2026/06/10

POST#1873 この社会で民主主義をリビルトするにはどうしようかな?

 

台南市、安平老街

今日からは民主主義について考えてみる。

民主主義はもう古いと思ってる人が世界中にたくさんいる。あのかたやこの方、あなたの頭の中に浮かんだこわもてのじいさんや、おかしな髪型のおじいさんやそのお友達だ。

民主主義に無力感を感じている人もたくさんいる。

ただ黙って、決まったことだと受け入れるしかないと思っている人もたくさんいる。

けれど、俺は専制主義🔗全体主義🔗は御免被る。

なぜって、少なくともこの日本国は法治国家で、その根本には日本国憲法という権力構造のフレームワークがあり、国民がその主権者として定められているからだ。

それに何より、自分自身が誰かを支配したり、誰かに支配されたりするなんて真っ平御免だからだ。鬱陶しいし、面倒くせぇよ。(笑)

しかし、その国民の代表たる国会議員の先生方が繰り広げる、貶しあいと数合わせのゲームに誰もかれもうんざりしてる。

実質的には、何も話し合われていないのにもかかわらず、儀礼的に質疑して、落としどころは国民の見えないところで決まっていく。俺や君は、自分たちが多数決で選んだ人の属する政党の限られたお偉いさんや、たいそう優秀な官僚のかたがたいそうお金儲けの御上手な財界のお歴々のお考えに沿った法律が決められていくのを横目に、何も変わらないさとあきらめたように自分の生活を回す。

そりゃ、民主主義にうんざりするのもわかる。

斯くいう俺も若いころにはプラトン🔗のように、正しく理念と高い見識を持った哲人王🔗が統治する、専制的で合理的に設計された整然とした社会のほうが良いのではと考えたこともあったんだが、それはやはりよくない。

その哲人王による統治システムってのは、カール・ポパー🔗が、ナチス・ドイツ🔗に統治された故郷オーストリアのウィーンを逃れニュージーランドで、まさに専制主義やソビエトの共産主義政権に思想的な戦いを挑むために記されたその著書『開かれた社会とその敵』🔗で、激しく批判したものだ。

この『開かれた社会とその敵』という本は、岩波文庫から4巻本で出ているが、民主主義を脅かすプラトン的な国家観、マルクス主義🔗的共産主義国家、ファシズム🔗国家、ナチズム🔗の温床になったヘーゲル🔗哲学への徹底的な批判に貫かれている。とても有益な書物だ。興味のある向きは、ぜひお読みになることをお勧めする。


俺は現在の日本の政治的な状況は、非常に危ういものがあると考えているんだ。

圧倒的な議席数を擁する与党は国家主義的、全体主義的な傾向を強めている。

史上初の女性宰相となった高市総理は自らの掲げる政策を自らの言葉で説明することなく、SNSでの一方的な情報の垂れ流しに安穏としている。

また、かつての政治的な師匠に当たる安倍晋三を髣髴とさせるように、、自らに向けられた批判や疑惑には気色ばんで反論するが、何ら真実を明かさずはぐらかし続ける。

その裏で、粛々と皇室典範は書き換えられ、きっと上皇陛下より続くリベラルで開かれた天皇観を、国民民族の上に君臨し、与党によって操縦しやすい反動的な天皇に挿げ替えてゆく道筋がつけられている。

また、中国を仮想敵国としてロックオンすることで、教育や福祉の予算を削減したうえで軍備を増強し、移民政策などを通じて人々に排外的な思想を植え付けてゆく。

米がなければ流通過程で目詰まりしている、ナフサが市場から払底すればこれまた流通過程で目詰まりしていると具体的な証拠も挙げず、責任転嫁に終始している。

東京一極集中による、1票の格差の拡大は放置されている。

そして、維新の会は与党になることで、自らの政治的利益の核心である大阪都構想というリバタリアニズム的な政策をごり押ししようと跋扈している。

自民党と日本維新の会からなる与党は、圧倒的な議席数を保持してるがゆえに、民主主義の根幹たる与野党の熟議はないがしろにされ、何もかも多数の専制のもとに決まってゆく。

人々は各地でデモをして抗議しているが、それは国家権力という重戦車に立ち向かう蟷螂之斧のように無力だ。

結果、世の人々に蔓延する無関心と無力感。


これは健全な民主主義国家の姿ではない。

かつて、麻生太郎が言ったように、『ナチスの手法に学ぶべきだ』という常識外れの手法が着々と現実化しているとしか思えない。

気が付いたときには、俺たち市民はとんでもない社会になっていることに気が付くだろう。

そう、このままでは日本政治形態は、現在の高市政権が仮想敵国とみなしている中華人民共和国の共産党政権と、思想信条的に大差ないものに成り下がってしまうだろう。

そうなったら、彼らを仮想的に据える必要もない。

なぜなら似た者同士だから、どっちに転んでも専制国家ってことになる。風呂の温度が違うだけさ。

だからこそ、俺はオルタナティブな民主主義を構想してるんだ。

上から社会が変わることを待っていても、今のままでは悪いほうにしか変わらないと俺は見てるんだが、君はどうだい?

学級会や町内会をイロコイ連邦🔗=ホデショノニのような熟議の場に変える民主主義だ。

イロコイ連邦、(ハウデノサウニ / ホデショノニ)の「大いなる平和の法」に基づく合意形成プロセスを、学級会や町内会といった俺や君たちの身近なコミュニティの仕組みとしてハックし、リビルドするという構想だ。

これは、多数決の数の暴力や、空気による同調圧力を排除するための処方箋、つまり極めて高度で具体的な「熟議のシステム実装」になると考えてるんだ。

もちろん、全会一致ってのが難しいのは重々承知している。

一人でも反対すれば、決まらないデッドロックに陥る可能性だって常にある。その挙句、その一人がコミュニティーからパージ=追放されてしまうという恐れもあるだろう。

けど、それは民主主義じゃなくて、ソフトな専制政治だ。

じゃぁ、逆に今の多数決システムがそんなに優れているとも思えない。51対49で数の多いほうの意見だけが通ってしまったら、社会の中に切り捨てられたあ49ersの不平不満は蓄積され、分断は拡大し、非平等や格差も歩調を合わせて拡大していくことになるだろう。

だからこそ、お互い意見のちがうもの同士が、全会一致を目指して話し合いを重ね、歩み寄り、妥協点を探り、お互いに納得したうえで社会を変えるような決断を下す。そういった本当の民主主義が求められているんだと考えているんだ。

イロコイ連邦=ホデショノニは、ベンジャミン・フランクリンなどのアメリカ建国の父たちが合衆国憲法🔗のモデルにしたとされるネイティブアメリカンの部族連邦なんだ。

ちなみにジャミロクワイ🔗はそのバンド名の中にイロコイ族🔗の名前が織り込まれてる。

彼らは「全会一致(コンセンサス)」に達するまで、何日でも、何段階ものプロセスを踏んで議論を尽くす仕組みを持っていたという。

それはそもそも敵対するもの同士が同盟を組むために生まれたシステムだ。

さて、今日はこれくらいにしておこう。また明日話し合おう。失礼する。

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