2015/06/24

Post #1540

Bremen,Germany
ブレーメンに泊まった日、春のヨーロッパの日没は遅い。
まだ十分明るいのだが、もう時刻は20時近かったと思う。
俺たちはぶらぶらと写真を撮り歩きながら、手ごろな食堂を探してブレーメンの中央駅のあたりまでやってきた。
サッカーの試合を終えて、はしゃぎながら駅に向かう屈強なドイツ人たちの姿が、あちこちに見受けられる。どこか浮かれたような、それでいて倦怠感を漂わせたような雰囲気だ。
それが、駅のすぐ手前に来ると、空気ががらりと変わった。
トラムの走る大通りのそこここに、重装備の警察官が険しい顔つきで立っている。
見渡せば、たくさんのパトカーや装甲車みたいな警察車両があちこちに停まり、その周りにも、屈強な機動隊員の様な警察官が何かを見張っている。
ピリピリした緊張感が辺りを包んでいる。
ひょっとしたら、サッカーの試合の成り行きが面白くなかった連中が、暴徒化する恐れがあるということで警戒しているのかと、俺は考えたんだ。そう、いわゆるフーリガンって奴だ。しかし、途中で見かけた連中は、確かにビールはしこたま飲んでいたようだが、そんなささくれた雰囲気ではなかった。腑に落ちん。
俺たちは、何があるのかよくわからないが、そもそもドイツ語を解さない悲しさ、なにもわからぬまま、信号無視とかで警察官に叱られないように、駅に向かって大通りを渡って行った。

すると、駅前広場でプラカードを掲げた人々が、集まっている。
Bremen,Germany
俺は、駅に用事があるような素振りで、その連中の前を通り過ぎながら、ノーファインダーで写真を撮る。警察官がこっちを見ている気配がする。
スーツにひげの男が見える。しかし、多くはフードのついたスポーティーな服を着た、見るからにワーキングクラスの若者たちだ。イギリスならCHAVと呼ばれ、この神州日本国ではヤンキーとカテゴライズされるような連中と、同じようなオーラを放ってる。

ヤバいな・・・。
こういう奴らが寄り集まると、ろくなことにはならないぞ。屈強な警察官たちが刺激しないように遠巻きに監視していたのは、職質キングの俺じゃなくて、奴らだったのか…。

しかし、写真に撮りたい。いったい何が起こってるんだ?

相変わらず何を主張しているのか、俺にはさっぱりわからないが。だがこの手の連中を刺激するのは、非常にまずい。何かあれば警察官が制止するだろうけれど、多勢に無勢だ。
連中の視線が、俺にまとわりつくように注がれているのを感じる。
俺は、それを振り切るように、さも何の興味関心もない風を装って、足早に通り過ぎる。とはいえ、しっかりシャッターを切りながらね。

