![]() |
| 世界の街角から 今日はカトマンズ |
HCUに入っていて、半死半生の親父にできることは何もないので、俺は仕事に戻ることにした。去年は今年と違って大忙しだった。本当なら今年も今頃大忙しの予定だったが、人生はどこで何が起こるかわからない。
![]() |
| 世界の街角から 今日はカトマンズ |
![]() |
| 長野県 南信州 平岡 パチンコ屋すら潰れてしまう山奥の町 |
俺ももう決して若くない。人生なんて一寸先は闇だ。この瞬間だって闇鍋みたいなものだ。今暇なら、今やってしまおう。自分の短慮と愚かさから、多くの心残りを作り出してきた。
失ったものはもう戻らない。けれども、人生は続いていくんだ。できることなら、一つでも心残りをなくしてから前に一歩づつ匍匐前進していくしかないんだ。
ノブちゃんの話だ。ノブちゃんは旧姓阿久根というのだが、先祖は鹿児島県の阿久根市の出なのだろう。地名が姓になっているということは、さかのぼれば在地の豪族か地頭職か何かだったのかもしれない。
ノブちゃんが話してくれたことの中に、ノブちゃんの祖父だか曽祖父だかは、明治時代に村長だったそうなのだが、助役が山林業者と結託して村有林の木を伐り、その利益を着服したという事件に直面したという。そしてその責任を取って、自宅で切腹して死んだという。いかにも薩摩隼人というエピソードだが、今となってはそれが本当か否か、確かめる術はない。が、何度も聞いたこの話で、男の(今時男のとか女のとかいうと差別になるんだよな)いやさ漢の責任の取り方は、突き詰めたら切腹しかないんだと刷り込まれた。実際に会社員のころ、お前どうやって責任取るんだ!と言われ、そんなもん切腹する覚悟だと答え、空気を凍り付かせ、押し切ってしまったこともある。まぁ、切腹せずに済んだから今があるんだけれど。
また、戦争中は軍人が威張っていて、息苦しい嫌な時代だったと何度も聞かされた。戦争に負けてよかったとすら言っていた。
ノブちゃんの弟のうち一人は熱心な創価学会の信者になり、一番下の弟は共産党員だか、共産党シンパだったと聞いている。彼女は選挙では共産党にしか投票しなかった。公明党ではなかったようだ。
これも自分の価値観の形成に大きくかかわっている。
さて、そんな薩摩隼人の血を引くノブちゃんが、先妻の豊子さんの子の豊明(つまり俺の父)を庭先で遊ばせていると、生け垣の向こうからしげしげと豊明の様子を眺める旅の僧侶がいた。僧侶はノブちゃんに
「相すまん、つかぬ事を伺うがそこで遊んでいる子供の母親はどちらかな」と声をかけた。
「私がそうです」とノブちゃんが答えると「それは面妖な」と首をひねる。
いぶかしく思ったノブちゃんが仔細を訊ねると「なに、その子供のそばには大柄な女人の霊がぴたりと寄り添って居る。大方その女人がその子の母親であろうと見ておったのじゃ」
するとノブちゃん、自分はこの子にとっては継母であることを僧侶に告げた。僧侶は「やはりそうであろう。この女人の霊は、この子供のことをたいそう案じており、近いうちに連れて行ってしまおうとしておる。ねんごろに供養しなされ。悪いことは言わぬ。一刻も早くだ」などということを告げたそうだ。
ノブちゃんは驚き、檀家の寺に子供を連れてゆき、お坊様に旅の僧侶のいったことを伝えて先妻の豊子さんの霊を供養したのだという。その時にノブちゃんは、「この子のことは私が生涯かけて守ります。ですから連れて行かないでください」と何度も何度も心の中で誓ったそうだ。
結果、ノブちゃんは俺の父豊明だけでなく、やはり母親を早くなくした孫たち、つまり俺を筆頭にした不出来な息子四人も育て上げた。自分が誓ったように、俺の父を一生を費やして導き守ったのだ。
