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| 俺の町、一宮 |
今日は日曜日だが、今夜も仕事だ。これで14連勤だ。だれだ、こんな過酷な工程を組んだ奴は。絶対請求を吹っかけてやるぜ。俺の眠気と疲労は限界間近だ。ボーとする頭の中に
ぼくの孤独はほとんど極限(リミット)に耐えられる
ぼくの肉体はあらゆる苛酷に耐えられる
ぼくがたふれたらひとつの直接性がたふれる
もたれあうことをきらつた反抗がたふれる 『小さな群れへの挨拶』
という吉本隆明🔗の詩の一節がエンドレスでリピートしてる。やばいな(笑)
リーマン・ショック🔗の後に巻き起こったウォール街占拠運動🔗の指導者の一人で、「私たちは99%」というスローガンを発案したことでも知られるデヴィッド・グレーバー🔗が言うように、民主主義の本質が「国家なき空間での合意形成」であるなら、それを駆動させる制度(インスティテューション)は、「最も声が大きく、最も社会を破壊しかねない『個(タドダホやハイアワサ)』を、いかに排除せず、システムの一部として機能させるか」という設計にかかっているだろう。
今、俺や君たちに突き付けられている課題は、実はまさにこれだ。これなんだ。
町内会や現代のコミュニティでこれを行うために必要なことは、どんなことだろう。
- 不満分子やクレーマーを「排除(つまり多数派による村八分🔗)」してはだめだ。村八分は良くない。いや、大昔逢ったロックバンドの村八分🔗はいいけれど、意見のちがうものを排除するのではなく、彼らの攻撃性をシステムの「監査役」や「チェック機関」として公式に組み込むことが必要だ。
- それに彼らの反対意見にもきっとそれなりの理があるはずだ。それにしっかりと耳を傾け、その主張に歩み寄ること。しっかりと熟議をして、単なるシャンシャン総会的に反対意見を封殺してしまう事の無いように努めることが必要だ。
- 揉め事の解決に、単なるルールの厳罰化(法律的解決)を使うのはよくない。ルールや不文律で縛ることは、共同体を構成する人々を委縮させ全体主義的な草の根社会を形成してしまう。それを避けるためにも、コミュニティ内での「象徴的な贈与(汗を流す共同作業や、互いのケアの儀礼化)」を挟むことで、感情の債務をクリアすることも一考だろう。面倒くさいかもしれないけれど、面倒くさいことへの協働が基盤的共産主義、つまり、「各人は能力に応じて貢献し、必要に応じて受け取る」というごく当たり前の理念に基づく地域社会を作る礎になるんだ。
これらが、イロコイ連邦の「大いなる平和の法」が現代に突きつける、具体的かつ超現実的なシステム構築のヒントになるだろう。
物語(町内会)へ応用するためのポイント
この歴史を町内会のストーリーに落とし込む場合、以下の要素が使えるんじゃないかな。
ハイアワサ役の動機
「過去にごみ問題や境界線トラブル、或いは騒音問題で大損害を被り、人間不信になった元住民」などが、対話を通じてシステムの推進者になる。あるいは、そういった問題で町内会から出ていった人とパイプを持っている人がその役割を担うのもありだろう。デガナウィダの役割に近いかもしれない。そして、そういった意見の相違で袂を分かった人も、再度受け入れていく経路を作ることだ。
タドダホ(独裁者)の更生
物語の最後、ハイアワサとデガナウィダは、宿敵タドダホを排除するのではなく、「連邦の最高議長(火の番人)」の地位を与えることで味方に引き入れたのを覚えているかな?
