2014/12/28

Post #1362

Bhaktapur,Nepal
年賀状を作るつもりが、何故か床のワックスがけをして一日を空費してしまった。それはそれでやり遂げた感は山盛りだったんだが・・・。

ふと、若いころの自分を思い返してみて、その不甲斐なさに、いたたまれない気持ちになって、悲しいような、悔しいような思いがこみ上げてくる。

こいつは性質の悪い胸やけのようだ。
出来る事なら、あの時その時の自分にあって、ぶん殴って説教食らわしてやりたいくらいだ。情けねぇ!

もう少し、あのときに俺に相手を思いやる優しさと、一歩踏み出す勇気があれば、そして下らない意地をはって痩せ我慢なんかしなければ、きっと今とは違う人生を歩んでいたはずなのにと思うと、情けなくって泣けてくる。その時俺の傍らにいてくれた人を、もっと幸せにしてあげることが出来たかもしれないんだ。もっとも、その人の人生を取り返しがつかないくらいぶち壊していた可能性だって否定できないけどな。

過ぎ去った時間は、泣いたところでどうにもなりはしない。

人は、そんなこと忘れて、もっと身軽に生きたらいいのにっていうだろう。きっと、俺が迷惑をかけた人たちも、すっかりそんなの時効だよ、気にしちゃいないよって言ってくれるだろう。
だけど、そんな後悔も過ちも、忘れたくないし、ずっと背負っていきたいんだ。

何故って、その失敗と悔恨の集積こそが、俺自身だと思うからだ。
で、その重りのような荷物を抱えて、しかもなお、全力で力強く、時に無様に走り続けるように、死ぬその日まで生きていきたいんだ。

そんな無様な屁垂れた若い時代があったからこそ、今の自分があるのだと自分に言い聞かせて、奥歯を噛みしめて、今日の自分が人生でサイコーだと言い聞かせるしかない。
事実、昨日の俺より、今日の俺の方が、経験値が上がった分だけ、器はデカくなってるはずだ。俺は信じてる。俺はこのままで、終わる男じゃないんだ。まぁ、このままでもかまわないけどな。

でもって、むかし俺が、ネコの糞を踏んだような気分にさせた人たち(その多くは大切な人だったはずだ)に、恥じることのないような自分でいたいんだ。

自分でも、俺は45歳の皮をかぶった15歳だって分かってるさ。過ぎたことにいつまでもとらわれて、そいつは俺の胸のなかで地団太踏んで哭き叫んでいるんだ。母を亡くした子供みたいにね。自分でも、それって辛くないか?って思うさ。けど、それをあっさり忘れ去ったり、頭の中から放り出したりしたら、それはもう俺であって、俺じゃないんだよ。
そんな阿呆が一人くらい世の中にいたって、悪くないだろう?それが俺のロマンなんだよ!

読者諸君、失礼する。俺だって、自分の人生を振り返って、もんどりうちたい夜もあるのさ、畜生!

2014/12/27

Post #1361

Kathmandu,Nepal
昨日は取引先の忘年会に出向いて、久々に鯨飲。
芋だか麦だかわからんが、焼酎をロックでガンガン飲んで、パイプを吹かして皆の衆を文字通り煙に巻き、誰よりもでかい声で、何を話したか細部が全く思い出せない漢気炸裂トークをかまし、下ネタ全開で笑い転げて、実に有意義な時間を過ごしてきたよ。
まわりはいつも仕事でおなじみの悪軍団だから、お互い何の遠慮もありゃしねぇ。ルール無用の無礼講だ。
解体屋、軽量鉄骨屋、大工、内装屋、監督などなど、現場仕事をしている男たちの集まりは、これだからたまらないぜ。
漢同志の絆は、やはりバカ騒ぎして飲み交わさないと深まらんもんだ。女との絆はやっぱアレだけどな。
挙句の果てには、お迎えに来てくれたカミサンを、仕事仲間を一人一人呼びつけて紹介し、車の中を酒の臭いで充満させながら家までなんとか帰ってきた。カミサンはやったらめったらぷりぷりしてたぜ。
で、二日酔いもなく今日は俊才・酒見賢一版三国志『泣き虫弱虫 諸葛孔明』第四巻を読みふけって、ちょいと一戦するたびに、底抜け大宴会の劉備軍団の馬鹿騒ぎっぷりに、漢はかくあるべきだなと確信を深めていたりしたわけだ。

俺は日頃、仕事が夜討ち朝駆けなんで、酒飲んだりする機会はほとんどないんだが、こんなんだったら毎週でも構わないぜ。いつでも呼んでくれよ。まぁ、仕事が空いてたらの話だけどな。
しかしなんだなぁ、俺、年年歳歳、年を重ねるごとに、放蕩無慚のろくでなしになっていくなぁ・・・。
しかしまぁ、これも人生だ。ロックンロールだ。子供でもできたら、少しは改めるんだがな・・・。

