2026/07/11

POST#1904 中国のシステムをいいとこどりした日本

熊野 七里ヶ浜
中国の「纏足🔗」や「宦官🔗」という狂気じみた遊牧民OSに基づく人間家畜化システムを、一衣帯水の目と鼻の先にいた日本人が歴史上、ただの一度も模倣しなかった最大の理由は、いったい何だろう。日本人は大陸から文字や儒教文化をはじめ、様々な文化を移入し、現地最適化してきたというのに。

この制度や習慣を日本人が模倣しなかったのは、古代は双系核家族、中世からは直系家族であったから、そもそも女性の地位が相対的に高かったし、そもそもの社会の基盤が遊牧民的な共同体家族システムではなったかからだろう。

一言で言えば、日本人はつまるところズバリ倭人だったからだろうね。

この「なぜ日本は人間家畜化OSを拒絶できたのか」という、日中の分裂生成過程の決定的な分岐点をまとめてみよう。

*そういえば、その日本で日本人を劣等人種として徹底的に肉体改造する猟奇SF小説『家畜人ヤプー🔗』が書かれたのは、この肉体改造による管理って考えが、日本人にとっては徹底的に相いれないものだったからかもしれないな。

1. 「古代の双系核家族」が守った女性の自律性と地位

中国が周・漢の時代からコツコツ強化し続けた強固な共同体家族システム社会となり、女性を「男の家系を維持するための繁殖用の資源(家畜)」とみなしていったのに対し、古代の日本(倭人🔗社会)は「双系核家族」だったのは、すでに以前、読者諸兄諸姉と話し合った通り。

そこは、男女がフラットな「双系」の倫理が息づく社会だったんだ。
父方も母方も平等に親族とみなす双系社会では、女性は男性の家に「所有」される存在ではなかったのは言うまでもない。しかし、あえて書いちゃおう。
平安時代まで続いた「婿入り婚(妻問婚)」のもと、子どもは母方で育てられていたのは言うまでもないだろう。
アマテラスと推古天皇の精神
皇祖神話の最高神としてアマテラスという女神が君臨し、推古天皇や持統天皇をはじめとする歴代の女帝がごく自然に国を治めていた古代日本において、「女性の足を砕いて(纏足🔗)、家に監禁して管理する」などという発想は、社会の基本OS(双系)と根底から拒絶反応(バグ)を起こすため、逆立ちしても受け入れられなかったのは言うまでもないわな。

だから、昨今の自民党を中心とした右派政治家が、男系男子、男系男子って念仏のように主張するのには、日本の伝統を何も理解していないんじゃないかと心配になるんだ。
むしろ、彼らの言う日本の伝統は、明治期に同じ直系家族国家であったプロイセンから影響を受けた大日本帝国憲法に基盤を置いているんだけど、そのプロイセンが王位の男子相続にこだわっていたのは、6世紀のヨーロッパで成立したとされるサリカ法典🔗の影響なんじゃないかと俺は疑っている。というか確信している。まったく、本末転倒だ。

2. 「中世の直系家族」への移行:家の「継続性」を支えるパートナー

中世(鎌倉・室町時代)以降、日本はトッドの言う「直系家族システム」へと移行しますが、ここでも中国の共同体家族のような「人間家畜化」へは向かわなかった。ついでに言えば、凶暴な首狩り狂戦士・鎌倉武士たちが鋸挽🔗のような、なかなかエグい刑罰を考案しても、中国の凌遅刑🔗の凄まじさには全くかなわなかったしね。

西日本のほとんども直系家族システムに移行していた最中の中世後期にも、女性は女性だけで旅をすることができたことを、ヨーロッパから来た宣教師たちが驚きを以て伝えている。
つまり、当時のヨーロッパにも女性にはそんな自由はなかったんだ。
中世には駆け込み寺という言葉が残っているように、寺の境内に女性が駆け込めば、俗世との縁が断ち切られ、離婚が成立する縁切寺🔗というシステムもあった。江戸時代にも幕府によって規制され、大きく数を減らしつつも消滅することなく存続したんだ。これも女性の地位がかなり重視されていた例証だろう。
つまり直系家族システムが江戸幕府が推進した檀家制度によって、社会の末端まで確立しつつあった江戸時代でも、女性が自ら財産(土地や家)を相続したり所有できたり、離婚に際して自らの財産を主張する権利を持っていたわけだ。

