2022/02/27

Post #1725 日本国憲法とウクライナ紛争について考える

 さて、コロナで自宅隔離の病牀六尺からは今回のウクライナ侵攻が、どうにも日本国民には対岸の火事程度にしか感じられていないように感じますが、これは本当に余所事ではないと思います。

先日の投稿にも書きましたが、我が国の皆さん、とりわけ自民党をはじめとした保守政党の皆さんにすこぶる評判の悪い日本国憲法ですが、武力による紛争解決の禁止は、我が国の憲法にのみ現れるものではなく、パリ不戦条約以来の国際法、国連憲章にも謳われているわけです。

パリ不戦条約は、日本も含めた15カ国がまず調印し、ロシアの前身たるソヴィエト連邦共和国ふくめて、62カ国が調印しました。

しかし、それでも第二次世界大戦は、大東亜戦争は起こってしまいました。

パリ不戦条約は、自衛のための戦力保持は認めていました。

僕が読んでいる岩波文庫版日本国憲法🔗の解説は、長谷部恭男先生が書いておられるのてすが、その172頁には、『帝国議会での憲法草案の審議過程で、九条二項の冒頭に「前項の目的を達するため」という文言がくわえられた。この修正を提案した芦田均氏は、〜中略〜憲法の公布時以降、九条では自衛のための武力の行使が認められることがこの修正によって明確になったとの主張を展開した。』と述べ、我が国の憲法九条は、個別的自衛権を認めていると当時の政府も国際連合憲章第五一条には、明らかに自衛権を認めていると解釈していた記載があります。

しかし、条約は言葉に過ぎません。言葉を曲解し、文言の裏をかくことは、何時も何処でも行われます。

自衛のために派兵する、自衛のためにやむなく侵攻するという詭弁を使ったわけです。ヒットラーはドイツ系市民の保護を謳ってチェコのスデーデン地方に侵攻し、我が国は満洲は帝国の生命線だと言って派兵し、中国に戦争を仕掛ける。そして実際には戦争状態なのに、事変と呼ぶ。そうしていつも自衛のためと称して、自国民、同胞の保護を名目に、自国の防衛と経済的な権益保護の名目で戦争は始まる。

2022/02/25

Post #1724  よりによって息子の誕生日にロシアがウクライナに侵攻しやがった

息子が6歳になった。早いものだ。しかし、数日前からコロナで自宅隔離されている俺は、息子を抱き上げることもできない。ひどい話だ。

しかし、プーチンがウクライナに仕掛けた侵略戦争はまったく常軌を逸している。
まるで、この21世紀に蘇った19世紀の帝国主義だ。クリミア戦争の頃のロシア帝国となんらかわりがない。
あまりにも時代錯誤だが、その時代錯誤な狂気には最新鋭の軍事技術と核兵器がついている。
ロシアの目的はウクライナのNATO加盟阻止だった。拡大するNATOとの間に、バッファゾーンとしての緩衝国家を残しておくという目的だ。もし、本当に侵攻してしまったら、ウクライナがNATO加盟をためらうことはなくなってしまうだろう。その目的を達するためには、侵攻せず圧力をかけるのが良いので侵攻はないという識者の見方は、プーチンにあっさり裏切られた。

プーチンは自国民向けの演説で、ウクライナはロシアと不可分でそもそも歴史的に、ウクライナなんて国家はなく、レーニンによって作り出されたとまでいってのけた。
国家主権なんざ、はなから認めていないというのだ。
プーチンは、ロシア系住民による内紛を抱えるウクライナ東部の2つの地域を、独立国家として承認したという。
いったい何様なのか?皇帝にでもなったつもりだろうか?
そして、そこでウクライナ軍によって行われているジェノサイドを防ぐため、平和維持軍を派遣するという茶番劇だ。その一方で、ウクライナ国内の軍事施設をピンポイントで狙い、その戦闘力を削いでゆき、ウクライナ政府が機能不全に陥ったところを、制圧するだろう。だって、東部2州に傀儡政権を作っても、それだけではウクライナをNATOに追いやってしまうだけだからだ。

2021/09/14

Post #1723 家族形態が社会形態を決定するんだ

 エマニュエル・トッドというフランスの家族統計学者がいる。近年、日本でもしばしば取り上げられるので、ご存じの方もたくさんおいでだろう。

この人は、旧ソビエトの乳児死亡率の高さなどから、社会の疲弊を読み取り、ソビエト連邦の崩壊を予言したことで一躍有名になった。データを集め、そこから社会の動向を読み解くわけだ。政治的に粉飾された言説と異なり、データを誤魔化すことは困難だ。

