2012/12/11

Post #665 外は雪、思いは赤道直下を駆け巡る

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ヒマになってきたと思いきや、様々な雑事に忙殺されてなかなかプリントできない。先日は出先で車でオカマを掘ってしまったしね。保険屋から次々と電話がかかってくるのさ。請求書や帳簿も作らねばならないしね。ぽつぽつと仕事も入ってくる。忘年会のお誘いだってむげにはできない。その辺のことをきっちり押さえておかないと、プリントどころじゃない。夜逃げする羽目になってしまう。まぁ、そうなったら20世紀のスナフキンに逆戻りか。それもまた悪くないか?
俺はそんな間隙を縫ってプリントしていかねばならない。俺がこの糞ったれな世界で死なないでいる理由のひとつが、まだプリントしてないネガが腐るほどあるってことだからだ。もっと言うと、まだ見たことの無い世界が、この地球上のほとんどを占めているってことだ。えらいことだ。遠大な野望だ。馬鹿は死ぬまで治らないとはこのことだ。
プリントをするためには、まずはネガをじっくりとみて、プリントするカットを選ばねばならない。俺は昨日の夜、帳簿の整理を済ませてから、夏のインドネシアやシンガポールのネガを見ていた。
外は雪だ。例年より2週間早い。タバコを吹かすために窓を開けると、強烈な冷気が吹き込んでくる。たまらないぜ。けれど、俺の頭の中は、熱帯も熱帯だ。赤道直下だ。
男たちは、強い日差しを避けるようにして、椅子に身を沈めている。女たちは頭の上に荷物を載せ、民族衣装を着てかいがいしく働いている。異形の神々を象った石像が、目をむいて空をにらんでいる。子供たちは、はだしで駆け回り、時にじっとこちらを見ている。そして、かつて人々共に海を渡ってきた犬たちは、繋がれることもなく自由に路地を行きかい、まただらしなく寝そべっている。
人々の暮らしが、路上に溢れている。そして何より、強い光が強烈なコントラストを織り成していている。
俺の頭の中は、今は遠いバリ島を、ジョグジャカルタを、シンガポールを彷徨う。
君たちに見せてあげたい。俺の見てきたものを。
俺はこうしてはいられない。寒さをモノともせず、寸暇を縫ってプリントしなければ。
そして何より、君たちに届けたい。
デジタルではダメなんだ。俺の写真って感じがしない。便利なのはわかってる。仕事ではガンガン活用してる。俺はこう見えて結構最先端なものが好きなんだ。けれど、俺の肉体を通じて描き出された光画=写真じゃなけりゃ、俺の写真にはなりはしない。なにより俺は音楽や本だって、データだけじゃ不満なんだ。物欲が強いのかもしれない。第一、写真もデータだけじゃ電気が無けりゃ見ることもできないだろう。
アラーキーも言っている。写真は指想=思想だと。
指を動かし手を使わねばならないんだ。時代遅れだとわかっちゃいても、俺は好きでやってるんだ。それで誰かから金をもらってるわけじゃないんだからな。とことん自分の納得するようにやらせてもらうぜ。俺の人生だからな。
くぅ~、こうしちゃいられない。さっそくプリントしたいが、今日もこれから仕事で静岡まで行かねばならないんだ。まったく、まいったなぁ。けど、この辺をきっちりやっとかないと、フィルムも印画紙も替えなけりゃ、旅行にも行けないってことだからね。もどかしいったらありゃしないぜ。
読者諸君、また会おう。 