さて、俺たちはなにか気の利いた店でもないものかと、駅のコンコースを物色してみたが、立ち食いのサンドイッチ屋みたいな店しかなかった。そこでは、地味なコートを着た、いかにも冗談の通じなさそうな顔のおじさんたちが、ビールを飲みながらもそもそと、さほど旨くもなさそうに口の中に食い物を押し込んでいる。
こんなところで晩飯を食うのは御免蒙るってもんだ。
仕方ない。もう一度駅を出て、街中で探すことにいたすか。
駅の外では、サッカーチームのサポーターたちが、浮かれた風情でビールを飲みながらよたよた歩き、飲み切った瓶をそこいらに投げ捨てている。あるいは、食い物の入っていた紙袋なんかをそこいらに放り投げる。そうしてゲラゲラ笑っている。それを横目に見ながら、速やかに掃除をしているのは、トルコ系だろうか、明らかに移民のおじさんだ。
汚れ仕事はやはり移民の仕事なのだ。
ドイツ人は白くてデカいをゆするようにして、オーレ、オレ、オレ、オレ!と陽気な太い声で歌っている。
小柄で痩せた移民のおじさんは、薄汚れた作業服を着て、やるせない表情を浮かべながら掃除を続ける。
そういえば、移民のサッカーファンなんて、見なかったな。みんなゲルマン民族だった。そういうもんだ。移民の皆さんには、そもそもサッカーなんか見に行くような休みはないんだろうよ。
Bremen,Germany
外に出ると、プラカードや横断幕を掲げたデモの連中は、大騒ぎしている。さっきよりも人数も増えてるし、みんなで声を合わせて何かを大声で叫んでいる。
拡声器で何かを叫び、アジテートしているんだが、声が割れてよくわからない。時折拡声器についている甲高いサイレンを鳴らしては、怪気炎を上げている。若者がにやついている。若い女の子もいる。
こいつらはいってぇ何を訴えてやがるんだ?
しかし、これだけ警察官が取り巻いてるってことは、ろくなことじゃないのは確かだ。
なぜか、そこに交じってる若い衆のにやけた笑顔に、不愉快な引っ掛かりを感じて、無性に腹が立った。
Bremen,Germany
俺は、大通りの反対側にわたり、少し離れたところから眺めてみることにした。
大方の人々は、ちらりと見るだけで、特に注意も払わずに歩き去ってゆく。
俺は、自分の隣に立って、同じようにデモを眺めているそこいらのおにいちゃんに、奴らはいったい何を訴えてるのか聞いてみた。彼はドイツ語しか分からないようだった。日本人と同じだな。
そのおにいちゃんも、あんまり頭が良くなさそうで、乏しい英語のボキャブラリーで、どう説明したものか困っている様子だったが、『奴らは、このドイツにアフリカやアジアから移民が働きに来ることに、反対してるんだべ。出て行けって言ってるんだべ。まったくクレージーだ』そういって、肩をすくめて困ったような顔をした。言葉に詰まりながら、なんとか状況を説明しようとしてくれたこのおにいちゃんの態度に、俺はすごく好感を持った。道の向こう側の連中とは、見た目やクラスは同じでも、その心は健康だった。俺は彼に心から感謝したよ。

そうか、つまり奴らは、レイシストだってこった。人種差別主義者だよ!
おぅ、なんてこった!
かつてユダヤ人を差別して、生きながら毒ガス室に送り込み、その髪の毛を刈り取って潜水艦の断熱材に使ったドイツにも、未だにこんなレイシストがいるなんて、俺には驚きだぜ。
反省が足りないのは、我が日本国だけではなかったんだ!

そして、俺には奴らが俺を見る目に、なにか不愉快な印象を感じた意味が、いまはっきり分かった。
そう、俺は誰がどう見てもバリバリの有色人種で、奴らがドイツから出て行けと糾弾している貧しい人々と、ドイツ人がやりたがらない汚れ仕事をやって、社会を底辺で支えている移民の皆さんと、まったく同じカテゴリーに属すると思われてたわけだ!
つまり、俺はここでは明らかに差別され、排斥される側のニンゲンだったわけだ。
BINGO!

やれやれ、参ったなぁ・・・。こんなところにきてまで、東方君子国が世界に誇る在特会みたいな連中に遭遇する羽目になるとはねぇ。FUCK OFF!

自分たちと違う集団に属する人間を差別し、自分たちの社会から追い出そうとする連中は、はっきりって世界中にいる。そんな手合いは、俺に言わせれば、ケツの穴の小さな田舎者だ。
俺は、人種や言葉、肌の色や宗教、性別や資産の多寡で人間を差別する行為には、いつだって反対だ。反中だの嫌韓だの言ってる奴らを見ると、不愉快になってくるんだ。
なにしろ俺はこの年まで、ずっとロックンロールでやってきたんだぜ。
俺が少年の頃は、まともなロックミュージシャンは、当時人種差別が大々的に行われていた南アフリカで、自分たちのアルバムを売ることを、きっぱりと拒否してきたんだ。ジャケットに必ず『アパルトヘイトの南アフリカでは、このアルバムは売らない』って書いてあったものさ。まだ、マンデラさんが牢屋にぶち込まれていた時代だよ。そのロックな精神は、俺の中で燃え立つ火柱のように、いまでも輝いてる。
俺はどんな差別もされたくないし、したくないのさ。
だってそうだろう?誰かを差別する人間は、誰かに差別されても文句は言えないんだぜ。自分がされて嫌なことは、人にもしちゃいけないぜ。
俺が人間を判断するのは、その人の行動によってだ。肌の色や国籍や性別、そして宗教なんかで判断するつもりはないのさ。それは恥ずかしいことだ。

