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| 熊野、路地 |
1. 預言者「デガナウィダ」との出会い
ハイアワサもまた、戦争によって最愛の娘たちをすべて失い、深い絶望の中にいた。
そこへ、デガナウィダ(大いなる平和をもたらす者) という預言者が現れた。
ハイアワサは彼の「武力ではなく平和の法によって団結する」という思想に共鳴し、吃音のある彼の代弁者(伝道師)として部族間を巡る決意をしたのだ。
2. 「1本の矢と5本の矢」の説得
ハイアワサは各部族の首長たちを訪ね、視覚的で分かりやすい例えを使って説得を行った。
彼はまず、1本の矢を取り出し、それを簡単にポキリと折って見せた。
そして次に5本の矢を束ねて差し出し、「これを目一杯の力で折ってみよ」と促した。
首長たちが束ねた矢を折ることができないのを見て、ハイアワサは「我々が個々の部族(1本の矢)であれば容易に滅ぼされるが、5つの部族が結束(5本の矢)すれば、何者も我々を折ることはできない」と説き、協力の必要性を訴えたんだ。
まるで毛利元就🔗の話だなぁ。なんらかの交通が日本と当時の北米のあったにあったんじゃないの?という疑問も浮かんでくる。せめて、北米人がまだアジアに住んでいたころの新石器時代にまでさかのぼる逸話なんじゃないかと考えたくなるが、ヨーロッパにもこれに類似する話があるようなので、人類がそれぞれの社会生活を営み、協力・協働を行うときに手っ取り早く使用する比喩なんだろう。まぁ収斂進化みたいなものか。
まぁ、なにはともあれこの比喩を巧みに使うことで、大方の部族の首長たちは連合を作ることに合意した。しかし、問題はハイアワサの妻子を殺したオノンダーガ族の首長タドダホその人本人だった。
3. 最大の難敵「タドダホ」の精神を癒やす
連邦結成の最大の障壁だったのが、オノンダーガ族の残忍な首長「タドダホ」だったのは今言った通りだ。伝承では、彼は邪悪な魔術を使い、髪の毛が蛇になっているほどの狂気に囚われていたとされている。完全に社会を崩壊に導く指導者になっていたと考えられるだろう。
このような指導者は、今の国際政治の舞台にも多く見受けられる。自らの想念が作り出した『敵意』にとらわれ、その敵意を自らエコーチェンバーのように増幅し、周囲に害悪をまき散らす。それが、その辺のおっさんならまだしも、社会の指導者であったことそのものが大問題だ。
ハイアワサとデガナウィダは、武力で彼を屈服させるのではなく、「美しく神聖な歌(平和の歌)」を歌い、タドダホの心に語りかけた。
つまり、誠意を尽くした言葉の力=パロール🔗で、タドダホの内面にわだかまる不信感や敵対心、猜疑心を溶かしたわけだ。
こうして、この歌によって彼の心から狂気と邪悪さが消え去り、髪の蛇が解けて正気を取り戻したことで、最後の部族が連邦への参加を承諾することになったわけだ。
我々の感覚からすると諸悪の根源というかラスボス的な立ち位置のタドダホは、文化英雄たるハイアワサとデガナウィダによって、放逐されたり殺害されたりするのがお決まりのパターンだろう。しかし、それすらも言葉の力で包摂してしまうというところが、非常に大きなポイントだ。
4. 「大いなる平和の法」の制定(システムの構築)
5つの部族が合意したのち、彼らは「大いなる平和の法(ガヤナシャゴワ)」という民主的な憲法を制定した。それは次のような内容からなっていたようだ。
合議制の導入
物事は戦争ではなく、各部族の代表が集まる「評議会」の話し合いで決定する。
母系社会の権限
役職の任命や罷免の権限は、部族の「母親(チーフ・マザー)」たち女性が握る。
武器の埋葬
一本の大きなホワイトパイン(松の木)の根元に穴を掘り、すべての武器を投げ入れて埋め、その上に平和の木を植えたという。これが大事だ。カント🔗の『永遠平和のために🔗』を思わせる武装解除だ。今日の日本国憲法の精神にも通じるものがあるといってもよいだろう。
このハイアワサによる「対話と調停」「一歩も引かない平和への信念」によって、北米最古の民主的連邦制度が誕生した。このシステムは、近年、のちのアメリカ合衆国憲法の手本にもなったと言われている。また、当時のヨーロッパの啓蒙思想にも大いに影響を与え、ルソーの人間不平等起源論などは、彼らの存在を意識したものであるという論考が、デヴィッド・グレーバー🔗とデヴィッド・ウェングロウの著書『万物の黎明🔗』などにも取り上げられているんだ。
具体的に、彼らは長年の恩讐をどのように克服したのか?