町内会の頑固なボス・クレーマーを排除せず、あえて「ご意見番」の大役を任せることで、そのプライドを満たし、組織に取り込む展開に使えるだろう。そんな厄介なおじさん、一人や二人いるんじゃないのかな。その人の胸襟を開くことができたらサイコーに力を貸してくれるだろう。
現代のワムパム
泥沼の揉め事を解決する際、罰金ではなく「地域の共同作業(草むしりなど)」や「祭りへの寄付」など、コミュニティ全体に還元される形での「対価の贈与」を行うことで、関係を修復するというのも手だろう。けれど、お金が絡むのはあんまりお勧めしない。
これについては、多くの町内会が構成員の高齢化によって、こうした地域の共同作業や行事の開催などが縮小していることが悩ましい課題でもある。実際に、俺は今の町内会に入って10年になるけれど、高齢化によって町内会連合=連区の運動会への参加は取りやめになった。子ども会で主催してきたささやかな祭礼も、少子化に伴う子どもの減少で、存続の危機だ。
そんな個別の問題はありつつも、一旦それは脇に置いておくことにしよう。それこそ、それぞれの地域社会で話し合って解決策を見出すべき課題なんだから。
さて、気分一新、日本の学級会や町内会を、あの「恐ろしいほど合理的な熟議の場」に変えるための、具体的な3つのハック手順を提案していこう。
1. 【三院制の導入】:議論のステップを分業する
ホデショノニの意思決定は、モーホーク、オネイダ、オノンダガといった異なる役割を持つ部族間の「三院制(分業)」で行われておったとさ。
これを町内会や学級会に落とし込み、「感情のぶつかり合い」を「構造的なキャッチボール」に変える仕組みを作るんだ。
第一議院(発案・初期議論)
課題に対してまず「アイデアを出す・問題点を洗い出す」チーム。
第二議院(検証・修正)
第一議院の案を「冷静に批評し、問題点を修正してブラッシュアップする」チーム。
第三議院(オノンダガの役割・最終承認)
二つの議院の議論を見守り、最終的なバランスをチェックして承認するチーム。
このように全員が一度にガヤガヤと話し合うのではなく、議論のバトンを順番に回すことで、声の大きい人間の意見や、その場の空気に全員が流されるのをシステムとして防ぐことになるだろう。
2. 【全会一致(コンセンサス)原則】:「多数決」という私刑の廃止
日本の村人の論理では、多数決が「少数派を合法的に排除する武器」として機能しがちだ。村人はどこにでもいる。会社の会議室にも、洗練されたスーツを着た村人が居座っている。しかし、ホデショノニ🔗のプリンシプル🔗、つまり原理・原則は、「誰一人として置き去りにしない全会一致」だよ。まさか君、忘れちゃいないよね。
異論は「敵」ではなく「ヒント」
反対意見が出た場合、そこで議論を打ち切る、あるいは多数決で押しつぶし、異議なし!議事進行!と強引に押し通すのではなく、「なぜ反対なのか」を第二議院が徹底的に分析するんだ。
案のアップデート
反対派の懸念をクリアするまで、案そのものを何度も話し合い、書き換えてゆく。これにより、「あいつのせいで決まらない」という個人攻撃(村八分)ではなく、「全員が納得できる最大公約数の案を育てる」という共同作業に変えていくんだ。この時、あくまでも反対のための反対という姿勢は排除する必要があるだろう。感情的なしこりを極力排除し、あくまでフェアな立場で批判的に検証するというスタンスだ。これが日本人にはなかなか難しいところだろうな。
3. 【七世代先を考える時間軸】:「目先の損得」をスルーする
イロコイ連合の掲げていた理念のうち、最も美しく驚嘆すべき原則は、「すべての決定は、7世代先の子孫にどう影響するかを基準にする」というものだ。
次の選挙とか、次の四半期決算とか短いサイクルで思考するのではなく、子々孫々までにどんな影響があるのかを慎重に吟味する姿勢だ。まさに持続可能性のある社会を構築するという強力な意思の表れだと感じるぜ。
翻って考えるに、現在の町内会や学級会が往々にして紛糾・破談するのは、「今、誰が損をして誰が得をするか」という狭い利害関係(綺麗事と本音の泥仕合)で戦うからだ。
それを回避するためのシステムがこの発想だ。政治家や経済通気取りのマスコミが、国債残高は将来世代にツケを残すといって振りまくけち臭いプロパガンダと一緒にしてはいけない。あれは経済界に甘い汁を吸わせ、国民の福祉を削るためのレトリックにすぎないからな。だまされてはいけない。
時間軸の強制引き上げ
議論の前提として、「今年度の予算」ではなく「10年後のこの地域(クラス)はどうなっているべきか」という、全員が共有できる「大きな共通の問い(プリンシプル)」を最初に設定してみるべきだろう。そんな迂遠なと思うかもしれないが、実際には10年なんてあっという間だ。
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| ヴォルテール『自分の庭を耕さねばならない』 |
俺がヴォルテール🔗の言葉を借りて言う「自分の庭を黙々と耕す」とは、まさにこうした「誰もやっていないが、圧倒的に正しい仕組み」を、自分の手の届く小さな会議、小さな集まりから淡々と、実験的に実装していくことに他ならないんじゃないかと思う。
この「現代版ホデショノニの熟議システム」を、君の身近な集まりに持ち込むとしたら、まずはどのような小さなテーマ(例:ゴミ拾いの役割分担、クラスの出し物など)から、この実験を始めてみたいと思うかな?
これを読んでいる君も、自分自身のコミュニテイーの課題を頭の中に想起してみてほしい。それこそが、この閉塞感で一杯の息苦しい社会に風穴を開ける第一歩なんだから!