読者諸君、失礼する。この話は、なんと次回に続く。

2015/06/23

Post #1539

Copenhagen,Denmark
先日、父の日だってんで俺はカミさんと自分の父親の三人で飯を食いに行ってきた。
親父のウォーキング仲間がやっているという古びた中華料理屋だ。
看板には昔懐かしい闘将ラーメンマンが描かれている。
若者にはラーメンマンなんて、なんだかさっぱりわからないだろう。

親父は寂しい独居老人なんで、俺に誘ってもらって大喜びでゴキゲンだった。ついでに言うと、俺の勘定で、自分の顔見知りにいい顔ができるってんだ、目じりも下がるってものさ。
餃子とチンジャオロース、酢豚にチャーハン、肉天に生中で〆て4900円だ。領収書を忘れるな!

ニンゲン、ゴキゲンになると、昔話に花が咲くもんだ。
そう、人間75歳にもなると、もう過去の追憶の中に生きるしかないのさ。そこでグダグダ文句をつけてはいけないよ。今更親父の人生を否定して、嫌な気分にすることもないだろう。あくまで今日は父の日なんだから。
確か、俺の親父と写真家の荒木経惟は同じ年に生まれていたはずだ。
ついでに言うと、ジョン・レノンも同じ1940年生まれだ!わお!
参考までに申し上げると、荒木経惟には、子供はいない。ジョン・レノンにはジュリアンとショーンがいる。俺の親父には俺を筆頭に四人の息子がいる。
さて、いつも同じ話で退屈極まりないが、辛抱して聞いてやるか。

そんな中で、戦争中、終戦後すぐの話が出てきた。
俺の親父は戦争中は爺さんと一緒に大陸にいたんじゃなかったかな。
引き揚げてきてからは、とにかく大変だったらしい。
ふと、親父は俺に『おまえ、戦争になったらどうするよ』と、ドロリとした酔眼で問いかけてきた。

酔っぱらいにしちゃ、鋭い質問だ。

『へん、俺は山にでも逃げるさ。兵隊になんかなるのは御免だしな』
俺は反射的にそう答えたけれど、果たしてそんなに簡単に逃げ切れるかな。
戦争になったら、いったいぜんたいどこに逃げるっていうんだ?
女や子供を連れて山のなかを彷徨うのか?勢いでそう答えたけど、そいつは無理だ。山の中にはコンビニもないしな。

海外に亡命するのか?しかし、この国はどこの国にわたるにも、海を越えてゆかねばならないんだぜ。しかも、日本の周りには仮想敵国の北朝鮮、アメリカの仮想敵国である中国、日本を仮想敵国だと想定し続けている韓国、おまけに領土的野心満々のロシアだの、なかなか錚々たるメンツがそろっている。
しかも、日本はなんだかんだ屁理屈をこねて、難民をまったく受け入れようとしない国なんだ。金だけ出してやるから、宗教や文化や人種の違う連中を、この島国に入れてくれるなってケツの穴の小さな国なのさ。そんな国のニンゲンが、いざ自分のところがヤバくなったからって、どこぞに受け入れてもらえるわけがないだろう?
そうさ、俺たちゃどこにも逃げられやしなのさ。

政府が、国が守ってくれるって?
先の戦争のとき、沖縄や満州で、一般市民がどんな酷い目にあったのか知らないのか?
いざという時にゃ、お上は国民を守ったりしちゃくれないんだぜ。現に今だって、福島の原発事故は収束していないのに、被災者への生活支援は打ち切られようとしている。そして、その人たちの暮らしていた町は、廃墟のように荒れ果てている。
歴史的な円安と張りぼての様な好景気?の裏では、女性や若者は派遣労働者という二級市民として、階級固定されようとしている。
生活保護は削られ、他人事のようにしか見ていない人々は、それを歓迎している。努力が足りないからだって。財務省が大喜びだ。
税金は引き上げられ、海外からの物資は円安のせいで値上がりを余儀なくされている。
人々は、なんだかカエルをゆでるみたいにして、気づかないうちに窮地に追い込まれていく。
そして今や、この国に生まれた子供たちは、その瞬間に一人あたり800万円もの借金を背負わされてる。この国の借金は、それほどに膨らんでいるのさ。

彼らが、君を助けてくれたことがあるのかい?

