2013/02/28

Post #739 今年もすでに6分の1終わったのか・・

Kuta,Bali,Indonesia
心身をすり減らして働いている間に、もう2月も終わりだ。日中の日差しにも春の気配が感じられるような暖かさだった。季節は着実に移ろっていくのだ。しかし、もう2月も終わりとは・・・。俺、今年に入って、何やっとったんじゃ?ただ、仕事してただけだねぇ。
こんなペースで生きていくのは、激流に流されながら生きているようなもんだ。
考えれば、仕事なんて所詮仕事、つまり金儲けでしかないんだから、飯を食っていくためにはこれは至極重要なんだけれど、生きていく意味という観点から考えれば、どこか枝葉末節にしか過ぎない気がする。
俺達は、いつも枝葉末節にこだわり、肝心なモノゴトの本質を見落としているんじゃなかろうーか?
仕事ができるできない、有能無能、そんなことは本来、人間の価値(人間の価値という言葉には、思わず不愉快になる。人材って言葉も、人間様を何かの材料のように扱っているようで、不愉快になる。そんなの俺だけかもしれないけどな)とは何のかかわりもないはずなのに、実際の世の中は、そんな冷酷非情な評価基準で成り立っている。
しかし、そこには重大な落とし穴がある。人間は誰しも年老い、経済的には、いずれは例外なく無能で無用な存在になりうる、不安定な存在なのだ。
そこんところを、むんずと捕まえておいたうえで、人生の歩き方ってのを考えておかないと、いつか後悔することになる。そして、まだこの先にチャンスが巡ってくるのかもと一縷の望みを託し、病気を抱えて、年老いて肉体の機能が衰えてなお、心穏やかに来たるべき日を迎えられんということになりかねん。これは、大きな問題だ。俺のライフワークだと言ってもいい。

どうにも最近、意気消沈するような内容に偏っている気もする。
おかげさんで、PVはうなぎ降りだ。うなぎ上りじゃない。
そらそうだろう、誰が好き好んで、冴えない暮らしぶりの中年のおっさんのボヤキを聴きたいもんかねぇ、うちのカミさん(内縁)だって、真正面から取りあってはくれないよ。
しかし、致し方ないんだぜ。読者諸君の若い衆は、人生の先行きが大方見えてきてしまった年齢の人間の焦りや不安は分かるまいて。
そして、それがわかるような微妙なお年頃になれば、その時には既に遅い。人生の趨勢は見えている。将棋で言えば、詰んでいるという訳だ。
俺もいつの間にか44歳だ。誰憚ることなく中年だ。昔は壮年というもうちょっとカッコいい言葉もあったような気がするが。中年というのは、どうにも宙ぶらりんなカンジで、落ち着きが悪いし、その中くらいの先は下り坂一辺倒という、物悲しい響きを感じてしまうわな。
いかんいかん、春は近い、はずだ。花粉も黄砂もジャンジャン飛んでくるだろうが、いつまでも冬のままじゃないはずだ。もっと働き方を考えよう。でないと44歳の春もまた、ただ働いて終わりってことになっちまうぜ。冗談じゃないぜ。
失礼する。 

2013/02/27

Post #738 ある猫の死

Istanbul,Turk
今日の昼下がり、本屋で小嵐九八郎の『天のお父っと なぜに見捨てる』を購入し、車で家に戻る道すがら、前の車が大きく迂回して通るので、ふと見ると一匹の猫が死んでいた。
猫がはねられて死んでいることなんて、よくあることだ。しかし、俺はいつもそのたびにどうしようもない憤りが湧いてくる。
かつては、そんな猫の写真を、怒りとともに撮っていたものだ。その写真は今日は出さない。きっと、君たちはショックを受けるだろうから。
俺はいつも、状況が許す限り、道のどまんなかに横たわっている猫の死骸を、そっと抱き上げて道の端に寄せることにしている。もちろん、状況の許す限りにおいてだ。俺がはねられて死んでは、元も子もない。
けれど、たとえもうすでに死んでいたとしても、何度も何度も車に踏みつけられ、汚い絨毯のようになっては欲しくない。
俺は、今回も車を停め、後続の車が行き過ぎるのを待って車を降りて、猫を道端に寄せた。
大きくて立派なトラ猫だ。毛並みもよいし、よく太っている。きっと誰かに大切に飼われていたに違いない。飼い主の悲しみを思うと、何とも言いようがない。
そっと持ってみると、まだ温かい。まだほんの少し前にはねられたのがわかる。
瞳孔の開き切った瞳は、まるでガラス球のようだ。
俺は、その猫を歩道の植え込みの中に横たえてやった。冷たいアスファルトよりも、土の上の方がイイだろう?いつだって、何の罪科もないものが、命を断ち切られるのを見るのは、心が張り裂けそうに痛む。あぁ、この世は悪無限だなぁ。

