんだよな。阿呆だ。これは古今東西変わらない。君のご家庭も俺の家庭も変らない。で、男性首長が戦争に暴走するのを防ぐため、命を産み育てる女性(クランマザー)に、首長の選出・罷免権という最強のブレーキ役を任せることにしたんだ。


このイロコイ連邦の創始者たちの意図に学ぶことが、今日のさまざまな組織の「深い対立」を解消し、全員が納得する仕組みを作るヒントになるだろう。

では、以下に創始者のハイアワサたちにまつわる伝説を見ていこう。

そのままのことが史実としてあったと考えなくていい。そのストリーが伝えようとしている構造をつかみ取るんだ。それが、どんな組織や状況にも対応可能な抽象化されたフレームを君に提供してくれるかもしれない。神話や伝説とは、そうやって向かい合うべきものだ。

神様の子孫が僕らの王様だとか信じるのは、ナイーブすぎるぜ。

1. ハイアワサの絶望と「大いなる平和の法」が生まれる経緯

モホーク族🔗のハイアワサは最初から英雄だったわけではない。彼は激しい憎しみと絶望のどん底からスタートしたんだ。

狂気の独裁者による略奪

当時、オノンダガ族にはタドダホ🔗という、髪の毛がヘビでできていると恐れられた残忍な首長(独裁者)がいた。タドダホは平和を嫌い、他部族に略奪を仕掛け、部族間の戦争を煽っていた。

家族の皆殺しとハイアワサの闇落ち

この動きに対して、モホーク族のハイアワサは部族間の平和を訴えましたが、それに怒ったタドダホによって、最愛の妻と3人の娘をすべて殺されてしまったんだ。

残念ながら、人間の歴史ではよくあることだ
絶望したハイアワサは狂気にとらわれ、森を彷徨い、出会った旅人を襲って食べる「人食い(怪物)」にまで身を落としてしまった。いわゆる『闇堕ち』だ。

ちなみに、人食いとは人間を飲み込み、自然のサイクルに一旦回収することで、本当の人間=文明の中に逢って自然の原理を会得したハイブリットな存在へと成長させるプロセスを象徴してるんだと考察できるだろう。

偉大な調停者「デガナウィダ」との出会い

そこへ、別の部族(ヒューロン族🔗)からやってきた精神的指導者デガナウィダ(聖なる調停者)が現れた。デガナウィダはハイアワサの深い悲しみを受け止め、彼の心を癒やしたんだ。すごいことだな。

俺なら死ぬまで闇堕ち確定だ。誰の手も払いのけてしまうだろう。

しかし、デガナウィダの働きで正気を取り戻した、つまり自然の威力を身に宿したハイブリッドな目覚めた人とした人間社会に帰ってきたハイアワサは、デガナウィダの「平和の思想」に共鳴し、彼の「雄弁な代弁者」(デガナウィダは吃音があったとされるため)として、部族を説得する旅に出ることになったんだ。


どうだい、なかなか面白そうだろう。面白そうなところで気を持たせといて、次回につなぐのは人類の常套手段さ。


2026/06/11

POST#1874 現代民主主義のモデルは、北米先住民社会だったんだぜ

Sweden

今日は朝から、まいった。

夜勤を終えて明るくなった帰ってきて、ふろも入らずにベッドに倒れ込むように眠っていたんだが、しつこく鳴る電話でたたき起こされた。

時計を見ると午前九時だ。

横を見ると、まだ息子が眠っている。学校はどうしたんだ?

カミさんからの電話だった。どうやら昨夜、俺が仕事をしている間に息子とカミさんは勉強のことで揉めて、息子は母親に『死ね!』と暴言を吐いたらしい。で、精神的に昂っていたからそのまま寝かして仕事に出かけたというのだ。

やれやれ、で、この時間か…。

俺は息子を揺り起こすと、息子は寝ぼけながら『お母さん、死なないよね』と俺に訪ねてきた。それは以前、やはり母親に切れて『死ね』と暴言を吐いたときに俺が息子に語って聞かせた言葉を覚えていたからのようだ。言葉には言霊が宿ってるからな。POST#1857🔗に書いた話だ。

どうも息子はしっかり覚えていたようだ。覚えていてもつい言っちまうのが人間だ。

『僕の言葉にも、力があるんだよね』

そう、だれの言葉にも力が宿っている。しかも、その見えない力はひとたび口から放たれたならば、取り消すことなどできない。それが撤回できると思っているのは、阿呆な政治家だけさ。

俺は行きたくなければ、行かなくても構わないといったんだけど、変に真面目な息子は、いや行くと聞かない。そうか、君の好きにするがいい。

息子に食事をとらせ、学校に送り出し、なんやかんや家事や仕事の経理事務を片付けて眠るころにはもう正午を回っていた。

そして、一時間半ほど眠ったところで、おっとり刀でカミさんが帰ってきて、息子が学校で担任の先生に暴言を吐き、先生を攻撃して興奮しているというので、迎えに来てほしいという連絡があったという。マジかよ。

俺はカミさんと二人で学校に行った。

百年近いこの小学校の歴史で初めての女性校長とは、良好な関係を保っている。

俺とカミさんは、とりあえず校長先生と話したんだ。話を聞いてみると、どうやら息子は学校が窮屈で辛いようだった。

しばらくすると、クールな感じの教頭先生と、熱意のあるスポーツマンの担任の先生がうちの息子を連れてやってきた。

そうして一時間ほど、どうしていくのがベストなのかを話し合ったんだ。

おかげさまで、眠い。今この瞬間も眠くて仕方ない。しかし、もうしばらくしたら車を転がして仕事に行かないといけないんだよな…。

ただでさえ、俺が夜働いているのを知っているはずなのに、どいつもこいつも朝から連絡してくるんだ。俺は24時間365日営業中のコンビニエンスな男なのさ。


さて、最近話の縁によく上らせていたイロコイ連邦🔗の合議制だ。

イロコイ連邦(ホデノショニ)の合議制は、全会一致を原則とする高度な民主的意志決定システムだ。

16世紀頃に結成され、母系社会を基盤とした独自の権力分立と相互監視の仕組みを備えていたという。一説には14世紀半ばまでさかのぼるんじゃないかともいわれている。日本で言ったら南北朝時代ってとこか。