「家(継続性)」を最優先する合理主義と主婦(かかあ天下)という経営者
日本の直系家族の目的は、血筋の純血性ではなく、「家名や家業(土地・インフラ)を、次世代へ確実に不滅のまま引き継ぐこと」にある。
そのため、長男が無能であれば、有能な「婿養子」を他所から連れてきて家を継がせるという、中国(男系絶対主義)では絶対にあり得ない柔軟なシステムも発達させた。
皇族に男子がいなかったら、600年前に別れた分家から養子を持ってくればいいという発想はこの辺に由来してたのか!
この直系家族において、妻(主婦)は男の性奴隷や家畜ではなく、「家という経営体を男と共に切り盛りする、きわめて地位の高い共同経営者(パートナー)」だったわけだ。
武家の妻が留守中の城や家政を完全に仕切り、農家や商家の妻が労働と財布の紐を握るという、いわゆる嬶天下がスタンダードな日本社会において、女性の肉体を破壊して歩けなくする纏足🔗などという行為は、「家の経営=労働力と持続性を自ら破壊する最も愚かな行為」として、合理性の面からハナっから考慮されることもなかったんだ。

3. 「百越(倭人)」のレガシー:自然(野生)との融和

そして最も深い本原論の核心が、日本人のルーツの双系社会的な氏族社会だったと推測される縄文の人々と混交していったのが、西方や北方の遊牧民の社会システムを実装した漢民族ではなく、長江流域から海を渡ってきた百越🔗(ひゃくえつ)」に極めて近い倭人であったという点だ。

家畜管理をしない「農耕・海民」の視線身体の野生(自律性)の死守
植物を慈しみ育てる稲作民や、黒潮の海を自在に駆けた百越の系譜につながる海民にとって、自然とは「去勢し、囲い込んで力でねじ伏せ、家畜化する対象」ではなく、「その恵みに感謝し、野生の生命力と融和・共生するもの」だった。
彼らの精神からは、男を去勢してロボットにする「宦官🔗」や、女の足を折る「纏足🔗」といった、スーパードライな遊牧民的なブリーディングの狂気は生まれないわな。:
日本人は、中国から漢字(文字)や律令(法律)といった「便利な道具・上表のOS」は大量にインポートしたけれど、その根底にある「人間を家畜として管理する、中原の冷徹な精神の核、つまり共同家族システムに息づく遊牧民OS」だけは、自分たちの倭人≒百越的な野生の感性によって、1滴たりとも体内に入れさせなかったちゅうことだね

纏足や宦官といった肉体改造による人間管理のシステムの源流は、かつて秦やそれ以降の時代に中国人に同化していった西戎をはじめとする西方北方の遊牧民が、黄河流域の中国中央部に注入した、「動く財産=家畜を管理する」という野生の管理OSだったわけだ。

そして定住民となった『漢民族』が、その遊牧民の家畜管理OSを「女性の監禁」として高度にシステム化し、洗練させてしまった(そう、まるで外儒内法化するようにね)のが、千年間続いた纏足の正体だったという見立てだ。

この「家畜を扱う感覚」が2000年間、モンゴル系やトルコ系、満州系の遊牧征服王朝によってその都度強化され、現代の中国共産党に引き継がれてきた。

現在のAIカメラやスマホを使ったデジタル監視システム天網🔗社会信用システム🔗というのは、西側が言うような「ディストピア」というより、彼ら中国人からすれば「テクノロジーを使って、家畜≒人民の管理(トレーサビリティ・個体識別)を極限まで精密にした、最高に効率の良いデジタル牧場」に過ぎないんじゃないのかな。

大方の中国人も、ルール(柵)の内側でおとなしく収まり、その中で自らの利益を最大化しようとする、タフなメンタルとしたたかなニヒリズムを持っている。

それは「賢い家畜」として、その牧場で最も快適に生き残るための、凄まじくプラグマティックなサバイバル能力だと言えるだろう。

自分で書いてて、うんざりしてきた。


総括:肉体から証明される「東アジア文明の二分」

俺が三週間近くかけて描きだした壮大な歴史の流路は、完全に「肉体」のレベルにまで染み渡っちまったみたいだな。下にまとめてみよっか。

黄河流域(秦〜共産中国の陸のOS
遊牧民の家畜管理に由来する「肉体改造(纏足)」を女性に施してまで、人間を固定し、モナド化し、共同体家族の檻の中に閉じ込める。その究極の行き着いた先が、人間の網膜や行動ログをデジタルに管理し、人々の自由を求める精神そのものを改造・去勢する「現代のデジタル監視国家」だ