2012/12/10

Post #664 Photographica #12

性懲りもなく、また写真集を買ってしまった。
若き日の北島敬三の伝説の写真集『北島敬三 1979 写真特急便 東京』、全12冊+別冊1だ。
これはもちろん再版ものだ。こんなもの、当時のものがあったら、いったいいくらになるかわからないよ。
北島敬三 『1979 写真特急便 東京』
こんなもの再版してくれるような写真の分かっている出版社は、残念ながらいない。毎度おなじみ、ドイツのSTEIDLだ。かつて、森山大道の『写真よさようなら』、中平卓馬の『来たるべき言葉のために』、荒木経惟『センチメンタルな旅』、そして伝説の写真同人誌『プロヴォーク』を箱詰めにして、『Japanese Box』として出版したこともあるSTEIDLだ。
STEIDLのセレクトにはいつも脱帽する。今の日本の写真の流れとは完全に路線は違っているが、世界的に見て、かなり特異で、独自に花開いていた写真の潮流を、未だになお重要なものとして評価して、出版していることが読み取れる気がする。
まるで、明治時代に陶磁器の包み紙として海外に流出した浮世絵によって、衝撃を受け、影響を受けたヨーロッパ人によって、芸術としての浮世絵が見出されたことを思わせる。
まぁ、日本でいまこの手の写真を評価している人がどれだけいるかは知らないけれど、この手の写真を撮っている人ってのは、少ないですよね。どこかほら、キース・ムーンのドラムが凄くても、そのスタイルを継承しているのはリンゴ・スターの倅のザック・スターキーくらいのモノだってのと似てる気もする。(キース・ムーンの全編フィルインと言えるような、空間を絶え間ないドラムで埋め尽くすようなおかずの多い激しいリードドラムは、けいおん!のドラムのりっちゃんも大好きだということだが、そのドラムスタイルに、キースの影響は微塵も感じられなかった。)

手元にある資料を基に、北島敬三のことを手短に述べてみよう。1954年、長野県に生まれた北島敬三は、高校時代から写真部に在籍し、先にあげた森山、荒木、中平、そして東松照明などの写真家に憧れていたという。後に成蹊大学法学部に進学するも、夢中になれるものを見い出せず、中退。ほどなく開校したばかりのワークショップ写真学校の森山大道教室に入った。
1975年のことであったという。
1976年、ワークショップ写真学校は閉校し、森山大道と北島敬三をはじめとする森山教室の有志6名は、自主運営ギャラリー『イメージショップCAMP』を設立した。
この『1979 写真特急便 東京』は、このCAMPにおいて、1979年の1月から、毎月10日間、12回にわたり開催された展覧会で発行・販売されていた小冊子だ。
北島敬三 『1979 写真特急便東京』
森山大道に人物を撮るように勧められた北島は、おそらくは新宿の酒場で繰り広げられる狂態にカメラを向け、また通りすがりのスナップによって、その作品を形作っていった。
その写真は、師匠筋にあたる森山大道を思わせるような極端なまでのハイコントラスト、アレ、ブレを特徴としているが、森山大道の写真以上に、どこか暴力的でドライブ感のある写真に仕上がっている。
俺は、30数年の歳月をへだててその写真を見る。そしてため息をつく。カッコいいなぁ~。
写真に理屈はいらないのだ。ただ、見てカッコよければ、全てOKだといってもイイ。
視覚的にくらまされているだけだとしても、写真なんて、所詮は言葉でどうのこうのいって理解するような態のモノではなく、言語を排して、直截的、感覚的に、体験するものだと俺は考えているから、カッコいいなぁ~、ってため息をつくだけで充分なのだ。
こんな真っ黒で、どこか暴力的なエッセンスを、そして人間の放つエロスを感じさせるような写真が撮れたらなぁ、写真やめてもイイかなぁ・・・、いや、もっと撮りたくなるだけだろう。
この写真集、俺は名古屋のジュンク堂で買った。島田洋書扱いで、税抜7600円。当時1冊200円だった小冊子が、13冊入って7600円だ。お買い得だ。アマゾンとかで探せば、もう少し安く手に入るかもしれない。興味のある読者諸君は、一度手に入れてみてみるとイイ。今の写真とはある意味、対極にある生々しさだ。モノクロ写真の威力に、めまいがしてくるぜ。
しかし、このころの日本人の、体臭がにおってきそうなほどの生々しさは、本当にフォトジェニックだよね。

