2011/06/05

Post #205 勝手に金子光晴週間 その2

イケないぜ、5月の帳簿を作っているうちにすっかりこんな時間だ。
今日はあっさり行かせてもらいましょうかね、またボケボケしていると、怒られちまうからな。男一匹おまけが一人、なんとも生きていくのも世知辛いもんだぜ。俺は家庭内では叱られてばかりなのさ。掃除や洗濯も結構やっているのにな。とりわけ車の運転に関しては、必ず叱られているといっても過言ではない。いや~、まいったなぁ。
HomeTown
さてと、今夜は久しぶりに、『勝手に金子光晴週間その2』ってことで行ってみよう。とはいえ、こんな飛び飛びじゃ、週刊でも何でもないんだけれどね。そこらへんにはあえて突っ込まず、福島あたりで流行っているメルトスルーってカンジでよろしく。
今夜君たちに紹介させてもらうのは、俺が写真を撮っている時に、ふと脳裏に浮かんできたりする詩なんだが、これがなかなかいいカンジの詩なんだよ。君にもぜひ知ってもらいたいんだ。

『無題』

凄まじいな。もう僕も五十一だ。

僕がこの世ののぞみといへば
あの女たちにもう一度あつてみたいことだ。

かたらふすべもなくて、僕がそばを
すりぬけていつたあの女たち。

どんなにかはりはててゐたつて
いや、それはお互いさまぢやないか。

どこまでも追ひかけていつて
僕がききたいとおもふ一言は、
“まあ、あのときのあんただつたの?”

金子光晴 『無題』 女たちへのエレジー(講談社文芸文庫)

HongKong
そうさ、ネーチャン・フォトグラファーと言われるこの俺が、この詩を知ってから、街角で女の子の写真を撮っている時、このとぼけたカンジの短い詩が、ふと頭に浮かんでくるのさ。
滑稽なとぼけた語り口の中に、人間の在り様にたいする、いかんともしがたいさみしさや悲しさが漂っているんだ。誰だって、この歳月の無常さには抗うことは出来っこないんだ。アンチエイジング?せいぜい頑張ってくれ。見かけは若さを保っていても、心が老いぼれちまっていたら、それはそれで残念だがな。

昔々、いろいろあった女の子たち、
何もなかったただすれ違っただけの女の子たち、
そして昨日の話しに出てきたような素敵な女の子…。

俺はまだ、42歳だけれど、この詩のように50をいくつか過ぎたころ、こんな風に変わり果てた彼女たちにもう一度会ってみたいと思っているのさ。
その時、ハゲてたり、みっともなく太っていちゃ、なかなかに残念だ。俺はそれをヒジョーに恐れているんだ。昔の彼女にばったり会ったりして、『あんたみっともない年寄りになったわね』なんて、誰だって言われたくないだろう?それは辛いぜ。残念きわまる。だから、そんな情けないていたらくにならないように、今のうちからせいぜい節制しておかないとな。

OK、そのためには今夜もとっとと終わらせて、風呂に入って頭皮のマッサージとかしっかりやってだな、明日に備えてとっとと眠らないとな。
読者諸君、また明日か明後日、ごく近いうちに会おう。もうすぐまた、怒涛の仕事ラッシュが俺に押し寄せてくるんだ。今のうちにしっかりと充電させてもらうとするぜ。

2011/06/04

Post #204 She Said Yeah!

