2013/03/29

Post #767 世界を旅する本

Amsterdam
仕事の合間を縫って、少し前にネットで海外の出版社に写真集をオーダーした。翌日には発送手配に入り、8営業日以内に到着すると書いてあったはずだった。
しかし、もう、かれこれ2週間になる。
カードの使用履歴は、とっくに決済されているというのに、どうしたことだ?
何日か前に問い合わせてみると、今、日本に向けて空輸中だよって返事が来たんだ。
そのメールには、荷物の追跡番号が書いてあったんで、指定されたサイトで確認してみることにした。
ドイツの出版社の香港オフィスから手配がかかり、スウェーデンの運送会社が発送したのが、今月の21日だって。本一冊で、ユーラシアの端から端だなんて、御苦労なこった。
でもって、27日には集積ハブ空港に立ち寄ったことになってるらしいんだが・・・。
一体ぜんたい、俺の買った本は、俺の手元に届くまで、世界中を飛行機に乗って旅しているのか?まる一日あったなら、地球の反対側のブラジルまで行けちまうご時世だ。
恥丘じゃない、地球を何回まわってるっていうんだ?それとも、この21世紀に優雅に船旅かよ?
わからないね。
まぁ、自分の手元に届くまでは、気が抜けないけれど、俺の代わりに俺の買った本が世界の旅を楽しんでるんだと思うことにして置くぜ。それはなかなかに面白い体験なんじゃないかな。もっとも、本にそれを感じる感性が備わってればの話しだけどね。
で、どんな写真集を買ったのかって?それは、着いてからのお楽しみに取っておくことにしようぜ。
読者諸君、失礼する。

2013/03/28

Post #766 本当に記憶に残っていない風景

これ、どこだっけ?
僕としては、ふと目に留まり、余りにも味わい深く、捨て難く、よって本日掲載。
読者諸君、失礼いたす。

2013/03/27

Post #765 God Bless You

HomeTown
お金がないことは、みじめなことかもしれません。

私自身も、そんなに余裕があるわけではありませんし、心無い人からも、自分一人が食っていくだけで精いっぱいの下衆野郎と面罵されたこともあります。まぁ、根には持ちますが、気にはしていません。それだけのニンゲンだったと思うだけです。

けれど、本当にみじめなのは、誰からも気にかけてもらえない、誰からも愛されていない、ということなんではないかと思います。

コミュニケーションの技術は、かつてないほどに発達しています。しかし、肝心要の人と人の心のつながり、愛情、思いやりということは、かつてないほどに貧しいものになっているんではないでしょうか。よく言われることですが、そんな気がします。
そんなものがどれほどあっても、実際にお金が無ければ、私たちの生活は立ち行かなくなり、みじめな境遇に陥ってしまうことは、十二分に解っています。

けれど、それだからといって、お金さえあれば、心豊かに生きることができるのかというと、そういうもんでもないでしょう?イエス様だって、人はパンのみにて生きるにあらず、って言ってたでしょう。
人は独りで荒野のような世界を生きていくことはできないんだから。

許したり、うちとけあったり、見返りを期待せずに手を差し伸べたり、分かち合ったり、そういうことが必要なんじゃないでしょうか。

それも、抽象的な遠くの誰かではなく、自分たちの手の届くところにいる身近な人々に。イエス様も、『汝の隣人を愛せ』と言ってますよね。誰かの支えになってあげることで、誰かに必要とされる人間となる、それは少しばかり素敵なことじゃないかって思う訳です。
毎日、仕事に忙殺されながら、そんなことを考えています。

先日、祖母の四十九日の法要の際に、和尚さんといろいろと話をしていたんですが、箸にも棒にもかからんような人間に対して、ただあるだけでよいのだと、力の限り生き抜き、浅墓な人間の尺度では価値を見い出すことすら難しい、私たちの人生そのものを、受け容れ、認め、救ってくれるような存在としての仏=超越者が必要なのではないかと、私は調子にのって語っていました。
つまり、死者を弔うだけの教えではなく、実際に生きて悩み苦しんでいるニンゲンに、寄り添い、その人生の価値を担保する様な教えこそが、本来の宗教であるべきだし、これからもっと必要とされる『教え』なのではないかということです。

中上健二の『千年の愉楽』に出たきたオリュウノオバのように、『ただ、あるがままに生きてあればよい』という、人間存在に対する、絶対的な肯定です。
オリュウノオバは路地と呼ばれる被差別部落の産婆で、自らが取り上げた男たちが、女たらしやシャブ中やヤクザ者といった、卑小極まりない存在となっても、自らの子供のようにいとおしみ続けます。そして、その男たちが、その生を全うしえず、その命の正しい使い方を見い出すことが出来ぬままに、生命の絶頂期に突如として死んでしまうことを、悲しみつつ、愛おしむのです。

どんな有用な人も、有能な人も、時代の流れの中では、いつかその能力は陳腐化してしまいます。
また、ニンゲンである以上、いずれ年老い、自分のこともままならなくなってしまうことでしょう。
そこから思うに、人間とは、根本的には無能でダメダメな存在なんではないでしょうか?
経済的な有能性、合理性を持つ人間がもてはやされていますが、その背後には、それらの人々の何倍もの無能でダメな人間が犇めいています。そして、その多くの人々も、私やあなたと同じように、社会に打ちのめされ、悩み苦しんでいるわけです。
その無能でダメな人間を人間の尺度にしないと、この人間世界は持ちはしません。選民思想が幅を利かすようになってしまうだけではないでしょうか?

厄介ごとを避けるのではなく、厄介ごとを背負いこむこと。独りで悩み苦しむのはなく、誰かと悩みを分かち合うこと。それが、自分の人生に意味を与えることになるではとも、思います。
むろん、無力な一凡夫たる私には『God Bless You!』と祈るくらいしか出来ることはありませんが。つまり、私も役立たずの一人という訳です。
一見、イイことばかり言っていると、つまらない奴になったように感じられるかもしれませんし、偽善者だと思われるかもしれませんが、私も悩みながら書いているわけです。毎日、そんなことを考えて暮らしています。あなたはどうですか?

読者諸君、失礼する。