読者諸君、失礼する。外は雪だ。明日は家に閉じこもり、請求書を作り、プリントをしよう。いい加減そろそろ手を付けないとな、人生が終わっちまうぜ。 

2012/12/07

Post #663 俺達国民が試されているんだ

日本全国が国政選挙で沸き返っている。
候補者は旧態依然のスタイルで、街宣車で街を走り回り、各種団体に支持を訴え、何とか当選しようと躍起だ。しかし、その言葉はなかなか俺達国民の心には届かない。耳に虚しく響くだけだ。
俺達国民の間には、どうせ誰に政権を任せても同じだという諦めがわだかまったいる。
けれど、今本当に試されているのは、俺達国民のひとりひとりだということだ。
俺達は既に政権交代も経験した。そして、それに伴う失望も味わった。何より、去年の震災によって、この日本はすでにもう震災以前には戻ることのできない歴史的なステージに踏み込んでいるっていることを、漠然と感じている。
どんな政党を選び、誰に今後の日本のかじ取りをゆだねるのか?それは政治屋さんにかかっているのではないんだぜ。圧倒的多数の無名の国民一人一人に与えられた、唯一の政治参加の機会、つまり選挙権の行使によって、俺達国民一人一人が選んでゆくことなんだ。
そうだろう?違うのかい?それが世界の常識だぜ。
俺の好きなアメリカの無頼派作家ブコウスキーは『この世の中には2種類の政府しかない。悪い政府ともっと悪い政府だ』と、とことん政治に絶望した事を言っていた。
残念ながら、俺もそう思う。
けれど、その絶望と諦めの中からも、真剣に考え、何かを選び、自分たちの社会の方向性を、俺たち自身の手で決めてゆかねばならないんだ。
そう、本当に試されているのは政党や政治家ではない。
俺達国民の一人一人が、どんな未来を望んでいるかということだ。
目の前の甘い話に踊らされることなく、耳に心地よい勇ましい発言に流されることなく、真剣に未来と向き合ったうえで、今回の選挙に投票してほしい。
Bruxelles

