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| 石垣島 |
国家の財源なんて、信用創造でいくらでも作れる。
金のない奴ぁ、俺んとここい!といってほしいもんだぜ。
もし植木等🔗演じる『無責任男』が総理大臣だったなら、そうやって大言壮語するだろうな。
これこそ金融システムの本質を突いた、極めて本質的事実だ。
みんななんとなく、自分の家の家計を考えて騙されちゃいけない。
政府の言うバランスシートとか、財政健全化っていうのを鵜呑みにしちゃいけない。将来世代にツケを払わせることになる惧れがあるからと、将来世代のために国費を投入して、より良い教育、つまり社会の歯車の鋳型にはめるようなものではなく、人間の可能性を引き出すような教育を施すことを惜しむのは、亡国の愚行だといって過言ではないだろう。
「国債を発行して予算を作ることは、次世代への借金のツケ回しではなく、単なる政府による信用創造(通貨発行)である」という事実は、現代の経済学(MMT=現代貨幣理論🔗など)でも明確に説明されている通りだ。もっとさかのぼったら、100年ほど前のドイツの経済学者クナップ🔗が『貨幣国定学説』で展開した表券主義🔗までさかのぼるだろう。
これは嘘でも何でもない。
金がない、財政難だといいながら、政府は国債の発行をやめる気配もない。なぜなら、それは自己増殖する貨幣そのものだからだ。年に数パーセント価値が下落していく円の価値を金利で補うもう一つの貨幣だからだ。現代の貨幣は、金本位制じゃないから、国家の信用だけでその価値と流動性を担保しているんだ。
お金はどこかから「集めてくるもの(財源論の罠)」ではなく、政府が決断すればその瞬間にキーボードの入力一つで作り出せるものものなんだ。その証拠に、アメリカからこんなだけ金出せと言われると、どこからともなく金がひねり出されてくるだろう?
「財源がない」という言葉は、子供たちを労働機械として使い潰すシステムを維持するための、単なる政治的・思想的な言い訳(プロパガンダ)に過ぎないんだぜ。
この信用創造の視点から、私たちが求める社会(子供を歓迎する社会)へシフトするための論点は以下の通りであろう。
1. 財源の壁は「嘘」である。
銀行が融資を行う際に預金を原資とせず、万年筆で通帳に数字を書き込むだけでお金を作り出す(万年筆マネー)のと同様に、政府が国債を発行して日銀がそれを受け入れるプロセスも、無から通貨を生み出す「信用創造」だ。みんな間違えちゃいけない。銀行はみんなが預金したお金を貸してるわけじゃないんだ。
真の制約は「お金」ではなく「供給能力」そのものだ。
お金をいくら刷っても、それを形にする「人間の労働」や「資源」がなければインフレになりる。昨今のコストプッシュ型のインフレも、労働人口の縮小や、資源の高騰(とりわけアメリカ大統領ドナルド・トランプ氏の功績は絶大だ)によるものだといっていいだろう。
しかし今、この一連の構想で、俺たちが求めているのは「余っているリタイア世代(面白い老人)」の知恵の活用や、求職中の人たちを「事務職員」として雇ったり、「カウンセラー」として養成して、日本全国の学校に配置することでなわけだ。
社会に眠っている「人間という生身の資源」(こんな言い回しを俺が使うのも矛盾してるのは十分承知しているけれどね)は十分に余っているため、信用創造で予算を作ってもハイパーインフレなどを引き起こすことはないだろう。ナフサやコメのように目詰まりすることもないさ。
2. 「何を信用創造(創出)するか」という価値観の戦い
政府はこれまでも、必要とあらば事実上の信用創造で巨額の予算を一瞬で作ってきた。嘘だと思うかい?例えば、コロナ禍の持続化給付金や、銀行の救済、防衛費の増額など、実例は枚挙にいとまがないぜ。
問題は「お金を作れるか」ではなく、「作ったお金をミサイル(破壊の道具)に換えるのか、それとも子供たちの笑顔(生の余白)に換えるのか」という、国家の倫理観の選択にあるんだよ。子供たちを「かけがえのない存在」として歓迎するための信用創造こそ、最も正当な通貨の発行理由じゃないか。人々に死をもたらす道具か、人間の生を豊かにする余白か。君はどっちがいい?
