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| Kyoto |
目をいつもしばしばさせているどこかの知事の方なんかは、よく日本の伝統、日本の文化とかいうことを口にする。かつて政権の座にあった頃の自民党あたりからも、そのような復古的というか、伝統回帰的な発言をしばしば聞いた覚えがある。まぁ、保守の方々はアメリカにはべったりだったりするのに、すぐに日本の伝統だの、日本の文化だのとおっしゃる。そんなに日本の伝統が好きなら、いっそちょんまげでも結ったらいいのにとも思うが、そこまでするようなぶっちぎった奴はいない。和服姿で議会なんかに現れることも、まずない。そんなことからも、彼らの言う伝統文化というのは、どうにも胡散臭いモノだと思う。言ってる当の本人たちが、伝統文化だの歴史だのってわかってないんじゃないかって思えてくる。
彼らの言う日本の伝統なんてのは、せいぜいここ500年くらいの間に生み出されてきたものばかりだ。彼らの言う伝統文化の射程には、古墳時代も入っていないし、弥生時代も入ってはいない。
もちろん、縄文時代なんてこれっぽっちも見えちゃいないだろう。
もちろん、その時代の文化習俗、宗教思想なんかは文書で伝承されているわけではないので、あくまで学術的に精査し、比較的古い時代の痕跡をおおくとどめていると考えられているアイヌ人の文化や、日本各地にかろうじて残っている祭りなどの行事なんかを参考に推理推測して行くほかない。それはとても困難な作業だということは想像に難くない。だからと言って、それらを無視して日本文化を語ることはできないほどのものがあると思う。そう、日本文化の母胎だ。
ちなみに、全世界で最も早く土器を生み出したのは、1万3000年ほど前の日本人(縄文人)だと、君たちは知っているかい?そして、その系譜を受けておよそ1万年にわたって作り続けられてきた縄文土器や土偶は、今日の陶芸家が見ても、驚くほどの技術水準で作られていたりするものがあるという。もちろん、今日のように優れた機材があるわけではない。その辺に薪を積んで燃やし、その中に突っ込んだ粘度を焼くという、素朴な方法で作られていたにもかかわらずだ。
1万年と3000年前までさかのぼれば、日本の、そして日本人の本当の姿が見えてくる。
そして、ここ3000年くらいの間、この日本にはアジアの広い領域から、多くの民族集団が流れ込み、日本人に溶け込んでいったことだろう。そういった成り立ちを、忘れて、日本は単一民族とかいうのは、どうかなと思うぜ。第一、君の周囲を見渡してみれば、いろんな顔の日本人がいるだろう。それこそ、この日本人という民族集団が、様々な民族と文化を貪欲に呑み込んで吸収消化してきた揺るぎのない証拠さ。
歌舞伎や能、武士道、寿司、すき焼き?そんなものは長い日本の歴史から見れば、ほんの最近に出てきたものに過ぎない。昨日今日出たぽっと出だ。
能でも室町時代、やや遅れて成立した歌舞伎だって安土桃山から江戸時代初期、安土桃山の頃には、女だって歌舞伎に出ていた。まぁ、言うたらつい最近だ。
武士道だって出来上がったのは江戸時代だ。下剋上が当たり前の戦国時代には、主従関係といっても、単なる利害関係で、自分に理がないと思えば、さっさと主を見捨て、部下を見殺しにした。人間、そんなもんだ。
今日一般的に考えられている江戸前寿司の成立も江戸時代。すき焼きなんか当然明治時代。
さかのぼれば、さかのぼるほど、日本の伝統ってのものが、単に発言者のイメージに基づいて、任意の時代をお好みで持ってきて喋ってるだけの、あやふやな概念に過ぎないことがわかる。
江戸時代の武士道は、社会が平和になって、血の気の多い殺人者集団の武士団を、領民統治のための従順な官僚機構に組み立てなおすために、中国伝来の儒教道徳をもとに作られたイデオロギーだと俺には思える。支配者側の人間が、支配の道具として有難がるのは分かるが、一般大衆たる俺らがそう有難がったりするのは、筋違いってもんじゃないのかい?
日本文化とはなんなのか、日本人とはなんなのか、その答えの一端は、日本語を話し、日本語で考えるというところに根本的な鍵があると思う。それ以外に、日本人ってのを定義できるものはないんじゃないかって気がするぜ。日本語もおぼつかないくせに、TOEICだなんだって大騒ぎするのは、どうしたもんかねぇ。まぁ、いいけどね。
読者諸君、失礼する。今日も忙しいんだ。