さらに、この人の初期の著作、『世界の多様性 家族構造と近代性🔗』(邦訳2008年 藤原書店刊)は賛否両論を巻き起こした問題作となった。僕としては、高校生の頃読んだ吉本隆明の共同幻想論に匹敵する驚きだった。

鷗 Sweden

トッドはこの本で、人間の社会がどのような形態をとるかは、その社会の家族制度によって決まってくるという非常に大胆な仮説を立てた。

なぜ、マルクスが予言したように高度に発達した資本主義国家から共産革命が生じず、未だなかばアジア的な専制状態にあったロシアや中国で共産主義革命が成就したのかというのは、マルクス主義に対して突きつけられた大きな疑問だったわけだが、トッドはこれをロシアや中国の家族制度は外婚制共同体家族、つまり息子はすべて親元に残り、氏族の外部から配偶者を迎え、親は子に対して権威主義的、兄弟は平等に扱われるという家族形態だったため、共産主義的な社会システムを受容することができたと読み解いた。

トッドはこの本の中で、①絶対核家族、②平等主義核家族、③直系家族、④外婚制共同体家族、⑤内婚制共同体家族、⑥非対称共同体家族、⑦アノミー家族、⑧アフリカシステムに分け、これらの家族制度こそが、社会の価値観を生み出すのだと主張した。この辺りの説明は煩雑になるので、興味のある向きはWIKIでエマニュエル・トッドの項を検索してみてほしい。詳しく解説されている。エマニュエル・トッド Wiki🔗

私たちの住む美しい国日本は、③直系家族に分類される。ドイツやオーストリア、スウェーデンやスイス、カタルニア地方や朝鮮半島、台湾などもこれに分類される。長男が相続権を持ち、兄弟の不平等は受容されるのだ。社会の秩序と安定を好む傾向が強い。自民党の皆さんが愛してやまない、日本の家族制度だ。いやむしろ、トッドに倣えばそんな日本の家族制度が、自民党的な社会を生み出し、受容していることになるだろう。

リベラルな意見を反日的と批判する言説もしばしば見受けられる。これも、当然だ。今日社会を席巻している自由や平等を信奉するリベラルな価値観というのは、男女が対等に扱われる①絶対核家族を形成しているイギリスやイギリス系のアメリカ人、カナダ人の価値観や、平等を志向する②平等主義核家族を形成するフランス人などの価値観の上に成り立っているのだから、それが日本人の家族制度(それがたとえ都市部において急速に核家族へと分解していっているとしても)と相反するものだから生じる軋轢だと考えることができる。

森喜朗の女性蔑視的な発言も、自民党のおじさんたちが繰り返す女性は生む機械的な発言も、介護や育児は家庭で行うのが正しい的な発言も、ウィシュマさん事件に見るような移民に不寛容な政策も、韓国人に対するヘイトクライムも、こういう視点から考えれば、なんとなくわかってくる。かつて日本を取り戻すと標榜していた自民党が取り戻したかった日本は、そんな日本だと思える。

そして、自分のように家族システムが崩壊し、限りなく核家族になっている日本人の価値観は、どんどん欧米人のようにリベラルなものになっていくだろう。

しかし、僕としては新自由主義経済のもと、自由な働き方の美名のもとに低賃金労働で搾取され、家族すら形成することができなかった同世代の多くの人々(それは具体的な顔と名前をもった友人たち、仕事仲間であった)のことを考えるとき、悔しさと悲しみ、そして社会に対する怒りを抱かずにはいられない。

かれらを置き去りにして平気なメンタリティもまた、長男のみに財産や農地を相続させてきた日本人の家族制度から生じる意識があるのではないだろうか?

(とはいえ、歴史学者網野善彦やそれに先行する宮本常一の研究にもあるように、より家父長制の強固な東日本と、共同体的な西日本という大きな二つの潮流がある。相続の形も、地域社会の構成も、東日本と西日本では大きく異なっていたことを、忘れてはいけない。この狭い日本列島ですら、単一起源の社会ではないのだ。)

中国でも、かつて共同体家族の父親が担っていた権威を中国共産党が肩代わりしたことで、家族制度が急速に解体したという。とりわけ、悪名高い一人っ子政策の下では、父親のもとに兄弟が団結するというかつての家族制度は、維持しようもない。国家という拡大家族に改修されつつも、現実的な家族自体は核家族になっていくという奇妙なねじれが生じているのだろう。いつか、臨界点を超えるときがやってくるだろう。それを押さえつけるために、習近平は香港の民主化弾圧(完全核家族のイギリスによって長年統治され、その価値観を根底から異にしてしまった香港人に対するものだ)から、巨大IT企業への締め付け、子供のゲーム時間の制限に至るまで、ありとあらゆることを統制しようとしている。

しかし、その根底に家族制度の変容があることがわかれば、いつか大きな変動が来るだろうことが僕には予想される。