読者諸君、失礼する。明日こそ年賀状つくらねぇとな。うかうかダラダラしてると、年が明けちまうぜ。

2014/12/26

Post #1360

Kathmandu,Nepal
写真をやってますというと、たいていの人は、ほうといって俺に見せるように言ってくれる。
俺は、自ら焼いた六つ切りの印画紙をスキャンし、携帯にバックアップしておいた画像をみせると、たいていの人は、これは上手いですねぇと褒めてくれる。

  それを真に受けたらかん。
  本当に上手かったら、俺はとっくにそっちの世界で飯食っとるはずだがね。

たいていの場合、これだけの(質だか量だかわからんけども)ものを発表したりしないのですか?と聞いてくれる。
俺は、こんなブログをやってます。やってるだけで、誰も見てはくれませんと言う。
で、携帯で見せてみると、たいていの人が、今度見てみますという。

  それを真に受けたらいかんって。
  世の中には社交辞令というのがあるんだで。

社交辞令という奴は、人間と人間の関係をスムーズに進めていくためには、欠かせないものだ。
俺が受け取っているのはまさにそれなんだけど、その時はやはり少し嬉しく、素直に感謝してしまう。相手が女性だったりすると、嬉しさ当社比1・5倍増量中って感じでなおウレシイ。

しかし、実際に見てみたよって話は、きかないなぁ・・・。

年賀状を受け取ると、例年、ブログいつも見てますとか書いてあったりするけれど、そんなこと書くくらいなら、コメントでも入れてくれたらいいのに思う。
コメントも毎度おなじみの仲間しかくれない。ありがとう。素直に感謝してるよ。こうして続けてこれたのも、君たちの支えがあってからこそだよ。

俺はすばりいって、褒められると実力以上のパワーを発揮するタイプなんだ。
当社比1.2倍は行けるだろう。
しかも、女性に褒められるとその数値は、さらに2倍くらいには跳ね上がるんじゃないか?おっぱいの大きさに比例してたりすると、人間的にこれまた面白いのだが、調子に乗ってその手のことを書くと、ほうぼうからお叱りを頂いてしまう。
ゲンキンなものだ。単純な男なのさ。
常々仕事の現場にも、応援専門の可愛い娘ちゃんを配備して、職人さんを応援していてもらえば、仕事の質,、量ともにかなりUPするんじゃないのって考えてる俺だからな。
まぁ、戯れ言はおいといても、手応えがないとつまらないのだ。 仕事でも、待遇金額に不満がなくても、必要とされてるいるという実感がないと、阿呆らしくなって契約解消してしまうような俺なのだ。
人が自分を、認めてくれないと嘆くより、自分の実力のなさを憂うべきちゅうのはよくわかるんだけど、外人さんのゆるゆるのあそこに突っ込んで、必死に腰振っているような手応えの無さは、もう滑稽ですらあるわいな。


一般的に言って、俺の写真はつまらない、のだろう。


俺自身は、面白がっているのだが、客観的にみれば、まぁ、それが現実だってことだろう。

坂口安吾の夜長姫と耳男ではないけれど、俺の写真には、おばあさんの頭痛を和らげる力もないんだろう。もっとも、そんな力があったら、頭痛に悩むばあさんが殺到してしまう。とげぬき地蔵とかじゃないんだから、御免蒙るぜ。


どうして、相手が俺の写真に興味があるなどと考えたりしてしまうだろう。
そもそも期待しなければ、落胆もしないのだよ。
白と黒だけの退屈な画面だ。エキセントリックなものが写っている訳でもないしな。

世の中には、もっと刺激のある映像が溢れてる。きわどいセクシーショットとか、悶絶可愛い猫の写真とかね。それに何より、もっとうまい写真なんていくらでも見ることが出来る。

書いてることも、しょせんはその辺で一山いくらで売られているジャンクカメラのような、至極つまらぬ中年男の心中雑感だ。世の中には、もっと有益なサイトが山ほどある。そっちを見たほうがよほどイイ。例えばそうだなぁ・・・、2ちゃんねるとか風俗情報とかね。そっちの方が、君の心と体にとっては有益だ。

思えば、俺がコメントを互いにやり取りしていた人々のなかには、衝動的にボタン一つで、自分のブログをすべて削除してしまった人もいる。また、自分しか見ることが出来ないように設定を変えてしまった人もいる。
それぞれに個性的な作品を手掛けていた人たちだったのに、なんの手がかりもなくなってしまった。さみしい話だ。
この人たちも、写真を撮っては、UPし、何の手応えもないという焦燥感に苛まれていたんだろうか。
まぁ、俺の場合は心の声が垂れ流されてる感が強いから、一概に同じとも言えないけどな。

俺の写真の良さを分かってるのは、もう何年も俺とごく少数のお仲間だけだ。
さみしい年の瀬だ。
来年は違う方向に戦法を切り替えてゆくべきか。
それとも真逆に、人には黙って、自分の写真を死ぬまで隠し通すか。
いずれにせよ、もうオナニーみたいな生活には厭き厭きだぜ。


読者諸君、失礼する。年末年始は酷税局の青色申告の書類でも作るとするかな。