中国に侵略されたらどうするんだという皆の衆に言わせていただければ、空気のように社会を覆う同調主義的全体主義と、習近平の号令一下で社会の方向が決まる明々白々な全体主義と、どう違うんだ?中国でも日本でも、金のあるやつは政治に首を突っ込まない限り好きにやってるさ。社会に異を唱えたときに劉暁波🔗やジミー・ライこと黎智英🔗のようにお上に拘束されるか、日本のように社会から黙殺されるかの違いだけだ。
今のままじゃ、風呂の温度が熱いか温いかだけの違いの専制状態に変わりはない。
その状況に決定的な変化を生み出すためにも、それは必要なんだ。
3. 「貨幣の奴隷」から「貨幣の主人」への転換
「お金が足りないから、子供への投資を削り、労働機械を増やす」という発想は、人間がお金(システム)の奴隷になっている状態以外の何物でもない。
お金は人間が生きるための「道具」です。「ようこそ地球へ!」という社会基盤を作るために、政府の信用創造という特権を発動させることが求められているんだ。生きた金を使うってことだ。これこそが、新自由主義的資本主義の呪縛を解き、人間の尊厳を経済の最上位に据え置くための具体的な実践とり得るだろう。人間の尊厳のための通貨発行だ。
「お金は作れる」という前提に立ったとき、俺や君たちは「財源の言い訳」に騙されることなく、堂々と「子供たちの命を救うための予算」を国に要求することになるだろう。
要は、日本政府に金はないというのは『共同幻想』なんだ。いつもずいぶん大昔に久米宏🔗がニュースステーションの中で、刻一刻と動き続けるデジタル表示、それは一瞬の休みもなく利子によって増大してゆく国債残高を示していたんだが、その前で持ち前の深刻ぶった表情を作って見せ、日本社会の行く末を案じて見せた姿を思い出す。
それからもう、二十年くらいは経ってるはずだけれど、俺たちは相変わらずだ。もちろん、国債残高が減ったわけでもない。
政府にこの「人間の尊厳のための信用創造」を決断させるために、俺や君たちたち『市民』(「消費者」じゃないぜ)はどのような世論のうねりを、あるいは政治へのアプローチを作っていくべきだろうか?
しかし、実際に行われていることは、本来の政治の役割そのものであるべき富の再分配が、富の収奪に堕してしまったことで、大多数の人間は心理的にも物理的にも欠乏状態に置かれている。
人々を欠乏状態に置くのは、権力を持ってるやつらの得意技だ。
人々を欠乏状態に置き、TVで、新聞の広告欄で、ネットで、SNSで、24時間365日休みなく資本の論理を広告として集中的に浴びせ、必要のないものを必要だと思わることで、人々の飢餓感、欠乏感、劣等感と羨望をあおり、人間を支配するシステムが社会を隅々まで覆いつくしている。まるでデジタルを使った農奴制だ。いやすでにヤニス・バルファキス🔗などの経済学者はその構造をその著書、『テクノ封建制🔗』などで解き明かしている。
これが、『市民』を『消費者』に変え、『主権者』を単なる『社会の歯車』に変えてしまうんだ。これがカール・ポランニー🔗が『悪魔の碾き臼』にたとえた近代資本主義のヴァージョンアップ版だ。
俺たちはそんなくそみたいな経済を、嘘くさい社会を静かにボイコットしないといけない。
ちなみに、バンクシー🔗はずっとそういうことを主張してきたアーティストだ。決して資本主義のアイコンとして消費していいような存在じゃないんだ。ロックだな。痺れるぜ。

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