この合議制には、近代の民主主義国家のシステムにも影響を与えたの4つの特徴があったんだ。

まず第一に、全会一致の原則だ。

彼らは多数決は使わず、すべての代表者が納得するまで徹底的に話し合った。

これは彼らの氏族社会ならではの特徴で、母系社会の権力バランス構造を持っていたことだ。

実際に政治を行う男性首長(サチェム)の選出や罷免の権限を握っていたのは、各氏族の女性の族長(クランマザー)が握っていた。どこかの国の男系男子以外は認めない家族氏族システムとは大きく違っていたんだ。

余談ながら、こういう事例に接すると、男系男子、直系男子による長子相続制度ってのも、単なる多様な家族システムの一つのパターン、つまりその社会の人たちの選好=単なる好みに過ぎないことがわかる。普遍的なせいどなんてものは、ないんだ。

秀逸なのは二院制に似た審議構造を備えており、反対意見を述べるものが選定され、それを排除するのではなく、どうすれば反対意見を持つ者たちも納得できる制度を作ることが出くるのかを、全員が納得するまで、根気よく話し合う習慣を持っていたことだ。

彼らは自分たちの合議制度を、伝統的な「ロングハウス(長屋)」になぞらえ、部族間で役割を分担して段階的に議論したと伝えられている。

また、七代先の子孫たちにとって、今日の自分たちの決定がどのような影響を及ぼすかをその議題の検討過程に導入するという、社会の持続可能性にその価値観の重きを置いていたわけだ。

そして連邦という呼び名の通り、各氏族は明確な主権を維持していた。

各部族は自立しており、連邦全体の共通課題(外交や戦争など)のみを中央会議で扱っていたという。これをモデルにして、それぞれ異なる植民地をルーツにする州=ステイトが連邦を形成するアメリカ合衆国が 構想されることになったわけだ。


この中央会議(50人の首長会議とも呼ばれている)の仕組みは、簡単にまとめればこんな感じだ。

連邦の意思決定は、構成する各部族から選ばれた50人の首長による会議で行われる合議制だ。そして議論は以下の3つのグループに分かれて段階的に進められたという。

[第一段階: 東の門番] ―――→ [第二段階: 西の門番] ―――→ [最終段階: 火の番人]

モホーク族 & オナイダ族       セネカ族 & カユーガ族        オノンダガ族

(議案を審議・修正)           (別の視点から再審議)        (拒否権の発動・最終決定)

  1. モホークとオナイダ(東の門番): 最初に議案を審議し、意見をまとめた。
  2. セネカとカユーガ(西の門番): 東のグループが出した結論を、別の角度から検証・審議した。野党のような立ち位置になるだろうけれど、このシステムが機能するために、このポジションは実にじゅうような立ち位置だったのさ。これがないと、深く考えることもなく、重要な議題が決まってしまう。そして、ここで出される対案は単なる反対意見ではなく、最初に提出された議題を違う角度から批判的に検証し、その施策の有効性を検証するために欠かせないものだと考えられていたことだ。どこかの国の民度の高い人々が、野党は反対ばかりで、政府の施策の足を引っ張っているだけで意味がない無用なものだと、与党に巨大な議席を与えるような考え方とは、同じ民主主義といってもまったくレベルのちがうものだと感心せざるを得ないよ。
  3. オノンダガ(火の番人): 両者の意見を調整し、最終決定を下す役回りだ。オノンダガには議論を差し戻す拒否権もあった。まる議長のようなものだな。俺は元井桐下院議会議長のジョン・バーコウ🔗をもい出したぜ。ブレクジットをめぐって紛糾する議会を、中立公平な立場で運営し、その大きな声で『order!order!』と議員たちに冷静で秩序ある議論を呼びかけた名議長だ。どこかの国のついうっかり、皇室の養子の子どもは皇位継承権を持つとかペロッといっちまうようなのとは、まったく違うな。

近代民主主義への影響

この完成された合議制と連邦制度は、のちのアメリカ合衆国憲法の草案に大きなヒントを与えたとされている。

[アメリカ合衆国の建国の父] の一人であるベンジャミン・フランクリン🔗らは、バラバラだった植民地を統合するモデルとして、このイロコイ連邦を参考にしたとされている。

連邦制(各州の主権と中央政府のバランス)、二院制、大統領の弾劾制度など、現代の政治システムの基礎にその思想が反映されているわけだ。つまり民主主義のOSを作ったいたのがこのイロコイ連邦だったというわけだ。

では、なぜこのような一見迂遠に見える優れて民主的なシステムを、彼らは作り出したのか?気にならないかい?俺は気になる。とっても。

イロコイ連邦がこの合議制システムを作った最大の理由は、部族間の果てしない血の復讐(殺し合い)を終わらせ、永遠の平和を実現するためだった

彼らの格言にある「一本の矢は簡単に折れるが、束ねた矢は折れない」という言葉の通り、生存をかけた切実な背景がありったんだ。

さて、今夜も仕事に行ってくるからここいらでおしまい。続きは明日!