読者諸君、俺はこの気持ちのイイ土曜日、ゆったりと眠ってから今、まさに高校生の頃に買ったローリング・ストーンズの初期のアルバム“Out Of Our Heads"を聴いている。CDじゃない、LP盤だ。まだ若々しいミック・ジャガーの歌うラブソングが、俺を少し切なくさせる。はるか大昔の高校時代と、今と、その二つの時空のはざまに体験したさまざまなことが、この風の吹きぬける俺の部屋で交差する。少しセンチメンタルだ。
俺は、ブライアン・ジョーンズが生きていた頃のストーンズが結構好きなんだ。少し感傷的な響きでね。古いロックンロールのカバーもよくやっている。素敵なカンジだ。このころエレベーターの中でチャック・ベリーにであったミックとキースは、チャックベリーから『このままロールし続けろ!』と激励されたという。
このアルバムは、モノクロ写真のジャケットもカッコいい。こういう写真から、いつも俺はインスパイアされる。アサヒカメラなんか見る必要は1マイクロシーベルトも感じない。

一曲目はShe Said Yeahだ。俺の頭の中で、時空と記憶が混ざり合う。ノリの良い叩き付けるようなロックンロールから、She Said Yeahというフレーズを頼りにして、少し切ない記憶が引き出される。

彼女に出会ったのは、何時だったかどこだったか、憶えているけれど忘れたことにしておく。
忘れておいた方がいい事もたくさんある。
彼女は、センスの良い娘だった。とっくにくたびれたロックンロール・キッズの俺と違って、若さがオーラのように輝く年頃だった。この年頃の女の子は、どんな娘だって、とびきり輝いているのさ。その輝きに気付かず、日々を送り、くだらない男と所帯を持ってくたびれていってしまう。残念ながら、それが世の常だ。無情な世界だ。
Sagrada Familia,Barcelona
彼女は個性的な顔立ちに、流行とは一線を画した独自のスタイルを持っていた。そしてスタイルときたら、とびっきりによかった。要は素敵な娘だったのさ。
俺は彼女の写真を撮りたかった。きっと二度と逢うことはないだろうって予感があったから、たくさん撮っておきたかった。アラーキーみたいなカンジで撮りたかったんだ。けれど、彼女は写真をとられるのは好きじゃないと言っていた。残念だ。俺なら彼女の輝く季節を永遠に遺してやれたのにと思う。
彼女は、自分にはいろんな夢があると語っていた。なりたい職業があると言っていた。
俺達はいろんな話をした。俺は調子に乗っていろんなことを話したんだろう。
写真を撮っていること、昔は小説家になりたいと思って、原稿用紙にくだらないことを山ほど書きつけて、最終的には木曜日の燃えるごみの日に捨てたこととかね。
俺の事をもっと知ってほしかったし、彼女の事ももっともっと知りたかった。
彼女は、何時か一人で旅に出てみたいと語っていた。アムステルダム、イビザ、ゴアetc…。
俺は、そんな彼女といつか旅をする自分を想像した。いいだろう、想像するくらい?人生にはちょっぴりのロマンスも必要だろう。
俺は、そんな彼女に自分の旅の写真で編んだポートフォリオをあげた。
バルセロナを旅したときのものだ。
彼女は、そう彼女は俺からそのポートフォリオを受け取ると、その場でポートフォリオを見てくれた。
そして彼女は言ったんだ、Yeah!『写真家になってくださいよ。小説家になってくださいよ』ってね。

それ以来、彼女とはもう逢っていない。連絡を取る術もない。時折、写真を撮りながら、雑踏の中でよく似た人がいないだろうかと、視線を走らせることがあるって程度さ。きっともう、俺の人生で二度とふたたびまみえることはないだろう。人の出会いなんて、所詮はそんなもんさ。
俺が彼女にあげたポートフォリオは、どうなったことだろう?俺が思うに、きっとその日のうちに、駅のごみ箱かなんかに放り込まれていたことだろう。クソッ、酷いもんだ。しかし、所詮は、そんなもんさ。それが人生さ、ロックンロールさ。

けれど、彼女は確かに言ったんだ。『写真家になってくださいよ。小説家になってくださいよ』ってね、Yeah!