国家には、いや政治家や官僚には、一人一人のニンゲンの姿なんかまるで見えちゃいなんだ。
もちろん、未来のあるべき社会の姿なんか、これっぽっちも見えちゃいない。

だから、戦争が起こっても、けっして奴らは、助けてはくれない。

詩人の金子光晴は、戦争末期、自分の息子に召集令状、いわゆる赤紙が届いたとき、息子を裸同然の格好にして、何十キロもの荷物を背負わせ、雨のなかに放置したり、煙でいぶしたりして、無理やり病気にして、兵士にされないように徹底的に抵抗したんだ。
やるな、金子光晴。まったくアナーキーとはあんたのことさ。

俺は自分が殺されたり殺したりするのは、絶対に御免だが、自分の子供が兵隊にとられ、どこかで弾に当たって死んじまうってのも、絶対に納得いかねぇ。俺は断じて許せねぇ。

我らが安倍首相は『集団的自衛権の行使に際して、自衛隊にある程度のリスクがあるのはやむ得ない』といっているが、そのある程度のリスクとは、俺や君の大切な人かもしれない誰かが、弾に当たって、あるいは戦争中の日本軍みたいな自爆攻撃で、虫けらのようにぶち殺されるという危険があるということだ。

君は、死ぬのは自分じゃなけりゃ、お国のために自衛隊のニンゲンが死んでも構わないのかい?
君は、この日本がアメリカの戦争のお手伝いをすることで、国際的なテロ組織の標的にされ、自分たちの住む町で、報復テロが行われ、君の大切な人が巻き添えになって死んでも、かまわないのかい?勇ましいことを言うのは簡単だぜ。けど、失われた命は、もう二度とっもどってこないんだぜ。よく考えよう!

そして、それをあっさりと、リスクだなんて血の通っていない言葉で片付けてしまうのかい?

俺は絶対に納得いかねぇ。俺は下りるぜ。
亡命だ、とんずらだ。難民になるんだ。
頼んだぜUNHCR(国連高等難民弁務官事務所)
でも、どこへ?どうやって?

だから、俺は親父には、あっさりそう答えてお茶を濁しながら、心の中では、絶対にこの国を、戦争のできる国にしちゃいけないって思ったのさ。

いいかいみんな、何時だって、戦争したがる奴は、自分たちは平和を守ってるっていうんだ。
この国の皆の衆は、昔っから自分で考えるのが苦手だから、すぐにコロリと騙されちまうんだよ。
奴らが言う平和を守るってのは、自分たちのところにちょっかいをかけてくる奴らを、ゴキブリみたいに殺せってことだ。
しかし、ゴキブリは俺たちに対して、さほど脅威ではないけれど、戦争をやってる相手は、俺たちと同じニンゲンで、ろくでもない武器をしこたま持っていて、とびっきり残酷なことを考え出す優れた脳みそと、普通の市民をただの数字としか認識しない冷酷なハートを持っているんだ。
これが脅威でなくて何が脅威だ?

だから、戦争で物事にケリをつけるような国にしては、絶対にダメなんだ。

自民党や自称平和の党の公明党が進める、安全保障法制なんて、絶対に成立させちゃならない。あれはアリの一穴だ。せっかくの70年の平和が、そこから崩れて行ってしまうんだ。自分たちの好きなように憲法を捻じ曲げて、俺たちをたぶらかそうってしているのさ。
そして、いったん法律ができてしまったら、それに反対するものは、法律違反で豚箱行きだ!
そうなったら、この国のお偉いさんたちには、中国だとか、北朝鮮だとか、エジプトだとかのことを、とやかく言う資格はないぜ。

平和ボケ?何とでもいってくれよ。それともそういうことを言うあんたは、自分でアフガンだかシリアだかにいって、ランボーみたいに大暴れしてきた経験があるのかよ?
お国のためだとかいう大義名分を吹き込まれて、うっかり死んでる奴よりも、愉しく生きてて、あいつすっとぼけてるぜって、みんなから馬鹿にされるほうがよっぽどましだ。