新聞等の報道を見れば、自民党が、クソッ!あの日本最強の利権集団・自民党が最も国民に支持されているという。
呆れてものが言えないぜ。
こんな日本に誰がしたのか、みんなもう一度考えてみようや。
赤字国債を永年にわたってバンバン発行しまくり、公共事業と称してゼネコン土建屋建築業者ばかりに金をばらまいてきたのは、自民党の皆様方なんだぜ。しかし、もうそんな時代じゃない。
今の時代は、人間が人間に対して、サービスすることが産業の主体になってゆく時代に差し掛かっている。例えば、介護や教育なんかは、その最たるものだろう。モノを作っては壊し、壊してはまた作るという、資源の無駄使い的なことではなく、人間が人間に対して奉仕してゆく、それによって生計を立ててゆくという時代が来ていると俺は感じているわけだ。
つまり、よく言われる(だけの)ことだけど、世の中とっくにハードから、ソフトの時代になっているんだよ。
彼ら政治屋さんには、そんなことは分かっていないんだろうか。性懲りもなく、今また選挙戦では、景気を良くするために、やるべき公共事業はやって行くと言っている。やるべき公共事業ってなんなのさ?
それだけじゃない。かつて首相の重責に耐え切れず、鬱病になってその重責を投げ出したボンボン政治屋を党首に据えた自民党は、憲法改正、自衛隊から国防軍への改組などきな臭い主張を繰り広げている。俺は憲法9条を護るべきだという政治的な信念を持っているので、彼らの主張には、絶対に反対だ。
いいかいみんな、一度自分たちの身の回りに引き寄せて考えてみろよ。押し入れに日本刀なんか隠し持っていて、隣近所ともめごとがあったら、すぐにそれをちらつかせたり、振り回したりするよう物騒な奴とは付き合いたくないだろう。そいつの隣近所は、庭の境界線を少しづつ動かして、自分の家の庭先を、掠め取っていくような奴だとしても、いきなり日本刀をぶら下げて出てって、『ごらぁ、何しとんじゃ、わりゃ』って怒声を浴びせるってのかい?
子供向けのマンガなら、それもありだろう。しかし、もめごとがあっても、辛抱強く交渉し、お互いの接点妥協点を探り、円満に解決してゆくのが大人の発想だ。
勇ましい発言は、不景気で抑圧された俺達国民には、心地よく響くかもしれないが、俺自身は、その手の発言には、とんでもないきな臭さ、危うさを感じているんだ。世間知らずのボンボンに、危ないおもちゃを与えてはいけない。
日本人は外交下手だ。江戸時代に長いこと引き籠っていたからだろうか。言わなくても分かるというような島国根性のなせる業かもしれないが、21世紀にそげなこと言うとっちゃあかんとです。
尖閣、竹島、北方領土、日本を取り巻く辺境には、領土問題が山積している。だからと言って、武力でカタを付けるってのは、地廻りの田舎ヤクザと何ら変わりがない。とことん話し合って解決するしかないでしょう。
また、近年の自民党の路線からすれば、彼らが政権を奪回すれば、母子家庭や低所得者など、弱者に対する行政支援は削減されていくことだろう。自助自立というのはたやすいが、それがままならない世の中にいったい誰がしたのかと言いたい。
政治のもっとも大きな役割は富の再分配だ。それを忘れてしまえば、それはすでに民主主義国家ではない。地主と小作人、女工哀史や蟹工船の世界だ。時計の針を逆さに回していくようなことは納得できないぜ。
その点は、橋下氏が率いる日本維新も同じようなもので、規制緩和によって景気を浮上させると言っているが、その規制緩和の中には、最低賃金の撤廃ってのも入っているそうだ。
絶句するしかない。
既に最低賃金が生活保護費を下回っている地域すらあるというのに。最低賃金を撤廃すれば、低賃金でも働こうという人間は、中国人とかばかりになってしまうことだろう。現にいまコンビニやファストフードの飯屋なんかに行ってみろ、店員は中国人ばかりだ。日本人はますます貧しく、ますます怠惰になってしまうぜ。俺はむしろ、最低賃金を引き上げ、雇用条件や性別年齢にかかわらず、同一労働同一賃金という、国際的には標準的になりつつあるルールに則って労働市場を整備するべきだと思うが、いかがなものかな。
そして、原発だ。今回の選挙で大きな争点になるのはエネルギー政策だ。
それは単に脱原発だの、原発維持だのということではなく、俺達一人一人の国民が、どのようなライフスタイルをもって生きてゆくかを選択することだ。
はっきりしているのは、もう原子力には頼れないってことだ。知ってるかい、この日本やアメリカの生活レベルを世界中に広めると、地球の資源は全く足りないんだぜ。地球があと6つくらい必要なほど、俺達は無駄使いしてるんだ。発展途上国の人々が、憤慨するのも分かるってもんだ。
景気を良くするのはいいけれど、俺たちの住むこの地球がダメになってまで景気を良くしても、意味がないだろう?かといって、江戸時代には戻れない。なら、どうするべきなのか?政治家を選ぶってことは、そんな大きな選択にもつながっていくことなんだ。
どうせ何も変わらないなんて、無力感にとらわれていたり、無関心でやり過ごしたりしてはいけない。自分自身や子供たちの世代のために、真剣に考えていかねばならないんだ。
俺ははっきり言って自民党には任せておけない。何故なら、かつて政権にあった自民党が、永年にわたってどれだけ好き放題やってきたか、その都度呆れ、憤慨してきたからだ。それでいて、責任政党だとは笑わせるぜ。笑止千万だ。責任を取らない責任者ってのは、俺のまわりにもよくいるが、責任を取らない責任政党なんて、冗談じゃないぜ。そんなことだから、政治に対して、誰も期待しなくなってしまうのさ。どうせ、誰を選んでもダメだって。
だから、のど元過ぎれば、熱さを忘れる的な自民党への支持率の高さが、日本の行く末を誤らせることになるんではないかと、本当に心配しているんだ。
皆の衆、もっと自分自身の考えで、将来を選んでくれ。選挙は政治家を選ぶことじゃない。自分たちの未来を選ぶことなんだ。よく考えてくれ!そう、とんでもないのを選んでみようぜ!
常識外れでも構わない。20世紀の常識はこの21世紀には通用しないんだ!
明日の常識は今日の非常識だ。俺達は大きな時代の曲がり角に立っているんだよ。
いっそ、俺が出てみればよかったかな?その時は読者諸君、応援よろしく!