2011/06/18

Post #218 Naked Eye #7

今日は一日、小雨が降り続いている。俺がもしナメクジなら大喜びの天気だろう。
しかし、俺はナメクジでもナメック星人でもない。こんな天気はあまり好きじゃないのさ。しかし、仕方ない。誰にも雨を止めることなどできはしないのだから。
しかし、雨の日に写真を撮るのは決して嫌いじゃない。とりわけ夜だ。濡れた路面にネオンの光が反射して、何とも素敵だ。エロスが漂うぜ。
HomeTown
今日は友人に仕事をお願いしたんだけれど、彼の車の中でジェフ・ベックのCDを見つけて、速攻借りてしまった。ジェフ・ベックかっこえ~。心に沁みるような渋いギターだ。99年のWho Else!もパワフルでぶっ飛んだプレイが炸裂しているが、去年発売のEmotion & Commotionのしっぶ~い、優しい音色のギターもこれまたたまらん。
友人は、天白区(名古屋の区の一つ)でジェフ・ベックの良さがわかるのは俺だけといっていたが、いや、俺もいいと思うよ。
HomeTown
読者諸君、今夜は、いろいろと溜まりに溜まった仕事をやっつけなけりゃならないんで、こんなところで失礼させていただくぜ。いろいろと書きたいことはあるんだけれど、何分一日は24時間しかない。それどころか、仕事の休みも満足には得られない。頭の中には、仕事が溜まり、肉体には疲労と尿酸がたまる。これが俺の人生だ。ロックンロールだ。

2011/06/17

Post #217 I See

俺が思うに、写真に関しては本来的に言葉は不要だ。
Tokyo
理解することなく、一瞬で了解する。
I See, But I Can't Understand. 
つまりは、百聞は一見に如かずだ。
その視覚情報の意味するものは、了解した個々人が、写真を仲立ちにして、自らの中から生起して来るイメージから、そしてそのあとからそれぞれの脳裏に浮かびあがるイメージの残滓ともいうべき言葉から、汲み取り、見出すべき類のもので、決して撮影者の意図を十全に、いやむしろまったくと言っていいほど、反映するものではない。

Tokyo
その文脈で考えると、写真はコミュニケーションのツールであると同時に、撮影者と鑑賞者の間に、いかんともしがたい齟齬を生み出しうるディスコミュニケーションのツールでもありうる。
その過程では、醜いものが美しく見えることもある。倫理に反する行為が美しく見えるときもありうるだろう。
理解することなく、了解するという地平においてこそ、この意味の転倒は生じうると考えている。
ゆえにこそ、意味を逸脱した、いわゆる決定的瞬間ではない、ありふれた光景を写真に写す事に対する意味の比重が生じ得るし、そういった写真に、ある種のこだわりを抱いている。

Amsterdam
正直に言えば、写真はどこか後ろめたい行為だと、俺はいつも感じている。どこか反社会的で非人間的な行為だと、俺には感じられる。
カメラを右手におさめ、シャッターには常に指をかけ、何時でも動物的に、瞬間的にシャッターをきりつつ、雑踏を歩むとき、俺は自分がすっ裸で、道行く人々にさらされ、対峙しているように感じるのだ。俺はふと何とも形容しがたい不安に襲われる。しかし、武器は右手にしっかりと握った一台のカメラしか、無い。心を奮い立たせ、シャッターをきり続ける他、不安を乗り越える術を俺は知らない。

読者諸君、今日は疲労困憊した。率直に言って、俺は眠りたいのさ。だから今日はこれで失礼する。諸兄諸姉が、有意義な週末をお送り下さることを、仕事に明け暮れながらも祈っている。

2011/06/16

Post #216 あっ!

拍手、そしてオープンノイズ
『ハーイ、チェック‥』
湧き起る野次、怒号、金切り声
うるせぇ!文句あるんやったらここ来たら?…マイクで言え、マイクで言え…』
エッジの効いたギターリフがはじまる。
チャーボーが割れたような声で叫ぶように歌いだす。

俺の事 わかる奴 よく聞け
わかる奴聞け 俺の事
耳をすまして よく聞きな Hey Yeah!
俺の事 よく憶えな

俺はかたわ かたわもの
心のみにくい かたわもの

そうさ それで 俺の天下
わかっているぜ 俺の事を
耳をすまして よく聞きな
俺の事を よくおぼえな

俺はめくら めくらもの
全ての見える めくらもの

俺は片輪 片輪者
心の醜い 片輪者

(山口富士夫のギターソロが弾ける)

俺はびっこで あきめくら Ahaa!
俺の事を たすけて欲しい Oh
俺の事を 助けてくれ
わかる奴聞け 俺の事

俺は盲 盲者
すべての見える 盲者

俺の事 解かる奴 よく聞きな
耳を澄まして よく聞きな!

俺は片輪 片輪者
心の醜い 片輪者

『声が聞こえへん……誰か親切な人、水もってきて……』

村八分 ライブ+1より『あっ!』

HongKong
京都が生んだ早すぎるパンクロック、村八分は、俺の好きなバンドだ。
現在にまで残されている音源は少ない。だから今では知る人も少ないのだろう。もともと、彼らは生粋のロックンロールライブバンドで、世に出ることを拒み続けていたという。ひねくれたバンドだったんだ。
村八分は天下のNHKでは全ての楽曲が放送禁止だ。何故って、バンド名がいきなり差別用語だからだ。仕方ない。アンダーグラウンドで、時代の徒花として咲き誇っていたのだ。まさに伝説のロックンロールバンドだ。
村八分の楽曲には様々なヴァージョンが存在する。演奏されるごとに、歌詞が演奏が異なっているのだ。ここに記したのは、村八分が遺したアルバム『ライブ+1』の一曲目、『あっ!』だが、その歌詞はあくまで添付の歌詞カードに従った。スタジオ版では、次のようになっている。

俺の事 解かる奴 いるけ?
解かる奴 いるけ? 俺の事
耳を澄まして よく聞きな
俺の事 よく覚えな

俺は跛 跛者
身体の丈夫な 跛者

助けてくれと 言った所で
助けてくれるけ? 俺の事
もういいさ お前等
俺の事 振り向くな

俺は盲 盲者
すべてのみえる 盲者

そうさ すべて 俺の所為さ
解っているよ 俺の事
もういいさ お前等
俺の事 振り向くな

俺は片輪 片輪者
心の綺麗な 片輪者

いずれにしても、強烈すぎる歌詞だ。とてもNHKはおろか、普通のFM局でも放送禁止だろう。
けど、そんな毒が無いロックなんて、薬にもならないぜ。 
以前にも紹介した村八分の『ライブ+1』は、日本のロック史上に燦然と輝く、数少ない本当のロックアルバムだ。もちろん、興味が無い向きには、ただのノイズと怒鳴り声にしか聞こえないだろうけどね。
俺の耳には、幻聴のようにチャーボーの歌声が響いているのさ。
『俺の事 解かる奴 いるけ?』

失礼するぜ。