2026/09/10

POST#1965 ここんとこなんだかモヤモヤするな

台南
今年になって、地元に帰ってきてからずっとある会社と仕事をしている。

仕事は今のところ、忙しいよ。うん、確かに忙しい。

まさに心を亡くすような感覚だ。なぜって、一件仕事を片付けると、やれ手直しだ是正だ、追加だと追いまくられてるうちに、次の現場が始まる。

夕方から明け方まで働いて、昼間もひっきりなしに電話やメールがやってくる。俺は実動分しか請求しないのにね。正直な商売なのさ。だからこそ、報酬が発生しない時まで電話やメールに振り回されるのはたまらないぜ。

挙句の果てに、外壁塗装やらなんやらの飛び込み営業もやってくる。そんなことに費やす金はない。自分一人のビジネスだから、役員報酬を増やそうと思えば増やせるけれど、そんな事したら、増やした分より年金や社会保険料の増加分のほうが多くなって、かえって手取りが減っちまう。それは本意ではない。

何も考えずに、本を読んで眠ったりする時間が欲しいのにな。

自分のメンタルをすり減らしてまで働くのは、いかがなものかな?

イスラーム金融論は読み切ったので、さっそく次の本に取り掛かったけれど、心がモヤモヤしてると、どうにも集中できないもんだ。

毎日こうして写真を添えた文章をしたためていると、書きたいことはあるにはあるけれど、書き記すにはやはり時間とエネルギーが必要だ。集中力と。メールや電話で思考が途切れるのは、ちょっと辛い。

そして、つくづく自分の今まで撮ってきた写真が、つまらなく思えてくる。正直、毎日どれにしようかと吟味するのも厭きてきた。

見たこともない景色を見に行きたい。人間が濁流のように群れを成して歩いているようなところへ行きたい。

どうせ行くなら、トライXを奮発して買い込んで、コンタックスG2🔗ホロゴン🔗16㎜F8だけをつけて、その濁流の中に飛び込みたい。指が写りこまないように、ハンドルグリップも必須だな。

しかし、今の俺にはそんな金も暇も、そして体力もないのかもな。

人はこうして、老いていくのさ。アンチエイジング?興味ないね。いずれ年食って死ぬのさ。できることなら、息子には迷惑かけたくないね(笑)。

2026/09/09

Post#1964 人は読書という愉しみを忘れている

Katmandu,Asan Dabu,Nepal 抽象的とは対極にある世界だ
今夜はちょっと仕事がある。

線状降水帯が居座らないことを祈るばかりだ。

気圧が低いと、頭がぼーっとして、考えることも億劫になる。

読みかけの現代イスラーム金融論を開いたまま転寝してしまう。それでも第六章までこぎつけたけどね。

頭が動いていないとき、抽象的な内容の本を読むのは骨が折れる。

鬱病の最盛期みたいに、読んでも読んでも文字の羅列にしか見えてこない。意味が頭に入ってこないんだ。

そんな時、俺は本に書いてある文章を、声に出して読んでみる。

一人で机に向かい、文章を目で追いながら、その一言一言を声に出す。小学生が教科書を音読するように。

そういえば、かつての日本人は、黙読というスキルを持っていなかった。

明治時代の初め頃に活躍した人々は、皆寺子屋で漢文を素読、つまり読み下して声に出して学んでいたんだ。

すると、さび付いていた脳の回路が少しづつ結合してくる。電気信号がシナプスの間を伝達し、脳内に抽象的なイメージが形のない形として立体的に立ち上がってくる。

自分の脳内に格納されている様々な知識と接触し、異分野の知識同士が引き合い、意味を成し、強度と奥行きを作り出す。自分自身の実生活の体験と響き合う。抽象的な意味がまるで手で触れることができるようにはっきりイメージされてゆく。イメージと意味の連環が生まれるんだ。フラクタル図形のように、次々と疑問や関連知識が引き出され回転してゆく。

経済学の本を読んでいても、人類学や、歴史学、ロックやファンクなどの音楽に関する知識などが次々立ち上がり、意味を補強し、強度を与えてくれる。

だんだんと脳の回路が形成され、思考スピードが上がってくると、鈍重な飛行機が離陸するように、音読しなくても意味が頭に入ってくる。

20分もそんなことをしていると、自分自身と向き合っている本の世界以外、どうでもよくなる。

どうして、今の人々が本を読むという楽しみを忘れているのか、意味が解らないね。

2026/09/08

POST#1963 大事ない

Bangkok、Thailand
今日は現場がなかった。低気圧の影響か、何もする気がなかった。朝から車のホイールも傷つけたしね。

朝から精神病院に行って医師の診察を受け、カウンセラーの面談を受ける。

もう何年も続く月に一回ほどのルーティンだ。

俺の脳の中のセロトニンの量は加齢によって減衰している。セロトニンが減ると、神経伝達に遅延が生じて、脳の活動が低下し、気分が落ち込む。

つまり鬱だ。

何年もまえ、発達障害グレーゾーンの息子を病院の面談に連れて行ったときに、料金支払いの場で、希死念慮があるといって予約を取り、通い始めてもう4年ほどになるだろう。

ここで診察を受け、レクサプロを飲み続けているおかげで生きている。

しかし、仕事のこととかで面倒なことがあると、何もかもどうでもよくなってしまう。いい年こいてぼんくら扱いされるのも御免だね。

今日もそんな日だった。

そして、俺の住む町は線状降水帯に直撃された。

家の目の前の小学校に息子を迎えに行った。学校からの要請だ。過保護だな。

名古屋市内は各所で冠水し、公共交通機関もストップしてしまったようだ。

状況を心配してくれる友人もいた。しかし、俺は大事ない。

こんな状況でも働くなんて、馬鹿らしくってやってられないぜ。

人間の営みなんて、自然の猛威の前では、屁みたいなものさ。

だから俺は、屋根に礫をたたきつけるような激しい雨音を聞きながら、現代イスラーム金融論を読み耽っていた。利子や先物取引などを一切禁じた別世界の経済だ。

部屋の中に山と積まれた未読の本を読み耽ることができるなら、正直仕事なんてどうでもイイと思える。まだ知らないことが無限にあるのに、命は一日一日短くなっていく。俺には時間がないんだ。

心配してくれた友人たちよ、ありがとう。こちらは大事ない。

余りに大事がないので、夕食を食べた後近所の川の水位を確認しに行ったくらいだ。

万一死んだところで、馬鹿が一匹減っただけだ。