長江流域(百越・楚・巴蜀から日本・台湾へつながる海のOS
纏足を激しく拒絶し(実際に華南の客家🔗や南部の水稲農家、そして日本・台湾には纏足が定着しまかった。)、女性の高い地位、肉体の自由、そして「双系的アノミーの流動性」をそのまま社会システムの基層に残し続ける。だからこそ、現代の「潤(RUN)」する民は、足を縛られない自由を求めて、海のOSの残る日本の不動産を買い漁るって構図だ。

ここでちょっと客家🔗について触れておこうか。
誤解を招くといけないし、話が混乱する可能性がとっても高いからね。
客家🔗はもともと中原(北方)から戦乱を逃れて南下してきた人々だ。その第一波は秦の時代にさかのぼるという。だからこそ、俺は彼らは周代の古い直系家族的な家族構造を残していたんじゃないかと推測してるんだ。これを皮切りに中国を何度も襲った民族ガラガラポンの戦乱動乱のたびに都合六波にわたって南下を繰り返したようだ。
で、彼らが最終的に定住したのは広東・福建・江西の山岳地帯や沿岸部に近いエリア、や台湾や海南島だ。
つまり元々は「百越(倭人と同系統の海・農耕OS)」が色濃い地域だったわけだ。
移住先で周囲の先住民族と激しい武力衝突(土客械斗🔗)を起こしながら定住するプロセスで、中原の「陸のOS」を頑なに守る一方で、過酷な環境を生き抜くために南方の「合理的・実務的な家族システム(直系・双系的な要素)」を実質的に取り込んでいったとみることもできるだろう。あるいは共同体家族システムに蹂躙される前の、古い中国の直系家族形態を奇跡的に温存した、或いは分裂生成のためにあえて残したと見ることができるだろう。
客家🔗の最大の特徴は、何と言っても「女性が纏足🔗をせず、猛烈に働いた」ことだ。
山を切り拓き、農業をし、時には武器を持って戦う客家の女性は、まさに日本のイエ制度における「主婦(共同経営者・最強のパートナー)」そのものだといえるだろうな。
女性の足を折って家に監禁するような「共同体家族」の余裕もなければ、そのロジックも通用しない。 「血統の純血性」よりも「この過酷な環境で集落(家)をどう存続させるか」という機能主義・生存最優先のロジックは、完全に直系家族のそれだ!
ついでに言えば、客家🔗の象徴である巨大な円形集合住宅「土楼🔗(円楼)」は、一見すると共同体家族の究極系に見えるんだけれど、これはむしろ城郭集合住宅とみるべきだろう。
その中身は非常に機能的でだ。中心に祖先を祀る祠堂があり、全員で外敵から防衛するその姿は、大家族というよりは「一つの運命共同体としての会社(イエ)」や「砦」に近い性質を持っているといえるだろう。

中国大陸(中央)が、肥大化した共同体家族の論理によって女性の足を折り、家畜化して移動の自由を奪ったのに対し、直系家族のOSへと舵を切った客家と、その移住先の台湾、古代の双系アノミーの海から武士が直系家族(イエ)を作り出した日本において、纏足が完全に拒絶されたのは、歴史の絶対的な必然だといえるだろう。面白いな。

何度も言うけど、直系家族にとって、女性は檻に繋ぐべき家畜ではなく、「ともに命がけで土地と家(砦)を守り、世襲を運営する、自律的な最強のパートナー(刀自)」でなければならなかったからだ。

やれやれ、思えばここんとこ、東アジアの歴史を何度も行ったり来たりして大変だったな。もうそろそろこの話題にも飽きてきたからな。明日ぐらいでフィナーレだ。けど、今まで皆の衆に話してきた天皇制リベラリズムや愛子天皇と悠仁親王によるヒメヒコ制の復活とかいう、俺の駄法螺みたいな大風呂敷が、この一連の話と地続きたってのは、覚えておいてほしい。失礼する。

0 件のコメント:

コメントを投稿