彼らが恩讐を乗り越えた最大の方法は、「復讐(殺害)」の代わりに「法による代替(代償)」のルールを全員で合意したことだ。
感情のステップ:哀悼(あいとう)の儀式
身内を殺された人は、悲しみで理性を失い、復讐に走ることとなる。
それは昨今の殺人事件の裁判で、被害者の遺族が極刑を望むと発言することからも普遍的な心情だ。目には目を、歯には歯をだ。
しかし、それは同時に復讐の終わりなき連鎖を生み出す。最終的には最後の一人になるまで殺し合いが続く可能性を排除できない。
そこで連邦こ作った人々は、まず「遺族の悲しみを社会全体でケアするステップ」を義務付けた。
「目が涙で曇っているなら拭い、耳が血で詰まっているなら掃除し、喉が詰まっているなら水を与える」という儀礼的な言葉をかけ、加害者側も交えて徹底的に寄り添ったのだ。
現代風に言えば、被害者遺族の心のケアを社会に実装したのだ。
意思決定のステップ:多数決の禁止
また、彼らは多数決を数の専制につながる悪しき制度だとして退けた。
「10人中7人が賛成、3人が反対」で決定すると、敗れた3人には「無視された」という遺恨が残る。そして、いつしかその遺恨の火種は何かをきっかけにして燃え盛り、社会を焼き尽くすこととなることを彼らは知っていた。
それがいかに煩雑で面倒なプロセスを履むこととなっても、社会の分断と、それによって生まれる憎悪の芽を、彼らは摘み取ることを選択したのだ。
そこで彼らは「全員のプライドを傷つけないために、全員が1ミリずつ妥協して新しい100%を作る」という道を選んだ。
これが全会一致システムの誕生だ。
3. 関係性を回復させた「贈与(ワムパム)」の仕組み
殺された命の対価や、壊れた関係を修復するために使われたのが、貝殻で作られた紐や帯である「ワムパム🔗(Wampum)」だ。これは単なるお金ではなく、「言葉と誓いの可視化」でした。
命の価値を物質で埋める(代替の贈与)
誰かが殺されたとき、加害者側の部族は被害者側の部族へ、大量のワムパムを「贈り物」として差し出した。
- 「このワムパムで、失われた家族の穴を埋めてください」
- 「このワムパムで、あなたの怒りを静めてください」
これを受け入れることは、「復讐の権利を放棄し、相手を許す」という公的なサインになるわけだ。
ここで留意してほしいのは、このワムパムを被害者サイドに送る主体も、受け取る主体も部族ということだ。
個人の不始末の責任を部族という共同体全体で担保するという観点だ。今日の裁判でも、刑事罰と並行して、民事的な損害賠償が求められる。
この時、支払い能力を持つものは支払うことはできるだろうが、そもそも支払い能力を持っているような家庭に育ったものは、他者を殺してまで自分の意見や要求を貫徹することが、或いは殺人の衝動に身を任せて相手を害することが、甚大な結果をもたらすということに気がまわらないということはないだろう。つまり自己抑制が働くのだ。
この部族によって賠償するという、一見個人の責任を免責するようなシステムが、個人の思惑による悪行を思いとどまらせる強力なストッパーになり得たことは容易に想像ができる。
契約書としてのワムパム
そして、5つの部族連合の協議によって重要な合意がなされると、その内容を編み込んだ「ワムパム・ベルト」が作られた。
これは、この部族連合における憲法=コンスティテューションのようなものだ。
そして会議のたびにこのベルトを広げ、「この模様は、私たちが二度と戦わないと誓った証拠である」と全員で確認したという。
こうして言葉の重みをモノに定着させ、相互の裏切りを防いだのだ。
言ったことがころころ変わるどこかの国の政治家とは全く違うのだ。