それに、戦争や暴力で物事を解決しないってのは、すごく勇気のいることなんだぜ。
俺は大人だから、どっちが勇気が必要かって、分かっているんだ。

読者諸君、失礼する。君も自分で考えろよ。戦争がおこったら、君はどうするんだ?君の大切な人や、君の子供を、どうやって守るんだ。いいか、考えるんだ。自分自身の問題として。

2015/06/22

Post #1538

Bremen,Germany
俺はいつも、自分のことばかり話してるように見えるかもしれないけれど、自分ではそうは思ってないんだ。
この世界の事や社会のことを、自分の経験したことや学んだこと、そして何より自分が正しいと信じていることに照らし合わせて、自分の力で考えて、自分の言葉で語りたいと思っているんだ。

それが正しいかどうかは、俺には分からない。もちろん、俺は自分でできるかぎり研鑽して、借り物の知識じゃなくて、自分の実感として腑に落ちるところまで考えて、それが君にどう伝わるのかを考えて語っているつもりなんだけどね。

だから、漠然とした日常描写の中に、とっても大事な考えを、そっと忍び込ませてみたくなる。
ただ字面だけおっていたら、大人になりきらない中年男のぐでんぐでんな日常茶飯事に見えるかもしれないけれどね。
けれど、どっかの学者や批評家が書いた言葉を、そのまま俺が語っても、上滑りするだけで、君の心に何も残りはしないだろう?

たとえば、中年男のだらしのない欲望を語っているように見えて、家族制度や男女の性愛の形を規定する社会通念に、俺なりに疑問を呈したりしてるわけだ。
もし君に行間を読む力があるのなら、この男、なんだかおかしなことを真剣に考えているなとか思ってくれると、嬉しいものさ。
あるいはまた、自分が出会ったおかしな人のことを語るときに、その人をそのようにさせている社会そのものについても、ひっそりと語りたいと願っているんだ。
ときには、俺たちの暮らすこの日本とは、まるっきり違う国での体験を書くことを通じて、俺たちの社会の抱えている病理を影絵のように映し出したりしたいと思っているんだ。

自分の目で見たこと、聴いたこと、触れたことすべてが、世界の断片で、何かのメッセージを、俺に訴えかけてきているように思えるのさ。
残念ながら、そのすべての意味を汲み取ることなんかできやしないけれど。
俺はそれを理解するだけの感性と知性が欲しい。そして、自分がいまここにある意味を知りたい。
そう思っているのさ。


小説家、高橋源一郎が、2011年4月から毎月一度、反日新聞として保守の皆様に毛嫌いされている朝日新聞紙上で続けてきた論壇時評が、一冊の新書にまとめられた。

『ぼくらの民主主義なんだぜ』という、素敵なタイトルの本だ。

朝日新書から出ている。お値段780円+TAXだ。
俺は、少年の頃の自分に、『さようならギャングたち』や『ジョン・レノン対火星人』などで衝撃を与えてくれた(それは俺にとっては、村上春樹や村上龍以上の衝撃だったよ)高橋源一郎が、気さくで穏やかな自分の言葉で展開してくれるこの論壇時評を、毎回楽しみにしてきた。
そこでは、原発や、労働問題や、テロや憲法、俺や君が暮らすこの世界が抱える、様々な問題が取り上げられてきた。
源一郎さんは、俺たちと同じ素人として、つまり一人の市民として、その様々な問題に向き合い、俺たちにも、自分自身で考えるように促してきた。その姿勢は、俺にはとても誠実なものに見えたし、とても好感が持てるものだったのさ。

そして俺は、いつも考えさせられてきた。

出来ることなら、君にもこの本を読んでみてほしい。そこで取り上げられているどの問題も、未だに解決してはいないから。
君は世界や社会のことを考えたって、意味なんてないと思うかもしれない。自分の生活で精一杯だよっていうかもしれない。
けれど、それはけっして無意味なことだとは俺には思えない。
なぜって、俺たちはみんな、この世界に生きているんだし、この社会をかたちづくっているのも、他でもない俺たち自身なんだから。

読者諸君、失礼する。どんなことでも、自分の実感に引き寄せて、そこから考えるべきだと俺は思う。自分の言葉で。