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| Copenhagen,Denmark |
このアウフヘーベンを、日々の生活や小さな話し合いの中で「ゲームのように面白く、子どもたちと実践してみるための具体的なお題やルール」について、もう少し掘り下げてみようか。
まずは、大っきな制度の話。日本でもアメリカでの、イギリスでも議会は大方に二院制と定められている。そのルーツをたどれば、貴族院と庶民院とかの身分制に突き当たるんだけれど、一応現在の民主主義国家というのは、貴族性を認めていないからそれぞれに異なる見識をもお次人たちが、多角的に検討するためのシステムだと考えておくのが妥当だろう。
我が国でも、一時期参議院不要論という暴論を唱える人たちがたくさんいた。コスパが悪い、タイパが悪い、というわけだ。俺に言わせれば、それは頭が悪い。
深く考えてじっくり討議し、皆が納得できる着地点を探るのが民主主義の本来の姿のはずだ。
なんでも為政者の考えるままにずばずば決める世界がいいという向きは、共産中国やロシアなどに移住することをお勧めするよ。あそこはトップの号令一下、なんでもサクサク決まっていく。しかし、不思議なことに先にあげた暴論を唱えるような人に限って、右派的でシノフォビア=嫌中派という傾向があるようにお見受けするがいかがなもんだろうか?
添えれはさておき、本来は二院制と各議長が、民意を代表して、最大多数が納得できる施策を協議してゆくべきことになっているはずなんだけど、まったく形骸化しているのが今の世界の民主主義国だ。残念極まるぜ。現代の民主主義国における二院制や議長の権能は、本来の「アウフヘーベン(止揚)を制度的・構造的に強制するための仕組み」だったはずなのに、今や完全に数の論理に呑み込まれ、空洞化・形骸化しているんだ。
それに愛想をつかした人々は、政治に対して関心がなくなる。人々が政治に関心をなくすということは、自分たちの社会の仕組みや将来に関心をなくすという事なのにね。もったいない話だ。先人が命がけで勝ち取ってきた権利なのに。
本来であれば、二院制とはイロコイ連邦の「東の門番(衆議院/下院)」と「西の門番(参議院/上院)」のように、異なる時間軸や視点から議案を揉み合い、より高次の合意(ジンテーゼ)を導き出すための装置だったはずだ。
また、議長という存在は、党利党略を超えて「全員の尊厳(主権)と熟議の場」を守る「火の番人」であるべきだったんじゃないかな?それなのに、皇室典範についてまとめ上げた自民党出身の森英輔衆議院議長なんか、その議題に一切触れられていないことをぺろりと口走っちゃう軽率さ。あちゃ~と目を覆いたくなるような自覚のなさとお粗末さだ。
現在の世界を見渡すと、このシステムは以下のように完全にバグを起こしていることがわかるだろう。クラッシュ寸前だ。
1. 二院制の「コピー化」と「ねじれ」の不毛
現代の多くの国では、二院がどちらも「多数決の選出」であるため、同じ政党が過半数を握れば単なる下院の「カーボンコピー(追認機関)」になり、熟議は消失してしまうんだ。
逆に、与野党がねじれれば、アウフヘーベンを目指すのではなく、相手を引きずり下ろすための「拒否権政治(デトクラシー)」へと陥り、ホッブス的な泥仕合に終始してしまうんだ。
2. 「数の暴力を通す道具」に成り下がった議長
本来、熟議のゲームマスターであるべき議長が、多数派(マジョリティ)の兵隊として「強行採決」の引き金を引く役回りを演じているという惨状は、わが国ではしばしば目にする。野党議員の追及を、品位がない質問は控えるようにとか言って妨害することもしばしばだ。
これでは、少数派(アンチテーゼ)の声に耳を傾け、関係性を結び直すための「哀悼の儀式(ケア)」など機能するはずがないよね。あきれてものが言えないよ。
だからこそ「下からのリビルト」しかない
世界規模でこの「上のシステム(国家の二院制)」が壊れ、タイパと数の暴力に最適化された専制政治に流されているからこそ、私たちが足元から仕掛ける「ちいさな一歩(小学校の学級会や町内会でのアウフヘーベン)」が、乾坤一擲のカウンターになるんだ。ここ大事。
壊れた国家の仕組みを上から直すのは今の状態じゃ不可能だ。しかし、
- 多数決ですぐに白黒つけない。
- 反対意見(アンチテーゼ)が出たときこそ、議長(先生や地域リーダー)がそれを「宝物(ジンテーゼへの鍵)」として扱い、1分間の歩み寄りを強制する。
この「本物の二院制(熟議のステップ)」を草の根の最小単位(ミクロ・レベル)で体感・学習した子どもたちが社会に出たとき初めて、形骸化した既存の政治制度を「こんなの民主主義じゃない」と内側から突き崩し、本当の意味で変容(リビルト)させることができるはずだ。日本の政治システムが根本的に変容するんだ。
この鋭い意識は、現代の政治学者たちすら目を背けている「制度の死」の本質を突いている。
この形骸化した二院制の機能を、まずは「学級会の班」や「町内会の委員会」といったミニマルな場に、生きた形(プロトコル)として取り戻していく実践。これこそが、人間の尊厳を死守するための最も具体的で力強い一歩になるんだ。
そうしてやっと今日の本題。
俺たちにはジョン・バーコウ🔗のような優れた議長が必要だ!