俺自身が構想している、草の根の民主主義をリビルトするというトクヴィル🔗的な試みを形にしてゆくために、このイロコイ連邦の成り立ちとそのシステムを深く知りたいと考えているんだ。グレーバーの『民主主義の非西洋起源について🔗』などには、この制度の発祥までは記されていない。こうして、その半ば神話的に再構築されたその発祥までさかのぼると、レヴィ=ストロース🔗の構造主義🔗まで行きそうだけどね
デヴィッド・グレーバーは『民主主義の非西洋起源について🔗』において、民主主義を国家の制度ではなく「国家の統治が届かない『あいだ』の空間で、対等な人間同士が揉め事を解決する泥臭い実践」として描き出した。
しかし、なぜその空間で「全会一致という極端な個の制度(=1人の拒否権がシステム全体を動かす仕組み)」が、単なる思いつきを超えて持続可能な社会契約として定着したのかの「発生のメカニズム」までは、グレーバーの記述でも網羅されていない。
この発祥の謎に迫るには、まさにクロード・レヴィ=ストロースの構造人類学、特に「交換(互酬性)」と「神話的思考」の交差点まで遡る必要があるだろう。
なぜイロコイ連邦において、恩讐(血の復讐)を乗り越えた「個の全会一致システム」が生まれたのか。その深層を4つの論点からさらに解剖してみよう。
1. なぜ「全会一致」なのか:1人の「個」を排除した瞬間に社会が死ぬという恐怖
トクヴィルが『アメリカのデモクラシー🔗』で警告した最大の病理は「多数者の専制」だった。
少数派が多数派に押し切られ、個の自由が圧殺される現象のことだ。
イロコイ連邦が「多数決」を徹底的に拒否し「全会一致」に固執したのは、彼らにとって「多数者の専制」は即、社会の崩壊(内戦)を意味したからだ。
レヴィ=ストロース的な親族構造の視点で見ると、当時の北米先住民の社会は、緊密な「クラン🔗(氏族)」が網の目のように組み合わさった母系社会だった。
多数決を行い、例えば「4部族が賛成、1部族が反対」の状態で物事を決定したとする。
近代国家であれば「不満を抱えながらしぶしぶ従う少数派」として処理されるだろうが、この国家なき社会、つまり暴力を独占した国家というリヴァイアサン🔗のいない社会において、意思決定から排除された「1」の個、あるいは1つの部族は、システムへの帰属意識を失い、即座に「外敵」へと反転してしまうのだ。
排除された者が抱く「遺恨(怨念)」は、必ず次の「血の復讐」の引き金になる。
彼らにとって全会一致とは、お花畑のような理想主義的な道徳ではなく、「1人でも排除したら、そこから社会が腐って崩壊する」という、極めてリアリズムに基づいた安全保障上の制度設計だったわけだ。
2. ハイアワサの「闇落ち」と、レヴィ=ストロース的「自然から文化への移行」
ハイアワサの経歴は、単なる美談ではなく、「恩讐をシステム化するプロセス」そのものです。
ハイアワサは家族を虐殺され、発狂して森にこもり、旅人を襲って喰らう「人食い(怪物)」になりました。これはレヴィ=ストロースの文脈で言えば、「社会契約を失い、完全に『自然(動物)』へ退行した状態」を意味する。復讐の連鎖の中にいる人間は、人間ではなく、ただの暴力の自動機械(自然の脅威)に他ならないのだ。
ここに現れた調停者デガナウィダは、ハイアワサを力でねじ伏せるのではなく、「言葉」と「ワムパム(物質)」によって彼の狂気(自然)を、対話可能な「文化(社会)」へと引き戻した。
この「闇落ちした個人が、対話のシステムによって社会へと再統合されるプロセス」こそが、イロコイ連邦の基盤になる。
これ大事だから、覚えておいて!
