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| Bremen,Germany |
この乾坤一擲の試みは、カントの言う「目的の王国」つまり人間そのものを目的とする社会を日本の地べたに実装する、最も平和的で過激な挑戦だ。
君は気づいているかしら?
だからこそ、その最初の一歩は出来るだけ簡単なことから始める必要があるんだ。
例えば、「多数決を使わない学級会ゲーム」のような小さなワークショップの提案から始めてみたり、あるいは町内会のゴミ問題や役員問題の解決プロトコルを、子ども向けに翻訳して提示してみたりするとかね。
そんなこと話したって仕方ないだろうと冷笑してはいけないぜ。
「できるだけ簡単なことから始める」、これこそがシステムを現場に定着させるための、最も堅実で強力な知恵だと思うがね。壮大な人類史の思想も、日々の小さな行動の積み重ね(即興の実践)からしか現実のものにはならないんだぜ。
まずは、教育の現場や地域のコミュニティで、誰もが「これなら今すぐできる」と思えるような、最もシンプルで具体的な3つのステップを提案してみようか。
ステップ1:話し合いのルールに「パス(考える時間)」と「哀悼の言葉」を入れる
最も簡単に始められるのは、会議や学級会の「言葉の作法(プロトコル)」をひとつだけ変えることだよな。
「パス」の権利を認める
意見を求められたとき、「まだ心の準備ができていない」「言葉にできない」という子は、いつでも「パス」していいルールにするようにしよう。個の主権(沈黙する自由)を100%尊重するためだよ。
「ありがとう」の儀礼化
もし誰かがみんなと違う意見や、反対意見を言ったら、結論を出す前に全員で「違う視点から考えてくれて、ありがとう」と拍手するか、言葉をかけてみよう。いや、全員でいうなんて偽善の香りがするから、議長役の人だけでいいかもね。大政翼賛会や中国共産党大会みたいな雰囲気は御免だ。
議長役のひとは、パウパトロール🔗に出てくるリーダーのケントみたいに、いつもメンバーの発言に対してありがとうっていうのさ。いうなれば、言葉の贈与だ。
この一歩引いた謙虚な姿勢が人としてとても大切だ。
これはこじつけてみてみれば、イロコイの「哀悼の儀式」の最も簡単な現代版だよ。
これにより、「異論=敵」ではなく「異論=システムを助けるギフト」であるというアティチュードが、理屈抜きで身体に染み込みこんでいくことになるんだ。
ステップ2:多数決の前に「1分の歩み寄りタイム」を挟む
いきなり「全会一致」にするとハードルが高いと感じる場合は、現在の多数決システムの中に「イロコイの門番」の仕組みを1分だけそっと実装してみよう。気が付かない程度にね。
意見が「A案」と「B案」に分かれたら、すぐに手を挙げさせて決着(切り捨て)をつけるのをやよう。それは延髄反射でSNSに書き込む大人みたいでみっともないぞ。
じゃぁ、どうする?
「投票の前に、1分だけ時間をとることにしよう。A案の人とB案の人は、お互いのアイデアの良いところを1つずつ合体させた『C案(第三の道)』が作れないか、隣の人とヒソヒソ話で考えてみてください」と促すんだ。
この「1分間の歩み寄り」を挟むだけで、子どもたち(あるいは地域住民)の脳は、「相手を論破して勝つモード」から「相手の尊厳を守りながら新しいものを作るモード(カント的熟議)」へと、劇的にスイッチが切り替わるんだぜ。
つまりテーゼとアンチテーゼをジンテーゼにアウフヘーベンするわけだ。なんだそりゃ、なんかのアニメの用語かと思うかもしれないが、そうじゃない。ヘーゲル🔗の弁証法🔗における「アウフヘーベン(止揚)」そのものなんだ。
「A案(テーゼ)」と、それに対立する「B案(アンチテーゼ)」。
多数決は、どちらか一方を正論として選び、もう一方をゴミ箱に捨てるだけの暴力的なシステムなんだ。それがたとえ51対49の僅差でもね。
しかし、俺たちが目指す全会一致の熟議ってのは、双方の意見の「正しさ(尊厳)」をどちらも否定せずに生かしたまま、より高い次元の「C案(ジンテーゼ)」へと昇華させるプロセスそのものなんだ。
先日から君たちに提示しているイロコイ連邦🔗のシステムは、何が凄いって、このアウフヘーベンを制度(インフラ)として可視化した驚異的な仕組みだったといえるだろうね。ヘーゲルもびっくりだ。
- テーゼ(正):東の門番(モホークとオナイダ)が最初に出す提案。
- アンチテーゼ(反):西の門番(セネカとカユーガ)が、あえて別の角度からぶつける批判や異論。
- ジンテーゼ(合):火の番人(オノンダガ)が双方の言い分を調整し、1人も排除されない形で結実させる最終合意。
学級会や町内会で「多数決の前に1分だけ歩み寄る」というちいさな一歩は、子どもたちや住民の脳に「対立(アンチテーゼ)は敵ではなく、より良い答え(ジンテーゼ)にたどり着くための必須のパートナーなのだ」というアティチュードを叩き込む、極めて実践的な哲学教育になるだろう。間違いないぜ。
ステップ3:役割を「〇〇係」ではなく「〇〇の番人」と呼んでみる
ゴミ問題や学級会の役割(役員)の名前を、ちょっとだけイロコイ連邦風にリライトしてみるのも面白い試みかもね。ちょっとお遊びっぽいけど、人生には息抜きがいたるところに必要だ。
「ゴミ当番」や「規律委員」ではなく、【綺麗な空間の番人】や【みんなの声を聴くトーカー(代弁者)】といった、個の誇り(尊厳)を満たす名前に変えてみるなんてどうかな?
そして、その役割を「押し付ける(くじ引き)」のではなく、「今週、この番人をやってくれる人はいますか? 誰もいなければ、今週のこのプロジェクトはお休みです」と、自発的な引き受け(主権の行使)に委ねてみるのさ。
やる人間が不在で困ってみればいい。困ることで初めて相手の立場や役割への理解と尊敬が生まれる。譬えるなら、タワマンに住んでる人が、エレベーターが故障して初めてエレベーターを修理するオイルまみれのエンジニアの大切さに気が付くようなものさ。
そして、子どもたちは本当に困る体験を通じて、初めて「他者のために動くことの価値」を能動的に学ぶことができるんじゃないかな?
「一本の矢は簡単に折れるが、束ねた矢は折れない」
俺や君たちが踏み出そうとされているこの「できるだけ簡単なことから始める」ちいさな一歩こそが、国家による専制や21世紀に猛威を振るってるデジタル領主の支配をすり抜ける、最も強靭なレジスタンスの種火になるんだぜ。
なぜって、人間の頭の中に、自分たちで考えるっていう最強のファイヤーウォールを作ることになるんだからね。
カント🔗の「人間の尊厳」を守るために、ヘーゲルの「弁証法」を、イロコイの「ロングハウスの作法」で足元から実装していく。俺や君たちの頭の中で、人類の思想史の結晶が完全にひとつの「実践の武器」として研ぎ澄まされ、スタンバイOKになってるんだ。君はその手ごたえを感じているかい?

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