俺は、ふと何年も前、まだ薄暗い朝早く高速に乗って現場に向かうために、片側三車線の国道を走っていた時のことを思い出す。車線の真ん中に、まだ生きている猫が、はねられ足をやられたのか、うずくまり、じっとこちらを見ていた。時速60キロで走る俺の目には、それは一瞬のことだったかもしれない。けれど、俺には、その一瞬に確かに猫と目があったように感じられた。
猫は、自分のみにこれから起きることを、まったく予測していなかったのかもしれない。いや、ひょっとしたら、全て理解していたうえで、受け入れていたのか?それは俺には解からない。けれど、その視線は、明らかに俺に対して何かを強く訴えかけてきたのだ。
生きることとは、何なのか?
俺たち人間も、この猫が自らの身にほどなく悲惨な最期が訪れるであろうことを、知ってか知らずにいるように、一寸先は闇の道を手探りで歩くしかない、弱く儚い生き物だということを、その猫は俺に伝えていたように感じたのだ。
それはもう何年も前の話しだ。

今日死んでいた猫が、佐野洋子の絵本『百万回生きたねこ』の主人公のように、今頃むっくり生き返り、次の人生を生きはじめることを夢想する。そして猫は言うのさ、『バカらしくってぇ!』ってね。

読者諸君、失礼する。俺は実は猫アレルギーもあるんだが、猫は大好きだよ。

2013/02/24

Post #737 Just Take A Walk

たしか Montmartre,Paris
いつまでも寒い。もうすぐ3月にもなろうというのに、昨夜も4時過ぎに仕事を終わって外に出ると、みぞれのような雪が舞っていた。
そうこう言っている間にも、窓の外に雪が舞っている。俺もヤマネかムーミン谷の連中のように、冬眠していたいのだが、冬眠どころか、毎日の睡眠時間すらままならないのが悲しい現実だ。

うちのカミさんの話しによれば、ニンゲン、5日間睡眠不足が続くと鬱状態になるという。まったくだ。覚醒剤を打ちたくなる奴の気持ちも分からなくないぜ。

憂鬱な気分で打ちのめされたようになって生きるよりも、目をギラギラさせて、ハイテンションで突っ走っていた方が、人生なんだか楽しそうだからな。とはいえ、俺はやらないけどね、警察にはいつも財布やダッシュボードの中まで調べられるが、何も出てこない。奴らはそこから白い粉が出てきたり、注射器の束が出てくるのを期待してるんだろうが、人生というのはなかなか期待通りにはいかないものさ。それが例え警察官であってもね。

脳内麻薬が必要だ。

俺は気分をリフレッシュするために、ちょっと散歩をしてみた。
風は冷たい。しかし、それがまた心地よい。世間の風の冷たさに比べれば、チョロイもんだ。
俺は自分が今の商売につくづく向いてないなと考える。養蜂家とか猟師とかきこりとかに剥いてるんじゃないのか?人間は思い付きでしかものを言わないが、動物は本能というプログラムによって行動するからな。いや、自己保身ってことじゃ人間も動物も大差ないけれど、人間の自己保身は、なんだかいろんな原理原則が複雑に絡み合っていて、コムツカシーのだ。
そんなことを考えながら、音楽を聴きつつあるく。
The Who ”Sparks"、Oasis ”D'You Know What I Mean?"、Funkadelic ”Standing On The Verge Of Getting It On"、Led Zeppelin ”Stairway Of Heaven"、Red Hot Chili Peppers ”Torture Me"・・・。
そんなところだ。
雲が流れ、光がさす。
せせこましい人間社会にうんざりするほど、突如太陽の光がさすのは、カンドー的だ。
また、旅に出たい。半年もまじめに仕事すれば、どうにもこうにも精神的に疲弊してくるってもんだ。