もし、こんなシステムが、日本全国の町内会や小学校に実装されたら、どうなるとおもう?
日本全国の町内会や小学校にシステムとして実装されたとしたら、間違いなく日本の社会構造は根底からひっくり返り、本当の意味での「近代民主主義国家への新生」が起こるはずだ。
それほどまでに、このシステムは日本人が何千年も抱えてきた「村人の論理(同調圧力と私刑)」を構造的に解体する破壊力を持っているんだ。
もしこのホデショノニ式の熟議が日本中に実装された場合、社会に起きる劇的な変化を3つのレイヤーで予測してみよう!
1. 小学校での実装:思考停止した「大人」の絶滅
今までの日本の教育は、前例を踏襲し、空気を読み、お上に従う「従順な村人」を育てるシステムでだったといって過言ではない。もっと言うならば、産業界の要請に従って、従順でスペックの高い労働者を作るためのシステムだったわけだ。つまり、人間を手段として扱い、目的とはしていなかったわけだ。
しかし、小学生からこの熟議を叩き込まれると、教育の成果は180度変わっちまうぞ。360度だとちょっと困るな。
まず「批判」と「非難」を区別する人間が育つんだ。
意見の対立を「人格の否定」つまり陰湿ないじめや村八分と捉えず、「案を良くするためのパーツ」として客観的に扱えるようになるだろう。
そして自分の頭で考える原理・原則の確立がなされるだろう。
カントの言う「自分の理性を使う勇気」を持った子どもたちが育ち、成人したとき、彼らは単なる「労働者」や「消費者」ではない存在へと成長するだろう。メディアの浅薄な手のひら返しやネットの炎上に1ミリも動じない強靭な個を確立した『市民』が誕生するんだ。
2. 町内会での実装:行政の下請けから「独立した小さな共和国」へ
現在の町内会は、お上(行政)の通知をそのまま流し、内実では目先の利害関係で揉めるだけの形骸化した存在になりがちだ。誠に遺憾ながらね。
しかし、ここに三院制と全会一致のシステムが入ると、地域社会は強力な自立性を持ち始めることになるだろう。
まず実質的な「食料・生存安全保障」の拠点化だ。
7世代先を考える時間軸により、目先の効率(リカード🔗の罠)をスルーして、「地域の農地を守る」「町内会費で発電設備を設置し、エネルギーを自給する」といった百年の計が地域主導で淡々と実行される可能性が生まれるだろう。
また、災害大国日本では、自然災害なのどの際に避難所の運営や災害物資の分配などは、行政と連携した町内会にゆだねられる。この時、一人も取りこぼさないという思考実践を続けてきた人々は、高い問題解決能力とスムーズな運営力を発揮するだろう。
そしてこのシステムは、真のセーフティネットを作り上げることに寄与するはずだ。
この地域共同体の内側では「人間はただ人間であるだけで等しく尊重される」という原理・原則がシステムとして機能するため、老人の孤独死や生活困窮世帯の社会的孤立を地域コミュニティが自発的に防ぐようになる。
3. 国家規模での結実:「天皇制リベラリズム」の土台が完成する
草の根の町内会や小学校が「熟議の場」としてリビルドされると、その集合体である国家の空気も完全に変わるだろう。
その時、この国を覆っている空気による支配が終焉する。
そう、左右問わず政治家が綺麗事の建前で大衆を煽動することが不可能にるだろう。
国民が「面従腹背のリアリズム」を共有しているため、政府は外側に対して核武装や永世中立といった冷徹な生存戦略を、世論のブレを恐れずに堂々と展開できるようになるだろう。
これは以前、POST#1814🔗などを通して、俺が君たちに提示したことだよね。
伝統と自由の完全な調和
地域ごとに「個の尊厳(リベラリズム)」が担保されているからこそ、国家の象徴である天皇(ヒメ)という伝統的な権威と、実務を担うシステム(ヒコ)が完璧に機能する、世界で日本にしかできない独自の美しい国家モデルが完成するだろう。
これも以前、POST#1841🔗で君たちに開陳した大構想だ。気になる御仁はもう一度読んでみることをお勧めするよ。
結論として、これが実装された日本は、「表面上はこれまで通り穏やかで秩序ある島国」のフリをしながら、中身は「一人ひとりが絶対にブレない原理原則を持ち、強固な自給能力と独自の抑止力を備えた、世界で最も強かで手強いミドルパワー国家」へと変貌を遂げるはずだ。
俺たち市井の庶民には、外側のマクロな政治を変えるのは不可能に見える。
けれど、日本全国の町内会や小学校という「足元の庭」からこれが始まれば、それは静かな、しかし確実な革命になるんだ。
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