20歳まで生きないといわれていたノブちゃんが91歳で亡くなってから、この23日で13年が経つ。早いものだ。本当にありがとう。
![]() |
| 1922年3月15日~2013年1月23日 |
![]() |
| 世界の街角から うーん、どこだっけスウェーデンのヘルシンボリだったかな |
暇だよ。いろいろあって仕事の契約を切られてしまったからな。それは仕方ない。身から出た錆だ。誰を責めるわけにもいかない。潮時だったんだ。で、方々に声をかけて仕事くださいって言ったところで、早々急に仕事が降ってくるもんじゃない。やることなんて掃除洗濯料理、そして読書くらいしかないんだ。無芸大食だ。まるで老後の暮らしだ。こんなのが死ぬまで続くのかと思うとぞっとする。仕方ないからひまつぶしに毎日書いているってわけだ。
さて、昨日の続きだ。
祖父の庄六は、そのうちに徐々に持ち直し、ノブちゃんの弟のたちと商売をするようになったようだ。町で雑貨店を営んでいたと聞いたことがある。ノブちゃんの行商が発展したものだ。その頃には俺の親父の豊明も小学生になっていたことだろう。
のんびりした時代で、掛け売りした商品の集金に自転車で回ることも度々だったという。しかし、庄六さんは根っからの善人で商売に向いていなかった。エリート商社マンだったはずなんだが、もしかしたら戦争で根本的に価値観が変わってしまったのかもしれない。
集金に行き、貧しい相手に今日食べるものを買うお金もないと泣きつかれると、仕方なく集金を次回に繰り延ばし、それどころかよそで集金してきた金も与えてしまうような人だったという。
その点、当時まだ小学生だった俺の父・豊明のほうが、情け容赦なく売掛金を回収してきては商売人らしさを発揮していた。
そんな寛大な庄六さんは周囲の人々からは好かれていたが、家族の生活は苦しかっただろう。にもかかわらず夫婦仲はよく、先妻の豊子さんの子である俺の父の豊明、ノブちゃんの子のあさチャンの後に娘が三人、男子が一人と次々生まれた。そりゃ、ノブちゃんも行商どころの騒ぎではない。貧乏の子だくさんだ。
このお人よしな性格のせいで、後に入来町の店も人手に渡り、ノブちゃんの弟たちも含めた一家は新天地を求め、岐阜へと移住することとなる。それはまたのちの話。
そんな庄六さんが集金に行った帰り、峠道を自転車で走っていたときのことだ。
庄六さんはその時、相手先で一盃ごちそうになり、上機嫌で暗い峠道を走っていた。すると急に強い風が木々を揺らし、ゴーっ!と列車が通るような音が上から聞こえてきたかと思うと、峠道の上を大きな火の玉が飛んで行ったという。
普通、火の玉が頭上を飛んでいくと自分の魂も持っていかれて、頓死してしまうと信じられていたようだが、幸い庄六さんは酔っぱらって上機嫌、心ここにあらずという有様だったので、腰を抜かしてひっくり返っただけで済んだのだという。(とはいえ、のちに火のついた練炭を取り落とし、入院していた病院で死ぬという運命が待ち受けていたわけなんだが。)
まるで水木しげるの世界だ。眼鏡をかけて出っ歯の主人公が、ハフッ!とか言って目を回して卒倒する一コマが目に浮かんでくる。
祖母からは、峠道などで急に体がだるくなり動けなることがある。そんな時は、昔そのあたりで行倒れて死んだ者の魂が憑りつき、その死者の味わった餓えや疲労が自分の身に生じるのだと聞かされた。そんな時は手に米という字を指でなぞり、その手のひらを舐めるとよいとも聞いた。
この話から察するに、その人魂はその峠道で力尽き、命を落とした人のものかもしれない。
読者諸君、今日はこれで失礼する。暇なのは暇だけど、本屋に注文したトマ・ピケティの新刊を受け取りに行ってこようと思ってるんだ。