2018/04/05
Post #1706
この人生のなかで、あと何回、満開の桜を楽しんで眺めることが出来るだろうか?
マンガの神様手塚治虫は、常々、あと10年しか生きられないとして、今なにをするべきかを自分に問いかけながら、マンガを描いていたという。
そう思えば、誰かと下らない意見の相違や、主義主張などで声高に争っている暇など、ありはしないことが、よく分かる。
黙ってやるべきことを、するだけだ。
せめて、生きている間は、美しいものをみていたい。
桜の次は、ツツジだな。
2018/03/26
Post #1705
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| 2001年12月、どこかで。 |
仮令、人類史上に燦然たる足跡を遺そうとも、それとても時間の流れの前では瞬く間に陳腐なものとなり、ほどなく忘却されるのは、論を待たないであろう。
ピラミッドのように、数千年遺る仕事を成し遂げたとて、悠久なる時間の流れは、個々の人間の存在など、大河の一滴のように押し流していってしまう。
いわんや、一人の人間の運命と決断が、この銀河系宇宙の趨勢を決するなど、スターウォーズの中くらいしか、あり得ないだろう。
この世の中を基準にしている限り、自分の人生は、虚しい局地戦でしかない。
『マッチ擦る つかのま海に 霧深し 身捨つるほどの 祖国はありや』寺山修司
ふと、そんな短歌を口ずさむ。
自分自身は、自分にとって、国家よりも社会よりも大きな存在だ。
これは僕にとって、自明の理だ。しかし、そう思っていない人たちも、たくさんおいでなんだと思う。OK、それはそれでノー・プロブレムだ。しかし、自分を棚上げして、地に足のつかない言説を弄する様を見ているのは、気が滅入る。どうせ、本気なわけでもあるまいに。
僕は、自分自身のために、この人生という泥沼の局地戦を戦っていきたい。
2018/03/24
Post #1704
息子と妻は、動物園に行ってしまった。
僕は、夜勤明け。
ベッドに横になりながら、眠ろうとしつつも、無性にニール・ヤングが聴きたくなって、スポッティファイで聴いている。
ふと、感情の固まりがこみあげてきて、独り、声をあげて嗚咽してしまった。
言葉にすればそれは、自分が何者にもなれず、ただ地を這うように生きて行くことで精一杯だと思いいたり、あり得たかもしれないさまざまな可能性に、(それはこの宇宙で永久に失われてしまった。)悲しくなったということだろう。
やれやれ、50歳も間近だというのに、なにを言ってやがる…。
なにもかも、ニール・ヤングのせいだな。
僕は、夜勤明け。
ベッドに横になりながら、眠ろうとしつつも、無性にニール・ヤングが聴きたくなって、スポッティファイで聴いている。
ふと、感情の固まりがこみあげてきて、独り、声をあげて嗚咽してしまった。
言葉にすればそれは、自分が何者にもなれず、ただ地を這うように生きて行くことで精一杯だと思いいたり、あり得たかもしれないさまざまな可能性に、(それはこの宇宙で永久に失われてしまった。)悲しくなったということだろう。
やれやれ、50歳も間近だというのに、なにを言ってやがる…。
なにもかも、ニール・ヤングのせいだな。
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