読者諸君。こんな話が本当にあったかどうかは、俺は知らないさ。俺はなんて言ったって、小説家志望だったんだからな。嘘を捏ね上げでっち上げるのが得意中の得意なのさ。たったひとかけらの真実を核にしてね。
そう、何時だって俺の真実は、俺の写真の中にだけ入ってる。たとえそれがどんな下手糞な写真でも。でも、もしもそんな言葉が無かったら、俺はこのブログをはじめようとは思わなかったかもしれないな。
俺は少し切なく、少し悲しい。
スピーカーからは、若き日のミック・ジャガーがBig Oことオーティス・レディングの名曲“That's How Strog My Love Is"を唄う声が流れている。俺の愛はなんて強いんだろう。こんな土曜日も悪くないもんだ。あぁ~、ストーンズが骨身に沁みるなぁ。

2011/06/03

Post #203 From The Dark Room

本日、これといって語るべきほどの事も無し。
例の小学校の遊具の点検に行き、一日で五百枚ほどの写真を撮影したってことくらいかな。
特に言っておきたいことも無いので、今日は昨日のプリントから行ってみようか?
そらよ!
Amsterdam
なんだかひさびさに、人物写真らしい写真だ。足元のバケツが実にいい味出してるぜ。
じゃぁ、調子に乗ってもう一丁、行ってみようかなっと。
Amsterdam
昨晩水揚げされたばかりの出来立てだぜ。
水揚げなんて、まるで魚屋の口上のようだ。デジタルしかやったことのない人には、イマイチピンと来ないかもしれないが、俺なんかにとっては、水揚げってのが実にしっくりくる表現だ。
モノクロのプリントには、いくつかの手順がある。ご存じない読者さんのためにざっくり説明しておこう。まずは、ネガフィルムをキャリアに挟み、引伸ばし機に装着する。続いて構図を定め、露出時間を決めて、そののちにはじめて印画紙を引伸ばし機にセットするんだ。
焦ってはいけない。この時、未使用の印画紙は、箱の中にしっかりと収められているかどうかの確認だ。これがもし、不注意で光に晒されてしまったら、せっかくの新品の印画紙が台無しだ。真黒く感光してしまうってもんだ。
そしてこれらの手順を正確にこなした後、まず行われるのは、引伸ばし機によって行われる『露光』、それを現像液の中にするりと突っ込んで感光した印画紙に画像を浮かび上がらせる『現像』だ。現像液の中に浮いた白い印画紙の表面に、ぼんやりとそしてくっきりと浮かび上がってくる画像。この時、印画紙の表面に浮き上がってくる粒子はたまらないもんがある。そう写真は粒子によって点描されているんだぜ。この瞬間こそが俺にはたまらなく楽しみで、なおかつ、生理的にグッとくる感じがするんだ。
そしてこの現像は当然化学反応であるから、これを止めるために酢酸溶液の中に印画紙を突っ込む『停止』、さらに続くのは、印画紙の表面に、化学反応によって描かれた画像をしっかりと定着させる『定着』という手順を踏むんだ。これも定着液の中に印画紙を突っ込み、5分ほど付け込んでおくのさ。これが甘いと印画紙はセピア色に変色してしまうんだ。しっかり定着しないとね。セピア色の写真なんて、俺はゴメンだからな。
この定着液の中に、しばらく留められた印画紙は、そこから抜き出されると、俺の場合、大きなバットにためられた水の中に突っ込まれ、本格的な水洗に先行する予備水洗を施されるんだ。この水の中にゆらゆら浮いている状態が、水揚げって言葉のイメージにピッタリなんだよ、分かるかい、このカンジ。
こうして書いてゆくと、なかなかに大変な作業だ。道楽ってのはすべからくこうでなけりゃねぇ。
つまりこんな訳で、モノクロというか、銀塩写真には、どこか水気が感じられるのさ。それがなんかどこかなまめかしい艶を写真に与えたりするものなんだ。

OK、読者諸君。今日はこれくらいにしておこう。明日か明後日、また会おう。今日は早起きだったから、俺もう眠くなってきちまったのさ。諸君は素敵なウィークエンドを過ごしてくれ。頼むぜ。