まさに、あの「オーダー!オーダー!」という雷鳴のようなダミ声で世界的なカルチャーアイコンとなったジョン・バーコウ元英下院議長だ。ご存じない向きは、オーダー!🔗、オーーダー!🔗個のリンクから見てほしいものだね。
バーコウ議長がブレグジット(EU離離脱)の泥沼の混乱期に見せた凄みは、単に声が大きかったことではないんだぜ。声がでかいだけだけなら、学生時代演劇部の発声練習と、線路わきで何百メートルものケーブルを引いていた作業員時代に鍛え上げた俺の声のでかさも負けてない。けれど、彼の凄みはそこだけじゃないんだ。
彼は、肥大化した政府=行政権の暴走から、「バックベンチャーつまり議場の後列に座る無名の若手・中堅議員」という『個の主権』を死守するために、その巨大な個性を盾にして議長席に座り続けた点にあるんだよ。
政府が「多数決で押し切ろう」とするのに対し、バーコウは「まだ十分な熟議がなされていない」と毅然と突っぱね、少数派や若手にも徹底的に発言権(アンチテーゼ)を与えたわけだ。
そして、先のリンクにあげた動画を見てもらえればわかるともうけれど、ヤジや品位のない行いには、辛辣なユーモアで笑いを交えて反省させるという、高度な手綱さばきで、与野党問わず冷静な議論を促したんだ。
彼こそはまさに、現代に現れた「火の番人(オノンダガ)」であり、カントの言う「人間を手段にしない」ためのレジスタンスとしてのゲームマスターだったといっていいだろう。
もし、この「バーコウ的議長(火の番人)」のエッセンスを、小学校の学級会や町内会という「ちいさな一歩」に実装するなら、その要件は次の3つになるんじゃないかな。
1. 議長は「中立の兵隊」ではなく「熟議のディフェンダー」である
現代の日本の会議の進行役(先生や町内会長)は、場の空気を読んで「時間通りに、波風立てずにシャンシャンと多数決で終わらせる」ことを重視しがちだ。
みんな予定もあるだろうしね。けれどバーコウ的議長はその逆を行くわけだ。
「ちょっと待ちなさい。今、あの子が何か言いたそうにしていた。その声を無視して採決(多数決)に進むことは絶対に許さない」と、進行を止めるんだ。
つまり効率=タイパではなく、個の尊厳のためにブレーキを踏む役割なんだよ。
2. 「オーダー!(静粛に)」が守るものは、静けさではなく「言葉の交換」
バーコウが叫んだ「オーダー!」は、単に「うるさいから黙れ」という意味ではない。
直訳すれば、『秩序を心掛けろ!』とでもいうべきかな。
声の大きい主流派(マジョリティ)が、少数派の意見をヤジや嘲笑でかき消そうとしたときに、「少数派がその言葉(ギフト)を全員に届ける権利」を担保するための叫びだったわけだ。
学級会で言えば、おとなしい子や、突飛な意見を言って笑われそうになった子の「発言の安全圏」を、議長が全力でディフェンドするってことだろう。
3. ルール(文字)を「個を生かすため」にハックする
バーコウは、イギリス議会の古くからの難解な規約(エルスキン・メイ)を暗記し、それを「政府の独走を縛り、議員一人ひとりの主権を守るため」の武器として鮮やかに使いこなしたという。
これを現代の小さな場でやるなら、「規約(ルール)にこう書いてあるからダメだ」という官僚的解決に使うのではなく、「規約のこの部分をこう解釈すれば、きみの新しい提案(ジンテーゼ)を試すことができるんじゃないか」と、既存のルールを「個を包摂するための道具」としてハックする知性を駆使することになるんじゃないかな。
「優れた議長が必要だ」
世界中の民主主義国でこれが失われ、システムが形骸化しているからこそ、俺や君たちが作ろうとしている草の根のロングハウス(会議場)には、この「バーコウ的な魂」を持ったゲームマスターの育成が不可欠になるだろう。
最初はどうだろう、君自身がその「火の番人」として、あるいは「現代のバーコウ」として、足元のゴミ問題や役員問題の話し合いの席で、ニヤリと笑いながら「オーダー!」を仕掛けてみるのも悪くないだろう?
あるいは、子どもたちに「バーコウ議長ごっこ」のようにして、少数派を守るゲームマスターの快感を学級会で教え込むってのもありだ。
さぁ、君ならこの「バーコウ的議長」という強烈なキャラクターを、君のフィールドの「ちいさな一歩」の議場に登場させるとしたら、まずは誰にその役割を演じさせてみたかい?
今日はここらで失礼するよ。


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