「どれほど深い恩讐を抱えた個であっても、適切な手続き(ケアと物質の互酬性)を踏めば、社会の構成員としてリビルトできる」という一例を、ハイアワサ自身が証明したのだ。
3. 恩讐を克服した「贈与(ワムパム)」の深層:レヴィ=ストロースの交換理論
では、長年の戦争による具体的な恩讐(身内を殺された憎しみ)を、どうやって物質でクリアしたのか。ここにレヴィ=ストロースの『親族の基本構造🔗』の根底にある「互酬性(ギフト・エコノミー)」の原理が働いている。
彼らが行った贈与は、現代の「賠償金(貨幣の支払い)」とは本質的に異なる。現代の賠償金は、支払った瞬間に「関係が切れる(清算される)」ものでだ。つまり等価交換だ。コンビニでの買い物と同じだ。金の切れ目が縁の切れ目だ。
しかし、彼らのワムパムの贈与は「永久に続く関係性のスタンプ(契約)」であったんだ。
命の価値のコンペンセーション(補償)
身内を1人殺されたクランは、労働力と戦闘力を失い、何より「誇り」を傷つけられる。
加害者側は、ただ謝るのではなく、「失われた命の重さに釣り合うだけの象徴的価値」として、膨大な時間と労力をかけて作られた白い貝殻(ワムパム)を贈ることになる。
贈与による「負債」の反転
レヴィ=ストロースやマルセル・モース🔗が指摘した通り、贈与を受け取ることは、相手との間に「新たな関係性(負債と互酬のループ)」を結ぶことを意味する。
「殺した・殺された」というマイナスの関係性を、ワムパムの「贈った・受け取った」というプラスの交換関係に上書き(リライト)するわけだ。
ワムパムを受け入れた被害者側は、「私は復讐の権利をあなたに譲渡(贈与)し、代わりにあなたとの平和を受け取る」という非対称な交換に同意したことになる。
現代人の感覚からすれば、それは割に合わないディール(いやな言葉だな)だろう。
しかし、それによって受け取った被害者側は、贈った加害者側に一種の貸借関係を築くことになる。
これにより、個人の怨念は「部族間の法的な貸し借り」へと昇華され、私的な暴力が禁止されることになるのだ。
4. 宿敵タドダホを「排除」せず「議長」にする:システムの究極のレジリエンス
トクヴィル的な草の根民主主義のリビルトにおいて、最も現代的で示唆に富むのが、狂気の独裁者・宿敵であるタドダホ(オノンダガ族の首長)の処理方法だ。なにしろ、かれこそがラスボスみたいなものだからな。
通常の政治闘争であれば、平和を阻む巨悪であるタドダホは「処刑」されるか「追放」されるのが定石だろう。
しかし、ハイアワサとデガナウィダは彼を殺さず、驚くことに連邦の中央会議におけるである「最高議長(火の番人)」のポストを与えたんだ!
これは構造人類学的に極めて鮮やかな「毒の無害化(システムの包摂)」だといえるだろう。
プライドの回収:
タドダホの持つ強大な権力欲と破壊衝動を排除して「反体制の爆弾」にするのではなく、システム内部の「最高の栄誉」で満たすことで骨抜きにすることに成功した。
拒否権という役割の付与
彼に与えられた「火の番人」の役割は、モホークやセネカが揉み合った議論に対して、最終的な調整と「差し戻し(拒否権)」を行う権限だった。
建築のアーチでいえば要石、キャップストーンだ。
つまり、彼の「他人の邪魔をしたい、牙を剥きたい」という攻撃的なエネルギーを、「議論が安易に多数決へ流れるのを防ぐための、最後のストッパー(チェック&バランス)」という防衛システムへと変換したわけだ。エネルギーの大きさはそのままに、ベクトルを変えたという表現がしっくりくるな。
トクヴィル的「草の根民主主義」への接続
グレーバーが言うように、民主主義の本質が「国家なき空間での合意形成」であるなら、それを駆動させる制度(インスティテューション)は、「最も声が大きく、最も社会を破壊しかねない『個(タドダホやハイアワサ)』を、いかに排除せず、システムの一部として機能させるか」という設計にかかっているだろう。俺たちは今、毎日TVでアメリカの声の大きなおじさんが社会システムをめちゃくちゃにしているのを目にしている。
今、俺や君たちに突き付けられている課題は、実はまさにこれだ。これなんだ。
これは明日考えよう。良い週末の夜を過ぎしてくれ。俺は仕事だけどな。

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